shin-1さんの日記

○農地の借り手が見つかるかも知れません

 わが家には家の傍の家庭菜園と人間牧場以外にもう一ヶ所農地がありますが、母親が亡くなる前から手入れが行き届かなくて荒れたままになっていて、心を痛めていました。景観は人間牧場と同じく港が見えるなどすこぶる良く、人間牧場構想の候補地に挙げたほどなのです。4年前リタイアした折農地として利用しようと全ての草や木を取り除いたものの、その後忙しくて放置したため放任園となっていました。

 昨日今治へ講演に行く途中、ミツバチの師匠である野村の井上登さんからミツバチ分封の嬉しい知らせが携帯であって、何としても昨日中に確認したいと思い始めました。その時ピンときて顔を思い出したのは砥部町で自動車修理工場を営む稲葉さんでした。彼は少しばかりの農業を営む夢を持っていて、再三農地を探す相談を受けていました。これまでにも候補地を買いたいので見てほしいと同行したりしましたが、売り主と折り合いがつかず頓挫していました。先日宇和町明間の佐藤さんたちと交流した際に久しぶりに出会いましたが、まだ農地が見つかっていないようだったのです。「そうだ私の農園を使ってもらったら」と思い立ち稲葉さんに出先から電話を入れました。「午後6時に家に帰る予定。ミツバチの分封を見に行く予定。ついでにわが農地を見たらどうか」と誘ったのです

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(農地から見える下灘豊田漁港の眺望は人間牧場と同じ位置に見えます)

 私が自宅へ着いたのは午後6時に10分前でした。稲葉さんはあいなしにわが家へ見えられ稲葉さんの運転する車に乗って目的地へ出かけました。急がないと日が暮れると思いつつ現場に到着し鎌を片手に農地を見て回りました。

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(草に覆われた農地)

 草茂る中へ分け入りましたが、思ったほど密林にはなっていなくて、草を刈れば直ぐにでも農地に復元できるような雰囲気に稲葉さんは興奮気味で、早くも「ここへこんなものを植えたい」などと抱負を言いながらすっかり気に入った様子でした。他人の農地との境目を確認するように歩き現地説明を終えましたが、「農地は売らないので無償・無期限・無条件」という約束で検討するよう話をまとめました。稲葉さんは早速にでも取り掛かりたいと意気込んでいたようですが、妻から「お父さん、稲葉さんに押し付けたら人間関係が壊れるから駄目よ」と釘を刺されていたので、一晩二晩冷静になって考えてみるようお話をしました。


 稲葉さんは人間牧場の水平線の家が新築したとき、水平線の家の清掃作業に携わってくれた人です。また水平線の家の囲炉裏に敷く木灰をわざわざ砥部焼の窯元から譲り受けて運んでくれた恩人なのです。ひょんなことから知り合いとなり、お互いの息子の結婚式に出席したり、私の車の修理を頼むなど私的な人間関係が続いていますが、親父とも懇意にしてもらっているのです。

 稲葉さんと夕闇せまる人間牧場へ上がりました。井上さんから一報を受けたミツバチの分封を確認するためです。ミツバチは夕暮れ時とあって入口にたむろして羽を休めていました。第三の巣箱であるツリーハウス傍の巣箱にも沢山のミツバチが確認されました。第二の巣箱は井上さんの言うように勢力が弱く今後の成り行きが心配されていますが、第三の巣箱は楽しみが増えました。農地の耕作といい、ミツバチの分封といい人間牧場周辺は面白い話題がどんどん増えて、また新しい動きが始まりそうです。

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(分封が確認されミツバチが羽を休める第三の巣箱)

  「荒れ農地 借主できる かも知れぬ 無償・無期限 無条件」

  「分封の 知らせ嬉しく 牧場へ ミツバチ羽を 休めて眠る」

  「またひとつ 楽しみ増える 初夏のころ 人も仕事も 愛に集まる」

  「面白い こともある世を ことさらに もっと楽しく 心次第で」

 


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shin-1さんの日記

○「講演料はいかほど」とよく聞かれます

 私の所へ講演の依頼がある人の中には、講演の打ち合わせが終わってから言いにくそうに、「所で若松さん」と話しが続くのです。「実はお金がないので誠に申し訳ありませんが~」と講演料を口に出すのです。その度に私は「そちらの都合もおありでしょうからいいですよ」と提示した意見に耳を傾けるのです。だって講演の内容を詰めてから「そんない安いのだったら駄目です」なんて言ったら、それこそ破談になって両方が気まずい思いをするからです。私は社会教育や福祉、それに地域づくりに関する団体やグループの台所事情をよく知っているので、こちらの主張などできないのです。「私の話でも聞いてやろうという人たちがいる」と思うと、銭金でなくボランティアの心が頭を持ち上げるのです。「お米一俵で講演してほしい」という現物支給や、旅費の足しにもならないような場所へでも喜んで馳せ参じる心は、リタイアしてからこの4年間、しっかりと心に生きづいているのです。

