shin-1さんの日記

○美しい顔といい顔

 私は最近、女性の顔を見る基準が少し違ってきたように感じるのです。これまで美人といえば吉永小百合や山本富士子(ちょっと古いかな?)などを連想して女性の顔を見ていたように思うのです。ところが最近はテレビの影響でしょうか、あれも綺麗これも綺麗と思うような顔立ちの人の顔を毎日のようにテレビの画面で見ているものですから、むしろそんな美人と呼ぶにふさわしい人よりも、例えは悪いのですが、頭に白いナプキンをキリリと締めてエプロンをつけ、一生懸命シーサイド公園のじゃこ天のお店で働くおばちゃんたちの方が、余程いい顔をしていることに気がつきました。おばちゃんたちはお化粧こそ身だしなみ程度ですが、額に汗して働く姿はまさに女の魅力を感じるのです。

 私も知らなかったのですが最近の女優さんは顔に気に入らない部分があれば整形をして、元の顔が分らないほど造作をしていると聞きました。また高い化粧品をこれでもかと使うため、年齢はかなり高いのに、まるで少女のようなしわのない顔をしているのです。まあ顔は作り変えても首は嘘をつかないというように、首だけは整形のしようがないそうで、歳相応に老けてくるのだそうです。

 私の妻はどうだろうとついついそんな目で見てしまいます。妻は貧乏性なのでしょうか、化粧品には殆ど金と時間をかけていません。ヘチマの化粧水程度のお化粧しかしないのです。それであの程度ですから、女優さんのような高い化粧品を使って時間をかけたら、吉永小百合や山本富士子以上になっていたのではないかと、亭主ゆえ妻の肩を少し持つのです。妻と同年代と思う女優さんが見た目美しいのは、やはり化粧や美顔のせいだと思えば納得もするのです。

 さて私の顔ですが、石原裕次郎には少し劣るし、渥美清よりは少し上だと思っていますが(笑い)、妻は私のことを分相応ないい顔だといいます。他の人はどうであれ40年近くも連れ添った相手なので、諦め半分でいうのでしょうが、他人の誰に褒めてもらうより(他人は誰も褒めない)妻にいい顔だと言ってもらうのが一番なのです。

 ある人が「男も女も一日に一回は鏡に向かって自分の顔に語りかけなさい」と言っているのを聞きました。その人が言うのには、いい顔の基準は微笑みだそうです。気がかりなことがあると人間は直ぐ顔に出ます。悲しければ悲しい顔をするし、嬉しければうらしい顔になるのです。いつも頭に嬉しいことをイメージすれば微笑みをたたえたいい顔でいられるのです。

 志村けんというお笑い芸人がいます。顔を真っ白に塗ってバカ殿様を演じる様子は度が過ぎてバカバカしく思われますが、いい顔のモデルはこのバカ殿様の顔だそうです。顎をアントニオ猪木のようにして、頬でほおずきを含むような顔をすると口元がほころび目じりが下がるのだそうです。一度やってみましたが、醜い顔が余計醜い顔になったものの、いい顔の基準である笑顔の顔が出来上がりました。

 いい顔になるにはやはり顔は心の鏡であるのですから、いい心にならないといい顔にはならないという結論に達するのです。

  「いい顔に なるため鏡 向かい合う 笑顔絶やさず いいこと思う」

  「高校生 大きな鏡 バックから はばかることなく 顔にお化粧」

  「化粧品 いくら塗っても いい顔は 出来ぬのだから 金はかけるな」

  「俺の妻 ヘチマ水でも 美しい いい顔してる 私が褒める」 

 

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○今日は早立ちで山口県美祢市へ出かけました

 今朝は4時に起床して身支度を整え、急いで車を運転して真っ暗な道を松山市三津浜まで行きました。家を出るときはポロポロだった雨が松前町辺りから激しくなり、三津浜では土砂降りの雨となりました。駐車場に車を止めて傘をさして歩くのですが、ズボンが濡れてひんやりするほどでした。私は普通晴れ男を自任しているのに、前回山口県徳山へ行った時も激しい雷雨に見舞われ、私が講演をしている間も気になるほどの雷だったので、もしや私は雨男に変身したのでは?と思ったりしました。

