shin-1さんの日記

○儲けなくてもいい農業は楽しいが・・・・

 最近世の中が不景気なったせいか、農業を志す人が急に増えてきました。まだ6月も11日しか経っていないのに、私の元へは「人間牧場」という名前に憧れて既に6人もの若者が人間牧場にやって来ました。若者たちは都会の窮屈な暮らしや勤めに嫌気がさしたり、自然の中で自由な田舎暮らしがしたいというのですが、「じゃあ農業は楽しいか」というと、そんな柔いことで素人が飯が食えるほど甘いものではないのです。ましてや他の仕事が上手くいかないから農業でもなんて甘い考えを聞くたびに、「お前たちは農業をなめとるのか」と激怒したい気持になるのです。

 私は人間牧場を訪ねて来る若者に必ず、「儲けなくてもいい農業は楽しいが、飯を食わなければならない農業は厳しい」と言ってやります。それでしっぽを巻いて帰る人は所詮遊びであり、それでもその厳しさに挑戦しようとする人は、農業への道を極めた人が私の周りには沢山いるので紹介しているのです。

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(ビフォー・3日前まではこんなに立派に成育していました)

 一昨日、私の町では夏に向かう洗礼とでもいうのでしょうか、前線を伴った低気圧が通って海の水を噴き上げるようなヤマゼと呼ぶ南風が吹き荒れました。家の横の家庭菜園ではせっかく順調に育っていたカボチャが根元から吹き飛ばされ、トウモロコシも根こそぎ横倒しになってしまったのです。訪ねてきた若者に私設公民館煙会所でひとしきり話をした後、その光景を見せました。「自然は大きなホスピタリティ」だというけれど、悪さをして立ち去る意地の悪い自然だってあるというほんの一例でしたが、彼はその光景を眺めながら何を感じたのでしょうか。

 昨日は私が大学の講義日で留守だったため、親父はたった一人で一日かけてそのトウモロコシの畑に出て、倒れたトウモロコシを一畝一畝起こすために、支柱を立ててたっぷり汗をかいたようです。

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(アフター・突風で横倒しとなったトウモロコシ畑も親父の苦労で修復しました)

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(トウモロコシの修復作業をする親父)
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(一畝ごとに支柱を立てて竹の横棒を入れて起こしました)

 お陰さまでトウモロコシは何とか修復できたように見えますが、風で受けたダメージは今後の作柄に影響が出ないかと心配するのです。それでもこのトウモロコシで飯を食っている訳でもないので、例え作柄は半減して収穫量が少なくても、食べたりおすそ分けする量が減るだけだからいいのですが、これを金にするとなると大変で、自然の猛威の前に立ち尽くすことでしょう。

 農業で飯を喰っている人であれば、当然予測された今回のヤマゼ風のため事前対策として根寄せをしたり、暴風垣をして予防するのでしょうが、飯を食っていない私は荒れるにまかせて風を悪者にして言い訳をする程度なのです。野菜ができたら儲けもの、できなければ運が悪かったで済む世界はいいですが、苦労が水の泡となった農業は立ち上がれないのです。

 今は農家の人も高齢化して農業で飯を食う人が減ってきました。雨が降らなくて田植えができないと嘆いている話を何人もから聞きましたが、田植えができなければ共済で何がしかの保証してくれる今の制度や、年金をもらって暮らす人々には、昔のような切実感がないことも事実で、遊び半分の私たちと似通っていますが、子どもを育てて農業で暮らしを立てる人のことを思うと、厳しさを感じるのです。


  「根こそぎに トウモロコシを 倒し去る 風のいたずら 何と見るらん」

  「一日を かけてせっせと 修復す 親父の姿 骨折り損か」

  「農業に 救い求める 人あるが そんなに柔い ものではないと」

  「病と虫 野獣までもが 狙ってる トウモロコシの 出来る心配」

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shin-1さんの日記

○同郷のよしみ

 「あなたのふるさとはどこですか?」と尋ねられたら、あなたはどう答えるでしょう。私は一も二もなく「愛媛県双海町」と答えますが、人にはそれぞれ過去の事情があって、自分のふるさとを中々言えない人もいるようです。先日親友でも先輩でもある考える村村長を自称する玉井さんのブログを読んでいたら、そのことが克明に描かれていて納得しながら読みました。

 私たちが育った時代は田舎の暮らしが貧乏だったため、都会に出て一旗揚げたいという向都離村の志向が強く、多くの人が一獲千金の夢を持って都会を目指したのです。夢をつかんだ成金の人はふるさとに錦を飾りましたが、それはほんの一握りの人で、殆どの人は慣れない都会の複雑な社会に翻弄されながら生きてきたに違いないのです。中には夢破れて素性を隠して生きてきた人もいるようです。

