shin-1さんの日記

○小窓ができました

 昨日息子からメールで、4枚の写真が送られてきました。私が作業に夢中になっていて取り忘れた写真です。息子が撮ったデジカメの写真は容量が大きく、またそれを取り込むのに浅はかな私のパソコン技術では四苦八苦しましたが、まあどうにか取り込むことができたのです。

 一枚目の写真は大工さんが長い書棚の一角に穴を開けている作業風景です。この場所に置いていた本を片づけました。外から見る書棚いっぱいに並ぶ本の風景は、私としては相当気に入っていただけに少々悔いは残りましたが、かまど小屋の敷地の関係でこのような結果になってしまいました。

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 裏側のかまど小屋から見ると壁のこの位置に小窓をつけたのです。かまどで炊いたご飯をかまど小屋で茶碗によそってこの小窓から反対側の水平線の家に出そうという算段ですが、まるで何処かの食堂の厨房のようでもあります。小窓の下と左手にははめ込みの粋な小棚が設けられ、入口左には収納上がりかまちがでてくるようになっていて、かなり面白いアイデアとなっています。

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 まだ未完成ですが、水平線の家側から見るとこのような小窓になるのです。この日は残暑が厳しく、前日の雨で蒸し暑かったものの、この小窓を通して吹き抜ける風は思わぬ涼風を運んでくれました。最終は違い棚のようになる予定で、本の整理をすればまた物語のできそうな空間なのです。

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 窓越しに見えるかまど小屋のワインレッドのかまどと、そこで始まるであろう作業風景と息遣いはこの小さな窓を通して伝わって来るものと思われます。季節は夏から秋へ移ろうとしており、畑の隅に生えているススキもそろそろ穂を出し始めました。真っ青な海も空も穏やかに凪いで、かまど小屋の完成を祝福しているようでした。

 さあ私の夏休みもいよいよ終わりです。明日からは遠い北海道へ少し長めの講演旅行に出かけます。帰ったころにはかまども自然乾燥が進んでいるものと思われ、火入れが楽しみになってきました。


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  「本棚の 一角破り 窓開く 初秋の風が ゆるり流れて」

  「窓越しに ワインレッドの かまど見ゆ 湯気と香りも 流れくるかも」

  「四年間 入りし光で 変色す 本の殆ど 紫外線焼け」

  「息子撮る 写真メールで 送り来る 便利になった 居ながらにして」  

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○プランターの土の入れ替えをしました

 玄関先や庭を花で美しく飾りたいと思うのは、女性なら誰もが持つ願望かも知れません。玄関に活けた生け花や、庭のプランターに植えた草花を見れば心が和むし、例え一輪ざしに挿した季節の草花であっても、そこに四季の移ろいを感じるのは、やはり日本人の繊細な美への思いかも知れません。わが家では妻が玄関と庭先にそうした美の空間を質素ながら作り、来訪者というより私たち家族の目と心を楽しませてくれています。でもそれらのたった小さな空間でも、それを維持しようと思えば手間暇かかるし多少のお金もいるのです。お金は別として女、妻、母、嫁、親、姑、職業人など幾つもの仕事をこなさなければならない妻にとっては時間的余裕がなく、傍で見ていますが中々大変なようです。特に夏場は生け花は日持ちがせず、水やりもちょっと油断すると枯れてしまうのです。

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 この時期は季節の変わり目なので、庭のプランターは見るも無残なほどになっていて、はやく夏の花から秋冬の花に植えかえて欲しいと主張しているようです。妻も毎年の繰り返しなのでそのことは分っていて、日曜日に外出した際園芸店へ立ち寄って、園芸用土と花の苗をどっさり買って帰りました。昨日は月曜日でした。妻は近くの歯科医院に勤めていて月曜と金曜日は夕方遅くまで仕事があるため、花を植える暇がないので、私は午前中見かねてプランターの土の入れ替えを殊勝にも一人でしてやりました。

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 発泡スチロールの大きなトロ箱を用意して、その中にプランターの土を逆さまにして出し、雑草や毛根を丹念に取り出すのです。そしてその土に買ってきた新しい用土を三分の一ほど加えてプランターに戻すのです。この作業は結構きつく、一輪車で運ぶのですが腰や腕にくる作業でした。近々北海道へ講演に出かけることもあって、もしもぎっくり腰にでもなったら大変と、そのことだけを注意して作業に臨みましたが、体力の衰えはいかんともし難く、20数個のプランター全ての土を入れ替えるのに2時間もかかってしまいました。

