shin-1さんの日記

○公民館で働いた昔の仲間や先輩たちと集いました

 今日は梅雨の中休みといったところで、久しぶりに好天に恵まれました。しかし間もなく梅雨明けすることを予感させるように、このところは湿度が高く、温度以上に蒸し暑い感じがしました。今日は公民館のOBで組織する公友会の夏の勉強会が午後から松山のにぎたつ会館であるので、息子と昼飯でも食おうという相談がまとまりました。午前中たまたま日程が空いている私を誘って、10年目の車検が切れるため車を買い換えようという話が妻と息子たちでできていて、かなりたくさんのカタログを取り寄せてくれていますが、私は車には余り興味がなく、そのことを知っている息子と娘が強引に私を誘い、車を購入するべく下見に行ったのです。今日はホンダの店に立ち寄り環境にやさしい車の説明や息子がお目当ての車に試乗などを行ったのです。正直言って私の主張は「車は安い方がいい」ということなのです。ところがお店の方は私の経歴を薄々知っているのか、「環境にやさしい低燃費な車をと盛んに勧めてくれるのです。結局見積もりをしてもらいお店を出ました。

 土用丑の日もちかいというので「つしま」といううなぎ専門のお店で昼食をとることにしました。私たち夫婦と息子夫婦、それに間もなく2歳になる孫と誕生2ケ月近くになる孫を連れてお店に入りました。ま稲にっかいは来るお店なのですっかり馴染みとなって、愛想よく迎えてくれました。いやあその味は格別で、お陰さまで久しぶりに美味しい昼食を食べました。

 1時からの公友会には少し間があるので、道後温泉近くに住む娘の家の車庫に車を止め、妻と二人で温泉街を歩いてみました。アーケード内は両側のお店のせいか冷房が効いてとても気持ちがよく、まるで温泉旅行にでも行ったような気分でそぞろ歩きとなりました。

 記念にと妻を伊予鉄道道後温泉駅の前に立たせ記念写真を撮りました。

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(道後温泉駅の前に立つ妻、後ろには坊っちゃん電車も見えました)

 妻と別れた私は真夏の太陽が照りつける道をにぎたつ会館まで汗をかきながら登って行きました。会場にはもう殆どの人が集まって、私の悪口?を言いながら懐かしそうに話していました。

 夏の勉強会に参加した人は14人ほどでしたが、いずれも現役時代は公民館活動で名を成した人たちばかりで、佐伯会長さんのあいさつで始まり、予算や事業などが話し合われた後、近況報告、懇親会と続きました。今年の春定年退職した旧生名村の浜田さんはアゴにひげを蓄え作務衣を着てまるで仙人みたいな恰好で参加をしていました。菊地さんや古野さん、井出さんなど懐かしい顔ぶれもそろって、ひさしブルに思い出話に花が咲きました。来年は人間牧場で春の勉強会をすることが満場一致で決まりました。それまでに進化を遂げそれまでに心身ともに健康で参加してほしいとオア話をさせてもらいました。

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  「それぞれに ひとつの歳を 加えたる 何処かスローに どこか消沈」

  「会員を 増やす議論を してみるが 他力本願 なかなか増えぬ」

  「返信の ハガキに書いた 近況に 加齢の波が 押し寄せ来るを」

  「来年は 人間牧場 来るという とにかく元気 とにかく進化」

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○瀬戸内海点描

 一昨日山口県での研修会に招かれて徳山へ行くため早朝一便の防予汽船のフェリーに乗りました。家を出たのは午前4時で夏とはいいながらまだ外は暗かったのですが、船着き場のある三津浜に着いたころには東の空が明るくなって、雲を真っ赤に染めた朝焼けを見ることができました。夕日や夕焼けに殊のほか思いを寄せる私ですが、すがすがしい夏の朝焼けもまた一日の始まりを感じさせ、思い切り深呼吸をしました。

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 四国から中国地方へ渡るのには、瀬戸大橋で岡山へ、しまなみ海道で尾道へ、高速船かフェリーで松山観光港から広島へ、そして今回のように三津浜から柳井へフェリーで渡りますが、ダントツに多いのは広島ルートと柳井ルートなのです。

 柳井ルートの拠点となっている三津浜は「三津の朝市」と伊予節にも唄われていますが、朝市界隈も魚市場の移転ですっかり様変わりして、行商人の姿や漁師さんの姿はほとんど見えず、魚を積んだトラックが頻繁に出入りする程度で、風物詩とは少し違った趣に変化していました。

 船が桟橋を離れ一回転して進み始めると直ぐに梅津寺の海岸に出ます。ここは戦中戦後から今日まで愛媛県の海水浴場では一、二を争う有名な場所でした。遊園地を兼ね備えた梅津寺パークはかつて子どもたちのあこがれの場所でもあって、遠足や家族連れで賑わったものでした。しかし遊具等の老朽化と車の普及による客離れが進んで経営が赤字に転落し、今年の春で長い歴史に幕を閉じたようです。と同時に梅津寺海水浴場も、海の汚染や環境の悪化で物議をかもし、ついには今年の夏から閉鎖となったのです。もうサメよけネットなどの設置もなく、高校や大学のボート部が練習する場所だけが残っているようです。時の流れとは恐ろしいものです。

