shin-1さんの日記

○山茶花の咲く頃・クチナシの実の色づく頃

 わが家の庭にも冬がやって来て、落葉樹は全て葉を落とし、裏山の柿の木には取り残した木守り柿が1~2個、初冬の季節を演出しています。季節は巡り今年も残り少なくなってきました。遅ればせながら今日から年賀状の準備に取り掛かります。2年半前リタイアした時に年賀状は幾ら貰っても400枚以上は出さないと心に決めていたのですが、僅か2年半しか経っていないというのに、いただいたおびただしい名刺の山を見ながら、さてどうするか思案しているところです。妻はそんな私の心情を察して800枚のハガキを用意してくれています。気がつけば昨年もその程度出したというのですから、昨年1000枚の年賀状が届いたのも不思議ではないのです。

(一重咲きのサザンカ)

 ブログを書きながら、私の書斎から眺める庭のあちこちに、いつの間にかサザンカの花が咲き始めているようです。驚いた事にサザンカの木の枝の下には時既に人知れず散りしピンクの花びらが無数に散らばって風情を醸しているのです。わが家の庭にあるサザンカは白とピンクの2種類ですが圧倒的に多いのはピンク系のようです。そのピンク系も一重咲きと八重咲きがあって、見ていると可愛いもので、思わず写真に撮ってみました。

(八重咲きのサザンカ)

 ふと辺りを見渡してみると、近くにくちなしの木がありました。くちなしは夏の花として咲く頃にはいい香を辺り一面に匂わせてくれる花なのですが、花の後の実が黄色く染まっていました。毎年この時期になると黄色く色づいたくちなしの実は摘み取って糸を通して数珠つなぎにして陰干しをし、栗を煮たりカキモチや漬物の染料として使うのです。勿論木綿布の染料としても使われるのですが、わが家ではもっぱら年末の栗きんとんづくりに欠かせないものとして重宝しているのです。もうそろそろ取り入れの時期なので、天気がよい日に摘み取って保存したいと思っています。


(黄色く色づいたクチナシの実)

 昨日は高知県西土佐の和田さんから送ってもらったユズをお風呂に入れ、一日遅れながら冬至湯を楽しみました。ユズの香りがプーンとして、冬至の夜長をポカポカした体で熟睡を楽しみました。また家の隅に置いてあったカボチャも妻が料理をして冬至カボチャとして食べました。美味かったです。季節の花を愛で、季節の旬を食べ、季節の物で温まる、これほどの贅沢はありません。田舎に住んで良かったなあとしみじみ思いました。

 これから私は年末年始を挟んで自由人らしく、何処にも束縛されず長い冬休みを楽しみます。冬休みといっても、海外旅行を楽しむようなことはありません。むしろ年中全国行脚をしているので、金をかけずのんびりと過ごす予定です。勿論日頃世話になっている妻への感謝を込めて少しだけ家事の手伝いもしたいと思っています。

  「サザンカの 花を愛でつつ 年賀状 出す人名刺 繰りつつ入力」

  「ストーブの 前でウトウト 舟を漕ぐ 一年疲れ 肩凝り腰痛」

  「サザンカや クチナシ聞いて 口ずさむ 俺は古いな 演歌が浮かぶ」

  「ユズ浮かべ 冬至湯妻と 二人して 楽しむ姿 円満なのか」   



[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○忘年会

 酒を止めて既に8年が過ぎ去りました。昔は師走の頃になるとどちらが誘うのか誘われるのか分らない忘年会が毎晩毎晩続き、しかもその忘年会の殆どが松山とあって、妻曰く「ひょっとしたら松山から通っているのではないの?」と言われるほどでした。しかもその度に「10円タクシー」と称した妻の送迎で、妻は深夜の迎えで心身ともに疲労困憊していたのです。

 酒の飲み過ぎ?や働き過ぎ?心労疲労?が複合的に重なって胆のうを患い、胆のう除去手術によって酒を飲まなくなり、あれほど多かった忘年会はすっかり影を潜めました。故に忘年会で使ったお金は残るはずなのに、「下戸に建った蔵がない」とはよく言ったもので、小銭大銭が残ることもなく今日を迎えているのです。

 それでもまちづくりにいささかなりとも関わっている私には、まだまだ部年会のお誘いや誘いの仕掛けがあって、今月は10回くらい飲み会がありました。

 先日12月20日、生協理事会の後に忘年会がありました。道後の茶波瑠というホテルでの忘年会には女性が中心の組織だけに、一風変わった雰囲気の忘年会となりました。普通の忘年会は飲むことが目的なので、酒組とウーロン茶組の落差が大きいのですが、この忘年会は酒はほろ酔い程度で引き締まった忘年会となりました。

 数日前、理事会担当の部長さんから「忘年会の余興でハーモニカでも吹いてくれませんか」と打診メールが届きました。言われたら何でもするのが私の前向きな生き方ですから、二つ返事で「了解しました」とメールを送りました。聞けばもう一人の学識理事さんはバンドを入れて心酔している吉田卓郎を弾き語りするというので、私のハーモニカは余りにもシンプル過ぎるので、急遽最近凝っている例の落伍とハーモニカを組み合わせる事にしたのです。

