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○やっとかまど小屋が完成しました

 昨日かまどの工事がやっと終わったようです。私は昨日大学生のフィールドワークの授業で一日中忙しくしていましたが、設計や工事監理を担当した息子は昨日も夕方遅くまで工事の後始末をしていたようです。8月の2日に着工しているのですから2カ月も経った計算になります。その間人間牧場へ行く機会は大幅に増えて、何度出かけたことでしょう。また息子と時には同行し、時には意見の食い違いから少しだけ反目したこともありましたが、何とか完成にこじつけました。

 息子は設計の仕事をしていますから妥協を許さず、少しでもいいものを造ろうとします。しかし私の懐には限界というものがあって、息子と意見が合わないのそこだけなのです。結局は当初目論んだ金額の倍もの予算に膨れ上がって終息しようとしているのです。今回のかまど小屋の計画には21世紀えひめニューフロンティアグループも財政的支援をしてくれて、昨日の朝会計係の佐々木さんが支援金をわざわざ自宅まで持参してくれました。ツリーハウスの時も支援していただき、今回も甘んじて受け入れましたが嬉し限りです。

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(すっかり完成したかまど小屋)
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(土間は息子の発想で石張りです)
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(二段棚の一番上棚は大理石で周りにタイルを張りました)

 写真が一枚欠けていますが二段棚のこちらには収納できる畳半畳分のカマチが設けられていて、息子は昨日一日をかけて棚やカマチの内装ペンキを塗ったようです。土間は切り石張りでとてつもなく立派です。また息子が友人から貰って倉庫に置いていた大理石の板は短かめにカットされ2段棚の上にはめ込んで、周りに白いタイルを張りお洒落に仕上がっています。

 電気器具類も凝っていて、インターネットで購入したこれまたお洒落な器具が天井かにぶら下げられていますが、支払いのことを思うと少々気が重いようです。まあいいものを造った息子に免じて何とか資金の工面をして応えたいと思って諦めているところです。(最後は私を巻き込まないでという妻の財布を当てにしなければならないかも知れません・・・・。)


 人間牧場の施設群はある意味設計を仕事にしている息子の実験場です。水平線の家もロケーション風呂も、今回のかまど小屋も息子のアイディアがふんだんに取り入れられています。そのため思った以上に事業費がかさみました。しかし設計料はタダですから、設計料込みだとまあこんなものかと諦めがつくのですが、この施設を私が使えるのは年齢的にたかだか10年余りです。その後は長男である息子に譲るつもりですから、息子もそのことを承知で色々と口と手を出しているのです。

 金持ちのオーナーならどういうことはないのでしょうが、まるで自転車操業のような小銭を少しずつ貯めつつ使う貧乏なオーナーですから息子も時々頭にくることもあったものと思われますが、まあ何とかこれで5年計画の最終幕を引けそうで喜んでいます。

 息子はこれ以外にもまだ露天風呂などやりたいことがあるようですし、私も竹のやぐらを目論んでいて、これから資金を稼がなければなりません。息子のために親が力になることを第一に考え人間牧場の挑戦は当分続くのかも知れません。


  「牧場は 息子設計 実験場 オーナー私 頭が痛い」

  「いいものが 出来た内心 喜んで これを生かして 新た楽しさ」

  「設計料 思えばこれも 安いもの ない袖振れぬ そこが問題」

  「この施設 やがて息子に 譲るもの これを使って 社会貢献」

 