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 梅津寺と高浜港の間に小さな島が見えます。坊っちゃんという小説にも登場するターナ島です。かつては白砂青松とうたわれた見事な松山のシンボル的な島でしたが、松くい虫の被害にあってまるでもぐさのような殺風景な島になっていました。心を痛めた人たちが松の移植実験を試みていますが、かつての雄姿になるのはまだまだ先のことのようなのです。

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 沖合に目を転じれば伊予の小富士と形容される、これまた松山のシンボルごご島が見えます。私たちの町や人間牧場から、また飛行機で松山空港に着陸する際左手下に見える美しい島なのです。ビワやモモ、それにミカンなどたくさんの果樹が生産されているところとしても有名で、往復するフェリーは僅か10分ほどで到着するのです。でも近過ぎるのかごご島へはそんなに行く機会は少ないようです。


 山口県徳山での公演が終わって復路も同じフェリーに乗りました。「夏の朝焼け川向う渡るな」と古老から教わった通り、船が二神島あたりに差し掛かったころにわかに空があやしくなりました。右手遠くに見えるのは四国の西佐田岬半島でした。手前には私たちが20年にわたって無人島に挑む少年のつどいをやった無人島由利島が見えてきました。懐かしい島です。もうそんなに訪れることもないでしょうが、この島は私の青春の思い出であり、心のシンボルなのかもしれません。

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 沖合から私の住んでいる双海町が雨にかすんで見えました。私は逆からみればこんな所に住んでいるのかと思いつつ、あれが明神山634m、あれが牛の峰山896m、あれが黒山780m、あれが壺神山971mと宙で覚えている山の高さを思い出しながらデッキに出て見つめていました。

 
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  「瀬戸内の 辺り見渡し 思うこと 時は流れど 位置は変わらず」

  「随一と うたわれ人の 集まりし 海水浴場 閉鎖のニュース」

  「小説に 出てくるターナの 島影も 何処かさみしく 雨に煙りて」

  「わが町を 逆から見るも 面白い あんな小さな 所に住んで」 

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shin-1さんの日記

○今日は午前と午後と2回も講演をしました

 数日前愛媛県金融広報委員会から金銭教育講演会の話が持ち込まれましたが、あいにく日赤から講演の予約を受けていたのでお断りしました。ところが相手が午後でもいいので都合をつけてほしいといわれ、多少移動に時間がかかるもののお引き受けすることにしたのです。昨日の夜山口から帰ってパソコンをいじくっていると、ひょんなことからメールの送信ができなくなり、いくら私の朝知恵で動かしても送信エラーがでるのです。こんな時はジタバタしても始まらないと、息子と娘婿に電話をして事の顛末を話しました。講演先が日赤ということもあって、早目に家を出て娘宅へパソコンを持ち込み、娘婿に診察修理を頼みました。私の心配をよそに娘婿は慣れた手つきでチェックしていましたが、僅か30分ほどで復旧してくれました。故障ではなく何かの拍子でエラーが出たようで、家を出ました。折から集中豪雨のような激しい雨に見舞われましたが、娘の家を出るころには雨も小降りとなって、修復の終わったパソコンを車に積んで日赤へ向かいました。

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 日赤の正面玄関には電話連絡で確認した通り、女性の方が2名待っていてくれ、2階の応接室に通されました。二男が看護師と伊sて勤めている病院なので、少し気づかい、少し緊張の面持ちで担当の方たちとお話をさせてもらいました。家を出るとき妻から「息子が恥をかくようなことだけは言わないでほしい」と釘を刺されていたので、会議室で80人の人を前に話した90分の話は、最初できるだけ言葉を選んで話していましたが、興が乗ればいつものように田舎のことばそのままにのったはなしをさせてもらいました。

 幸い日赤で看護師をしている息子は今日は東京へ出張だそうで、顔を合わせることもなく帰れてホッとしているのです。bン頭をご用意いただきながら、時間が余りないので手提げお持ち帰りにしてもらって車に乗り込み、奥道後コース~農面道路を走り、今回が二度目となる西条市楠河公民館を目指しました。幸い30分前に到着し、主催団体である東予地方局県民生活課や、楠河公民館の方々と談笑しながら時間が来るのを待ちました。今日西条では三芳地区ではカラオケ大会があるらしいので、圧ありがイマイチだと言っていましたが、最終的には50人近くの人が集まり大盛況でした。


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 テーマが金銭教育を中心に据えた子育ての話なので、私の経験を交えてお話ししました。若いお母さんもたくさん集まっていただき和やかな集会となりました。午前中90分、午後90分、合わせて一日に3時間も話したのですが、そんなに疲労感はなく、再び奥道後の道を帰りました。

