shin-1さんの日記

○椎葉村へのルートを調べる

 今夕から宮崎県の山奥深い椎葉村へ出発します。週末の逆手塾準備のこともありどうしても金曜日の朝までには帰宅しなければならないので車で行く事にしました。椎葉村へは過去の2度ばかりお邪魔しましたが、何せ遠いことと道が狭いことの印象が強く、公共交通機関利用だと完全に2泊3日の旅となるのです。そこで妻が愛用している九州全土の地図を広げ思案しました。妻は息子が鹿児島の大学へ遊学中に自分で車を運転して度々鹿児島へ行っているので九州南部については詳しいようです。普通だと八幡浜から臼杵にフェリーで渡り、日向か延岡まで国道10号線を南下して山道に入るのですが、地図を広げて色々なルートを探ってみました。

今回の宮崎行きにあたってはグリーンツーリズム協議会の招きなので宮崎県地域農業推進課の担当者から様々な情報を入れてもらいました。日向市や延岡市から入るルートは度重なる台風被害によるものなのでしょうか、工事のための時間規制があって中々上手く行けそうにもありません。

 そこで考えたのが三崎町から佐賀関にフェリーで渡り竹田市を経由して裏側から椎葉村に入るという案です。海の上に国道が走るこのルートだとフェリーの時間が一時間余り短縮できますし、このルートは途中まで走ったことがあるような気がするからです。今日は7時30分まで大学の講義日なのでそれからの出発になる関係で時刻表を調べ10時30分発のフェリーに乗るべく予約の電話を入れました。ところが今の時期は一隻が定期検査のドック入りとかでこの時間は運行されておらず、結局は11時30分の予約となりました。出だしからつまづいた感じですが、帰りの便も予約をして準備が整いました。

 宮崎県椎葉村は日本三大秘境にも数えられる平家の落人伝説の地です。今だから車で簡単に行けますが昔は隠れ里ゆえに様々な歴史と文化の残る素晴らしい所です。

 かつてわが家にも逗留したことのある旧友河口吉弘さんの顔を思い出し、役場に電話を入れました。電話に出た方から「河口さんは今春退職されました」とのことで、電話番号を聞いて夜電話を入れてみました。嬉しいいことに電話に出て、昔の話に花を咲かせました。まだ定年には2年もあるのに辞められたとのこと、宮崎を代表する方のお一人なので惜しい気もしますが、まあ人生色々だからと椎葉村での再会を約束しました。

 旅馴れている私は年中旅をします。故に事前にこんな準備をしたことは殆どありません。今回ばかりは車での旅ということもあって、妻の心配は尽きません。しかも深夜の走行は体にこたえると反対しましたが、言うことを聞かない私ゆえ結局は妻が折れてしまいました。まあ「狭い日本そんなに急いで何処へ行く」てな感じで今回も旅を楽しみましょうか。

  「二度三度 訪ねし椎葉 久しぶり 思い巡らす 地図上の旅」

  「あの人は 元気でいるやら 浮かぶ顔 歳もとらずに 昔のままで」

  「今頃は デジカメ友の 一人旅 俺も随分 変わったものよ」

  「いい所に 行けてあなたが 羨まし 妻に反論 俺は仕事だ」

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shin-1さんの日記

○未公開施設の公開

 人間牧場第三期工事のツリーハウスについては、工事の推移をその都度紹介していましたが、足場も退いて防腐剤ペンキで化粧したツリーハウスの内部は紹介していなかったので、幾つかを紹介しておきます。

 ①生きた床柱

 ツリーハウスの由縁は木の上に家を建てる方法と木を室内に取り込む方法がありますが、人間牧場では木の立場に立って重い荷物の家を背負わさない後者の工法を選びました。生きたままの杉の木を室内に取り込んだので、まるで生きた木の床柱のようです。したがって畳三畳分の狭い室内の主要部分をこの木が独占しているような錯覚を覚えますが、生きた木に向かい合い木と語るまるで禅の修業場所のような感じがします。このツリーハウスのスポンサーは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループと長年物心両面で私たちのグループを支援していただいている関奉仕財団です。

