shin-1さんの日記

○記念撮影

 長女夫婦の次男で私たち夫婦にとっては二番目の孫が生まれたのは5月17日でした。長男が朋樹で次男はよく似た尚樹と命名され、母乳でスクスクと元気に育っています。二番目の馴れ合いか名付けなどの公式行事もなく少々不満ですが、私たちの口出すことではないので妻に対してブツブツ小言を言う程度で片付けていましたが、今日は娘夫婦から近所の写真館で記念撮影をしないかと提案がありました。妻も私も喜んで今朝から出かけました。世の中不思議なご縁で、娘夫婦が選んだ写真館のご主人が、私が松山工業高校のPTA会長をしていた折その学校の事務長をしていた方で、久しぶりの出会いに懐かしさ一入でした。奥さんと息子さんがカメラマンとして腕を振るわれていましたが、立派なスタジオのある写真館で主役である孫たちはそれぞれよそ行きの服を着せられて興奮気味で撮影に望みました。私たち家族はこんな晴れ姿で記念撮影をした経験はなく、私も妻も何となく落ち着かない雰囲気でしたが、当の孫たちは気後れすることもなく撮影は順調に進みました。カメラマンも手馴れたもので、僅か生後二ヶ月のまだ視界も効かない孫でさえ泣くこともなくカメラマンの求めに応じてそれなりに写すのですからやはりプロなのでしょう。朋樹薫はもう4歳ですから時折肩をすぼめたりポーズをとったり表情が豊かで、さすがにカメラマンも手を焼いているようでした。その分いい写真が出来るのではないかと期待しています。

 ベビー服の尚樹君とクロのタキシード姿も凛々しい朋樹君はそれぞれ個人写真を撮り、親子家族、私たち両親を含めた集合写真と撮影が進みましたが、はて私たちの存在はどう説明すればいいのか、正直頭の隅を娘の夫の母親の顔が頭をよぎりました。娘婿は大阪羽曳野の出身です。お父さんは娘との結婚前に既に他界していますが、お母さんは高齢ながら羽曳野で一人暮らしをしています。親一人子一人なので、私たちが孫をいとおしいと思うように孫への思いもいとおしいに違いありませんが、遠隔地や高齢、加えて娘婿の仕事が愛媛大学なので、親子別々の暮しを余儀なくされ、孫には会いたくても盆と正月の年二回なのです。本当は私たち夫婦夫婦だけではなく娘婿のお母さんが一緒の写真に写るべきだと思いました。間もなく来月はお盆月で帰省して孫の顔を見せるのでしょうが、今頃は指折り数えて孫と息子夫婦の帰省を心待ちにしていることでしょう

 孫の成長は早いものです。まだ誕生して二ヶ月そこそこなのに早くも目が見えて時折笑顔を見せるようになりました。自分の指も吸ったりゆりかごを自分でゆする仕草もします。ジジバカと言われそうですがまるで猿のような赤ちゃんが人間らしい姿になり、可愛さは日々に増すばかりです。

 今日は私たち夫婦が二人の孫の面倒を見ながら留守番をする事になりました。娘夫婦は久しぶりにそろって外出し、孫の内祝いを処理するするそうです。あらかじめ母乳を哺乳瓶に搾って入れ出かけましたが、多少のぐずりはあっても、性がよく何とか3時間余りを子守しました。私はもっぱら朋樹君のお世話で、近所の松山神社の境内に散歩に行って孫のはまっている虫取りをしました。途中団子虫とカブトムシを捕まえて意気揚々と引き上げ、二人で道後温泉椿湯へ風呂に出かけました。昼間のことゆえ湯船は比較的空いていて、少し深めの湯船や洗い場で遊び、近くのコンビニでかき氷を食べて汗を引かせました。孫の湯上りの匂いはまさに子どもの匂いで、いい心持となりました。孫が「じいちゃん」といってくれるのも後何年くらいでしょうか。湯船である老人が「お孫さんとご一緒で羨ましいですなあ」と言ってくれました。幸せでした

  「写真屋で 孫と一緒に 写真撮る 緊張面持ち はいリラックス」

  「この場所に 一緒にいたら どんなにか 喜ぶだろうと 婿母思う」

  「湯船にて 孫と一緒の 姿見て 幸せそうだと 寂しい声で」

  「早俺の 顔見て笑う 孫嬉し ジジバカ目尻 八時二十分」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○断水騒ぎ