 よく聞かれる質問に、「講演料はいかほどでしょうか」と聞かれます。講演をする人たちの世界ではコンサルが介入して講師と講演を聞く側の間に入って講演料や講演条件などを全てマネジメントする場合が増えてきました。そんな場合はこちらの条件を求められるのでビジネスとして対応し、驚くことに時には見積書の提示まで求められるのです。

 私の友人たちで名前の売れている人の中には、一回の講演を50万とか10万とか決めている人がいます。教育や福祉、地域づくりの現場でそんな大金額を提示されるともうお手上げで、むしろその金額を提示した人に対して「あいつは金儲けでやっている」という悪評がはびこるのを何度も見たり聞いたりしてきました。確かに日本という国は講演などという形のないものに対して価値を測ることが下手で、お互い暗黙になり過ぎてトラブルの原因になることがしばしばです。私のような専門家でもない雑学な人間の話など値の付けようがないのです。私の話はむしろ講演をする私自身が「聞いてもらう」という、へりくだった感謝の気持ちで対応しているのです。

 さて私の話の値打ちはいかほどか、自分自身としてはこれまで社会教育や地域づくりの現場で得た論理を様々な場所で話し、それ相応の訓練をしてきたので、90分や2時間といった与えられた時間を飽きさせないようにする話芸は持っているつもりですが、それは話す私の値打ち感で、本当は聞いた人が値打ち感を感じなければ何の意味も値打もないのです。先日のように100人の学生たちに40歳も歳の離れた私が講演をした時などは、果たして私の話を受け入れてくれたかどうか、車を運転しながら帰り際に反省したり、多少不安になったりします。でも帰るなり感動のメールが幾つも届いたり、後日ハガキや来訪が相次ぐと、それこそ冥利に尽きて、世代を超えた付き合いへと交流の輪が広がるのです。

 青年団活動から身を起こし、社会教育やまちづくりの世界で腕をならぬ舌や話芸を磨いてきた私ですが、これからもしっかりと訓練して人々や地域の活性化にいささかなりとお役に立てるよう精進したいと思っています。


  「重さなく 長さ測れぬ 話芸にて なんぼと聞かれ そちら次第と」

  「俺値打ち 人様決める ものだから 良いと思えば それで良しとす」

  「金がない お米一俵 どうですか 言われ嬉しい 現物支給」

  「秘書もなく 自分で決める スケジュール 故に楽しい 講演旅行」 

 

 

 

 

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shin-1さんの日記

○老い先短い人生笑って生きて行きましょう

 わが家は長年地元紙といわれる愛媛新聞を取っています。別に理由はないのですがまちづくりに深く関わった仕事をしていると、どうしても県内のニュースが欲しいのです。確かに中央紙に比べると国内外のニュースは乏しいのですが、それをカバーできる県内のニュースが盛り沢山で、特にわが町が紹介されている記事はおびただしいもので、私のスクラップ歴は倉庫にしまっているだけでも相当な数になっていて、そのうちプレミアがつくのではないかと思われるのです。

 わが家には毎朝午前6時ころに新聞が届きます。新聞受けならぬ郵便受けに新聞が入る奇妙さですが、この時間は朝一本と決めているブログの書き込みが佳境に入っている時間なのです。新聞がポストに入る音がすると一旦パソコンの前を離れて新聞を取りに行きます。そしてざっと新聞に目を通し、再びブログ画面に戻るのです。

 そのうち妻が台所から「ご飯ですよ」と呼びに来て、食卓に新聞を広げ読みながら食事をするのです。「ご飯を食べながら新聞を読むのは止めて 」ともう何十回も注意をされましたが、癖は直らず今では妻も諦めているようです。一週間に一度文芸欄に川柳が出ます。投稿者の中には知人友人もいて、その度に「どこの誰々」と注釈をつけながら妻に読んで聞かせるのですが、今朝も松山市中島町の古野セキヱさんの句を読んで聞かせてやりました。古野さんの今朝の句は「ちぐはぐな 漫才をする 老いふたり」でした。確かに置いた二人に話は犬も食わないものが多くまるで漫才のようかも知れません。歳をとるとともに話題も頭髪・足腰ひざ・耳・目・歯などの衰えや食べ物・年金・孫・近所のうわさ話など、狭い範囲の話題やニュースに集中するようです。それでもそれを話題にして句を作り投句するとは粋な年の取り方です。