 最初この杉の木は7本の株立ちでしたが、屋根の始末や棟木の角度を確保するため工事の段階で比較的小さい3本の幹がご覧のようにあえなく伐採しました。残念ですがそれを含めた7つの教えとして付加し、大切にしたいと思います。

 ②四つの扉

 入り口に半間の引き戸、西・北・東に小さい窓が造られています。いずれも外壁の杉板鎧張りと同じで、外から見ると窓の存在には気付かないよう工夫されています。窓は押し上げ式で木のつっかえ棒を差し込んで開けます。

 これは西側の窓ですが、巻き込み式の手作り網戸兼ブラインドが棟梁手作りで設置されているのです。中々お洒落な雰囲気です。4方の窓を開けるとかなり採光が差し込んで明るい部屋です。この部屋にはあえて電気は引きこみません。むしろランプのような時代遅れな人間の文明で使うつもりです。

 ③3本の根上がり杉

 ①で紹介した株立ち杉の木には根元から不思議な枝がまるでタコのあしのように3本出ています。何かの拍子で芽が出て枝になりそのまま放置されて育ったのでしょうが何とも奇妙な光景です。

 この杉の枝は生きた床柱とともにこのツr-ハウスの名物になりそうです。水平線の家といい、五右衛門風呂といい急峻な地形を活かしたため下から見るとまるで2階建てのような雰囲気で、味のある施設に仕上がりました。

 周りにはハゼの木が沢山自生しています。そのハゼの木もカズラに巻かれて息絶え絶えと言ったところなので丁寧にカズラを切ってやりたいと思っています。海岸線は標高が低く暖地なので秋の紅葉は期待できないのですが、ハゼは何故か見事に紅葉します。秋を演出する工夫を凝らしたいものです。

 このツリーハウスにはまだ名前が付いていません。みんなの意見を聞くと人もめしそうなので、私の考えている名前に落ち着きそうです。行く行くは下の往還道路に小さな吊り橋でもかけるとアドベンチャーを楽しめるかもしれません。いずれにしてもいいツリーハウスが出来ました。日浅棟梁さんや協力してくれた様々な人にありがとうといいます。

  「七本の 枝が残った ツリーハウス 僅か三畳 杉と語りぬ」

  「四方窓 開けて周りを 見渡せば 緑と青が 程よいほどに」

  「踏みつけて 出来た畑の 細い道 ぬかるみ足を とられ懐かし」

  「家の下 まるでタコ足 枝が出て みんな関心 覗き込むよに」

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shin-1さんの日記

○蚊帳の装着実験

 畳20畳敷きもある超大型の蚊帳を寒冷遮を使って製作しようと試みて早くも3日間が過ぎました。多くの人の協力や手伝いもあって完成しその装着実験を行いました。水平線の家の脱煙装置を見てオーム真理教のサティアンではと勘ぐった人には、何教かは忘れましたがウエーブとかいう宗教団体が何やら白い布で施設を覆った再来かと言うに違いないと思いながらも、今週末の逆手塾に間に合わせようと夜を徹して造った労作にして大作の蚊帳なので、失敗は許されないのです。

外にしつらえたステンレスの骨組みにすっぽり被せて見ましたが、中々の出来栄えです。結果的には横幕を裁断もせずに縫い合わせていったので奥行きがほんの僅か足らなくなりました。その様子を中から見ればご覧の通り立派な出来栄えです。

 今日は孫と二人で朝から人間牧場へ出かけ、足らなくなった横幕に、昨日買ってきた寒冷遮を接ぎ足す作業をしました。家からミシンを運び、生地を裁断してかがりながら縫い合わせてゆくんです。孫は「おじいちゃん手伝ってあげる」と、頼みもしないのに様々な作業に首を突っ込み、すっかり足手まといとなってしまいました。「おしっこ」、「ウンコ」、「お菓子」、「ジュース」と親がいないことをいい事に私にねだって、結局はその都度作業が中断するのです。仕事が終わった頃関西汽船の浜田さんから一報が入り迎えて今日の作業は何とか終了しました。完成してからの装着実験はしていないのですが、多分バッチリではないかと思います。この大きな蚊帳、ステンレスの骨組みも含めるとかなり高いものになりましたが、それでも息子と二人で様々な試行錯誤を繰り返した結果出来上がったので喜びも一入です。

