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○昔の娘はいいですね

 昨日の午後、西予市野村町更生保護女性部の皆さんが40人ほど、人間牧場へ大挙してやってきました。人数が多く中型バスは道が狭くて入らないためマイクロバスに乗り換えたり、シーサイドのワゴン車を借りたりと多少混乱をしましたが、まあ何とか人間牧場へたどり着くことができました。それにしても最近の人間牧場の来訪者はすさまじく、地元の人も時ならぬ度重なるバスの通行に目をパチクリさせながら傍観していました。

 旧野村町は私の友人も多く、来られて方々の中にも顔見知りがいて、懐かしい会話を交わさせていただきましたが、それにしてもこれだけの人数は久しぶりなので、昔の娘さんの来訪に気を良くした私はハッスルしてお話をさせてもらいました。

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 訪れた中には若い人もいましたが、年代的には私と同じ時代を生きたと思われる人も多く、私が落伍の高座に上がり講話の中で吹いた「ああ上野駅」や「南国土佐を後にして」「みかんの花咲く丘」のハーモニカの音色に、皆さん納得され、思わず口ずさむ人もいて驚きました。

 この日は残夏が厳しく、しかも皆さんが研修している時間は少し早目の夕凪で、ムシムシするあいにくの天気でしたが、うちわ片手で私の話を聞いてもらいました。

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 遠くで雷がゴロゴロとなっていたのでもしや?と思っていましたら、案の定わが家のある上灘では、少しの時間ですがうつすような雨が降ったのだそうです。見れば青い初秋の夏の空の彼方に真っ白い入道雲が湧き上がり、夏の名残りを見せていました。運よく人間牧場では雨に出会うこともなくゆったりと過ごしました。

 野村町には海がありません。ゆえに皆さんは海の見える広々とした眺望が珍しく、すっかり見とれていました。残念ながら昨日はガスがかかっていて遠望は効きませんでしたが、皆さん満足をして帰られたようです。ついでながら自著本「夕日徒然草」を沢山買ってもらい感謝に堪えません。ありがとうございました。


  「大挙して 山の町から 海沿いの 牧場訪ね あれこれ話す」

  「湧き上がる 名残懐かし 入道が 雨を降らして 立ち去るわが家」

  「海のない 町から来れば 海がある 羨ましいと ないものねだり」

  「ハーモニカ 音色に合わせ 口ずさむ 昔懐かし 歌の幾つか」

 

 

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○会報誌「いのちの田圃」の取材

 世の中にはいろいろな団体があるもので、聞いたこともないような団体やNPOがいっぱいあるようです。先日突然私のメールに、ガンの元患者によって設立されたNPO法人ガンの患者学研究所の会報誌「いのちの田圃」担当の藤井さんという女性から取材の申し込みがありました。送信先を見ると横浜市青葉区とあります。愛媛県でもガン元患者の会などが設立さえていることは新聞などで知ってはいますが、内容はあまり詳しくないのです。

 藤井さんのメールによると「若松さんのご活躍を、数ヶ月前に朝日新聞にて知り、その後著書やインターネットなどで卓抜なアイデア、行動力、そして地域は人々への深い愛に非常に感銘をいただきました。そしてぜひとも私どもが刊行している会報誌『いのちの田圃(たんぼ)』にて、ご紹介させていただきたく、取材のお願いをさせていただきました」とあるのです。

 持ち上げられ過ぎだと分っていても、「今の日本はガンで命を落とす方が残念ながら非常に多い現状ですが、患者さんが健康を取り戻すには、ただ、病院に治療をゆだねるだけでなく、患者本人が自分の免疫力を高め、生活習慣を改める努力が大切なことを私たちは訴えております。ご本人がどれだけ自分の命を大切にしようとするか、勇気と希望を持っているかによって、いい結果に結びつくことが多く、まさにその方の生き方の問題でもあるように思えます。

 そこで、私どもは、様々な分野で困難を切り開き、大きな社会貢献を果たされている方々をご紹介して、患者さんの生きる力にしてもらう「人生の教室」という連載コーナーを企画しています。お忙しいところを大変恐縮ですが、2、3時間取材のお時間をいただければ幸いです」というメールを読めば断る理由もなく、数回のメールのやり取りで昨日の午前中で日程調整し、藤井さんは早朝7時40分に上灘駅に着きました。