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○思い出に浸る秋はそこまで

 残暑とでもいうのでしょうか、このところ日中は連日30度近くまで気温が上がり、「今日も暑いねえ」何て言葉が交わされています。先週北海道で「涼しく心地よい」初秋を体感してきただけに、少しうんざりしています。昨日は大学生がフィールドワークの授業に双海町を訪ね、わが家へ入った途端短い時間ではありましたが激しいースコールのような雨が降り、これまでの暑さが少し遠のいたような感じがしました。こんな雨が降る度に、40数年前のことが一瞬頭をよぎります。私は高校3年生の時宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に出かけました。設備の整っていない船内の風呂は機関循環水を引き込んだ海水風呂でした。ゆえに真水の風呂に入りたいといつも願望していましたが、時折急に降るスコールはとても貴重で、みんな自然のシャワーだと思いこんでスコールが来ると大騒ぎしてはしゃいだものでした。しかしスコールが来ると予測して石鹸をつけて待っていると、スコールが突然向きを変えて当てが外れることもあり、石鹸が肌にこびりついてヒリヒリしたハプニングも何度かあって、大笑いしたこともあったのです。

 最近季節が少しずつ変化していることに気づきます。道の駅の屋外売店には秋の味覚と言われる極早生ミカンや栗の実が沢山顔を見せ、大根の間引き葉野菜も並ぶようになって、「ああ秋だなあ」と実感するのです。

 昨日人間牧場を訪ねて帰る途中道端で木からぶら下がったアケビの実を見つけました。これは子どもの頃の思い出なのですが、アケビは私たちにとってはイタドリ、野イチゴ、ヤマモモなどとともに自然から授かる最高の贈り物でした。この頃になるとガキ大将仲間と山に分け入り、アケビを見つけてよく食べたものです。アケビは熟すと割れて中から実が飛び出るのです。少し早いと割れないし遅いと虫たちが集まって食べてしまうので、その時期を見計らって木によじ登り危ない目をして収穫し食べたものです。アケビは熟すとバナナのような甘い味がしますが、殆ど種ばかりで食べるところはほんの少しです。口いっぱいに放張り思い切り種を飛ばしたことを覚えているのです。

 最近の子どもはアケビなど見向きもしないので、このように私の目でも確認でき取ることができるのです。イガの中から顔をのぞかせた栗も、紫色に熟したアケビも机の上や玄関先に飾るとインテリアに変身するため、イガ栗とともに2~3個収穫して持ち帰り玄関先へ並べてみました。妻の活けたススキの穂とともに初秋を見事に演出してくれているのです。

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 わが家の菜園の隅には甘夏ミカンやポンカンなどのかんきつ類が植えられています。その中に一本だけ極早生品種のみかんの木があって、このところの朝晩の気温低下で色付き始めました。「♭青いみかんが実ったふるさとの丘に 今年も取り入れの歌が聞こえる 甘く酸っぱい胸の思いを 心を込めながら小籠に摘んで 遠くの町のあなたにも送ってあげたい~♯」なんて素敵な歌を思い出しました。

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 青切りのみかんを見る度に10年前に逝った母のことも思い出します。海の見える現在人間牧場に変身しているみかん畑で、忙しそうにみかんを摘む母の顔はとても幸せそうでした。母の摘んだみかんを木箱に入れて背負子で一緒に坂道を下ったことを今でも覚えているのです。秋の夕日が真っ赤に海を染めて落ちる姿とともに・・・。


  「道端の 見上げた空に アケビあり ああ秋来たと 昔思いて」

  「菜園の 隅に色ずく 早生みかん 母植え遺し 木々の数々」

  「目にさやか 秋が来たなと 実感す 真夏日残暑 厳しきけれど」

  「口いっぱい ほおばるアケビ 種ばかり 大息ついて 種を飛ばしぬ」

 

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○愛媛大学フィールドワーク最後の授業

 愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師を務めて7年目になります。毎年私の教室では県内の先進地に学生を連れて研修に行っていますが、夏休みの終わりか後期授業の初めころ毎年最後の締めくくりとして双海町を選び、学生たちと双海町のまちづくりについて勉強するのです。今回は10月7日の予定でしたが、私の都合もあって9月27日にすることになりました。前もって学生たちにはその旨を伝え了承してもらいましたが、学生にとっては長い夏休みなので、忘れているかもしれないと思い、一昨日4人の班長にそれぞれ確認の電話をさせてもらいました。4人の班長の中で留守電が一人ありましたが、皆さん楽しみにしているとのことでホッとして今日を迎えたのです。何年か前までは私が大学まで迎えに行き、視察研修が終わると送りに行くという真面目な対応をしていましたが、今は大学背の自立を信じて現地集合にしているので、随分手間暇が省け、私は長机を用意したりして昼食の準備を手伝うことができるのです。