 昼休みに帰った妻は頼みもしないの土の入れ替えをしている私のただならぬ様子に苦笑しながら、「まあ珍しいことをしてくれてありがとう」と、皮肉めいたお礼を言ってくれました。汗だくの奮闘を終えた私は手と顔を洗って昼食を取りましたが、妻は早速外に出て買ってきていた苗を植えていました。少しずつ植えかえようと思っていた妻の目論見が外れたため、苗は半分程度しか植えれず足らなくなりました。今日にでも買ってくるそうですが、わが家のガーデニングもすっかり衣替えをしました。

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 わが家では毎年友人のまり子さんからプランターに植えた葉ボタンが届きます。「毎年悪いなあ」と思いつつ内心は今年も期待していますが、この葉ボタンのお陰で正月には見事な玄関のディスプレーができるのです。

 わが家は菜園を含めると敷地が660坪もの田舎らしい広さゆえ、ゆったりとした空間の中で暮らせるのですが、その分草引きや剪定担当する親父と、草刈りや耕しを担当する私、それにガーデニングの真似ごとをする妻の3人が家の周りの空間維持を行っています。これからはそれぞれが年齢的なこともあって、重くのしかかることが容易に想像できるのです。

 まあなるようにしかならないのですから、お互いがお互いを助け合って、それぞれの持ち場を守りたいと思っています。妻の頭の中には毎年9月末わが家にやって来る、私が教えている大学生たちのことが気になっているようで、念入りにあちこちを掃除しているようですが、プランターへの花の植え替えもそのことへの対応かもしれないと、心の隅で思いながら協力をしました。でも少しだけ感謝されるいい汗をかきました。


  「柄になく プランターの 土替えを 一人せっせと 初秋半日」

  「ありがとう 少し皮肉を 込められて 半分嬉し 妻の一言」

  「妻植えし キキョウの花に 水をやる 土は私と 威張りながらも」

  「早秋か 作業しながら そこここに 季節移ろい 生まれ日近く」

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shin-1さんの日記

○また一つ夢が叶いました

 この一週間は暇さえあれば人間牧場へ出かけ、かまど小屋の中にかまどを造る作業をデジカメに収める地道な作業を行いました。昨日は日曜日だったこともあって設計した息子も左官も大工も勢揃いして賑やかな終いの工事が行われました。まだ端々の工事は残っていますが、本体工事とかまど工事は大体は片付きました。

 昨日は先日片づけた書棚の一部分にかまど小屋と水平線の家に通じる穴が開いて、何とも奇妙な空間が出現しました。最初の計画では水平線の家から直接かまど小屋へ入れるように設計していましたが、土地の形状から外からしか出入りができないため、苦肉の策としてこの窓ができたのです。でも開けてみるとこの空間から見えるかまどの様子もまたおつなもので、また新たな物語が語られそうな予感がしました。

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(すっかり出来上がったワインレッドのかまど)
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(煙突穴も耐火レンガでデザインしました)
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(かまど小屋の裏庭も古い瓦で修景しました)

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(屋根に降った雨を貯める雨水利用タンク)

 昨日は松山三津浜のコーナンへ切り石や屋外シンク流し台を買いに行ったり、そこら辺のあた片づけをするなど、気がつけば朝ご飯も昼ご飯も食べずに働きました。夢中になると食べることさえ忘れるのですから私も相当ええ加減な男です。

 今回のかまど小屋は息子の設計によると相当凝っています。屋根は狭いながら環境に優しい屋上緑化をするそうで、既にFRPが張られ、屋上の雨水はステンレスタンクに貯められ、利用するようにしています。間もなく屋根に芝生を張るそうですがはてさて上手くいくかどうか心配しています。

 またソーラーパネルを設置して小さいながらバッテリーに充電してかまど小屋の照明に使いたいと、先日から充電実験をしているようです。


 まあ一事が万事人間牧場は環境をテーマにしているので、少しずつ環境に優しいことをしているのです。この施設でいかほどのCO2削減になるかは疑問ですが、少なくともこの施設を利用する人たちに環境を考えてもらう一助になればと思って息子は知恵を絞っているのです。「親が親なら子も子だ」と妻には笑われていますが、乏しい資金で知恵を出しながらやっています。それでもこの5年間でその乏しい資金もそろそろ底をつきかけて、心もとない心境です。