 いわゆる成功した人にも色々な人がいて、ふるのために役に立ちたいという愛郷心の強い人は「ふるさと納税」など何かにつけてふるさとを支援してくれますが、逆に「自分のふるさとなんか糞くらえ」とばかりに、無視する人も沢山いるのです。

 一昨日私の所へ一本の電話がかかってきました。今治市菊間町にある日本地下石油備蓄株式会社菊間事業所の取締役事業所長の佐々木克敏さんからでした。佐々木さんはお父さんが旧国鉄の保線区に勤務していたこともあって、お父さんの転勤で双海町上灘で過ごしたのです。双海町で生まれた訳でもないのですからそんなに双海町への愛郷心も義理立てをする必要もないのですが、同郷というだけでひょんなことから私と知り合い、太陽石油に勤務していた頃には講演を依頼されたり、石油関係の全国大会が本町会館であった折にも、並いる石油関係の著名人の前で記念講演までさせてもらいました。

 そんな間柄ですから、石油備蓄の事業所長になってからも何かと交流し、政府のお役人を人間牧場まで案内して交友を温めていたものですから、今治や尾道へ行く道すがら備蓄基地の看板を見る度に佐々木さんのことを思い出して通過していました。

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(間もなく退任される予定の日本地下石油備蓄株式会社菊間事業所の佐々木所長さん)

 佐々木さんは少し体調を崩したため、今月でその大任を勇退されるそうで、その挨拶方々の出会いとなったのです。昨日は愛媛大学法文学部の授業が入っていたため、授業の終わった12時過ぎに大学の正面玄関で落ち合い、全日空ホテルで昼食をご一緒しました。ふるさと双海町を離れて40数年間石油関係一筋に生きてこられた仕事人としてのご努力を讃えながら色々なお話をしました。

 下野してもいつまでも付き合いたい人だと思っていますが、私の自著本を3セットもお買い上げいただき、お礼の言葉もありません。この上は早く体調を回復して、余生を趣味の釣りでも楽しみながらのんびりと健康に過ごしてほしいと願っています。そして願わくば人間牧場へもお越しいただいて色々な話がしたいと思いました。

 「同郷」という素敵な響きを持ったこの言葉は、私と佐々木さんをつなぐ赤い糸かも知れないのです。


  「同郷の よしみ甘えて お付き合い これから先も 同郷変わらず」

  「それぞれの 人にそれぞれ 苦労あり だから人生 楽しからずや」

  「そういえば 臆目もなしに 頼まれて 並いる著名 前に大ぼら」

  「今月で 退任終わり 野に下る 体調整え 余生楽しく」 

 

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shin-1さんの日記

○伸びゆく社会と縮みゆく社会

 私たちの日常の暮らしはインターネットの普及で格段に便利になりました。私の意志は瞬時にして遠い街だと思われていた北海道まで届くのです。また私の書いて配信したブログ「shin-1さんの日記」はこれまた瞬時にして不特定多数の人に配信され、見ようと思えば同時に複数の人が私のブログを読み、ある人は丁寧にもコメントを返してくるのです。

 私の身の回りの暮らしで何か調べようとすると、図書館へ行ったり、高いお金を出して書籍を買ったりして調べていました。ところが最近はインターネットにアクセスして、知りたい項目を入力し検索キーを押すと、いくつかの項目がこれまた瞬時に表示され、選択能力さえあれば正しい答えが返ってくるのです。

 例えばヤフーのトップ画面から「若松進一」という項目を入力して検索キーを押すと、今朝時点で35,100件という項目が出てきて、自分自身驚いてしまうのです。この数字は半端ではなくとても全てを見る時間も余裕もなく、知られないままインターネットの記憶の中で生き続けているのです。鯉した情報化の流れは「伸びゆく社会」として今後も発展し、消費者の買い物が店頭販売とネット販売が逆転したような社会になるのです。

 一方「縮む社会」もあります。昨日愛媛県町村会の招きで職員研修に講師として旧県立中央青年の家へ出かけました。行政改革の一環として今年からこの施設も伊予鉄ケーターサービスという会社に民間委託され、名前もふれあいセンターと改称していました。青年団在籍時代からこれまで、長年にわたって私たちと深く関わった青年の家は、まるで見知らぬ人に占拠されたようで、僅かに青年団事務局を担当していた柴田さんがこの会社に配置替えとなっている程度なのです。