 私は田舎のオープンカーで迎えに行きシーサイドで1時間余り、自宅で30分余り、更には人間牧場で1時間余り取材を受けました。昨日は残暑が厳しく日陰を選んでの取材となりましたが、はてさて私の生き方がどのような活字になり、元ガン患者の皆さんにどのように受け止められることでしょう。

 私の親父もその昔ガンを患いました。もし親父がガンにかからなかったら私の人生はもっと違っていたでしょう。幸い親父はガンを病み捨て、今年の9月1日で満92歳の長寿を生きているのです。ガンを患った親父も、親父の周りの家族もガンのことを忘れたことはないほど悲喜こもごもの人生を過ごしてきたのです。私たちは健康な時は自分の健康など殆ど考えもせず暮らしていますが、当時は不治の病といわれたガンにかかり失意に打ちひしがれた親父や、重く沈んだ家族の心情は、経験者だけに痛いほどわかるのです。

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 取材が終わってホッと一息入れ、藤井さんに人間牧場の背もたれ椅子に座ってもらい、心地よい初秋の風を体いっぱいに受けていただきました。「この背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝をする、これが私の理想です」と顔に似合わぬ話をして人間牧場を後にしました。


  「わが家でも 親父がガンに 冒されて 再発不安 今日の今日まで」

  「もし親父 ガンにならねば 今の俺 違った道を 歩んでいたはず」

  「肺ガンで 逝きし母親 遺影置き 日々欠かさずに お茶を供える」

  「他人事じゃ ないなと思い 快く 取材に応じ 役立つ信じ」

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○双海の子どもたちと一緒に夕日鑑賞会

 大人も子どもも毎日忙しそうで、夕方西の空を真っ赤に焦がして沈む夕日をのんびり見る余裕なんてないようです。でも一日の終わりに当たり「ああ今日も元気で過ごせたなあ」とほっと一息つきながら、夕日に向かって感謝の祈りをささげるのも悪くはないものです。

 先週の日曜日からふたみ潮風ふれあいの館で通学合宿「夕焼け村」が始まりました。この事業は親元を離れて1週間、共同生活をしながら学校へ通うというものです。お世話人の指導で色々なことを体験しますが、食事づくりも買物も洗濯も自分たち自身でしなければならないため、敬遠する子どももいますが、常連の子どももいて私に「進ちゃん」などと気軽に声をかけてくれるのです。

 今週の月曜日の夕方私は「夕日の話」と題して子どもたちに夕日の話をするためふれあい公園へ出かけました。この日の夕食メニューはカレーでした。少し早目に行ったため「進ちゃんも一緒に食べようと誘われ食事の和の中に入りました。失礼ながら子どもたちが作ったカレーですが中々の味で感心しながら食べました。少し時間が押していましたが、この日の夕日が6時36分に沈むため、後片付けは後にしてとりあえず外へ出てもらいました。

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 電柱をいただいて私が現役時代に造った細長いベンチに腰をかけて、夕日の話をしてやりました。この日はボランティアでやってきた東雲大学の学生たちが感動したというとおり、まずまずの美しい夕日でした。私は思いつくままに夕焼けと小焼けの違い、夕日は何秒で沈むか、双海の夕日は何処の朝日か、夕日と食べ物、夕日と音楽などなど面白おかしく話してやりました。子どもたちには概ね年に一度夕日の話をしてやりますが、最近はすっかり夕日に魅力を感じているようで、私以上に夕日のことを知っている子どももいて頼もしく思っています。

 私は近頃子どもたちに夕日にまつわる歌をハーモニカで聞かせるように心がけています。この日は夕焼け小焼けと赤トンボ、それにぎんぎんぎらぎらの3曲を聴かせました。私のハーモニカも練習や講演の度に吹くためすっかり上手くなって、子どもたちから大きな拍手をいただくほどになりました。でもこの拍手をアンコールと思うほど上達はしていないので、あくまでも謙虚に披露しているのです。