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 双海担当の班長さんから出発の8時30分になるがまだ一人来ないものの連絡が取れたので間もなく迎えのバスで出発するということでした。ほぼ予定された9時30分にバスは待ち合わせ場所のシーサイド公園に到着しました。シーサイド公園の建築や運営にかかる説明を見学した後人間牧場へ向かいました。中型バスとはいいながら奥島観光のバスはかなり大きく立派で、人間牧場までのつづら折りの道をそろりそろり走りました。いつもの通り市道からは農道を歩いて牧場入りです。今日の瀬戸内海は霞がかかって青島しか見えなく眺望は今一でしたが、それほど暑くもなく穏やかな日和に恵まれ、2時間余り私の講義や施設の見学を行いました。

 学生たちは夏休み中とあって少しお疲れモードのような気もしましたが、みんなメモを取ったりしながら話しを聞いてくれました。少しの間質問タイムを取ったりしましたが、12時20分になったので急いで戸締りをしてバスまで引き返しました。


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 午後1時から少し遅めの昼食交流会です。この日のために妻は前日から準備を始め、今朝も朝早くから手づくりの料理を作ってもてなしてくれました。妻にとっても7年間続いている接待なのです。自慢ではありませんが妻の料理は一流で、20人分の料理を一人で作ってくれるのです。今日も私が人間牧場で学生にレクチャーをしている間に美味しい料理を完成させ、私のゼミの学生19人を温かく迎えてくれました。

 食べ盛りという表現がピッタリの学生たちは毎年のことながら食が進んで、多めに作っていた料理をぺろりと平らげました。食べてもらうために作ったのですから当然です。日ごろ親元を離れて暮らしている学生たちにとって家庭の味は何よりのご馳走で、後片付けを手伝って、迎えのバスに乗り込み大学へ帰って行きました。

 来週からいよいよ大学の後期授業が始まります。夏休みに授業を入れたお陰で後期授業もスムーズに始めることができました。さあもうひと踏ん張りしながら今年も楽しい学びで締めたいものです。


  「今年また 学生たちが やって来る 妻は朝から もてなし料理」

  「学生は 日ごろうっぷん 晴らすよに 食べるわ食べる 気持ちいいほど」

  「七年目 今年も元気 もてなせる 夫婦そろって わが子のように」

  「私など 屁の突っ張りに なりゃしない 妻は黙々 私悠然」 

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○美幌散策スケッチ(その②)

 早朝散歩とホテルでの朝食を終え、迎えに来た三浦さん運転の車に乗って、両手に花とでもいえる西島さんと松島さんのお二人を加えた私たち一行は、これまで行ったことのない美幌町内の見学に出かけました。西島さんは観光ボランティアガイドの会の会長さん、松島さんは自治会女性部の会長さんという町内外では知名度抜群の方たちなので、行く先々顔が効くのには驚きました。

 河川敷に滑走路まで造られた航空公園にはヘリや訓練用戦闘機も展示されていて驚きましたが、残念ながらかなりの投資にもかかわらず今は使われていないようで、雨上がりの滑走路では、スケートのちびっこ選手たちがシーズン前の特訓に励んでいました。

 美幌町には町内を見下ろす丘の上に立派な美術・博物館がありました。多分日本の悪しき弊害でしょうが、農林水産省の補助金を受けたと思われる施設には、発動機などの農機具が玄関先に展示され、中に入ると博物と美術が多目的に展示をされていました。農業も博物も美術も全て追求するようにされてはいますが多目的過ぎてかえって無目的になっているような感じがしました。それでも中のジオラマなどは中々のもので、必見に値するようなものが沢山ありました。学芸員も数人のかれているとのこと、学芸員の苦悩を垣間見るようでした。