 「若松さん所水が出てますか」。電話口に出た隣の奥さんがこんな言葉を言うのです。私は大相撲をテレビで見ている最中で、朝青龍と白鵬の相撲が間もなく始まる6時前だったので、正直早く電話を切ろうと思いましたが、いかんせんそれから次から次と電話が架かり始めたのです。中身は要約すると「水が出ない」という苦情が殆どでした。水が出ないからといって私に言われても困るのですが、電話の対応をしながら私に電話をかけるのにはそれ相当の訳があると思ったのです。まず私は最近までこの集落の自治会長である区長をしていました。2年間で辞めたものの未だに私が区長をしている若しくは水道のトラブルの解決方法を知っていると思っている人が多いのです。ついで私が35年間も役場に勤めていて三連休で市役所へ連絡しても対応が出来ず、そんな場合の対応を知っていると思っているのです。仕方がないので相撲観戦を諦めて対応をし始めました。役所は三連休の真っ只中で、宿直は民間人が委託を受けてやっていてらちが明きません。私はとっさにかつて役場で一緒に仕事をしていた人に電話をしました。その方はあいにく留守で奥さんが役所に勤めるご主人に携帯電話をしてくれました。ご主人は直接私に電話せず奥さんから間接的に、「水道の管理は合併後市役所に一元化されて双海町の支所では扱っていないので、私がいうより区長のあなたが抗議すれば早く対応するかもしれない」との事でした。

 私が区長をしていると思っての発言でしょうが、何たる不手際な態度でしょう。私は奥さんに「私は区長を辞めています。私が市役所水道課へ電話するのもいいですが、あなたのご主人がするのが順番ではないですか」と少々声を荒げて電話を切りました。今日は三連休の中日です。「直接水道に関係のないのに市役所職員だからといって電話してくるのは迷惑だ」と言わんばかりの対応は少し間違っているようにも思われました。でも市役所支所へ言ってもらちがあないからの相談なのです。

 問題を整理すると、私が市役所の水道行政を深く飲み込んでなく、知人に電話したことにも問題があります。市役所イコール役場と勘違いせず直ぐに伊予市の市役所水道課へ電話すればよかったと後で後悔しましたが、私の危機管理能力がまず駄目でした。次に役所の対応はたとえ民間委託でも取り次ぎ方法はマニュアル通りできるはずですから、日頃から訓練しておかないと危機管理は出来ません。さらに私が電話した職員も自分の仕事でなくっても、あるいは休みの日でも相談を受けたら対応するくらいの気概が必要でしょう。対応に出た奥さんが一番被害者だったかもしれませんが、職員の奥さんも危機管理能力が必要かも知れません。ましてや台風が少し前に去ったといっても緊急時なのですから・・・・・。

 その後対応が始まり、有線放送で水の出ない原因が台風の大雨による水源パイプつまりだと周知され、風呂に入ることも出来ず、トイレを使用することも制限されて一夜を過ごしました。朝6時前再び有線放送で修理完了の周知がされました。担当者は寝ずの復旧作業をしたのでしょうが、ご苦労様といいたいけれど後味の悪い復旧となりました。もっと後味が悪かったのはわが家の洗面所の水道栓を水が出ないため誰かが開けていて、復旧後の早朝水が出っぱなしになっていたのです。水を無駄使いしてしまいましたし、今月の水道料が高くなりそうです。

  「水が出る 蛇口ひねれば 当たり前 便利な世の中 忘れてました」

  「台風が 残す小さな 爪痕に 学ばなければ 今に大事」

  「役所辞め 区長を辞めたる 俺なのに 周りの人は 事ある毎に」

  「防災と いくら言っても 市役所の 職員これじゃあ らちが明かぬは」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○新車購入

 先日三秋峠で突然エンストして大騒動となった妻の愛車が、車屋さんの見立てによるとどうも寿命だそうで、私の愛車一台では、家の仕事もままならぬことから、思い切って新車を購入する事になりました。寿命となった車は車屋さんをしていて二年前に廃業した姉の家からタダで貰ったものなので諦めもつきやすいのですが、年金暮らしの妻の財布からは少々出費がかさむようで、夫婦でどうしようかと思い悩んでの決断でした。

 今回買ったのはトラックです。元々わが家には農作業用に軽四トラックがありましたが、母の死後農業が出来なくなり、軽四乗用車にした経緯がありましたが私のわがままで始めた人間牧場用としてトラックが必要なためのモデルチェンジです。トラックは人間牧場に通じる急な坂道にも耐えられるようにお金は少々高いのですがワンランクアップの4WDです。妻は昔軽四トラックを運転した経験があるしミッションギアーでも大丈夫ということで、カーラジオつき冷房なしのシンプルで極力安いモデルを選びました。

 妻は何故か車を買う時は大安か先勝を選んで買います。そこまで気にする必要はないというのですが、子どもの車も全て御幣を担いで大安吉日を選んで買いました。そのためでしょうか子どもたちも私も妻も大した交通事故に会うこともなかったのですから、大蔵大臣の言うことは聞かなければならないのです。