 雨は防予汽船に乗って柳井に着く間も降っていて、総長ながら11月に下松へ行くための打ち合わせに駆けつけてくれた、教育委員会の社会教育課長さんと担当者の三人で、柳井港駅の待合所で次の列車が来るまで、まるで立ち話のような打ち合わせを行いました。早朝に私の日程に合わせて港まで来ていただいたお二人に感謝しています。

 二人に見送られて柳井港から山陽本線で徳山まで行き、そこから新幹線こだまに乗って二つ目の駅厚狭で下車しました。車内放送が洒落ていて、「次はあさ~」というものですから、「次は厚狭ではなく朝と勘違いして、思わず吹き出してしまいました。駅にはJAの方が家の光協会の方と迎えに来ていました。本来なら厚狭駅から在来線で会場となる美祢を目指すのですが、ご厚意に甘えてしまいました。

 会場へ到着したのは10時近くです。会場では担当者や農協の職員さん、それにJA女性部の役員さんが受付準備や駐車場の表示、生け花や絵手紙の展示などかいがいしく準備をしていました。私の出番は13時40分からなので、3時間余りの間講師来賓控え室で、次々にやって来るJAの役員さんと名刺を交わしたり弁当を食べたりしながらリラックスさせてもらいました。

 市長さんが見えられ午後1時から開会式が始まりました。私は一人控え室で若いJA職員さんを相手に世間話に花を咲かせました。やがて案内されホールに入りましたが、300人の予定の席は満員でした。視界の方に紹介され壇上に上がりましたが、私を紹介するDVDを上映するため、演台は右隅に置かれていて、その後の話も演壇を離れた中央でワイヤレスマイクを使ってまるで一人芝居のように自由に動きながら話をしました。

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 聞いただけでは新興宗教の集まりと見まがわれるような「家の光の大会」なので女性が殆どでしたが、会場の反応は飛び切り上等で、久しぶりに盛り上がった話をさせてもらいました。90分の講演が終わってお礼にJAらしく皆さん方長州の大きな拍手の中でお米の10キロ袋をいただきました。嬉しい贈り物で花より団子です。このお米は後ほど送ってくれるそうなので楽しみにして待ちたいと思っています。

 10年以上も前美祢市から依頼を受けて文化講演会に招かれ、この来福センターへも去年お話しに来た記憶があるのですが、最近はやけに山口県での講演が多く、今年は予定も含めて6回もあるようです。

 再び厚狭駅まで送ってもらい新幹線、山陽本線、防予汽船と来た道をたどるように引き返し、10時ころにわが家へ帰ってきました。私が留守なため友人との食事会に出かけていた妻と相次いで帰り、遅い夕食を食べましたが、厚狭が早く夜が遅いスケジュールのため、ブログを書く時間も殆どなく、少々の疲れを覚えましたが、何とかノルマだけはと風呂上りに2本のブログを書き上げました。今日も充実したいい一日でした。


  「このところ 山口づいて よく行くね 妻に言われて 指折り数え」

  「朝早く 夜が遅くも 船の中 ゴロリ横なり 仮眠むさぼる」

  「三百の 聴衆前に 壇上で 一人芝居の ように演じる」

  「お礼にと 米をいただき 苦笑い さすがJA 花よりお米」

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shin-1さんの日記

○今日は忙しい一日でブログを書き終わることができませんでした

 今日は朝早く定期健康診断のため松山にある県立中央病院へ出かけ血液検査をしました。その結果が出るのが少し遅くなって病院を出たのは10時ころでした。その後国道56号線を通り、西予市歯長峠経由で鬼北町にある北宇和高校へ出かけました。終わってから、帰りに所要があってあちらこちらに立ち寄ったため、帰りがすっかり遅くなってしまいました。したがってブログを書く時間がなくなってしまいました。明日は早起きして5時25分三津浜発の防予汽船に乗って山口県柳井経由で美祢市へ出かけるため4時には起床して家を出なければなりません。妻はこのところの私の忙しさを気遣って、早く寝るよう勧めて目覚まし時計をセットしているようです。したがってブログを書いている途中ですが、忠告を守ってこの辺でお開きにしたいと思います。お休みなさい。

