shin-1さんの日記

○内子町大瀬へ行きました

 私の町はあの全国的に有名な内子町と境を接しています。ゆえに私たちの町へは内子町出身の方が海見たさに?沢山嫁いで来ているのです。また石畳は昔下灘村の一部分だったこともあり、歴史文化においてかなり深い関係にあるのです。内子町から見ると双海町は裏側ですが、私たちの町から見ると内子町は裏側に位置する町なのです。今日は内子町社会福祉協議会大瀬分会の招きで作家大江健三郎さんの故郷大瀬まで行きました。

(会場いっぱいの参加者の皆さん)

 第29回老人大学での講演には大勢の高齢者が参加して賑やかな集会となりました。この会合には今期限りで勇退を決めている河内町長さんとかつて助役を務めていた小川社協会長さん、それに顔なじみの安川自治センター館長さんも出席してそれぞれ祝辞を述べられました。特に河内町長さんとは久しぶりにお会いし懐かしい会話を交わしました。

(今期でご勇退される河内町長さんのあいさつ)

 さて私の話は「心豊かに生きる」という演題でした。内子町へはもう何度も講演に来ているし、私の顔もお馴染なのですが、それでも役目がら楽しい話に終始して無事終わりました。

 大瀬への道は久万の大宝寺や岩屋寺へと続く遍路道なので、そこここで歩き遍路の人を何人も見かけました。さしずめ今晩の宿は久万高原町辺りでしょうが木々の葉っぱも紅葉し始め、柿の実の色付きが山里の秋の風情を醸していました。

 大瀬といえば民宿を営む森長さんご夫妻や元公民館長だった大森さん、道の駅からりに勤めていた森本さんご夫妻、お寺の奥さん仙井さん、一緒にコープえひめ理事をしている稲本のことを思い出します。また大野ヶ原モゥーモゥー塾で知り合い私との交友が「恵ちゃん15歳の夏」という全国放送にもなった恵ちゃんの故郷でもあって思い出多い土地なのです。そんなこんなの人たちの顔を浮かべながら大瀬でした。

 途中休憩のために立ち寄った道の駅からりでは偶然にも野田文子さんとばったり、そして沖野さんにも出会って再会を喜びました。行く先々多くの知り人ができて、その人たちと交友を温めることができて本当に幸せ者だと思いました。

 今日は月曜日のため大学で講義の日です。大瀬や道の駅を後にした私は、双海へは帰らず、中山町を通って直接愛媛大学へ向かいました。昔は山のの中の遠い土地だと思っていた大瀬から1時間半も走れば大学です。大学に近い平和通りの銀杏並木も少し色づき始め山から里へ紅葉前線もやっと移動しつつあるようです。大学の構内にあるケヤキも少しづつは尾を落とし始めていていました。

 今日はこの秋始めての北西の季節風が軽めに吹きましたが、いよいよ寒い晩秋から冬の季節がやってきます。風邪などひかぬよう元気で忙しい11月を乗り切りたいと思っています。

 今日は家に帰る前私の携帯電話に妻から連絡が入りました。傷んだ洗濯機が無事治ったとのことです。電気屋さんを通じて保証期間の修理ということで、技術者がわが家までわざわざ直しに来てくれたのだそうです。しかも無料で直してくれるのですからこんなうれしいことはないと、久しぶりに弾んだ声でした。覚悟していた洗濯機の買い替えのための費用はさてどこへ消えるのでしょうか。

  「西東 あちらこちらと 今日もまた 出歩き話す 遊び感覚」

  「お父さん 洗濯機故障 治ったと 弾んだ声で 妻は喜ぶ」

  「山里の 柿の実熟れて 秋深く モズの鳴き声 遠く近くで」

  「あの人は 今はどうして おわすやら 見覚えのある 家並み過して」  

 

 

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shin-1さんの日記

○新聞スクラップ

 年に何回かは休刊日があるものの、殆ど毎日休むことなく送り届けられて来る新聞を見ながら、一定の法則に従って情報を集めているとはいえ、よく枯渇しないものだと感心します。まあ地球上に、世界中に、そして日本中にこれほどの人類が住んでいるのですから、古くなった情報もあれば新しく生まれる情報もあるので、当然といえば当然かも知れませんが私たちは新聞のお陰で共通の話題を共有できるのですから有難い話です。

 私は朝食を食べながら新聞を大広げに広げて読みますが、都会の人はあの狭い電車の中で新聞をきちんと折りたたみ、人の迷惑のかからないように読んでいるのを見て感心したことが何度かあります。先日東京へ行った折山手線の電車に乗りましたが、その方はまず新聞の真ん中にずれないように何かを差し込んでいるようでした。見ず知らずの人間ながら興味があったので声をかけ、見せてもらうとまるで胸ポケットに差し込むペンシルのような専用の小道後でした。早い話が割っていない未使用割り箸のようなものなのです。気が付いて辺りを見渡すと、何人か新聞の真ん中にその部をはさんでいる人がいました。こうすると新聞がずれずに読めるのだそうです。その人たちは新聞を縦長半分に折り○でページを開くようにして器用に読んでいるのです。ここにも都会ならではの工夫があるようでした、私も見習って持っていたボールペンを真ん中に突き刺して読んでみましたが、これもちょっとしたアイデアでした。私が声をかけたその方は電車から降りる折、私にその小道具を手渡し、「2本持っているので差し上げる」と言って電車を降りて行きました。余程私が田舎者の珍しがり屋に見えたのでしょう。