 今回のかまど小屋の整備は僅か一坪半の小さな施設なのに、かまどの築炉という設備の整備をしたためかなり大きな出費になりそうで、今も頭が痛いのです。息子はお金のことなどオーナーである私が出すものとばかりに次々と考えてくれていますが、私の限界も近づいたようで、少し充電しなければと思っています。

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(息子と二人で完成したかまどの前で記念写真を撮りました)

 それでも今回もなにはともあれ完成しました。8月の始めに着工し9月まで長くも短い約一カ月でしたが、5年間の集大成にふさわしいものでした。特にこの一週間は左官さんや大工さんなど様々な異業種の人の話を聞いたり、労働の姿に触れる機会もありとても参考になったように思います。夢を持ち夢の実現のために努力する、そして夢がかなうことは素晴らしいことです。お陰で財布も軽くなりましたが、金は天下の回りものです。また次の夢を膨らませながらいい人生を歩みたいと思っています。


  「工事中 暑くもあった 一ヶ月  夢が叶って かまど完成」

  「そこここに 息子の知恵が 生かされて CO2も 少し削減」

  「さあ次は クヌギ原木 切り倒し 薪割る作業 始めなければ」

  「毎日が 何処かワクワク するような 書くこと多し 今朝もブログに」  

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shin-1さんの日記

○ラジオ深夜便「こころの時代」がCD-Rとなりました

 私のことを「若松先輩」と呼んでいただく友人が大分県にいます。その人の名前は渡邊又計、私と同じ役場退職組でリタイア後は再就職をしています。ダンディーで几帳面な渡邊さんと出会ったのは、豊予海峡を挟んだ愛媛県旧三崎町での交流研修会でした。旧三崎町の塩崎満雄さんの紹介で知り合い、その後講演依頼などもあって急速に縁が深まり、何人かでグループを作って交流を続けているのです。

 渡邊さんの写真の腕前はプロ級で度々展覧会で入選していて、出会う度にスナップ写真を撮り続けて送ってくれるのです。大体役場リタイア組は退職すると縁が遠くなるものですが、渡邊さんの場合は奥さんともどもの深いご縁をいただいているのです。

 私と渡邊さんを結び付けるもう一つの原因は、私が毎日書き続けているブログ「shin-1さんの日記」の愛読者で、殆ど毎日読んでくれているのです。読むだけの人なら多い日には1500人もカウントされているのですから当り前なのですが、渡邊さんは私のブログに書かれた文章の誤字脱字を校正して、ちゃんとデジタル保存しているのです。驚いたことに今年の春先、一枚のCDが送られてきました。中を開けてみてびっくりしました。中から出てきたのは私の3年間のブログを全てを一枚のCD-Rに入力し、しかも写真や似顔絵まで焼き付けているのです。このことを見ただけでも只者ではないと思うのです。

 その時同封したメモに「VTRや音声テープでもCD-Rできますからどうぞ」と書かれていました。先日人間牧場の書棚を整理をしていると、中からテープが出てきました。古くなったミニコンポに挿入して聞いたところ懐かしい声が出てきました。テープの箱に書いたメモには「愛媛県双海町地域振興課長若松進一NHKラジオ深夜便『こころの時代』【沈む夕日で町おこし】第一回放送分・2002年(平成14年7月3日・水)午前4時台放送と、長ったらしく書かれていました。ふと渡邊さんのことを思い出し、第2回放送分も合わせて送ってしまったのです。渡邊さんから早速電話が入り、もう出来上がって送ったとのことでした。素早い対応に驚きましたが、昨日その元テープに添えてCD-Rが送られてきたのです。

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 前回のブログも驚きましたが、今回も見事な出来栄えで、パソコンの苦手な私としては凄い技術だと感服し、早速パソコンに挿入して聞かせてもらいました。2002年といえば今から7年も前です。テープなので若かったかどうかさえも分りませんが、NHKの中野正之ディレクターのインタビューに答える形で饒舌に話す自分の声に張りを感じました。

 渡邊さんのメモの通り、カセットテープやVTRテープは磁気のため保存が難しく、デジタル化しないと持っていても宝の持ち腐れになってしまう可能性があるのです。今しかできないことはそれらをデジタル化して保存版を作らねばならないと分っていても、渡邊さんのように上手くできない人は人に頼むかお金をかけてしなければならないのです。私のカセットテープやVTRテープは膨大です。全てをすることはできませんが、せめて保存しておきたい数本だけでもと、渡邊さんのご厚意に甘えたのです。