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shin-1さんの日記

○氏神様の夏越しの行事

昨日は愛媛大学の講義日で、フィールドワークに出かけていて夕方自宅に帰ると親父が、「畑の草を引いたので購入したばかりの耕耘機の試運転をしたい」と言うので急いで着替え、畑に出ました。永井農機具店の社長さんから操作について納品のときに説明を受けて納得していましたが、いざ使うとなると呑みこめていないため二人とも不安でした。倉庫から新品の耕耘機をエンジンをかけて外に出しました。まだ土も付いていない新品だけに使うのが勿体ないような気がしました。親父の見守る中、畑を耕し始めましたが操作は簡単で、スムースに試運転し畑を耕すことができました。25万円の大金をはたいて買っただけのことはあると、耕耘機のオーナーである親父もご満悦でした。私の巣差をじっと見ていたので、親父はひょっとしたら今までのように自分が耕耘機を使いたいと思っているのかもしれません。でももう1か月もすれば92歳なので、危ないことはしないように言ってはいますが、言っても聞かないだろうと思っています。

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 この日の作業も午後6時に終わり、氏神様である天一稲荷神社の夏越しのお札を返しに行くよう妻から頼まれたので、お札を持って単車で出かけました。私たちの地方では人型の印刷されたお札を29日の晩に布団の下に敷いて眠ります。そして明くる日そのお札を氏神様に返すのです。夏越しの伝統行事ですが、神社に行ってみると拝殿の中には夏越し用の茅でできた輪があって、輪くぐりして本殿前に進み、無病息災を祈るのです。二礼二拍手一拝のしきたりに沿って家族全員の健康を祈り、お賽銭を入れました。拝殿では神官の奥さんがお札を授けてくれるのです。

 今年は夏の様子が少し例年と変わっています。雨が降らない梅雨が長く続いたと思えば、後半は土砂降りで、明日から8月だというのにまだ梅雨が明けていないのです。東北や北海道では日照時間が少なく稲の作柄が心配で冷害かもしれないと嘆いていました。

 こんな天候ですからデパートは大変なようで、傘は例年の1,5倍とかいって喜んでいますが、梅雨が明けないので水着などは例年の半分だと嘆いていました。「雨が降ったら傘屋が儲け、風が吹いたら桶屋が儲ける」とは昔からの言い伝えですが、世の中はあちらが立てばことらが立たないと、うまく行かないものです。

 私たちの日々の暮らしはお天気にあまり左右されませんが、今年は海水浴やそれにまつわる人たちも、夏休みになって当て込んだ海水浴客が来ないと嘆いているようです。夏もいよいよ本格的、でももう2週間もすればお盆が来て長いようで短い夏は終わりを告げるのです。

 暑くてもいいからせめて水平線の彼方に入道雲の姿を早く見たいものです。


  「輪をくぐり 本殿前に 進み出る 穢れを払い 清めたまいて」

  「人型の 人形布団の 下に敷き 昨夜ぐっすり これで安心」

  「神様が おのが穢れを 一身に 集め何とか 処理してくれる」

  「昨年も おなじ輪くぐり したゆえに 大過もなしに 夏を終わった」


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○ポスターは貼るが役目を終わったポスターは?

 JRの駅や道の駅などには夏祭りのシーズンなので、県内の市町の夏祭りの告知のためのポスターがやたらと目につく今日この頃です。私もかつては企画や運営の当事者だったため、沢山の人たちに来てもらいたい一心で手前みそなポスターを作り、関係各機関に発送してPRを頼んだり、自らも張って回ったりしてPRに努めたものです。何気なく訪れた駅の構内などに自分の作ったポスターが貼られているのを見るととついつい嬉しくなったものです。今もそれらのポスターの幾つかは書斎の隅の書棚の上に無造作に丸められて置いたままにしていますが、いつか日の目を見せてやりたいものです。

 今日は大学生と一緒にフィールドワークの授業で内子町へ行きました。ひなびた立川という無人駅に降り立ちましたが、19人の学生の一人が何気なく私にこんな質問をしました。「若松先生このポスター昨日のですよね?。イベントは昨日で終わったようなのにいつまで貼っているのでしょうか。来月と間違いそうですね」と。私はその鋭い質問にドキリとしました。見てみると昨日行われた私の住んでいる街のポスターなのです。その横にも既に終わって何日も経ったポスターが無造作に貼っていました。確かに私たちはポスターを貼って告知に熱中するのですが、さてその後始末をしたであろうかと振り返ると、答えられないのです。一日くらい過ぎたからといって目くじら立てないで。ほら傍のポスターなんかもっと前のポスターじゃない」と自分のポスターより人のポスターのことを言いそうですが、考えさせられる出来事でした。私は顔が熱くなってそのポスターをはがして持って帰ろうと思いましたが、ポスターを勝手にはがし持ちかえることはルールに反することなので、見て見ぬふりのような後ろ髪ひかれる思いでその場を後にしました。