 施設は残り何の不自由もなく、別会社の人がマニュアルに沿ってしっかりと管理しているので何の問題もないのですが、残念ながら青年の家の命である指導という点では100がゼロになったような縮む社会を垣間見ました。と同じように町村会もかつては70市町村の大半を占めいていた町村が4年前の平成の大合併で再編され、20になり、町村が対等合併と言いながら市に編入されたため町が8つなり村はなくなりました。したがって町村会という名前は使っていますが、今は正式には町会かも知れないのです。

 もう10年以上にわたって町村会の新任職員の研修や経験者研修に出ていますが、あれほど溢れ返っていた参加者も数が少なくなって少し寂しい感じは否めません。でも昨日の研修会に参加した人たちは民さん熱心に私の話に耳を傾けてくれました。

 今後も一年以内に合併が行われる予定の松野町が鬼北町と一緒になり縮む社会は一応終息するものの、合併した旧町村では役場だった所が支所になって残ったものの周辺への影響は甚大で、これまで使ってきた役場周辺の公共施設は空き家が目立ち、行政サービスも遠のいてどこか寂しい感じがするのです。

 でもこれからは後戻りできないことを考えてみんなで助け合って合併によって誕生した新しいまちを盛り上げながらしっかりとした足取りで縮む社会を食い止めなければなりません。行政に頼る時代は終わりました。こrからは市民一人ひとりが縮まず生きて行かなければなりません。そのためにもしっかりと社会の動きを見据えながら努力して行きたいと思っています。


 「町村の 数が激減 どことなく 縮む社会を 連想しつつ」

 「わが暮らし インターネットで 随分と 便利になって 伸びつつ生きる」

 「気がつけば 私も今年 高齢者 伸びる寿命を どこまで伸ばす」

 「今書いた ブログの記事に 今メール 遠く住む人 素早反応」


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shin-1さんの日記

○大きな音のしない落し物

 私たちが毎日の暮らしで使っている物には、食べ物や水、空気などの様々な物がありますが、その殆どは何の意識もなく使っています。空気はその最たるもので、起きて活動したり寝ている間も、生きるために無意識に生まれてからこの方、吸ったり吐いたりし続けているのです。「ああ今日の空気は美味しい」とたまに訪ねた旅先で深呼吸したり、起きて朝一番戸外に出て、朝日に向って思いきり空気を吸いながら体操をした時も、空気の存在に気づかされたりはしますが、殆ど毎日は味わうこともなく吸っているのです。

 水も同じで、野菜や果物に含まれた水分を体内に取り込みながら、水やお茶を特段飲まなくても水分が補給されて生きています。しかし梅雨に入って明くる日に多少のお湿りがあっても、「雨不足、水不足で断水間近」とか、「ダムの貯水率低下」という話を聞く度に水の存在を意識し始めるのです。人間は勝手なもので毎日何のためらいもなく水を無造作に使っているのに、断水の話が出れば自衛手段として貯水タンクを買い求め、まず自分の暮らしを守ろうと、ホームセンターに行って貯水タンクを買い求め、水の備蓄に走るのです。ホームセンターではその影響がもろに出てぽ良木の売り場は品薄となっています。売り手もこの時とばかりに大量に品揃えして、「市民の暮らしをサポートします」とまことしやかな理由をあげて儲け話に一口乗るのです。昨日新型インフルエンザが初めて確認された広島では、下火になっていたマスクがたちまちドラッグストアーや薬屋の店頭から姿を消したというからうなずけます。

 私たちが意識はしていてもまるで無意識のように使っているものにお金があります。電気代やガス代や電話代などは殆どが自動引き落としになり、給料や年金までも自動振り込みとなりました。気をつければ通帳管理でお金の出しれが、まるで家計簿的に確認できるようになりましたし、現金を持ち歩くてもカードがあれば用がすませるキャッシュレス時代なので、昔ほど実感は少なくなりましたが、それでも世の中は経済で動いているのでお金の話は何かと多いのです。

 私は自称貧乏人ながら金融広報委員会から移植を受け金融広報アドバイザーを長い間しています。時折私のような者に研修会でお話をするよう頼まれますが、先日ある研修会で「大きな音のしない落し物」という話をしました。特に子どたちへの金銭・金融教育で大切なのは親の金銭感覚と暮らし方です。子どもにとって親の生き方や暮らし方は見本だからです。金銭感覚の鈍い親からは金銭感覚の鈍い子どもしか育たないのです。そういう意味ではもう一度親は尾け根の大切な存在に気づき、しっかりとした気持ちでお金の使い方を考えてみる必要があるのです。