 早速久しぶりに古野さんに電話をかけました。電話口に出た古野さんは元気そうでした。句の批評をまるで評論家のように話しました。彼女もご主人も喜寿が近いようでした。お互いいきなり電話しても阿吽の呼吸で話せるのですから素晴らしいことなのです。

 「私は他は不足はないのだけれど脛が痛くてね」というから、「あんたは脛が悪くても顔がいいから、そのことを川柳にしたらどう」と話しました。「そう思っていても自分では顔がいいなんて言えません」というので、「脛悪い 顔がいいねと 人が言う」てなのどうかと、即興川柳を披露してあげました。「相変わらず楽しいねあんたは」と話は大笑いで終わりました。

 人生は色々と島倉千代子が歌っています。苦虫噛んで生きるのも一生、笑って楽しく生きるのも一生ですから、せいぜい笑って生きて行きたいものです。


  「川柳を 読んで聞かせて 妻笑う 友は人生 楽しく生きて」

  「ああ俺も あやかりたいと 思いつつ 笑売啖呵 四首 作りぬ」

  「元気かい 元気ですよと 跳ね返る 電話の向こう 今日も晴天」

  「人は皆 何か悩みを 持って生き 笑い飛ばせば 悩み吹っ飛ぶ」 


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shin-1さんの日記

○孫の誕生はまだかな

 昨日は長男の嫁の出産予定日でしたが、初産に引き続き今回も出産が遅れそうな雲行きです。嫁の実家も私たちも嫁の出産を心待ちにしているため、外から電話がかかれば「もしや?」と、電話がかかる度に一喜一憂しているのです。昨日は愛媛海区漁業調整委員会の委員をしているため、会議に出席するため愛媛県水産会館へ出かけましたが、途中息子の家に立ち寄りました。1年9ヶ月になる孫希心は出産が予定されているため、4月から近所の保育園に通わせていてあいにく留守で、嫁のあゆみさんが一人いました。

 息子も仕事に行っていたので久しぶりに二人水入らずで色々なことを話しました。出産のこと、子育てのこと、夫婦のこと、将来のことなどなどをしっかりと受け止めて暮らしている様子を聞いてひと安心しました。

 話の中では出ませんでしたが、やがて近い将来私たち親と双海町で同居する話が水面下で進んでいます。私たちは勿論91歳になる親父もそのことを望んでいて、親父からは「同居はいつごろから」と、老い先を考えてせかされていますが、息子と地にとってもそれ相当の覚悟と決断が必要なだけに、一つの目安として孫が小学校に入学する時期を選ぶことも考えているようです。

 息子は設計の仕事をしているので、2世代同居となると家の改造も考えなければならず、私たちが同居した時代とは随分考えを変えねば、お互いがいい家族の人間関係を保てないのです。妻は大家族の中で苦労してきただけにそのことに特に敏感で、息子や嫁の立場をしっかりと考えているようです。いずれにしても、孫の誕生を機にそろそろ同居の話を再燃させたいと思っています。

 昨日は実のところ、嫁あゆみさんの大きくなったお腹の姿を写真に撮りたくて伺ったのです。まるで大相撲の関取のような腹をしている妊婦に、「写真を撮らせて」といったら、例え親子でも「嫌よ」と拒否されるかも知れないとビクビクしながら切りだしました。「そういえば写真に撮ってなかったね。いいですよ」と簡単に応じてくれました。

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(堂々とした嫁あゆみさんの姿)

 どうです、この堂々とした姿。私はこの写真は大切にしておきたいと思うのです。というのもやがて生まれてくる孫が大きくなったら、「お母さんのこのお腹の中にお前がいたんだよ」、「お母さんはこうしてお前を産み育てたんだよ」と言ってやるための証拠写真にしたいのです。

 私たち人間はいつの間にか勝手にこの世の中に生まれてきたような錯覚をしていますが、人間が一人生まれるために母親はこんなに大きな仕事をしているのです。そのことを思うと母親に感謝しなければならないのです。「産んでくれと頼んだ訳でもない」と親をののしるような子どもにだけはなってほしくないのです。