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 情報の技術革新は目覚ましく、私のような古い人間は時代に取り残されてしまいました。同じ時代に生まれ育ちながら片や渡邊さんは独学でデジタル技術を学んで移り行く時代の橋を上手に渡っています。その違いは向学心かも知れません。遅れたと感じながら時すでに遅く、その遅れを取り戻せない私ですが、進んだ渡邊さんの力を借りて少しだけ遺し伝えることができそうですが、これにも限界があると感じつつ、渡邊さんから送られてきたCD=Rを机の上に置いてまざまざと見つめる朝となりました。

  「友人の お陰でテープ 変身し 返信されて 感激見入る」

  「私など 時代遅れも いいところ 差がつき友は ずっと先行く」

  「七年も 前のテープの 俺の声 やはり若いな 感じ入りつつ」

  「遠いけど 近くいるよな 友ありて 気配り感謝 恩を感じつ」

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shin-1さんの日記

○野菜の苗をどっさりいただきました

 昨日の朝、私の友人であるまり子さんがどっさり野菜の苗を自宅まで持ってきてくれました。私は着替えもせずパジャマ姿でパソコンをやっていて、玄関でチャイムが鳴ってパジャマで出たため赤恥をかいてしまいました。毎年このころになるとまり子さんから嬉しい野菜の苗が届くのです。

 昨日はまり子さんが来ると同時に雨が降り始め、さてこの雨では植え付けもできないが、まあ降り始めだし大したことはないだろうと、親父と二人で植え始めたのです。幸い雨も小康状態で、先日畑は耕耘機で耕していたこともあって、どんどん植えました。昨日持ってきてくれた苗は小分けをして紙でラベルがつけられていました。しかしその名前は、私にとっては初めて目にするような名前で、「えっ、これ本当に野菜の名前?」と思うようなものばかりでした。

 YK錦秋早生年内採りキャベツ20本

 ルビーボール(赤キャベツ)4本

 グリーンボール(生食キャベツ)9本

 カリフラワー(花野菜)4本

 パープルフラワー(紫カリフラワー)4本

 スティクセニョール(茎を食べるカリフラワー)10本

 オレンジブーケ4本

 早生白菜(年内採れ)24本

 晩生白菜(金将)16本

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 聞いたことも見たことない名前の野菜を手に取りながらまざまざと見つめ、一列一列丁寧に植えて行きました。親父はいつもの通り几帳面に筋縄を張ってそこへ畝を立、て私が定規を使って等間隔で植えるのです。親父はその周りに牛フン堆肥をばら撒き、私がジョロに水を汲んで頭からかけ一応植え付け作業を終えました。私たちの作業が終わるのを待っていたかのように雨は本降りとなり、安堵の胸をなでおろしました。

 今朝畑に行ってみました。昨日の雨で畑はしっとりし、野菜の苗も天の恵みをいただいてしゃきっとしていてホッとしました。これから当分の間は気温が高く、虫も苗の葉っぱを好むので、こまめに世話をしなければなりません。と言ってもその作業は毎日家にいる親父の役割になりそうですが、とりあえず目のいい私が注意深く見守りたいと思っています。中には年内に収穫できる品種もあるようなので、今から楽しみです。


  「雨に濡れ しゃきっと立ちし 野菜見て 天の目恵みの 有り難きかな」

  「この野菜 名前はエーと 何だっけ 植えた先から 忘れてしまう」

  「この秋も 親父元気で 指図する これでいいのだ 長生き秘訣」

  「冬菜苗 定規で測り 植えて行く 畑を見れば 分る作り手」 

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○時間が足りないと思う4つの原因

 人間に等しく与えれれた一日24時間、一年356日なのに、ある人は余裕綽々と暮らし、ある人は時間に追いまくられて暮らしている、その差は一体何なのだろうと、むしろ古社の部類に属して毎日あくせくと動き回る私は時々思うのです。そこで考えたのは「時間が足りないと思う4つの原因」でした。

