shin-1さんの日記

○つもり違いの十訓

 仕事がら公民館のような公共施設によく行きますが、その施設の研修室やロビー、トイレなどには様々な張り紙がしてあって、気をつけてその気になって見れば役に立つものが多いようです。今日は松山市堀江公民館へ学生たちを連れてフィールドワークの研修に出かけました。いい活動をしている公民館だけあってそこここに気配りが感じられ、気持ちよく研修をすることができました。

 何気なく見た張り紙に「つもりちがい十訓というのがありメモをして帰りました。

 高いつもりで低いのが教養

 低いつもりで高いのが気位

 

 深いつもりで浅いのが知識

 浅いつもりで深いのが欲望

 厚いつもりで薄いのが人情

 薄いつもりで厚いのが面皮 

 

 強いつもりで弱いのが根性

 弱いつもりで強いのが自我

 多いつもりで少ないのが分別

 少ないつもりで多いのが無駄

 なるほどなるほどといちいち納得して読ませてもらいましたが、書いてある通り人間は随分つもり違いをしているなあと、しみじみ思いました。

 教養もないのに気位だけは高く鼻もちならない人が沢山います。能ある鷹は爪を隠すといいますが、本当に教養のある人は自分の教養など見せぬものです。知識=学歴だと思っている人もいて、中学校や高校しか出ていない人をさげすんだりしますが、その人たちに限って食欲、金銭欲、名誉欲、独占欲、性欲などの欲望が強くて、知識人と思われていた人がとんでもない過ちを起こし、新聞やテレビで話題になったりします。

 人情紙風船といわれるような淡白な社会になってきました。私たちが若い頃は人の悲しみを見て化のしみと思い、人の喜びを喜びとした人情厚い人がいっぱいいました。しかし人にへつらわなくても生きれる世の中になったのか人情はまるで紙風船のように軽くなって、全ての価値判断が金銭となり、面の皮ばかりが突っ張っているようです。


 根性や分別といったこの世の中を生きて行く上で大切な物がないがしろにされ、自我や無駄がはびこっています。結局は教養、知識、人情、今城、分別といった人間が他人とともに生きる大切なものを子ども時代に教えるすべを失った結果ではないかと、家庭教育の欠落部分を思うのです。

  このままだと日本は駄目になると危機感を募らせている人は多いのでしょうが、それを見て見ぬふりをしてやり過ごす傍観者もまだ多いのです。日本を愛し、日本を正しい方向に導き、日本のためにやるような人間にならなければならないのに、日本の導かなければならない人たちは人のスキャンダルを粗つつきして、マスコミもそれを面白おかしく吹聴しているのです。日本はどうなって行くのでしょうか。高いつもりが低く、低いつもりが高い、深いつもりが浅く、浅いつもりが深い、厚いつもりが薄く、薄いつもりが厚い、強いつもりが弱く、弱いつもりが強い、そして多いつもりが少なく、少ないつもりが多い、つもり違いに気づいてそれを正さねば、21世紀は益々混迷の度を深めることになるでしょう。


  「公民館 張り紙見ても 教えられ 何とかせねばと 思うが出来ぬ」

  「わがことを 振り返り見る 色々と 深いつもりが 浅いことあり」

  「毎日の ように粗ボロ スキャンダル これでこの国 良くはならない」

  「政治家が 諸悪根源 だと思う つもり違いの 十訓知っているのか」

 

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shin-1さんの日記

○私の活動の場は松山市が圧倒的に多いです

 最近になって気がついたのですが、私の活動の場所は自分の住んでいる双海町より、25キロも離れた松山市が圧倒的に多いのです。毎週講師として通う愛媛大学も、毎月一回出席するコープえひめの理事会も全て松山市だし、また講演依頼で招かれる各種の会合だって県庁所在地の松山市で開かれることが多く、私はその都度自家用車を走らせ松山~双海間を往復しますが、その積み重ねが車の走行距離21万キロとなっているのです。

 松山へ行く場合の私のルートは主に国道378号と国道56号を走ります。途中の松前町にエミフルという大ショッピングセンターが誕生してから1年余りが経ちましたが、以前よりは松前町と松山市の境目付近にかかる重信大橋付近の交通量が多くなり渋滞気味になってきました。それでも早ければ40分、遅くても1時間弱で県庁まで行けるのですから、過疎地に住んでいると言いながらすこぶる便利な暮らしをしているのです。