 もう25年も前の出来事です。私は殆どたった一人で発案し友人の協力を得て悠やケプラーっとホームコンサートを実施しました。このコンサートが私の出世作になろうとは思ってもみませんでした。参加者は1000人近くも来て会中は人で埋まりました。手弁当の文字通り手作りだったコンサートが終わり、私はポケットマネーで缶ビールを買い、お世話になった人たちとプラットホームに座り込んで突き出しも何もない反省会をやりました。みんな感動の涙を流しましたが、その時一人の若者が反省会に遅れてやってきました。彼はポスターを貼った責任者だったのですが、自分が貼った手作りのポスターに通し番号を付けていて、それを単車で回って全て改修してくれたのです。結果的には2枚遠し番号は足りませんでしたが、多分風で飛んだのだろうと結論付けました。

 今も彼のことは夕焼けコンサートの裏話として忘れることなく記憶にとどめているのです。今日は学生の質問に答えながらポスターをはがして回った彼のことが一日中頭から離れませんでした。

 何気なく貼るポスターや、何気なく立てる幟も最後は風雨に晒され、惨めな末路をたどっている姿をよく見かけます。自分の店の宣伝なら毎日出したり入れたり、貼ったりはがしたりするのに、自分の腹の痛まない親方日の丸的な税金で作ったものは無造作に扱われているのです。環境を考えるポスターや幟が環境を悪くしていることも多く、私たちは拳拳服膺考えなければならないと思うのです。

 多分問題提起のようなこのブログを読んで、期日の終わり役目が終わったポスターの存在に気付いたとしても、それを回収するのは不可能と言って行動を起こさない人が普通でしょうが、これからの観光も少しだけそんな気配りができるようにならないと、次へは進まないような気がするのです。


  「このポスター 役目終わった はずなのに 駅の掲示に 堂々貼ってる」

  「後始末 できぬイベント マンネリと 言われてみれば そうかも知れぬ」

  「何年か 前の出来事 覚えてる 彼は今頃 どこでどうして」

  「学生の 鋭い質問 ドキリした さすが若者 見る目が違う」

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shin-1さんの日記

○暑気払いに花火を楽しむ

 昨夕、松山に住む孫たちが娘に連れられてやってきました。先週の日曜日に開催予定だったふたみの夏祭りが雨で中止となり、花火大会が見れなかったため、住吉神社の花火大会を見るためです。昨日は朝から曇り空で時折パラパラと雨がちらつくあいにくの天気でしたが、夕方はどうにかできそうなので、傘を持参の見学となりました。娘婿は出張で留守とのことなので、私たち夫婦と娘、それに孫2人の5人が午後7時過ぎに夕食を済ませ家を出ました。伊予整形の駐車場を借りて車を止め、歩いて伊予市駅前通りに出ました。黒住教会の前には何やら人だかりがしていましたが、どうやら夏の風物であるお化け屋敷のようでした。日ごろは閑散としている商店街もこの日は沢山の人が浴衣掛けで歩いていて、私たちもその列の中に加わって歩きました。見覚えのある谷岡さんのお店の前を通りかかると、偶然にも谷岡さんが目の前に姿を現しました。声をかけ「立ち寄ってください」という言葉に甘えて店の中で一服させてもらいました。孫朋樹にとって谷岡さんは、「メダカをもらったおばちゃん」なのでよく覚えていたようです。

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 「花火は何時からですか?」とご主人に尋ねると、「8時からですからもうそろそ」と教えてもらったので谷岡さんのお店を出てきた道を引き返し浜辺の道に出ました。大通りも浜辺の道も歩行者天国になっていて、道の両側には露天商が並び、孫たちは目を白黒させながら裸電球の入った提灯の光に誘われるように歩きました。やがて花火開始の合図のように「ドカーン、ドカーンと腹の底に響くような轟音とともに花火が上がり始めました。