 やがてプログラムも粛々と進み、30分くらいすると、いきなり私の指名がありました。私はあらかじめ用意した座布団2枚の上に座って落伍です。しかもえひめ地域政策研究センターの清水さんが、国土交通省主催の観光カリスマ塾のために作ってくれた出囃子に乗って始めたのです。案の定私のつまらない落伍の余興に会場は大受けでした。更に私はこの日のために、何とこともあろうか商売までしてしまったのです。今秋出版した落伍家夕日亭大根心講座本を木戸銭と称して一冊500円で販売したのです。ひんしゅくをかう事を承知での挑戦でしたが、酒が入った参加者は全員この場往年会詐欺商売に引っかかってしまったのです。

 結果的にはワンコイン、つまり一冊500円の高座本は参加者33人全員に売りつけました。多少心にやましさは残るものの「移動落伍独演会」は大成功となりました。

 しかし大変なこともありました。高座が終わると部長さんが、「折角ですので、高座本にサインをお願いします」とサインペンまで用意して私に迫りました。驚いたのは私です。字のまずいことを自認している私にとって、人前で字を書くことくらいつらいことはないのです。行きがかり上詐欺商法の返礼として、書く事にしました。それからはもう汗ダクダクです。下手な字ながら、短い時間に全て書き終わりましたが、こればかりは予期せぬ冷や汗でした。



 大野理事さんのギター弾き語りはプロ顔負けでしたし、大川理事長と松本専務のデュエットもいい歌でした。高座が終わった頃、友人から携帯電話が入り、今治の友人河上さんの親父さんが亡くなったという知らせを受け、通夜に出席するため奥道後~玉川のルートを走り、一人今治へ向いました。忘年会と通夜というこれまた似ても似つかぬ落差を僅か1時間の間を置いて体験した夜でした。

  「忘年会 騙したつもりが 騙されて サインするとは 赤面至り」

  「酒飲まず お茶で酔った ふりをして 余興するとは 何て度胸だ」

  「下手糞な ハーモニカ吹く 忘年会 これでも芸かや 泣くよりましか」

  「ギター弾き 吉田卓郎 歌う人 格好いいなあ 俺は適わぬ」 

  



[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○妻の気配り

 「若松さんですか。昨日は美味しいみかんが届きました。いつも心に留めていただいてすみません。家族で美味しくいただきます」と、旅先の秋田県横手市に携帯電話がかかってきました。講演に出かけている、しかも講演が始まる前の緊張した時間にかかったものですから、相手の名前も聞こえにくかったし対応もそこそこに、「今秋田県横手市に来ています。間もなく講演が始まりますので失礼ですがまた後で」と小声で断りを入れて電話を切りました。講演の途中もそのことが気になって仕方がありませんでした。講演終了後携帯電話の着信履歴を読み出したのですが、相手の電話番号は公衆電話になっていてまるっきり分りませんでした。それでも「後で電話します」と言った手前、はてさてどうしたものかと、自宅へ電話をしました。妻もあいにく留守で、結局は明くる日の早朝になって、妻が私の知人友人にみかんを贈ったことが判明し、その中から思い当たる人に電話をかけ、会話が通じたのです。

 私は講演などで日本全国を一年中行脚しています。講演に行く先々で、公私にわたってお世話になり、縁もゆかりもないのにお土産までいただく奇特な人がいて、持ち帰る度にその人の話や町の話題を聞かせながらいただくのですが、過分なものをいただくと、妻はせっせとメモをして返礼に地元の特産品を送るのです。 

 私の町はみかんの産地です。また煮干しなどの海産物の産地でもあるのです。したがって主にそのようなものを送ってくれるのですが、私に余り相談もせず送るものですから、ついつい今回のように送ったことすら知らないで言葉が通じないことがよくあるのです。

 昨日北海道の佐呂間町から立派な帆立貝が届きました。高知県馬路村で開かれた全国大会で船木耕二知り合ったことがご縁で、紋別で開かれた網走管内の社会教育研究大会に招かれました。北海道といえば鮭やじゃがいもやシシャモなど、海の幸山の幸がどっさり獲れるところですが、佐呂間の船木耕二さんは帰りに立派なホタテの貝柱干物を土産に持たせてくれました。そのことが気になっていたのか、私に相談もなくみかんを贈ったそうです。シシャモを送ってくれた北海道鵡川町の菅原さんとともに・・・・。左様なことから帆立貝が届いたという訳です。勿論奥多摩の鈴木さんからはお菓子が、西土佐村の和田さんからは冬至だから風呂に入れろとユズまで届きました。

 船木さんから送られてきた帆立貝はこれまで食べたどの帆立貝よりも一流で、この2日間は妻と親父と三人で美味しい帆立貝の料理を堪能させていただきました。

 妻のこうした配慮は嬉しいもので、私の人間関係のよき潤滑油となっているのです。26歳で結婚して今日まで、波風もありましたが、妻の気配りに感謝するような余裕が持てる年代になりました。面と向って感謝の言葉を言えるほど器用な人間ではありませんが、それでも心の中ではちょっぴりだけ妻の気配りに感謝する今日この頃です。