 しかし、この便利さも自家用車を運転できるからで、もし私が明日から自家用車に乗れなくなるともうお手上げで、唯一の公共交通機関であるJRを利用して松山へ行くなら病院へ行くのも所用をするのにも、朝早く出て夕方帰るといった一日がかりになって行動範囲や要件が狭められてしまうのです。

 双海町に住んでいる私にとって今は何不足はないのですが、公共の足が殆どないことは大きな不安で、もし車に乗れなかったら、また歳をとって車に乗れなくなったらと思うとかなりネガティブな考えに陥ってしまうのです。

 昨日から今日にかけてわが家のオープンカー軽四トラックが、車検のため使えなくなっています。私の車とトラックを使い分けて乗っている妻は、この二日間私が乗用車を使っているので、買い物にも行けず、僅か二日間だけなのに多少不満を漏らしているのです。

 私の親類に、私と年齢が同じくらいの叔父と叔母がいますが、仕事がら漁船の船舶免状は持っているものの車の免許証を持っていません。二人は何処へ幸にも公共交通機関しか利用できないため、行動範囲は私たち夫婦に比べ非常に狭いようです。勿論車を持たないため車の購入費用も車検費用も必要でなく、車で出歩かないので暮らしに費用がかからないのです。でも車万能な社会にあってどこか私たちと意見が合わないと思うことが時々あるのです。車を運転しない叔父や叔母にとって日々の暮らしの距離基準は、昭和30年代と同じ自転車で行ける距離なのです。そんな行動範囲を叔父と叔母と比較しながら、やがて私も車になれなくなる日がそんなに遠くはないと感じながら、今日も車の恩恵にあずかり、朝松山へ出かけて会合を済ませて夕方にはわが家に帰りました。松山が遠い叔父と叔母、松山が近い私と妻、人生はどちらが正しいか、それは人それぞれの価値観のようです。

  「今朝車検 二日車が ないだけで 不便と感じ どこかぎくしゃく」

  「活動の 場所は殆ど 松山か 何時の間にやら 古里離れ」

  「後少し 歳をとったら 自転車か 乗れなくなって 行動狭まる」

  「免許証 返した隣の 叔父さんが 何処か寂しく 歩く姿を」

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shin-1さんの日記

○今日から今年の後半戦がスタートします

 「お父さん、早くも半年終わったね」と昨日の朝朝食の準備をしながら台所で、妻がカレンダーの5月6月の欄を破りました。出てきたのは真新しい7月8月のカレンダーです。「お父さん予定を書き込んでください」とボールペンを用意してくれました。私は書斎へ行って自分の卓上カレンダーを持ってきて、とりあえず今決まっている7月の予定を書き込みました。破った5月6月の欄と比較しましたが、7月も講演や大学のフィールドワークの事業、会合やイベントなど結構忙しい予定が組まれているようです。

 それにしても今年も早前半半年が終わりました。歳をとると一年の過ぎるのが早いという話を聞いていましたが、確かに64歳になった私もそう感じるのです。正月から始まった昨日までは冬から夏へと向かうある意味成長の季節でした。今日から始まるであろう夏から冬に向かう後半戦は春先に目論んだ様々なことを成し遂げる充実の季節なのです。1月には愛媛大学農学部の客員教授の辞令をいただき、2月には念願の北海道オホーツク海で流氷の上に立ち、3月には長年務めたえひめ地域づくり研究会議代表運営委員を辞し、八海山酒蔵の酒蔵講演に行きました。4月には仲間と広島原爆ドーム、安芸の宮島、石見銀山などの世界遺産を訪ねました。5月には4人目の孫奏心が誕生し、6月は世界遺産播州姫路城も訪ね、20年来の願望だったお四国88ヶ所遍路旅も全て終りました。人生の岐路に立つような出来事にも遭遇しましたが、ある意味私にとっては充実した日々だったように思うのです。