 7月9日の大安に新車が到着しました。あいにく私は留守でしたので妻が受け取りましたが、嬉しいのか妻は早速乗り回しているようです。

 今日は日曜日で予定された仕事が台風で中止になったため、トラックで人間牧場へ見回りも兼ねて行きました。台風が通過して吹き戻しの北西の風がかなり強く吹いていましたが、人間牧場は災害もなかったようで一安心です。台風や梅雨の降雨で草丈も勢いよく伸びていたので草刈機を回して水平線の家の周辺やツリーハウス周辺の草を刈りました。帽子が吹き飛ばされるほどの強い風でしたが、その分暑くもなく蚊も出ず快適な草刈日和となり作業はお陰ではかどりました。自宅敷地内に設置している貯水槽の清掃をしていたため遅い出発となったため、弁当を持参する事を忘れ、腹が減ったので時計を見たら何と午後3時でした。昼ごはんも食べず熱中して草刈をしていたので、妻からまた小言のご注意を言われそうでしたが、妻は所用で外出しておりトラックをしまって何食わぬ顔です。

 それにしても近頃の軽四トラックは4WDへの切り替えが、ボタン一つで操作が出来るゆ改良されており驚きました。これだと私も妻も十分使いこなせるメカ装備なのです。新車なので汚したら悪いと思い何にも積まずに走りましたがエンジンの音も軽やかで、「妻と畳と車は新しい方がいい」といったら、妻が「妻は余分」と渋い顔をされました。人間の寿命はたかだか80年です。この車を10年乗るとしたら次の軽四トラックの購入はありえずもうこれが私の寿命では最後の買い物になるかもしれないと思うと、首相寂しい気もしますが、まあ大事に使いたいものです。

  「エンストの 代償新車に 変身し 妻さっそうと 風きり走る」

  「坂道も 四輪駆動で らーく楽 十万高い 値打ちはあるね」

  「年金の 身には少々 高いかも それでも十年 安い買い物」

  「台風が 去った牧場 爽やかな 風が吹きぬけ 仕事はかどる」  

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○忘れかけていた当選番号

 昨日は高知県春野町での研修会が台風の影響で中止となり、久しぶりに一日中わが家の書斎で窓越しに絶え間なく降る雨を見ながら過ごしました。本を読んだり、ハガキを書いたり、締め切りの迫った舞たうんの原稿を書いたり、段ボール箱に溜った書類を整理したり、身の回りの整理整頓が少し出来て次へのステップアップが出来たようです。

 先日所用で近くの郵便局へ行ったら、郵便局のカウンターに年賀状の当選番号を書いたチラシが無造作に置かれていました。手にとって読んで見ると当選の引き換えは7月17日となっているのです。「えっ」と思いながらそのチラシをいただいて慌てて帰りましたが、残念ながらこの週間は日程が積んでいて調べる暇がなく、忘れないようにと書棚のガラス戸にその当選番号チラシをセロテープで貼り付けておきました。昨日何気なくそのチラシが目に付いたものですから、書棚にうず高く積まれた今年の年賀状を取り出して当選番号を調べてみました。最初は一枚一枚裏表を読んだりして相手の顔を思い出していましたが、そのうち番号だけに目が行くようになって約800枚の年賀状を片っ端から調べて見ました。結果的には残念ながら一等や二等などの当選はありませんでしたが、三等の切手シートが20枚ほど当たっていました。何年か前まで切手収集を趣味にしていた私にとって、一等や二等の当選番号より三等の切手シートの方がはるかに価値が高く嬉しい当選でした。

 昨日は郵便局の窓口もお休みでシャッターを下ろしていましたが、役場との間の通用門から顔を確認のうえ入れてもらい、顔見知りの局員さんに当選した郵便葉書を手渡しました。局員さんは時ならぬ時期の年賀状の話に最初は戸惑っておりましたが、三連休のこともあって締め切りが7月17日火曜日なのでしっかりと受け付けてくれました。役場も合併して支所となり郵便局も民営化すると、「こんな田舎らしいやり取りはなくなるのかなあ」と思いつつ、いつもながらの丁寧な対応に頭を下げながら郵便局を後にしました。

 私が郵便局へ行った留守に入れ替わりで、別の郵便局員さんが郵便物を届けてくれていましたが、驚いたことにその中に今年の年賀状を使った郵便物が入っておりました。読んでみると先日講演でお邪魔した熊本県あさぎり町の方からのお便りでした。何でも私の講演を聞かれた妹さんが「一日三枚ハガキを書いたら人生が楽しくなると言っていた」という話をこの方に話したそうです。この方は早速郵便番号簿で私の町の存在を調べて一枚のハガキ執筆となったのだそうです。当事者ならいざ知らず話を聞いた方から話を又聞きしてハガキをいただいた律儀者の存在に感動し、私は早速ハガキを書いたのです。ハガキを書きポストに投函して帰ってから、何気なく郵便局で貰った当選番号チラシを見ていたら、何とこれが切手シートの当選番号ではありませんか。驚いた驚いた、ハズレ腰で得た当選番号は、まるでサマージャンボ宝くじにでも当たったような嬉しさなのです。(サマージャンボ宝くじに当たったようなと表現しましたが、実は私はこれまで一度も宝くじなどを買ったことがないのです)