 お金には一円はアルミ硬貨、五円銅貨、五十円・百円・五百円銀貨、千円・二千円・五千円・一万円札(百円や五百円札はまれに出回る程度)などがありますが、五百円までの硬貨を落とすと一円玉を除いて殆どの硬貨は「チャリン」と音がします。多分草むら以外に落とせば殆どの人は落としたことに気づき振り返ります。ところが千円札や一万円札を落としても音がしないため落ちたことに気がつかないのです。

 「大きな音のしない落し物」というのは、比較的小さく安価なものの存在には目配り気配りできても、大きな公かなものの存在を忘れている例えなのですが、拳拳服膺してその意味を考えてみたいものです。

 子どもの存在もそれに良く似ています。毎日の暮らしや学校の宿題など小さなことには案外気づくのですが、その子どもの将来を考えてどう育てるのかといった視点は中々分かりにくいもので、気がついた時には後戻りできない所に子どもがいたりするのです。鳥の目と虫の目の複眼で見れるように、日頃から気お付けてほしいと願っています。


  「五円玉 落としチャリンと 振り返る うっかり一万 落とし気づかず」

  「声もなく 気づかぬことは 多々あるが 声なき声に 気づくかどうか」

  「貯金箱 何時の間にやら 重たくて 小さき物も 溜まれば重く」

  「一円も 一万円も お金なり どちらも大事 どちらも大事」

 

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shin-1さんの日記

○若者は何を目指すのか

 昨日えひめ地域づくり研究会議の事務局長を務める宇和島市津島町の森田さんから電話が入り、「会わせたい若い人が来ているので明日時間を取ってほしい」とのことでした。私は今日の予定を頭に浮かべながら、「朝早くて、短い時間だったら可能」と返答し、彼もそのことを了承して「朝7時、時間は1時間」で約束しました。聞けば車で一夜を過ごすらしく、安上がりの旅とはいいながら泊めてやりたいという自責の念にかられましたが、朝7時に身支度を整え待っていました。約束の時間になったころ教えていた私の携帯電話が鳴り、少し遅れるとのこと、「時間を守れないような人間はつまらん」と常々言っているものの、不案内な場所なのでやむを得ないかと思いながら待っていると、再び携帯電話が鳴り、役場前、宮田歯科医院前、レディー美容室前と目の前の目印を足掛かりに彼はやってきました。

 友廣さんという一見華奢な若者を私設公民館煙会所に案内し、囲炉裏を囲んで面対し色々な話をさせてもらいました。時間が遅れたため話は一時間弱となりましたが、¥東京からヒッチハイクなどで全国の限界集落を訪ねる日本一周の旅をしている友廣さん」と毎日新聞県民福井の朝刊で紹介されている新聞の切り抜きコピーを名刺代わりに渡されました。

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 妻の入れてくれた温かいお茶を飲みながら聞かれるままに約一時間、地域づくりについてお話をしました。そういえば最近、私の元へ毎日のように若者たちが訪ねて来るのです。歳の差有に40歳というのにです。ある若者はわが家を訪ね、ある若者は人間牧場を訪ねるのです。2~3日前に大阪からやってきた和食調理師上田さんや食育ステーションまきのの卯生さんも若者でした。彼や彼女らと話をすると希望に燃えていたかつての私のように、夢や理想をどんどん喋ります。夢や希望がしぼみつつある私などは、その言葉が羨ましい気もしますが、確かに若者を取り巻く現代社会は地滑り現象を起こしているように思いました。学歴がものをいう時代が終わっていること、夢や希望を持って仕事がしたいこと、地域や人様のお役に立ちたいこと等など、現実離れしていて実現は不可能に近いものの、社会のひずみに果敢に挑戦し何かをやりたいというエネルギーは強く感じるのです。

 「若いなあ、若さっていいなあ」と思いつつ、意見を求められるままに話をしてやりました。名刺も持たない彼や彼女の飾らない態度に随分癒されながら、逆に若いエネルギーを今朝も存分に味わうことができました。

 

 今朝はあいにく雨でした。あいにくというより恵みの雨です。九州・四国が昨日、例年より遅れて梅雨入りしました。水を差すどころか水を得た魚のように今朝は友廣さんにパワーをいただき、再会と人間牧場への再来を約束して見送りましたが、彼が帰って外出の準備をしながらメールを見ると、今朝のメールで大学生と高校生からそれぞれメールが入っていました。「今週の予定で会える日があったら時間を合わせるので会って欲しい」というお願いメールでした。縁もゆかりもない若者が私の門を何故叩くのか、「叩けよ、さらば開かれん」とはけだし名言ですが、私の門は果たして何を意味する門なのでしょう。そこが問題なのです。