 中学校の家庭科で触りはしましたが、この歳になってミシンの使い方も始めて妻の手ほどきを受けましたし、久しぶりに漁師をしていた頃の網仕立てに似た作業をやりました。

 蚊や虫が来るのは自然が豊かだからと思っていましたし、今もその考えに変わりはありませんが、水平線の家の快適さを追求するにはやはり虫を寄せ付けない防備が必要なのです。一番虫の嫌いなのは孫で、先日地元の人を招待した時などは眠気をもよおしていたこともあって、虫が来る度にワアワアわめきたてるように泣きました。これで孫も少しは落ち着いてくれるものと、ミシンで縫いながら虫の話をしてやりました。

  孫の手を 借りて二人で 蚊帳を縫う 足手まといで 先へ進まず」

  「ミシンなど 見たこともない 孫の目が 縫い目追いつつ 眠気催す」

  「懐かしき 蚊帳をつりたる 思い出に 浸る私は 時代が古い」

  「ふと鏡 見ればすっかり 日焼けして 百姓顔に なってきました」

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shin-1さんの日記

○宮本常一に会ってきました

 私の友人に山崎由紀子さんというユニークな女性がいます。先日電話があって人間牧場を見学したいというのです。人間牧場の見学は申し込みが多く順番があるのですが、そんなことお構いなしにどんどん攻めてくるものですから、男性ならいざ知らず女性のことでもあるのでついつい案内しました。その日はどんな取り合わせなのか分らぬまま家具屋姫こと五十崎の成田幸子さんという旧友を伴っての来訪でした。伊予市と合併して良かったのは門田さんや山崎さん、木下さん、徳本さんなどと同じ市民になったことです。まあ山崎さんの場合は書店の経営者だけあって博学で目立ちたがり屋と思える程の活躍ぶりです。

 下灘のコミセンで待ち合わせして人間牧場へ案内したのですが、家具屋姫の成田さんは可愛い花器をプレゼントして野の花まで活けてくれるサービスぶりでしたが、山崎さんは詩のコピーを持参して楽しいお喋りをしました。

 その折、人間牧場から見える周防大島の「旅する巨人・宮本常一」の話をしたら、山崎さんはえらい興味を示しました。そして必ず周防大島を訪ねたいと言うのです。始めての話でもあるし私が半信半疑になったのも無理はないことなのでした。ところが彼女は息子を連れて母の日に早速周防大島を訪ねたというのです。驚きました。そして先日周防大島での一部始終を私の元へ送ってくれました。

 普通の女性だとここまでを便箋にしたためて送るのですが、山崎さんはデジカメ写真をプリントし、もっと驚いたのは旅の記念になるであろう乗船券や三津浜・伊保田間の時刻表などミニグッズまで同封する念の入れようでした。彼女の行動力は伊予市民の知る人ぞ知るですが、こんな行動人間は滅多にいないとあらためて再認識した次第です。この封筒に入った周防大島見聞録や宮本常一に関する資料は早速人間牧場のお宝にしようと思っています。

 このところ忙しくて早速とは行かなかったのですが、今朝早起きをして山崎さんにお礼のハガキを書きました。勿論一日三枚のハガキ実践の一枚です。実は先日山崎さんにお便りを出したのに届かず舞い戻った経緯があります。私はその舞い戻ったハガキを山崎書店へ持参しました。「番地が少し変わっているぐらいで届かないあなたも無名じゃねえ。私なんぞは愛媛県・若松進一でも着ますよ」と冗談を言ったものです。