 このところ、梅雨の末期とでもいうような激しい雷雨や突風が吹いて、気象の異変が地球温暖化の異変を感じさせるようでした。帰るころには雨も上がり、さわやかな風がすっかりミドリ一色になった田んぼの稲を揺らして通り過ぎていました。梅雨が上がるともう間もなく暑い暑い夏がやってくるのです。健康に注意して暑い夏を今年も乗り切りたいと思います。

  

  「午前午後 一時間半ずつ お喋りし 今日も元気で 舌好調です」 

  「何話そう そう思いつつ 壇上へ 気がつきゃ終わる 喋りの極意」

  「嬉しいね 熱心耳を 傾けて 聞いていただき さらに飛躍を」

  「聞く人の レベル高いか 寝る人も なくて熱心 相槌うちて」


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○東予地域ニューツーリズム現地調査③

 私たち現地調査の一行は旧宇摩郡とは言いながら、交通アクセスがうまく結ばれていないため、新宮から乗った高速道路を一旦下りて山深い旧別子山村を目指しました。眼下には四国中央市のすべての街がまるで飛行機にでも乗っているように一望できましたが、新宮ダムや・瀬ダム、富郷ダム別子ダムと4つのダムで仕切られた人口の湖を横目に見ながら、ダムの恩恵で整備された道を登って行きました。やがて道路は四国山系に分け入り渇水で水の少なくなったダム湖や川を横目に見ながら、橋、トンネルで超え目的地である森林公園ゆらぎの森へ到着しました。第三セクター悠楽技の近藤鉄男社長と面談しました。度肝を抜かれたのはまるで傘を広げたような藤棚を兼ねた直径10メートル以上もあるパーゴラでした。揺らぎの森の運営席に医者である近藤社長は人懐っこい方で、いろいろな夢を語りました。もし私だったらこんなことがしたいと、恥も外聞もなく思いつくままに夢を語り合いましたが、ゆらぎの森は発展途上で、年間2~3万人の観光入込客数をいかに5万人いするかということを考えたのです。遠隔で冬の間は雪に閉ざされるな地理的条件はいかんともし難いのですが、手つかずの観光資源は無限にあるように思いました。筏津山荘の傍で自生地を増やしているキレンゲショウマも個人が増やしているクマガイソウやカタクリの花などの高山植物はとても魅力があると感じました。更には筏津山荘裏の坑道跡も立派な産業文化遺産なのです。

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(まるでこの木何の木と言いたくなるような日本最大級の藤のパーゴラ)

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(パーゴラの中はまるで傘を広げたような雰囲気でした。

 私たちの町のような暖地ではもうとっくに終わっているアジサイの花が高地ゆえに2週間遅れの今頃満開を迎えていました。法皇アジサイラインには色とりどりのアジサイの花が咲き雨に打たれてそれは見事な風情を醸していました。飽和状態の新宮のアジサイも見応えがありますが、こちらのアジサイもそれに勝るとも劣らぬ規模で、新宮と別子山が連携すれば花の季節を1ケ月間も長く楽しめるのです。

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(別子山側にあるアジサイ公園も見事でした)

 急別子山村のクマガイソウもキレンゲショウマもカタクリノハナも、もちろん沿道に咲く菜の花も自生地をしっかりとコントロールさえすれば、新しい魅力となって、5万人は決して到達できないような魅力があると感じました。

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(筏津山荘の裏で大事に育てられている珍しキレンゲショウマの花)

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(この石も地質学上貴重な資料です)

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(ゆらぎの森の中心施設)

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(ゆらぎの森の宿泊施設)
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(筏津山荘前の池ではニジマスの養殖が行われていました)
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(筏津山荘裏の坑道跡はリアルな採掘風景が展示されていました)

 新居浜と合併する前の旧別子山村時代に整備した諸施設は想像以上に立派でした。峠の道を超えて新居浜へ帰りましたが、はてこれらの施設を生かした観光を始めるにはまず新居浜市民にどれでk知ってもらうようアピールするかがまず一番先にやらなければならないことのようです。幸い新居浜と四国中央市はNS(新居浜と四国中央市の頭文字)観光推進の組織を立ち上げていて、両市長さんも積極的だと聞きました。瀬戸内海に面した産業ルートと、四国山脈に面した山岳観光ルートを組み合わせれば、香川や高知、また瀬戸大橋と結んだ新しい活性化戦略が生まれそうです。これはもう是非実現したいと思いました。


  「手つかずの 自然が残る 別子山 遠いがゆえに 人もまばらで」

  「来る人を 倍に増やそと 夢語る やればできるさ わが町だって」

  「中にいりゃ 見えぬものだが こりゃ凄い 藤のパーゴラ 和傘のようだ」

  「雨の中 アジサイ手入れ する二人 見逃さないで これが観光」

 