 「人生は貸しボートではなくモータボートだ」と私が勝手に作った名言?を考えるなら、もう既に終わった半年は振り返らなようにしたいと思っています。よくよく考えれば貸しボートは前へ向いて進まなければならないのに何故か後ろ向きで漕いでいるのです。ゆえにその航跡はいつも不安定で方向が定まらないのです。多分それは自分の漕いだ航跡、つまり過去だけしか見ていないのです。そこへ行くとモーターボートは羅針盤と海図、それに時にはレーダーを持って目的地をしっかり決めて航海に出るのです。そして目的である港に着けば荷物を揚げて任務を終え帰路に着きます。何でもないように見える貸しボート人生とモーターボート人生の違いは、長いようで短い人生にとって、大きな差が生じてくるのです。

 さて今日からスタートする今年の後半戦はどんな夢が待ち受けているのでしょう。私の卓上予定表にはやりたいこと、講演などで訪ねる全国の市町村などがランダムに書かれています。いずれも相手があっておいおい詰めて行くのでしょうが、いい後半戦であって欲しいと願っています。


 私の後半戦の最大の鬼門は10月3日の誕生日に65歳、つまり高齢者の仲間入りをすることです。人間にとって毎日の積み重ねによって生ずる毎年一つの確実な加齢は歳をとればとるほど思い荷物のように次第に体に堪えるのです。体の異変や体力の衰え、薄れゆく記憶、狭められる視界など気にすればきりがないほどの不安が横たわっています。

 でもものは考えようで、誰にへつらうこともなくサンデー毎日の自由な時間と国家公務員になったようなさ錯覚を持つ年金があるのですから、これほど幸せなことはないのです。自分のために生きるもよし、人のためにできる幸せを追い求めるもよし、私のように毎日楽しみながらささやかなブログを書くもよし、まさに天国のような世の中に生きて行けるのです。

 ここまで健康で楽しく人生を生きてきたのですから、これからは少しのんびりスローライフに徹したいものです。出来れば妻と一緒、仲間と一緒、地域とともに・・・・・。


  「半年が 過ぎてしみじみ 思うこと 歳をとったら 一年早い」

  「やがて来る 六十五歳の 誕生日 俺もいよいよ 高齢者です」

  「貸しボート ような人生 嫌ですね 後ろや横を 気にせず生きる」

  「ポジティブに 生きよと心 決めている お陰で日々が 楽しくなりて」


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shin-1さんの日記

○梅雨の晴れ間のウォーキング

 梅雨に入っても水不足が心配される少雨状態が続いていましたが、人間は勝手なもので昨日のように一日中降り続くとついついうっとうしく感じるのです。昨日は午前中愛媛大学の学生が5人まちづくりの勉強に、午後は友人がウォーキング大会の打ち合わせに、そして夕方は青年の船の会長さんが四国大会の打ち合わせにとやってきて、近所の人や親類の人を合わせると6組もの人がわが家を訪問してくれたのです。その都度シーサイド公園、煙会所、東屋、書斎と会談場所を変えながらお話ししました。人間牧場を案内して欲しいという人たちも何人かいましたが、予想以上にひり間の雨脚が強かったり視界が悪かったため、楽しみにしていたであろう人間牧場の見学は断念せざるを得ない状態となったのです。

 

 夕方仕事から帰る途中の妻は、家の入口の急な坂で足を滑らせ転んだそうで、向こう脛をすりむいで多少血がにじんでいましたが大したこともなく、リバテープを2枚張った程度の手当てで収まったようです。このところ4~5日夕食が終ってから腹減らしのつもりで往復2キロ程度の散歩を夫婦二人で行っていましたが、妻は脛が痛いというので私一人が普段の倍近くの往復4キロに挑戦して歩きました。幸い雨も上がって西陽が射す中少し体力作りに気をつけ早足で歩いてみました。昨夜来の雨に濡れた周囲の山々の緑はとても鮮やかで、野町の鳴き声も心なしか弾んだように聞こえました。

 上灘川に沿って歩きましたが、先日まで水無川のようだった川も今日までの雨で増水し、下流に向かって勢いよく流れて頼もしく感じられました。時折車で通る顔見知りの人が手をあげたり短めのクラクションを鳴らして合図をしてくれましたし、念入りな人はわざわざ車を止めて窓を開け、「元気ですか」「お散歩ですが」などと声をかけて建ち去りました。