さて今回のハガキは確実に届くのでしょうか。少し心配です。

  「憧れて 宮本常一 生きた町 訪ねた旨の 手紙届いて」

  「切符まで 旅の思い出 あれこれと 送り届ける 気持ち嬉しく」

  「まず動く そして始まる 探す旅 やがて大きな 心の糧に」

  「ハガキ書く 顔を思って まず宛名 それからよろず 思いつくまま」 


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shin-1さんの日記

○わがまちを美しく

 私の住んでる愛媛県伊予市双海町灘町では毎年6月第1日曜日を一斉清掃の日と定めて区民あげて清掃活動をしています。昨年から灘町の区長、つまり世にいう自治会長という役職に赴いたこともあって、区長はその一斉清掃を仕切る事になっているのです。事前に27人いる組長さんを集めて一斉清掃についての説明や打ち合わせをしました。各組毎に計画をして清掃を行うのですが、ゴミ袋の配布や消毒液の手配の他、ごみ収集を行う収集者の手配、放送等の周知徹底などやるべき仕事はかなり多いようなのですが、昨日は好天に恵まれ大勢の参加で沢山のゴミや下水の土砂を取り除きました。

 毎年のことながら、今年も消防団が出動して日ごろ下水の滞留する平坦な場所をポンプで洗い流して貰いました。

 私と2名の副区長、それに会計の4人が軽四と1トンダンプに分譲して27組を回って集めたゴミと土砂を回収して回るのですが、これが半端な量ではなく、特に下水の土砂は昨年が雨の量が多かったこともあってかなり多かったようです。役所に前もって準備をしていたコンテナに回収ゴミを移すのも一苦労で、4人の中で比較的年齢と体力が若いと思われる2人が汗だくで車に積み込んだり下ろしたりしましたが、昼前になってやっとその目処がつきましたが、集めたゴミは車2台分にもなりました。

 ごみを集めて回ると、いい汗をかいて一仕事終わった組は、あちらこちらでジュースやお茶で、中には準備よく料理を囲んで小さな酒盛りまでしていました。まさにいいコミュニティ風景です。

 全ての作業が終わり、車を返した私たち役員も腹が減ったので集会所に帰り4人だけの小さな反省会を持ちました。こちらもノミュニケーションの話がまとまり乾物でビールです。酒の飲めない私は慰労のつもりで酒注ぎのサービスに余念なく働きました。

 今回の清掃活動が上手くいった背景には役所の全面的な協力があったからだと思います。役所の衛生担当は新人さんでしたが、実に気配りの出来る人でした。車や消毒液の手配など何度も相互連絡し、処理の仕方まで完璧でした。合併をして行政サービスが遠のいたと何かにつけて言われますが、今回はいい対応だったと思いました。私も含めて役所とはお互いが何か一線を引いているよな錯覚を持っています。これからは出来るだけ前向きに考えてお互いが話し合い協力し合って、町民のために努力したいものです。

 去年もあっあのですが、全てが終わって積み残しのゴミが3袋発見されました。それを片付け単車で町中をもう一回積み残しがないか調べて回りましたが、清掃の結果でしょうか町中がどこか輝いて見えました。

  「朝七時 町内あちこち 人が出て 一斉清掃 気持ちよい汗」

  「ゴミ集め あちこち回る 町内で 色々話し 聞くのも大事」

  「市役所の 担当さんは 熱心で 株が上がった みんな褒めてた」

  「町中が 輝き増した 清掃で 綺麗な町に 住める喜び」

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shin-1さんの日記

○梅を漬け込みました

 最近になって購入した人間牧場隣接の梅畑の梅の木から収穫した梅は何と60キロを上回りました。この3日間は梅の収穫から梅の漬け込み作業に至るまで、梅に翻弄された日々でした。近所や近くの親戚に2キロづつおすそ分けをして「まあ綺麗な梅」と褒められありがたがられましたが、それでも残りが50キロもあり、さてその始末どうしようかと思案しましたが、妻はいたって簡単に、「お父さん手伝って下さい」で梅干と梅酒作りの手伝いをしました。手伝いは主の妻がいて従は私ですから、梅を洗うことや梅のヘタを取ることの雑用は全て私です。妻はその作業を私に言いつけてさっさと容器の買い物に出かけてしまいました。しばらくして妻は梅酒のビン3個とポリ容器、それに氷砂糖や塩をどっさり買ってきたのです。「さあ始めましょう」と腕まくり、慣れた手つきで梅の重さを計力器で計り、手際よく容器に詰めてゆきます。