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○今日は山口県へ出かけ大雨に出会いました。

 「四国はどう」と、妻からかかってきた携帯電話で雨の模様を心配して問い合わせましたが、「四国は朝から雨が降っていません」というのです。ところが対岸の山口は、9時過ぎに徳山駅に到着したころ降り始めた雨はやがて土砂降りとなり、駅まで迎えに来てもらってタクシーを降りた途端、まるでスコールのような雨が雷を伴って降りだしたのです。早朝4時に家を出たため天気予報の確認もせず、ましてや雨も降っていないので傘も持参せずでした。相手があることだし、駅までの送迎もあるというので鷹を喰っていました。

 山口県連合婦人会が開く地域婦人会リーダー研修会の会場となった周南市徳山保健センターには、山口県下各地から200人を超える女性が集まっていました。周南市は徳山市などが合併して出来た新しい街で、大中小企業が沢山ある、山陽路でも活気のある地域なのです。この日の研修会に祝辞を述べに目と鼻の先の市役所から訪れた市長さんと、講師控室でご一緒になりましたがド派手な方で、ピンクの背広と旨のポケットにはピンクのハンカチをさりげなく差し込み、クールビズがいかにも格好良く似合う方でした。

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 片や私は、世間の風潮がクールビズに傾いているというのに、講演を行う講師としての格式を重んじてネクタイに背広といういでたちで、時代感覚の相違を見せつけられました。そのための気負いでしょうか、壇上に上がった私は、木になるカバンから飛び道具を出して一発カウンターパンチをくらわせるようなパフォーマンスをやりました。「少し地味な格好の市長さん?に対抗して私も少し地味なPRをします。これは私だけしか持っていない電光掲示板でして、この電光掲示板で私の紹介をしたいと思いますのでご注目ください」と冒頭にやってしまったのです。これには参加した人も大爆笑で、のっけから大受けとなりました。

 最初出だしで私のDVDを上映する予定はどこかへ消えてしまい、ステージには頭出しされたトップぺージが移され、脇の演台で話さなければならなぬ羽目となってしまったため、コードレスマイクを持ってステージの中央で話したり、大変忙しい動きのある講演となってしまいましたが、いやあ驚きました。さすがに地域で婦人会活動をしている人たちばかりで、想像以上の反応に、こちらはうっかりDVD上映をするのを忘れて終ってしまいました。DVD上映のために待機していた事務局の平野さんは、結局1時間半も今か今かと待機して90分も待たせてしまったのです。その結果操作を忘れるほどでした。

 「女性が輝くときまちが輝く」という演台の講演が終わり、とんぼ返りするして徳山の駅へ平野さんが自家用車で送ってくれる頃には雨はますます激しくなって、駅構内の放送では岩日線が雨で運転できないのでストップしたと伝え、下りも遅れていると聞きました。フェリーの時間に接続している列車が動かなくなったらやばいと不安がよぎりましたが、何とか予定の船に乗ることができ難を逃れ、九州や佐田岬半島辺りの西の空が明るくなっているので安心して終着港三津浜に着いた頃、再び土砂降りの雨に見舞われ、船着場から駐車場まで走りましたが、もうまるで濡れ鼠のようになってしまいました。水もしたたるいい男と一人高笑いをしましたが、人に会う予定があるためこのままで会うこともできず、途中の温浴施設に立ち寄り濡れた体を温めました。私が風呂に入っている間にかなりの雨が降ったらしく、予讃線海岸周りの列車が運転見合わせになっているとラジオが報じていました。会社の社長さんと夕食を食べながらお話しして帰り長い一日が終わりました。


  「灰谷の 言葉のように やりました 傘がなければ 濡れて小走り」

  「海一つ 隔てた場所は 大雨で わが家は天気 電話で妻言う」

  「ド派手市長 われも負けじと 壇上で 電光掲示を 取りだしパフォーマ」

  「雷の 音に思わず へそに手を 当てがうわれを 可笑しく笑う」 

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○ひょっとしたら私は友人の夢の中で死んでいたかも知れません

 昨日島根県に住む友人から、一本の電話がかかってきました。昨晩着信履歴で友人からの電話を確認したため、電話をかけましたが、その友人の家は家が田舎のため携帯電話が通じないので、「この電話は電波が届かない所にあって・・・」と今時珍しいコールセンターからの反応でした。今朝は早朝に山口県へ出張してフェリーや山陽本線の電車を乗り継いだため電話がかけることができませんでしたが、向こうから再度電車の移動中に電話がかかってきました。幸いにも午前中の空いた車内だったため他の乗客に迷惑をかけることもなかったため、少し小声でお話をさせてもらいました。

