shin-1さんの日記

○相次ぐ妻の誕生会

 昨日は息子夫婦が妻の誕生日を祝って私たち夫婦を食事会に誘ってくれました。妻の誕生日くらいに大袈裟だと二人で苦笑しながら雨の中を出掛けて行きました。土曜日を含めると三連休とあって昼前の国道は伊予市辺りでかなり混んでいて、普通だと40分くらいで行けるのに倍もかかってしまいました。少し早めに出たつもりだのに途中娘の家で落ち合ったこともあって、予約の時間に間に合わず息子から「遅い」と再三携帯電話が入る有様です。

 「樹庭」というレストランは空港のすぐ近くにありました。空港といえば賑やかな騒音を思い出しがちですが、その名が示すとおり広大な敷地には自慢の広々とした洋風庭園があって、メタセコイアやクスノキなどの大木が生い茂り、広いウッドデッキには度肝を抜かれました。このレストランでは結婚式やパーティなども行われるそうで、建築関係の仕事をしている息子は時々利用するようです。

 お店に着くなり控室で、今日の注文を肉にするか魚にするか、案内人の女性から説明を受けながら少し待たされました。やがて清楚で清潔感のあるホールに案内されました。他のテーブルでは何組かの人たちが既にテーブルを囲んで食事をしていました。私たちは窓辺の奥まったテーブルに案内され、孫の希心君も一丁前にチャイルド椅子が用意されていよいよ食事です。お昼の食事にしては手の込んだシチュエーションです。

 私と息子嫁は魚を、息子と妻は肉をそれぞれメインディッシュに選びましたが、2800円のコース料理なのに、食の少々薄くなった私には食べきれないほどの料理が出てきました。しかし西洋料理中華料理に比べさっぱりしているとはいえ、やはりドレッシングなどにはオイルがかなり使われているため、胆のう手術以来油ものが苦手な私としてはかなりハードな食事になりました。

 ここの特徴は無農薬野菜を使っているそうで、わざわざ西条市から契約栽培で取り寄せているそうです。そんな安心が歌い文句なためか、野菜もどことなく味があるような感じもしましたが、わが家では自宅に家庭菜園を持っていて、毎日のようにそれらを食べている者にとっては普通と変わらないとも思いました。

 妻が小声で「お父さん、無農薬野菜というらしいけど、私たちは毎日そんなものばかり食べていて、相当贅沢な暮しをしているね」と得意げになって話しました。そういえば何気ない日々の暮らしの中で私たち夫婦が食べているものは、自分たちは質素と思っているけれど結構贅沢なものを食べていると改めて思い知らされました。

 妻は「お父さん、私の料理は少し火を通し過ぎかしら。だって肉はまるで生、野菜だってほら人参も大根もスティック風にしているけど全て生だもの」と、随分気付かされたようでした。そういえば妻の料理は確かに火を通し過ぎです。肉などは焼き過ぎてまるで噛み切れないほど脂分がなくなっているのです。

 いよいよ最後のデザートが運ばれてきました。ウエイトレスのお嬢さんが、「奥さまの誕生日だと伺っていました。おめでとうございます。当店からのささやかなプレゼントです」とカーネーションを一本ラッピングして私に手渡し、「ご主人さまから奥さまにどうぞ」と手渡されました。デザートのお皿にはチョコレートで「ハッピーバーズデー」と書かれていました。予期せぬお店の気配りに妻はうろたえている様子でしたが、私は言われるまま妻にカーネーションを渡してやりました。息子夫婦と孫希心と私、それにウエイトレスの小さな拍手が起こりました。隣の席の人もつられて拍手をしてくれました。妻にとっては先日わが家で子どもたちが開いてくれたささやかなパーティに続いての感激で、忘れられない誕生日となったようです。

 「誕生日の食事なんて仰々しい」と出かける前に言っていた妻も、帰りの車の中でいたくしんみりした様子で感激に浸っていました。昨日はいい一日でした。

  

  「
おめでとう いきなり言われ 戸惑って 紅潮気味の 妻に花束?」

  「運ばれし デザート皿に ハッピーと チョコで英文字 嬉恥ずかし」

  「無農薬 野菜が出るが わが家では 毎日食べて 当たり前です」

  「生野菜 生肉食べて 少し変 わが家の料理 調理し過ぎだ」


 

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shin-1さんの日記

○秋はそこまで

 「地上の暑さと海の暑さは約1か月の開きがある」という言葉を聞いたことがありますが、残暑を感じる昼の暑さも30度を下回るようになって残暑もようやく峠を越し、朝夕はすっかり秋らしくなってきました。しかし海水温度は相変わらず高いままで、網にかかってせっかく水揚げされた魚が生け簀の中で死んで困ると漁師さんたちがぼやいていました。魚は生きていると高い値段がつくものの海水温度が高いと酸素が欠乏して死ぬのです。生きた魚が死ぬと「あがり」と称するレッテルが張られ半値どころかタダ同然に安く買い叩かれてしまうのでう。