 私はもう30年間も新聞のスクラップをやっています。スクラップといっても、ただ双海町に関係する記事を丹念に切り抜いて大きな段ボール箱に入れる作業だけなのです。かつてはそれらをスクラップブックにノリで張ったり、フォルダーに入れたりしていましたが、忙しい日々の中でそんな時間的余裕もなく、ついついそのうち族になって段ボール入りになりました。

 私はいつの日かこれらのスクラップ記事にいくつかを、人間牧場の木の壁いっぱいに張り付けたいと思っています。というのもわが家を新築するにあたって古い家を取り壊した時、古い破れた襖を海岸に運び焼却する折、襖紙の裏張りに戦後間もない古い新聞が何枚も貼り合わせたて出てきたのを思い出したからなのです。襖には襖絵というのがありますが、襖にスクラップした新聞を張るのは面白いという発想がいつも頭を離れないのです。どうせこの話をすれば人間牧場の設計をしてくれた息子は「そんな汚いことをするな」と絶対反対するでしょう。せっかく木目を基調にした素敵な空間を設計しているのですから言われても仕方がないのです。

 息子が子どものころ私が古民家風の「煙会所」という茶室を作りました。淀屋壁という古風な壁をこだわって塗りましたが、気に入っていたその壁に息子は大胆にも割りばしでドラえもんの絵を書いてしまったのです。一番目につく場所だったので、私は激怒し息子を叱りました。上塗りせねばと思いつつ30年の時が過ぎました。今もその絵は描かれたままなのですが、恥の上塗りという言葉のとおりこの絵を消さなかったことを今は内心喜んでいます。同じようなことを考える親子だと今は苦笑しています。

 早いもので今年も後2ヶ月となりました。今年切り抜いた新聞や、掲載された雑誌の溜まり具合を見るにつけ、今年も沢山のスクラップをすたものだと感心しています。これらの行き場所が段ボールでは余りにも知恵がなさ過ぎます。何とか日の目を見せたいものです。例えば整理をして「新聞スクラップから見た双海町の盛衰なんて看板を掲げ、ロビー展でもしたら面白いかも知れないとふと思いました。「そうだ、やろう」。

  「また今年 新聞切り抜き 山のよう いつか日の目を 思うが箱に」

  「親子さえ こうも考え 違うのか 思いつ切った 新聞張る夢」

  「切り抜いた 記事読みながら 懐かしく 時の流れの 早さしみじみ」

  「懐かしむ 歳になったか 後ろ見りゃ 過ぎた日々方 前より長く」

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shin-1さんの日記

○洗濯機の故障

 わが家の洗濯機は働き者で、毎日文句も言わず容量7キロのお腹いっぱいに洗濯物を入れられて働きに働いていたのです。そんな洗濯機の重労働にも一切耳を貸さなかったせいでしょうか、一昨日から言うことを聞かなくなりました。本来なら近くの電気屋さんに見てもらうのですが、痛んだのが土曜日のしかも地元の電気屋さんが休んでいる夜の時間帯だったので、私が在宅の間に何とかしようと三年前に買ったという伊予市の電気屋さんへ、トラックの荷台に積み込んで走りました。私たち夫婦のような素人考えだとドライバーで洗濯機の裏側を開けて直せばすぐ直ると思うのですが、現在の洗濯機はコンピューターが組み込まれていて、そんなに簡単に治るわけはないのです。閉店間際の電気屋さんは私たちが持参した洗濯機を見ようとも降ろそうともせず、いきなり「いつ頃買われましたか?」と三ざまな項目について質問するのです。もう3年も前の出来事なので一緒に行った妻は余り覚えていなかったようですが、店員さんは洗濯機の機種と私の住所や名前をパソコンに入力し始めました。すると画面にそのデーターが出て、「これはまだ保証期間が残っていますのでタダで治ります」というのです。私たち夫婦は「エッ本当、ウソー」てな調子で驚きました。聞けば電源を入れるとエラー番号が表示されるそうで、結局はその洗濯機を降ろすこともなく暗い夜道を引き返しました。

 昨日の芋掘りで腰に少し張りが出ているにも関わらず、私と妻は洗濯機をエッチラオッチラ運び入れ、電源を入れると電気屋の店員さんが言うとおりR6というエラー表示が出ました。早速メモして明日にでも電話連絡しなければならないと二人で話し合いその日の作業は一段落しました。