 35年間勤めた役場をリタイアしてから既に4年余りが過ぎました。大学の講義もそうですが、本来なら遠ざかるはずの若者との距離が凄く縮まって、私の周りで若者がうろちょろしています。それは迷える子羊かも知れないと思うと無性に愛おしく、それできて今の社会が迷える子羊に何の手だてもしない姿に多少の憤りを感じつつ、私は若者たちのメールに返信を打ち出かけました。


  「この歳に なっても会おうと 人が来る 幸せなのか 訳も分からず」

  「今の世は 若者たちが 叫べども われ関せずと 無視して終わり」

  「何故なのか 妻が不思議に 思うほど 若者多く 俺の周りに」

  「若者と 囲炉裏囲んで 座布団に 座りとにかく 意見聞きつつ」 

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shin-1さんの日記

○妻の体を揉んでやりました

 昨晩、少し疲れたという妻の体の指圧をしてやりました

 指圧といっても何の知識もなく、ただ揉んだり手で力を入れたりするだけのサービスです

 このところ遠のいているぎっくり腰の時、2~3日続けて通った整体院で整体師が

 うつ伏せになった私の体を、まるで実験台のような細長い台の上に乗せ

 右手の肩口から背中、腰、足、腰、背中、左手の肩口と順番に巡り

 痛い腰を我慢して仰向けにさせられて再び今度は左手の肩口から

 同じような順番を辿り揉みほぐして行くのです

 一定のリズムで最初は優しくしかしだんだんと強くなる整体師の力を

 体中に感じながらツボに入ると、時には気持ちよく

 時には苦痛で体全身に衝撃が走り、苦痛で冷や汗をかきながらも

 整体師の軽快な世間話にうなずきつつ「どうですか」の問いかけに

 「気持ちいいです」とか、「少し痛いです」と言葉で反応し

 それでも手を緩めない時は体を硬直させて反応し

 約20分の揉みほぐしを経て、最後はボキボキと荒治療で終わるのです

 私はまるで整体師になったような錯覚で

 整体師が私にやったと同じような真似ごとで、妻の体を手と肘で

 うつ伏せにさせた右肩口から背中、腰、足と揉みほぐして行きました

 妻はその都度、「気持ちいい」とか「痛い」とか文句を言いながら反応し

 お互い目線はテレビのドラマを見ながら進むのです

 15分余りを長く感じる私と、短く感じる妻との会話のやり取りが続き

 「はい千円」と冗談を言いながら終わるのです

 「ああ気持ち良かった」と首を回して感謝する妻に

 「ああ疲れた」と恩着せがましい言葉をかけて指圧は無事終わりました

 昔なら妻も私も体を触れば「こそばゆい」かったり「ムラムラ」したでしょうが

 お互いその敏感さも失せて、今は肩こりや体のだるさからの解放のみで

 加齢とともにお互いがいたわり合う老夫婦へと変身しているのです

 そういえば妻には苦労をかけたと、手や肘から伝わる妻の体の

 硬さを感じながら懺悔するような気持になるのです

 結婚して40年、思えば縁もゆかりもないこの女性と

 ほんとに長い間苦労を共にしてきました

 時は喧嘩をしたり、時には同調したりしながらとにかく二人三脚で

 歩いたり立ち止まったり、時には走っありしながらここまで

 どうにかたどり着いたのです

 ふと気がつくと4人の子どもは古巣を去って

 いつの間にか私たち夫婦と歳老いた親父の三人だけとなりました

 もう若くはないし少し楽をしようとお互い言いつつも

 それでも根っからの貧乏性は直らず

 やれ節約第一、やれ健康第一、やれ勿体ないと言葉を交わして生きてます

 ああ人生とは一体何ぞやと、先に逝った友の死の度に

 自分たちの暮らしを反省して生きているのです

 これから先も、とにかく健康第一と確認しながら

 更けゆく夜を過ごしている月並みな夫婦です


  「疲れたと 言う妻寝かせ 整体師 真似しつ体 揉みほぐしやる」

  「手と肘を 通し伝わる 妻苦労 感謝しつつも 目はテレビ向き」

  「昔なら 変な気起こす ことあった 今は鈍感 何の変化も」

  「気がつけば 腰痛体操 お陰かな ぎっくり腰に しばらくならず」 

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shin-1さんの日記

○有害鳥獣の害から守る仕掛け

 わが家には家のすぐ横に約一反の家庭菜園があります。普通は静かな糧菜園ですが、種をまく時期と収穫の時期は注意をしなければ折角播いた種は芽が出ず、また折角実った収穫物も有害鳥獣の餌になってしまうのです。これまでにも有害鳥獣に目をつけられたことが度々あり、その都度悲しい思いをしたのです。一番の大物はイノシシです。主にサツマイモを狙ってやってきます。そのためまるで人間が網で囲われているのではないかと見まがう程に家庭菜園の周りは網を張り巡らせているのです。お陰さまでイノシシはこの4~5年来なくなりましたが、次に多いのはハクビシンです。ハクビシンには主にトウモロコシを狙われます。今年は親父と相談してトウモロコシを沢山植えました。既にスーパーなどでは早生系のスイートコーンなどが出回っていますが、わが家ではそんなに早く種を播いた訳でもないので、早くても7月の収穫だと思うのです。トウモロコシは虫に弱く根や新芽に虫がつくと枯れてしまうので一回消毒をしましたが、もう一回消毒をして完璧にしたいと親父は意気込んでいますが、今のところ順調に育っています。これから収穫の時期が近付くとハクビシンが出没するので親父は網を張って守ろうと準備を進めているのです。