 私も妻もいたって平凡な人生でしょうか。妻がせっせと毎年買い求める宝くじも最高一万円、私に来る毎年800枚程度の年賀状も最高はレターセット、氏神様の福まきも亀の子たわしやティシュペーパー程度です。濡れ手に粟の大金が転がり込むことのなかった人生を振り返ると、だから幸せだったのかなあとも思います。でも二日後に締め切りの迫ったこの時期に切手シートが転がり込んだのですから、最高にハッピーな一日だったと思っています。

 人生色々なことがあります。泣いたり笑ったり喜んだりと、ささやかながらの日々に一喜一憂しながら老いという坂道を歩いている今日この頃です。

  「ささやかな 切手シートの 当たりくじ 期限間近に 気がつきセーフ」

  「台風が 来たから貰う 当たりくじ 台風来なけりゃ 当たるも気付かず」

  「雨降りて のんびり過ごす 一日も 俺には至福 いい日旅立ち」

  「年賀状 使って便り 出す人に 私も年賀の 残りハガキで」

  

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○妻の若返り

 このところ頭に白髪が目立ち始めた妻は私に、「お父さん頭を染めようか」と口にするようになりました。日本人の女性が茶髪に染めていることに批判的な私は、「そのままがいい」と余り乗り気でない返事を繰り返していましたが、昨日外出から帰ってみると、妻の髪の異変に気がつきました。茶髪ではないものの目立っていた白髪が消え黒髪に変身しているではありませんか。「お父さんどう」とポーズまでとって変身ぶりをアピールする妻に「頭だけが若返ってどうするの」と冷やかし半分な言葉を返して夫婦で大笑いしましたが、女性は幾つになっても若くありたい、美しくありたいと思うものだとしみじみ妻の頭を見て思いました。先に仕事から帰っていた次男にも「一生君どう」とさりげなくポーズをとったそうですが、次男は母親の頭の変化にまったく気付かず、妻が「頭を染めてみた」と説明しても「ふーん」くらいの素気ない返事だったそうで、妻は落胆の様子でした。「頭だけが若返ってどうする」とけなした私の方が次男の反応よりよかったため、「やっぱりお父さんじゃわい。私の頭が綺麗になったのを直ぐに感じてくれた」と逆に私の株を持ち上げました。

 最近気になって仕方がないのですが、やはり「その考えは古い」と妻がいうように私の考えは古いのでしょうか。日本人の髪は「髪はカラスの濡れ栄えで」なんて言葉そのままに、黒髪が一番だと思うのですが日本全国の巷では総茶髪といわれるほどに茶髪の人が多いのです。ある外国人の友人が「日本人は何故茶髪に憧れるのかしら?」と私に漏らすほど日本人の黒髪に対する意識は大きく変化してきました。それでも世の中の流行とは恐ろしいもので、役所へ初めて茶髪の女の子が入ってきた時はみんなが目をパチクリさせながらその子の事をやれ「役所に相応しくない」とか、「役所を何と心得ている」なんて陰口をあれやこれや言ったものです。それがどうでしょう今では茶髪常識、むしろ黒髪の方が肩身の狭い思いをするような社会になったのですから分らないものです。今では男性も髪を茶髪に染めて平気で役所にやって来る時代になりました。

 私は茶髪が悪いというのでは決していうのではありません。私の家内のように白髪が多くて気にする女性だっているし、髪はファッションの一部ですから美しくありたいと思う女性の願いはよく分るのです。しかし人がするから自分もするという横並び現象はいただけないのです。親が横並びだと子どもも横並び、当然学校には校則があって先生と生徒のいたちごっこに頭を痛めている学校は枚挙に暇がないようです。

 妻の染めた黒髪を見て、私は自分の顔を歯を磨きながらまじまじと見てみました。顔の構造は相変わらずですが、いつの間にか私の頭にも白髪が目立つようになってきました。それでも出会った人は「若松さんの頭は白髪が殆どありませんが染めているの?」といわれるほど白髪は少ないようです。散髪屋さんも「若松さんは年齢から見ると白髪が少ない方だ」と褒めてくれます。妻に「お父さんも染めてみたら」なんて冷やかし言葉を言われましたが、髪に対する偏見を変えなければなるまいと思った次第です。