 「大潮なのでもうそろそろ」と妻はいいます。人間は海から誕生した数奇な運命を持っています。そのため月の引力や潮の満ち引きなどは人間のバイオリズムを支配しているとまで言い切る学者もいるほどですが定かではありません。でもデーターだと大潮の出産事例が圧倒的に多いようだと授産師さんから聞いたことがあります。いずれにしても遅かれ早かれ生まれるのですが母子健康で孫が生まれることを心から願っています。


  「まだかいな 電話が入る その度に 一喜一憂 嫁の出産」

  「拒否もなく すんなり妊婦 写真撮る 大きくなったら 見せてやりたい」

  「同居する タイミング何時 親父聞く これはそったく 自分だけでは」

  「出産が 間近になって そわそわと 当の本人 意外冷静」

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shin-1さんの日記

○のんびり長閑に過ごしました

 昨日は母の日でした。一昨日次男が仕事から帰える途中わが家に立ち寄って、「母さん母の日だからお父さんと一緒に食事でもどう」と誘ってくれました。私は松山道後のにぎたつ会館で懇親会が始まる前に携帯が入ったものですから断ったのですが、母の日という一年に一度のことなので、にぎたつ会館で8時に落ち合い、お寿司屋さんとお風呂に付き合うことになりました。食事もにぎたつ会館で終えているし、長めの会議の後で疲れていたのでお風呂も気乗りがしませんでしたが、次男の好意に感謝しながらつきあいました。

 私には母と呼ぶ人はもう妻の母も私の母も他界しているのでいませんので、私の全ての面倒を見てくれる妻を母と思ってプレゼントを用意しました。プレゼントといってもそんなに大したものではなく、私の小遣いの中から少しのお金を白い封筒に入れ、「祝・母の日記念 若松繁子様へ 若松進一」と筆ペンで書いただけのシンプルなものです。先日5月5日は結婚記念日でした。その時も「祝・結婚記念日 若松繁子様へ 若松進一」でした。そんなに多くない私のへそくりの中から今月は2回も出費です。でもいいんです。このくらいですごく感激してくれる妻ですから金額の多少ではないのです。

 昨日は私の集落の灘町一丁目自治公民館が主催する恒例のウォーキング大会がありました。総勢100人が市役所支所から海岸国道を通って三島神社まで行き、長い階段を登り潮風ふれあい公園で昼食後解散するコースです。子ども日の行事と組み合わせているのですが毎年のことながら子どもの数が減って、高齢者の数が増えるような感じでした。

 近所に住んでいても車社会や忙しさにかまけて中々顔を合わせることもないので、楽しい世間話に花を咲かせながらのんびりと歩きました。

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 ゆったりとした歩道の横には近所の人が育てた色とりどりの花がいっぱい咲いて、爽やかでした。中にはゴミ袋を持って空き缶やたばこの吸い殻を拾って歩く感心な人もいて、公民館らしい催しとなりました。

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(三島神社の長い石段はかなりきつかったようです)

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 境内で一休みしながら三島神社のことについて、集まった子どもたちに少し私が説明をしてやりました。

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 普通神社の社殿の入口には狛犬が一対鎮座していますが、この三島神社は狛犬ならぬ狛亀なのです。こどたちに交じって私の話を聞いていた大人の中には「初めて知った」と興味深そうに見つめる人もいて嬉しい反応でした。一服休憩した後長い列はまるでアリのように潮風ふれあい公園まで歩き、ふれあいの館の中で公民館が用意した弁当を広げビールなどを飲みながら楽しく過ごしました。

 私にとっても久しぶりのウォーキングで昨日は携帯電話についている万歩計が1万5千歩も記録したようです。午後は外出先から帰った妻と居間で談笑しながら横になっているとついウトウトして、気がつけば体の上にちゃんと妻の配慮の毛布が被せられていて1時間ばかり昼寝を楽しみました。のんびり長閑な一日でした。


  「気がつけば 妻が配慮の 毛布あり のんびり長閑 昼寝楽しむ」

  「私には 母がないので 妻に母 ダブらせ少し お礼差し上げ」

  「同じ町 住んでも顔を 会わさずに 暮らしていると 顔が懐かし」

  「子の数が 減って老人 増えてきた 自分自身も 間もなく老人」 


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shin-1さんの日記

○水やりとブルーベリーの防鳥対策が心配です

 このところの好天による温度上昇は、地球温暖化を思わせるほど異常な上昇で、まだ5月半ばだというのに35度を越す真夏日気温を記録した所が相次いで、7月の気温だと報じていました。シーサイド公園に立ち寄ると、気の早い子どもたちや若者はズボンをまくしあげて水辺でぞぶったり、中には泳いでいる人もいてびっくりしました。泳ぐのはいいのですがシャワー施設もまだ稼働していないので、はてあの若者はどうするのだろうと、後先も見ず直情的に快楽を求める行動を少し心配しました。