 日頃は車に乗ることが殆どですが、歩くと色々な物が見えて楽しいものです。5月に植えた田んぼは畝間が見えないほどに成長して夏の風に揺れていたし、畑のトウモロコシはもう産毛を出していました。無人市の小さな小屋には雨で売れなかったのでしょうか、キウリやナスがいくつか残っていました。また私と同じように散歩を楽しむ人が何人かいて、犬を連れたり夫婦で話しながら歩いたりする人とすれ違いましたが、みんな額に心地よい汗をかいているようでした。部活を終わった中学生も何人か「さようなら」と声をかけ自転車で通りすがりました。

 田んぼの水を見る人、道端で会話をしている人、リヤカーで何かを運ぶ人、仕事を終えて家に帰る人などなど、日頃は出会うことのない人たちに出会いました。

 帰り道中学校の前の家でメダカの世話をしている人に声をかけられました。庭先に入ると珍しい白色のメダカが何匹も発泡スチロールの中で泳いでいました。「白いメダカは珍しいですね」と声をかけると「白メダカの赤ちゃんが沢山生まれているので貰ってください」と言われ、杓ですくってくれました。もう手元にすくったメダカが見えないくらい薄暗くなっていたので、果たしてメダカの赤ちゃんはいるかどうか分かりませんでしたが、とりあえずナイロン袋を提げて帰り水を張っている水槽の中に入れてやりました。このメダカの赤ちゃんが大きくなるには半年もかかるのでしょうが、伊予市の友人からもらったメダカとはまた違うようなので、大切に育てたいと思いました。

 雨上がりの湿度の高い外気温に加え少し長めに歩いたため汗びっしょりとなりました。風呂に入って汗を流し気分爽快となりました。ただ歩くだけでそんなにカロリーの消費はしていませんが、歩くことの少ない日常なのでこれからも折にふれ歩きたいと思いました。そうだ父の日に息子夫婦からプレゼントして貰ったお洒落なウォーキングシューズも使わねば・・・・・。


  「久し振り 往復四キロ 急ぎ足 心地よい汗 かいてスッキリ」

  「水無しの 川に満水 梅雨の雨 少し濁りて 川下向かう」

  「白メダカ ナイロン袋 入れられて ぶら提げ帰る 畑中の道」

  「四キロも 歩いたなんて 久しぶり 心地よい汗 かいてスッキリ」

 

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shin-1さんの日記

○人生の分岐点

 これまで私は昭和・平成と二つの時代を64年間生きてきた

 最初は不自由な物のない時代だったが今は自由で物のあり余る世の中となった

 やろうとしても制約や不自由でやれなかった若いころに比べれば

 今はやろうと思えばたいがいなことは何でもできるが

 いかんせん気力と体力が減退し世の中は上手くいかないし上手く出来ていると思っている

 これまで私は様々なことに挑戦し何がしかの成就と様々な失敗を繰り返してきた

 最初は成就すると自分の力を過信して悦に入り失敗すると人や社会のせいにしたりしていた

 やろうと思い立てば無鉄砲に何でもやった若いころに比べれば

 今はできないことはないかも知れないが社会の目や家族のことが気なって

 転ばぬ先の杖や石橋を叩いて渡る慎重さが一歩前へ踏み出す勇気を消している

 これまで私はどれほどの人生の分岐点に立ち止まってどちらかの道を選んだことだろう

 最初は半信半疑でも選んだ迷い道を藪から棒に一目散に走りぬけ

 道の間違いに気づけば平気で引き返し何食わぬ顔でもう一つの別の道へと移り進んだ

 今は迷い道を引き返す勇気もなく色々なことにまことしやかな折り合いを付けて進んでいる

 人はそんな私を見て信念がないというか優柔不断といっているかも知れない

 これまで私は分岐点に差し掛かった時正しい方向だと思っているのに諦めたことが何度かあった

 諦めたことの殆どは宿命だと思っていた。男に生まれたこと、学歴がないこと、役職がないこと

 財力がないことなどなど今考えれば大したことではないのにハンディだと勘違いをして諦めていた

 今はそんなことは宿命ではなく運命と思って切り開いて行けるのにと残念がる

 セルフイメージやスキルの高まらなかった自分を恥じている

 これからも私は人生の分岐点に幾度となく差し掛かるであろう

 その都度人の立てた道しるべを参考にしながら二者択一の道を進んで行く

 人を信じるか人を疑うか自分を疑うか自分を信じるかの分岐点はやはり自分であろう

 今は自分という物差しで人や社会をある意味で推し量れるようになったと信じている

 私につながる息子や娘たちも私と同じように人生の分岐点をどちらかの道を選んで進んで行くことだろう

  「でも・もしと 今来た道を 打ち消すが 後に戻れぬ 人生だから」

  「諦めや 折り合い付けて 生きてきた これから先は 信じるままに」

  「近道と 書いた看板 ご用心 落とし穴など あるかも知れぬ」

  「引き返す こともできない 歳になり 助け呼んでも 見向きもされず」

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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○私のDNAは大洲藩かも知れません