 私にとってはすっかり見慣れた瀬戸内の夕日ですが、それでも見る場所と一緒に見る人が違うため、昨日とは趣の違った夕日を楽しむことができました。私のデジカメは腕が悪いのかどうか分かりませんが、夕日をアップで撮影するとぼけたような写真になってしまいます。少しお金が貯まった一眼レフのデジカメを買いたいものだと自分の腕の未熟さを棚に上げて思っているのです。

 いよいよ一年中で最も夕日が美しいと思われる秋の頃とンなりました。明日は恒例の夕やけプラットホームコンサートも開かれる予定です。夕日からますます目が離せなくなってきました。明日は香川県高松市の三谷地区から昨年に引き続き20人ほどの団体がやってくる予定で今からワクワクしながら待っているのです。

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○ヤッホー、新車を買ったぞー

 「地球を一周すると4万キロ」と教わったのは小学校の頃でした。その距離が大きいのか少ないのか分らぬまま私は若いころ、大航海時代そのままに愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸や総理府派遣第10回青年の船に乗って、赤道や日付変更線を超える旅をし、4万キロの長さの幾分かを長いと実感したものでした。

 4万キロを遥かに超える24万キロ、これは私がこの10年間、愛車トヨタプラッツで走り続け、車のメーターが刻んだ記録なのです。つまり地球一周の4万キロに換算すれば、何と地球を6周もした計算になるのです。ちょっとそこまでというちょい乗りから、遠くは鹿児島県国分や熊本県牛深まで、走りに走った無意識な距離の積み重ねでしょうが、色々な人に聞いても24万キロは走り過ぎだと言われるのです。

 10年前にこのプラッツを買った55歳の時、妻が「お父さん、車は大事に乗れば長持ちするから1500ccくらいな大衆型新車を買おう。10年間乗ると仮定するとお父さんの人生で車を買うのはもう後2回だよね。次に買うときは定年後だから今まで我慢していた分少しいい車を買おう。75歳になったら軽4輪にしよう」などと、訳の分らぬことを言っていました。ところが知らず知らずのうちに定年を迎え、私の手足のように走って長く慣れ親しんだ愛車も10年間の走行に終わりを告げるのです。妻の「車は手入れ次第」という言葉そのままに私は車の手入れとオイル交換は欠かさずやってきました。車庫の上に置いたシーカヤックカヌーが落下してボンネットや屋根に多少のへこみや傷があるものの、また追突されて修理をしたものの、海岸線を乗った割には錆も殆どなく、車屋さんが「綺麗に乗っていますね」と褒めてくれました。しかし24万キロの走行距離はまるでボディーブロのように疲労を蓄積していて、先日は車のパットが故障して修理に出したりしたのです。車検を前に後2年乗ろうという私と、新車を買うと言い張る妻の間で確執がありましたが、遠出をする私のために妻は思い切って2百万円余りも車を私にプレゼントしてくれたのです。「よっ、太っ腹」と声をかけたいのですが、妻の太っ腹は皮下脂肪なので滅多なことはいえないのです。

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 私は車の車種など無頓着です。ところが妻や息子はこの半年余り、買い替えるこる間の車種について色々とカタログを貰ってきては話していました。そして1ヶ月前から車種の違う車を見定めにディーラーを訪ねていました。私も最後は連れて行かれましたが、時あたかもエコカー減税の嵐が吹き始めた時期であり、「トヨタプリウスにしたら」という息子の勧めもあって買うことに相談がまとまったのです。しかし私たちが決めた時は品薄で来年まで車が入らないというのです。仕方がないので私が思っていた1500ccの大衆車「トヨタカローラアクシオに決めました。「エコカー志向のこの時期に何で」と息子は不満でしたが、乗るのは私なので決めました。

 さて車検の切れる前の先日、大安の日に車を受け取り行きました。古い車の荷物を下りし、水洗いをして綺麗にふき取りおさらばです。10年間も私や妻のために働いてくれた車を廃車にすることは忍びないのですが、まあこれも仕方がないことと諦めました。

 新しい車はワックスの匂いも初々しく汚れもない新車です。さてこれから10年、私も元気でこの車を使って仕事や楽しい旅をしてみたいと思っています。人から見れば「なんだそんな車ぐらいで」と、「ヤッホー、新車買ったぞー」と言われそうですが、自己満足の世界ですので拍手を送ってください。

