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○八ヶ寺詣り

 「おい、急な思いつきだが、これからお寺さんのお詣りに行かないか」と9時頃に妻を誘いました。6月21日は夏至の日、加えてわが家入口上安置されているお地蔵さまの月に一度の縁日、さらには父の日と沢山のことが重なった上、その日に予定していた地元で行われる健康診断に行く予定だったのに、食事を食べずに行くと前夜から決めていたにもかかわらず気の緩みでブルーベリー園に水をやる作業中に卑しい心が頭を持ち上げてついつい2~3粒食べてしまい、おじゃんになってしまったのです。

 妻と二人で行く予定の健康診断をキャンセルしたため時間が取れたのです。でも女性、特に主婦が家を出るとなると、お接待のために炊いた赤飯を近所や親類に配らなければならず、親父の夕食を作っておかなければならず、何かと時間がかかるのです。それでも妻は久しぶりの休日を外で過ごす気分転換への期待もあって、私の提案に乗ってくれ、私がお接待の赤飯を配る間に身支度をするという約束で準備に取り掛かりました。

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 妻の準備ができたのは10時前でした。親父には夕方帰宅が少し遅くなるかも知れないと告げて家を出ました。妻の友人からいただいたビワを車に積んで道沿いを少し外れてはいますが遠回りをして2軒に立ち寄ってご機嫌をうかがい、いよいよお四国参りです。なんで急にお寺参りをとお思いでしょうが、メル友の谷岡さんが自身のブログにお四国詣りのことを書いていて、私たちもお四国詣りを10年間もやっているのに完結しないことへの妻のいらだちを感じていたからでした。調べてみると納経帳は全て終わっているのにあとから始めた掛け軸はまだ松山市内の8ヶ寺と川之江のお寺、それに高野山が残っているのです。谷岡さんに刺激されたことをよいことにこの日は松山市内の8ヶ寺全てを回る予定を立てました。元より松山市内のお寺はカーナビの力を借りなくてもお寺の所在は全て知っているのです。こんな場合は一番端のお寺から始めるのが上策とばかりに九谷の浄瑠璃寺から始めることにしました。

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 お寺が近くなりにつれて、同じような目的を持った車が同じ方向を目指して走っているのに気が付き始めました。車の多数には紅葉マークがついていて、しかも県外ナンバーが多いのに驚きました。多分高速道路の割引が魅力で始めている人も多いのかもと話しながら、見ず知らずの白装束の人たちに「こんにちは」とあいさつを交わして行き交いました。

 浄瑠璃寺で思わぬ人に会いました。県庁のOBの方でしたが、聞けば退職して俳句に凝っていて今日はこのお寺のハスの花を見に来たと言いました。この人に合わなければうっかり見過ごす所だったようです。お寺の境内の裏にある池には今が盛りと咲くハスの花がまるで天国を絵にしたような姿で咲いていました。不浄の池に何故こんなに美し花が咲くのか、ハスの花を見るたびにまちづくりに通じる話としてハスの花のことを思うのです。

 いやあ見事でした。お陰さまで今回の8ヶ寺詣りは幸先のいいお詣りとなりました。


  「泥池に 何故にこんなに 美しき 蓮の華咲く 不思議なことよ」

  「蓮の花 愛でつつ俳句 作る人 にわか雨降り そそくさ帰る」

  「予期もせず 蓮の花咲く 姿見ゆ これも仏の 導きなのか」

  「あの花は もう散り消えて 次の花 人世も同じ 運命辿る」

 

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○昨日は昼が一番長い夏至でした

 私が役場に勤めていた現役時代に作った2005年版の夕日の時刻表を、私はカバンに忍ばせ殆ど毎日のように持ち歩いています。B4の紙を4つ折りにした8ページ仕立て縦長サイズですが、広げると4ページにわたって夕日の沈む時間が一年365日書かれています。

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 毎年そんなに変わることはないので、この時刻表さえあれば夕日の沈む時間が分かるのですが、夕日の日本一美しいといわれる双海町なのに誰に聞いても、勿論「今日は何時ころに夕日が沈むの?」と私に聞かれても堪えることができませんでしたが、松山地方気象台でいただいた資料をもとに作成した、この「夕日の時刻表」という私のアイディアによって一目瞭然分かるようになりました。当時は「日本で初めて夕日の時刻表を作った男」として新聞やテレビで紹介されたりして、有頂天になっていました。


