shin-1さんの日記

○年寄りのぐち

 私の従兄、つまり私の母親の姉の子どもに芳雄という名前の80歳がらみの人がいます。私はその人のことを子どもの頃から「芳兄ちゃん」と親しみをこめて呼んでいますが、先日「年寄りのぐち」という40ページ足らずの本を出したというのでいただきました。私と同じく学歴もない人ですが、双海町の商工会長をしたり、教育委員長をしたり、まちづくり30人委員会の会長をしたりして活躍をしてきました。最近は輸入住宅を手掛ける息子に社長業を譲り、後方支援に回っていますが、学びの意欲は旺盛でいつも頭が下がる思いがしています。独学で学んだのでしょうが、字の汚い私などはいつも羨ましくなるくらい墨字もきれいで、今回出した本の題字も自分で書いているのです。

 彼は昭和3年生まれの彼は若くして交通事故で父親を亡くしたため、5男5女の10人兄弟を母親と一緒になって育てながら、下灘で小さな製材業を営んできました。木材不況の中どうにか生き伸びてきたのは、チャレンジした焼杉材が殊の外売れて、傾きかけていた製材業を軌道に乗せれたからです。商売といい社会活動といい、その生き方に従兄ながら深い共感を覚えるのです。

 何年かに一冊ささやかな本を出しているようですが、私はこの本を出す勇気に惜しみない拍手を送るのです。

 「あとがき」にこんな言葉が書かれていました。

 人間は等しく年齢を重ねてゆく。若い頃には突っ走った自分も年齢と共に気分も変わった様な気がする。例えば暑中見舞いや賀状等にも人生観が変わったと思う節々が現れて来て人様の優しい一声が胸を熱くするこの頃である。

 平成十六年夏  避けられぬ老いなら今を楽しもう ひと工夫すれば一味違う道がある

 平成十七年夏  くすぶり続けて生きるより 燃やし続けて生きる道を歩きたい

 平成十八年春  手を伸ばせば届くところに 声をかければ聞こえるところに友がいる

            だから今年も楽しく生きられる

 平成十八年夏  聞くよりは見る方がいい 座って居るより行く方がいい

            行動しよう楽しみが増す

 平成十九年春  始まりと思うのも自分 もう終わりだと思うのも自分

            私はまだまだと思って頑張ります

 平成二十年夏  一笑一若 一怒一老とか言われます

            今夏は肩の力を少しぬいて さわやかに過ごします

 平成二十一年春 八十路を過ぎた人生 仕方なく生きるより

            毎日毎日を夢中で生きようと思います

 この後に八十余年の歳月の中、自らの体験や先人から受けた教訓を糧として一生懸命生きて居られる事に誇りを持っているし感謝している。


若松進一ブログ

 私にもいただいたであろう年賀状や暑中見舞いに書いていた言葉を、私は何気なく読んでいましたが、こうして書きつづった文章を見ると、改めて芳兄ちゃんの人生哲学の凄さに驚くのです。

 私も先日そのお返しに「夕日徒然草」という自著本を贈りました。私の文章などまとまっているように見えても、芳兄ちゃんの文章には勝てるはずもないのです。私も少し目線を変えて今後も努力しながら進化したいと思っています。


  「理論より 論理の道を 極め人 心にずしり 一言堪え」

  「俺などは まだまだ修業 足りないと 従兄生きざま 坂の上雲」

  「年寄りの ぐちといいつつ 愚痴でなし 尊い教え 俺にぴったり」

  「いただいた 一冊の本 一気読み 俺は今まで 何をしてたか」

 

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shin-1さんの日記

○梅の処理に翻弄されました

 今年は梅が不作だという話を聞きました。普通であれば気にも留めない梅不作の話も、人間牧場に梅林を持っているため少しだけ耳に残っていて、「ひょっとしてわが人間牧場も不作かな」と思ったものです。確かに木によっては全く梅の実がついていない木もありましたが、他の木は平年並みついていて、収穫してみると20キロ入りのキャリーに4箱ですからまずまずでした。ところが昨日人間牧場の草刈りを終えてとり残しの梅を収穫しようと思って梅林に入ったところ、金曜日に時間切れで帰ったため、一本だけ収穫していない木が見つかり、集めるとキャリー1箱もあって、不作どころか合計5箱で豊作だったのです。

 ワカメにしろ梅にしろ何でもそうですが、妻が近所の歯科医院へパートで働きに行っているため、自分で取ってきたものは自分で処理して欲しいとの頼みもあって、梅の処理に挑戦しました。縦のものも横にしないかつての私には考えもつかない大変身です。それでも妻は日曜日、塩や砂糖や容器を購入してきて、二人での共同作業となりました。