  「エコカーを 買わぬ私は へそ曲がり 自分満足 いいじゃあないの」

  「10年に 24万 キロ乗った 古い車に 別れを告げる」

  「ETC 民主が勝った どうなるの? 矛盾の多い 世の中ですね」

  「何処となく リッチな気分 新車乗る 金もないのに 妻は決断」

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○人間牧場にチャレンジクラブがやって来た

 「チャレンジクラブ」という名前を聞けば多分青少年の活動団体を思い浮かべるのですが、この名前はれっきとした経営者の集まりなのです。記憶は定かでありませんが、私の保存している予定表をめくると2005年7月28日に桜井啓子さんの名前と電話番号か記されているので、多分その辺りではないかと思われるころ、このチャレンジクラブは10人ほどで私のところへやって来ています。その時は役場の3階の一室を借りてまちづくりについてお話ししたような気がするのです。当時教育長だった私は夕日のことやシーサイド公園の経営のことなどを目いっぱいお話ししました。経営者に経営者でもない私が何を話したのかよく分らないのですが、いいフィーリングであったことは確かです。愛媛県に縁のある桜井さんとはその後も個人的な付き合いが続いていますが、今年になってチャレンジクラブの会長である徳島に住む内藤裕敬さんが急遽人間牧場を訪ねられ、9月の2日に人間牧場で会員研修をしたいとの申し出がありました。桜井さんのように衣料系のお店を15店も持っている経営者が集まるので、私のようなものの話などと思いましたが、甘んじてお引き受けしたのです。

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 昨日は午後1時に双海総合支所の前に集まりました。メールで送られてきた名簿を見ると宮崎県、香川県、山形県、熊本県、徳島県、大阪府、岡山県、愛媛県とまあ日本全国から集まるようで、12人それぞれ車のナンバーもバラエティに富んでいました。人間牧場には駐車場がないので、しもなだコミュニティセンターの駐車場で3台の車に乗り合わせて牧場へ向かいました。心配された台風もこちらには影響がなく、昨日はまずまずの遠望も楽しめて皆さん感激の面持ちでした。

 さて私は約1時間余り、商売人を相手に何の話をレクチャーしたのでしょう。水平線の家での座学は2時間にも及びましたが、鋭い質問もあっていい雰囲気の集会となりました。


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 この後一行は佐田岬半島の突端にある民宿大岩を目指しました。前回は道後温泉で一泊したので今回は趣きを変えたのです。事前に誘われて了解していたので私はその交流会に参加するため一行に加わりました。夕やけこやけラインと潮風メロディーラインを通りましたが、13里といわれる佐田岬の突端付近まではやはり遠いというのが第一印象でした。佐田岬には無数の風力発電の風車が並び、瀬戸内と宇和海を左右に見ながら走る景色に、遠来の皆さんは目を奪われ、折しも落ちようとする夕日を眺めながら初秋の岬を楽しみました。

 民宿大岩は魚や貝、イセエビなどの海の幸を食べさせてくれることで近年人気のあるところで、私の妻も一度だけ宿泊したそうですが、私は一度だけ食事をしに訪れたことがあるだけで、場所も忘れていたため、三崎の塩崎さんに事前に連絡して教えてもらいました。

 交流会は海の幸がずらりと並ぶご馳走でしたが、私には食べきれない程で、元来た道を今度は一人で引き返さなければならないこともあって、宴会が始まって1時間ほどで早々にお暇をさせてもらいました。夜の道は交通量も少なく2時間ほどで自宅に到着し、長い長い一日のスケジュールがやっと終わりました。体力的には少し疲れましたが、気力的には色々な人との出会いもあってとても充実した一日となりました。