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 夕陽の時刻表に載っている私が書いた記事に、夏至に関する「夕日は旅人」という夕日夕焼け一口メモが書かれています。

 双海町から見える夕日は、まるで旅人のように一年をかけてゆっくり旅をします。夕日のミュージアムを基点に沈む夕日を一年かけて観察すると、最も北寄りのコースを通るのは、夏至の6月21日で、山口県東和町(合併したので現在の周防大島町東和)方面へ沈みます。また最も西寄りのコースを通るのは、冬至のころの12月22日で、大分県大分市に沈みます。

 こうして太陽は朝日になったり夕日になったりしながら、休むことなく西から北へ、北から西へと一年をかけてゆっくりと、今までもこれからも、悠久の時を超えて旅をするのです。


 また「夕日の沈む時間」というメモには次のように書かれています。

 夕陽の時刻表によると、夕日は11月29日から12月11日にかけて最も早い17時00分に沈みますが、6月25日から7月4日にかけては最も遅く19時24分に沈みます。その差は2時間24分もあり、太陽の起きている時間と寝ている時間は人間世界と同じように季節によって違うのです。素敵な夕日に巡り合うためには、まず日没の時間を確かめることです。


 今にして思えばわれながらあっぱれな切り口で夕日のことを調べているようです。このメモが正しければ昨日の日没が19時23分ですから、私は冬至の2月22日より2時間24分も長い昼間を過ごした計算になるのです。昨日はテレビの興味ある番組を見て夜更かしをしてしまいましたので、余分に夜の時間が短くなったような気分でした。何気なく過ごしている一年365日ですが、太陽太陰暦の24節気の一つ夏至は、太陽が黄道上最も北にある夏至点を通過する時刻で、これを含む日が夏至の日です。太陽の視黄経が90度に達する時です。

 夏至前20日がしとしと雨の梅雨前期、夏至後20日が集中豪雨の梅雨後期で夏至頃は梅雨の中休みといわれますが、今年は梅雨前期に愛媛では殆ど雨が降りませんでした。夏至の昨日は少しですが夜ほんのお湿り程度の雨が降り体地を濡らしてくれました。

 さあいよいよ夏本番です。少しずつ短くなる昼の時間を日除けをして熱中症に気を付け、元気に夏を乗り切りたいと思っています。


  「昼長く 夜が短い 夏至の日を 意識しながら 楽しみました」

  「今日からは 昼がだんだん 短くて 夜の長さが 長くなりぬる」

  「夏至の日が 父の日ダブり 初物の スイカ贅沢 買いてかぶりつく」

  「大阪じゃ 夏至にタコ食う 風習が 稲の根タコ足 ように広がれ」

 

  

 

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○400字詰原稿用紙40枚をたった半日で書き上げました

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループのこれまでの活動状況について、「4000字程度で原稿を書いて下さい」とメールで依頼がありました。講演依頼と原稿依頼は余程のことがない限りお引き受けするようにしていて、依頼された時も締め切りは一ヶ月後となっていたので、「はいはい」と一も二もなく引きうけていたのです。ところがこのところの忙しさで、メールでの依頼だったためをすっかり原稿を書かなければならないことを忘れてしまい、メールの掃除をしていてその文章を見つけたのは締め切り一日前の一昨日でした。驚いたのなんのって、正直「しまった、締め切りに間に合わない」とパニックになりそうでした。

 とりあえず項目だけでも起こして順番に並べ替えながらつなぎを修正しようと、片っぱしから書き始めたのです。「思考は危機の産物である」という言葉がありますが、たまたま日程が空いていて少し余裕の時間があったのが幸いして、僅か半日で400字詰原稿用紙40枚を書いたのです。早書きのため拙文はまぬがれませんがとりあえず書き終え、もう一度依頼メールを読み返すと、様々な注意書きが添えられていて、文字は12ポイント程度とか写真を添付するようにだとか書かれていました。

 私はかつて6年前に台風の襲来で裏山が崩れ、その復旧作業をしていてチェンソーで足を切る大けがをしたことがあります。救急車で県立中央病院に運ばれ手術の後、約2週間の入院を余儀なくされました。家族の心配は大変なもののようでしたが、2~3日で痛みが引いてからは病院は何かと退屈で、足に大怪我をしているのに一日に一回の処置で後は何もすることがないのです。仕方がないので気心の知れた役場の職員にノートパソコンを運んでもらい、病院のベットの上で僅か2週間で「今やれる青春」という一冊の本を書きあげたのです。このことは看護師さんを通じて主治医に知られることとなり、「病院を何と心得る」と大目玉を喰らいました。ひょっとしたらブログを毎日二本書いている今の文章を書くスピードの方が、その時以上に進化しているので昨日の半日で40枚もあながち嘘ではないのです。