 先日もハモが死んで「あがり」となったので、売っても金にならないから取りに来いというので、親類の漁師さん宅まで貰いに行きました。他の魚と違ってハモは小骨が多く、骨切りしないと食べられないため、誰にでもあげることができないのです。幸い私は元漁師だけあってハモの骨切りはあまり上手くはないながらできるのです。そのハモは夏が旬で骨切りしたハモは小分けにして冷凍保存し湯ざらしにして時折楽しんでいます。

 今朝は地元の有線放送で漁協から、「ハマチがあがったため安く販売するので希望者は集まれ」と放送がありました。私たちの地方ではハマチは秋の魚で、東の風が吹き始めないと獲れない魚ですが、今年は一足早く獲れたようで、早速買い求め知人友人に配りました。魚が上がるとは魚が水揚げされたことの意味ですが、漁師言葉であがりは死んだ魚のことを意味します。

 秋といえば私たちの町では昔からイワシが獲れ、それを釜ゆでして煮干しに加工します。夏の水温の高い時期のイワシは脂がのり過ぎて煮干しには不向きといわれていますので、水温の下がる頃の秋煮干しは保存に最適なため、各方面から注文が多いのです。

 先日煮干し加工に携わっている妻の友人女性から、贈り物として最適の煮干ができたと連絡がありました。この時期わが家では全国の仲間に煮干しを送って喜ばれています。でも煮干しを食べないご家庭に送ると、とんでもないちぐはぐが起こります。

 わが家ではないのですが、地元の漁師さんが秋獲れの最上級煮干しを東京の方に送ったそうです。数日してその方からご丁重なお礼状が舞い込みました。達筆な字はいかにも東京人らしいと感心したものの、「送っていただいた煮干しはうちのタマちゃんが大変喜んで食べました」と感謝の言葉が書かれていました。今でこそドックフードやキャッッフードが出回っていますが、当時猫の餌は煮干が多かったようで、つまり「タマちゃん」とはその家で飼っている猫のことだったようです。

 昨日郵便局を通じて送った煮干しは早くもそれぞれのご家庭に届いたらしく、メールや電話でお礼のメッセージが届いてるようです。

 さて海沿いの町の空いっぱいに間もなくイワシ雲が広がり、秋本番を迎えます。田んぼの畦には真っ赤な彼岸花も咲き始めました。昨晩は中秋の名月とかでまん丸い月が雨が近いせいかぼんやり霞んで見えました。今日は朝から久しぶりの雨です。台風の影響でしょうが水不足に悩む松山地方ではまとまった恵みの雨が期待できそうでホッしています。

  「海からの 贈り物なる 送り物 届きましたと さっそく電話」

  「イワシ獲れ ハマチ獲れたと 浜便り 間もなく空に イワシ雲湧く」

  「猫の餌 されはしないか 心配で それでも送る 世話になる人」

  「天然の ハマチの刺身 ユズ胡椒 これが意外と わが家じゃナウイ」

  

 

 

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shin-1さんの日記

○水の世界から土の世界へ

 人間は台風などの被害に遭うと、その被害に遭わないよう色々と知恵を出すものです。特に日本各地で行われてきた稲作は、6月に田植えをして10月に稲刈りをするという稲作文化が定着していました。ところが稲の生育過程には立春から数えて210日という厄日があって、毎年どこかの地域に台風が上陸して、全滅や壊滅の被害を被ってきたのです。その被害を少しでもなくそうと品種改良をした結果、超極早生の稲が誕生し、5月の連休に田植えをして8月末には刈り取るといった常識では考えられない稲作が日常的に行われるようになったのです。そこには俳句の世界で季語や季題として季節の移ろいを詠んだ世界は完全に否定されているのです。

 農家は真夏の色濃い残暑の中で稲刈りをするのですから額に汗して重労働を強いられます。早生品種のため遅手品種に収量的には敵いませんが、それでも台風に全てを持ち去られるよりましと、秋田小町やササニシキといった全国ブランドのお米が、まるで産地偽証のように何故か作られているのですから不思議と言えば不思議です。

 現代の農家はずいぶん楽になりました。稲作にも分業化が進み、苗育てはもう殆どの農家が育苗センターに注文をするようになりました。苗床を作り田んぼの中に椅子を置いて苗を引き抜いて束ね、田んぼのあちこちへばら撒く作業は見ようとしてもなく、自家で苗を育っても殆どが箱の中で育苗するのです。腰をかがめ定規に沿って並んで植えた田植えの風景はも昔のイメージでしかないのです。

 私たちの地域では山田が多いためそこまではいきませんが、大きな田んぼになると田植え機も稲刈り機も大型で、運動靴で乗車できて、泥土に汚れることはほとんどないのですから世の中は変わったものです。