 このところ雨が降らないため、せっかく植えた家庭菜園の野菜の苗類がこのままだと帰れてしまう恐れがあるので、親父と私は夕方陽が西に傾くとジョロに井戸の水を汲んで水やりをしています。親父は昨日から始まった大相撲をテレビ観戦するため午後6時までは休養なので、昨日の夕暮れ時は私が水をやりました。乾いた土はひび割れを起こしていて、植えているキウリ、ナス、トマト、ピーマン、オクラ、ニガウリ、カボチャ、トウモロコシ、ニンジンと順次水をかけて行くのです。こうしてたっぷり自家水をやれるのは、やはり家庭菜園が家のすぐそばにある特権でしょうが、近所のおばさんやおじさんは水をやることができず、今年はもう何本か枯れてしまったと嘆いていました。

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(ツルインゲンは竹垣に絡み始めました)

 私の水やりの最大の関心事は、むしろ野菜より今年から6鉢も増えたブルーベリーの鉢植えです。ブルーベリーは水はけを良くするような土壌に植えているため、水をやってもまるでザルのように一気に抜けてしまいます。したがってジョロなどでは間に合わずバケツ一杯の水を根元へ流し込むのです。水場から5唐メートル離れているため、バケツで運ぶのは少々骨が折れますが、花が受粉して実になる今がいと番大切な時期なので、しっかりと水をやって育てたいと思って昨日もたっぷりと水をやりました。

 早生系ブルーべりーの実は既に結実して青い実が鈴なりになっていますし、晩生系は花が満開にのもあるようです。昨年は一鉢でも夫婦二人で堪能するほどブルーベリーの実を摘んで食べましたので、今年は楽しみが5倍にもなったような気持です。

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(裏庭の成長著しいブルーベリーの鉢植え)

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(鈴なりに実をつけたブルーベリー)

 さて、こうしてブルーベリーの実が見えてくると、水やりもさることながら野鳥の被害が心配になってきました。昨年も味をしめた野鳥がやってきて、最後はお手上げのような状態でしたから、今年は何としても網を張らねばなりません。漁師さんから頂いている魚網は網目が大きいので役に立つかどうか心配です。やはり防鳥ネットを購入しなければならないかも知れません。防鳥ネットといえば人間牧場のキツツキ被害を思い出します。水平線の家やロケーション風呂の外壁にはキツツキの被害の後が無残にさらけ出されていますが、外壁に張った防鳥ネットで既に10羽以上のキツツキを捕獲しているのです。効果抜群の防鳥ネットですが、自然はの私としてはキツツキを捕獲するのは少々心が痛みますが、これも仕方がないことと割り切っているのです。

 防鳥ネットを張るのはやはり手先の器用な91歳の親父の手助けが必要です。この歳になってもまだ親父の力に頼るふがいない息子ですが、親父の生きがい対策だと思えば納得もできるのです。さあサンデー毎日の私もにわかに忙しくなってきました。


  「温暖化 思わすような 暑さにて 息も絶え絶え 菜園野菜」

  「井戸水を ジョロに注ぎ分け 頭から たっぷりかけて 涼しかりけり」

  「防鳥の 心配しつつ 水をやる 親父手助け この歳なっても」

  「井戸水が あるから菜園 助かって インゲンツルは 空に向かって」


 

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shin-1さんの日記

○熊本大学文学部徳野貞雄先生の講演会に参加

 昨日は松山市樽味の愛媛大学農学部で特別講演会があり出かけて行きました。「そういえば今日は土曜日か」とサンデー毎日的な生き方をしている私は、曜日の感覚も少しずつ消えようとしていることを実感しながら車を走らせました。昨日は大洲市では夏日を記録するなど気温がぐんぐん上がって、車内はクーラーを入れなければ暑く、クーラーの嫌いな私は窓をいっぱい開けて社外のさわやかな初夏の風を一杯入れながら走りました。

 午後1時からの入場なので、少し早目に出て娘のマンションに牛乳を届けに立ち寄りました。わが家では親父が一本私たち夫婦がそれぞれ1本の計3本牛乳を取っていますが、私たち夫婦の分はついつい冷蔵庫に溜まりがちで、昨日もクーラーバックに入れ孫たちのために持って行きました。