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(航空公園に展示されている戦闘機)

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(美術・博物館の遠望)
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(博物・美術館の玄関先には発動機なども展示されていました)
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(館内の立派すぎるほどのジオラマ)
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(農林業研修センターも立派な運営がされていました)
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(博物館と農林業センターの中ほどに植えられている超ビッグなかつらの大木)

 その横に農林業関係の宿泊研修施設がありました。木造の研修施設ではパンやソーセージなどの体験メニューもあってかつては沢山の利用者があったようですが、財政難を理由の人件費や人員削減などの影響もあって今は少し右肩下がりのようでした。いずこも同じ秋の夕暮れって感じの現況でした。

 見下ろす広大な畑はタマネギ生産発祥の地だけあって、沢山のタマネギが収穫用コンテナに入れられて野積みされていました。今年は夏場の天候不順に翻弄されて、農家も減収減益の苦境に立たされているそうです。間もなく冬の季節を迎えるだけに、少し秋の風を冷たく感じました。

 近くのお蕎麦屋さんで美味しい昼食をご馳走になりながら、4人で色々なお話をしました。私にとっては少し長めとも思える北海道5日間の旅でしたが、多くの深いご縁をいただいて、写り行く季節を満喫させてもらいました。

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(女満別空港まで送っていただきました)
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(経由地東京羽田の夕日に心癒されながら)

 女満別空港は美幌の町から15分余りの近い場所にあります。今回の旅は東京経由ながら女満別空港空港から始まり、女満別空港で最終章となりました。前回の雪の北海道と違い今回は秋の北海道でしたが、前回と同じく今回も空港まで多くの皆さんが見送りに駆けつけてくれました。

 特にチェックインして間もなく佐呂間の船木さんが見送りに駆けつけ、慌てて外へ出なおすハプニングもあって、再会を約束して機上の人となりました。去り難し美幌の町や遠くに見える佐呂間湖を目と心に深く刻みました。女満別空港15時15分発JAL1188便羽田行き、19z915分発JAL1471便松山行き、松山空港着は少し遅れましたが20時50分に到着し、迎えに来た妻の車で家路につきました。


  「今回も 深いご縁を いただいて 北の大地は 去り難きかな」

  「北と西 同じ日本に 住みながら わがふるさとは 未だ夏日だ」

  「秋浅い 北海道は でっかいどう 訪ねる度に 味わい深し」

  「来月は また北海道へ やって来る 今度は釧路 夕日楽しみ」  

 

 

 

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○美幌町散策スケッチ(その①)

 「お早うございます。起きていますか。起きているのなら早朝散歩をしましょうか」とガイドの会の三浦さんから朝一番に電話がかかってきました。北の国北海道は日暮れも早いのですが夜明けも早いのです。早速身支度を整えてホテルのロビーに出てみると、三浦さんはロビー横の机にパソコンを置いて立ち上げていました。三浦さんはパソコンの達人で、今回の旅の往復切符の手配など全てをパソコンで対応してくれました。また様々な活用をしているようで、将来はその道に進んでも飯が食べれるほどと実感しました。「今度会う時に航空チケットの取り方をお教えします」と約束をしていたので、私のパスワードにそれらを入力する作業をしてもらいました。私も少しの時間をいただいて、美幌でしか書けないブログを短めながらさしあたり2本書かせていただきました。

 終えると早速散歩がてらあちこちを案内してくれました。井上さんの神社にまず参拝しましたが、神社の素晴らしさにまずは感動でした。9月の初めに秋祭りがあったそうですが、神社の参道には沢山の出店が並び盛況だったというお話でした。また北海道の歴史を語るとき必ず出てくるアイヌのことについても立ち話のような形で聞き入り、砦跡などを見学し美幌の歴史を知ることができました。