 電話に出た友人は、「一昨日あなたの夢を見ました。夢に出てきたあなたは酒を断っているはずなのに、何故かお酒を飲みながら、楽しそうに話をしていましたが、どこか寂しそうでした。夢から覚め胸騒ぎがして、ひょっとして最近の音信不通は、若松さんの身に何か異変が起こったのではないかと思い電話しました」というのです。「一昨日は電話口にも出ないし、昨晩はとても不安でしたが、こうして元気な声を聞いて安心しました」と、少し涙ぐむような涙声が電話の向こうから聞こえたのです。「心配をかけていますが、私はまだまだ元気で、今日も山口県婦人会の招きで出かける途中です。またゆっくり出会いましょう」といって電話を切りました。

 はてさて、友人の夢の中で私はどんな役柄だったのでしょうか。彼女は「酒を飲んでいた」「どこか寂しそうだった」くらいの柔らかい表現でしたが、直感的にガンに侵されて入院し余命いくばくもない姿を連想したかも知れないのです。いつも元気人間の代名詞のように元気に活動している私ですから、いつかはそうなるかも知れないのですが、「まだまだ弱るわけにはいかない」と電話で強がって見せました。

 85歳まで生きると生活設計を立てている私故に、私のことを「もしや」と夢で見てくれた友人は女性ですが、彼女が公民館に勤めている頃から何かと気心が知れて、様々な場所で仕事をしましたが、彼女こそ脛や腰に持病を持っていて、何度も入院して修羅場を生き伸びてきているだけに、人のことを心配してくれることは有難いものの、むしろ私が友人の体を心配してあげなければならないのです。

 ふって湧いた私の体調と友人の体調を、電話ながら確かめ合い再会を約束して電話を切りましたが、はてさて私もそういう歳になったかと、列車の中でひとり苦笑いをしてしまいました。電話を切った次の駅から80がらみのおばあさんが乗り込んで、私の横に座りました。座るや否や持っている携帯が鳴り始めたのです。おばばちゃんは少し耳が遠いようでしたが、着信音は水戸黄門のテーマソングでした。着信音が鳴っているのに気づかないので、「奥さん電話が鳴っていますよ」と諭すと、バッグの中から携帯電話を取り出し離し始めました。「電車の中なのでよう聞こえんので、もっと大きな声で話して」と、相手より自分の声を大きくして相手に伝えていました。良く見るとその携帯電は私の携帯電話と同じ機種でした(笑い)。電話を話す声が大きかったためサバを通りかかった車掌さんが、「おばあちゃん、電話は社内ではご遠慮ください。相手の人の迷惑になりますので」と諭しましたが、われ関せずで話し続けました。昨年とある町の老人大学で会ったことを丸で再現したような光景に、私は思わず含み笑いです。長閑な田舎の携帯電話騒動でした。


  「友人は 夢に出てきた 俺思い もしや死んでる? 安否確認」

  「人の夢 どんな役柄 出てきたの? 昔のように 酒呑みでした」

  「嬉しいね たとえ夢でも 気遣って 電話してくる それが嬉しい」

  「もう一度 死んだつもりで くじけずに 生きるとするか 二十一年」 

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○東予地域ニューツーリズム推進事業現地調査②

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(公園入口に架かった吊り橋)

 霧の高原から霧の森公園に帰った頃から雨が降り出しました。渓谷にかかった橋を渡って公園内の施設を見学させてもらいました。施設は若者向きなお洒落で清潔感がありました。水曜日の昼でしたがまずまずの人出、つまりこれが日常だと思いました。旧新宮村はお茶の産地でお茶の手揉み体験ができたりお茶に関する展示が数多くありました。また新宮の地名になったであろう和歌山県新宮と同じ信仰の世界を感じさせてくれました。

 この公園の中にある霧の森菓子工房では私の友人である大西広志さんが勤めていて、出会いを楽しみにしていました。大西さんとは地域づくり人養成講座で知り合い、人間牧場にもやってきたことのある年輪塾ネットのメンバーですが、現地で会うのは初めてなのです。

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(注文を聞く親友の大西さん)

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 菓子工房では自慢のお菓子が作られていて、霧の森大福というお菓子は売上高2億円と爆発的に売れて生産が間にあわないようです。シーズンに入り忙しく振舞う彼とは立ち話程度で別れましたが、最近新宮に引っ越してきたらしく、いよいよ性根を据えて取り組むようで、ここにも力強く公園を支える人が育っていて頼もしく思いました。

 
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(市直営の温浴施設)
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(公園のメイン施設)

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(菓子工房前の中庭)

 かつて私は、もう随分前に新宮でお茶屋さんを営む大西さんの招きで、アジサイの里づくりを夢見ていた皆さんの前で講演をしたことがあります。その後も2~3度この村を訪れましたが、来る度にアジサイの花が増え、アジサイの里としてすっかり有名になりました。村内を巡るとどの家々にも道端にも綺麗なアジサイの花が咲いているのです。この地道な花づくりやお茶へのこだわりが村おこしを成功させてのだと思います。観光の基本は確かに拠点施設も必要だし、交通アクセスも良くなければ上手くいかないものです。しかしないものねだりで拠点施設のなさや道路の未整備を嘆いてないものねだりしていてもその先へは進めないのです。新宮は結果的に高速道路がつき、公園が整備されましたが、村々を回って思うのは一人一人の住民がいかにその気になって、村を美しくする気風を持っているかということなのです。