 しかしこんな近代化の陰には機械貧乏といわれる過剰投資の苦悩があるようです。一日の田植えと一日の稲刈りのために立派な機械を購入し、後の一年は倉庫で眠るといった、誰が考えても可笑しいと思う光景や嘆き節が聞こえるのです。最近は30キロの米袋持てない高齢者も増えて、田んぼの横へトラックを置き、モミを直接這い出すコンバインが主流になりつつあるようです。

 水利権を主張しあれ程奪い合った水も人間は勝手なもので、水口を次々と閉ざして水路は干上がって水路に張りついて生きていた水生動植物は無残な姿をさらけ出しているようです。先日孫と二人で逃げ遅れたハヤを捕まえに行きましたが、逃げ場を失ったハヤの稚魚は網で面白いように捕れ、孫は興奮気味でした。

 田舎の田んぼは9月に入ると水の世界から土の世界に一変します。田んぼの中で賑やかに大合唱をしていたカエルたちは一体どこへ行ったのでしょう。彦生えの伸びた稲の切り株近くには、土に帰った田んぼを喜ぶようにコオロギやバッタが楽しそうに暮らしているのです。水の世界が土の世界になることで田舎の原風景を一変しました。稔りの秋ならぬ稔りの夏を終えると田んぼは来年の4月の田起こしまで深い眠りにつくのです。

  「黄金田が 早くも早苗 見まがうよう 彦生え青く 秋の来た知る」

  「水張りし 田んぼが土に 変身し カエルに変わり コオロギ鳴いて」

  「生き場所を 失いニナたち 仰向けに 人間様は わがのことしか」 

  「網すくう ハヤの子孫に 捕えられ 水槽延命 少しの間」

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○心に残る運動会

 大方の予想だと週末の今日は雨模様の天気予報でしたが、大型台風の行く手を高気圧の壁が覆っているようで、絶好の運動会日和となりました。先週は上灘中学校の運動会、今日は翠小学校と由並小学校の運動会と2週続けての運動会となりました。子どもも卒業し孫もまだ小学校にいないことから、運動会の見学は少々気が引けましたが、それでも上灘中学校と由並小学校の学校評議員をしているので、上灘中学校へ行ったこともあって由並へは行かなければならない義理があるのです。加えていつも何かと世話になっている翠小学校の運動会も見たくて、今日は小学校2校の運動会を梯子していまいました。

(由並小学校の広々とした運動会風景)
(子どもたちはみんな主役でした)

 9時過ぎにまず由並小学校へ出かけました。4人の子どもたちの母校なので違和感もなく入り、馴染みの人たちと会釈をしながら本部席まで行きました。案の定校門で「進ちゃん、誰の応援?」とか「孫の応援ですか?」と尋ねられましたが、「はいはい」と軽くいなして通り過ぎました。

 由並小学校は児童数100人そこそこの学校なので、応援も多く賑やかでしたが、それでも走るのは4人走が殆どでした。由並小学校では体の不自由な子どももしっかりと出番つくり、校長先生はじめみんなが温かい声援を送っていたのが印象的でした。

(翠小学校の木造校舎と万国旗は素敵でした
(トラックも外周も入退場門も杉の葉っぱで見事にディスプレイさえて、オンリーワンながら日本一でした)
(31人の子どもたちはみんなノビノビしていました)

 その後、宮栄公民館長さんと青木郵便局長さんに誘われ急な思いつきで、単車を走らせて翠小学校へ行きました。由並と比較すると三分の一の31人しかいない翠小学校はやはり狭い運動場も広く感じられましたが、入場門は子どもと先生とPTAの合作による恒例の杉の葉っぱを使って作られていました。またトラックも外周も杉の葉っぱが埋め込まれていて、日本のどこにもないここだけのオンリーワンがありました。校長先生にご無理をお願いして2階校長室の窓から写真を撮らせていただきましたが、実に見事な会場設営でした。子どもの数が少ない分をPTAや参観者がカバーしてアットホームな雰囲気が木造校舎の雰囲気とあいまって、いい運動会を見させていただきました。

 私がこれまで三年にわたって毎日ブログを書いていたパソコンがいよいよ寿命となり、原稿書きは既にこのパソコンになっていたのですが捨てきれず、延び延びになってましたが、思い切って今朝からこのパソコンに移動して書くことにしました。私のようなメカに疎い人間は本当は元の使い慣れたパソコンが一番なのですが、故障続きで息子や娘婿に迷惑をかけてしまうので、思いきって新調した次第です。今までのウインドウズXPに比べると進化しているはずのウインドウズVisutaは使い勝手が悪く、慣れるのに一苦労の感じがします。