  「おみかんを 送ってくれて 有難う 突然電話 何処の誰です?」

  「おみかんが 帆立の貝に 変身す 熱々食べて 北に思いを」

  「今晩は ユズのお風呂に 二人して 温もり友の 噂話を」

  「来た孫が 目敏く見つけ 封を切る 奥多摩鈴木 書かれた荷物」

[ この記事をシェアする ]

shin-1

○秋田県横手の街は凄いです③

 前日の交流会が1次・2次・3次会と深夜にまで及び、ウーロン茶と焼きそばの余韻で眠れない夜を過ごしたため、気がつくと時計の針は午前7時を回っていました。急いで身支度を整え思い切って戸外へ出てみました。昨夜からの雪は止んでいましたが辺り一面銀世界、まるでモノクロの写真を見ているような雰囲気でした。

(横手セントラルホテルのエレベーターの窓から見える雪景色)

(ホテルの前の道路の街路樹もまるで白い花が咲いたようです)

 舩木さんと同行の小林さんと三人でバイキング料理の朝食を済ませ、約束の午前8時45分きっかりに横手市物産観光課の方たちが出迎えにやって来ました。市内を視察して何かアドバイスをして欲しいという願いからの見学なのですが、最初に出かけたのは市役所の直ぐ横にあるふるさとセンターかまくら館でした。ここには年中マイナス10度に保たれた冷蔵庫のような展示室にかまくらが置かれいます。横手=かまくらというイメージが定着しているための展示なのですが、妻は友人たちと旅行に来て本物の横手のかまくらを見ているものの、私は初めてとあって興味深く見せてもらいました。私が想像していたかまくらはエスキモーが作っている炭窯風のものでしたが、円筒形なのにも驚きました。

 センターの入口には梵天も置かれていて凄い迫力でしたが、秋田市で秋田竿灯の体験展示を見ているだけに、少し雑然として展示方法に難点があると感じました。

 その後私達は増田の座敷蔵を見学しました。この地域には座敷蔵が70とも80ともいわれているそうですが、とにかくその規模の壮大さと優雅さには度肝を抜かれました。ケヤキの木の木組みやそれらを漆塗りで仕上げた匠の技は、今まで見たこともないような立派さです。かまくらも確かに横手を代表する文化かも知れませんが、この内蔵は全国級だと直感し、舩木さんと二人で様々な提案をしました。多分この文化を理解し情報発信すれば、やり方によっては冬の横手を変えるかもしれないと予感しました。こうした文化財を活用したまちづくりは市役所職員の誰かがまずその価値を信じて先鞭をつけることから始まります。誰がその役割を担うのか、それは夕日でまちづくりをした私のような存在を考えれば明らかです。市役所の無理解と地域の冷めた状況を覆して行くのは骨の折れる仕事でしょうが、そのハードルを越えねば地域は活性化しないのです。

(座敷の中に座敷があるという表現がぴったりの座敷蔵の外観)

(座敷倉の内部)

(座敷蔵の中は中二階になっていて二階部分も立派で、二度びっく

りでした)

 舩木さんと私は座敷蔵と日本舞踊、落語、食文化などとコラボレーションする事を幾つか提案しましたし、その手助けをする事を約束しました。
 私たちはその後、釣りキチ三平のふるさとと呼ばれるまんが美術館を訪ねました。横手市増田出身で「釣りキチ三平」の作者、矢口高雄さんのアトリエを再現したまんが工房は、矢口さんの人脈の広さで集めた日本全国の有名漫画家の原画が沢山展示されていました。入場料無料とは何とも勿体ない話です。

(釣りキチ三平は日本中でも有名なマンガです)

(生涯学習センターホールの緞帳も釣りキチ三平でした)

 慌しい最後はあきたふるさと村です。美術館、トリックアート、手づくり体験工房など複合テーマパークで、秋田県のお土産が全て購入できるようになっていました。年間80万人ともいわれる集客をしているそうですが、第三セクターも経営的にはかなりきついようでした。

(雪景色の秋田ふるさと村)

(ふるさと村ののロビー)

(テナント運営している物産館)

(雪の重みで曲がった竹)

(ふるさと村で稲庭手延べうどんをご馳走になりました。四国は讃岐うどんがありますが、絹のような滑らかな喉越しはやはり名品でした)

  「驚きの 目で見た増田 座敷蔵 これを活かせば 横手は磐石」

  「稲庭の うどんが勝った 料理ショー 讃岐も負けじ ご当地ひいき」

  「かまくらを 初めて体験 冷蔵庫 今度来るときゃ 本物みたい」

  「珍しき 人には雪も いいけれど 住んでる人には 厄介荷物」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○クリスマスのプレゼント

 今日はクリスマス前の3連休の初日とあって、わが家の子ども達は相談をして長男の家でクリスマスパーテーをするというのです。娘の子ども朋樹クンは5歳なのでプレゼントを楽しみにしているようで、何日も前からこの日を楽しみにしている様子が、時々かかる電話で想像できました。しかしあとの尚樹君と希心君はともにまだ赤ん坊で、何のことだかさっぱりです。娘の家族4人と長男家族3人、それに次男が参加して午後からパーティーだそうで、私達も誘いを受けましたが妻は仕事、私はペレット土づくり講習会とダブったために参加できませんでした。先日娘から連絡があり、孫朋樹君がパーティー後泊まりに来たいので迎えに来て欲しいと連絡が入っていたので、人間牧場から下山したその足で、田舎のオープンカーに乗って松山に住む長男の家に迎えに行きました。