 今日は日曜日、遠出を計画していたのに、大洲市田処への帰り道パンクに見舞われたタイヤの修理交換もできてなく、加えて朝から雨のぱらつくあいにくの天候であきらめ、洗濯物を積んで伊予市のコインランドリーへ行きました。9時だというのにランドリーは混んでいて、若いお母さんたちが化粧もせずスッピンで、しかも寝間着のような格好で洗濯をしていました。自宅で洗わず乾燥機のあるランドリーで洗濯する今様な暮しを垣間見ました。私と妻もドラムに洗濯物を放り込んで洗濯している間に近くのフジへ、先日土砂降りの中でパンク修理した折汚れた背広をクリーニングに出しに行きました。急いで引き返し選択の終わった衣類を籠に入れ乾燥機に入れようとしましたが、順番待ちの状態だったので諦めて帰りました。

 洗濯機が修理できるかどうか、また治ったとしても治るまでにはまだ4日間ぐらいはかかるようですので、もう一度くらいはランドリーのお世話にならなければならないかも知れませんが、便利な世の中になったものです。しかし一方でお金の要る時代になりました。私は古い人間ですから洗濯にお金が要るなんて想像もつきませんでした。一方で洗濯という毎日やっている妻の仕事や自動で動く洗濯機がいかほどの仕事をしているか知る由もなく暮らしていたのです。

 洗濯機の故障は炊事・洗濯・掃除という毎日やっている妻の仕事量を、今一度立ち止まって考える良い機会となりました。ブログ上での妻に内緒の話ですが、少し優しくしてやりたいとも思った次第です。

  「何気なく 毎日使う 洗濯機 妻も同じで 傷むものかと」

  「洗濯に わざわざ隣 町へ行く ランドリーなど わが町になく」

  「三年の 保証期間で 無料です 店員どこか 神々しく見ゆ」

  「妻財布 紐が緩まず ホッとする 治って欲しい 祈るのみです」

 

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shin-1さんの日記

○いい湯だな?

 昨日は芋掘りに集まった子どもたちに足湯のサービスをしてやりたいと、人間牧場のロケーション風呂を沸かしました。子どもの対応で薪を焚く時間的余裕がないので、ボイラーに火を入れ給湯し始めました。すると一番組がやってきて私を呼ぶので、気になりながら風呂屋を出ました。そのうち皆さんが集まってすっかり風呂を沸かしていることを忘れてしまったのです。やはり忘れ状が良いのは歳のせいでしょうか。それでも途中で気がついて風呂を見てみると、危機一髪丁度良いくらいの8分目まで溜まっていたのですが、残念なるかな最高の温度設定にしていたため、熱くて入れないのです。仕方がないので風呂の蓋を開けたままで自然に冷ますことにしました。

 しかしこの日は作業車の到着が遅れたこともあって全ての日程が20分遅れのスタートとなってしまいました。結局子どももボランティアの人もお湯を使わず帰ってしまったのです。子どもは芋植えの時足湯のサービスをしてやったのでいいとしても、ボランティアスタッフの人の中には足湯を楽しみにしていた人もいて、残念至極なのです。

 皆さんが潮が引いたように帰って行ったそこら辺を掃除し、焼き芋に使った焚火の始末をしたり、苗床の芋ツルを片づけたりして少し汗をかいていたこともあって、私は一人ロケ風呂を楽しむことにしました。お湯を沸かしてから3時間余りたっているのにお湯はまだ少し熱めでしたので水で温めて入りました。贅沢にも満タンのお湯はオーバーフローして気持ちよく溢れ出ました。暖簾を出し全ての戸を開けっ広げにしての温泉三昧とはこれまた風流でぜいたくな話です。

 私は持ち込んだカメラのシャッターを自働にして何枚か自作自演のポーズで写真を撮りました。中には少しモザイクをかけなければならない卑猥なポーズもあって、これは私だけのDVDに収めました。若い女性が体の綺麗な若い時期にヌード写真を撮っておくという話を聞きましたが、初老の私の写真など何の意味もないのでしょうが、まあそれは凄い写真ができました。ご要望者にはお見せしますので申し込んでください。タダです(笑い)。私はこれまでデジカメを使って相当な量の写真を撮ってきましたが、デジカメの自動シャッターを自分で使ったのは初めてだし、ましてや自分の入浴シーンを撮るなんて悪趣味も度が過ぎるようで、話すと妻にしかられました。

 何年か前ロケーション風呂ができた時息子が私と孫の入浴写真を撮影してくれましたので、ブログに載せましたが、今回もそうしたいと思っています。

 風呂に入って思いきり汗を出し、裸でデッキに座りました。眼下には豊田漁港が、また遠くには瀬戸内海の島々がまるで墨絵のように美しく見えました。このロケーションを独り占めし、しかも素っ裸で見るのですから気分爽快です。時折吹きこむ心地よい秋の風が火照った体を優しくなでながら通り過ぎて行き、まさに至福の時を一人楽しみました。温泉に行く以外はカラスの行水と妻が言うように私は早風呂なのですが、この日は20分も出たり入ったりしました。お陰さまで体の芯まで温まりポカポカでした。