 今回の原稿はその時の本に書いたことがベースになっているため、早く書けたともいえます。昨日の夕方メールでその原稿を送りました。相手が土日で休みなのか、届いた旨の反応がないところを見るとまあ何とか間に合って明日月曜日には原稿到着のメールが届くことでしょう。


 私のように生まれつき字が下手だとコンプレックスを持ってい人は、下手ゆえに人目に触れる場所で字を書くことはわが身の恥をさらすようなものですからまず書きません。ところが時の上手い人は何かにつけて字の上手さを褒められそめているものですから、もっともっとと上手に書くことを訓練して、いつの間にか自信に満ちた字が書けるようになるのです。

 文章も同じで、文章を書くことにコンプレックスを持ったら、年賀はがきや暑中見舞いの一枚でもおっくうになるのです。私のように字も下手、文章を書くことを下手と自認しつつも、それもオンリーワンだと思って書き続けると、人様並に書けるようになるのです。私はこれからも文章を書き続けたい、それはもうこの歳ですから進化することよりも現状維持、あるいは緩やかな下降線であってもボケないための処方箋なのです。

 原稿を書き終え久しぶりに「仕事をした」って感じの充実感を味わいました。今はすっきりです。


  「半日で 四千文字を 書くという 俺の実力 まままあ自信」

  「物忘れ 近頃ひどく 認知症? 言葉悪いが 私も仲間」

  「平凡を 重ねて非凡 なりにけり 書くネタ無尽 記憶を記録」

  「追いかける ことより多い かけられる せめて追いかけ 気概を持って」


 

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○覚えたらもう忘れる

 パソコンの苦手な私はいつも息子たちの厄介になっています。何かあるとすぐに息子に電話をして聞いたり直接手ほどきを受けるのですが、昨日も別の場所に保存している写真をE判印画紙にプリントアウトすることができず早速電話です。この写真が加工できないと今日が締切の原稿を相手に送ることができないと急いでいるのに、「今晩帰るからその時にしよう」と軽くいなされてしまいました。親が息子に教えてもらわなければならにとは何とも情けない話です。

 息子は「電話のついでだが、昨日約束していた父の日のプレゼントは何がいいか考えたかい」と聞かれました。そういえば前日にそんな電話があったことを思い出しました。「適当な物が浮かばないからいい」と断りましたが、息子嫁のたっての希望もあって靴を買うことにしました。「じゃあ10時にエミフルで待ち合わせをしよう」と約束ができ、原稿のことが気になりながらもノコノコ出かけて行きました。

 昨日は梅雨になっても雨が降らず、多分30度近くまでは温度が上がっているのではないかと思われる今年一番の蒸し暑い日でした。

 
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(息子夫婦の父の日のプレゼント)

覚えたと思「そんなに気を使わなくてもいい」といいつつ、強い誘いに乗って開店間近な10時にエミフルで待ち合   

 郊外の田んぼの中に中四国でも一・二を争うようなショッピングモールができてから1年余りが過ぎました。夏の売り出し商戦はもう始まっているように、店内はバーゲンセールも始まって中々賑やかでしたが、私のような年代になるとこうした騒々しい場所はどうも苦手で、用さえ済めば逃げ出したいような心境でしたが、二人の孫を連れた息子夫婦と私はカートや乳母車に孫を乗せ、お目当ての店内を見て回りました。「もう靴に凝ったり着る物に凝ったりする年代でもないので」と、いちいち歳のせいにする自分を「そんなことはない」と打ち消してくれる息子嫁の助言を得て、靴屋でお洒落ないい靴を一足見つけてくれました。着るものも履くものも全て妻任せの私にしては、仕事で同行できなかった妻を外した珍しい買い物です。

 人に会う約束と午後から二つの会合に顔を出さなければならないので、食事もせず孫と一緒に本屋の喫茶店でお茶を飲んだだけで別れました。

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(お店の前の縫いぐるみの前で記念撮影)

