shin-1さんの日記

○池の拡張工事
年末年始にかけてわが家には親類縁者が沢山来ましたが、その人たちは口々に、「池があったはずなのにいつの間にか池がなくなっている?。あの立派な自慢の恋は鯉は何処へ行ったの?」と不思議がって聞くのです。その都度何度も同じような返答をしているのですが、親父にとってはその言葉が辛いようでした。
 ところが天候が回復した昨日から庭の隅で、まるでモグラが土を掘るように真新しい穴が掘られ始めたのです。よく見ると小さな池で細々と飼っていた昔の何十万円もする鯉とは比べものにならない安物の、10匹程の鯉はどこかに引越して池の隅は割られ、どうやら池の拡張工事が始まったようなのです。近所の金物屋さんがセメントと砂や割り石を運んできました。私に相談もなくやるものですから、人に聞かれてもチンプンカンプンです。昔は親父とこんなささいなことで口喧嘩をしたものですが、90歳になる親父の戯言と聞き流して見て見ぬ振りをしていました。親父もそれを察してか私の腰の具合が悪いことも承知で、正月休みで帰省中の長男にやれ「石を動かしてくれ」とか、盛んに呼びにきては手助けをさせていました。
 今朝は気温は下がっているものの穏やかで風もなく、毎朝の日課である親父の腰にサロンパスを張りに隠居に行くと、昨晩帰った長男に手助けさせるわけにも行かず、「少しの間セメントを練り込んで欲しい」と私に頼むのです。「腰の具合が悪いので無理はできない」と前置きし、食事が終わった9時頃、親父と二人で練り込み開始です。親父愛用の大きいパレットに砂、バラス、セメント、水を入れてこねるのです。やがて練られたコンクリートはスコップで池の底に流し込んで行くのです。これが結構きつい作業で、短い時間ながら汗をかいてしまいました。腰にも負担のかかる作業でしたがどうにか終えることができました。



 親父はこの周りに鉄筋を入れてブロックを積み、上塗りをして仕上げるのですが、生半可な左官さんより起用で、いつもながら親父の器用さには脱帽です。私も親父のこんな器用さを受け継げばよかったのですが、世の中は上手く行かないもので、親父からも不器用の烙印を押され、自分自身も不器用を自認しているのです。
 親父は90歳ですが今も元気です。若くしてガンを患い、生きるか死ぬかの死線をさまよったのにこんなに長生きして、今もわが家の重要なコツコツ労働を陰ながら支えてくれています。若いと思っていた私も63歳の初老に達してきましたが、老いを親父のように生き生きと生きてみたいと思っています。若い頃は反感・反目した親父ですが今では私の理想を生きているような気がします。
 やがて一週間もすれば手づくりの池は完成するでしょうが、捨てるのも可哀想と値打ちのない貰った鯉を手づくり池で買い始めて3年目、その鯉が大きくなって窮屈そうだと池を拡張する優しくも前向きな生き方に、鯉も満足して泳ぐことでしょう。
  「庭の隅 まるでモグラか よく見ると 親父穴掘る 新春仕事」
  「鯉太る 窮屈だろう 池広く ことなげ造る 親父は偉い」
  「卒寿越え なおかくしゃくと やることを 見つけ今年も 懸命生きる」
  「庭の隅 親父工房 次々と 出てくる道具 左官より上」
 

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shin-1さんの日記

○今日はブラックデーでした
 年末から帰省していた長男の家族が今日で床上げして帰る予定ですが、変わって娘婿の実家大阪に帰省していた家族が夕方やって来るというので、わが家は何かと大忙しです。妻は今日から仕事で一日中いないため、自由に過ごそうと思いきや、「お父さん、天気が良いので布団を干しておいて下さい。年末にお餅をついたモロブタも洗って干してあるので納屋にしまっておいて下さい。それから大根2本とカリフラワー1個、それにブロッコリーも忘れないように畑から取ってきておいて下さい」とまるで聖徳太子のように矢継ぎ早に用事を頼み妻は仕事に出かけてのです。リタイアした自由人の悲劇か、わがままを言うことも出来ずシブシブボチボチ頼まれた用事をするのです。
 日本中で仕事が動き始めたのか、電話やファックス、メールが入り始め、日程調整したりメモしたりとその対応も忙しい一日でした。私にとってはブログも故障でまるでブラックデーのような一日でした。
 私はその気分を紛らわそうと年末年始腰の具合が悪くて洗車していなかったトラックを洗いました。昨日息子と落ち葉拾いをした後遺症か車はかなり汚れていて中々落ちないのです。それでも約1時間をかけて丹念に洗車し、荷台に念願のシートを被せました。荷台が汚れるのを防いだり濡れてはいけない荷物を積むための防水シートで僅か畳2枚くらいなものなのに5千円もする立派なものす。ゴムで装着するようになっていますが、これで田舎のオープンカーもかなりグレードアップしました。
 早速その車に倉庫に置いていた工具を積み込み、加えて米糠と油粕を購入して人間牧場へ向いました。昨日息子と拾い集め囲いの中に入れて踏み固めた落ち葉の上に満遍なくふりました。これで冬の寒い間に発酵してくれるはずです。後は大洲の亀本さんに頼んでおいた牛糞が届けばそれをふりまき上にナイロンのシートを掛ければ計算上は上手く行く予定です。
 しかしここでもブラックデーの後遺症、重い電動研磨機を棚に上げるべく脚立に上がって棚に収納しようとした瞬間、腰に力を入れることが出来なかっため、あえなく地上へ落下させてしまいました。足の上に落ちず怪我をしなかったのが不幸中の幸いでした。