 せっかく作ったロケーション風呂なのでこれからは折にふれもっともっと利用したいと思っています。

 その後風呂や脱衣場の掃除を念入りにしてお湯を抜き、トイレの掃除をして全てをチェック、鍵をかけて人間牧場を後にしました。

  「いい湯だな ひとり風呂入る 秋の昼 自働シャッター 我を写しぬ」

  「湯冷ましに 生まれたままの 裸にて デッキ座りて 海島眺む」

  「こんなにも 痩せているのか 写真見て 少し肥えねば 反省しきり」

  「モザイクを かけたくなるよな 写真あり これは困った ・・・・・・・・・」

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shin-1さんの日記

○一ぷく亭で一服

 昨日はえひめ地域づくり研究会議の運営員会がえひめ地域政策研究センターであり、出かけましたが、途中伊予商工会議所の徳本商業協同組合理事長さんに頼まれて一ぷく亭という商店街の空き店舗を利用した立ち寄り所に立ち寄りました。そこで10時半から12時まで四方山話をしてほしいというのです。テーマも決めず、「元気の出る話をして下さい」ということなので、まあいいかと何の準備もなく話しました。多分同じ市内とはいいながら双海町という過疎地に住んでいる田舎者の話なので、冷やかしにでも行こうかと、一ぷく亭の運営委員さんが10人余り集まってきました。途中で来た人もいて結果的には15人くらいになったのですが、私にとっても少し寄り道しての気楽な気持ちで話をさせてもらいました。

 だいたいこんな小さな集会に来る人ですから黙って座っていれば時間が過ぎるだろうと思っての参加が多いのを見透かして、まず最初に一人ひとことどんな話が聞きたいか聞いてみました。最初はドギマギしていましたがしゃべりだしたら止まらない人たちですから、それなりにポイントを掴んで話してくれました。

 商店街の女性が殆どなので商店街の現状や将来への不安が圧倒的に多かったし、一ぷく亭の運営についての質問や、楽しい話が聞きたいという漠然としたものまで様々でした。もうこれでこの集会は成功したと思いました。というのも話したがらない割には何も言えなかったと帰ってからブツブツいうのが女性ですから、短い発言にせよしっかりと自分の主張が述べれたのです。

 まず一ぷく亭の運営についてはもっと楽しく、美しく、新しいことをすればいいと助言をしました。そのためには一人が他の人を一人連れてくることです。これをネズミ算というのですが、私は感動の法則と不快感の法則があるように思うのです。感動は1人が感動すれば7人に5人に2人にと増えかけ合わせると70人に伝わるのです。一方不快感の法則は一人の不快感が10人に7人に3人に伝わり、かけ合わせると210人に伝わるのです。

 私はこの方法でシーサイド公園に年間55万人もの観光客を呼び寄せました。そして風評被害をまき散らす人を利用する、つまり風評被害の外敵を風評効果にする味方にしてしまったのです。もっと楽しいことを見せびらかして情報発信しなければならないと話しました。

 もう一つ大切なことは経済理論です。儲けにならないことは余り楽しくなく、ましてはボランティア精神だけで長続きするものではありません。上灘漁協女性部の人が何故長続きするか、それは経済の原則がはっきりしているからです。年間6千万円もの売り上げがあるから安心して働け、安心して組織が強固なのです。そのためにも情報受信もさることながら情報発信ができるようにすべきだと思いました。

 「そんなことは、言われなくても分かっている」といわれそうですが、あっという間に終わった1時間半の時間にはたして私のメッセージは心に響いたかどうか、次回も既にセットされているので、こんな話を聞きに果たして来るかどうか、吉と出るか凶と出るかまるでおみくじのようなものです。次回も私は楽しみにしています。

  「奉仕する 人の顔々 何となく 仏に似たり 慈悲笑み浮かべ」

  「化粧など 高い金出し しなくても 笑顔十分 タダなのですよ」

  「お話を している姿 窓越しに 覗いて通る 道行く女性」

  「世の中は 不思議なものよ 知らぬ人 たった一度で 百年友に」 


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shin-1さんの日記

○人間牧場で芋端会議

 食物の成長は早いといっても、昨年12月に落ち葉を拾い集めて土づくりを始めてからもう10ヶ月が経ちました。その間種芋を伏せてビニールで被覆し、種芋から芽を出させました。その芋ツルを5月24日に植えつけ、草引きなどをした結果の収穫ですから気の遠くなるような作業でなのです。その間イノシシに3分の1を食べられ、網囲いの修復作業でどうにか3分の2を守っての芋掘りなのです。正直いって今年は疲れて気をもみましたが、子どもの明るい笑顔を見るとその疲れも吹っ飛んでしまいました。 