 せっかく撮影したデジカメの写真も取り込むことができず、少し時間がかかりそうなおのです。「まあ仕方がないか」と自分に言い聞かせ、色々挑戦していますが、早く使いこなせるように努力したいと思っています。それでも新品だけのことはあって、立ち上がりは早いし、液晶画面のバックライトも明るくて、気分が楽になったような心境です。前機種はソニーでしたが、今回は東芝にしました。私のレベルを考えて娘婿がインターネットで購入してくれました。妻に無理を言って10万余りの出費をしてもらいましたが、年金暮らしの私ですので少々気が引けました。でもこれは私にとって大切な仕事道具えもあるのです。大事に使いたいと2本目の記事を書きながら思った次第です。

  追伸

  色々といじっていると、デジカメの写真が圧縮されブログに画像を取り込むことに成功しました。私も中々のものだと自己満足しています。

  「梯子する 小学校の 運動会 それぞれ個性 輝き増して」

  「不自由な 子どもも主役 隔てなく 思わず胸が ジーンと熱く」

  「杉の葉で 会場立派 オンリーワン 児童少ない 感じもせずに」

  「来年は 孫が入学 するものの 余所街ゆえに 少し寂しく」 


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shin-1さんの日記

○妻の誕生日

 わが妻の誕生日は昭和20年9月12日です。たった5分の見合いで結婚を決意してからずっと、9月12日は自分の誕生日10月3日とともに忘れたことはありません。その日が来るとささやかながら、妻に誕生日のプレゼントを欠かしたことがないのも私の自慢です。そのことが私の誕生日や子どもの誕生日に影響して、これもささやかながら妻は家族への誕生日のプレゼントを欠かさないのです。親父の誕生日、子供の誕生日に加えて娘や息子の連れ添いの誕生日、さらには孫の誕生日と増えつづける誕生日を、自分の誕生日さえ忘れるよな年代になっても、なお欠かさず祝っているのです。

 昨晩娘と息子の家族がやって来て、ささやかながら妻の誕生パーティーをしました。ショートケーイに毛が生えたような小さいフルーツバーズデーケーキが用意されローソクを5本立てました。妻の年齢は私より一つ下なので63歳なのですが、ケーキについているローソクが5本だったため、「若く見るのだからまあいいか」と省略してローソクに火をつけ電気を消しました。ローソクの光りは幻想的で、孫朋樹が「ハッピーバーズデーの歌を歌って妻はローソクの火を思いきり息を吹きかけて消しました。再び灯りがついてケーキを切り、おしゃべりが弾みました。


 孫二人は何が起きたのか分からず、電気が消えたり点いたりするので、怖くなって泣いたり笑ったりでした。

 私と妻は一つ違いですが正式には20日間同い年の日があるのです。若くありたいと願う妻にしてみれば、それを言うと少し不機嫌にないますが、年齢は如何ともし難い事実なのです。結婚して38年間もこうして健康にいられたのも元はといえば妻のお陰で、特に私の場合は内助の功は一筆啓上に出てくる妻以上だと心ではいつも感謝していますが、いざとなるとそんな気持ちを言葉にいい表すこともできず今日まで来ました。

 妻は八幡浜市の出身です。妻の両親は既に他界していますが兄が二人八幡浜に、妹が嫁ぎ先の長浜にそれぞれ住んでいます。今朝は妹を誘ってお墓参りに孫朋樹を連れて出かけました。病気がちの妹は車の運転ができないので、時々妻が誘っているようですが、姉妹水入りの束の間の一日を楽しんで来るよう送り出しました。

 私はまだおやじが健在です。兄弟姉妹5人のうち4人までもがふるさと双海町に住んでいます。妻に比べるとかなり幸せです。それでも妻は私の親父、兄弟姉妹と仲良く付き合い何の文句もいいようがないくらいです。

 53歳の誕生日を迎えたのを機に、長年パートで勤めている仕事もそろそろ辞めるよう話しましたが、察するに今仕事を辞めうと毎日が90歳になる親父の面倒を見るだけで終わりそうな気もするので、親父の自律の意味からももう少しだけ勤めさせてやりたいと思うこのごろです。

  「誕生日 迎えた妻の ローソクは 五本しかない ただそれだけで」

  「孫歌う ハッピーバーズデー 妻嬉し 五十三歳 私と同じ」

  「誕生日 嬉しいけれど 歳をとる 複雑気持ち 顔に現る」

  「わが妻は 美容院にて 髪染める 若さ回復 惚れ直したり」

 