 霧の森大福が大きな効果をもたらしました。賞味期限が短い、それでいて金額的には高めの、それでいて売り切れ御免の商売戦略はさりげなくしたたかです。昨日同行した國元室長さんがわが妻へのお土産にと買ってくれました。妻は飛びきり上品で美味しい大福に舌づつみを打ちました。たった一つの商品がヒットした成功事例を真似ようといずこも真似をしていますが、花畑牧場の生キャラメルと同じで中々老舗を追い抜くことはできないようです。でもちょっとしたヒントを元に努力すれば特産品の一つや二つはできるということも言えるのです。人の心は好き易く飽き易いものなのですが、ラングセラーを維持するのは柔いことではありません。結局は成功するための幾つかのセオリーをもう一度洗い直して行くしかないのかも知れないのです。


  「お土産に 貰った大福 食べながら 何故に売れるか 妻が分析」

  「親友の 働く姿 まじまじと 頼もしくあり 安堵の胸を」

  「どの家も 庭先飾る アジサイを 植えてぐるみの 村は栄えて」

  「雨似合う アジサイの花 まじまじと 色とりどりに 違って咲いて」   



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○東予地域ニューツーリズム推進事業の現地調査①

 観光のスタイルが団体旅行から個人旅行や目的旅行に変わり、観光地の行く先々ではこれまでと違った人に出会い、受け入れる側も様々なプログラムを用意してそれらの人に対応するようになってきました。日本人の寿命が延び余暇時間が増えてライフスタイルが変化したための当然の成り行きでしょうが、今後もその傾向は益々強くなって行くものと思われます。観光は観光に訪れる観光客とそれを受け入れる側の交流によって成り立ちますが、これまでの観光はどちらかというと金を落とす側と金を儲ける側といった二面の経済が重視され、双方の心の充足は二の次になっていたような気がするのです。

 高・遠・長から安・近・短へ、見る観光から体験する観光へと人々の思考が変わり、グリ-ンツーリズム、エコツーリズム、産業観光、祭り観光など、これまではどちらかというと観光の対象外だった生産や生活、時には文化や教育といった新たな体験型・学習型の観光スタイルが生まれようとしているのです。私たちはこれをニューツーリズムと呼んでいますが、ニューツーリズムではこれまでと同じく経済効果を追求しつつ、価値観の多様な観光客にどれだけ心の満足をさせるかが大きなテーマとなっているのです。

 昨日現地調査に訪れた四国中央市と新居浜市は紙産業や住友関連の企業城下町であり、県庁所在地の松山市などに比べどちらかというとこれまでは、観光とはほど縁遠い地域でした。観光客としてターゲットにしている松山市からも少し離れていて、旧新宮村や旧別子山村は愛媛県でも不便で離れた地域としての存在でしかありませんでした。ところつい最近になって八の字ともXハイウェーともいわれる高速道路の整備によって旧新宮村は村でありながらインターチェンジができて、不便どころかXの要、まさに四国中央になってしまったのです。物議をかもした霧の森公園は霧の森大福等のヒット商品を開発し、アジサイの里というお洒落さも手伝って、今では県内屈指の観光地に変身しているのです。また山深かった旧別子山村もダムの整備による交通アクセスの整備が急速に進み、新しい予感を感じさせるようになってきたのです。私はこの二地区を今回の推進事業のテーマであるニューツーリズムコース設定のため現地調査を事務局担当者と行いました。

 1、四国中央市新宮地区

 市役所の合田観光係長さんと株式会社やまびこの夜船総務課長さんの案内で霧の高原施設と霧の森公園を案内してもらいました。ここでは第三セクターの株式会社やまびこが運営組織としてしっかりとした運営をしており、経営的にも地域との向かい合いも何の問題もなくこなされていて、市直営の温浴施設を含めて市との関係も良好でした。

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(今回の事業の担当者である井下係長と夜船課長、合田係長さん)
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(霧の高原の中心施設)
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(マウンテンバイクやキャンプ道具もレンタルで整っていました)
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(4棟のキャビン)
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(塩塚高原にある山頂付近の展望台、遠くは雲辺寺や瀬戸大橋、瀬戸内海が一望できます)
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(牧歌的な草場が続く山並み、パラグライダーの練習場でもあります)
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(同じ塩塚高原には旧徳島県山城町の施設群も整備されています)