 まず私が梅を桶に入れて、ヘタを取ったりしながら水洗いをしました。ザルに上げて水気を切って少しの間干し、3キロづつ秤にかけてその都度20パーセントの塩を振って付け込んで行くのです。桶は2つ用意しました。ひとつの桶に21キロ入れましたので、今年の梅干しは42キロです。何でこんなにと思われるかも知れませんが、出来あがった梅干しは弁当に欠かせない漁師さんに、お魚をいただくお礼に差し上げるのです。いわば物々交換なのです。何日かしてほどよく梅が漬かったら土用のころの天気の続く日を見計らって土用干しをして本格的に漬け込むのです。

 梅干しは比較的単純な作業ですし塩も安いのですが、問題は梅酒です。まず容器を用意するため昨年付け込んだ梅酒のビンから梅酒を一升瓶に移す作業をしなければならないのです。予め用意していた一升瓶はとりあえず10本余り、それにワインの瓶や二合瓶などありとあらゆるビンに移し替えました。今年も甘酸っぱい梅酒が沢山取れました。8Lのビン一本で2升くらい取れるので一升瓶換算すると14本も取れました。妻はその一升瓶にガムテープを貼り「21年」とマジックで書いて記憶させました。


 さあ残りの梅を梅干しと同じように綺麗に洗って水気とヘタをとり、8Lビンに3キロづつ砂糖と一緒に入れ、梅酒を作るのです。梅3キロに砂糖を2キロ半にして、ビンの中へ入れるのですが、これが中々上手く入らず一苦労です。それでも今年も10本近くのビンに醸造しました。普通梅酒といえばホワイトリカーを使って作るのですが、酒を飲まなくなったこともあり、また人間牧場へ訪ねてくる人たちのためにホワイトリカーは使わずノンアルコールの梅ジュースなのです。

 夏になると妻がこの梅酒を水で割って冷蔵庫でシャーベット状にして食べたり飲んだりしますが、梅酒は胃腸にもよく愛飲しているのです。昨晩梅酒を絞った後の梅を食べたり、その梅でジャムを作ってみました。今朝はご飯だったので試食はしていませんが、パンにつけて食べてみたいと思っています。

 私の夢は梅酒のレッテルを作ってビンに貼り、人間牧場産梅酒として販売したり(買う人はいないかも)仲間たちにおすそ分けしたいと思っています。

 今年も梅の処理に翻弄され少し疲れました。でも残った梅は親類におすそ分けしてほどよい疲れでした。


  「百キロの 梅を見ながら ため息が 今年も牧場 梅は豊作」

  「梅干しも 梅酒も手間を かけるから 食卓飾る 脇役なりぬ」

  「梅に雨 梅雨だというのに 雨降らず 天を見上げて 恨めしなりぬ」

  「地下室に 一年寝かせた 梅酒出し ビンに詰め替え 味見しながら」

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shin-1さんの日記

○砂時計の不思議

 私の部屋にアンティク風な真鋳でできた砂時計が一個、プリンターの横に置かれています。正確に記録を記憶して記録するデジタルなプリンターと、アナログな砂時計とは似ても似つかぬ取り合わせですが、誰かに持ったであろうこの砂時計を、パソコンの打つ手を休めて時々いじくりながら時や刻について考えるのです。

 砂時計をひっくり返すと、青色の砂は上から下に向かって細い通路を通って、砂がなくなるまで留めなく流れ落ちるのです。凡人である私は「果たしてこの砂はどのようにして入れたのだろう」と、その不思議さを思うのですが、手元の腕時計で測ると1~2秒の差はあるものの5分計であることは間違いないようです。それにしても砂時計を見ながら、砂が落ち始めてから落ちてしまうまでの5分とはかなり長い時間であることに気づきます。時計は1秒、60秒、1分、1時間、24時間の単位でこれまた休むこともなく動いていますが、砂時計はリセットし変えないと5分という時は止まってしまうのです。

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 砂時計は人生のようなものであるととしみじみ思います。例えば私のように85年と自分の寿命を定めて生きていると、昭和19年10月3日に母親と父親の手によってひっくり変えされた私という砂時計は約4分の3を落とし、4分の1しか残っていない計算になるのです。21年後には上の砂は下に全て落ちてわしの砂時計人生は終わりを告げるのですが、さて砂時計は途中で何度でもひっくり返せることができるのですが、人生は何度でもやり直せることができて半永久的に長生きできるのかその相関関係を考えてみましたが、凡人な私にはその解明は難しいようです。落ち続けている砂は円錐形のジョウゴのように一点に向かって落ちてゆきます。動かさなければ下の砂は上下対称のように円錐形に溜まります。その姿もまた妙なのです。