 長期予報によると今日は雨でしたが、天気の回復が予想以上に早く今日は曇っていたものの雨も降らずまずまずの天気です。子どもたちは8時30分に支所前に集合して人間牧場を目指しました。私は風呂の準備もあるので軽四トラックに乗って一人で一足先に到着です。水平線の家の戸を開け、ロケ風呂にお湯を張るためボイラーのスイッチを入れお湯を出しました。その間掃除をしたり片づけたり結構忙しく動きました。そのうち子どもたちの歓声が聞こえ、ボランティアの人たちとともに下山してきました。ところが作業の道具一式を積んで早めに出たはずの車が道に迷ったのか中々到着せず、作業に取り掛かることができないのです。仕方なく開会式を行い、時間つなぎの意味もあって私の講話となりました。

 子どもたちにとって芋はただの作物でしょうが、私は戦後の混乱期に育ったため芋は常食で、嫌というほど食べました。また芋を作る農作業の手助けも随分させられました。家の床の下には芋つぼという芋を保存する室があって、モミガラを入れたその薄暗い所に入って芋を取り出した記憶もあるのです。また芋のツルは料理の仕方によっては美味しいのですが、砂糖も醤油も砂不足の時代ですからそんなに美味しいとは思いませんでした。今日はその話を体験してもらうため芋のツルを使った料理を一品加えることにしました。

 やがて私の話が終わるころ道具を積んだ車が到着し、いよいよ芋掘りに挑戦です。張り巡らせていたイノシシ囲いの網を取り除き芋ツルを切って行きました。そして自分が植えたと思われる場所を陣取って手スコップで芋に傷をつけないよう掘って行くのです。田舎の子どもはかなり逞しく芋を掘り当ててはあちこちから大きな歓声が聞こえていました。

 イノシシの被害に遭ったため昨年より収穫量は減りましたが、それでもかなりい芋ができていて、その芋を焼き芋、芋の天ぷら、イモケンピにすることにしました。洗った芋をアルミホイルで包んで焼く焼き芋班、芋を輪切りにして衣をつけて油で揚げる天ぷら班、芋を短冊状に切って素揚げし砂糖でからめる芋ケンピ班に分かれクッキングをしました。


 今年の芋は鳴門金時の「里むすめ」という品種でした。油で揚げると濃い黄色に変色し、ミネラル豊富というだけあって、つまみ食いしましたがとても美味しい品種でした。料理が終わりウッドデッキで班毎に芋づくしの昼食を食べましたが、まあ子どもの食欲は旺盛で、用意した焼き芋、芋ケンピ、てんぷらを殆どペろりたいらげてしまいました。そのため残念ながら今年は種芋を確保することはできませんでしたが、また来年は来年の風が吹くのかも知れません。おすそ分けの芋を少しだけ貰い人間牧場を後に帰って行きました。

  「イノシシに 食われ残った 芋を掘る それでも豊作 子どもに笑顔」

  「焼き芋と 芋の天ぷら 芋ケンピ 芋しか食べぬ 昼食楽し」

  「来年も 必ず来ると 手を振って 牧場去りし 子ども見送る」

  「里むすめ 優良品種 だけあって 美味いのなんの 子ども完食」

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shin-1さんの日記

○虹をつかんだ男

 「虹をつかんだ男」なんてタイトルをつけると、何か格好良く聞こえますが、私は子どもの頃から虹が大好きで、虹を見た日は何か良いことが起こりそうな気分になるのです。多分それは子どものころに読んだ「虹をつかんだ男」という本の影響ではないかと思うのです。もう昔のことなのでその本の詳しい内容は忘れましたが、いつも遊んでばかりいる野良な男がある日草原に寝そべってウトウトしていると、空に綺麗な虹がかかったのです。男は夢の中にかかった虹とも知らずその美しさにすっかり見とれてしまいました。その時夢の中に一人の老人が出てきて、「虹の根元に宝物が埋まっている」と言いました。やがて夢から覚めた彼は老人の言葉を信じて、毎日虹が出た根元をどんどん掘って行きました。いつの間にか男の周りの草原に、は鍬で掘った広くて立派な畑が出来上がり、その畑に沢山の小麦や野菜や果物が実り、お金持ちの百姓になっていたのです。ある日のこと再びあの老人が男の夢の中に出てきて、「宝物は額に汗して働きさえすれば土の中から生えてくる」といいました。男ははたと気が付き、それからは一生懸命働いて、近郷近在一の立派な庄屋さんになって幸せに過ごしました。

 一昨日、私は軽四トラックで下灘に向かって走りました。その帰り道下灘駅のすぐ下でこの時期としては珍しい虹を見たのです。路側帯に車を止め、車のガラス戸を開けて虹の写真を撮りました。残念ながら私の肉眼で見える実物ほど写真は綺麗に写りませんでしたが、それでも初めて虹を写真に撮りました。

(青島の横に見えた綺麗な虹の架け橋)