 愛媛大学で地域実践交流集会の実行委員会を終え、家へ帰ったのは午後7時を回っていました。長男息子家族がやってきていて、早速パソコンの操作伝授です。こうしてどれほどのことを息子に教わったか分かりませんが、一つのことを覚えたと思ったら前のことを忘れたり、それを使って応用へとは中々結びつかないのですが、息子もそれを承知でメモをしてくれたり、慣れるまで私に実習をさせたりしてくれるのです。お陰さまで今日もまた一進一退ながら進歩したようです。孫を風呂に入れてやり、孫を抱き、賑やかな夕食をして息子たちは午後9時ころ帰って行きました。まあ一日早い父の日は息子夫婦からのプレゼントとパソコン伝授はしてもらいましたが、どっちがどっちなのか迷うような食事会で幕を閉じました。私たち夫婦も親父に座椅子をプレゼントし、和歌山に住む弟からは毎年のことながら親父にお酒の宅配便が届き、今年も健康で平和な父の日を迎えることができました。皆さんありがとう。

  「お洒落など 似合わぬ俺に 息子嫁 見立てた靴を 似合うと褒める」

  「今年また 父の日迎え プレゼント ゴマすりだとは 思いたくない」

  「覚えたと 思った矢先 前忘れ 一進一退 情けないやら」

  「今の世は 親父息子に 教えられ 逆じゃないのと 時々思う」 

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○稲葉さんに借地してもらった放任園が蘇りつつあります

 人間牧場の近くの私の家の放任園と呼ばれる畑を、友人の稲葉さんに課してかrヶ月余りが経ちました。私の日常が予想以上に忙しく、体力の衰えるこれから先もこの放任園を耕作することがおそらく無理だろうという判断のもとに、それならいっそ使ってもらったらどうかという結論に達したのです。砥部町で車の塗装業を営む稲葉さんとは個人的な付き合いが長く、彼の心の清らかさにはいつも感心しているので、安心して任せられそうだと思いました。稲葉さんは50歳そこそこですが、将来的には農業に魅力を感じて、農地を探していました。適当な農地が見つかったので見てほしいと見に行ったことも、また別の土地の相談も何度か受けましたが、結局は相手との話の折り合いがつかず、断念していました。


 人間牧場へ行った帰りにふと私の放任園と稲葉さんのことをダブって思い出し、稲葉さんに連絡したところ、直ぐにでも土地をみたいということで話がトントン拍子に進んだのです。元よりこの場所は母が存命中にはかなり収穫量のあるミカン園でしたが、収穫したミカンを運搬する手だてがかなりきついために、母亡き後は手を付けることもなく放任園となっていましたが、人間牧場と原風景の眺望が同じ方向のために下灘豊田漁港が一望できるのです。小さい頃から母に連れられ何度この段々畑に足を運び、重い荷物を背負って登り降りしたことでしょう。この畑を訪ねる度に亡き母のことを思うのです。

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(活着したサツマイモの苗)

 稲葉さんは仕事の合間を縫って毎週日曜日に朝早くから畑にやってきて、せっせと耕しています。最初の日に半日草刈り機で草刈りをするのを手伝いましたが、後は自分の仕事が忙しくそれどころではなかったのでどの程度作業が進んでいるのか知る由もありませんでした。

 先日人間牧場の水平線の家へゴキブリ退治のため出かけた折、帰り際に立ち寄りましたが、既に開墾が随分進んでいて、畑のあちこちには彼のアイディアが随所に生かされ、トマトもスイカもこの日照りだというのにしっかりと息づいていました。また先日植えたサツマイモも順調に活着していて他人事ながら安心しました。

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(畑の要所にサークルを作り元気で伸びているスイカ)

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(トマトも元気に育っていました)

 この上は順調に育っているこれらの作物がイノシシやカラスやハクビシンの被害に遭わないよう祈るだけです。


  「耕作を 放棄した土地 人の手で 見事な姿 蘇りつつあり」

  「さて伸びる 野菜は今後 どうなるか 有害鳥獣 狙っているよ」

  「十年も 入らずの畑 無農薬 故に新鮮 野菜が育つ」

  「時ならぬ 蕨芽が出て 驚きぬ ここは自然に 近い畑に」

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○あっ、タヌキだ!。それともハクビシン?