(頭に帽子を被せてもらいご満悦の尚樹君です)

重いほどプレゼントをいただいていた朋樹君は終始ご満悦で、そのプレゼントの保管を母親に頼んでさっさと私の車に乗り込んで雨の中を双海町のわが家に向って走りました。昼間の疲れが出たのか途中眠くなったいって目を閉じようとしていた矢先、視界にマクドナルドの看板が目についた朋樹君は、一瞬蘇えったように目を覚まし、モスバーガーを買って欲しいとせがむのです。普通は泣こうが騒ごうが買ってやらないのですが、今晩はクリスマスプレゼントのつもりで立ち寄りました。ドライブスルーとかで、車の中からインターホンで注文をすると、出口で金を支払い用意された品物を受け取るという早業には参りました。インターホンの前でウロウロする私に朋樹君は○○味シェイク、ポテトフライ付き、ハンバーガーはチーズ○○、おもちゃ付きでお願いします」と、馴れたものです。うーん、時代の差を感じました。朋樹君は親元を離れた寂しさなど微塵もなく、「今晩はおじいちゃんと一緒に風呂に入り、おじいちゃんと一緒に寝る」なんて殺し文句を連発するサービスぶりには参りました。

 次男から携帯電話が入りました。先日わが家に休暇で帰った折、「ボーナスが出たらお父さんとお母さんと一緒にご飯でも食べよう」と招待を受けていましたが、ボーナスの行方も分らずすっかり忘れていました。今日長男お家へ朋樹君を迎えに行った折、次男も来ていましたが、みんなの前ではさすがに言いづらかったのか分かれた後直ぐの電話です。次男はこの4月に専門学校を卒業し正看の資格を取得して日赤に看護師として務めています。今年の冬が最初のボーナスなのでワクワクしてこの日を待っていたのでしょうが、どうもボーナスが出たらしいのです。何時になく笑顔の明るい次男の顔を見て直感しました。「食事をする時間がないのであれば洋服でも」という有り難い申し出でしたが、私には洋服のことなど分らないので「お母さんと相談して」といって電話を切りました。次男にとっては向い勤めていた会社を辞めて専門学校へ入り、正看の資格を取っての遅い再出発でしたので、今年の冬のボーナスは期待と不安で貰ったことでしょう。その一部を親へのプレゼントとは、涙の出るような嬉しさです。

 4人の子どももそれぞれに成長し、それぞれの道を歩んでいます。この日三男は仕事があってパーティには参加できなかったようですが、警察官という仕事柄年末年始は仕事だそうで、年末までには一度ご機嫌を伺いに帰郷する旨の連絡をもらいました。妻は適齢期である次男、三男の結婚のことが心配なようですが、こればかりは幾ら気を揉んでもどうにもなりません。来年は次男、三男にとっていい年であるよう願っています。

  「ボーナスが 出たのか次男 いつになく 顔色優れ 親への感謝」

  「幾つもの ポケット持った 孫たちは 晴れの日来るを 指折り数え」

  「ハンバーガー ドライブスルーへ 入るものの 戸惑うわれに 孫が説明」

  「今何処に 次男三男 赤い糸 親はやきもき 子らは冷静」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ペレットによる土づくり講習会

 今日は朝から雨です。私たちの住む四国は瀬戸内海に面した少雨地域で、台風などの風雨は別として、日頃はどちらかというと水不足に悩まされる地域なのです。地球温暖化の影響なのでしょうか、このところさっぱり雨が降らず、真夏でもない初冬のこの頃というのに水不足で、対策本部が設置される所もあるようです。ですから今朝からの雨は恵みの雨として喜ぶべきことなのでしょうが、今日は少年少女おもしろ教室のペレット利用による土づくり講習会が人間牧場で予定されていて、「うーん雨か、参ったな」てな感じで空を見上げました。でも私は長年まちづくりやボランティア活動に取り組んでいて、天気など人間の力ではどうにもならない出来事と割り切り、「天に向ってブツブツ言うな、雨の日には雨の日のやることがある」と割り切って、雨をどう効果的に使うか考えて行動してきたのです。ですから今日も天気予報を見て「雨かも知れないので」と雨でもできるプログラムを準備をしていました。

 今日は少年少女おもしろ教室にとっても今年最後のプログラムでした。朝からイチゴ狩りに出かけてイチゴをたらふく食べ、その後は保健センターの調理室でクリスマスケーキづくりを行い、午後1時に出発して、人間牧場に午後1時30分到着という日程を組みました。