 でも私は黒髪が好きだし、少しロマンスゲレーになった妻の髪も素敵だと思います。今更髪だけ若返っても仕方がないと、「お前の髪は私に合わせた方がいい」と今朝もいってやりました。

  「髪だけが 若くなりたる 妻姿 出腹どっしり そこを何とか」

  「世の中は 変ったものだ 茶髪増え まるで外国 黒髪少数」

  「一番に 妻の変化を 見抜きたる 俺はやっぱり あんたの夫」

  「本当は 綺麗と言って 褒めたいが 直ぐに図に乗る 後が怖くて」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○中止や延期相次ぐ

 このところの雨や台風襲来で関係する研修会や講座の中止や延期が相次いでいます。主催をする人たちは台風発生や梅雨の天気予報を毎日朝昼晩に一喜一憂しながら気を揉んで見てきたに違いないと思うと、中止や延期の決定もやむを得ない措置だと思うのです。私も役場に努めて35年間、社会教育やまちづくりの第一線で各種イベントなど天気に左右されやすい現場で仕事をしていたので、その心情が痛いほどよく分るのです。

 延期や中止の決定は早過ぎるとその後の天候回復などで「何で?」と開催切望組から批判をされます。逆にいやいや参加組からは歓待されるのですが、準備に費用が伴うものはそのリスクが大きく、やってもやらなくても費用が発生し大変な迷惑をこうむります。私が発想実行して今に続いている夕焼けコンサートなどはその典型で、出演を予定しているアーティストには全部若しくは一部のキャンセル料金が課せられるのです。それでも私たちのコンサートは無料なのでまだましですが、これがチケットを事前に販売しているとその事後処理は更に煩雑で、チケットの払い戻しやその連絡に相当の事務処理量がついて回るのです。故に少々の小雨でもブーイングや入場者が少なくても強硬突破となるのです。夕焼けコンサートもそんな憂き目に随分会って胃の傷むような思いを何度もしたものです。

 先日私が実行委員長を務める地元の小学生を対象にした少年少女おもしろ教室の漁船で底引き漁を体験する講座も雨で延期をする決定通知が担当者から電話でありました。一応私が責任者ですから最終決定や責任は私が追わなければなりません。担当者は天気の状態の推移予測、危険度、受け入れ側の意思などを細かく説明し、私に判断を委ねましたが、私の判断は事務局の判断と一致していたため延期となり、参加予定の子どもたちへ延期通知がされたようです。ところが先日受け入れ側の漁協組合長に会って話を聞くと、延期後の予定の日時では臨時定員申請の期限が切れて再申請の必要があり、多額の申請費用が発生するから今月中に実行できないか相談がありました。結局二転三転した挙句今月末に再変更となったようです。

 昨日はくらしの講座で講演中に私のポケットの中でマナーモードの携帯電話のバイブレーションが動き続けました。気になりながらも講演優先で時間の間無視し続けました。集会が終わると昼食中にその電話が殺到し、食事も途中休んでの対応となりました。その殆どがこの3日間の講演予定の中止若しくは延期相談でした。特に今日出かける予定だった高知県春野町での研修会は、事務局からの電話によると台風進路内に位置しているためや、遠方を出かける私を気遣って中止となりました。

 四国山脈の山を背にしている私たちの所は今のところ風もなく無風状態で雨のみがうらめしく降り続いています。同じ四国でもこうも違うのかと思うほどの静寂ぶりです。かつて台風を侮り「天に向かってブツブツ言うな雨の日には雨の日の仕事がある」と豪語し無謀にも無人島でキャンプを続けたり、研修先へ出かけて散々な目にあった若い頃のいまわしい過去の思い出を思い出す度に、「安全が一番」をモットーにしています。

 今日は高知県の研修会の中止を受けて久しぶりに「忙中閑有り」です。「ここのところ忙しかったからたまにはゆっくり休養したら」とは妻のねぎらいの言葉です。久しぶりにゆっくり本でも読みながら至福の時を過ごしましょうか。

  「台風の 行方気になる 今朝の雨 中止連絡 お陰で休み」

  「いまわしい 過去の記憶が 甦り 気を引き締めて 備えおさおさ」

  「風速が 五十メートル 吹いたいう 沖縄テレビ 臨場伝え」

  「あの人は 今頃無事か 思い出す 心配電話 かけて確認」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○くらしの講座

 今日は朝から雨が降っていました。台風がもたらす雨なので時には激しく降って沖縄や鹿児島では降り始めからの雨量がかなりの雨量に達して、各地で被害が出ているようです。また今年始めの台風は930ヘクトパスカルもある超大型台風で沖縄や鹿児島では最大瞬間風速が60メートルを越えたと報じられていました。