 梅酒は普通ホワイトリカーと氷砂糖でつけるのですが、酒が飲めなくなった私のために梅と砂糖を同量入れて梅酒というよりは梅ジュースを造りました。梅と氷砂糖を交互に入れ、香りと保存用にホワイトリカーを少し入れて、熱湯消毒した瓶の蓋を密閉するのです。梅ジュースの造り方については先日ブログ仲間の大河内さんから教わっていましたが、妻が知ってる造り方も同じだったので手際よく3キロ入りのビンが本出来ました。妻はこのほかにも花梨酒や紫蘇酒などを造っており、家の倉庫には年代物のような古酒が眠っており、この際愛飲したいものだと思っています。側で梅酒造りを見ていた息子が、「梅酒って砂糖ジュースみたい」と言う通り、砂糖を多く使うのには改めて驚きました。

 続いて梅干しの漬け込みです。こちらはいたって簡単な作業で梅を計量器で計ってその良に15パーセントかければ塩の容量が出るので、梅を入れた容器に塩を入れるだけです。昔は20パーセントもの塩を入れていましたが、減塩梅干しなので15パーセントにしました。最後はホワイトリカーをふりかけて防カビ用にしました。わが家は梅が好きで次男は一日3個くらい食べます。最近の市販のものは塩分をまったく感じさせないような梅干しが多く、また小梅系で次男には物足りないようです。今年の梅は多少小ぶりですがそれでも市販のようなものとは断然比較になりません。昨年は山梨県の仲間が沢山梅干しを送ってくれたので大助かりでしたが、やはり口当たりがいいのか直ぐになくなってしまいました。時折顔を見せる孫も梅干し大好きのようで、孫のためにもいい梅干しが出来ることを願っています。

 わが家では梅干しを料理用によく使います。苦汁菜やフキの佃煮には欠かせませんし、イワシやサバといった青魚を煮るのに必ず生姜と梅干しを入れて調理します。梅の酸っぱさが美味しい料理の隠し味なのです。またここは漁師町で夏になると漁師さんや親戚からハモが届きます。骨切りしたハモをさっと茹で梅肉で食べる食感はまさに夏食の大様といったところでしょう。

 梅雨が明ける頃に土用干しして漬け込むのもそんなに遠いことではありません。しかし梅の実を収穫してそれを梅酒や梅干しにする作業は、私の知らない所で妻は文句も言わずにちゃんとやっていたのです。今年だけの手助けでしたが主婦の苦労を垣間見る思いがしました。漬け込み終わったのは午後8時頃、少し疲れました。

  「梅干しの ひとつひとつに 苦労あり 始めて思う 漬け込み作業」

  「俺造る 胸張り威張る 梅ジュース 今年の出来は 多分いいはず」

  「キロ五百 計算すると 三万円 農業で得た 家計簿所得」

  「梅が好き 俺はやっぱり 日本人 食水あたらず 梅ある暮らし」

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shin-1さんの日記

○ほたる祭り

 日本人はよくよくお祭りが好きな人種だと思います。水仙や桜、つつじといった花は勿論のこと、食べ物や動物の冠をつけた祭りが二本中にはやたらとあるのです。隣の松前町などでは特産のネギを活かしてまちおこしをしようとネギ祭りなどを開いています。「ネギがどうしてまちづくりの主役になるの?」と首を傾げたくなりますが、やってる当の本人たちは結構真面目で、人も沢山集まって来るようです。近隣には砥部焼き祭りもあって窯出しの商品が安く買えると好評です。しかし全てのこうした祭りイベントが盛況かというとそうでもなく、まるで浮き草のように根無しで消え行くものもかなりあるようです。祭りは「何のために」という基本コンセプトがしっかりしていなければ長続きするものではありません。最初は地域資源にこだわって始めるのですが、そのうち段々変わった方向に向いて、客寄せパンダのような上滑りの祭りになり、地元からも外からも見放されて終末を迎えるイベントを何度も見てきました。最近は行政も財政難で予讃が付かず金がないから止めるイベントも多いようです。