 夏の太陽が西に落ち、少し外が暗くなった昨日の夕方7時半過ぎです。書斎で原稿を書いていた自分の目の前の庭を、悠然と歩く一匹の動物が窓越しに目に止まりました。この一週間朝な夕な、時には昼間も何の警戒心もなく自分の目の前を通り過ぎるのです。その都度カメラを用意するのですが、カメラの準備ができた時には時すでに遅しで、シャッターチャンスを逃していました。今回も急いでカメラを用意したものの諦め半分でしたが、今回は何の変哲もない写真ながら、何とか後ろ姿と振り返りざまの2枚の写真の撮影に成功したのです。

 写真を写しながらタヌキの姿を妻にも見せようと、夕食準備で忙しそうな妻を大きな声で呼び寄せました。妻には最近タヌキがうろちょろしている話をしていたので、興味があるのか急いで書斎にやってきて、二人で窓越しながらタヌキの姿をしばらくの間見ていましたが、やがてタヌキも私たちのことを察知して水場の傍で振り返り、少しの間私たちを見ていましたが、やがてタヌキは裏の林の中へ消えて行きました。

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 一昨年もわが家では同じようにタヌキ騒動がありました。毎夜出没するその時のタヌキはやんちゃで、私の書斎の前の窓越しにさも「今晩は」と言わんばかりに近づいて盛んに愛嬌を振りまいて、すっかりわが家の話題を独占し、孫たちはわざわざタヌキを見にやってきて、夜遅くまで大騒ぎをした経験があるのです。

 その時は写真もバッチリ撮れてブログでも紹介したため各方面からメールが届きました。ある人は「自然が身の周りにいっぱいあって羨ましい」とか、「お孫さんと一緒で野生のタヌキを見れるなんて幸せですね」といった言葉が寄せられましたが、意地の悪い仲間からは「タヌキが出るなんて相当田舎だねえ」などとふざけられました。

 その後もタヌキは何度となく出没しましたが、いつの頃からか姿を見せなくなり、ある日のこと近くで死んでいるのを発見しましたが、畑の隅に懇ろに弔いかまぼこの板に墓標を書いた記憶があるのです。


 わが家は田舎だし家の裏山が家に迫っているため、イタチなども平気でうろちょろするし、時には目の覚めるような瑠璃色をしたオスのキジが歩いたりします。その度に自然がいっぱいのいい所に住んでいると一人ほくそ笑むのです。

 私たちの身の回りは、高齢化と第一次産業の不振で、里山が荒れだしました。高度成長期には耕して天に至ると形容されたみかん畑も耕作放棄地が目立つようになって、入らずの森のように野生化した所も増えてきました。杉やヒノキを植林した所さえもその世話が人手不足や高い労賃で投資効果がないと判断されままならないのです。今後もその傾向は進むものと思われますが、動物にとっては住みかが増えたことになるようです。でも人間と野生動物の距離は食べ物という点では近づきつつあります。今回のタヌキ騒動も多分タヌキは人間様の食べ物をあさりに人里へ下りてきたのかも知れません。いずれにしても少しずつ環境が変化していることは間違いないようです。

 はてさてわが家に出没する動物はタヌキでしょうか?、それともハクビシンでしょうか?。


  「わが庭に タヌキ一匹 出没す だます意図なし 仲間と思い」

  「田舎だね そんな言葉が 聞かれそう いいとこだよと 自慢してやる」

  「おじいちゃん タヌキ見学 行くからね 孫の弾んだ 電話の向こう」

  「動物は 足が速くて カメラなど 用意する間に 山の中入る」

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○真っ直ぐなキウリと曲がったキウリはどこが違う

 梅雨に入って一週間が経つというのに、また関東では土砂降りの雨が降ったというのに、奄美地方を除いた九州や四国では全く雨が降らず、いよいよ水不足が心配になってきました。わが家の家庭菜園も毎夕親父が井戸の水を1時間もかけて散水していますが、里芋などは芽さえ出ない状態で土は固く乾いたままなのです。雨が降らない分雑草は例年より伸びが悪いのは助かりますが、それでも植物の成長にとって天から降ってくる雨の満遍なく大地や植物を濡らすことの恵みは、散水など遠く及ばないのです。雨が降らないため毎年悩ませる病害虫は少なく今のところ順調なようですが、そのうち虫も生きているので雨が降ると何処からともなく出てきて、せっかく出来た野菜を食い荒らすのです。

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 ところでいつも不思議に思うのですが、お店の店頭で販売しているキウリは真っ直ぐないい形をしているのに、家庭菜園で作ったキウリはどうして曲がったものばかりしかできないのでしょう。今朝も家庭菜園に行ってキウリを6本(1本は親父に差し上げました)収穫しましたが、いずれも私の根性と同じでカタカナの「ノ」の字型に曲がっているのです。ひどいものは裏返しするとひらがなの「し」の字のように曲がったものも珍しくないのです。