 台風接近や大雨が降る度に、わが家ではいまわしい災害に何度か見舞われた経験があるだけに、ただ事ではないと妻は雨合羽や長靴、懐中電灯などを用意して万全な備えをしているようです。裏山の大掛かりな災害復旧治山事業は終わりましたが、まだまだ油断が出来ないといつも心配をしています。

 私も今日のような台風接近や雨の日に出かける時はいつも後ろ髪を引かれるような気持ちになります。それでも約束の仕事があると携帯電話を持っていつでも連絡が取れるようにして出かけるのです。

 今日は生協さんの招きで新居浜へ出かけました。朝から雨が降っていたため多分そんなに集まらないのではと心配していましたが、どうしてどうして私のような者の話でも会場は殆ど満席で10時から12時までの長い時間にもかかわらず終始熱心に耳を傾けてくれました。

 今日の私のテーマは「人生の生活設計」で~これか人生の在り方を考える~というサブタイトルがついていました。私の悪い癖で今日の話の組み立てもまるで考えてなく、話の成り行きに身を任せ思いつくままに2時間の話をしてしまいました。そんな訳ですから、講演が終わって司会者が「何か質問は」といわれ、「5つの貯蓄という説明でしたが、金銭の貯蓄・人間関係の貯蓄・知識の貯蓄・健康の貯蓄の4つは説明されましたが、後の一つは何でしょう」といわれて、「しまった」と思い、「それは感動の貯蓄です」と補足する有様です。また今日はまちづくりの講演会でもないので生活設計の話をしたため、じゃこ天や夕焼けソフトクリームの話、それに花作りの話などはしませんでしたが、質問でそこら辺を聞かれ補足もしました。まあこんな状態です。でも私自身の生活設計を引き合いに出しながら幸せとは、お金持とは、健康で長生きとは、成功するとはなどを楽しく話させてもらいました。

 新居浜も高速道路の開通で随分近くなりました。わが家を8時ころに出ましたが会場となっているユアーズへは9時半に到着、僅か1時間余りの道中です。お昼はすっかり顔見知りとなっている東予地方の生協理事さんたちと楽しいお喋りをしながら昼食をご馳走になりました。毎月一回の理事会での出会いだけでそんなに言葉を交わすこともないのに、まるで親戚みたいな会話を交わすのですから世の中は何と不思議なことでしょう。

 今日は夕方6時から私が会長を務める松山工業高校PTAのOB会「まさご会」がホテルサンルートで開かれるので、夕方まであちらこちらに立ち寄って所用を済ませましたが、たまたま立ち寄った息子嫁の実家が経営する喫茶店で、偶然にもわが妻と出会いました。妻も買い物の途中での立ち寄りで、そこへ息子嫁も帰ってきて間近に迫った息子嫁のお産の話に花を咲かせました。

 「ああ今日も充実した一日でした」と思える程楽しい一日でした。帰ってみると暮しの講座に参加した数人の方々から嬉しいメールも入っていて、早速返事を書いてパソコンの蓋と一日の扉をを閉じたのです。

  「カメラ持ち 講座の様子 撮りたいと 思ったものの 撮るの忘れて」

  「待ち合わせ しないはずだに 鉢合わせ 妻と俺との 相性ばっちり」

  「メモも見ず 二時間話す 糞度胸 眠る人なし 少し安心」

  「台風が 近づく気配 沖合いに 停泊している 船が教える」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○婦人教育指導者地区別研修会

 今日は今治市で開かれた婦人教育指導者地区別研修会に招かれました。はっきりしない梅雨空を気にしながら山の中を縫うように走る国道317号線を走りました。松山市の郊外にある温泉地奥道後を過ぎると石手川ダムがあります。10日程前までは貯水率が前年を下回りダムの湖底まで見えていたのに自然の力は偉いもので、ここ数日間の雨によって満水に近いほど水量が戻っていて、まるで別のダムではと思うような変貌ぶりでした。しかし川から流れ込む水のせいか湖面はかなりのゴミも浮遊していて、これが松山市民の飲料水になるのかと思うと少々不安になって、簡易水道といいながら私たちの町の水の方がよっぽど綺麗だと思いました。多分この水は塩素消毒されて各家庭に配水されるのでしょうが、塩素は体内に入っても大丈夫だと分っていても、やはり気になるところです。

 国道の入り口が石手川ダムなら出口は玉川ダムです。このダムは今治地方の水源になっていますが、南予や中予の降雨量に比べ東予地方の今年の雨量は少なかったようですが、それでもここに来て雨量が増えて、このダムも湖面が随分広がって、今年の夏はどうやら持つのかなあと思ったりもしました。