 加えて夕方からは息子の子ども、娘の子ども2人、つまり孫が3人勢揃いし、蜂の巣を突付いたような大合唱です。さすがに腰の痛みを考えて7ヶ月になる孫尚樹は抱き上げませんでしたが、孫希心は抱いて子守りです。5歳になる孫朋樹は活発で、この2年間は私の相棒と呼ぶに相応しくよく行動を共にしてきました。この日も風呂に一緒に入り、私たち夫婦の布団に潜り込んで寝てくれました。夜中の12時に小便をひらせるために起しましたが、腰の悪い事も忘れて抱きかかえて行きました。少し腰の調子が悪くなぅた感じがしましたが、多分朝になれば大丈夫だと思うのです。救いは孫たちと娘婿、それに長男が私のブラックデーを帳消しにしてくれた一日でした。
  「気が滅入り 今日は私の ブラックデー それでも孫が 幸せ運ぶ」
  「研磨機が 地上に落下 腰砕け 怪我なしホッと 一息入れる」
  「短めの 冬の日向に 布団干す フカフカ潜り 孫にお話」
  「蜂の巣を つついたような 大合唱 これも幸せ 思えば楽し」 

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shin-1さんの日記

○ブログ故障中につき発信不能
 正月休みに色々な記事をブログに書こうと思っていたのに、1月2日の午後から、ブログのページに不具合が生じ、この3日間紋々の日々を過ごしました。幾らいじってもビクともせず、仕方がないと諦めていたのですが諦めきれず、何度かアタックするも跳ね返され続けてきました。
 正月休みで帰省した長男の助けを借りて復旧を試みましたが、その望みも断たれ、今日娘婿が大阪の実家から帰省するのを一日千秋の思いで待ち続けました。1月5日の夜娘婿がやって来たのをいい事に復旧を頼みましたが、複雑な故障で中々復旧しませんでした。今日も駄目かと思い電源を切ろうとした11時30分、臨時工事ながら見事に復旧したのです。「やったー」と心の底で叫びたいような雰囲気でした。早速この文集を入力しているのですが、あくまでも臨時の画面なのでこれまでのようなスピードが出せず、加えて色文字も画像も、ましてや記事の編集へのアクセスも皆無でした。それでもブログへの書き込みが可能となっただけでも幸せと思い、本格的な復旧は明日ということで、娘婿は居間に移り、自分の携帯用パソコンで不具合の原因調べをこっそるやってくれていました。
 日頃は何気なく使っているパソコンですが、長年使っているとかなりの情報が入力したままで、ゴミ箱の廃棄も入力情報の掃除もその仕方さえ分らず、「容量の残量が少なくなっています」と警告を知らせるメッセージが画面に表示されているにもかかわらず、使い続けた報いだったと深く反省をするのです。
 息子は早速電気屋さんに行ってハードディスクを買い求め、とりあえずこの2年余りデジカメで撮影した写真を9枚のCDに移す作業をしてくれました。
 私のようなド素人にはやはりパソコンは重荷で中々自分のいう事を聞いてくれないし、故障しても直すすべさえ分らないのです。
 今度のパソコンハプニングで息子と娘婿には益々頭が上がらなくなりましたが、これも親孝行だと諦めて欲しいと手前味噌な考えになるあたり、喉元過ぎれば暑さ忘れるのたとえ通りでしょうか。
 私の日課は朝4時に起床してパソコンの電源を入れ、立ち上がるまでにその日の予定の確認やハガキ書きで始まります。ところが二日の午後からのパソコンの不具合でその日課がメチャメチャになってしまいました。この2年半も続けている日課が狂うと、頭の中は焦燥感にかられ、それが体の異変へとつながるのです。
 それでもメールの返信や原稿書きはできるものですから連載の原稿を書いたり、夕やけ徒然草の草稿を練ったりして時を過ごしましたが、やっぱり生活のリズムがどこか違うのです。今回のハプニングは正月という適機にも恵まれました。息子や娘婿が相次いで家に来て、それなりの対応をしてくれるものとの安心感がありました。
 デジタルの苦手なアナログ人間の私ですが、これからもデジタルのトラブルがあるものと予測し、それに変わる何かを見つけておかなければと、危機管理能力を改めて見つめ直しました。
  「ブログ書く 日々の暮しが 出来ずして 悶々三日 当りちらして」
  「パソコンを 直す操作の すぐ側で チンプンカンプン 何が何だか」
  「娘婿 お願いブログ 直してよ 参拝四拝 拝み倒して」
  「三日間 ブログ書けない 日を過ごす お陰で別の 仕事はかどる」 