 伊予市の花火は私たちの町のような小さな花火大会とは比較にならないほど沢山上がりますが、寄付をもらった人たちを紹介しながら上げるため、どこか間延びがして上がったと思えば休憩、求刑したと思えば上がるといった感じがして、延々1時間も続くのです。花火を見るために作られた特設会場など少し遠いのでマイク放送など聞こえないため、沿道を通る人たちは花火が上がれば振り返えって見るような雰囲気で、孫たちもムズムズそわそわするので、参道をゆっくり歩きながら住吉神社まで行きお賽銭をあげて参拝しました。

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 孫のお目当ては露天商です。出かける前「一個だけは買ってあげる」と納得させているため、孫は並み入る露天商の中からお目当てのものを探すのに必死でした。孫朋樹にとっては花火などどうでもよいのです。孫は車の中でカブトムシの話をしていたので、どうやらくじでオオカブトが当たる露天商を探しているようでした。花火が佳境に入った9時ころ、私と孫は妻や娘たちと別れ、金魚すくいをして3匹すくったビニール袋をもってその店を探しましたが、孫が偶然にもその店を見つけ一回500円のくじを引きました。結果的には空くじなしだったのですが一回目は小さなメスのクワガタ、2回目は大きなクワガタが当たり孫は満足でした。

 孫尚樹は1時間の花火見学に疲れたのか最後は花火の音や光が「怖い」といってぐずり始めました。家にいると眠る時間なので無理もありません。潮が引くように流れる人ごみに交じり車まで引き返し帰ってきましたが、風呂を入れ着替えさせて布団の上に転がせる二人は直ぐに夢の中へと旅立ちました。いい夢を見ているようでした。

 私たちが子どもの頃は道も整備されてなく、車も普及していなかったため住吉さんのお祭り見学はもっぱら漁船に乗って出かけました。港に係留した船の中で大人たちが酒盛りをしながら花火を楽しんでいましたが、私たち子どもは小銭を手に握りしめ、居並ぶ露天通りを歩いた別世界は今も忘れることのできない思い出です。時代は変わったものです。家から僅か15分、往復30分で住吉祭りを楽しめたのですから・・・・・。


  「その昔 漁船に乗って 祭り見ゆ 今は車で あっという間に」

  「花火など どうでもよいと 孫たちは 露天巡りて お目々白黒」

  「夏の夜の 花火見上げて 感嘆の 声をあげつつ 人混み分ける」

  「昔日の 思い出頭 蘇り 母の顔など 思い出しつつ」

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shin-1さんの日記

○久しぶりに単車に乗って

 梅雨が明けないため蒸々としたうっとうしい毎日が続いています。この分だと梅雨が明けぬままお盆を迎えるのでは?と錯覚しそうです。こんな日は単車に載るのが一番と思い、50CCのヤマハメイトですが車庫から引っ張り出し、ヘルメットをかぶって家を出ました。まとわりつくようなジメジメした空気なのに単車で走ると、風を切って走るためとても爽快で、夏は単車に限ると思いました。

 久しぶりに海岸国道378号を走り、唐崎の木内さん宅まで行きました。双海史談会の副会長をしている木内さんは、「太平洋戦争と私」という近々発刊予定の刊行物の編集を担当していて、その校正原稿を届けるために訪ねたのです。JRの塩屋高架橋の下をくぐって山間の道を走り唐崎集落の中ほどにある木内さん宅へお邪魔しましたが、アポも取らないのに運よく在宅していて、縁側の涼しい風が吹き抜ける場所で色々な話に花を咲かせました。木内さんの家のすぐ近くに妹の家があるため立ち寄ろうと思いましたが、家の前の駐車場に車が見当たらないので、その後川沿いの道を下って国道まで出て下灘のくじらという店まで走りました。ここは妹の店なのですが、切手を売っているのではがき用の50円切手をとりあえず20枚買い、元来た道を引き返し、シーサイド公園で働く人と談笑した後、合田石油店でガソリンを給油して帰ってきました。