 まず一つ目はメールです。私は毎朝4時に起床しますが、起きるとトイレに行く前、顔を洗う前、着替える前にまず書斎へ行きパソコンの電源を入れます。そしてパソコンが勝手に立ち上がる間に、トイレ、洗顔、着替えをしてパソコンの前に座りメールを呼び出します。最近はメールも利口になって迷惑メールと必要メールを寄り分けてくれるため大助かりですが、それでも幾つかのメーリングリストに名を連ねているため、かなりたくさんのメールを読まなければならず、その上処理となるとせっかく早起きしても1時間もかかることだってあるのです。それでも情報化社会に生きる者にとってはこれも大切な仕事と諦めて対応しているのです。

 「朝起きたらまずメール」という習慣は、私の時間の足りなさの最初のつまずきになっていることは事実ですし、何年か前までこの時間は本を読んだり、海岸清掃などのボランティアの時間だったようで、大きな時間組み立ての変化だと気がつくのです。加えてブログに毎日2本も欲張って記事を書いていることも時間圧迫の最大の原因のようだと気がつきました。

 二つ目は携帯電話です。携帯のメールに慣れていない私は、余り携帯のメールを使いませんが、携帯電話の使用頻度と利用料はうなぎ昇りのようで、自動引き落としなので財布への影響を直接感じないだけに気がかりです。携帯はもう社会の常識ですから、歩きながら、食事をしながら、時には寝転がってテレビを見ながら携帯電話で相手と話している姿を見て苦笑するのです。若い人ほどではないにしても、携帯電話で通話している時間は数年前までなかった出来事なのです。昔は電話はある場所に設置されていました。ゆえにある場所へ行かなければ電話はかけられなかったのです。今は人間に電話がついて歩くのですから、当然電話がかかってくる相手はいつどもどこでも私を呼び出せるのです。「今いいですか」と前置きして話してくれますが、その殆どは運転中や会議中であって、着信履歴に基づいて掛け直さなければならず、まあかなりの時間を費やされるのです。


 三つ目はミーティングです。自由人になった私にはさすがにこの時間は少なくなりましたが、役所や会社はミーティングがお好きのようで、まあミーティングの時間も給料をいただくのですから、打ち合わせと称する会議をやたらだらだらやるのです。私はこのミーティングが一番嫌いで、在職中は朝の5分間だけ立ってミーティングをやりましたが効果抜群でした。ミーティングは時間をかければいいというものでもありません。ミーティングによって生ずる参加者の時間的合計ロスを考えればミーティングはかえってロスが多いのです。


 四つ目は時間に対する考えの甘さでしょう。リタイアした私は妻に「何でそんなに毎日忙しいの。もっとゆっくり過ごしたら?」と、時々言われます。妻の目から見れば日々の私は、自由人と言いながら、時間に追いまくられて過ごしているように見えるのでしょうが、私から言えば時間を追って過ごしているのです。つまり私は妻より数倍充実した時間的日々を過ごしているのです。

 でもふと少し反省もします。もっと余裕を持って生きたいと・・・・・・。私のゼンマイはいつも張り詰めたようです。もしこのゼンマイが切れると奈落の底かも知れません。もうそろそろそんな歳になったことを意識して生きて行かなければなりません。昨日は妻の64回目の誕生日でした。10月には65歳となって私も高齢者の仲間入りです。今日も朝から4つの原因に悩まされながら一日を過ごすことでしょう。


  「まず起きて メール対応 する私 つまずきの元 余裕を奪う」

  「携帯が いつも私を 呼び出して 挙句の果ては 罰金払う」

  「ミーティング さすがに今は 少ないが あれも問題 気づかず今日も」

  「時間的 ゆとりあるはず リタイアで 私の暮らし 何故か忙し」 

 

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○人間牧場で育つもの(こんにゃく芋)

 人間牧場も5年目を迎えると様々な作物や果樹が植えられ、土、太陽、水などの自然の恵みをいただいて元気に育っています。梅の古木のように人間牧場開設以前に植えられたものもあれば、スモモやブルーベリー、サツマイモのようにその後植えられたものも少なくありません。そんな中にこんにゃく芋があります。一昨年春野菜の苗を妻と一緒に買いに行った松前町の園芸店で10個のこんにゃくの種芋買い求めました。もっと欲しかったのですが、3年ものの種芋は結構値段がして、園芸店の主人の話によると子芋ができるので気長に育てたら増えていくという話を聞いたものですから10個にしたのです。その年は順調に10個とも芽を出しましたが、一個は途中で枯れて9個だけが今年の春芽を吹きました。どういう品種か分りませんがとにかく親株だけは大きく育って、樹勢も力強いことだけは確かです。