 先日「曲がったキウリと真っ直ぐなキウリの味は違うのか」という話に花が咲き、輪切りにして食べたり目隠しテストをして食べてみましたが、当てた人もなくまっすぐなキウリも曲がったキウリもまったく変わりませんでした。

 

 いつぞや農家の方にこのことを質問してみましたが、①農家が作っても曲ったキウリは採れる、②曲がると商品価値が落ちるので真っ直ぐな性格の品種を選ぶ、③消毒や施肥など肥培管理に勉める、④多少曲がっていても少し工夫をすれば真っ直ぐに直せる、⑤出来るだけ早採り(花柄がついたもの)するなどの努力をしているようでした。その話を聞いて気になったのは③の「消毒や・・・」という言葉でした。真っ直ぐなキウリを作るのに消毒をするということは、まっすぐなキウリは安全でないという裏返しの意味もあるのです。せっかく丹精込めて作ったキウリを少しでも高く売りたいと思うのは生産者の本音でしょうが、安全なはずの曲がったキウリが一山百円なのに、農薬のかかったまっすぐなキウリは一本百円で売られているのです。

 私はそのからくりを知っているので、余程のことがない限り一本百円のキウリは買わず、むしろ一山百円の安全なキウリを買うのです。食の安全や安心と口々に言いながら、あえて真っ直ぐな高いキウリを「見てくれがよい」だけで買い求める消費者の心理は理解に苦しむのです。今朝採れたばかりのキウリは瑞々しくキウリ独特の青臭い臭いがしますが、これこそ本物のキウリの味と味噌をつけ、シャキシャキ感を味わいながら食べました。

 トレーサビリティなどという言葉もあるくらい今や食の安心や安全、それに地産地消が常識な時代になってきました。喜ばしいことですが、私たち消費者はもっと賢くならなければいけないと思うのです。


  「真っ直ぐと 曲がったキウリ 食べ比べ 味などどこも 違わないのに」

  「腰曲がる 爺や婆は 安物か 一山百円 俺は憤慨」

  「真っ直ぐな キウリを作る 暇あれば 別の努力を させてあげたい」

  「曲がっては いるが美味しい わがキウリ 今朝も臭いを 嗅ぎつつ食べる」 

 

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○私のパートナーである車の不具合

 最近自分の乗っている車の調子が、どこか違和感があっておかしいと感じるようになっていました。ブレーキを踏む度に足元の左側で異音がするのです。やがてその音は次第に大きくなり、信号で止まるときなど隣に止まった車が振り向きはしないかと、少し恥ずかしいほどの大きさになっていました。他の部位ならいざ知らずブレーキの異音ですから、もしこのまま「ブレーキが効かなくなったらどうしよう」と、松山往復の間不安に駆られました。

 早速近所の馴染のモータースへ行き看てもらいました。私の話を聞くなり大将は「ああブレーキのパットがちびたんでしょう」と言い、「直しますか」「部品を取り寄せなければいけないので二、日ほどかかりますが」と念入りな話をし、私が納得したのを見て車検証の写し車内ボックスら取り出しコピーして、早速電話注文しました。概算見積もり1万円余りだと聞いてホッとしましたが、10年も乗っていると色々とガタが来るものだと、64歳になった自分の体と比較しながら思わず苦笑いしたのです。(1週間前、修理完了、費用は1万6百円でした)。

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(10年間乗り続けた愛車プラッツ)
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 私がトヨタのプラッツを買ったのは10年前の、役場に勤めていた頃です。私は余り車にはこだわらずむしろ軽四でもいいと思っていましたが、遠出をする私の体を気遣った妻は、私のようなドケチ人間にしては飛びきり上等の車を買ってくれたのです。「あなたは遠出をするので小さい車は疲れたり危ないから」が一番の理由でしたが、最も大きな理由は「もうあなたの人生で車を買うのはこの次2回くらいだから」というのです。私はその時始めて自分の寿命のはかなさを知りました。54歳の時でした。そういえば妻の言うとおり「これから新車を購入して10年乗れば俺は64歳か、64歳で車を購入すると10年乗って74歳、その頃はもみじマークを付けて軽四で十分だから・・・」と、遠い先の10年後20年後に思いを巡らせて車を購入したのです。