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 前日講演前に最初に訪れたのはJR美幌駅でした。駅には観光物産協会が入っていて会長さんや事務局長さんを表敬訪問して色々な話を聞きました。駅構内には美幌町の特産品センターもあって、狭いながら色々な特産品を販売していました。

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 駅の横には映画「君の名は」の歌碑が立っていました。私は昭和19年生まれなので「君の名は」という映画は見たこともなく記憶にありませんが、戦後流行った人気映画であったことはよく覚えているのです。北海道は比較的歴史が浅いと言われていますが、当時は国民的な話題となった「君の名は」という映画にまつわる観光ガイドだけでも面白いストーリーが組めるし、美空ひばりの演歌「美幌峠」もいい歌だと思いました。


 美幌には面白い見所がいっぱいありました。中でも必見は美幌小学校の校舎です。とんがり屋根のある淡い色調の小学校はまさに北海道って感じの校舎でした。同行した美女二人と写真に収まりましたが、中学校も色調を合わせていて、美幌に行ったらこの二つの建物は必見して欲しいものです。

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 私のように日本全国を歩くと、必ずいい街だと思うところには必ず3つの条件があります。①人が集まり挨拶ができて時間が守れる、②公衆トイレが綺麗、③枚の至る所に花がしているということです。何気ないことですがこの何気ないことをやっている街は素晴らしいと思うのです。

 待つ品さんに案内してもらった松島さんの町内会が世話をしている花壇はとても立派でした。この花壇を見ただけで心が和みました。観光はこうした地道な町民の町を美しくする気風が育もものなのです。これこそ今回のテーマであった「もてなしの心」なのかもしれません。寺町通りも、航空公園もタマネギ畑も生かそうと思えば幾らでも観光資源は眠っているのです。要はそれに気づきそれを生かそうとするかどうか、まさに実践ではないかと思うのです。雪の美幌も素敵でしたが、秋の美幌もまた素敵でした。

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  「ガイドされ 町を見学 いい町と 思える資源 あり過ぎ困る」

  「学校も 観光資源 使いたい メルヘンタッチの 絵になる風景」

  「もてなしは 町が綺麗も 条件だ 花の咲く町 住む人素敵」

  「朝散歩 アイヌの砦 丘に立つ ここに消える 歴史の重み」

 

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○北海道はでっかいどう

 私はまるで運動会のリレーバトンです。最初の3日間は佐呂間町教育委員会の平戸課長さんはじめ3人のスタッフが、その次の日は佐呂間町の漁師船木さんと画家岩山さんが引き継いでくれました。そして最終章である美幌町では三浦さん始め観光ガイドの会のメンバーが私の案内役を果たしてくれたのです。

 船木さんと一緒に午前10時、美幌町役場前で三浦さんたちと落ち合い、美幌の人となりました。さて何処へ行くと希望を聞かれたものの、行くあてもなくとりあえず昼食場所として屈斜路湖湖畔にあるどでかいプリンスホテルで、バイキングを楽しむことになりました。

 その途中に町営牧場と美幌峠があるので、とりあえずその二つを見学しました。前回今年2月に訪れた時は氷点下10度、しかも大雪の中での見学でしたがが、今回はそろそろ秋を迎える爽やかな季節の訪問なので、同じ場所を定点観測のように見学させてもらいました。

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 前回の一押しの写真は上の網走オホーツク海流氷の上でのポーズでしたが、今回は美幌峠から屈斜路湖を臨む場所でのポーズとなりました。北海道の四季はこうも風景を一変させるのかと、パソコンアルバムを呼び出しながら記憶の糸をたどりました。