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shin-1さんの日記

○訪ねてきた宗教普及者

 最近二人または三人男女連れで、何の前触れもなくチャイムを鳴らして訪ねて来る人がいます。身なりもきちんとしていて穏やかな物言いはセールスマンでもなく、宗教であるのに宗教臭くなく、先日もついつい引き込まれて話しを聞いてしまいました。「先日お邪魔した時、ご主人さんは熱心に私たちの話しを聞いていただいたので、関心があると思いやって来ました」というのです。「関心がありというより、あなたたちが熱心に話すから聞いただけです」といいましたが、とにかく読んでくださいということで、「エホバの王国告げ知らせるものみの塔」と「目覚めよ温暖化・地球の危機」という2冊の薄っぺらい本をいただきました。一方で地球の危機を訴え、ものみの塔では、もうすぐ良い時代がやって来るというのです。結局最後は集会に参加してお話を聞きませんかと誘う宗教の話でした。

 お話は概ね次の5つでした。

 ①聖書は将来について予告しています。その約束を信じることができるのは何故か、4つの理由をかんがえてみましょう。

 ②親は、聞いても答えようとしないしない十代の子どもにどう話しかけたらよいでしょうか。

 ③子どもが感謝の気持ちを表せるようになるため、親はどんなことができるでしょう。

 ④イエスは同胞のユダヤ人に宣え伝えたとき、神の名前を用いたでしょうか。

 ⑤「若い悪魔たち」と呼ばれるメキシコの不良グループの一員だった人が、生き方を大きく変えたのは何故でしょう。

 その答えは「ものみの塔」という本に書いてあるので読んで欲しいというのです。

 ①や④はキリスト教徒でもない私には興味がないので読むつもりはありませんでしたが、教育など煮た携わった経験のある私は、②、③、⑤について、本をいただいた方が帰ってから読んで見ました。

 書かれていることの解決策は聖書を読むことから始め、聖書の導くままに行動すれば何ごとも上手くいくというのです。聖書の存在は知っていても聖書を呼んだことすらない私には、いささか戸惑いますが、この2冊のキリスト教の手引書は中々よく出来ていて、もしこれが宗教でなかったらかなりの部分で共感できたと思うのです。

 日本人の宗教に対する考えはかなりいい加減で、仏式で葬式したり、教会で結婚式を挙げたり、新年には神社へ初詣に出かけてお祈りします。しかし外国の人が教会へ日曜礼拝するようなことを、菩提寺ですることはありません。近頃は仏壇や神棚さえない家庭が増えているのです。春や秋の彼岸にお墓参りする先祖の供養も滞りがちのようです。「朝に礼拝夕べに感謝」という言葉も仏壇屋のコマーシャルだと思っている若い人もいるのです。

 日本の世の乱れは宗教心を家庭で教えないからだと指摘する人もいますが、それが全てではないにしても

ある部分はそう感じるのです。仏壇にご飯やお茶を供え、線香やお光を手向け両手を合わせて先祖へ感謝の気持ちを表すことは、有形無形子どもの教育にも役に立つのです。

 宗教の話になると胡散臭い話が多いため敬遠しがちですが、ちょっとした機会をとらえ立ち止まって自分の生き方を考えてみるのも悪くはないようです。

  「ピンポーンと チャイムが鳴って 出てみれば キリスト教の 勧めお話」

  「なるほどと 聞き入る姿 興味あり 勘違いして 次もまた来る」

  「予言など いうから神は 信じれぬ 科学万能 今時古い」

  「信じれば ホントに幸せ なれるのか 努力なしでは 不可能思う」

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shin-1さんの日記

○日本はどうなっているの?

 議論すべき野党第一党の民主党が代表選挙も行わぬまま小沢さんを党首に選び、開かれていなはずの与党第一党である自民党が党首を選ぶのに5人も立候補するなんてと、前代未聞の茶番劇に首を傾げたくなる今日この頃です。民主党も口では国民生活第一といいながら、相変わらず政権奪取というシナリオで動き、国民など通行人程度の出番でセリフもなく、自分たちが政治の裏舞台から表舞台へ出ることしか考えていないようです。華々しく打ち上げている政策シナリオもお金の手立てなど、政権を取ったら考えるといった甘さが見え見えで、そのことを突かれる沈黙したり開き直おって相手のあら捜しをするようでは、第二党とはいえないようです。

 しかしこれと同じく呆れるのは自民党党首の交代劇です。衆参ねじれ現象に疲れた阿部、福田二人の首相は僅か一年の短命で、まるでリリーフピッヤーのような雲行きです。しかもそのリリーフさえ1イニングももたず、リリーフ失敗を隠すため民主党の投手選びにタイミングを合わせての辞任発表は、政治学者の話しを聞くまでもなく、私でさえそのシナリオの不味さを指摘できるのです。

 与党第一党の政党である自民党の総裁が選ばれれば、自動的に首相になる今の日本で、はてさて5人の中の本命と目される人が果してどんな政治をするのか、阿部、福田と同じようにサラブレッドとして蝶よ花よと失敗経験など殆ど指されるまま育てられた雲上人たちに、果して今の政治が出来るのか疑問だらけで、国民は総裁選と同じく、さて次の人はともう次の投手ならぬ党首の行方を予想しているようです。