 しかし時の流れは早いもので、早くもその10年目があっという間にやってきたのです。その間自動車産業は大きな発展を遂げ、世界同時不況まではトヨタ自動車などは年間2兆円の利益を上げて、世界第1位の会社になっていました。しかし最近の不況で特にアメリカの自動車産業は、ビッグ3までもが経営危機に陥っているのですから、全く先の読めない時代なのです。自動車に使っている部品の再生利用や排ガス規制の環境問題にも消極的だった自動車業界はこの不況で、一転してエコカーを売り出し、「世界を見つめる」から「お客様を見つめる」に大転換し始め、政府の不況対策減税やエコ支援もあって、プリウスなどは注文しても納車は来年という注目度なのです。

 最近は連日のように、自動車各社はこの時とばかりエコカーの宣伝をテレビやチラシでやっています。私の車の買い替え時期も9月なので、ひょっとしたらエコカーの恩恵にあずかりそうな雲行きを肌で感じながら、妻も息子も私の車のことを心配してくれていて、「あれがいいこれがいい」と他人事ながらパンフレットを集めてくれているようですが、私は余り関心がないのです。

 私は今のプラッツを10年間で21万キロ近く乗っています。車庫に吊していたインディアンカヌーが突然車めがけて落下し、ボンネットにはその時の傷やへこみが残っていますが、私にとっては中国・四国・九州各地を巡った思い出多き車のです。最近は車を洗ったりワックスをかけたるする回数も少なくなりましたが、10年乗った車にしては綺麗に手入れをして乗った方だと自己満足もしているのです。車とともに歩んだこの10年間を振り返りながら、これから始まるであろう10年間、車で行く先々でどんな人生のドラマが待っているのでしょうか、車も自分の体も健康で10年を過ごしたいものだと、10年後と10年前を比較しながら思いました。


  「俺に似て そろそろ寿命 来たのかな? 十年乗った 車愛着」

  「エコカーを 買えと言うよに パンフ置く 私の書斎 マニアのようだ」

  「十年は やはり区切りと 思いつつ 十年前と 十年後を」

  「この傷も あそこであんな ことあった 思い出しつつ 車を洗う」 


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○愛媛大学法文学部の授業も順調に進んでいます

 毎週木曜日の2時限目にセットされている、愛媛大学法文学部の私のクラスの授業も順調に進んで、まちづくり入門編といわれる講義に一応の区切りが付き、いよいよ今日から応用編と呼べるグループによる討議が行われ始めました。今年の学生もそうですが、私の教室は地域づくりに関心のある真面目な学生が揃っていて、眠る学生も私語をする学生も、携帯メールをする学生もなくて、熱心にメモを取るなどいい雰囲気が漂い、早くも今回が7回目の授業となりました。学生の顔と名前はまだ一致しませんが、学生たちとのコミュニケーションも良く、それなりに楽しくやっています。

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 私は人の前で話すときレジュメを使うことを殆どしませんが、大学の授業ではそうも言っておれず、毎回調べ物をしたりしながらレジュメを作らなければなりません。これらは全て教員に任されていて、コピー印刷も全て一人でやらなければなりません。まあその手間のかかることは承知の上でやっているのですが、自由な時間の少ない私には少し苦痛のようです。

 大学の授業も7年目になると慣れてきて、昨年と同じパターンを繰り返す、ずるがしこいことを考えるものですが、大学の授業だけは清新な気持ちで手を抜くことなく取り組みたいと、色々な工夫を凝らしているのですが、はてさて学生たちの目と耳にはどう響いているのでしょうか。


 最近は学生の中で女子の占める割合が年々多くなって、今年は女性の方が多い逆転現象です。したがって今日のようなグループ討議も、むしろリードするのは女性の方で、男性は追随型のようです。そのため活気という点では今一ですが、授業に対する取り組みは申し分がないのです。

 今日は「住みたい町の条件」で4テーマ、40項目の抽出作業をやりました。来週は「訪ねたい町の条件で4テーマ、40項目の抽出作業をします。そして松山市堀江町、伊予市中山町、内子町立川町、伊予市双海町をそれぞれ訪れ、自分たちの考えたテーマと項目でチェックして行くのです。受け入れ先への連絡も終わり、夏休みまでの前期に3か所、後期に入って1か所へ出かけ視察研修する予定です。