 私はえひめ地域政策研究センターの松本さん、清水さんと三人で人間牧場へ先発隊として入り準備に取り掛かりました。昨日軽四トラックに積んで一人で運んだ40体のペレット牛糞、今朝現地で落ち合って運び入れたペレットストーブ、ペレット燃料などを所定の場所に置き、青いビニールシートを水平線の家の広間に敷き詰め、落ち葉や発泡スチロールに入れた土を用意しました。ペレットストーブとの対比実験をするため水平線の家の薪ストーブに火を入れ、パソコンやスクリーンも用意して準備万端整えました。

(ペレットストーブと薪ストーブの比較実験のために持ち込まれた大きなペレットストーブに火を入れ、テストを開始しました)
(薪ストームにペレットを入れて燃焼実験しましたが、よく燃え過ぎるようでした)

 あいにくこの日は水源地の谷の水が枯渇寸前らしく、トイレへの水の供給が間に合いそうもなく、心配の種が増えましたが、事前に子供たちにトイレは済ませて来るよう依頼をしていたので事なきを得たようです。それでも心配になったのか水源をいただいている農家のご主人西嶋さんはわざわざ水平線の家まで足を運んできてくれました。

 やがて予定された時間ピッタリに懐かしい子どもの歓声が聞こえてきました。車に分乗してやって来たのです。外は雨で傘を差しての来訪となりましたが、靴の脱ぐ場もないほど多くの子ども達が参加してくれました。

 ビニールシートの上に座った子ども達は、講師を務める清水研究員の巧みな話術に引きこまれスクリーンに映るスライドを見ながら土づくりの勉強を熱心に行いました。清水研究員はJAの職員でこの話は十八番で、子ども達にとってはまるで理科の勉強のようでした。

(土づくり講習のために集まった子ども達)
(高校生や大学生も参加をしてくれました)
(土づくりの講師を務めてもらった清水研究員)
(清水さんの指導で土と葉っぱとペレット牛糞で腐葉土づくりの実習をしました)

 やがて実習に入り、大きなたらいの中へ土や落ち葉やペレット牛糞を交互に入れて、実際に手で触り体験しました。普通は臭い牛糞もペレット状に加工処理されているため、無臭で子ども達は不思議そうに手にとっていました。約1時間の短い時間でしたが、参加した子ども達は納得して、お土産に?牛糞ペレットと燃料ペレットをポケットに詰め込んで下山して行きました。あの牛糞をポケットから出すのを忘れて洗濯したらどうなるかと思うと、笑い話では済まされないと思いつつ見送りました。

 清水さんと子どもを送って帰ってきた松本さんと三人で後片付けを行い、水平線の家の広間を丹念に掃除機をかけて一段落です。これから冬休みの私の仕事は再び落ち葉を集めて前もって用意した2メートル四方の土づくり実験場へ運び入れることです。その上にペレット牛糞や土を入れ、また米ぬかや油粕を撒いて落ち葉が発酵するのを待つのです。さて上手く行くかどうか心配ですが、来年の春4月には出来た腐葉土の苗床に種芋を植えて発芽を待つのです。芋の命をつなぐプロジェクト事業の成功を祈りながら春を待つのもワクワク・ドキドキですね。

  「腐葉土を 作る講習 受けました ペレット牛糞 匂いもせずに」

  「理論では 上手く行くはず 現実は 甘くはないと フンドシ締めて」

  「ペレットの 牛糞ポケット お土産に 洗濯する親 多分××××」

  「外は雨 中は熱気の 土づくり 子どもに分る 話難し」



[ この記事をシェアする ]

shin-1

○愛媛大学法文学部公共問題講義

 準教授丹下先生の依頼を受け、愛媛大学法文学部で公共問題の講義をするべく午前中大学へ出かけました。構内にあるケヤキ並木もすっかり葉を落とし、冬の訪れを感じさせてくれました。折しも大学の構内では防災訓練が行われていたようで、迷惑そうな学生たちがまるでアリのようにゾロゾロと歩いて訓練に参加していました。これでは防災訓練にならないのでは?と思ったほどです。

 講義会場は4階の大講義室で1回生の皆さん150人余りへのお話です。丹下先生からの指示は「まちづくり」についてでした。自分の授業は既に終わっているので、気楽な気持ちで話そうと何の用意もせず出かけましたが、さすが丹下先生は事前に会場へインターネットをアクセスしていて、学生を前に私のホームページなどをスクリーンに映しながらパソコンを使ってうまくレクチャーしていて、とても参考になりました。

 私の話が始まると殆どの学生が熱心に耳を傾けてくれるのですが、中には遅れて堂々と靴音高く入ってくる不謹慎な学生もいて、入り口が教壇の横にあるものですから、気になって仕方がありませんでした。一昨年山梨の大学で講義を依頼された折も、そんな光景に悩まされ、思い切って講義開始10分後に入り口にカギをかけて遅れてくる学生をシャットアウトした苦い経験がありました。その後そのことが話題になって、遅刻をなくすための議論がされたそうですが、正直者が馬鹿を見るようなことだけは止めるべきなのです。そこへ行くとわがフィールドワークの学生は真面目で、褒めてやりたいような心境です。