 最近の新聞やテレビの傾向を見ると、年金や食の安全に関する話題が多く、一つ何かの問題が発生するとまるでイモヅルのように次から次へ問題が明るみに出て、その殆どが監視体制の甘さから問題を大きくしているように思えるのです。特に農林水産省の体たらくは目に余り、私たちの暮しに直接関わるだけに憤りさえ感じるのです。人数が足らないから検査ができないというのでしょうが、ウナギもお米も産地を偽証して儲けているのですから、警察の力を借りてしっかりとお仕置きしないと、倒産を繰り返して大きくなる理論は許せないのです。

 外米が検査で農薬に汚染されているのに農林水産省は何故在庫にするのでしょう。そんな汚れた米をそもそも輸入すること自体可笑しな話です。検査で汚染が確認されれば送り返えして引き取ってもらうことぐらい子どもが考えても分る話です。安い米を少しでも高く売りたいのは人間の常識でしょうが、それは安全な米にだけ与えられた競争の原理です。汚染の姿形も見えない汚染米を学校給食や病院給食に出されたらこれはもう殺人未遂です。

 間もなく始まり。間もなく終る自民党の総裁選の後の臨時国会は汚染米の責任問題が大きな焦点となり、解散総選挙へとシナリオは移って行くのでしょうが、農林水産大臣が自殺する過去のいきさつを考えれば大変な役柄です。

 折りしも解散総選挙を見越して、愛媛県内も候補者探しが本格化して、昨日まで地域づくりの世界で一緒に活動してきた人たちに白羽の矢が当たり、立候補を決意した旨のニュースが新聞やテレビで報道されるようになりました。サッカ-選手が代議士になり、キャスターが政治家先生になる時代ですが、なった瞬間から庶民の暮らしの場から姿を消して江戸に住み、選挙に時まるで参勤交代のようにちょこっとしか顔を見せない政治家は、どこか江戸時代に似ているような気もします。せめて徳川吉宗のように新さんと称して巷の問題を解決して欲しいものです。朝から政治の話しを引き合いに出して愚痴ってしまいました。

  「シナリオの どこに国民 出番ある 全てあなたの セリフばっかり」

  「日本の 何処か可笑しい 茶番劇 心開いて 笑えないのだ」

  「ああまたか 国会来る度 嫌になる 責任取らぬ 誰が責任」

  「国会も 相撲の世界 同レベル 米ドーピング 薄頭下げ」 

 

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shin-1さんの日記

○携帯電話のバッテリー充電を忘れて

 「追っかけられるようだから嫌」と最初はかたくなに拒んでいた携帯電話も、いつの間にか自分の分身のようになって、今では外出時他の物を忘れても携帯電話だけは忘れないようになり、いよいよ現代人の仲間入りと思いきや、今日人間牧場へ出かけ、草刈の前に10月6日のフィールドワーク授業を、10月5日に変更すべくその予定を学生たちに知らすべく電話をかけ始めました。こうしたハプニングのために4班の班長さんの電話番号をメモしていて、順番に4人に電話をかけたのですが、夜更し・朝寝坊型の学生たちは誰も電話に出ず、結局つながりませんでした。お昼にもう一度と思って電話を諦め草を刈り始めました。するとポケットで電話のバイブレーター体を伝い、高速エンジン音で聞き取れないのでエンジンを停止させ受電しました。それも終わりエンジンをかけて草を刈り始めるとまた電話です。ところが三番目にかかってきた電話の途中でバッテリーの電源切れの表示が出て、結局は使えなんくなってしまいました。仕方がないと諦めて草刈りに専念し、大体の目鼻がついたので4時前に今日の作業を切り上げました。

 そういえばこのところ充電器に差し込むのを忘れていたようだと深く反省しました。私の携帯電話は他の人のようなカメラつきでもなく、いわゆるおじいちゃんやおばあちゃんが持っている、いわゆるシンプル・ザ・ベストの携帯電話です。先日老人クラブの研修会に招かれて講演をした際、参加した殆どの高齢者が私の携帯電話と同じ機種であることに驚き、お年寄りには大変喜ばれましたが、仲間からは「えっ、若松さんの携帯電話、お年寄り用ですよね。やーだ」と詰られました。「くそっ」と思いましたが反論も出来ないので、「私は前々期高齢者です」とおどけて見せましたが、この携帯電話の何処が「やーだ」なのでしょう。これこそお年寄りや私を侮辱していると思いましたが、口に出して反論はしませんでした。

 私にとって携帯電話は今はなくてはならない道具になりました。私に絶えず同行し、時には「ご主人様、お電話でございます」と音やバイブで知らせ、電話に出れないときは電話の相手の電話番号をメモをして見えるようにしているのです。また最近はメールも受信して妻以上に私の仕事の一番のパートナーとなっているのです。