  「西東 300キロの 道のりを たった一日 妻も感心」

  「経営者 前に一丁前 口をきく 結局最後 人がするもの」

  「右左 二つの海を 見て走る 遥かかなたに 夕日が沈む」

  「経営の 極意学びに やって来た 逆に学んだ 経営極意」 


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○松山大学での講義

 いつも通う愛媛大学の裏門に面して松山大学はあるのですが、愛媛大学へは一週間に一度通っているものの、松山大学へは一年に一度程度しか行かないため、松山大学の存在を忘れていました。松山大学の先生をしている金融広報アドバイザー仲間の岸本さんから講義を引き受けて欲しいと依頼があったのは前年度でした。そのうち教務課からレジメの提出依頼があっても、日ごろの忙しさにかまけてスケジュール表での確認しかできていませんでした。月も変わって9月に入った2日の予定表を見てびっくりしました。その前後に次々と予定が入って、昨日は早朝のセミナーが終わると直ぐに午前中の松山大学の講義が入っていました。

 身支度を整える間もなく松山大学へ向かい、守衛さんの誘導で教務課へ行きました。平成21年度大学コンソーシアムえひめ共同授業と銘打った今回の授業は愛媛大学、愛媛県立医療技術大学、松山東雲大学、松山東雲短期大学、聖カタリナ大学、聖カタリナ短期大学部、放送大学愛媛学習センターが共同で行うのです。私を含めた15人の先生たちが5日間にわたって講義をするのです。

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 私はその中日の午前中を担当するのです。参加者は146人と伺っていましたが、広い844番教室には夏休み中にもかかわらず、沢山の学生が集まっていました。

 私の講義タイトルは「まちづくりの新しい風です。レジメ通りに話すことの苦手な私は、提出していたレジメを殆ど無視して90分の授業を終えました。大学側の説明によるとこの講義は試験がレポート提出が義務付けられていて、10分ほど早めに終わってレポート作成の時間を取って欲しいとのお話でしたので若干早く終わって提出されたレポートは後日私のところへ届けられるとのことでした。後日評点をして送り返すのだそうですが、はてさて私の話をどのように理解したのか、読んでみたいような気もしますが、手間暇の少ない私には時間的にきつそうです。

 余談になりますが、今回の授業を教務課の若い女性が聞いてくれました。そして帰り際嬉しい感想を話してくれました。学生ではないものの、一人の人を満足させることができればいいと思って毎回大学で授業をしている私としては、満足の意思表示をしてくれたこの女性の一言で救われた感じがしました。

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 ふと気がつくと、最近私は意に反した方向に自分の日常が向いていることに気がつきました。大学の講師などをもう7年もやっているのに、未だに大学の授業がなじまず、いつも止めたいような心境なのに、大学とのかかわりがどんどん増えているのです。不味いと思いながらもやっていますが、もうそろそろ幕を引かなければと思っています。私は大学が大の苦手です。論理を旨とする私には理論を教えることは難があるのです。これまでは主に論理を教えてきましたが、少し理論的にならなければ大学の授業はできないのです。

 悩みながら授業をやることは学生にとって決していい影響はないので、そろそろなのです。加えて忙し過ぎるオーバーワークな日々を少し整理もしなければなりません。さてどうするか正念場のようです。


  「意に反し 大学授業 増えてくる そろそろ幕を 引くこと思う」

  「教壇に 立って時々 ハッとする あるべき論を 唱える私」

  「レジメ見ず 勝手に喋る 癖ありて 私やっぱり 大学向かぬ」

  「点数を つけろといわれ どう評価 うーん困った 俺にはできぬ」

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○倫理法人会早朝セミナー

 「今日は毎日日課の朝一本ブログを書くことも、夜一本ブログを書くことも忙しくてできないだろうなあ」と思い、朝5時に起きて身支度を整えながらパソコンのスイッチを入れ今日の簡単な予定をブログに書き込みました。妻の差し出す牛乳を飲んだだけで、薄暗い早朝の道を車に乗り、ライトをつけて松山へ向かいました。今日は男時(おどき)と言うのでしょうか、最初の信号が青だったので気分よく走ると度の信号も殆ど青で、今朝の松山北倫理法人会早朝セミナーの会場となった西堀端にある東京第一ホテルまで約30分そこそこで着ききました。30分も前に到着したものですから、車を立体駐車場に止め、手持無沙汰で11階の会議室までエレベーターで一気に駆け上がりました。会場の中では何やら今日の会の進め方のリハーサルをしているようでしたのでロビーから窓越しに早朝の松山堀端周辺の風景を眺めていました。やがてリハーサルも終わり中に案内されて窓越しに朝日に輝く松山城の姿がまぶしく輝いて見えました。