 法人会女性部の総会に招かれ、時間があったので久しぶりに大洲の町並みを歩いてみました。梅雨の晴れ間の、しかも月曜日の夕方とあって町並みを通る人の数はまばらでしたが、白壁や瓦屋根がしっとりと落ち着いた佇まいを見せていました。まちの駅に車を止め、駅の中へ入って友人の河野さんを訪ねました。運良く面会することができレストランでお茶を飲みながらしばし談笑しました。このまちの駅の運営を一手に引き受けている彼は中々の腕の持ち主で、舞たうん100号にもその考えが寄稿されていました。

 県内のこの手の施設は世の中の景気に敏感で、100年に一度といわれる世界同時不況のあおりで個人消費が伸び悩んでいる不況の波をもろにかぶっているようで、元気を出そうと頑張っているのですが、中々上手く行かないと苦戦の模様を語ってくれました。

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 法人会女性部会の総会はまちの駅の斜め前にある商工会議所の2階なので、河野さんの了解を得て車を置き河野さんに案内してもらって会場へはいりました。総会に出席する女性の中には顔見知りの人も沢山いて、はてさてどんな話をすればいいのか迷いながら時間の来るのを控室で雑談しながら待ちました。やがて祝辞も終わりいよいよわたっしの講演が始まりました。僅か1時間なので「新しい発想で生きる」という演題のアドリブな話はあっという間に終わってしまいました。

 講演後は総会ということもあって懇親会が催され、私も所用があるため20分ほどの短い時間ながら美味しい料理をご相伴にあずかりました。商工会議所の井関会頭さんや役員さんと懐かしい話に花を咲かせましたが、最後に料理屋の箸袋裏に書かれている「愛媛詩情」なる歌を即興でハーモニカで吹くようリクエストがありました。歌は知っていますし口ずさむこともできるのですが、それをいきなりハーモニカで吹けというのは少々乱暴な話です。でも「それをいっちゃあお終い」とばかり、無謀にも壇上に上がりマイクの前で吹きました。Am和音のハーモニカで吹きましたが、いい調子で吹くことができて拍手喝采を受けました。

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 顔見知りの長坂さんが気を配ってテーブルの上を飾っている花まで手提げ袋に入れてくれ、会場を後にしましたが、「今度建設業協会の女性部でも講演を」「人間牧場を訪問したい」などの矢継ぎ早の言葉に余韻を感じながら、折から降り出した雨に多少濡れながらまちの駅へ小走りして車に乗り込みました。

 家にちょっとだけ立ち寄り約束の人と会うため伊予市へ向かい、自宅へ帰ったのは9時を過ぎていました。普通だと嫌だと思う雨も、少雨や水不足を心配してか、慈雨と受け止め、忙しく動くワイパーの音に頼もしさすら感じました。昨晩はひと夜中雨が降ったようで、今朝もシトシト雨が降り続いて、天気予報では今日は一日中雨模様ですが、土砂災害のないような水不足の解消になるような雨を期待したいものです。

 幕藩時代は大洲藩だったわが町も、その後の社会の変化によってまるで松山藩のようになり、大洲は遠くなったような気がします。でも大洲の人たちに会う度に言葉も仕草もどこか懐かしく、まるで親類へでも行ったような錯覚にとらわれるのは、やはり私のDNAのせいなのかも知れません。昨日もい一日でした。

  「何となく なまり懐かし 思うのは DNAが 一緒なのかも?」

  「即興で 吹けと言われて 壇上に 愛媛詩情を ハーモニカで吹き」

  「いい話 だったとお世辞 悦に入り 次の約束 してまで帰る」

  「短めの 時間を過ごす 懇親会 ハイさよならと 見送られ去る」 

  