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shin-1さんの日記

○何となく生きている人が多いようです

 私は最近落語ならぬ落伍に凝るようになりました。人の前で話すのが仕事のような私ですが、このままだとこれ以上話が上手くならないのではないかと考えるようになり、思い切って話芸に挑戦する事にしました。「どんな話も聞く人を眠らせたらお終い」と思い、いつも笑いを誘うような話をしている私ですから、これ以上更に上を目指す必要はないと思うのですが、それでも思いをこめて始めました。

 まず話芸のコツを学ぶため、本物の落語や漫才を聞いて、笑いや間の取り方を学ばなければなりません。偶然にも落語がテーマの朝のテレビ小説「ちりとてちん」が始まりましたが、残念ながらその時間にテレビを見ることができず、たまに目にする程度です。それでも落語に興味があると、テレビやラジオではしょっちゅうやっていて、その気になれば見聞きすることができるのです。聞きながらその奥の深さや芸の広さにただただ驚くばかりで、それで飯を食っている人の側には近寄れぬ事を悟りました。でもこれからも勉強のつもりでしっかりと見聞きしたいと思っています。

 次にやろうとしたことは、喋りの訓練です。ブログで何度か書いたように高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株の上で高座を開く事を決意し、座布団を敷いて始めたのです。とりあえず30話をつくり、そのネタ本を500円で販売する事にしました。「それくらいの話に何で500円もの木戸銭を取るのか」と言われそうですが、高座本と話しをコラボレーションさせることでまちづくり寄席としての値打ちを引き出させたのです。お金をいただくと真剣にならざるを得ません。タダだと話す方も聞く方もいい加減な感じになってしまうのです。

 さて、これまで3回高座をやりましたが、話した自分としては今一です。幸いな事に最初の高座となったホームグラウンド人間牧場における観光カリスマ塾での模様は、えひめ地域政策研究センターの清水さんがカメラに納め一枚のDVDにしてプレゼントしてくれました。これを何度も繰り返し見る事によって、話芸の修正ができるのです。話芸が一人前でないので今のところは小道具を使っています。竹で作った赤トンボやハーモニカを木になるカバンにしのばせて持ち歩き、観客を巻き込んだ芸当を披露しています。これは怪我の功名で最初は余り考えていなかったのですが、予想以上に反響が良いので話芸に自信が持てるようになるまで、トンボにもハーモニカにもお手伝いいただきたいと思っています。

 前回の高座で「四つの願望」という小話の希望がありました。私の落伍は創作落伍で面白い笑いだけでは上手く行きません。人間社会のペーソスや都会では知られていない田舎の話題をテーマにしています。「四つの願望」も田舎人の井戸端会議で聞いた話を話題にしています。

 人間には①幸せになりたい、②お金持ちになりたい、③健康で長生きがしたい、④成功したいという四つの願望があるようです。高座から参加した人に聞いてみると人それぞれですが、①②③の願望は強いものの、幸せとは何か、幾ら欲しいのか、何歳まで生きたいのかなどとなるとぼんやりしているようです。そして④については殆ど手が上がらないのです。つまり目標を持たず何となく生きているという感じが強いのです。何らかの目標を持っても必ず成功するとは思いません。しかし何か目標を持って夢中になることこそが生きがいだと思うのです。

 「どうせ」俺の人生しれたものと思う人生より、「もしかして」俺の人生はと思う方がずっと楽しく生きれるのです。

現代人は今の世の中をさげすんで生きているような気がします。俺が出世しないのは学歴のせい、人のせい、社会のせいだと自分の努力のなさを棚に上げて、人や社会のせいにして生きている人が余りにも多いようです。

「どうせ」ではなく、「もしかして」に考えを変えるだけでどんなに楽しい人生になることでしょう。

 「どうせより もしかしてだと 目の前が 明るくなって 人生楽しい」

  「もう少し レベルを上げて 生き生きと 話芸極めて 楽し人生」

  「幸せも お金も欲しい 長生きも 他力本願 成就できぬわ」

  「目標を 持たず生きるは クリープを 入れないコーヒー 同じようです」


 