 インターチェのすぐ傍にある霧の森公園から霧の高原は少し山道を離れていて、公園をキーにして動くと一日コースや半日コースのプログラム設定が無数にあるのです。パラグライダー、山歩き、野草や野鳥観察、マウンテンバイク、キャンプ、バーベキューなどなど、若者やファミリー層に人気がありそうな魅力がふんだんにありました。このプログラムはニューツーリズムの目玉、つまりいかに滞在時間を長くするかの特効薬になりそうです。駐車場に駐車している車のナンバーを見て驚くのは、高知、徳島、香川といった県外ナンバーの車が多いことです。つまりニューツーリズムのコースを設定して情報発信するには隣接する近県といかに情報のネットワークを持てるかが大きなカギとなっているようです。インターネットの時代になって広域情報は流れやすくなりましたが、行政区域を超えた連携は未だに厚い壁がありネックとなりそうです。


 観光のコース設定は何処から来るのか、ここで何をして何処へ行くのか、またどのくらいな費用でだれと来るのか、それでどの程度の費用対効果があるのか、さらにはそれが次にどうリピーターとして繋がるのか考えなければなりません。旧新宮村はクモの巣の中心にあるだけにその真価が問われそうです。

 競合の中での個性発揮と差別化、さらにはネットワーク形成、受け入れる側にスキルアップ、顧客満足アップなどなど、モデルツアーコース設定に必要な条件をクリアーしながら、考えてみたいものです。


  「外れだと 思っていたが この場所は 真ん中だった 今頃気づいて」

  「県外の ナンバー車 多くあり 知恵えさえあれば 何とかなるかも」

  「観光は 感動商売 そのために 人が大事と 肝に銘じて」

  「暑ければ 涼しい所 求めるは 人の常識 それが基本だ」

 

 

 

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○西土佐での交流会

 私の卓上カレンダーによると2006年5月29日、高知県四万十市西土佐支所の和田課長と中脇女史の二人が人間牧場へやってきました。西土佐の集落で地域づくりの講演会をするので、20回来てくれないかという相談でした。頼む方も頼む方だが、引き受ける方も引き受ける方だとわが妻が呆れ返った講演会は6月15日の玖木集落を皮切りに11月13日の大宮集落まで予定通り20回、私は片道125キロ、往復250キロの道のりを宿泊もせず日帰りで務めを果たしたのです。私の記憶では後にも先にも一つのまち・むらに半年で20回も言った記憶はなく、過ぎてしまえばよくもまあやったもんだと、今更ながら自分の無鉄砲さにあきれ返るのです。

 そんなこともあって今では支所の総務課長になっている和田修三さんや今は役場を退職して山間屋という会社を興している中脇裕美さんには特別の意味を持っていますが、今回豊予海峡を挟んだ大分県佐賀関の渡邊さんや三崎の塩崎さんたちと私的な交流を続けている南予系の数人が集まって久しぶりに交流会を和田さんを感じにして西土佐でやることにしました。

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 私にとっても西土佐は久しぶりなので125キロの道をのんびり走り昨日の夕方高知県西土佐へ向かいました。私は少し早く家を出て、数年前に亡くなった旧友だった松野の土居君の家を訪ねました。ウナギやアユの川魚割烹を営む奥さんもひざが悪く、先日まで松山の病院に入院していたそうですが、運よく家におられて積もる話をさせてもらいました。また西土佐の入口にある彩花という喫茶店にも立ち寄り奥さんと世間話に花を咲かせました。また山間屋へも立ち寄りましたが中脇さんはあいにく松山へ特産品を売りに行っていて、民宿のしげ子さん同様あいにく留守でご挨拶できなかったし、民宿舟母は遠いため立ち寄ることができませんでした。今回は渡邊さんと塩崎さんの奥さんも出席していただき、仕事の都合で行けなかったわが妻を悔しがらせましたが、次回は大分の渡邊さんのご手配で別府でということなので、楽しみにしているようです。

 さて昨日は年に一度の七夕の日です。四万十川にかかる橋の上には尚工会の皆さんの手によって七夕の笹飾りが何本も飾られていました。派手さもなく素朴なものでしたが橋を渡る風も心地よく、短冊を揺らしていい雰囲気でした。

 交流会は四万十川沿いの居酒屋で行われましたが、四万十川の天然アユやウナギ、高知の郷土料理カツオのたたき、ズイキの酢もの、鯖寿司などに加え、佐賀の関の渡邊さんが持参した今が旬のイサキをたらふく食べさせてもらいました。

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(カツオのたたき)

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(四万十川の天然のアユ)
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(高知名物鯖の姿寿司)

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(佐賀関から届いた旬のイサキ)

 この日は中平さんや幹彦さんも参加してもらい、メンバーの芝さん、原田さん、中村さんなど、それは賑やかな宴席となりました。途中中脇さんも顔をのぞかせてくれていい交流ができました。

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 私は明くる日の今日、東予地方局から頼まれた観光の仕事があって、皆さんと一緒に泊まることはできず、一足先の9時過ぎに居酒屋を出て、小雨が降り出した土佐と伊予の道を、タヌキやイノシシ(本当に出会ってびっくりしました)に出会い、まるで脱藩した坂本竜馬のような気分で走って12時ころにわが家へ帰ってきました。