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shin-1さんの日記

○習うより慣れよ

 私はパソコンが苦手で、息子や娘婿に何度も同じことを教わりますが中々飲み込めません。本当は親が子に教えるのが世の常でしょうが、ことパソコンに関してはその逆で子に親が教えてもらわなければならないのですから哀れな話です。教えてもらうその都度、「何度言ったら分かるのか」とは言わないし、私のレベルを知っていて丁寧に教えてもらうだけに、聞く方もかえって心苦しいのです。

 何でもそうですが、嫌いと思ったり苦手意識を持つと、何かにつけて疎遠にになって益々アレルギー反応が強くなり、ついには逃げ出したくなるのです。特にパソコンが何かの拍子で動かなくなったり故障したりするともうお手上げで、息子や娘婿の仕事のことも考えずに連絡しまくって、迷惑ばかりかけているのです。娘婿の手配で半年前に購入したTOSHIBA-dynabookはその後順調に動いてくれていて、有難いことに大したトラブルもなく推移しているのです。

 一昨日息子がわが家に帰ってきました。人間牧場に新しい釜戸小屋を作るための相談にきたのです。人間牧場の水平線の家もロケーション風呂も全て息子の設計ですが、今回の釜戸小屋は5年計画の最終段階なので少し凝った造りにしたいと言い出しました。僅か畳3畳ほどの小さな小屋なので、素人の私としては30万円くらいで仕上げたいと思っていました。人間牧場をフィールドにしている21世紀えひめニューフロンティアグループのご厚意もあって30万円は何とか支援してくれるそうなのですが、息子の思惑ではかなり資金が必要なようです。

 リタイアして年金暮らしとなった私には息子が考えるほど懐は豊かでないのですが、それでも折角造る釜戸小屋ですから多少は出費も心がけていますが、少ないお金でいいものを造ろうとする私と、多少お金が要ってもいいものを造ろうとする息子の間には金額的にかなりの開きがあるようで、工事に入る前から少し憂鬱になっています。

 先日息子から1枚の設計図がメールで送られてきました。メールに添付した設計図を開いて見るくらいはできますが、イメージ写真などなど送られたものを見ることもこれまた一苦労です。息子はその度に「習うより慣れよ」の言葉を引用して、積極的に私にパソコンを慣れさせようとしますが、当の本人は面倒臭くてついつい故障が怖くて一歩を踏み出せないのです。

 それでもやはり息子が言うように習うより慣れろで随分とパソコンが使えるようになりました。リタイアしたため表を作ったり計算をしたるすることは殆どなくなって、もっぱら文章を書いたり写真を挿入したり、それらを送受信したりする程度の活用ですが、メールを送る相手と送ってもらった相手とパソコンを介してコミュニケーションが図れるのですから大した進歩なのです。

 今朝も分からぬままに相手の求めに応じて、パソコン内に入っている写真データーの中から何枚かを取り出して送ってみました。一歩踏み込んだお陰でその方法が何とかマスターできたようです。基本を知らずにパソコンをいじくるのですから、難儀な話です。

  「依頼され 送る予定の こと全て 片付きホッと 一息入れるぬ」

  「習うより 慣れろと息子 諭すけど 俺には難題 パソコン苦手」

  「迷い子に なった情報 あり過ぎて 探すがどこに 潜んでいるやら」

  「この程度 満足すれば 進化せず も少し努力 も少し進化」

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shin-1さんの日記

○お四国参り最後のお寺は三角寺

 昨日は埼玉県北本市の皆さんが人間牧場へ一泊二日で来ていて、早朝5時から妻が朝食作りを行いそれを私が人間牧場へ運ぶという慌ただしい幕開けとなりました。人間牧場までの山道はデコボコが多く、最新の注意を払ったのですが残念ながら助手席下に置いた味噌汁の鍋から味噌汁がこぼれて大慌てでした。それでも7時過ぎには到着し、妻の作った朝食をみんなでわいわい言いながら食べました。

 一行はその後身支度を整えて山道を帰って行きました。さあそれから私はたった一人で風呂やトイレ、それに水平線の家を汗だくで掃除をし、生ゴミなどをトラックに積んで下山しました。途中稲葉さんの農園に立ち寄り少し談笑しましたが、稲葉さんは既に農作業の真っ最中で、サツマイモや山芋、スイカなどは活着して勢いよく伸びていました。