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 世話といっても周りの草を刈り、芋の近くは丁寧に草を引く程度しかしていませんが、今年は芋の周りから彦生えのような芽が幾つも出ているので、多分分株したのではないかと思われるのです。今年の夏民俗学者宮本常一の歩いた道を歩くフォーラムに参加して、山深い高知県を旅した時、山村の斜面にこんにゃくが植えられていたのを見ると、蕎麦と同じように荒れ地でもできる、いやむしろ荒れ地を好むのかもしれないと勝手に思い込み、肥料もやらずに育てているのです。こんにゃく作りをしている親友の西岡さんに教えをかって、これからどうすればいいのか考えて行動したいと思っています。と同時に畑の空いた部分にこんにゃく芋の種を植え栽培面積を増やしたいと思っているところです。


 さて、勝手に育っているこんにゃく芋をこれも西岡さんの指導を受けて、今年はこんにゃく作りに挑戦してみようと思っています。幸いかまど小屋もかまども完成間近で、かまどを使ったメニューに是非こんにゃく作りを加えたいと思っています。

 私は子どもの頃から、「嫌いな食べ物を上げなさい」と言われたら、「こんにゃく、海老フライ」と言うほど、こんにゃくが余り好きではありません。良く似ている食べ物にトコロテンがありますが、トコロテンは食感もよく大好物なのですが、あのぶよぶよした食感からか子どもの頃から大の苦手でした。トコロテンもこんにゃくもダイエットアルカリ食品としてもてはやされていますが、私にとっては食わず嫌いとでもいうのでしょうか今でも苦手な食べ物なのです。田舎では山ふぐと言われるように、こんにゃくの刺身は格別だという人もいますので、自分で種芋から育て、自分でこんにゃくを作り、好きになるよう努力したいと思っています。


  「ぶよぶよの あの食感の どこがいい 食べろと妻は いつも盛りつけ」

  「こんにゃくの 芋が芽を吹き 子が育つ こんにゃく畑 もっと増やそう」

  「かまど小屋 できたぞ次は こんにゃくを 作り接待 するの楽しみ」

  「こんにゃくは まるでキリンの 足のよう 斑点無数 不思議作物」

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○人間牧場で育つもの(二本の杉の木)

 早いもので人間牧場ができて丸4年、5年目に入りました。リタイアしてそれまでの35年間の公務員生活から一変し、自由人になってからの4年間だっただけに、私にとってはあっという間の出来事のようでした。それまで雑草雑木に覆われた放任園は人の手が加わって一変し、見違えるようになりました。そんな中、取り除かれた木や草があるかともえば、生えてくる木や草もあって中々面白いものだと観察を続けているのです。中でも海に向かって建つ水平線の家のウッドデッキの両側にほぼ同じような位置に、まるで植えたかのような杉の木が二本、人知れず生えて成長をしているのです。

 東側に生えている一本は少し遅れたためまだ気づかない程ですが、西に生えている一本は3メートルに達し、来年は水平線の家の屋根を超す高さまで迫るような勢いで伸びているのです。東の成長著しい一本は、屋外の上がりかまち近くに生えているため邪魔なので、そのうち切ろうと思っていましたが何処可哀そうに思って、下枝を少し整理したくらいで成長を見守ることにしたのです。

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(西側に生えた杉の木)

 木は根っこがいたずらをするので家の近くには植えない方がいいと言われています。事実これまでに色々な樹木が家の土台や墓石を狂わせている事例を随分見てきたものですから、本当は今のうちに伐採した方がいいことは分っています。しかしふと、水平線の家の私が落伍高座に使っている150年生の高知県馬路村魚梁瀬杉の切り株のことを思い出しました。150年の年輪を刻んだこの切り株はどこに生え、どんな理由で誰に切られたのか定かではありませんが、色々な経路を経て人間牧場へやってきました。いのちのリレーを断たれた切り株は家主である私と出会い、来た人たちに150年生き続けた物語を語ってもらっているのですが、ひょっとしたらこの杉の苗木は魚梁瀬杉の化身ではないかと思ったりするのです。まさに自然が育んだいのちのリレーなのです。