 いつも思うのですが気ごころの知れた仲間と飲む酒(私はウーロン茶)は美味しいものです。飲むほどに酔うほどに豹変する仲間の姿を見ながら、かつて酒に呑まれたり激論を交わしたころを懐かしく思い出しました。


  「飲むほどに 君子豹変 する友に お茶をすすりて 酔ったふりする」

  「卓上に 並ぶ料理の 豪快さ さすがは土佐だ 隣アメリカ」

  「後ろ髪 引かれる思い 友後に 暗い夜道を 一人帰りぬ」

  「役場辞め 会社興して 生き生きと 頑張る女 嬉し成長」

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shin-1さんの日記

○えっ、風呂が沸いてない!。裸になったのに・・・

  「昨日は高知県四万十市から帰ったのが午後11時過ぎでした。

 今日は観光の仕事で四国中央市へ朝早く出かけます。

 帰りは夕方遅くなります。お急ぎの方は私の携帯へお願いします」。

 そう書きこんで家を出たものですから、私の出先へは相変わらず頻繁に10本近くの電話がかかってきました。そして家に帰った夕方には、清水さんの危険物取扱合格祝いのいよじという居酒屋から、高知県馬路村の木下さんからははるばる長野県木曽福島で大目さんと出会っていると居酒屋から、酒を呑まない私にこれ見よがしな電話がかかってきました。また北海道美幌町ボランティアガイドの会の三浦さんからは講演依頼の電話です。こうして沢山の方々から電話連絡をいただき、ブログも一本書いて一段落ついたので、妻の勧めもあって風呂に入ろうと脱衣場で服を脱ぎ裸になりました。ところがどうでしょう。湧いているはずの風呂が沸いていないのです。慌てて脱いだ服をふたたび着て、テレビを見てくつろぐ妻に「風呂が沸いていないぞ」と怒鳴りました。「えっ、ウソー」と妻も信じられない様子で風呂場を覗き、二人で大笑いをしてしまいました。

 最近は仕事から帰って忙しく夕食の準備をする妻に代わって、自由人の私が風呂を洗いお湯を出すのですが、今夕は出張先から帰ったばかりでいきなりご飯を食べ始めたため、お湯を張るのを私がすっかり忘れていたし、妻もてっきり私が風呂をためているものと思い込んでいたのです。

 わが家では夏でも余程のことがない限りシャワーで済ますことはなく、湯船にたっぷりお湯を入れてゆっくりつかるのです。自由人の私はそれほどではないのですが妻の勤務する歯科医院は夏になると冷房が効いて、体中が冷え切り、家に帰ると冷房をしないため汗が出てじっとりするのです。そのため寝る前には少しぬるめの風呂にゆっくりと入って汗をかき、体調を元に戻すのです。女性である妻にとって体温調節は体調維持に必要なことだと妻は言うのですが、思い当たる節があるもののその真偽は定かではありません。

 早速ボイラーのスイッチを入れて蛇口をひねり、風呂のお湯を張りました。その間15分余りの間テレビを見ながら二人で雑談しましたが、考えてみれば沸いてない風呂に確かめもせず入るなんて全くお粗末な話です

 最近になって2度ばかり、風呂でのハプニングがありました。一回はお湯を出していることを忘れて満タンになったまま出しっぱなしにしてオーバーフローさせてしました。また風呂を洗い水で洗ってお湯を出しましたが、何と排水溝の栓を塞ぐのを忘れたままお湯を出しっぱなしにして、20分経ってもお湯が溜まらなかったのです。いずれも風呂を出しながらパソコンに向っていたために起こった大失敗でしたので、妻から「お父さんもいよいよ物忘れがひどくなってしまった」と、笑い話に附されてボケ高齢者扱いをされてしまいました。

 日頃は水を節約するようにと、妻は風呂の残り湯を使って洗濯をしたり掃除をしたりしていますが、これでは節約どころか水を浪費して帰って節約している妻の足を引っ張っているのです。私たち夫婦は「何を勘弁しても風呂ぐらいは毎日楽しもう」と、たった二人だけなのに惜しげもなく毎日満水状態で風呂を楽しんでいます。ですから水道メーターも普通の家庭では考えられないくらい使うのですが、渇水期には大きな声で言えないものの、これはささやかなわが家の贅沢なのです。 

 まあ私も妻も残り湯で朝ぶろを楽しむので利用価値としては高い方でしょうが、今後は風呂の入れ忘れ、風呂の出しっぱなし、元栓の締め忘れだけには気をつけたいと思った次第です。


  「お湯のない 風呂に入って 大慌て 夏ゆえ夫婦 笑って済ませ」

  「栓もせず お湯を出したが 溜まらずに あなたボケたの 言われしょんぼり」

  「お湯を出し パソコン夢中 止め忘れ それさえ出来ぬ ダメな亭主だ」

  「節水を しろと口では 言いつつも 水を浪費し 顔向けできぬ」 

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