 丹下生が講義の前に話された公共問題については私と同じスタンスなので少しそのことを意識して話しました。格差社会がどんどん広がり、貧富の差、都市と地方の差などはここ数年予想以上に拡大しています。私は田舎に住みながら都会へ行く機会が多いのですが、繁栄しているはずの都会さえゴミ箱をあさったり、路上に暮す人の姿を沢山見てきました。一昨日も東京のど真ん中新宿で見たこれらの光景が目に焼きついて離れないのです。一方地方に目を転じれば、これまた一昨日訪れた秋田県では年末のこの時期だというのに、重い雪が人々の暮しを閉ざそうとしていました。低く垂れ込めた雲間から音もなく降り続く雪は、疲弊した地方を象徴しているようでした。日本全体では自殺者の数が9年連続で3万人を越えたと聞き、そのワーストに名を連ねているのが秋田や青森だとも聞きました。

 でもそんな公共問題を抱えた世知辛い時代や、地方でも頑張っている所がいっぱいあるのです。地域にはそこにしかない資源が山ほどあるのです。その資源を活かし夢を持って生きれば、必ずや道は開けるのです。その典型がかつての双海町でした。何処にでも沈む夕日を地域資源にしながら反対や失敗を恐れず勇猛果敢にチャレンジした結果、お墓参り以外人の来なかった無名に等しい双海町に年間55万人もの観光客が訪れるようになったのです。そしてそれが少なからず経済に結びついて、生き生きと輝く人たちが増え、夕日を自慢する町民が増えてきたのです。

 聴講した学生には小さな一枚のレポート用紙が配られていました。多分私の話を聞いた感想を書いてそれが出席の証になるのでしょうが、レポートを書く行為を通して自分につながらふるさとを思い出し、これから住むであろう場所で、何かのかかわりを持って欲しいと思いました。

  「遅れ来る 堂々靴音 気になって 注意の一球 拾いもせずに」

  「世の中にゃ 様々気になる ことがある 目をそむけずに 生きて行かねば」

  「自殺者が 多いと聞いて 空を見る 四国の空と 大分違うな」

  「スクリ-ンに ホームページが 映されて 下灘駅の ここが旅立ち」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○雪の降る夜は楽し飲み会・横手は楽しい②

 南国四国でこれほど雪が降ると交通は麻痺し、仕事も集会も速く切り上げて寝るのが普通ですが、やはり雪国の人たちは熱く、集会が終り食談会になると飲むほどに酔うほどにみんな元気になってきます。この光景はまるで四国高知県人のようなしたたかさです。私も舩木さんも酒は飲めませんが話しを飲み込む術を心得ていて、この日は降り積もる雪に足をとられながら、結局は3次会まで付き合って最後には自慢の焼きソバまで食べさされてしまいました。お陰で腹が張り、体内はウーロン茶でダブダブ、眠れない一夜を過ごす結果となりましたが、それは多分人の心の温かさや、この町を何とかしたいという人々の想いだったと思うのです。

 この日の夜、2次会に繰り出した店は発酵食品でもてなす小粋な「蔵ら」という日本料理の居酒屋でした。雪国らしい造りの店で、観光物産課の職員がこの店を選んだのは、発酵食品でまちづくりが出来ないか考えたいるからだとピンときました。燻りがっこやハタハタの麹漬け、カブ菜の麹漬け、お味噌、勿論納豆も日本酒も発酵食品ですから、一事が万事発酵にこだわっているのです。ヨーグルトなどを含めて発酵食品が人間の健康に良いことは既に言われており、市長さんがこれらの食品を日本的な横手の食文化だと着目している話はよく分るのです。北国の風土が育むこれらの食文化はまさに日本人が忘れてきた物で、このままだと洋風化の勢力い押され、なくなる危険性さえあるのです。華やかなイベントも分りますが、私的には横手の市民が長年育んできたこれらの生活文化を掘り起こせば、これだけでも日本中の注目を集めること請け合いです。

 横手の焼きそばも有名だと聞いていたので食べましたが、発酵文化に比べると薄っぺらいものです。でも若者には発酵文化だの言っては見ても、こんな食べ物の方が好まれるのでしょう。ここにまちづくりの難しさがあるのです。生活文化だとかを大上段に振りかざしあまりアカデミックなテーマに固守し過ぎると、若者は去って行くものです。私も食文化たる郷土料理であるじゃこ天を串に刺して歩きながら食べるという若者向きに替えましたし、夕日の望遠鏡ちくわ、夕やけソフトクリームや夕・日・日コーヒーなどを開発して若者に受け入れられました。焼きそばで若者や不特定多数の分裂型消費者を集客して風評効果を生み出し、いい消費者と学習型消費者を相手に発酵文化を高めてゆけば、横手のまちづくりは成功するかもしれません。いい消費者5パーセント、学習型消費者15パーセント、精神分裂型消費者55パーセント、無関心消費者25パーセントという消費者をどう取り込むか、知恵の出しどころです。