 土曜日なので娘婿も小学生の孫も休みのようで、久しぶりに家族揃っていました。まもなく2歳になる孫尚樹はとにかく元気で柔らかいボールをサッカーだといいながら室内で盛んに蹴って遊んでいました。この春1年生になった孫朋樹はやっと自転車に乗れるようになったようで、私にその姿を見せたいと可愛らしいヘルメット被りマンション近くの路上で早速お披露目です。まだ多少ぎこちない所もあありますが、スピードも出るしブレーキ操作も申し分ないのです。私と二人で特訓した成果でしょうが、孫は嬉しくて仕方がないようで、空地をぐるぐる回ったり八の字走行を練習しましたが、近所の道を一周して帰るなどもう自信満々のようでした。

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 農学部の授業は既に始まっていて、第一回目の授業は4月25日に実習林で開かれたため、農学部のキャンバスに顔を出すのは一ヵ月ぶりなのです。大講義室には学生やマネジメントスキルアップの社会人や先生たちなど100人以上の人が集まっていました。

 この日の講師は熊本大学文学部の徳野貞雄先生です。先生とはもう長い付き合いでわが町にも講演に来てもらっていますし、人間牧場オープン記念の逆手塾の折にも人間牧場へ来てもらっているので、馴染みが深いのです。昨日は農山漁村の地域再生を目指して、「農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ」という演題で、T型集落点検による農山村の地域づくりについて持論を聞きました。徳野先生の過激とも思える毒舌は有名で歯に衣を着せぬ語り口で1時間半の講演予定は延々3時間にも及びました。

 私などは先生のことを知っているので何ともありませんが、初めて聞いた方は度肝を抜かれたようで、次の予定のある方はそろり引き揚げる場面も見られたようです。

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(研究会での徳野先生)

 講演に続いて会場をにぎたつ会館に移し第2回農山漁村再生人材育成研究会が持たれました。徳野先生を囲んだ座談会で、ここでも一人一人の自己紹介について少し長めのコメントをいただきながら持論を聞きました。林学部長さんや泉副学長さんんも同席した重厚な会議でしたが、泉先生が総括したように徳野先生の提唱実践しているT型集落点検という手法は、学生が農家や現地で活動するのに最適な手法ではないかと実感しました。

 大幅に時間を押した講演会と研究会を終え会費による懇親の場が持たれましたが、私は午後8時に妻や次男と待ち合わせしていたので、先生と再会を約束して早々にお暇しました。

 めし茶碗一杯は約60グラム、米の原価は約12円、めしになると20円、おにぎりにしてコンビニで買うと105円、レストランでライスとして皿に盛られると250円、それにしても同じ米なのに農家の手取りは僅か米60キロが1万2千円です。これでは農家は生き残れないのが本当であるという話は印象に残りました。先生の話は会場で聞いた人だけの話にしないと意味がないので、あえてコメントはしませんので悪しからずご容赦ください。

  「毒舌も 愛嬌のある 容姿にて 笑いに変える これも人徳」

  「心ある 人は休みを 返上し 学びの場所に 顔出し学ぶ」

  「時間など 気にせず話す 人はいい 聞いてる人は 時計気になり」

  「ネクタイと 背広で出かけ 見てみたら 講師はラフな 普段着姿」

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shin-1さんの日記

○歳をとったら親父のように生きたい

 私たちの町では過疎化が進んで商店街がなくなり、生活に必要なものを地元でそろえることが年々難しくなってきています。特に食料品などは「近所のお店で買うもの」とばかり思っていましたが、つい最近はそのジンクスが破れて、まとめ買いは隣町のスーパー、ちょい買いは道の駅などで開かれている産直市に立ち寄って買うなど、随分変化してきました。それでも車に乗れる私たちはそんな消費行動ができるのですが、車に乗れなくなったお年寄りたちは、生活のバリエーションが年々狭められ将来への不安を抱えて暮らしているのが実態のようです。

 91歳になる親父は日曜大工のようなことが趣味で、家の庭には親父が日曜大工で作ったものが随所に見られるのですが、大工道具などは手入れをして使っているものの、釘やノコの替え刃といった小物類は時折私や息子が車の乗せて隣町のホームセンターへ連れて行き、一カ月に一回くらいショッピングをさせているのです。それでも必要なものは近所の金物屋さんに行って、「品数も少ないし少し高いようだ」とブツブツ文句を言いながら買い求めて用を足しているのです。

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 最近親父の住んでいる隠居の庭に飛びきり上等な選択干し場がお目見えしました。私に前もって相談はするのですが、相談といっても一方的な告知で、「洗濯物干し場がないので雨の日などは困るので、大工さんに頼んで作ってもらう」というのです。「そんな金の要ることはせず、今のままわが家の選択干し場を使ったらどうか」と勧めたのですが、「もう大工さんに頼んでしまった」と事後報告なのです。