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 この単車は購入してもう20年以上経っているロートルで、ところどころ錆が出ていますがいたって丈夫で、まだ数年は持つだろうと思っています。単車に乗ると車に乗った時は感じられない様々な気づきがあります。風の吹き具合や、街の匂いを感じることができるのです。勿論様々な音も少ないながらヘルメット越しに聞こえてきます。そんな自然を満喫しながら長閑に走っていると、ついつい30キロの制限速度をオーバーして40キロ近くになりました。急に後に白バイがついているのがバックミラーで確認できました。白バイは私の単車についてしばらくの間走っていましたが、速度違反をしていなと思ったのかさっと抜いてスピードを上げて立ち去りました。「危ない危ない」と思いつつ走りましたが、この界隈はスピードを上げて走る車が多いため、白バイやパトカーも多く、それにスピード違反取締が頻繁に行われているのです。私の友人も先日スピード違反で切符を切られたと嘆いていましたが、法定速が一番安全と分っていてもついつい急ぐ時はスピードが出てしまうものなのです。

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 自宅に帰ってから久しぶりに単車を水洗いしました。長靴をはいてホースで水をかけ、雑巾で丹念に磨きました。鈍い光だった単車も磨けばそれなりに光るものです。まるで新品のようにきれいになりました。あいにくワックスは持ち合わせがなかったので、近々ホームセンターでワックスを買い求めきれいに手入れをしようと思っていますが、私が単車を洗っている姿を見て妻は「梅雨が明けるかもしれない」と皮肉を言われました。

 「お父さん単車を貸して」といって乗り回していた次男もスクーターみたいな単車を買ったので見向きもしなくなりました。この単車も年齢でいえば私と同じくらいかも知れず、いよいよ老いの坂道ですが、手入れをして少しでも長く乗りたいと思っています。

  「久方に 単車を洗い 乗り回す 風切り爽快 海辺の道を」

  「年齢は 私と同じ くらいかな? 赤錆ついて 単車老域」

  「白バイが 私の後ろ ついてくる おっと危ない スピード違反」

  「梅雨明けを しない空見て 妻が言う 皮肉も楽し 束の間晴れ間」

 

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○株価が下がっても株で儲けるうまい話

 「若松さんですか。いい商品があるのですが少しだけお話を聞いてください」と、どこでどう調べたのか縁もゆかりもない私に、相手は饒舌な話を電話の向こうで話し始めました。話を断る隙もないようなその話はどうやら株売買の話でした。本当は直ぐにでも電話を切りたかったのですが、愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーをしている私としては、願ってもないチャンスだと、まるで相手の話にのめりこむようなふりをして、株の売買は一度きりしかやったことがないのに初めてのような顔をして色々と尋ねてみました。

 「株式の信用取引は買って売るだけでなく、売って買うことだってできるんですよ」と饒舌な話はますますエスカレートしてきました。実際に株を持っていなくても、株の権利を売ったことにして後日買戻し、差額を精算仕組みがあるようで、株価が下がり続けている今でも利益が出るのだと強調されました。


 「たとえば10万円の株を1株売ったことにして、後日買い戻す取引をすれば8万円に下がった時に買い戻すと2万円も利益が出るのですから、これはもう止められません。株価が下がったと嘆く人は多いのですが、その人たちはこのシステムを知らない無知な人なのです」と心を揺さぶってきました。

 私はいろいろ話を聞いたその後に、「それはいい話ですね。知りませんでした」と驚きを見せ、「それじゃあ株がたとえば12万円に上がると2万円損ではないですか?」と少し突っ込めば、「その時はプロの私が早めに情報を入れてあげますから大丈夫です」とガードの強さを強調して見せました。

 いつだったか、金融広報委員会から送られてきた資料の中に似たような話が記載されていたのを読んだことがあるし、ある条件を満たせなかった場合、投じた資産をすべて薄菜うことになる「カバーワラント」という言葉も知っていたので、もうそろそろ種明かしをと思い、「実は私は金融広報アドバイザーなんですが、カバーワラントという言葉をご存知ですか」と問いかけると、「なんだ、専門家ですか。お人が悪い」と笑っていました。

 悪徳商法も金融商法も、私のような貧乏人の「もっと金を増やしたい」「お金持ちになりたい」という願望を持った人が引っかかることが多いようです。無理もありません。私たち貧乏人の最大の願望は命よりお金なのですから・・・・・(笑い)。でもすべからく「うまい話には必ずリスクが付きまとう」ということを肝に銘じなければならないのです。私の友人に株で大損をした人がいます。最後はそのことが起因したのか病気になって今もひっそりと生きていますが、私と同じような年代なのに私より老けて見えて正気が感じられないのです。奥さんも仕方がないと諦めているようですが、老い先のことを思うと不安だと述懐していました。