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shin-1

○こいつぁー春から縁起がいいわい

 何年か前、あるタウン情報の取材があり、「あなたは宝くじで一億円当ったら何に使いますか?」という質問に、「買わないので当らない」と答えてしまいました。そうです。私はこれまで「宝くじ」というものは生まれてから一度も買った経験がないのです。「ほうー、珍しい人がいるものよ」と世の宝くじファンに笑われそうですが、正真正銘買ったことがなにのです。

 ところが世の中はよくしたもので、私の妻は宝くじを良く買うのです。自称セレブでもなく貧乏人の部類なので、宝くじを買うといってもたかだか連番10枚を3組ほど買うだけの投資なのですが、私流に計算すると一枚300円の宝くじを30枚買うと9千円になります。サマージャンボと年末と年2回買うと1万8千円の、仮に10年だと18万円になるのです。

 宝くじを買う妻の言い分は、「たったこれくらいの投資で、年2回も一億円以上の夢を見れるのだから、こんな幸せなことはない」と胸を張ります。そして極めつけのセリフは「買わない宝くじは当たらない」と豪語するのです。

 今年も昨日年末ジャンボ宝くじの抽選会があり、テレビで発表されていましたが、わが家では元旦の新聞の来るのを待って、妻と息子の二人が買い求めた宝くじを机の前に広げ、熱心に番号を付け合せていました。

 「やったー、当った」と息子が言うものですから、居間にいた家族は一瞬息子の顔に集中しました。息子の宝くじは、郵便局に定期貯金をした記念品に貰った40枚の連番宝くじです。残念ながら一億でもなく一千万でも百万でも十万でもなく、3千円でしたがこれが4本、300円が4本、つまり40枚で8枚も当り、〆て13,200円の当りとなりました。息子の嫁は子どものおむつ代の足しになると喜んでいましたが、まあこれくらいの当りと、これくらいの金額で庶民レベルには丁度良いと思いました。問題はここからです。小さな儲けは大きな損失につながります。小さな当りに気をよくして、次の大当たりを目指すためにやたらと投資すれば、今回当った13,200円は何の役にもたたない事を肝に銘じておくべきでしょう。

(ささやかながら、3千年と300円がそれぞれ4枚ずつ当った宝くじ)

 人間にとって「夢」を見たり「夢」を持つことはとても大事です。そのことが生きがいにつながればこれ以上のことはありません。しかし宝くじを買うという行為は自分で選べても、宝くじに当るという結果はあくまでも他力本願なのです。私がよく使う「夢はドリームではなくターゲットである」という言葉は、宝くじを買って当るのを待つための意味ではなく、勝ち得る自分の努力をいっているのです。私が宝くじを買わない理由を、妻や長男に幾らいっても、「これくらいいいじゃない。私のささやかな夢だもの」と取り合いません。人それぞれ、人生いろいろですね。

 「当ったと 大声上げる 長男に 向う視線の 何と早きか」

  「三千円 当らないより まだましと 納得しつつ も一度確かめ」

  「宝くじ 買ったと思い 貯える それでも十年 少しは貯まる」

  「夢だけで 生きては行けぬ ソロバンも 二つ噛み合う 俺の人生」


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shin-1さんの日記

○新年明けましておめでとうございます

 私のブログを愛読してくださる皆さん、新年明けましておめでとうございます。

 今年も楽しいブログ書きに挑戦したいと思いますので、ご愛読の程宜しくお願い致します。

 わが家の新年は、年をとる行事から始まります。真新しい下着に着替えて身なりを整え、若水で顔を洗って口をすすぎ、台所へ入って男ながら雑煮を炊きます。これが家を継ぐ長男の仕事といわれ、何の疑いも無く63歳の今日まで受け継いできたわが家のしきたりなのです。普通の日々は台所に立つのは妻の役目なのですが、元旦だけは妻は布団の中です。

 雑煮を炊くといっても、昨晩妻が昆布としいたけと鰹節で取って用意してくれただし汁を鍋に入れ、かまぼこと豆腐を小刻みにして入れて沸騰したら、そこへお餅を入れるだけのシンプルな醤油仕立ての雑煮なのです。

 やがて雑煮ができる頃を見計って家族を起こし、座敷に用意した神棚に雑煮を供え、家族で今年一年の無病息災を祈るのです。今年は私が二日前からぎっくり腰になったため帰省中の長男も起きてきて、食卓の用意を手伝ってくれました。