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(上は2月の美幌峠の美空ひばり歌詞碑、下は今回の歌詞碑)
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(上は今回の町営牧場、下は2月の雪深い町営牧場)
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 美幌峠はシルバーウィークが始まった土曜日だったため、北海道を中心にナンバープレートのオンパレードのようなかなりの車が立ち寄っていました。その中に愛媛ナンバーの車があって、松山の人と偶然にも出会い、双海のことをよく知っていて驚きました。高速道路千円の効果は抜群のようでした。

 美幌峠は知る人ぞ知る天下の景勝地です。かつては「君の名は」という映画のロケ地にもなって佐田啓二、岸恵子が主演、当時の話題をさらいました。レストハウスにはその当時の懐かしいロケ風景の写真が展示されていました。ここでは珍しいクマザサソフトクリームをご馳走になりましたが中々の味でした。

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 元来た道を引き返し少し早目にグランドホテルへ入り休ませてもらいました。このホテルはその夜の講演会の会場となるところですし、前回も宿泊した美幌町内の懐かしいホテルです。ホテルの従業員さんも私のことを覚えていて色々な話をさせてもらいました。

 夕方の講演会は開場が午後6時、開演は午後6時30分です。観光ボランティアガイドの会主催なので真っ赤な制服を着たガイドの会の綺麗どころとも言える30名会員のほかに、一般の方も参加してほぼ100名で満員となりました。「実践者の経験を通したおもてなしの心とは」という演題は少々お堅い感じもしましたが、何とか楽しいお話をさせてもらいました。

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 かくして長くも短い、4回ものバラエティーに富んだ北海道での講演を無事終えることができました。会終了後の懇親会も4回を数え、最後の回こそ時間も短く茶話会となりましたが、他は深夜に及んだ交流となりました。気力も体力も知力も充実していて、軽い自分のフットワークに感心しながらその夜はぐっすりと寝込みました。


  「冬と秋 同じ場所見る 天と地の 差もあるほどに お目々白黒」

  「旅先で 見つけたナンバー 愛媛文字 懐かしなりて 声かけ話す」

  「四回を やっと終えたと 息をつく さすがに少し お疲れモード」

  「また増えた 熟年女性の 顔見知り 好きになりそな 予感がしつつ」

 

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○オホーツク寒気団との交流会

 船木さんと岩山さんと3人で、弟子屈町から本の道を津別町まで引き返しました。でてこいランドという障害者の施設での交流会に参加するためです。でてこいランドは施設の殆どが皆さんの手作りによるもので、寄付や勤労奉仕によって立てられ、ボランティアによって運営が行われているようです。施設的には粗削りな部分も見られますが、その分皆さんの思いのこもった施設なのです。私は船木さんや岩山さんと早めに到着しましたが、キッチンでは町長の奥さんが高齢者のための宅配弁当を作っていました。

 オホーツク寒気団というまちづくりグループが近郷近在から集まって来るのは午後7時過ぎなので、のんびりと過ごさせてもらいました。船木さんは自分の持参したホタテのむき身や銀シャケをさばいて調理を始めていましたが、私は本を読んだり早めにやってきた人たちと名刺交換をしたりしました。

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(でてこいランドの正面玄関と船木さん)
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(津別町の佐藤町長さんや訓子府町議会の橋本議長さんも参加されて賑やかな交流会となりました)

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(私も15分余り自己紹介を兼ねてお話をさせてもらいました)
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(佐呂間の3回講演会を全て聞いたお寺の奥さんである真如さんとツーショット)

 網走市議会の民主党幹事長平賀議員さんとは、政権交代の裏話や地方議会の変貌ぶりなどを興味深く聞きながら、夜の更けるのも忘れて大いに語り合いましたが、参加したオホーツク寒気団のメンバーはうわさにたがわず元気いっぱいで、美幌からも三浦さんや井上さんが参加していて、皆さん酒の勢いを借りてとても深い交流ができました。

 この日の交流会は深夜にまでおよび、私は明くる日のこともあるので午前1時に床に就きましたが、朝方まで飲んでいた面々はやがてその場に行き倒れのような形で眠り、まるで傷んだ掃除機のような大きないびきが私の安眠を妨げたようです。