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(今のところ順調に育っているトウモロコシ)
 野ハトの被害も多いのです。特に豆類は種をまくと必ず野ハトがやってきて食べてしまうのです。今年も金時豆やトウロク豆を植えた時、頭からすっぽり被せるように網をかけましたが、敵もさるもので、網の隙間から入って食べられました。野ハトが一匹網にかかりましたが親父は、可哀そうだからと逃がしてやったそうです。動物愛護の観点からいうと親父の行動は正しいのですが、はてさて人間と動物の共存は中々難しいようです。

 数日前から待望のブルーベリーの実が色づき始めました。鳥目を患っているかも知れない鳥たちにとって、目にいいブルーベリーの実は格好の餌のようで、既に虎視眈々狙われて何粒かは被害に遭いました。

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(早くもブルーベリーが色づき始めました)

 そこで昨日親父の力を借りてブルベーリーの周囲に鳥除けのための脅しを付けました。金武徐の金物屋さんに出かけて少し大きめの鉄筋を2本買ってきました。その鉄筋を1.33mにグラインダーで切断し、ブルーベリーの周囲に鉄槌で打ち込みました。本当は網を張ればいいのでしょうが、網を張ると大がかりになるので、釣竿用のテグスを張りました。鳥たちには目に見える脅しよりも、目に見えにくいテグスは意外と効果があって、先日播いたトウロク豆でもその効果は実証済みなのです。親父はテグスに加えて金色と赤色が風になびく脅しのビニールテープを張ってくれました。さあ昨年のようにとりに食べられずに済むかどうか、楽しみと不安が交錯しています。

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 親父はこれ以外にも、庭に自分が作った池の上にも、水鳥から金魚を守るための網を被せています。今年の春先大きな水鳥がこの池の金魚を狙って飛来し、半分近くが被害に遭いました。網を張ってからは水鳥も諦めたのか来なくなりましたが、今は腕白盛りの孫たちが池に落ちるのを防ぐ役目に変わったようです。何はともあれこうして長閑なわが家でも自然界との様々なバトルが繰り広げられているのです。

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(水鳥から守るために庭の池には網が張られています)

  「近づくな 看板出すも 字の読めぬ 鳥や獣 何の効果も」

  「万全と 思っていても 向こうさん 生きるためとて 一枚上を」

  「防鳥の ために鉄筋 二千円 無駄な出費で ベリーを守る」

  「人間と 鳥や獣 共存の 道ゆえここに 来ないようにと」

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shin-1さんの日記

○勿体ない朝の2時間半

 アメーバブログを使ってブログを書いている私にとって、今朝は憂うつな朝でした。というのもブログのトップ画面マイページ上段に、「メンテナンスのお知らせ」という予告記事が載っているのを、うっかり見落としていたからです。一ヵ月に一回程度の頻度でやってくるメンテナンスは、多分統計的に一番利用の頻度の低い早朝を狙っているのでしょうが、朝に弱い現代人と違って私は朝方なので、早朝4時には毎朝起床する古いタイプの人間なのです。今朝もメンテナンスを知らずに書斎のパソコンの電源を入れました。そしてメールを見たり確認した後、ブログを書くべく画面を呼び出しましたが、「ただ今メンテナンス、メンテナンス時間は午前2時から午後8時ころまで」と書かれているのです。せっかく早起きしたのに眠るに眠れず、結局は受信や発信のメールを整理しながら必要のないメールや処理したメールをゴミ箱に捨てて行きました。中には捨てきれないメールもあって、迷いながら時の過ぎるのを待ちました。それでも時間がたっぷりあるので、一昨日送れれてきていた公友会の機関誌に乗せる原稿を書き始めました。ブログメンテナンスのイライラで少し落ち着かない心での原稿書きは中々筆が進まないものです。それでも①時間余りで3500字程度の記事を一本書き終え、県公連にメール添付して送付しました。送付しながら写真のことを思い出し、私の似顔絵も添付してしまいました。