 はてさて私の人生の砂時計の残り21年分の砂は一体どんな砂なのでしょうか。未来学者なら自分の未来を予測できるのでしょうが、全く見当がつかないのも人生の面白さかも知れません。でもいえることはこれまで留めもなく落としてきた砂の延長線上にあることだけは間違いないのです。

 今日という日も一日計の砂時計、今年という一年も一年計の砂時計、私の人生も若松進一計の砂時計、それぞれの砂時計をいかに確実にそれでいて綺麗に落とせるか、考えただけでもワクワクする砂時計を私は幾つも持っているのです。さあ今日の砂時計は一体どんな言い落ち方をするのでしょう、いや「するのでしょう」ではなく

「させるのか」かも知れません。

 今日は6月最初の一日です。今年も5カ月の砂が落ちました。今日から一ヵ月早めの後半が始まります。少しのんびり、少し馬力をかけて、今年も暑い夏を乗り切りたいと思っています。


  「部屋の隅 置かれたままの 砂時計 久方ぶりに ひっくり返す」

  「人生に どこか似ている 砂時計 アナログゆえに 何が起こるか」

  「落ちた砂 早くも七分 近くなり 残った砂の 少なさを知る」

  「何粒の 砂があるのか 知る由も ないまま今日も 砂は落ちつつ」 

 

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shin-1さんの日記

○風評被害は恐ろしい

 豚インフルエンザは震源地のメキシコで死者が沢山出たものの、病気自体は今のところ弱毒性のようで、少し安心した政府も市町村もガードを低くして、臨時休校措置などを次々に解除しています。というのも近畿圏に集中した発症によって、近畿圏への修学旅行の中止や延期が相次ぎ、加えて風評被害へと発展しているのです。ただでさえ不景気な国内事情に加え、旅行や出張をキャンセルされるともうお手上げで、観光業者の中には倒産まで出るという厳しさです。

 日本人は風評に弱い国民だと言われています。つまり誰かが言ったことが良かれ悪かれ次々と伝わりとんでもない根も葉もない話に発展するのです。それは多分風見鶏的な集団行動の性格が強く、自分の考えをしっかりと持たずに生きているからかで、風向きを見て都合のいい方についてしまうのです。人の目を気にする人は案外多く、私も随分それらのうわさ話に悩まされました。

 不快感の法則と感動の法則というのがあります。広島県瀬戸田町(今は尾道市)の和気元町長さんから聞いた話ですが、不快感というのは1人→10人→7人→3人と広がりを見せ、結局210人に広がって終息を見るのだそうです。例えばどこかの観光地の公衆トイレが汚なかったとします。それを感じた人は自分の身の回りの人10人に「○○のトイレは汚かった」というのです。その10人は自分の周りの人に「○○さんから聞いた話だが、○○のトイレは汚くて鼻もちにならない。行かない方がいい」と言い出すのです。そして極めつけは7人の人が周りの人3人に「あそこのトイレは日本一汚いので絶対行かないようにすべきだ」と言いふらされ風評被害はピークに達して終息を見るのですが、レクリェーションでよくやる電信ゲームとどこか似ているのです。1チーム10人ずつのチームを作り、少し短めの同じ文章を最初の人に耳元で伝え記憶させます。それをやはり次の人に伝えて行くのですが、最初の文章は人間の耳から聞き記憶させて次に伝えるのですが、何と不正確なことか、それを最後にみんなで発表して種明かしして大爆笑となるのですが、風評被害となるとこんな爆笑では済まされないのです。

 不快感の法則に対し感動の法則は中々伝わらないもので、1人→7人→5人→2人と広がりを見せるものの不快感の法則ほど広がらず、70人で終息します。例えば1人の人が双海町の夕日を見て感動すると、その人は周りの7人に感動したことを伝えます。するとその7人はそれぞれ周りの人5人に「夕日がとてもきれいだった。あなたも行ってみたら」と伝えるのです。さらにその人たちはそれぞれが2人に「双海の夕日は日本一」と持ち上げ終息するのです。結局その数は70人で不快感の法則の3分の1なのです。

 私は道の駅の整備から運営に長らく携わってきましたが、不快感の法則によって風評被害を被ったことも何度かありました。しかし風評被害をまき散らす人たちは裏を返せば風評効果を生む人であることを知ってからは、随分戦略が立ちやすくなって、風評効果で自称日本一の夕日を作り上げてきたのです。