 近所と言ってもわが家から5キロくらい離れた場所にその大工さんは住んでいますが、時点所に乗ってさっさと工事のお願いに行って、大工さんは私の了解と立ち会いのもと工事を始めたのです。その大工さんは人間牧場の家を建て、隠居も建てた馴染の大工さんなので見積もりもそんなに高くはない良心的な方で、技術もしっかりしているため、親父のお気に入りの大工さんなのです。やがて工事が始まってびっくりしました。まるで床柱のような丸太柱を使っているのです。さすがの親父も上出来と目を細めていたようですが、「隠居の家の立派さにはこれくらい使わないと申し訳ない」と思ったようでした。

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 たかが選択干し場と鷹を喰っていましたが、出来上がってみるとその立派さにびっくりしてしまいました。大きな声では言えませんが、いずれ私たちが利用するであろう隠居家ですし、しっかりとした造りをしてくれるのは有難く感謝しているものの、91歳になってもなお老いて益々盛んな親父にはただただ脱帽するばかりなのです。

 母亡き後ひっそりと隠居で年金で暮らしている親父の楽しみはそんなに多くはなく、家庭菜園で作った野菜を近所や親類に配って喜ばれたり、好きな盆栽や庭木の手入れ、それに倉庫まで改造して展示室を設けている骨董が趣味くらいで、それを思えば目くじらたてることもなく、むしろ元気で日々を暮らしていることを感謝するのです。

 規則正しい親父の日課を目の当たりにしながら、わが身に忍び寄る老いの影を考える今日この頃なのです。


  「買い物も 出来ぬ田舎の 不便さを しのぎ何とか 今日も暮らして」

  「物干し場 まるで床の間 柱風 出来てびっくり 何を干すのか」

  「忍び寄る 老いの姿を 見てるよう 親父私は そんなに生きれぬ」

  「足腰が 痛い死ななきゃ 治らない 言いつつ今日も ごぞごぞ元気」 

  

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○風呂の残り湯の効果的活用法

 朝晩のひんやりした気温もいつの間にか峠を越して水温む季節となりました。このころになると私は毎朝わが家のお風呂の残り湯で朝風呂を楽しむのが習慣となりました。サンデー毎日とはいいながら出かけることの多い私は毎朝顔の髭を剃らなければならないのですが、風呂に入って洗面器にお湯を入れ、湯船に入りながら髭を剃るのです。親父は隠居に風呂を別に構えているので、わが家の風呂はステンレス製で保温効果もよく一晩寝かせても冷めない上私と妻だけしか入らず、そんなに汚れることもないので、勿体ないの精神で再利用しているのです。少しぬる目だと灯油ボイラーのスイッチを入れたりしますが、今の時期は足し湯をしなくても十分なので、少し長湯をすりと汗が出て気持ちのいい目ざめとなるようです。

 わが家の風呂場は畳3畳もあるかなり広いもので、外の洗濯物干し場へ通じるドアもあるので、妻が洗濯物を干している時々はそのドアを開けたままになって、まるで露天風呂感覚なのです。開いたドアの向こうには双海町のシンボルである本尊山が四季折々の変化を借景として見せてくれるのです。

 私は最近風呂の浴槽の中で体操をしています。ひざを曲げたまま両足をそろえ右と左の膝が湯船の底に着くまでゆっくりとストレッチするのです。この運動は腰痛に悩む友人から教わったものですが、私も1年2~3度ぎっくり腰になることがあり、友人に相談したら風呂場でのストレッチで随分助かっていというのです。冬場は寒くてできませんが春から秋にかけてはこの体操を1年前からやっていて、おかげ様で少なくともこの1年は腰痛で整体院へ行くこともなく過ごせているのですから有難いことです。

 最近は外気温が上がったせいかこのストレッチ運動を100回やると、汗が出始めダイエット効果も抜群です。最も私は妻と違ってダイエットする必要もなく、むしろ少し痩せ過ぎの感じもしているのでほどほどにしています。


 そういえば最近、妻も風呂の残り湯を効果的に使っています。洗濯機についている給水ポンプの吸い口を風呂桶に差し込み、一次洗いに使っているのです。わが家は家が広く水を使う機会が多いので、一般家庭としては水道の使用量が格段に多いのです。勿論その大部分は毎日沸かす風呂なのですが、妻の持論として他の簡便はしてもせめて風呂くらいはふんだんにお湯を使いたいといっているのです。勿論そのことは私も賛成なのですが、この歳になると夫婦ともども忘れ状が良くなり、時々風呂のお湯を出したまま忘れてオーバーフローすることもしばしばで、これこそ勿体ないの精神を発揮せねばと、お互いがお互いを注意しあっているのです。最近はサンデー毎日の私が家にいるとお湯を張る役目は私がやっていますが、お湯を止め忘れる回数は私が格段に多く、妻から文句を言われています。