 日本でいちばん海に近かった下灘駅の下という、場所が場所だっただけにふと昔のことを思い出しました。私は私が読んだ本の主人公のような野良な人間ではありませんが、この駅のベンチでフーテンの寅さん(下灘駅は山田洋次監督の寅さんシリーズ・殿様と寅次郎の舞台となった)も寝そべって夢を見ていましたし、私もこの駅のプラットホームで夕焼けコンサートをすることを夢見ていたのです。寅さんは夢から覚めて大洲へ旅立ちましたが、私は夢を現実のものとして実施してそれが出世作となり、後の夕日によるまちづくりへと発展していったのです。それはまさに「虹をつかんだ男」という形容がぴったりだと、改めて思ったのです。やがてその虹はものの2~3分で次第に薄くなり消えてゆきましたが、すっかり虹に見とれて我に返りましたが虹はいいものです。

 虹には不思議な魅力があります。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫と7つの色が見事に表現されるのです。太陽の光が霧や水蒸気、水滴に乱反射して見える、実像ながら人間の目の錯覚なのですが、何とも言えない淡い色合いは私にとって理想の色なのです。レインボーなどと表現されますが、東京の連ボーブリッジや、虹に見立てたレインボープランなど様々な代名詞として使われているようです。

 再び「虹をつかんだ男」になるためには、何がしかの夢を見なければなりません。64歳になって夢も希望もしぼんでいますが、気力も体力も充実しているこの時に、夢よ再びと奮い立って頑張りたいと思い、虹に一人ささやかな夢を誓いました。

  「夢つかむ 男になって 夕日をも つかんだ俺は 幸せ者だ」

  「寅さんの 夢は鞍馬の 天狗なり 夢から覚めて 大きなあくび」

  「七色の 虹はどうして こんなにも 俺の心を ときめかせるか」

  「もう一度 虹に誓って 夢つかむ 男なりたい 密かに思う」

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shin-1さんの日記

○思わぬハプニング

昨夕は大洲市柳沢田処の地域づくり講演会に招かれ、妻と二人で出かけました。田処といえば西田和子さんや亀本幸三さんがいて、知人友人も沢山いるため、お言葉に甘えての夫婦二人連れでの参加となりました。時折激しく降る雨に中を朝ヶ峠を越えて行きました。曲がりくねった道の苦手な妻は車に酔ってしまい、運転すれば酔わないため法師という集落の手前で妻と運転を交代しました。

(子どももいて会場いっぱいの参加者)

 会場には少し早く来られ、夕食を食べてから始めるとの案内だったので、控室で芋炊きとお寿司、それに酢の物を御馳走になりました。手の込んだ手づくりの料理はどれも美味しく、二人で舌づつみを打ちました。背後の黒板には西田和子さんが書いたであろう私たち二人を歓迎する文字が大書され、何とも面映ゆい感じでした。

 やがて予定通り7時半に講演会は始まりましたが、子どもも含めると100人を超える盛況ぶりで、改めて田処地区の地域づくりに対する思いの深さと実力を見せつけられました。特に小学生6人という小規模な田処小学校の生徒や中学生が全員参加して前の席を陣取り、熱い視線を最後まで送ってくれて感激の面持ちでした。また公演の最後には花束までいただき嬉しい限りです。

(ハーモニカを吹く私)

 終了後は私たちも参加して懇親交流会が持たれましたが、私も長い間地域づくりにかかわり、この地域の人とも交流をしているため、殆どの人が顔見知りで驚きました。

 「明日の朝が早いからと、10時にはお暇をし、再び元来た道を妻と二人で帰ったまでは良かったのです。ところが内子町への枝分かれ道付近で車を走行中何やら少し大きなショックを受けたのです。所々に落石注意という看板があるくらいですから、落石に乗り上げた衝撃だろうと運転を続けていると、今度は車が左右に揺れだしました。一瞬「パンクだな」と思い、路側帯に車を寄せ、降りしきる雨の中を傘を差して降りて見ると案の定右前輪の空気が抜けていました。

 それからです。この車になって初めてのパンクとあって、何をどうして良いのか分からず、とりあえず妻に傘を差させ、トランクからスペアタイヤとジャッキを取り出しタイヤ交換の準備をしました。懐中電灯も手袋もましてや作業服もなく、ずぶ濡れになりながら孤軍奮闘しました。しかし残念ながら暗闇のためヘッドライトの明るさだけではジャッキを何処へ固定すればよいのか見当もつかず、思案にくれました。タイヤパンクのタイヤ交換もできないのかと、妻んに思われたくない一心がより焦りの心を誘発しましたが、結局ずぶ濡れになっただけでタイヤの交換は不発に終わりました。

 妻は「お父さんJAFに加入しているので電話してみようか」と寝ている娘に電話をかけ、JAFを呼び出しました。「加入会であることの確認や、居場所の確認、所要時間などを携帯電話で話し、予想される到着時間が約1時間後と約束しました。妻も少し濡れていてずぶ濡れの私と二人暖房を入れた車内で1時間も不安な時を過ごしました。先ほど花束を貰った時の余韻はどこかに消えて吹き飛びました。