 酒屋や料理屋に支払いを済ませゴミの処理をしてトラックを洗い、一連の作業を終えた頃には10時を回っていました。急いでシャワーを浴び着替えて妻と一緒に車に乗り、市内の会場で行われた子育て講演会にやっとの思いで間に合いました。それにしてもわれながら変わり身が早いと自分で納得しました。午前中の短い時間にあれだけの仕事をこなすのですから、自分を自分で褒めてやりたい心境なのです。

 講演が終わるのを待っていた妻と娘の家を訪問し、約束していた孫二人をチャイルドシートを装備して乗せ、どこまで走っても千円の高速道路を走って川之江インターで降り、四国中央市にある四国霊場56番札所三角寺にお参りしました。実はこの寺が10年間以上もかかった私たち夫婦のお四国参りの最後のお寺なのです。

 孫たちにとっては年寄りのお四国参りに何で同行しなければならないのか、不思議な感じもしたでしょうが、じいちゃん、ばあちゃんと一緒に外出するのはとても楽しそうで、車の中はまるでピクニック気分で大はしゃぎでした。

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 祈りの旅の終わりを示す掛け軸に納経の梵字を書いてもらい、既に終わっている納経帳と掛け軸の全てが埋まりました。後は高野山のみで、念願の桔願の日もそう遠くないようです。

 私たちはお寺から横なでの曲がりくねった道を通って新宮に出ました。アジサイを見るためです。何年か前に何度か講演に来た旧新宮村はその後すっかりアジサイの村として有名になっているのです。昨日はアジサイ祭りが開かれていて、午後にも関わらず大勢の人が訪れていました。夏の太陽が照りつけ、孫連れゆえに大汗をかきながらアジサイ園を散策ました。今年は雨不足のため心なしかアジサイの花に元気が感じられませんでしたが、それでもアジサイの群落は圧巻でした。

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 花を愛でることは優しい心を育てることです。孫たちも大輪の花を咲かせたアジサイの花を眺めながら楽しいひと時を過ごしました。帰りは旧新宮村にあるインターチェンジから高速に乗り僅か千円で川内インターまで帰りましたが、途中の石鎚山SAでお土産を買ってもらいご満悦な孫たちでした。

 もう間もなく長い夏休みがやってきます。一年生になった孫朋樹は「夏休みになったらおじいちゃんと遊ぶ」と張り切っていて、先が思いやられる今日この頃なのです。


  「爺と婆 孫の二人を 従えて お四国参り 最後の札所」

  「父さんと 母さん元気で いますよう 無邪気に祈る 孫の無邪気さ」

  「アジサイの 里を訪ねて 来たものの 茶園の友に 結局会えず」

  「往復で 二千円しか 要らぬ旅 何か得した ような気分に」

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○埼玉県の皆さんと一泊二日の楽しい交流会を行いました

 昨日午後4時ころ、高知県四万十市旧西土佐村から和田さんと西平さんの案内する、奥さんたちが初めてとあって急きょ予定を変更して埼玉県の工藤さんたちご一行がわが家にやって来ました。一年ぶりの再開なのですがどこか懐かしい感じがしました。わが家を一通り案内見学して、早速交流会の会場となったお目当ての人間牧場へ向かいました。工藤さんや峯尾さんにとっては人間牧場も2回目なので目新しいものはありませんが、工藤さんと峯尾さんの奥さんにとって四国は勿論、四万十川や人間牧場を訪問するのは初めてで、目を丸くしていました。この日は心配された雨も梅雨の晴れ間を楽しむように小休止で、幸運を喜びました。

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 昨日の交流会は埼玉県から6人、わが21世紀えひめニューフロンティアグループから6名の合計12名の参加となりました。せっかく埼玉県から来るのだからと、いつもは妻の手料理でもてなすところですが、今回は地元のお寿司屋さんに、瀬戸内海で採れる魚を中心に料理を作ってもらいました。先発隊の豊田、河野両氏がシーサイドで購入したじゃこ天や、西土佐から送られてきた手長川エビの茹でたものも加わり、何かと食べ物の多い交流会でした。