 私が始めたイベントにほたる祭りというのがあります。最初はほたるの飛ぶ川を取り戻そうと始めたのですが、地域の大きな支えもあって今年で20周年目を迎えるほどに成長しています。始めた頃ある町外の人が見学にやって来て「あれぐらいのほたるでようほたる祭りをするなあ」と呆れていましたが、それでもほたる養殖や河川の清掃、環境教育に取り組んだお陰で環境庁ふるさと生き物の里百選に選ばれたり様々な成果を収めてきました。昨晩のほたる祭りは木造校舎の翠小学校が主会場でしたがこれ程どこから人が来るのかと思うほど沢山の人が来ていましたし、ちょうちん行列でほたるを観察をしましたが凄い数のほたるにどの人も感嘆の声をあげていました。

 双海町のほたる祭りはほたるを一匹も会場に登場させないのが基本です。普通だと会場に蚊帳で作った擬似草むらにほたるを放って参加者に見せるのですが、第一回目のほたる祭りの打ち合わせの時ある青年が、「ほたるはその寿命はたかだか20日間、そんな短い命を人間のエゴで見世物にするようなイベントはやっても無意味、ほたるに触らないのが一番」と提案しました。そのことがきっかけで県下に先駆けて「ほたる保護条例」が制定され他のです。

 昨日のほたる祭りもその方針はしっかりと守られ、ほたるが主役、みんなが脇役のほのぼのとしたイベントでした。私にとってこのほたる祭りは木造校舎の存在や、水車小屋の設置、環境問題への取り組みなど、忘れられない思い出のひとつとなっています。

 ほたる祭りには妻、娘、孫、息子夫婦で出掛け、懐かしいそうめん流しと季節遅れのイチゴ狩りを楽しんで帰りました。

  「アッほたる あそこここにと 指を刺す 孫の見つけし 光追いつつ」

  「ゴキブリの ようだと孫が 指を刺す 木造校舎に 蛍留まって」

  「ソウメンを たらふく食って 三百円 今年も薬味に 笑顔を沿えて」

  「一年に 一度のほたる 久しぶり 懐かし友の 顔々も見え」

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shin-1さんの日記

○大きな蚊帳製作

 人間牧場周辺では夏になると藪蚊が沢山出てきます。昨日も梅の収穫作業中にあちらこちらを刺されました。痒いのさえ我慢すればマナリアになる訳でもないから別にどういうことも無いのですが、縞模様の藪蚊は洋服やズボンの上からでも容易に刺してくるので煩わしくて仕方がありません。そこで登場するのが蚊取り線香です。石綿入りの吊り下げ用に火をつけた渦巻き線香を一本入れて煙を出すのですが、これが威力抜群で中々の効き目です。

 私たちは無人島キャンプを20年間も続けているので、キャンプ=藪蚊を連想し、その対策をしっかりしていましたが、人間牧場での研修会に蚊取り線香を一人一人に持たせる訳にも行きませんので、息子の発想で思い切ってウッドデッキ全体に大きな蚊帳を吊るすことを思いつきました。しかし発想はいいのですがその蚊帳をどのように調達するか色々と知恵を絞りました。市販の蚊帳はせいぜい10畳なので、畳20畳の蚊帳はないのです。10畳蚊帳を二枚という方法も考えましたが、結局は農業用寒冷遮を使って自作する事にしたのです。

 早速間口4軒、奥行き2軒半もの大きな蚊帳の製作プロジェクトが発足しました。息子の設計図に基づいて生地の調達が始まりました。白い寒冷遮見本を園芸店で買い求めましたが一枚の広さが1.8メートルしかないので繋がなければなりません。そのため妻が私と結婚するときに花嫁道具として持参し今だに愛用しているジューキミシンを引っ張り出して、実験縫いをしてみる事にしたのです。ミシンなど中学校の授業以外遣ったこともない私が、妻の指導でミシンの特訓です。ボビンケースに入れる糸を巻き取ったり針に糸を通すなどそれはもう大変な賑わいです。2時間ほどの特訓で電動ミシンはどうにか動くようになりました。