  「お湯を張る 役目私と 自覚して 蛇口ひねるが 再々忘れ」  

  「残り湯で 翌朝私 ストレッチ お陰で腰は 順調そのもの」

  「残り湯を 暮らしに生かす 主婦の知恵 蛇口ひねるの 忘れ後追い」

  「この水も 金だと思え 妻責める 年金暮らしの 哀れさ露わ」

 

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○人間牧場で妻と二人で

 エアーポケットとでも言うのでしょうか、人間牧場を作ってから4年になり沢山の方々が来牧しているというのに、何故か妻は落成の時に地元の人を誘って接待をしてもらって以来人間牧場に顔をのぞかせていませんでした。どういう風の吹き回しか知りませんが、妻が人間牧場へ行くというので久しぶりに妻を誘って人間牧場へ出かけました。この日は塾生の皆さんたちが草刈りや大掃除をした後だったので綺麗に片付いていて、何もすることがないので持参した弁当を広げて食べたり、観音開きの窓をいっぱい開けて背もたれ椅子に座って仮眠をするなどのんびりとしたひと時を過ごしました。

 フロンティア塾開塾の時も料理を全て手作りさせたり、私設公民館煙会所を開設してからも世話をさせたことを覚えているのか、人間牧場の構想を話したとき反対はしなかったものの、「私を巻き込まないで」とぎくりとするような釘をさす言葉を吐いた妻ですから、できるだけ迷惑をかけないようにしたいと気を使っていましたが、それでも人間牧場で何かの催しがある度に弁当を作ってくれたり、土産を持たせたりと、陰陽に力強い支援をしてくれているのです。また人間牧場建設の資金が枯渇した最後の頃には、固い財布の紐を緩めて資金までつぎ込んでくれているのですから、妻には頭が上がらないのです。

若松進一ブログ

 久しぶりに妻と二人で色々なことを話しました。家族のことや友人のこと、自分たちの将来のこと、人間牧場のこれからなど、思いつくままに夫婦水入らずの話です。自宅で毎日顔をお合わせて暮らし、毎日様々なことについて会話しているはずなのに、人間牧場で話す会話は何故か新鮮に感じました。

 妻は私より年齢が一つ下なので63歳です。現在も近くの歯科医院に勤めているため、日曜日と祝日しか休みがありません。その日曜日も長男や長女の家族が土曜日から泊まりに来ると、もう休むどころかその対応でくたくたになるのですが、それでも太陽のように振る舞い、明るく元気に家族のために働いてくれるのです。5期務めた民生委員の職も4年前に辞して、肩の荷は少々楽にはなりましたが、肩こりの不調を訴えるなど少々ガタがきているようです。

 人間牧場だと誰に気兼ねもなく休めるようなので、これからも折にふれ誘ってやりたいと思いました。


 帰り際になって人間牧場の中に自生しているフキを二人で採取しました。初夏を思わせる日差しが照り外は暑いくらいでしたが、剪定ばさみを取り出して根っ子の上から切り落とし葉っぱも取って、近くのカズラで3束作りました。わが家に1束、後の2束は帰りに叔母の家におすそ分けするのです。また人間牧場の隅に植えてあるシキビを切り取り、これも2束ずつ3組作りました。わが家の墓地用、仏壇用、お大師様用としてお供えするのです。神様棚用のヒサカキも切り取り、先祖祀りや神崇拝も忘れない妻の気配りに感心しました。

 このところ雨らしい雨が降らず、人間牧場の芋ツル苗の伸びが今一思わしくないため、ジョロで3杯水をかけてやりました。2週間もすると子どもたちが芋ツル植えにやってくるので少し心配をしていますが、今年は人数も少ないようなので多分間に合うだろうと思っています。

 妻と二人だけの水入らずのひと時は私にとってもいい一日となりました。


  「そういえば 妻は牧場 来ていない 身近なことが 出来ぬようでは」

  「いつの間に 六十路越えたか 俺と妻 過ぎ越し日々と 迎える日々を」

  「のんびりと ただひたすらに のんびりと 過ごす二人に 風が優しく」

  「いいものを 作ったもんだ 妻感謝 人間牧場 活かして使う」

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