 やがて12時過ぎJAFの車が到着し、手慣れた手つきでタイヤを外し、空気の抜けたスペアタイヤに空気を入れ、12時40分すべての作業を終えて帰路に着いたのです。思わぬハプニングでしたが、妻の機転とJAFの協力により、そして結果的には骨折り損のくたびれ儲けだった役立たずな私の苦労で、田舎の山道から脱出することができました。

 一張羅な背広もズボンも雨と泥と油でぐしゃぐしゃですが、クリーニングすれば元に戻ります。またタイヤも今朝近所の修理工場へ修理に運びました。思わぬハプニングは思わぬ私の醜態と思わぬ妻の冷静さという副産物に気づいて一夜の物語となって終結したのです。妻は少し寝不足、少し風邪気味、私はいたって健康な朝を迎えました。

  「花束を 貰ったまでは 良かったが 人生そんなに 甘くはないな」

  「パンクさえ 対応できない 駄目亭主 妻の目線が 少し気がかり」

  「JAF呼んで JAFが来てくれ JAF直す JAFは神様 JAFのおかげで」

  「携帯と 妻の機転で 脱出す 風呂に入れる 幸せ噛みしめ」


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○山里に同級生を訪ねる

 今朝妻から、「お魚が少しあるんだけど中野さん宅へ届けてくれない!」と頼まれました。中野さんとは旧姓徳山貞子さんのことです。中野さんは双海町松尾地区の出身で私と中学校の同級生なのです。東京オリンピックのあった年にひと山越えた大洲市柳沢田処の中野博樹さんの元へ嫁がれました。結婚してもう45年が過ぎている計算になります。彼女は大洲市柳沢地区公民館の嘱託職員として10年余り勤務していましたが、その折地域づくりの拠点だった柳沢地区公民館にちょくちょく出かけていたため、深い仲ならぬ集団での深い付き合いが始まり、今も家族ぐるみで知り合いなのです。

 私は彼女の家には2度ばかり行ったのですが、残念ながら夜ばかりでその場所を覚えていないのです。そこで家の電話番号を調べて電話し、在宅かどうか、家への侵入場所はどの辺だったか大まか聞きました。そして出発したのです。下灘から国道378号を左に曲がって大洲・内子線の曲がりくねった見慣れた県道を走りました。そして双海町と大洲市の境にある朝ヶ峠を超えました。峠を超えてもしばらくの間は伊予市分ですが、やがて彼女の説明にあった東境という地区名の看板がありました。どことなく見覚えのあるような風景を見ながら東集会所辺りで携帯電話を入れると彼女が出て、お堂や銀杏の木など目に見える目標物をさらに細かく教えてもらい、すんなり到着です。

(庭にそれは見事なケイトウの花が真っ赤に咲いていました)

 彼女の家は雲海が見えるような急峻な高地にありました。私たちの町の人はこいった場所を「空」と呼んでいて、「空」という表現がぴったりだと思いました。家では彼女と姑さんが温かく迎えてくれました。「まあお茶でも」と勧められるままに家に上がって雑談に講じました。姑さんの息子さんとは顔見知りなので親子のそっくりな風貌に感心しましたが、今日は私の町はお祭りなので、神輿がやってくるから早く帰るよう妻から言われていたのでお茶を飲み干し、早々にお暇しました。お土産にクリやユズ、梅干し、ヒシオ味噌など沢山の産品までいただきました。(そういえば何年か前、大分県大山町の緒方さんから「梅干しの主張全国大会」という変わったイベントに梅干しを出品するよう、頼まれて中野貞子さんに送ってもらった経緯があるのです。

(田処の地域に溶け込んで、すっかり田舎のおばさんになっている旧姓徳山貞子さんと、仲睦まじい嫁ぎ先中野の姑さんをカメラに収めました)

 私が訪ねた時は雨も小ぶりでしたが、分かれ道に下りると、かなり強い雨が降り出しました。わかれ道の看板は合併していない時のまま「双海」という表示が残っていて時の流れを感じながらも、双海という知名で生きた時代が長かったため少しだけ嬉しいような気分になりました。

(双海という地名がまだ残っている大洲市田処にかかっている看板)

 雨に煙る山里はもう秋たけなわで、ウルシの葉っぱが赤みを帯び、ケヤキも心なしか黄色く見えました。私の通った路線も昼間は殆ど通行量もなく、下まで降りる間に3台しか車に出会いませんでした。

 聞けば田処の小学校も児童が激減、し間もなく廃校だそうです。中学校は学力の保証をしなければならないので統合はやむを得ませんが、私の持論は「小学校は歩いて行ける距離」が理想だと思うのです。でも金がないことを理由に自治体は合併し、その検証もしないまま今度はいよいよ悲しいかな学校の統廃合です。学校がなくなれば地域がさびれる、これは当たり前の理論ですが、最早反対する馬力もなく社会の荒波に飲み込まれようとしているのです。日本の政治の貧困さに憤りすら覚えるのです。