 種から芽を出し逞しく伸びるこの杉の幼木は、種ゆえ鳥か風によって運ばれ、土の中で芽生えるまでの1年間を過ごしたに違いありません。だとしたら今年小学校に入学した孫朋樹と同じ樹齢になるのかもしれません。偶然でしょうが朋樹という名前に樹がついているのも因縁時見ています。また朋樹の朋は相対する二つの樹を意味しているよです。まあ東の木は少し遅れて生えたためまだ2年生なので、孫尚樹と希心に似ているような気もするのです。

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(東側に生えた杉の木)

 昨日人間牧場でこれら二本の木を写真に収めました。この木の不思議な芽生えをまざまざと見ながら、「この杉の木を育てよう」と思いました。育てるといっても別に肥料をやったりする訳ではなく観察したり、切り株がくれたいのちの物語として話すのです。面白いエピソードが頭に浮かんできました。この勢いだと西側の一本は多分来年には軽く屋根を超えるような勢いなので、邪魔ン部分を枝打ちし今からが育つのを観察するのが楽しみです。

 人間牧場には建設のために伐採を余儀なくされた樹木もあれば、みかん畑の千幕として植えられ、芯や枝を切られながらも脇目を伸ばして生き延びている木もあります。木の世界も人間のエゴに合わされて、切られたり遺されたりと複雑ですが、せめて新しい命として芽生えた二本の杉の木だけは、人間牧場の新たなシンボルとして残しておきたいと思っているのです。


  「気がつけば すくすく伸びる 二本の木 切り株化身? 気になる木だな」

  「いや待てよ ひょっとしたなら この杉は 孫と年齢 同じ成長」

  「杉の種 風か小鳥の いたずらで この地に落ちて この地で芽吹く」

  「意味もなく 生えて育った 杉の木も 意味をつければ 愛おしきもの」

 

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○美味しいミニトマト

 残暑が厳しいといっても今は季節の変わり目で、さすがに朝晩は布団が欲しいくらい冷えてきました。このころになると冬野菜の植え付けが始まるのですが、夏食卓を飾ってくれた夏野菜の数々が最後の踏ん張りとばかりに実をつけて、毎日食べきれないほどの野菜が採れるのです。

 その最たるものはナスで、秋ナスの境地に入った長ナスが沢山採れ、食べきれないので親類におすそ分けをしてあげるのです。ナスばかりを持って行ってもと思い、時には南瓜や豆を添えますが、漁師さんなどは野菜を作っていないので重宝がられ、昨日は何とお礼にアマギという魚を二箱も貰いました。さてこんなに貰ってどうしようか思案しましたが、息子の会社の人に差し上げるというので友人の水口さんともどもへ往復1時間半もかけて持って行き喜ばれました。秋ナスが思わぬ福を運んでくれました。

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(長ナスも息を吹き返し秋ナスとして伸びています)

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(ピーマンの緑は目にも鮮やかです)

 これ以外にも、ピーマンやシシトウなどは、今が旬とばかりに沢山実をつけていますし、ミニトマトはもう食べきれない程の鈴なりです。しかもそのトマトは樹枝の上で完熟したものですからとても甘くて美味しいのです。昨日の夕方発泡スチロールに一杯収穫しました。白い発泡スチロールの箱に入った真っ赤なミニトマトは、まるで宝石箱のようで何とも言えない美しさでした。今年の夏は最初、トマトの天敵ともいわれる雨続きで、せっかく実ったトマトも腐ってしまいましたが、口にするものゆえ消毒もできずにいました。ここにきて雨が欲しいほど雨が降らないため自然治癒力で樹勢が回復したものと思われます。もうしばらくの間、ミニトマトの味を楽しみたいと思っています。

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(まるで宝石箱のようです)

 家庭菜園の世話をしている親父が、「もうそろそろトマトを片づけたい」というのです。親父は自分が世話をしている菜園が見苦しくなるのを極端に嫌う性格で、このことでいつも私や妻と意見が食い違います。昨日は収穫したトマトを見せ、「こんなに採れるのだからもう少し置いたら」と反論しましたが、いつものことだと軽くいなされました。

 家庭菜園の世話をしている親父にしてみれば、私は手伝うといっても収穫するだけしか役に立たず、雑草取りや水やりなどの雑用は全て親父に任せきりなので口答えもできないのです。まあこれも親父の長生きの秘訣だと思って適当な口喧嘩をやっているのです。

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(陽足が長く感じられるようになりました)
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(大根の芽も双葉が伸びて順調です)