 三次会で出かけた飲み屋で、来年3月に退職するという課長さんに出会いました。この方はマジックが得意で、あっという間にその場に居合わせた人を引きつけます。舩木さんはもう随分前からの知人のようでしたが、舩木さんの提案はこの課長さんのマジックにヒントを得て、かまくらの期間中にマジシャンを集めてマジックショーなどをしたら面白いと、盛んに仕掛けていました。私はかまくらという日本の文化に馴染ませるには動揺コンクールなどもいいと思いました。私の吹くハーモニカはまさに雪とのコラボレーションにピッタリだと直感しました。この課長さんは外国旅行がお好きとか、広い視野を持っているしマジックという芸を持っています。これだけでも一私人になって下野したら大きな戦力になるはずです。彼の未来に乾杯し、ぬかるんだ雪に足をとられながら午前様となった夜道をホテルへ急ぎました。

  「東北の 冬の夜長に 盃を 酌み交わしつつ 夢を語りぬ」

  「これ食べて あれも食べてと 矢継ぎ早 発酵食品 次から次へ」

  「トランプで いきなり人が 集まりぬ これぞ究極 心理を掴む」

  「風評を 被害にするか 効果する どちらを選ぶ あなた次第で」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今年最後の県外出張はかまくらで有名な秋田県横手市①

 「よく行く所があるものよ」と妻が呆れるほどに、今年も日本全国狭しと東西南北を駆け巡りましたが、年末も押し迫った17日から今日まで、最後の県外出張となるであろう長い旅をしてきました。今回の旅の目的地はかまくらで有名な秋田県横手市と、これまた最後の旅に相応しい遠くて、しかも思い出に残る旅となりました。

 今回の旅はのっけから私が列車に遅れるハプニングからスタートしました。観光カリスマ百選の一人である山梨県清里の舩木上次さんと、はやて5号で一緒に行こうと約束し彼は東京発、私は新宿から大宮まで出て、大宮から新幹線で落ち合う計画でした。しかし私がその列車に乗ることが出来ず一便遅れたため、結局は1時間も遅れて北上駅での合流となりました。目的地が秋田県横手市なのに、秋田新幹線で大曲まで行かず、北上駅まで担当者に迎えに来てもらう算段なのです。四国から遠く離れた東北地方のことゆえ土地勘も分らぬまま、相手たる市役所と交わしたメール連絡を頼りに列車に乗り込み、北上駅へ着きました。

 駅へはリムジンではないもののハイクラス?な車が待っていて、舩木上次さんと供の小林さん、市役所の高橋さん、佐藤さんに加えほくとう総研の青木さんと清水さんと中々賑やかなお出迎えでした。早速高速道路をひた走り横手に向かいましたが、北上から見える山々は既に白い雪をかぶり、横手が近づくにつれて道路の沿線にはかなりの積雪があって、いかにも重そうなボタン雪が音もなく降り続いていました。雪には縁遠い南国四国に住む私にとっては珍しい光景であり、流れては去る雪景色に目を奪われ、旅の疲れなどそっちのけで戸外の風景に見とれていました。

 やがて昼もとっくに回った12時30分に目的地の横手セントラルホテルに到着し、阿部産業経済部長さんの出迎えを受けご一緒に昼食をいただきました。列車に遅れ朝食を食べるのを忘れていたため、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、しばらくの間面談し、後段で予定されているシンポジウムの出演者との打ち合わせ臨みました。パネラーは全員男性でしたが、コーディネーターは湯沢青年会議所の松田悦子さんというやり手で素敵な理事長さんでした。

(手前は観光カリスマの舩木さん、真ん中はJR秋田支社営業部長の石塚さん、向こうは湯沢青年会議所会長の松田さん)

(壇上に上がってシンポジウムをした現地パネラーの方々)

 前段は私と舩木さんの基調講演がそれぞれ1時間ずつ振り分けられていて、プログラムでは私が最初の出番でしたが、東京高輪のプリンスホテルで開かれた観光カリスマシンポで私の話術に痛めつけられた苦い経験を持っている舩木さんのわがままを通して舩木さんが最初にお話しました。彼の話はこれで3度目ですがいつ聞いても理路整然としていて、田舎物の私など非ではないと思うのですが、会場を笑いの渦に巻き込む術は不真面目な親父ギャグを連発する私に軍配が上がるようです。舩木さんの話を聞きながら18年間もフィールドバレエをやり続けている底力やポール・ラッシュの教えに導かれた高い見識を思うのです。

 そこへ行くと私の話はまるで田舎芝居のようで見劣りするものです。でもそれはそれとして、私も苦節20年、私なりに頑張って乗り越えて実績を上げてきたのですから、何ら臆することはあるまいと、最近磨き始めた話芸を披露しながら、丁度一時間お話しました。舩木さんの関東弁と私の関西弁のコントラストも良かったのか、会場の反応はとてもよく返って来ました。

 少しの休憩がありトイレに行きましたが、トイレの中で名刺交換が始まり、その後の食談交流会には100枚持参した名刺がすっからかんになってしまい、今年の県外出張の最高を記録しました。「名刺もそんなに安くはないのだから、安売りしないように」と、またマネージャーのような振る舞いをしている妻に叱られそうです。

 この日のテーマは観光でしたが、合併して10万人を超え秋田県では秋田市に次いで2番目の人口規模となった横手市には北国特有の素敵なイベントが沢山あり、これまで近隣市町村で自慢的に保存されてきた伝統が一つの街に集約されたような感じがしました。しかし余程これらの活用を上手く考えないと、大が小を潰して行きはしないか少し心配になりました。点を線で結ぶことやネットワークなどと言葉では簡単にいえても、資金的援助や情報的援助、人的援助がなければ、人口減少や高齢化に歯止めがかからない現状では厳しいものがあるようです。