 台所から居間に運んだおせちを食べながら談笑しました。今年は長男の子どもである孫の希心君も増え、加えて正月から勤務が予定されている次男も帰って賑やかな正月です。

 一段落したところで氏神様へ初詣に出かけました。まず最初に出かけたのは、総鎮守の三島神社です。この神社は海岸から長い一直線の石段が続くお宮なのですが、今は車で行けるようになっていて、腰の具合が悪いので直接本殿に行ける道を選びました。


(拝殿に上がり健やかな成長を願う長男と孫)

(境内の掃除をしていた馴染みの宮司さんにお願いし、家族全員で記念写真を撮りました)

 神社にはひっきりなしに参拝客が訪れ、敬虔な祈りを捧げていました。私は無信心なのか、神社仏閣へお参りしても余り頼みごとはしません。結果は皆身にあると思うからです。健康も成功も元はといえば自分の心がけや努力しだいなのですから・・・・。それでも妻はわが家の元締めらしく「家族みんなが今年一年元気でいますように」と声を出して祈っていました。妻が「これはお父さんの分」と用意したお賽銭を100円入れてくれました。

 次に氏神様である天一稲荷神社へ初詣しました。この神社は開けたから昨年10月に改修工事が終わったばかりで、そこここに木の香りがして、屋根の銅版も緑錆がふいてどっしりしてきました。私は区長としてこの神社の海舟に深く関わったため思いも一入です。ここでも妻は敬虔なお願いをしていたようです。

(孫希心にとってこの氏神様は、誕生後のお宮参りでお世話になった場所で、このメンバーでは2回目の参拝となりました)


 こうして新しい年が明けました。この3日間海も山も冷え込んで、かつてないほど大荒れの天気です。はるかに見える牛の峰山も初冠雪で、海は白馬のような白波が次々と押し寄せ、漁港の防波堤を越えていました。

 さて私の今年の目標は?と考えてみました。

 ①まずは、昨年始めた落伍「夕日亭大根心」の高座をもう少しレベルアップしなければなりません。木戸銭と称して製作した「ゆうやけ徒然草」という高座本も今年は目標の500冊をクリアーしたいものです。すでに地の書は3回の高座で100冊を販売しています。早く目標を達成して次の水の書を製作しなければなりません。まあ今年中を目標に掲げましょう。

 ②今年も木になるカバンを提げて全国津々浦々、既に8月の予約があるほどの、招かれた場所で思い切ってお話します。私の仕事は元気と笑いを売る「幸せのセールスマン」です。地域の活性化の源は何といっても人ですから、いい人材を育てたい、そのためには知識と知恵を貯えねばなりません。ブログも一日三枚のハガキも続けます。

 ③今年は全国地域づくり団体交流会が愛媛で開かれます。また青年の船の班長会も愛媛です。この二つは実行委員長だけに、他の仲間とともに何としても成功させなければなりません。右肩下がりの愛媛を売る絶好の機会にしたいものです。

 ④人間牧場は開設以来3年目となりました。折角造ったこの施設をもっともっと活用していい情報を発信したいものです。21世紀えひめニューフロンティアグループの活動も少し身を入れてやりたいものです。

 ああー、やりたいことがいっぱいあり過ぎて書ききれません。書いたことは公約になるのでやりますが、これらを成就するには心身ともに健康が絶対条件です。健康に留意をしたいものです。

 「公約を 四つも掲げ 意気揚々 今年も気力 充実スタート」

  「跡継ぎと 三人座り 神様に この家守る 誓いの祈り」

  「変わらずに 雑煮作るや お正月 美味い美味いと 言いて食する」

  「暮れ明けを 吹き荒れ寒波 三日間 山は冠雪 首を縮めて」

 


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shin-1さんの日記

○わがまちPR一次予選通過

 一昨日ビデオクラブの菅本さんから、あるテレビ局が募集している「わがまちPR」にエントリーしている作品が第一次予選を通過したとメールが届きました。

 最近まで70もあった市町村も愛媛県では合併によって20市町になり、何かと寂しい感じもしますが、そんな市町村の再編を当て込んだテレビ局が、住民や行政を巻き込んで市や町のPRビデオを製作して応募する、しかも優秀作品はテレビのコマーシャルとして流すという企画は、愛媛県だけかと思いきや、全国各地で行われているようです。

 今年の夏、友人の玉井さんからビデオクラブの菅本さんたちがこの作品作りをするので、協力して欲しい旨の連絡が入りました。まだ企画の段階だったため、私の意見も述べさせてもらいましたが、まさか冒頭に私が出るとは思いもよりませんでした。しかし、いわれるままカメラの前に立ち、暑い中に撮影は終わりました。その後どんな作品に仕上がったのかも知らないまま時が過ぎ、その存在すらすっかり忘れていたのです。