 風評被害はいつの間にか消えますがそれを待つだけでは被害甚大で足腰が立たなくなります。一早く風評効果の情報を流して風評被害を食い止めることが肝心です。風評被害を出す人も風評効果を生む人も実は同じであることを肝に銘じるべきなのです。

 消費者100人を分類すると本物消費者5%(いくら高くても本物を買う)、学習消費者15%(学習して自分に得なものを買う)、普通消費者50%(流行に流されて買う)、無意識消費者25%(安いものばかりを買う)、風評被害をまき散らすのは普通消費者50%、つまり2人に1人いることを忘れないようにしたいものです。


  「不快感 伝わり易く 感動は 伝わりにくい ジレンマしきり」

  「インフルは 風評被害 深刻だ マスク業界 無口で笑う」

  「風評の 被害出す人 いるものの 風評効果 出す人同じ」

  「いつの世も 真実一つ コナン言う 何が本当か 心眼見抜く」  

 

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shin-1さんの日記

○孫朋樹が押し入れで一人寝しました

 昨日岩国から帰ってみると、わが家に娘が孫二人を連れて泊まりに来ていました。小学校一年生になった孫も学校の生活にも少し慣れたため余裕ができたようですっかりお兄ちゃんに変身していました。私が帰った頃にはもう夕食も終わっていて後は一緒に風呂に入りたいと待っていました。

 私も急いで夕食を済ませ一緒にお風呂に入ることにしたのです。孫のお目当ては妻が買ってきていたシャボンだがを風呂を入りながらすることのようで、頭と体を洗ってから風呂場でシャボン玉を飛ばして大はしゃぎです。いつも思うのですがシャボン玉はどこか夢があって大きいのを作ったりすると、風呂場は湯気の上昇気流の働きで天井近くまでゆっくりと上がって行くのです。

 シャボン玉ができる度に拍手をしたり大笑いをして、風呂場で思いきり楽しみ、私は少しのぼせるほどでしたが、束の間の孫との遊びは一日の疲れを忘れさせてくれるに十分でした。

 やがて、9時になり修身の時間です。孫朋樹は何を思ったのか、寝室の布団を出して空いた押しれの上段に入って一人で眠りたいというのです。これまで押し入れは怖いものとばかり思っていた孫が何の心境の変化でしょうか。早速押入れに布団を敷いて枕を用意してやりました。そして布団をかけてやると、昼の疲れがあるのか3分もしないうちに夢の世界へ旅立ってしまいました。どうせ夜には怖いと起きてくるだろうと思いきや、ぐっすり朝まで寝込んで朝を迎えたのです。

 朝6時ころ起きてきてさも得意そうに押し入れの中で寝たことを自慢げに話していました。これまで寝る時は母親一辺倒だったのにすっかり自立して頼もしい限りです。

 今日は朝から親父に頼まれて午前中玉ねぎとジャガイモの収穫作業をしました。風も適当にあって直射日光は強いものの、日陰に入ると少し肌寒いくらいで、作業は順調に進みました。わが家の今年のジャガイモは男爵ではなくメークインという品種しか植えておらず収穫は今一でしたし春先の少雨の影響で玉ねぎも玉太りが悪いようです。

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(収穫前のジャガイモ畑)

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(孫朋樹も手伝った収穫作業)
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(孫朋樹が書いたカブトムシのお墓)
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(お祈りをする孫朋樹)

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(孫尚樹は庭でサッカーに夢中です)

 孫朋樹はジャガイモの収穫を手伝っていましたが、そのうち昨年の虫籠を引っ張り出して、カブトムシの死骸を畑の隅に埋めてやるのだと手スコップで穴を掘り、丁寧に埋めていました。かまぼこの板が見つからないため、親父に頼み込んで板の切れ端を貰い、マジックインキで「かぶとむしのおはか」と書いて立て、両手を合わせてお祈りをしていました。長閑な5月最後の日曜日でした。


  「押入れに 一人寝るとは 凄いこと 孫も自立の 道を歩みぬ」

  「ジャガイモの 収穫作業 親父孫 私を含め 初夏の一日」

  「夏が来た 虫籠中に カブトムシ 死骸懇ろ お墓作りて」

  「汗だくで サッカーボール 蹴つる孫 格好つけて ゴールいいつつ」 

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shin-1さんの日記

○梅の実の収穫作業で体が痛くてだるい

 昨日は山口県岩国市への往復の間、「どこか体がいだるく、体が痛いのはなぜだろう」と思っていました。それもそのはず、金曜日に県立中央病院の待機健康診断に行き、血液検査や診断の結果が良かったため、ルンルン気分になって、11時にわが家へ帰宅するなり人間牧場の梅林へ、軽四トラックにキャリーを積んで梅の収穫に出かけたのです。今年は梅が不作のようで人間牧場の11本梅の木のうち、お休みのような殆ど実がついていない木もあって、収穫量は豊作でも不作でもない普通でした。