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 やがて時間が経つにつれて参加者が集まり始め、開会ごろには満席となりました。実はこの倫理法人会の早朝セミナーには一昨年の9月19日に招かれ同じ場所で講演をしているのです。前回の講演内容について全て覚えている人は殆どなく、話した私自身も全く覚えていなのです。言ってみればそのことが救いで、私は今回も思いつくまま与えられた45分を「新しい発想で生きる」と題して目いっぱい話させてもらいました。会場には顔見知りも何人かいて、「あなたが来ると言うので来ました」とか、「今日もいい話でした」と持ち上げてくれました。

 講演会終了後1階のレストランでお話をしながら皆さんとバイキング形式の朝食をご馳走になりました。私はどちらかというと和食系なのでご飯に味噌汁、それに野菜類とトマトジュースをいただきました。

 私の前に座った女性は今回初めて参加したようで、感想を述べていただきましたが、楽しいおしゃべりに花を咲かせながら、楽しいひと時を過ごしました。

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 倫理法人会の早朝セミナーに参加していつも思うのですが、人が寝ている間に起きて、朝飯前に学ぶ人が意外と多いことに気がつきました。多分このセミナーに参加した人たちは自分の休む時間を割いて学習しているのでしょうが、こうしたポジティブな生き方をする人はネガティブな生き方をしている人から比べると、はるかに高い次元の人間になるはずである思いました。何故なら人は学習によって知識を得、その知識を知恵にして生きることそのものに意味があるのです。知識をいくら体中に詰め込んでもいい仕事はできないのです。

 今日は懐かしい出会いがありました。この会の主催者である倫理法人会の武田哲也会長さんからは事前にお電話をいただきました。最初電話を貰った時は「たけだてつやです」と聞いて一瞬「えっ、あの俳優のたけだてつやさん?」と勘違いするほどでしたが、直ぐに正気に戻りました。ロープウェー街で写真館を営む松原さんは相変わらず面白い写真を持ち歩いていて、前回は土佐礼子さん、今回は石原裕次郎さんのブロマイドをいただきました。まあこんな風に古い人、懐かしい人、更には新しい人が沢山加わって今の私があるのですから、これからも沢山の友人と楽しい交流をしたいと思っています。

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(武田哲也会長さんのあいさつ)

  「朝早く 学ぶ人あり 手助けに 私も参じ あれこれ喋る」

  「気持ちよい 朝の挨拶 交わし合い 口パク歌を 歌って始め」

  「人は皆 知らぬところで 努力する やがて智となり 輝き増すな」

  「寝る前に 寸暇惜しんで 一本の ブログを書いて 安堵床就く」

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○今日は6時30分から東京第一ホテルで早朝セミナーがあって出かけます。

○午前中は松山大学で講演会があり講演します。

○午後は全国から14人の方々が人間牧場へ研修に見えられます。

○夕方は三崎半島の民宿大岩で夕食交流会があり参加します。

○帰りは深夜の予定です。

 こんなメッセージを書き込んで家を出ました。一日に走った車の走行メーターが県内にもかかわらず230キロですから、いかに忙しかったかがお分かりでしょう。それにしても今日一日は早朝の部、午前の部、午後の部、夜の部とまるでで4本立ての映画を見ているようでした。

 早朝の部の倫理法人会で「万人幸福の栞」というコピーをいただきました。

 万人幸福の栞

 1、今日は最良の一日、今日は無二の好機

 2、苦難は幸福の門

 3、運命は自らまねき、境遇は自ら造る

 4、人は鏡、万象はわが師

 5、夫婦は一対の反射鏡

 6、子は親の心を実演する名優である

 7、肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号

 8、明朗は健康の父、愛和は幸福の母


 9、約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う

10、働きは最上の喜び

11、物はこれを生かす人に集まる

12、得るは捨つるにあり

13、本を忘れず、末を乱さず

14、希望は心の太陽である

15、信ずれば成り、憂えれば崩れる

16、己を尊び人に及ぼす

17、人生は神の演劇、その主役は己自身である


 この日の輪読は、13の本を忘れず末を乱さずでした。文の中に「世に恩を忘れるなということがやかましく言われているのは、本を忘れるなという意味である。食物も衣服も、一本のマッチも、わが力でできたのではない。大衆の積み重ねた幾百千乗の恩の中に生きているのが私である。このことを思うと、世のために尽くさずにはおられぬ、人のために働かずにはおられない」。「そうした中でも、最も大切なわが命の根元は両親である」でした。