 ところが一昨日メールの添付されてその作品が送られて来たのです。玉井さんによると菅本さんは元NTTに勤めていた方で、ビデオやパソコンの操作に造詣が深く、様々な分野で玄人肌の作品を作り続けているのだそうです。私も玉井さんに頼まれある老人ホームで話したのをCDにしていただいた経験があるので良く知っているのです。私のようなアナログ人間にとっては何とも羨ましい存在なのです。

 私のパソコンには毎日沢山の方々からメールが届きますが、写真の添付はかなりの頻度であるのですが、映像を送られて来たのは初めてなのでドキドキしながら、メールに書いている通りに開くと映像と音声が出て来ました。作品は双海町が舞台で双海町のPRです。中身はまだ本審査がされていないので企業秘密といったところでしょうから、公表するわけには行きません。私的には良くできた作品のようでした。県下各地から沢山の作品の応募があったらしく、一次予選を経ていますので、二次審査があるのかどうか分りませんが、本審査の行われるのが2月とか、結果が楽しみです。

 それにしても30秒という限られた決められた時間にどれだけの主張ができるか、また見る人に共感・共鳴をどれだけ与えられるか、そんな視点でみんなしのぎを削るのでしょうが、その道の人は色々と知恵が出るものだと感心しました。

 しかし、それにしても映像が送れるなんて考えもつきませんでした。早速正月休みで帰省している息子に暇を見つけてその方法を伝授して欲しいと頼んでいますが、パソコンの使用についてはまだ知らない部分が沢山あり過ぎて、独学ゆえ未だに右往左往しています。それでも毎回毎回パソコンで困ったら息子に電話していた回数も徐々に減って、今は何とか使いこなせるようになったことは、自分自身にとっては偉い進歩です。

 最近は知ったかぶりで、まだパソコンをやっていない人にパソコンの有用性を御託を並べて説明している自分に気付き、苦笑する一幕もあります。でも私にとってこの2年余りのパソコンとの出会いで、随分いい仕事が出来るようになった事を喜んでいるのです。

  「送られた メールに添付 開ければ 映像が出て 凄いぞ凄い」

  「あの人は 天才かもと 思ったり 自分のできぬ ことを簡単」

  「第一の 関門くぐる 作品を 喜び送る われも喜び」

  「リハーサル せずにカメラを 回したる 臨場感が 上手く出ている」

 

 

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shin-1さんの日記

○届いたレポート~今度はうどんの花を見てみたい~

 仕事柄というべきか、地域づくりのコメンテーターとして今年も請われるまま、北は北海道から南は沖縄まで、日本全国各地の田舎を訪ねて歩きました。そこで見聞きしたものは過疎や高齢化に悩む田舎の厳しい現実と、それでもなお逆境を跳ねのけ、生き生きと輝いて生きる人たちの姿でした。たった一度の出会いであっても心の機微を便りに託し、その後の交流につなげている人も沢山いるのですが、往々にして平成の市町村合併以来、役所に勤める人に何となく元気がないことが気がかりで仕方がありません。役所の人は二言目には「金がない」「中央に聞かなければ分らない」などといっていますが、本当にそうなのか、ひょっとしたら「やないことをやれない」と言い訳しているだけに過ぎないかも知れないとつくづく思うのです。田舎には限界集落問題や学校の統廃合など、田舎自身の問題でありながら大きな行政課題があるのですが、そんなことは見て見ぬ振りをして、「やれ給料が上がらない」と自分たちの主張のみを繰り返して平然としている姿を見ると、かつて35年も役場の職員として地域活性化のために働いてきただけに、余計腹立たしく感じてならなにです。そんな私の話などブログに書いたり喋ったりしても馬耳東風とばかりに無視されてしまう昨今なのです。

 そんな中の昨日、島根県鹿足郡吉賀町六日市の吉中力さんから「吉賀の地域づくりと公民協働」という一冊のレポートが届きました。「島根の未来を考える」という報告書の、僅か11ページの抜粋本なのですが、年末のしかも昨日からぎっくり腰を患っているため、食い入るように読ませてもらいました。吉中さんは吉賀町教育委員会の次長さんをしています。何年か前島根県生涯学習センターの仕事で、六日市町を訪ねた折、名刺交換して夜の交流会で知り合い、多分それ以外一度くらいしか出会いはないと思われるのですが、「よくぞ覚えていてもらった」と感謝しつつ、「はてさて吉賀町とは一体何処だっけ」と封書の鹿足郡という送り主を見ながら、「ああ師井さんの柿木村と吉中さんの六日市町が合併して誕生した町か」と直感し、封を切って読ませていただきました。