 女性の研修会に行くのにはやはり台所問題や環境問題は意識の隅に置かねばならず、そんな気持ちもあってダムの水をを気にしながらの会場入りとなりました。会場には沢山の女性が集まって分科会の最中でした。賑やかなそれでいて熱心な女性の喋り声が今治市中央公民館の会場にこだまして、まるで蜂の巣をつついたような賑やかさでした。早速心のこもったお茶や昼食弁当をいただきました。午後は地元女性たちの踊りがアトラクションとして披露され、うっとりと見とれてしまいました。さすが女性パワーは違いますねえー。

 私の話は「女性が輝くまちが輝く」というタイトルでしたが、会場には先日お邪魔した四国中央市連合婦人会の面々の顔もちらほら、しかもその講演内容が地元新聞に大きく取り上げられていたことを講演直前になって思い出し、急遽内容を変えるハプニングとなりました。それでも1時間10分余りの持ち時間を余すことなく使いきり役目を果たすことができました。

 私が話す相手はゆりかごから墓場までと言われるように子どもから高齢者まで様々ですが、やはり今日の聴衆のような年代が一番話しやすく、打てば響く反応は会場を揺るがすほどの大迫力でしたし、確かな反応を感じました。

 近頃婦人会が危ないと色々な場所で聞きますが、どうしてどうして先日の四国中央市といい、今日の東予地区といい捨てたものではないようです。東温市から出ている県連の山本会長さんとお話をしたのですが、中予や南予は少し湿りがちだといったら、先日の中予研修会も300人も集まったそうで失礼な話をしてしまいました。どうやら婦人会の斜陽化は双海町の問題だったようです。失礼致しました。

  「このような 汚れたダムの 水を飲む 消毒するから 余計心配」

  「一人だと しとやか女性 大人数 笑い転げて 入れ歯ガクガク」

  「まちづくり 女性主役の 時代です 男は家で 留守番程度」

  「共感を 受ける話を する私 賞味期限の 過ぎた年代」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○違う世界に生きる従兄弟

 私の父親は12人兄弟、母親は6人兄弟です。したがって私の従兄弟は両手の指どころか足の指を加えても数え切れないほど従兄弟がいます。父親方の叔父叔母は4人が亡くなっていますが8人はまだ健在です。母親方は残念ながら6人とも冥土へ旅立ちました。しかし私が既に62歳、父親が90歳ですから、押して計るべく叔父も叔母もそれぞれ高齢化しつつあるようで、会う度に体力と気力の減退を感じるのです。

 昨日5歳年上の母方従兄弟に会いました。彼は小さな製材業を営んでいましたが、65歳を機に廃業し今は息子や娘も結婚独立したため悠々自適の生活をしているようです。特に何年か前に母親を亡くしてからはささやかながらセカンドハウスを買い求め、暇さえあれば自宅とセカンドハウスを往復してスローライフを満喫しているのです。日ごろは音信も途絶えていてお目出度お悔やみや法事くらいしか出会わない彼ら夫婦の暮らしぶりを聞くと、私とはまったく別の世界に生きているようなので驚きました。

 若い頃からどちらかというと人との付き合いが苦手な彼にとって一番の相手は奥さんであり、二番も三番も余りなさそうなのです。私のように不特定多数の人に囲まれて暮らしている人間とは月とスッポンくらい違うのです。ですから会って話しても新聞とテレビからの話題には事欠かない広い視野を持っているように見えますが、対人、対地の話題となると近所付き合いの向こう三軒両隣くらいでまったく疎いのです。朝起きてから寝るまで夫婦の人間関係と近所に住む長男家族との接触しかないようにも思え少し哀れに感じました。前回会った時、「金も暇も体力も車あるのだからもっと動け」と年下なのに偉そうな言葉を浴びせましたら、その言葉が堪えたのか今は旅行はするし研修会などにも参加し見違えるようにはなりましたが、それでもまるでジュウシマツやおしどりのようにつがいの人生を過ごしているようです。

 従兄弟夫婦はパソコンもやらず携帯電話も持っていません。こんな情報化社会でシンプルといえばシンプルなのでお金もかからないのでしょうが、パソコン大嫌いな私でさえパソコンをいじる時代に、「せめて携帯電話を持ちパソコンくらいしたらどう」と誘うも、その誘いには「加齢を言い訳に乗ってこないようです。

 もし私から人間とパソコンを取ったら果たして何が残るのだろうと、従兄弟の暮しと私の暮しを比較して見るのです。私の生きがいは人に会うこと、私の暮しはパソコンで情報のやり取りをしブログを書いて日々の暮しを組み立てることです。人とパソコンを道具と考えるならば私は従兄弟にはない生きがいを持っていることになります。

 でもよくよく考えると私の身の回りに暮らしている私年代の人たちだって、従兄弟と同じような暮らしをしているのですから、私が違う世界にいるだけなのかも知れません。今に生きる人、過去を引きずって生きる人、未来志向で生きる人など生き方は人それぞれですが、私はもう少しの間未来志向で生きてゆきたいと生きる世界が違う従兄弟の暮らしぶりをみて思いました。