 私は今夕再び々道を走って麓の田処にある活性化センターへ講演に行く予定です。今晩はそんな悲喜こもごもを話そうと思っています。雨で足元が悪いゆえ、しかも夜間午後7時30分からの講演会とあって果たして人が集まるかどうか心配していますが、夜の集会に向けてご案内いただいた妻と二人、間もなく出かける予定です。

  「懐かしき 同窓の友 嫁いでる 山の向こうに 秋を訪ねて」

  「看板に 今はもうない 地名見ゆ 少し嬉しく 少し寂しく」

  「山里に 燃えて咲きたる 赤い花 夏の名残りか 一際綺麗」

  「この川の 水はいずこに 流れ行く 延々海へ 水を集めて」

 

 

 

昨晩の集会のお誘いが

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shin-1さんの日記

○3つのデジタルこぼれ話

 ①FAXが届かない!

 私の家のFAXは電話と併用番号です。3年まで不具合が見つかり買い換えました。その折は娘の家のFAXと2台セットで買ったためかなり安く買い求めることができたのですが、そのFAXもカーボンの調子が悪く読みづらい上、時々プリントされた用紙を巻き込んでしまうのです。2ヶ月前だったと思いますが電話がかからないと友人から苦情が寄せられました。色々いじくりましたが残念ながら治らず、NTTの故障が刈りに電話をして調べてもらいましたが、結果的には受話器の故障と分かりました。しかし3年前に買い換えた時NTTの機種ではなかったため、NTTでは直らないとけんもほろろでした。仕方がないので修理にきた下請けの技術者と相談してNTTの機種を買い求めることにして、新しいのが来るまで代用電話を取り付けてもらいました。

 そのうち新品の電話兼FAXは順調に作動し、相手から送られてくる文章も以前にもまして鮮明で、4万円も出した値打ちはあると妻も私も納得していました。ところが私が送るFAX文章が相手に届かないと、再三再四連絡が入り始めました。私への情報は主にパソコンを使っているのですが、相手がFAXを指定するとそれで対応しなければならないためまたひと騒動です。結果的には以前のFAXは原稿入力が裏向き、今度のFAXは表向きの違いだったのです。折しも青年の船の班長会を松山で開くべく準備をしていた時でもあって、多くの方からブーイングのお叱りを受けました。「若松さん、あなたもやっぱりアナログ人間でメカに弱いのね」とは友人女性の弁、要らぬところで恥をかいてしまいました。

 ②パソコンがつながらない!

 私のパソコンが不具合になったのは今年の正月ころからでした。ブログが書けなくなったり、Eメールが入りづらくなくなったのです。パソコンから悲鳴ともとれる異音が聞こえ、まるで病気に侵された人の終焉を見る思いでした。パソコンが故障すると一番困るのは記憶させている情報が消えることです。悶々の日々の中で結局は妻を説得し13万円を臨時出費してもらい、娘婿に頼んで私の程度に合わせたTOSHIBAのdynabookというパソコンを購入したのです。私にとってWindowsXPはかけがえのないものだっただけに、機種の変更はとても不安でした。初めて使うWindowsVistaは使い勝手が悪いと思いつつ使って2ヶ月になりますが、結構手に馴れてきたようです。古いパソコンの情報は廃棄せざるを得ないと諦めていましたが、娘婿がやってきて古いパソコンと新しいパソコンを並べ、半日がかりで全ての情報を移動入力してくれたのです。傍で見ていた私は右往左往するばかりでしたが、余りの手際の良さに感心したり嬉しくなったりでした。その折パソコン回線の入力コードを古いパソコンから新しいパソコンにつなぎ忘れ、メールが入らないと苦情が届き散々でした。アナログ人間の私にはまだまだパソコンやデジタルは未知の世界のようです。

 ③デジタルカメラが写らない!

 私が初めてデジタルカメラを使ったのは教育長に就任した今から5年も前のでした。地域振興課の職員やシーサイドの関係者が役場を退職する私にプレゼントしてくれたのです。その時はフィルムを入れることもなく写るデジカメを、「なんて便利な物だろう」と感心したものでした。しかしその使い方が中々分からず、特にパソコンに取り込んだり、それを送ったり縮小してブログに使くことなどは想像以上に気をもみましたが、今では何のこともなく使っているのですから不思議な話です。そのカメラも故障して、息子がさらに良い性能のデジカメをプレゼントしてくれたので、今は修理をしたものの書棚の隅でひっそりと眠っているのです。でもこのカメラは私にとって大切な記念品なので大事にしたいと思っています。

  「FAXも デジタルカメラも パソコンも 私にゃ少し 重いお荷物」

  「不具合が 起こった時に どうするか 訳も分からず 右往左往し」

  「裏表 間違い送る FAXに 相手は俺を 幼稚と悟る」

  「妻機嫌 故障の度に 悪くなる 臨時出費も そろそろ限界」

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