 パートナーとして使用料というお給料を親会社に毎月一回私の貯金通帳から、有無を言わさず持って行くのです。ところがパートナーの相棒である私は絶大な信頼関係にあるにも関わらず、電源であるバッテリーに食べ物を与えることなく携帯電話の心臓を止めてしまったのです。

 しかし携帯の命は人間と違って一度エネルギーが切れても、また充電すれば元通りに回復するのですから不思議です。人間は一度死ねば生き返らないのにです・・・・・。

 夕方充電器に差込充電しましたが、見事に復旧し夕方から使えるようになりました。

  「電源が 不足と知らず 通話する 俺は間抜けだ それも知らずに」

  「相棒に なって何年 経ったかな 今じゃ私の 秘書のようです」

  「携帯に かかる電話の 忙しさ 草刈り途中 電話に出んわ」

  「便利だね まるで事務所を 持ち歩き 出かけた場所で 仕事テキパキ」 

 

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shin-1さんの日記

○限界集落に住む人の話

 2ヶ月に1回のペースで開いている限界集落の勉強会が昨晩唐川コミュニティセンターでありました。私の町からも都合で行けなくなった3名を除いて5名が参加しました。唐川といえば昔からビワの産地として知られていますが、国道56号線から枝分かれした県道も国道と見紛うほど2車線の道として立派に整備されていて、わが家からでも20分そこそこで到着しました。私はこの場所で開かれた高齢者の研修会に参加したことがあって、場所は知っていましたが、久しぶりの山里の景色を同乗させていただいた木曽さんと楽しみました。伊予市の中心市街地から少し離れているこちらでも、かつてはこの場所に小学校があったのですが、今は統合廃校になっていて、跡地をコミセンや老人福祉施設などに利用しているのです。

 限界集落の勉強会は得てして限界集落の人を棚に上げた話が多いのですが、今回は唐川の更に山奥の鵜崎という集落に住む日野さんという若い女性が問題提起の発表をしてくれました。日野さんは市場の郵便局に勤めているそうですが、この話があるまで自分が限界集落に住んでいることすら感じていない元気はつらつな女性でした。彼女は一枚のメモを用意して理路整然と話しをしてくれました。

 1、鵜崎(うのさき)という地域 

 伊予市と砥部町との境で標高885メートルの障子山の麓に位置していて夏は涼しく冬は時に雪景色も楽しめる、伊予市の森川の源流域にある地域です。行政区域境に位置していて砥部町にも鵜崎という同じ地名の地域があって、昔は一緒だったようですが町村合併などによって三つの鵜崎が分断されたようです。背後に谷上山をのある伊予市街地の中ではさらに奥まった場所なのです。現在戸数は4戸だそうです。地域には空き家が何軒もありますが、使わなくなってかなりの年月が経っているため、再利用は不可能なようです。一度訪ねてみようと思っています。

 2、交通手段、3買い物

 バス停までは2キロありますが便数も少ないようです。たまに福祉バスを利用している人もいますが、殆どは家族の自家用車に頼って暮らしています。地域に商店はなく市内や隣の砥部町へ出かけた時にまとめ買いをしているため、多少の不便はあってもそんなに不自由はないようです。市内に家族や兄弟が住んでいてその人たちを頼って暮らしています。

 4、高齢化、5、道路管理、6、農地管理

 住民の殆どが80歳以上です。夫婦の世帯が2軒、女性と子どもの世帯が2軒で力仕事などは思うように出来ず、農道、林道等の補強や草刈りなど共同作業、村普請などが難しく、かつては梨の産地として栄えた姿は完全に消えて、農地も荒れるに任せてススキやカズラが覆いつくされているようです。家の周りの畑の管理くらいしか出来ず、少し離れた田畑は放棄され、家族が休みの時に草刈りをしているようです。

 7、集会所

 集会所がありますが雨漏りして6年前くらいから使えない状態で、集会所としての機能が発揮できないようです。集落の集会は全然なく各々の家がかなり離れているため、集落機能は皆無といった状態です。まさかの時の避難場所は4キロ下になっているため、避難場所へ避難することすら出来ないようです。

 8、病気

 今日病人が出た時は日中は車の運転が出来る人がいないため、命を落す可能性も心配されています。市内へは20分かかるので、救急車も間に合わないかも知れません。農作業中倒れても多分誰も気付かないそうです。

 日野さんの発表の後座談会が持たれました。限界集落の問題は①自分たちの力ではどうにもならないことと、行政や政治に救いを求めて解決する、②自分たちの内なる力に加え、外なる力を加えて現状維持するか再生を

図るという二つの方法があるようです。残念ながら鵜崎集落の再生は不可能に近い状態ゆえに、①の政治への救いを述べる人が多かったようですが、今の政治にそれだけの力はなく、政治や行政に求めて傍観するだけでは何の解決にもならないのです。