 やがて息子が寒冷遮を買って帰り、いよいよ製作です。この蚊帳の特徴は天井と3方しか生地がない変わった蚊帳です。つまり1方は窓に取り付けるという算段です。生地を計って慎重に裁断し縫って行くのですが、たまたま昨晩蛍祭りの見学にやって来てわが家に泊まることになった長男の嫁がミシン縫いをかって出てくれました。息子嫁は現代風といいながらやはり女性、手馴れたもので、私と息子を指導して一気に縫い始めました。早い早い。あっという間に作業が進んで行くのです。この作業は漁師が網を仕立てるの同じなので、私が全てを差配しました。

 結果的に夕方8時過ぎに始めた作業が午前0時の深夜にまで及び、何とか完成にこぎつけたのです。思わぬ助っ人の誕生でここまで作業がはかどるとは思ってもいなかったものですから、昨晩は息子嫁のお陰で充実した時間を過ごすことができました。今日は私が自治会の町内一斉清掃の日で手が離せないので息子は仕上がった蚊帳を水平線の家に運んで設置テストをするそうですが、上手く出来たことを祈っています。かくして平成の大蚊帳製作プロジェクト事業は終わりましたが、降って湧いたこの作業が家族の絆をより深くしたことは言うまでもありません。

  「蚊帳の外 ならぬ蚊帳中 入れられて ミシン作業は 深夜に及ぶ」

  「これ程の 大きな蚊帳は 見るもなく 手探り手作り 仕上げをごろうじ」

  「あらためて 息子嫁さん 見直した ミシン扱い 手馴れたものだ」

  「さあ出来た これで万全 藪蚊など 取るに足らぬと 威張ってみたが」

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○おめでとうshin-1さんの日記「人間牧場」ランキング

 昨年の9月からブログの何であるかも、またその書き方さえも分らないまま、娘婿に勧められAmebaブログに登録して始めたブログですが、ついに目標地点まで到達しました。「そんな低い目標で当たり前でしょう」と他のブローガーさんんたちに言われそうですが、私にとっては大変な偉業なのです。Amebaブログにはランキングがあって毎日画面に自分の順位が表示されています。只今の私の総合ランキングは4906/1122532でジャンルランキング(日記・ブログ)は900/920726というカウントのようです。つまりおおまかにいうとAmebaブログに加入している112万人余りの人の中で総合的には5千人目くらい、日記風からいうと

92万人中900人目くらいに位置しているということです。ゼロから出発した訳ではなく112万人目から出発して限りなくゼロに近い1を目指しているのですが、私の当面の目標だった総合ランキングで5千を越え、日記・ブログで1千を越えたのはパソコン嫌いな私としては驚異的な金字塔なのです。

 このところ総合ランキングで5500位台、日記・ブログランキングで1500位台を安定的にキープしていましたが、昨晩のカウントで当面の目標に到達したのです。

 「それがどうしたの」と水をかけられそうですが、それでもいいんです。私にとって6月2日は記念すべき日となったのです。ブログに順位をつける基準は内容ではなくアクセス数なので、毎日何人の人が読んだかによって決まります。毎日ランキングを見ていると私のブログの欠点は土曜日と日曜日にアクセスが下がる傾向にあります。私の知人友人の殆ど、つまり私のブログの愛読者は役所関係の人が多いので、職場でアクセスする人も結構多いため、役所が連休となる土日には読まれないのではないかと思われるのです。でもそれでもいいと思っています。職場でお茶を飲みながら休憩時間に私のブログを読んで気休めになるのなら、それに越したことはありません。