 そこへ行くと私の妻などは、私が先物取引や株式などに手を出さなかったため、大儲けはしませんでしたがまあ何とか将来への不安もなく生きれるのですから、いい主人を持ったと思ってもらわなければなりません。

 電話の相手は「株価のプロ」という言葉を盛んに使って私を信用させようとしました。「プロなら大丈夫」という安心感で私の心の中にどんどん入ってきましたが、「そんなに儲けるのだったら、あなたが投資したらどうですか」と

問いかけると、「私たちは株のプロなので法律でできないことになっています」と、インサイダーなどという言葉を持ち出してお茶を濁し電話を切りました。


  「金欲しい 人に見えるか 俺のこと 電話でうまい 儲け話を」

  「株式で そんなに儲ける 話なら あなたがしたら それはできない?」

  「いつの世も お金は欲しい 人ばかり 失敗話 落語のネタに」

  「騙された ふりして電話 聞き入りて お陰随分 知識習得」

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○宮本常一100の言葉より

 一昨日まで民俗学者宮本常一の勉強会に参加して、宮本常一に関する様々な学びをしてきました。中でも年輪塾塾生第一号となっている浜田さんにお願いしていた「宮本常一100の言葉」は、浜田さんが自分の読書から学んだ言葉なのでとても参考になることが多いので、参加していなかった皆さんのために折に触れ、少しずつ消化しようと思っています。

 「離島振興法があるから島がよくなるのではない。島がよくなろうとするとき法が生きるのだ」

 この言葉は昭和55年3月25日、宮本常一が郷土大学開校記念講演で述べたものです。私の最も好きな言葉です。私は20年も前にこの言葉を盟友の豊田渉さんから聞きました。この言葉は離島振興法や過疎地域振興法などがあるから国の高率補助を受けれると思っている人たちに聞かせたい言葉です。この言葉を島伝いに架かった橋に置き換えても随分意味があると思うのです。離島という2文字を背負って生きてきた島の人にとって橋はまさに夢の橋でした。10年前今治から尾道まで10の橋がかかりましたが、結果的にはその橋を生かすことが殆どできなかったのです。橋があるから島が良くなるのではなく島がよくなろうとするとき橋が生きるのです。つまり橋は目的ではなく手段であることを肝に銘じなければならないのです。

 「いきのよい者は外へ出て行き、粕が残っているんだという気持ちを持った時、他人に対する信頼感も連帯感も消えて行く」

 今の田舎は危機的状況にあります。長男だから仕方なく田舎に残らなければなかったということを宿命と感じて生きている人が余りにも多いのです。日本は20世紀の後半、向都離村の教育をしてきました。その結果いきのよい者は都会へ出て行きました。ゆえに都会は運命を切り開こうとするいきのいい人たちが一生懸命働き元気が出たのです。田舎の宿命と都会の運命はまさに天地の差です。運命はどうしようもないが宿命には希望があるのです。自bんたちではどうしようもないと思ってあきらめるのは粕のやることです。粕の集団になると隣に蔵が建ったら腹が立ち信頼関係も連帯感も薄れるのです。向かい風を追い風にするような危害が田舎人に欲しいのです。

 「人間の持つ可能性の高さが束になって具現化されたものをわれわれは文化だと言っている」

 「文化とは何か」、私はいつもそのことを考えます。役所の文化担当職員に「一言でいえば文化とは何か教えて」と言ったら、「若松さん、文化を一口で言うのは難しい」というのです。「じゃあ二口で言って」と言ったら口をつぐんで答えられませんでした。私に言わせれば分らないのと一緒です。みんな文化とは投票は津の芸術文化とか立派な文化会館だと勘違いしているようです。未来学者トインビーは文化を「航海」だと訳しました。農業のことぉアグリカルチャーと英訳しますが、まさに日本文化の源は農耕文化なのです。

 私は文化のことを「文化とは人間がよりよく生きるために考えを形にする営み」だと説いています。お茶もお花も華道、茶道という文化であり、梅干しや漬物を作るおばばちゃんの生活の知恵も生活文化なのです。水は必ず高いところから低いところへ流れますが、人間は文化の低いところから高いところへ流れて行くのです。つまり田舎でも文化を高くすれば人は流れてくるのです。