 限界集落の問題は②以外に解決できないと私は思っています。昨晩の話の救いは日野さんが明るくこの土地でこれからも生きてゆくと宣言したことでした。嬉しいことです。4回目にしてやっと新しい希望が見えてきました。

私たちはまだ勉強会ですが、勉強しながらもうそろそろ支援の力を出さなければなりません。まさに行動なのです。せっかく始まった勉強会の出番が少し近づいたような感じでした。

  「限界と いう集落に 住む意識 せずに明るく 生きてる立派」

  「責任を 論ずるだけで 終るなら いとも簡単 だから悩んで」

  「暇見つけ 鵜崎集落 訪ねたい 見ずして語る 愚かなるかも」

  「私には 縁も縁も ないけれど このまま朽ちる 見過ごす出来ぬ」 

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shin-1さんの日記

○いい時代は来ない・いい時代にする

 私の友人に多芸な人がいます。文章が書けて絵も書けるのですから、文章はともかく絵の下手な私としては何とも羨ましい限りです。その方から時々絵手紙が届きますが、その絵に添えて書いている文章が憎らしいほど上手い文章で、時には詩や短歌、替え歌など書かれた文字にハッとすることがあります。

 私もそうですが、相手に書いたハガキなどはいちいちどんなことを書いたか覚えているものではありません。多分彼もそのハガキのことなど忘れているのでしょうが、私はそのハガキを大切に木になるカバンに忍ばせて持ち歩いているのです。そのハガキは定形外と称する一回り大きなハガキで90円の切手が貼られています。判読しづらい消印は平成13・1・4の消印が押されていますのでもう7年も前のハガキです。私が書いた自著本「昇る夕日でまちづくり」を読まれた、司馬遼太郎作「龍馬がゆく」の編集者から手紙が届いた旨のことが書かれていました。「~前略~何ごとも押し進める人ありてこそ実現するんですね。理論も行動も一致しているところがすごい。233頁の・・・・見せられた・・・・」の誤植は残念。しかしいい本ができました。~後略~」と書かれています。

 表には私の名前と差出人の名前が書いた下に絵が書いてあり「いい時代は来ない。いい時代にする。動け動かせ21世紀」と墨字で書いていました。

 なるほどとうなずきながら、このハガキを講演の折どれ程の聴衆に見せながら読んで聞かせ、その考えを伝えたことでしょう。確かに今の時代は地域間格差、業種格差が広がり、合併後の閉塞感は目を覆うばかりです。多分バブル期のようないい時代は待っていても来ないのです。だとしたら自分が動いていい時代にするよう頑張らなければなりません。このハガキが届いて既に7年が経ちましたが、激しく揺れ動く時代の流れに翻弄されながら、私は自身を見失うことなく生きてきたつもりですし、それなりに目標を持って進化していると思うのですが、周りの人の中には相変わらず社会や政治が悪いとうそぶいて人にその責任を転嫁しているのです。

 昨日その友人から電話がかかってきました。彼が書いたコラム記事が誰かの文章に似ていると投書があったというのです。私も読みましたが別におかしい所はないように見受けられました。まあ著作権のうるさい時代ですから、知識人の読む人が見たらそうなのかも知れません。文章を書く場合引用先をきちんと書くのは常識でしょうが、小説や大切な文章ならいざ知らず取るに足らないほどの(失礼)コラムに目くじらを立てるのは如何なものかと、私自身は思いました。結局そのことが原因で連載のコラムから、責任と取るという形で降板されて決着がついたようです。

 私も時々本を引用しますが、その都度注意はしているものの、記憶で書くと無知がゆえに、著作権に抵触するのではないかと思われるすれすれまで近付いたことも過去にはあったようです。でも雑誌のエッセイなどは読み流し情報なので、これを引用したかどうかは書きづらいところがあるのです。

 新聞や雑誌に掲載された謝罪やお詫びのコメントを見る度に、世の中の難しさと、著作者の権利と、それを侵害されたと訴えられた人たちの水面下での心の葛藤を垣間見るのです。私は物書きではありませんが文章に人の名前を使う場合があります。厳密にはこれも個人情報ですから、いちいち相手に許可を得なければ仕えないのです。言葉で人の話しをしても余程のことがない限り叱られませんが、文章は文字として残るだけに責任の重さを感じて書かなければならないようです。

 降板した友人のことを思いながら、彼から7年も前に届いたハガキを読み返す今日この頃です。

  「この文は あれに似てると 指摘あり 責任降板 何もそこまで?」

  「著作権 立派な権利と 認めつつ 心得て書く 今日から俺も」

  「エッセイで 誹謗中傷 するでなく 表現似てる これも著作か」

  「いい時代 来ないがやる気 持ったなら いい時代にする 事ならできる」

  


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