 前日雨が降り収穫を危ぶんでいましたが、幸いなことに薄日の差すまずまずの天気に恵まれ、梅の実の収穫に挑戦しました。猿年の私はまるで猿のように梅の木に登って枝から枝へと移って行くのです。「桜切る馬鹿、梅切らん馬鹿」昔から言われるように、梅は剪定をしないといい実がつかないそうですが、人間牧場の梅林は剪定をしたことがなく伸び放題なのです。それでも毎年コンスタントに実をつけてくれているのです。

 梅の木はやたらと堅いトゲがあって、地下足袋をはき少し厚手の服を着て完全防護をしたつもりでも、容赦なくトゲが体に突き刺さって痛いのです。体中に引っかき傷が無数にできて、まるで切られの四三郎のような感じになってしまいました。

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 慣れない作業は途中休憩をしたものの夕方6時まで続きました。小さな梅を一つ一つたった一人で、しかも木に登ってもぎ取るのですから時間がかかるはずなのです。それでも20キロキャリーに4つですから80キロ弱といった感じです。これを坂道を車まで運ぶのがまた一苦労で、体力が減退している私には大変な作業でした。ふとこれから先のことが思いやられましたが、収穫した梅の実が予想以上に多かったため、体にこたえたことなどすっかり忘れていたのです。

 歳をとったら疲労はむしろその時よりも明くる日から症状が出始めるのです。案の定今でも少し体がだるく、とげで痛めた傷に妻が薬を塗ってくれたものの少し違和感があって、「ああ俺も歳だなあ」と思うのです。


 今日は仕事の合間を縫って何としてもこの梅の実を処理しなければなりません。梅酒と梅干しに自家加工する予定です。梅酒のビンを確保するため昨年と一昨年に漬け込んでいる梅酒のビンから梅酒を一升瓶にジョウゴ使って移し替える作業からしなkればなりません。また梅干しは専用のポリ容器に15%程度の減塩にして漬け込むのです。15%にするには腐敗防止のために、また梅酒も子どもが飲むため焼酎を使わない梅ジュースにするため少しだけホワイトリカーを振りかけるのです。こうすれば具合のいい梅干しと梅酒が半年後には出来上がる算段です。

 私はこれまで梅酒や梅干しづくりは妻の仕事にしてきましたが、リタイヤして自分の時間が自由になったのを機に、人間牧場で収穫した梅の加工は妻の協力は得ますが、できるだけ自分でやるようにしています。そうすることが人間牧場の趣旨にもあっているからです。

 私の夢は人間牧場というブランドの梅干しと梅酒を作ることです。今年は人間牧場のレッテルを作って梅酒のビンに貼ってみたいと思っています。既に2年分の梅酒が倉庫の中で眠っていますので一升瓶に換算すると50本くらいは取れそうなのです。そしてその梅の実をジャムに加工することを考えていますが、今年はいよいよ釜戸小屋も着工する予定なので夢は膨らんでいます。ああやりたいことがいっぱいあって忙しいですねえ。足腰が痛いなんて言ってはいられません。


  「足腰が 痛いが何故?と 思いきや それもそのはず 慣れぬ作業で」

  「まるで猿 枝から枝へ 飛び移り 梅の実もいで 袋に入れぬ」

  「今年こそ 牧場名の レッテルを 張ってブランド 梅酒作りぬ」

  「上出来の 梅酒凍らせ 口運ぶ さわやか香り 口に広がり」


 

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shin-1さんの日記

○今年度3回目の山口県への旅

 最近は山口県に何かとご縁があって、今年度に入って3回も山口県入りとなりました。三津浜から防予汽船に乗って山口県入りするのですが、対岸の目見えるような場所なのに島々の間を縫うように走るフェリーには、往復5時間も船に乗らなければならないのです。でも逆にのんびりとした船旅ゆえに座敷席に陣取ってゆっくりと昼寝をむさぼったり、本を読んだりすることができて、私にとっては決して嫌いな航路ではないのです。

 普通山口県へ行くのには柳井港から山陽本線で新山口を目指すのですが、今日の会場は山口県でも最も東にあり、広島県との県境に位置する所なので、柳井港から上りの各駅停車に乗りました。かつては三津浜から岩国まで高速船が走っていて、私も度々利用しましたが、今はその高速船も赤字で廃止となり、三津浜と柳井港間がしか交通ルートはないのです。車窓に広がる瀬戸内の海はべた凪で穏やかな瀬戸内の海が車窓から見えました。沿線はただ今田植えの真っ最中でしたが、岩国の郊外に入ると一面レンコン畑が広がって、レンコンが岩国の特産品であることを誇示しているように見えました。