(看板に偽りあり、観光カリスマ2大巨匠特別講演会の看板)

 それにしてもこの日の謳い文句の「観光カリスマ二大巨匠」とは大袈裟で驚きました。二大巨匠とは舩木さんと私だと知り船井さんと私は顔を見合わせ思わず大笑いをしてしまいました。果たして舩木さんと私の話を聞いた横手の人は「看板に偽りあり」と今頃感じているに違いありません。これを後の祭りというのでしょう。

   「ポスターに 二大巨匠と あるを見て 偽り看板 笑い冷や汗」

   「俺の町 寒いといっても まだ十度 やはり北国 雪やこんこん」

   「百枚の 名刺なくなり ギブアップ 人が恋しい 雪の降る夜は」

   「汽車遅れ ギリギリセーフ 間に合った 故に話は 思いをこめて」

 


(観光カリスマ百選の舩木さんの講演)
(聞き入る参加者)

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○網にかかったキツツキ

 人間牧場が完成して2年余りが経ちました。真新しい感じがした水平線の家やロケ風呂、それにツリーハウスも風合いが出て自然に溶け込んできた感じがします。その間野性豊かな場所に相応しくキジやキツツキ、それにイノシシなどが縦横無尽に走り回り、特にイノシシとキツツキとは残念ながら共生することが出来ず、知恵比べが始まりました。サツマイモを一つ残らず食べたイノシシは銃もワナも持たない非力な私にはどうすることもできず、網を張って侵入を防ぐことしか出来ませんでしたが、皆さんの協力で見事あn成果を収めることが出来ました。しかしキツツキにはどうすることも出来ず、新品の外壁には無数の穴が開けられて、大工さんに頼んで張り替えてもらったその明くる日から被害にあって頭を悩ませたものです。息子は何とかキツツキを捕らえたいと網を張る事を提案しましたが、景観上余り好ましいことではないと最初は反対しました。それでも自分が設計管理した建物が壊されるとあって強行に網を張ってしまいました。内心「そんな網くらいで頭のいいキツツキなど捕らえられるものか」と冷ややかに思っていましたら、ある日キツツキが一羽かかったのです。たまたまサツマイモの作付けのために人間牧場へやって来た教育委員会の職員が見つけ、私に興奮した様子で携帯電話をかけてきたのです。彼は愛鳥精神が旺盛なため「可哀想だから網を切って逃がしてやりたい」と提案してきました。非常にも私はそのキツツキをそのままにして死を待つよう言ったのです。

 かくしてこのキツツキは見せしめのためのオトリになって何日か軒先の網にかかったままになっていました。私はそのうち鳥の死骸を網から外し家に持ち帰って畑の隅に埋葬して、かまぼこの板で位牌を作りねんごろに弔いました。しかしその後もキツツキは捕獲され続け4匹も網にかかったのでした。それでもキツツキの被害は相変わらずで、ロケ風呂にも大きな穴が開けられ始めたので網を張りました。

 昨日久しぶりに人間牧場に上がって見たら、今度は先日息子と張った網にキツツキがかかっているのです。地元の人から聞いた捕獲方法は「開いた穴の中に網を差し込んでおくとキツツキが捕獲できる」というものでした。半信半疑で網を丸めて穴の中に入れておいていました。作戦大当たりで今迄で見たのでは一番大きなキツツキが網にかかっていました。

 息子は自分の作戦が図に当って喜んでいましたが、自然との共生を考えると複雑な気持ちになりました。しかしこれも人間が生きていく上では必要なことだと諦めて、少しの間キツツキのオドシとして役目を果たしてもらおうという話になって、そのままにして下山しました。

 今は野山も実りの秋なので鳥の餌が豊富にあるため、隣の柿の木は柿の実が熟れるほどに鳥の食害にあって、収穫ゼロのようです。間もなく厳しい冬が来ると樹上越冬した糖度の高い美味しいみかんを作ろうとしている農家の方をあざ笑うように、未完の食害が始まるのです。樹上越冬のみかんには、ひとつひとつ丁寧に袋やスキンが被せられるのですが、鳥たちはそんな人間様の防備も何のその、生きていくためでしょうか平気で食い荒らすのです。人間と鳥の追いかけっこは当分の間続き、農家の苦悩も続くのです。

 遠くで鉄砲の音が聞こえています。狩猟なのでしょが、最近は長崎県佐世保の猟銃発砲事件のような物騒な世の中になり、猟銃といえども身の危険を感じて思わず身構えてしまいます。安心と安全なはずの田舎にも何処となく不安と危険が近づいているようです。

  「五匹目の キツツキ捕獲 上出来と 息子胸張る どこか寂しい」

  「見せしめに オドシの役目 させられて 軒先吊るす キツツキ悲し」

  「口ばしを まるでドリルの ようにして コツコツ開ける 住宅づくり」

  「

[ この記事をシェアする ]