 ああ今日もいい勉強をさせてもらいました。


  「行く先で 色々学ぶ ことありて 今日も倫理の 本を学びぬ」

  「グラグラと 話の途中で 地震あり 自身の話 自信ないのに」

  「17の 教え輪唱 しながらに 己の日々の 粗末を思う」

  「もう少し 襟を正して 生きなくちゃ 思うだけでも 随分違う」



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○残暑の中水仙の球根堀り

 地域づくりには地縁・人縁というのがあって、それらを大切にしないといい地域づくりはできないのです。地縁・人縁は同じ場所に住む人たちとだけではなく、交流によって生まれた地縁・人縁もまた大切なものなのです私にとって高松市三谷地区のコミュニティのメンバーとは公園に二回も招かれたというだけでなく、地縁・人縁において特別な意味を持った地域なのです。

 まちづくりで活発な活動をしているところの共通点は、①あさつができて時間が守れて人の集まりが良い、②その街にある公衆トイレが美しく掃除されている、③街の至る所に綺麗な花が咲いているという3つの点です。三谷地区はそのいずれもが揃っていていい地域なのです。そこの溝渕さんとひょんなことで知り合いとなり、昨年はバス一台を仕立てて夕焼けコンサートに見えられましたが、今年は人間牧場訪問とからませてやって来るようです。そんな夕焼けコンサートの押し迫った8月31日、10人の花の会の方々が水仙の球根堀にやってきました。朝7時に香川県を出発したという一行は9時過ぎにはシーサイド公園に到着し、早速双海花の会の圃場で水仙の球根掘り作業に取り掛かりました。目安は2千個と言うことでしたが、前もって私が1日がかりで草刈りをしていたためと畑の状態が非常に良くて、残暑厳しい中ではありましたが、やはり10人もの人数ゆえ思いの外作業がはかどりました。

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(三谷の皆さんの球根堀り作業風景)

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(私もそれなりに働きました)
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(香川県高松市三谷の球根、麻袋を用意する周到さに驚きました)

 実はこの日、大分県日田市大山町のひびきの里からも、水仙の球根堀のグループがやって来ることになっていたのです。大山町と言えば「梅栗つくってハワイへ行こう」というキャッチフレーズで有名になった村おこしの元祖みたいな町なのです。ひびきの里の支配人は元大山町企画情報課長であった緒方さんなのです。彼とは古い付き合いで、肝胆相照らす仲なのです。前回大分県へ講演に招かれた時、水仙の球根の密約が交わされていて、この日に来ることになっていたのです。ところが直前になって緒方さんが来れなくなり松原部長さんともう一人のお二人で見えられました。三谷のみなさんにはそのことを前もってお伝えして、ボランティア活動として大山町の分まで掘って欲しいと懇願し、潔く応じていただきました。三谷のみなさんが彫り終わって食事をしている時彼らも食事をしていてばったりでした。

 大山の二人に理由を言ってイモ掘り作業をして貰い、その間に三谷の一行は人間牧場見学をしました。三谷のみなさんは一度人間牧場へ来ていると思ったのは私の勘違いで、少し道に迷うハプニングもありましたが、瀬戸内の穏やかな眺望にみんな感心していました。

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(大分県大山町の球根)

 三谷の皆さんとは牧場の近くでお別れし、急いで引き返しました。あれから1時間半近くも経っているのでさぞや暑かろうと気をもみましたが、お二人は三谷のみなさんが掘ってくれたものと合わせて、軽く10箱もの球根を既に道まで運び出していました。帰りのフェリー便の予定もあるので私のトラックに積み込んで、亀の森の車まで持って行って積み替え、やっと忙しい一日の午前の部と午後の部を終えました。時計は4時過ぎを回っていたので、急いで引き返して車とキャリーを水洗いして収納し、シャワーを浴びて夜の部に備えました。