 岩国駅には担当者が既に迎えに来ていて、車で会場入りして昼食をいただきましたが、岩国寿司もレンコンも美味しく頂きました。聞けば生涯学習係長の野村さんは若いころ、国立大図青年の家で20数年前に開かれた青年指導者養成講座で、私の話を聞かれたそうで、今は山口県の和太鼓連盟の会長さんをされていて縁の不思議を感じました。

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 束の間の時間を割いて会場から1キロ足らずの錦帯橋の見学に連れて行ってもらいました。k錦帯橋のすぐ近くにある石人形という珍しいものを展示している場所に初めて案内してもらいました。鏡川の石に付着したカゲロウの一種、つまり川のみの虫と同じようなものなのだそうですが、これがまた1センチほどなのに見方によっては様々な人間の形に見えるから不思議です。大名行列などにアレンジしていましたが、実に見事な作品でした。4月には錦帯橋の橋の上から桜を眺めましたが、今日は燃えるような新緑と錦川の清流が錦帯橋に映えてまぶしいくらい光り輝いて見えました。

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 何年か前、岩国市と平成の大合併で合併した美川町を何度か仕事で訪ねたことがあります。合併後の自治について考えるものでしたが、今日は私が岩国にやってくることを察知した、旧美川町の前町長さんと旧友の岡元課長さんがお揃いで、私の講演を聞きに来てくれました。2年間も通った町なのでお二人の顔を見た瞬間懐かしさで涙が出そうになりました。岡さんは腰の具合が良くないと風の噂に聞いていましたが、お二人ともお元気そうで何よりでした。

 今日はいわくに市民活動センターが主催する登録団体交流会と公開講座でしたが、会場には各団体の方々が沢山集まっていました。午後1時30分から1時間30分お時間をいただいてそれなりの熱のこもった話をさせてもらいました。

 先を急ぐため講演が終わると野村係長さんに岩国駅へ送ってもらい、スムーズなダイヤ連絡で周防大島大橋の下をフェリーで再びくぐり、三津浜を経て家に到着したのは午後8時ころでした。

 清水さんとメールをやり取りしながら横目に見える周防大島や民族学者宮本常一に思いを馳せたのんびり長閑な旅でしたが、出会いや再開もあって今日はいい一日でした。


  「懐かしき 人に出会って 過ぎ去りし 日々を思いつ 少し感傷」

  「錦帯の 橋の向こうに 見える山 緑燃え立ち 遠望借景」

  「レンコンが 特産品と 聞いていた 車窓広がる ハス見納得」

  「いつ見ても 匠の技の 凄かりし 錦帯橋の 見える場所立ち」

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shin-1さんの日記

○一枚の写真

 年輪塾ネットに参加している西条加茂蕎麦倶楽部の高橋啓さんが、時々近況報告として送信してくれるメールを読みながら、楽しい生き方をしている人だとしみじみ思うのです。高橋さんとは何かの集会のついでにまだ一度しか出会ったことがないのですが、その折肩掛け流しの布製袋をいただいていて、とにかく遠く離れていても気になる人なのです。棚田を開墾して仲間と蕎麦を作り、その蕎麦を打ちながら豊かな自然の中で自然に暮らす姿は、私の理想とする生き方だけに、一度は蕎麦畑や高橋さんの暮らしぶりを見てみたいと思っているのです。

 高橋さんが自然派だと思うのは、年輪塾ネットで流すメールにいつも身の回りの自然を写した写真が何枚かさりげなく添付されています。その写真は原風景であったり草花であったり、加茂蕎麦倶楽部の活動写真であったりするのですが、その写真を見る度にどこか昔の郷愁を覚えるのです。

 写真は自分が被写体を撮ろうと思わなければ成立しないのです。つまり暮らしの中で「ああ草花が咲いている。美しい」とか、「ああ今日は石鎚山が見える。綺麗だ」、「そうだ、写真を撮ろう」と花や風景に心を動かすからなせることなのです。

 先日年輪塾ネットに流された高橋さんの記事に添付されている写真の中に一枚珍しい写真を見つけました。ご存じ旧丹原町に住むちろりん農園主の西川さんが写っていたのです。私はパソコンの操作が苦手で、メールに添付して送られてくる写真を取り出して利用する方法は息子や清水さんに教えてもらっているものの、覚えることができず、いつも失敗ばかりして結局取り出せないことが多いのですが、この写真はどういう訳か一発でブログ転載ができたのですから驚きです。