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 埼玉の皆さんとは人間牧場の沖合い眼下に見える由利島で無人島に挑む少年の集いを10年間にわたって共同実施してきただけに思い出も格別で、呑むほどに酔うほどに懐かしい話に花を咲かせました。工藤さんの奥さんや峯尾さんの奥さんにとっては、これまで私たちのグループとの交流はうわさ話程度でしかなかったのでしょうが、こうして現地を訪ねて聞く話はリアル性に富んでいて、男のロマンを感じたに違いないと思いました。

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 西の端に夕日がゆっくりと落ち、夜の帳が下りてウッドデッキの上は雰囲気も最高潮でした。雨が降るかも知れないというので今回は残念ながら蚊帳を張りませんでしたが、屋外用の照明に照らされたデッキの上は、夏の海から吹きあげてくる風も心地よく、北斗七星や北極星が頭上に輝く満天の星空を眺めながら、時々電気を消したりデッキに全員が寝転がって星空を観察するなど、四呂遅くまで楽しく語らいました。

 私はあくる朝の朝食の準備がるので山を降りましたが、12時30分ころから雨が降り出し長旅の疲れを癒すように床に就いたようでした。

 今朝は5時過ぎに起きて妻はせっせと朝食を作ってくれました。私は7時過ぎ人間牧場へそれを運んで質素ながら食べてもらいました。

 今日は松山市内見学をする予定で、所用のある私は河野さんと佐々木さん、豊田さんにお願いして人間牧場で皆さんに別れを告げました。風呂やトイレ、そして水平線の家の掃除をして下山しましたが、思い出をよみがえらせるいい交流会となりました。


  「懐かしき 友遠方より 来るあり 眼下に見える 島を眺めつ」

  「十年も 一緒に行動 無人島 あんなこんなが 昨日のように」

  「蚊帳の外 いつも話を 聞かされた 今日はしっかり この目この耳」

  「それぞれの 生きた人生 その中に 同じ思い出 少し共有」 

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shin-1さんの日記

○孫たちの1/3論

 私たち夫婦は結婚して40年になりました

 その間4人の子どもが生まれました

 最初は1+1=2でしたがいつの間にか

 1+1=2ではなく1+1=6となったのです

 その子どもが2人結婚しました

 それから何年かして孫が4人生まれました

 最初は1+1×2=4でしたがいつの間にか

 1+1×2=4ではなく1+1×2×2=8となったのです


 ある年悲しい出来事がありました

 祖母と母親が亡くなりました

 最初は5-2=3でしたがいつの間にも

 5-2=3は5-2=3のままなのです


 4人の孫はそれぞれ成長しています

 わが家へやって来る孫たちの3人までが自己主張するようになりました

 最初はイチゴを3個ずつ分け与えても文句を言いませんでしたがいつの間にか

 9÷3=3ではなく 4+2.5+2.5=9となったのです

 4人の孫の中で1人の孫は今年の春小学校へ入学しました

 殆ど毎日算数を勉強しています

 最初は足し算や引き算だけでしたが掛け算を覚えました

 いつの間にか1+1=2と1×1=1が不思議で仕方がないようです


 家の玄関先でメダカを飼っています

 そのメダカが卵を産んで赤ちゃんがかえりました

 最初は10匹だけでしたが坪の中が無数になりました

 いつの間にか9×?=9ではなく9×?<?となったのです


 わが町の人口は昭和30年には1万人を超えていました

 町から人が出て行って人口が7千人1千人と減り続け

 最初は多かった人口も

 いつの間にか1万人→5千人弱となったのです


 私たち夫婦は若いころから一生懸命働きました

 親父の建てた家を弟に譲り借金して家を建てました

 最初は返済していた借金もやがて返済が終わりました

 いつの間にか人間牧場に別の家が建ち1+1=2となったのです

 私たち夫婦は毎年確実に一つ歳を加えています

 私は64歳で妻は63歳です

 最初は余り感じなかった夫婦の年齢差は

 いつの間も今もこれからも一つ違いのままなのです

 数字とは不思議なものです

 数字とは面白いものです

 数字とは怖いものです

 いつの間にか数字は増えたり減ったり変化しているのです 

  「毎日の 暮らし数字で 成り立って +-×÷ 色々使う」

  「イチゴ分け 不満の孫が 主張する 俺は兄貴だ もっと食べれる」

  「人生は 増えることだけ 思うもの 増えた数だけ 何処かが減って」

  「あと残り 幾つあるかと 指折れば 少しため息 出そうになって」

  

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