 少しの時間に沢山のメールが入っていたので返信をしようと思いましたが、どういう訳かワープロ機能が働かず、ついには諦めて夜の部の会場へ向かいました。すっかり日焼けした私の顔を見て「お父さん大丈夫」と冷えたリポビタンを一本飲ませてくれました。「ファイトで行こうリポビタンD]って感じです。人と会い、人と会うための段取りをし、予定をこなすのはさほど苦労とは思いませんが、パソコンの故障は疲労に追い打ちをかけるような出来事でした。これも夏休み最後の淡い夏の思い出として記憶に残ることでしょう。それにしても大山町のために水仙の球根を掘っていただいたみなさんに、心から感謝いたします。


  

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○パソコン故障は台風襲来に似ている

 私の一日はパソコンの前に座ってブログを書くことから始まります。昨日もその前の日もそんなことを繰り返し、余程ことがない限りこれからも当分はブログへの書き込みによって一日は何となく始まり何となく終わっているのです。ところが昨日の夕方メールの整理をしていて突然ワープロ機能が働かなくなり、文字の入力ができなくなってしまいました。仕方がないので娘婿に助け船を出し直してほしいと頼みましたが、残念ながら夜遅かったことと、今日から今週末まで仕事が忙しくて対応ができないとの返事でした。続いて息子に連絡を入れると息子は11時前にやってきて対応してくれましたが、残念ながら治りませんでした。息子はパソコンを修理するため私のパソコンをさっさと持ち帰ってしまったのです。さあ困りました。今朝は机の上にいつも置かれているパソコンがなくなり寂しい感じがしたものですから、早朝読書を試みましたが、何となくリズムが狂ってピンときませんでした。

 ただならぬ私のため息を見てとったのか妻は、「お父さん、今日は午前中予定が空いているようなので娘のところへ行ってブログを書いたら、そして娘のパソコンを借りて帰ったら」と勧めてくれました。急な思いつきで8時に自宅を出て娘のマンションへ着いたのは先ほど午前9時でした。娘はパソコンで買い物をしているので一週間もパソコンを書くことはできないと突っぱねている矢先、息子から携帯電話が入り、「dynabookの会社である東芝に電話をかけてトラブルを解決して治った」というのです。うれしく連絡でした。

 孫の朋樹は今日から学校で留守です。孫尚樹はテレビを見ています。娘は私と孫を残してさっさと買い物に行きました。しばらくすると帰ってくるのでしょうが、帰りに息子の会社に立ち寄ってパソコンを受け取りかえりたいと思います。

 私のイライラの一番の原因は目下のところパソコンの不具合です。パソコンが故障するたびに娘婿や息子に頭を下げて直してもらったり苦情を聞いてもらっていますが、毎度のことなので適当に対応してくれています。メールの整理や返信も少し遅くなったり忘れていたりするものですから、相手から催促や督促が入ります。その度に自分の非力を嘆き、進化を誓うのですが退化はしても一向に進化もせずイライラは募るばかりです。

 もし娘婿や息子たちがいなかったらどうなるのだろう?とまさかの時に依存できる大樹の影に甘んじている自分を発見するのです。色々書きましたがパソコンの故障は関東に接近した台風とどこか似ているようにも思いました。日頃はパソコンも当たり前のように酷使していますが、故障すると大騒ぎをするのです。昔は台風の通り道は九州か四国と通り相場が決まっていました。ゆえに九州や四国の人は台風に備えた日々の暮らしができていたのです。ところが関東では台風など滅多に来ないので備えもなく、漫然と過ごしているのです。備えとはやはり学習だと思います。もっと学習を続けて備えを固くしたいと思いました。


  「パソコンが 治った通知 携帯で イライラ治り やっと正常」

  「非力なり つくづく思う わが知能 これから先も 思いやられる」

  「今日だけは 息子の力 信じよう パソコン治し 俺の手助け」

  「パソコンを 使い過ぎだ 妻が言う 奏かもしれぬ 優しく使う」

 

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