 学生たちが社会人になったとき、まちづくりに役立つような授業を今後もしっかりと教え、しっかりと学んでほしいと願っています。


  「九十分 毎回講義 学生に 六十時間も 教える苦労」

  「大学も すっかり活気 姿消し 真面目でいいが ちょっと気がかり」

  「先生と 言われ自分と 気がつかず 再び先生 俺のことだと」

  「小中高 掃除したのに 大学は どうして掃除 させないのだろう?」 

 

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○ミツバチの2号巣箱が空になって落胆しました

 人間牧場でミツバチを飼い始めて5ヶ月が経ちました。最初のきっかけは高知県馬路村へ講演に行った際、ある農家へ木下課長さんに連れて行ってもらった折、見ず知らずの私に2つもミツバチの巣箱を無償でいただいたからです。人間牧場を設計した息子が「お父さんミツバチを飼おう」とそれまでにも勧めてくれていましたが、飼い方も分からないため、その巣箱は人間牧場の倉庫の隅で1年間埃をかぶって眠っていました。

 そんな折、野村町山奥組の井上登さんと研修会で知り合い、ミツバチの話で盛りあがり、「じゃあ手助けしましょう」とトントン拍子に話が進んで、井上さんを師匠と仰ぎながら様々なご指導を受けてきました。何せやることなすこと未知の分野で、「ミツバチが刺したら痛い」くらいしか認識のない私は、ミツバチを買っているというだけで殆ど井上さんに任せているのです。しかし巣箱が風で転げたり分封騒動がある度に井上さんのお出ましを願うこともできず、見よう見真似で少しだけ自律の道を進んでいるのです。

 ミツバチを飼うということは蜂蜜を採取しなければなりません。飼い始めてから5ヶ月が経ったのを機に蜂蜜採取の準備を始めています。幸い井上さんの他に馬路村の木下課長さんの親父さんがミツバチを飼っているのを、馬路村に行った折目ざとく見つけていたので、木下課長さんを介してインターネットで写真付きのご指導を受け、気を伺っているところです。

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(6月16日の巣の消滅状態)
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(5月23日にはこんなに巣が成長していました)

 先日井上さんが遠路ミツバチの様子をうかがいにやって来てくれました。井上さんは優しい師匠で、鍛冶屋に頼んでいた道具類も持参して、4つの巣箱を私の立ち会いのもとそれぞれ点検です。残念ながら一号巣箱から最初に分封したと思っていた転げ癖のある2号巣箱はミツバチの出入りも悪く、点検の結果ス虫の被害にあって消滅していました。これまでは順調に分封したと思いルンルン気分だっただけに私の落胆は大きかったのですが、井上さんの「こんなこともよくある話」と軽くいなされ、ネガティブに考えるのは止めようと思いながらも少しだけ落ち込んでいるところです。

 それでも1号、3号、4号の巣箱は今のところ健在で、場所を移し替えた2号にも新たな分封を期待したいと思っています。

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(成長著しい3号巣箱)
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(4号巣箱も順調です)

 蜂蜜を採る準備は木下課長さんと井上さんのお陰で順調に進んでいます。採取した巣を太陽光線で自然流化させるポリ容器や道具類も揃い、木下課長さんから手紙で届いた虎の巻極意書も味方にして、7月には何としても蜂蜜採取に漕ぎ着けたいと思っています。今年の目標は4つの巣箱で4升を当て込んでいますが、井上さんは笑って私の話を柳のごとく流しています。

 「道具から始めよ」ということばがあるように、素人の私は道具から始めています。木下課長さんや井上さんから見れば、素人の私の奇妙とも思える行動は思わず噴き出したくなるようでしょうが、それでも真面目に向かい合ってお付き合いしてくれるのは嬉しい限りです。

 今年は命のリレープロジェクトと称して子どもたちを巻き込んでいるので、せめて子どもたちに美味しい蜂蜜を食べさせてやりたい目標だけはクリアーしたいと思っています。

 デジカメを忘れて撮影しなかった巣箱の中の様子を、井上さんは今朝インターネットで届けてくれました。有難やお師匠さんです。


  「期待して 巣箱点検 一つだけ ス虫の被害 蜂の巣消えて?」

  「落胆の 色を隠せぬ 私見て こんなことある 涼しげ師匠」

  「もう一度 浮かれた心 締め直し 努力惜しまず 成果挙げねば」

  「そういえば ミツバチたちは 飼い主の 心見抜くと 師匠言ってた」

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