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 ちろりん農園の西川さんとも最初何処で会ったか定かではないのですが、その後私の主宰するフロンティア塾に参加してくれたり、私を「ししょ~う」と呼んでくれたり、はたまた彼の出版した本と私の自著本に寄稿しあったり、とにかくつかず離れずのいい関係を保っているのです。

 この写真には西川さんが自宅の横に設置しているゲストハウスでくつろぐ、西川さんの姿が写っていますが、その後ろに「第二縁開所」と書かれた看板が見えます。これはゲストハウスができた時に私と家内が案内されて訪問した時持参した看板なのです。看板の板も書家である叔父に頼んで書いてもらった文字も全て私のプレゼントなのです。私の家の横にある「私設公民館煙会所」が第一ならば、さしずめこのゲストハウスは第二だと思ったし、西川さんには「煙会所」より「縁開所」が似合うと思い命名したのです。

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(煙会所の看板もすっかり風格ができました)

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(色々と変遷がありましたが、煙会所は今も健在です)

 西川さんとはもう随分出会っていませんが、私の紹介でい愛媛新聞社のシニアサイト「自悠くらぶ」に一ヵ月に二回「ちろりんだより」という記事を書いてもらっているし、手書きのちろりん便りを時々送ってもらっているので、出会わなくても近況は手にとるように分かるのです。

 写真を見る限り若かった彼もいい歳になったようですが、高橋さんと同じく彼の生き方も自分らしくて、見習いたい所が沢山あるのです。


  「添付した 写真の中に 懐かしき 看板発見 あの日あの頃」

  「あと戻り できない歳に なったなあ 過ぎ越し日々を 懐かし思う」

  「影響を 受ける人あり 幸せと 見習いたいが 自分にゃできぬ」

  「わが家の ゲストハウスも 健在で 訪ね来る人 未だに多く」

 

 

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shin-1さんの日記

○結婚式の引き出物

 警察官をしている息子が友だちの結婚式に出席するため帰ってきました。妻にしてみれば県内に勤務し県内に住んでいながら年に一、二度しか帰省しない息子なので、色々と話もしたいし美味しいものも食べさせたいと思っていたのでしょうが、結婚式が終わると友人たちに会いに出かけ、暇さえあれば日頃の疲労を癒すようにゴロンと横になって寝ているのです。妻にとってはこれが不満のようで、仕事の話や結婚話などちょっかいはかけるものの、相変わらず心がかみ合わないまま帰って行きました。

 息子は結婚式でいただいた引き出物も全て家に置いて帰りましたが、最近の引き出物はカタログ本の中から選んで同封の葉書を投函すれば早速ギフトの会社から商品が送られてくるのです。妻は虫眼鏡でカタログをめくりながら「お父さん何にする」と相談を持ちかけられましたが、考えも浮かばず「お前に任す」であっさり幕が引かれました。

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(送られてきた結婚式の引き出物の寝袋)

 数日後一個の宅配便が届きました。はてさて誰から?と思って開けてみると、中から寝袋が出てきました。妻はギフトを選ぶことができず、結局帰宅した長男に選んでもらったところ、「お父さんの人間牧場で使う寝袋にしたらどうか」と助言を受けての注文と相成ったようです。

 人間牧場の水平線の家には屋根裏部屋のような寝部屋があって、夏になると物好きな人たちがやってきては酔いつぶれて泊まるのです。殆どの人は寝部屋どころかそこら辺にゴロンとなって寝るのですが、夏のことゆえ毛布やタオルケットで間に合うのです。私も水平線の家のロフトに何度か泊まりましたが、やはり寝袋があると随分助かるのです。早速利用しようと思っていますが、まるでみの虫のように寝袋に体を入れて眠るのは、何となく冒険に出た少年のようでワクワクするのです。水平線の家には私専用の屋根裏部屋があって、息子が用意してくれた私専用の寝袋があり、これまでにも孫朋樹と昼寝を楽しんだことがあり、大きくなりつつある孫たちとこの寝袋を使いたいと思っています。


 結婚式の引き出物といえば、私はこれまで結婚披露宴の司会を537組やっていますが、その都度引き出物をいただき正直な話置き場所に困った経験を持っています。結婚する当事者からすれば記念に差し上げるものには相当気を使うのでしょうが、陶器類や鍋など沢山あり過ぎてもどうにもならないのです。○○家などと名前を書いていないものは、イベントのチャリティバザーに寄付をしたりしましたが、まだまだ家の倉庫にはそれらが捨てることもできず所狭しと占拠しているのです。