 普通の朝であれば午前4時から6時半までの2時間半は私のブログに1~2本のブログの記事が書き上がるのですが、昼食を食べ終わった7時半になってやっとメンテナンスが終了しブログ画面が現れました。私にとって今朝の2時間半は、メールの大掃除や原稿を一本書けてそれなりに充実はしていましたが、未だに「2時間半が勿体なかった」という思いなのです。

 私の生活のリズムは前の晩に大体組み立てられます。寝る前に明くる日の予定表を見て、朝4時に起床して夜12時に眠るスケジュールが頭の中へインプットされるのです。このリズムが狂うと一日中モヤモヤするのです。今日は2組の来客が午前と午後にやってくる予定で以外はとりたてて仕事がなかったし、県公連へ原稿を書いて送る予定も既に終わって、損失は最小限度に抑えられたため、すっかり正常な状態に戻りましたが、今日もいい一日でありたいと願っています。


 今朝は6月末に埼玉県北本からやってくる予定の親友工藤日出夫さんのブログを読みました。工藤さんは北海道出身で、社会教育関係の出版社に勤めたり自らも出版会社を起こして活動していましたが、推されてきた元市議会の議員になり現在2期目です。無人島に北本の子どもを連れて来て一緒に活動した仲間なのですが、彼は私が目指している数少ない「書けて喋れて実践ができる人」なのです。最近ブログを使って現代風な議員活動をしていますが、中々鋭いタッチの記事を書いています。

 船井幸雄の言葉に「人生八変化」というのがありますが、今朝読んだブログにそれが紹介されていました。

 自分が変われば 相手が変わる

 相手が変われば 心が変わる

 心が変われば 言葉が変わる

 言葉が変われば 態度が変わる

 態度が変われば 習慣が変わる

 習慣が変われば 運が変わる

 運が変われば 人生が変わる

 味わい深い言葉として自分の読んだ船井幸雄の本を書棚から取り出し今一度読んでみました。


  「メンテする 注意の文字を 見忘れて 朝からドタバタ 注意散漫」

  「二時間半 モヤモヤしつつ 過ごしたが お陰で少し 整理ができて」

  「友人の ブログも同じ メンテ中 気に入り登録 ブログの梯子」

  「何処となく 消化不良の 朝迎え 心の弱さ 垣間見たよう」

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shin-1さんの日記

○一斉清掃と草刈り作業ですっきり夏が迎えられそうです

 昨日は町内一斉清掃の日でした。都会では考えられないように田舎の朝は早く、6時になると時計が動き出すのです。わが家は海に近いため夏の朝などは4時ころから夜の漁を終えて帰港する漁船のエンジン音が鈍く聞こえてきますし、涼しい間に農作業をしようとする人たちが6時には畑へ向かうのです。

 毎朝体内時計によって早起きする私は毎朝4時起床で一日が始まりますから、朝の人々の暮らしは手に取るように分かるのです。昨日は朝6時に作業ができるようにしてして戸外へ出ました。組内の年配者はもう既に作業を開始していて、側溝などの蓋を開けて掃除をしていました。私も朝の挨拶もそこそこに持参した鍬で溝をさらえて清掃作業に加わりました。

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(一番長くて高い菜園横の畦畔)
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(家の裏の畦畔もこんなにすっきりしました)

 2年前までは灘町区の区長をしていて一斉清掃の指示を出したり、借りたトラックを走らせて町内のゴミや汚泥を集めて処理する役目でしたが、それもなくなって今は自分の組内のエリアを掃除するのみになったので早々に引き揚げ、組長さんからいただいた消毒液を数倍に薄めて側溝に流し消毒を終えました。

 汚れついでにと、草刈り機を取り出し家の裏の畦畔の草刈りを始めました。一番草は既に刈っていて今年2回目の草刈りなので、雨不足もあって少し早い感じもしましたが、一気に100メートル以上の畦畔の草を刈りました。古い人間牧場用の草刈り機ですが昨日は調子も良く一気に作業がはかどって、まるで散髪をしたようにすっかりきれいになりました。その後刈った草を熊手で集めてキャリーに入れ、昨日播いたトウロク豆とサツマイモの間の畝間に敷き積めました。こうすることで草が生えるのを抑えるだけでなく、土地の乾燥を防ぐのです。

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(トウロク豆を播いた両横の溝に青草を入れました)