  「宿題を 出して答えを 書いてくる 次の宿題 プロセス進化」

  「人に会い 人に学んで 人となる 人というのは 奥が深いな」

  「聞いたけど 答え帰らぬ その人が それで飯食う それでいいのか」

  「粕だけで 田舎は起きぬ 宿命を 運命思う 人を育てにゃ」

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○耕耘機を購入しました

 「耕耘機が故障した」と親父が言ってから一週間が過ぎました。このところ忙しい日々を過ごしてたため、すっかり忘れていました。息子の私に言ってもらちが明かないと思った親父は妻に「耕耘機が故障した」と言ったそうです。妻は「じいちゃん、わが家は近々車を買わなければならないのでそんな余裕はない」と答えたそうです。昨日の朝久しぶりに隠居へご機嫌伺いに行ったところ、「耕耘機が故障したので買い替えなければならない。わしが買うから農機具店に連れて行ってくれ」というのです。「今日は午前中お客さんが見えられるので午後にしよう」と相談がまとまりました。午前10時にわが家へやって来た来客が30分余りで返ったため、早速親父をトラックに乗せて伊予市の永井農機具店へ行きました。一度も訪ねたことのない店でしたが社長自らが対応していただき、様々な耕耘機の機種を見せてもらいました。小さなものは9万円ぐらいからありましたが、親父は25万円もするかなりグレードの高い耕耘機が気に入ったらしく商談が始まりました。色々な小道具類をつけて25万円で商談成立でした。出かける前に郵便局へ立ち寄って預金を引き出して行くよう親父は言っていましたが、「耕耘機を買ってからでもいい」と突っぱねていたので、親父にとっては不満のようでした。夕方4時に新しい耕耘機を納品し古い耕耘機を引き取って帰ることで話がまとまり、その時支払うことで親父は納得した様子でした。

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(古い耕耘機)

 親父は古いタイプの人間で、貧乏して育ったせいか借金をするのが大嫌いなようです。親父に頼まれて郵便局へ25万円を引き出しに行き、農機具屋さんの来るのを待ちました。もう20年近くも使ってきた愛着のある動かなくなった古い耕耘機を縄をつけて倉庫から引っ張り出し、玄関先に運び終わったころ新品の耕耘機を積んだトラックがやってきました。

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(新しい耕耘機)

 新しい耕耘機はデザインも取り扱いもシンプルで、安全という点では今までの耕耘機など比ではないほど進化していて、親父や私にでも容易に使えそうです。親父は農機具屋さんに、「これで息子の代は安心して畑が作れる」と、前の耕耘機を20年使った経験談をベースに話していました。わが家は母親がなくなる前から私の代なのに、未だに農機具を91歳の親父の懐を当てにしているのですからいい加減としか言いようがないのです。

 最初は私に耕耘機を買うよう考えていた親父は、「車を買うからそんな余裕はない」といった思わぬ妻の言葉によって当てが外れたのでしょうが、「まあいいか」と都合のいい割り切り方をしているのです。


 大洲市田処に住む亀本さんから貰って人間牧場へ置いている耕耘機もエンジンがかからないままになっています。農機具屋さんに出張修理を依頼したところ快諾していただいたので、近々に日程調整して直してもらおうと思っています。

 「金儲けしないですむ農業は楽しい」と常々いっていますが、それは設備投資せずにできる農業であって、耕耘機などに頼る農業は楽しいどころか思わぬ出費で首が回らなくなるのです。10年以上使っている草刈り機もそろそろ寿命のようで、昨日農機具屋さんで見た草刈り機は5万円程度もするようで、考えると頭の痛い農業です。「耕耘機と草刈り機を買うお金があったらどれほど贅沢しても野菜を買って食べれる」とは妻の弁です。確かに機械類は高いものですが、人間は道具を使う動物ですから、鎌や鍬に依存するような農業は仕事効率が悪いのです。耕耘機と草刈り機が忙しい私の仕事効率を上げてくれることは間違いありません。この際草刈り機も思い切って購入しようと心に決めた1日でした。


  「妻が言う 車買うから 余裕なし 何を思うか 親父決断」

  「農機具は 高いが仕事 はかどりて 俺の手助け 百人力だ」

  「新品の 耕耘機ゆえ 土汚す 惜しい気もして 倉庫に寝かす」

  「20年 持つと豪語の 耕耘機 親父手で撫で 愛おしそうに」  

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