 私たちの年齢を考えればもうそんなものを日々の暮らしに使うことはないものと思われ、次男や三男が結婚する時に持たせようと妻は考えているようですが、息子たちも「そんなものは要らない」ということでしょう。

 高度成長時代の引き出物にはプラスチック類が多く、これも捨てるのには一定のルールがあって捨てきれません。そこへ行くとカタログで選ぶ引き出物は時代を反映した賢明な方法だと思うのです。私が先日出席した結婚式はむらおこしに一役買ったであろう地元の特産品でした。


  「引き出物 カタログ選ぶ 時代です 迷った挙句 寝袋届く」

  「倉庫には 使うことなき 引き出物 山と積まれて わがもの顔に」

  「引き出物 分厚カタログ めくりつつ どうせ安物 なんて失礼」

  「嬉しいな 寝袋届き 早速に 広げて中に 実験入る」

 

 

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shin-1さんの日記

○現代生類あわれみの令

 「犬や猫を飼うのが悪いというのではないのです。しかしつい最近のペットブームはどこかむなしさを感じ気になりますね」とは、ある主婦の話です。その人の話によると町内のある集落では、少子化の影響で子どもが数えるほどに減ってしまい、子どもの顔を見ることも子どもの声を聞くことも殆どなくなったと嘆いていました。と同時にいつの間にか若かった人たちもみんな歳を取って、会いさえすればひざやすねや腰が痛いと嘆き節を口にして、歩いたり座ることすらおぼつかず、病院のロビーはその人たちに占拠されているのです。

 そしてこの主婦が言うのには、歳老いた家ではこの10年間で犬や猫を部屋の中で飼う人が軒並み増え、犬猫の鳴き声のしない家は殆どないのだそうです。それは日本の縮図とも思える社会現象で、何もこの集落だけの珍現象ではないのです。動物愛護の精神からいえば犬猫を大事に育てることは決して悪いことではありませんし、少なくなった家族に代わって人間様が動物に癒されたいと思うのは当然のことかも知れないのです。

 昨日自家用車で松山へ行く途中信号待ちをしていて、隣に停車した車を見て一瞬驚きました。運転している中年の人は自分の膝の上に着飾った犬を乗せて運転しているばかりか、後ろの席も助手席も何と5匹もの犬が乗せられていました。その犬たちは全て人間同様ちゃんと洋服が着せられ、毛はまるで美容院に行ったみたいに飾られていて、さしずめ車が犬の動く応接室みたいな感じがしました。停車している間開けられた窓から首をきょとんと出した犬たちは、隣に停車した私に何か語り帰るような仕草をしてじっと見つめているのです。軽く手を振ってやると犬たちは嬉しそうにして去って行きました。

 最近自宅で飼い始めたメダカの餌を買いにホームセンターに立ち寄りましたが、ここでも犬を抱いたお客さんがドッグフードの売り場で、台た犬に何やら話しかけ餌を買い求めていました。いやあ驚きました。ホームセンターのドッグフード売り場はいつの間にか拡張され1レーン全てがドッグフードに埋め尽くされていました。


 私はふと子どものころに習った江戸時代の歴史を思い出しました。五代将軍徳川綱吉は「生類あわれみの令」を出して犬や猫を大切にする政策を発表しました。犬猫をいじめたり殺生すると捕えられ、えらいお咎めを受けるのです。当時犬や猫を飼うのは武家や大名の慰みでしたが、今は庶民の暮らしそのものがお犬様、お猫様といった感じがするのです。この現象は次第にエスカレートして今ではペットの霊園や病院、美容院、ホテルまでできて留まるところを知らないペット産業に発展しているようです。

 少なくなった家族に代わって犬や猫が人間に癒されるのはいいことですが、少し心配なのは豚インフルエンザに見られるような動物が原因で感染するかも知れない病気のことです。ある人は犬にかまれたことが元で原因不明の病気になって入院を余儀なくされたと聞きました。また飼っていたペットが死んで放心状態になり、生きる気力を失って後追い自殺をした話も報道されていました。

 家の中で犬猫を飼うにはしっかりと衛生管理をしなければなりませんが、歳老いて自分に介護のいる高齢者にとってペットの世話は容易なことではありません。ある主婦の話を聞きながら根深い社会の歪を垣間見る思いがしました。

  「犬猫が 老人座敷 占拠する 言葉言いつつ 共に暮らして」

  「犬死んで 悲しさ余り 後を追い 自殺するとは 異状世の中」

  「不況だと 言いつつペット 産業は 確実伸びて 売り場拡張」

  「着飾って 主人とともに 外出す ルンルン気分 窓から顔を」  

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