 最近はブログの話題が新聞やテレビで報道されるようになりました。国会議員が書いたブログが盗作ではないかと批判されたり、殺人を犯した犯人がブログを書いていたなどと、どちらかといえば悪いことが紹介されていますが、ブログは本来自分というもう一人の人間と対話することに大きな意味を持っているのだと思うのです。勿論公開しているので不特定多数の人が読んで、時には意見を述べてくれますし、そのことによって自分の考えの間違いや確かさに気付いてゆくのです。つまりブログは記録に残る自分の成長の足跡なのです。負け惜しみではありませんが私は他のブローガーのように話題や人気をブログで得ようとかナンバーワンやベストワンは目指しません。むしろ自分の生き方そのもののオンリ-ワンでいいのです。ですから当面の目標だった5千人目と千人目を突破したことで目標は達成されました。後は自分の文章の充実に重きを置いていい文章で自分と勝負です。画面をお借りして愛読者の皆さんに心から感謝します。

  「何にでも 目標つくり 挑戦す これが自分の 生きる力に」

  「百万人 いるのに私 その中で 五千一千 越えてここまで」

  「何事も 日々の努力の 積み重ね 次は密かに 山の向こうを」

  「近頃は 人のブログを 読む余裕 みんなそれぞれ ブログ楽しみ」

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shin-1さんの日記

○梅の収穫

 人間牧場に隣接する梅畑は先月購入した土地ですが、将来のことを考えると管理する人の当てもなく、妻には不評をかってしまいましたが、将来よりも今から10年間を楽しもうと、反対を押し切って決断しました。梅の木が10本もあるので春の梅の花、夏の梅の実を楽しむべく既に草刈は2回行いました。購入前から地主さんの了解を得て花は存分に楽しませて貰いましたが、来年からは私が自由に花を楽しめるのです。さてその梅畑の梅の木に梅が沢山実を付けました。昨日お百姓の友人に聞いたところもう梅の実は取入れをするように勧められてので、今日は午前中の会議を終え、しゅざい対応もあったので午後から収穫作業に出掛けました。今日はツリーハウスの足場の撤去作業のため日浅棟梁が人間牧場に来ていたので、その手伝いが一時間ほどかかり、急いでの収穫作業となりました。ご承知のように梅の木は刺が多く、しかも剪定もしていないとあって作業服やズボンは刺に引っかかって悪戦苦闘の連続でした。

 一番多くの実をつけている梅の木は、加賀白梅のような美しい肌をした青梅で何と一本で20キロ入りのキャリーに山ほど収穫しました。そのほかの木は品種が違うのか小梅系や中梅系ですが収量は少なく全体で20キロほど収穫しました。木にはまだ5キロ程度は残っているようですが、昨日顔に怪我をしたため妻からくれぐれも5時には帰宅するようきつく言われていたのですが、今日は妻の仕事が遅くなる金曜日なので、6時半まで作業をして帰宅しました。それにしてもこの収穫収量は40キロを超える大豊作で、久しぶりにウキウキしながら帰宅しました。

 夕方帰宅した妻は梅の量に驚いた様子で、私は得意げに土地購入の効果を強調してやりました。「この梅だと消毒もせずに安全で、しかも1キロ500円としても40キロで2万円の儲けだ」と・・・・。

 さてこの梅を使って梅干と梅酒、それに大河内さんがブログに書いていた梅ジュースを造りたいのですが、やはりその作り手は忙しいはずの妻の役割のようです。ホワイトリカーや氷砂糖、それに漬け込む容器など出費がかさむことも忘れていました。でも酒が飲めなくなった私対応として梅ジュースは是非とも作ってみたい商品です。

 梅取りに夢中になって忘れていましたが、今晩風呂に入ると体中に刺の後が少し赤くなっていました。先日傷ついた第二農場開拓の時の野ばらの刺跡がやっと直ったと思ったら今度は梅の刺です。昨日の顔の傷といい、百姓仕事も馴れない私には少々きついようです。

  「手に入れた 梅の畑に 実がなって 今日は収穫 四十キロ越え」

  「梅の刺 俺の行く手を 阻むよに チクリ肌刺す それでも登り」

  「この梅で 梅干梅の ジュースにと 思いは巡るが 誰がするのか」

  「五時までに 帰宅の約束 子どもでは 無いぞと反論 妻に旗色」

 

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