 吉中さんのレポートは、都市と地方の共生、21世紀は心の時代、ふるさとって何、食を通じた教育の重要性、国民共有の財産、昭和の大合併から平成の大合併へ、地域づくり研究会、キーワードは人という項目が起されています。

 最初の書き始めが面白かったです

 農林水産省の若手官僚が初めて目にした白いソバの花の、その余りの美しさに感動して思わずつぶやいた。

「今度はうどんの花を見てみたい・・・・・」。(全国津々浦々に存在する農山漁村の実態とあまりにもかけ離れた国の農業施策を皮肉った、ある機関紙のコラム)

 レポートの殆どの部分に同感しながら、島根県の殆どの町や村を訪ね歩いてきた過去の記憶を思い出し、もう一度近いうちに吉中さんや師井さんに会いに行こうと思いました。吉中さんのような人がいる限り、過疎も高齢化も少子化も乗り越えていい町や村ができるのだと思います。結局地域づくりは人なのです。

  「一冊の レポート読んで 感激す 田舎どっこい 元気はつらつ」

  「一枚の 名刺便りに 送られし レポートほのか 田舎の匂い」

  「文字を持つ 人間ゆえに 感動す メールにはない アナログ文化」

  「合併で はてさてこの名? 首ひねる かすかに郡名 思い出しつつ」 

 


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shin-1さんの日記

○机の上に置かれた人型ミニパネル

 私の机の上に小さな人型ミニパネルが2枚立てかけられています。11月に行われた人間牧場での観光カリスマ塾でのデモンストレーションのために作った等身大の人型パネルは、えひめ地域政策研究センターの清水さん、松本さんと私の3人で企画しましたが、その秘策を実行に移したのは松本さんと清水さんです。その折、全国から集う人たちに、観光に対する思い入れと行動力を目に見える形で見せようと、人型パネルの製作と落伍にまつわる高座本「夕やけつれづれ草」の発刊を思いついたのです。その裏方としてお世話になったのが今治の村上君と新居浜の加藤君でした。二人はまちづくり人養成塾で知り合っていたので直ぐにこの話に乗って村上君は写真と高座本、加藤君は村上さんの撮影した写真を基に人型パネルの作製を担当し、それぞれの役割をきっちりこなして、大きな反響を呼んだのです。

 加藤君は人型パネルを作る折、サービスで2つの人型ミニパネルを2枚作ってくれました。一枚はメキシコ産角笛を持った私の立像、もう一枚は高知県馬路村産150年生の魚梁瀬杉の切り株に座って落伍をする私です。最近までこの2つのミニパネルは等身大人型パネルとともに人間牧場水平線の家へ置いていましたが、折角作ったのに意味がないと、思い切って下山させ、私と一緒に移動することにしたのです。

 これまで2回一緒に移動しました。一回は生協理事さんたちの忘年会でした。更にもう一回はえひめ地域政策研究センターの忘年会です。いずれも忘年会で大胆にも移動落伍をしたのです。しかもこともあろうに人の迷惑など省みず、1冊500円の高座本を木戸銭と称してワンコインいただいて押し売りしたのです。

 参加者の中には異論も会っただろうと深く反省していますが、その余韻が忘れられず次の機会を虎視眈々と狙っているのです。

 しかし、毎日朝な夕な仕事をする自分の書斎の机の上に、自分の人型ミニパネルを置いているのですから、何とも奇妙な感じです。男前ならいざ知らず3枚目以下の4枚目も5枚目の落ちる所がない自分の写真が、本物の自分をじっと見つめているのです。これを見た妻は最初は吹き出し笑いしましたが、「お父さんいい表情の写真だ」と褒めてくれました。子どもを連れて週末遊びに来る娘は、「お父さん恥かしくないの」とお手上げの悪評です。孫朋樹君は、「おじいちゃん格好いいね」とお世辞を言ってくれました。

 特に気に入っている魚梁瀬杉の上に座って三崎の裂き織半纏を着て落伍をする私の表情は、とてもいい雰囲気に仕上がっているのです。これから移動落伍をするといっても、魚梁瀬杉の切り株を持参することは出来ないので、人に説明するためにはいいミニパネルだと思うのです。

 今までは胴長短足という純日本人に生んだ母親を憎んでいましたが、役職や名刺のなくなるこの歳になると、顔の男前や足の長さなどどうでもいいことだと気付くのです。

 そう思えば手前味噌かも知れないし、自分を褒めるは一の馬鹿と言われながらも、味のある顔だと改めて見直すのです。「自分の顔に自信を持て」といわれながらも、物心ついてこの方顔に自信など持てなかったのですが、これからの余生はこの姿に満足しながら生きて行きたいと思うのです。