  「従兄弟でも 違う世界を 生きる人 どちらがいいか 比較も出来ず」

  「パソコンに 毎日向かう わが時間 従兄弟は何を しているのやら」

  「妻といる 時間少ない ふと思う 従兄弟見習い も少し会話を」

  「パソコンも 携帯持たず 一生を 生きる暮しが 本当なのかも」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○知らない伊予市を知る

 生まれたのは下灘村ですが、双海町という町に暮らして50年余りが経ちました。その間双海町の役場に35年間も勤めていて、双海町のことならたいがいなことは知っていると自負していました。ところが平成17年4月1日、1市2町の合併で双海町という名前こそ残ったものの双海町という自治体がなくなって、新しい伊予市となりました。その伊予市のことはまるでチンプンカンであることが、今日初めて分りました。

 今日は私が非常勤講師として教壇に立っている愛媛大学法文学部総合政策学科の学生24名を連れてフィールドワークに出かけました。出かけたといっても私の街へ来たのですから、ホームグラウンド訪問なのです。今日の研修を計画するに当たって、双海町役場時代に何かと一緒に仕事をしてきた伊予市産業経済課の米湊主幹にお願いして受け入れ窓口になってもらいました。米湊さんには研修計画の打ち合わせや会場、弁当の手配、門田文化協会長さんにお願いした街中研修のプログラムなどなど、門田さんとともに大変なお世話をかけてしまいました。

 私は米湊さんとの事前打ち合わせや準備の都合で松山駅からの引率はしなくて、班長さんにお願いしてJRに乗って伊予駅まで来てもらいました。列車到着時間の9時10分に駅まで迎えに行き、会場となる中央公民館までぶらり街を歩きました。

 早く着いたため研修時間を30分繰り上げ、企画財政課の鶴岡主幹の話を1時間、米湊主幹の話を30分聞きました。鶴岡主幹は市の総合計画に沿って話されましたが、合併の成果と問題点を分り易く整理され、また今後10年間の目指す方向を説明されました。米湊主幹は担当している観光を主体に私見を交えながら話されました。その後約1時間一人1問の質問に答える座談会をして午前中の研修を終わりました。

 まちづくりの基本理念が①地域の自立と活性化、②多様な地域の共生、③地域住民と行政の協働、④行財政計画であったり、地域の課題が①少子化対策、②産業振興、③中心市街地活性化、④高齢化対策、⑤住民自治の推進、⑥自然環境保全、⑦人口減少対策、⑧都市基盤整備などの問題点を抱えていたりすることは、前回お邪魔した今治市と大差がなくあらためてこれらの問題が日本的課題であることを思いました。

 しかし問題はここからどう一歩を踏み出し、どんな理想の町を作り上げようとしているのかが問われているような気がしました。学生の中にはそこら辺の特徴あるまちづくりへの取組についての質問が多かったようにも思います。私は伊予市の一市民ですが、総合計画樹立までの道程やその後の行政、裏づけとなる財政や人口など殆ど知らないでいることを恥じらいを持って聞き入りました。住民の参画と協働は謳い文句としての響きは良いのですが、さてこのままではスローガン倒れになりそうな雲行きも感じました。要は行政と住民の歩み寄りなしにはいい町は出来ないという事を肝に銘じていいまちづくりをしたいものです。

(岡部仁左衛門の銅像)
(栄養寺の山門)
(貴重な町家区割り図面)
(宮内邸)
(愛媛新聞エリアサービス・宮内邸)

 午後は、門田さんの案内で市内見学に出ました。町家を出発し、岡部仁左衛門さんの銅像、山崎屋さんの古い商家、栄養寺の本堂での町家の区割り図、、旅館つたやの見学、商家宮内邸の見学、愛媛新聞エリアサービス宮内邸の街角博物館などを、説明を受けながら歩きました。同じ市内といっても知らないし見たこともない場所が幾つかあって、私もいい勉強をさせてもらいました。学生にとっては古風な町家めぐりは今まで体験したこともないプログラムだけに目をパチクリさせながらの見学でしたが、時代をタイムスリップしたような歴史の一つ一つがかけがえのないものであることを感じ取ったに違いありません。殆どの学生が伊予市という街は始めての訪問だそうで、再訪を期待したいと思います。

  「伊予市とは 自分の住んでる 街なのに 知らないことが 余りに多くて」

  「昨日まで あの人と同じ 立場にて 声高話す 自分しみじみ」

  「もう一度 基礎から学ぶ 気概持ち 前向き生きる 一人の市民」

  「知恵者にて 町を案内 する友は 頭の中に 街の全てを」

 

[ この記事をシェアする ]