 陽足が長くなって、陰と日当たりの部分の温度差が随分違い、季節の移ろいを感じるようになりました。わが家の菜園では親父が水をやった大根が二つ葉を出して伸び始めました。秋はもうそこまで来ています。


  「夏過ぎて 名残の野菜 豊作で 食べきれないで おすそ分けする」

  「長ナスが 魚に変わり 戻りくる これもすそ分け あれやこれやと」

  「ミニトマト 箱に入れると 輝いて まるでチェリーだ 宝石のよう」

  「そこここに 秋の気配の 漂いて 親父せっせと 陰で草引く」



  

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○かまどの上塗り工事

 かまどの築炉工事も築炉が終わり、いよいよ最終段階に入ってきました。この4日間仕事の都合で工事に立ち会わなかった息子は、今日も仕事で来ることができないため、朝早くにわが家へやって来て、私を誘い人間牧場へ行こうとしましたが、原稿の締め切りでバタバタしていたので、息子だけが出かけて行きました。往復1時間もたったでしょうか、息子はわが家へ帰ってきました。大体想像通り、設計通りにできているようで満足の手合いでした。今日も何の役にも立たないのに、現場監督みたいな役割を持った私が立ち会うため、色の具合を息子から聞き、細かいことは左官さんと電話で話すということで帰って行きました。

 昨日は築炉工事の終わったかまどに上塗りをしました。息子の設計図に描いた色が少し暗いイメージだったので少し赤くするようです。左官さん二人は色粉を入れて漆喰を作り、かまどに試し塗りをして色具合を確認して塗り始めました。少し派手かなあと思いつつ見ていましたが、磨きをかけたりかまどに熱が加わるともっと落ち着いた色になるので大丈夫だと左官さんは無心に上塗りをかけていました。前日中塗りにかなり時間をかけて鏝で押さえていたのが分るように、上塗りは色をつける程度の薄い仕上げでした。

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(丹念な色合わせ)
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(色合わせのための試し塗り)
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(上塗り)
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(上塗り)
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(上塗りを終了して、かまどにハガマを置いた最終雰囲気)

 いやあ長い築炉工事でした。たったこれだけの作品とも呼べる工事に二人で4日間もかけたのです。しかしもう見ることはないであろうかまど築炉工事の一部始終を見ることができて感激です。まさにこのかまど造りの生き証人となったのです。一つの耐火レンガを積み上げて行く途方もない細かい作業はまさに職人芸といわれるもので、できあがったかまどは画家が描く絵画と同じようにこれはもう立派な作品です。

 二つの焚き口の中ほどにくぼみを作っていますが、ここに長野県から送られてくる彫刻をはめ込み、煙突に幅気を入れれば全ての道具類が入ることになるのです。火を入れるのが惜しいような気もしますが、かまどは使い込んでこそ味が出る生活の道具なのですから、しっかりと使いたいと思っています。


 最後の工程は磨きだそうで、上塗りが渇いたらピカピカに磨き上げるのだそうです。私は所用で午後から始まる磨き始めの行程を見ないで人間牧場を後にしましたが、台所の貴婦人とでも呼びたいかまどはいったいどんな化粧をするのかこれまた楽しみです。

 最初の薪はクヌギで焚きたいと思っています。急いでクヌギの木を調達して薪を作らなければなりません。さあ人間牧場に薪割りという新しいメニューが加わりました。今年はクヌギが葉っぱを落とす冬にクヌギを確保して薪を作りたいと思っています。10個植えたこんにゃく芋も一つが枯れただけで順調に育ち子芋の葉っぱも見えてきました。こんにゃく作りも楽しみです。かまどの完成によって、ここにきて夢は一気に広がってきました。

 それにしても4日間、草刈り作業をしながらかまどの築炉工事に立ち会ったため、厳しい残暑で真っ黒に日焼けしました。「若松さんお元気そうですね」と会う人ごってそう言われます。もう日焼けを気にする歳でもないので、すっかり精悍になった自分の顔を少し好きになりました。


  「四日間 二人の左官 手間暇を かけたかまどが ついに完成」

  「かまどなど 昔のものと 思ってた いやあ驚き ついに手に入れ」

  「火が燃えて かまどぶくぶく 湯気が立つ そんな連想 早くもしつつ」

  「さて次は 何に取り組む 次の夢 聞かれて内緒 実はあるんだ」 

 

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