 もう一枚のメキシコ角笛は、日本に例えるとほら貝のようなものです。「私はホラも吹くしハーモニカも吹きます」と持参のハーモニカを取り出し、カーもニカとともにこの角笛をほら貝に見立てて吹けば、爆笑間違いなしで、「よっ、座布団一枚」と掛け声が返ってくるのです。

 この2枚の人型ミニパネルは私の人生にとって久々のヒット商品でした。

  「朝夕に 私を見つめる 人パネル 味ある顔と 自分で褒める」

  「これ見せりゃ 大抵の人 納得し 木戸銭くれて 話聞き入る」

  「恥かしく ないのと娘 あざ笑う 孫はじいいちゃん 格好いいと」

  「この歳に なれば顔など どっちでも 中身で勝負 俺に軍配」


 

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shin-1さんの日記

○ぎっくり腰

 今朝起きて、餅つきのためのモロブタ(餅を並べる木箱)を倉庫から出して洗いました。暗い倉庫の中から出すので、かなり窮屈な姿勢にならざるを得ませんでした。その折越に違和感を覚えましたが、それでもモロブタを洗った処までは何とか作業が進んだものの、持ち上げた瞬間ギクッと電気が走って、ぎっくり腰特有の腰に力が入らなくなってしまったのです。ふと昨年も年末年始にぎっくり腰になって難儀をした悪夢が蘇えりました。

 数日前も寝る前、妻が昨年のこの頃ぎっくり腰になった事を思い出して、「一度整体医院にでも行って体の手入れをした方がいいのでは」と忠告してくれましたが、「今年は大丈夫。腰痛体操もしているから」と鷹を食っていました。「ああ、あの時妻の忠告どおり整体で転ばぬ先の杖のように、揉んで貰っていたら」と悔やみましたが、これこそ後の祭りです。

 早速行きつけの松本整体院に妻が電話をかけてくれました。今日はあいにく日曜日で整体院もお休みなのですが、ぎっくり腰の窮状を知り尽くしている整体院は、私の難儀を察して10時半から診察施術をしてくれるという有り難いお話でした。もう少ししたら出かけようと思っています。

 ぎっくり腰になった原因は二つありました。その一つは一昨日のしめ縄作りです。ご存知のとおりしめ縄作りは胡坐をかいて足で藁の一方を押さえてする変則的な体系で2時間ほどやります。そのため作り終わった時にはこれまで使っていない腰の部分に張りを覚え、瞬間的に立ち上がれないような腰の固まりを感じたのです。


(お父さんの腹の上に乗せられてご満悦の長男の長男若松希心君です。久しぶりにわが家に帰ってきた可愛い孫を抱き過ぎて?腰がしこし可笑しくなりました)

 もう一つは孫が正月休みで息子夫婦と帰省したのです。内孫、しかも男の子とあって、跡継ぎ誕生の喜びで、昨日はなれない手つきで孫を抱きかかえ家の中を長時間右往左往しました。まだ四ヵ月の孫は、もう抱き癖や人見知りが出来て、私のような下手糞な抱き方には直ぐに飽きてぐずるのです。仕方がないので手を変え品を変え、まるでイナバウアーのゆな姿勢で孫をあやし続けました。「何よ、そのくらい」と言われそうなので、原因はその辺で留めたいと思いますが、馴れない事をするものではありません。

 ああ、折角の年末年始の休みが台無しだと思う反面、今日から息子とやる予定だった家のサッシ窓の掃除をしなくても済むかもしれないと、折から吹き始めた北西季節風が電線を揺らす音を聞きながら、机に向ってこのブログを書いています。もう整体医院に出かける時間になりましたので、この続きは帰ってからにします。

 10時30分の予約時間に間に合うように10時に家を出ました。昨日から吹き始めた北西の季節風は激しさを増し、海岸国道は高潮の越波で車はまるで塩水を被って走るようなものでした。すっかり顔なじみとなっている整体院の先生は、親切に対応して揉み解し、鍼を打って施術してくれました。背骨や腰のゆがみについて説明を受けながら過ごした30分余りの時間は患部に当る度に苦痛で顔を歪めながら過ごしました。明日も10時30分の予約を取って帰宅の途に着きました。鏡で自分の姿を見ると、腰が曲がって情けない格好です。妻は「一年の疲れが出たんだから、正月はゆっくり休んでください」と慰めの言葉を掛けてくれましたが、体力の衰えを感じながら今年も終わりそうです。

  「ビリビリと 電気が走り 腰痛む 整体通う 情けないやら」 

  「ああ俺も そんなお歳に なったのか 膝腰肩の 腰から痛む」

  「孫のせい いやいや孫の せいじゃない 日頃の精進 ツケが回りて」

  「腰痛い 親父笑って いたけれど 笑い返され どちらが歳だか」

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