 この作業は2時間ほどで終わりましたが、強い日差しと作業で汗をかいたため少し疲れました。昔だったら汗をかいた分水分補給と称して缶ビールを飲んで昼寝を楽しんでいましたが、酒を止めたこともあってシャワーを浴びテレビを見ながら休むはずなのに、孫の相手が忙しく休むどころか畑へ蝶を取りに付き合わされました。

 庭の隅で栽培しているブルーベリーの実が熟し始めました。孫たちはブルーベリーの甘酸っぱさが大好きなようで、楽しみにしていた初取りもいつの間にか孫と妻が楽しんだようで、鳥が食べたのではないかと思ったほどでした。

 これまで忙しさにかまけて家の周りの掃除や草引きなどそんなに手伝っていませんでしたが、日ごろの不義理を詫びるように最近は少しずつ家の周りの美化に心掛けています。お陰で妻は大喜びで、私の株も少しずつ上がっているようです。

  「その歳に なったか俺も 草を引く 家の周りに 目と気配りつ」

  「久し振り 隣近所で 大掃除 夏を迎える 準備着々」

  「刈りし草 匂いぷんぷん いいものだ 畑の溝に 優しく入れて」

  「散髪を したよに畦畔 刈りそろえ 気分爽快 気持ちよさそに」 

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shin-1さんの日記

○孫万歳

 ただ今のわが家にとって、「とにかくうるさくてやんちゃで手間がかかる動物は?」と聞かれたら、一週間に一度のペースで週末にやって来る、「孫」と即答できるほどの孫たちが、まるで嵐が去ったように帰って行きました。わが家に来ていた24時間は、寝ても起きてもまるで台風のように私たち夫婦を巻き込みながら動き回るのです。私は「うるさいから少し静かにしろ」と平気でいいますが、妻の世話たるや尋常ではないのです。

 まあこの顔を見てください。いかにもうるさい、いかにも悪ガキといった感じでしょうが。

 
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(2歳の孫尚樹君はまだ単語しか話せませんが、自分のことを尚といい、私のことはじいちゃんといえるようになりました)
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(今年ピカピカの小学一年生になった孫朋樹君は、前歯が一本ぬけて、どことなく締まりがありません)

 昨日は好天に恵まれて、サッカーや虫取りですっかり汗だくになった孫たちが、お風呂にしつらえたビニールのミニプールで初泳ぎを楽しみました。シャワーで少しぬる目の温水を入れてさあ水遊びです。水を得た魚とはこのことで、プールの中で大はしゃぎです。最初は静かに遊んでいましたが、洗面器で水の掛け合いをして、下の尚樹は泣いたり笑ったりでした。私も娘も妻もズボンをめくって対応していましたが、水をかけられずぶ濡れになりました。私たち大人は肌寒くても孫たちにとってはもう真夏なのでしょう。狭いプールの中へ自分で空気を入れた浮輪まで持ち込んでいました。

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 土曜日が仕事のため、日曜日しか休みのない妻もこれでは一週間気の休まる暇がないと少々心配していますが、娘は平気で日曜日の夕方まで居座り、風呂に入って、ご飯を食べて、まだ旦那の弁当まで妻に作らせてちゃっかり持って帰る図々しさです。昨日は最近お産をして日帰りだった長男家族がいない分静かと、いえなくもありませんが、孫が帰って私たち夫婦の食事が始まったのは、日曜日だというのに午後8時近くでした。それでも昨日は釣りに行った砥部町の友人稲葉さんが夕方釣果の三年物のあじを三匹おすそ分けだと言って持って来てくれ、美味しい刺身を味わったのが救いでした。


 孫が帰ると急に静かになってどこか拍子抜けがしてしまい、ふと我に返ると妻も私も無口でテレビを見ているのです。「お父さん、孫がいて忙しいけど幸せね」と言われますが、帰った矢先の静けさゆえに、週末や間近に迫った夏休みが思いやられると二人で話をしました。

 孫たちはペットではなく、成長に合わせて色々なことを経験させてやらなければなりません。妻は絵本の読み聞かせや御絵描きなど、私はスポーツや自然観察など、もうしばらくは孫に視点を置きながら、孫とともに楽しい生き方をしたいと思った昨晩でした。


  「孫が来て 二十四時間 大騒ぎ 神経疲れ 昨夜ぐっすり」

  「うるさいと 思った孫が 帰り行く  どこか寂しい 爺じと婆」

  「また来るね 好き好きチューと サービスし 去りたる孫も 帰りたくなし」

  「残りしは カメラ収めた 写真のみ 画像取り出し 思わず笑みが」

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