 今回私の追っかけに徹したお寺の寺族である真如さんは、私の話を二日間で3回も聞いてくれました。多少のダブりはあってもまあ相手が違う話しに目を丸くしていましたが、それにしても隣町といいながら距離数の長い北海道を飛び回って交流に参加してくれた真如さんに脱帽し、厚くお礼を言いたいと思い、再度の出会いを期待しているところです。

 船木さんの話だと再び出会う機会がありそうだし、また船木さんがお世話している国内研修などで目的地として愛媛県を考えているそうなので面白い交流に発展するかもしれません。


  「まちづくり 心許せる 人ありて 夜を徹して 熱入れ話す」

  「掃除機の 壊れたような いびき聞き 寝付かれなくて 朝を迎える」

  「わが話 三回も聞く 凄い人 私は絶えず 彼女意識し」

  「年齢は 嘘はつかぬと 納得す 気力体力 知力も落ちて」 

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○プライベートな北海道を楽しむ

 長くも短く感じた佐呂間町での2泊3日の3回講演と2回交流会は大いに盛り上がり、今回も沢山の深いご縁をいただきました。平戸課長さん、大谷課長補佐さん、担当の阿部主事さんには忙しい時間を割いて面倒を見ていただき感謝しています。

 平戸課長さんと近くの食堂で昼食を済ませたころを見計らって、オホーツク寒気団の船木さんが迎えに来てくれました。元はと言えばこの船木さんと高知県馬路村での出会いから始まった北海道での講演ですから、一番ご縁の深い方なのです。

 船木さんの車に乗せてもらい、通ったこともないような裏道を突っ走り、一路摩周湖を目指しました。裏道といっても北海道の道は一直線の道が多く、中年暴走族ではないかと見まがうほどのスピードで走るのです。途中屈斜路湖が一望できる津別峠に立ち寄りました。ここは美幌峠のような景勝地ではなく、10月になるとあくる年の雪が消えるまで閉鎖される場所なので、多分もう二度と訪れることはないであろう穴場の景勝地なのです。

 その展望台はまるで西洋のお城を連想するようなとても立派なものでした。ツーリングを楽しむ自動二輪やパトカーまで来ていて、驚きの見学となりましたが、美幌峠と同じように眼下に屈斜路湖が見え、遠くに美幌峠や摩周湖を望むことができました。

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 津別峠から屈斜路湖へ至る道すがら、キタキツネに出会いました。こんな身近な場所でキタキツネに出会えるのかと感激し車を下りてしばし観察しました。キツネやタヌキは夜行性のため昼間は殆ど姿を見せないそうですが、人間に臆することもなく近づけるこのキタキツネはどうやら観光客から餌を貰いそめているのかもしれないとは船木さんの弁でした。帰り道同じ場所でエゾシカの群れにも出会いました。

 硫黄山を横目に見ながら弟子屈の町を通りました。弟子屈といえば巨人・大鵬・卵焼きと形容された大横綱大鵬の出身地です。かつて40年も前に、愛媛県の国内研修団の一員として弟子屈青年の家で研修をしたことを思い出しました。ここの青年の家で食べた麦ごはんとバタージャガイモは今も忘れられない思い出なのです。

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(道端でキタキツネと出会いました)
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(霧の摩周湖)
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(船木さん。岩山さんとともに)

 霧の摩周湖と形容される摩周湖はやはり摩周岳に少し霧がかかっていましたが、それでも美しくも神秘的な姿を見せてくれました。このショートな旅には東京から来たという画家岩山さんも同行しました。彼はライトバンの車で寝泊まりしながら絵を書いたり構想を練っているそうで、船木さんの友人の友人だそうですが、かなりしっかりした考えを持っているようだと思いつつ、画家で飯が食えるようになるまでの試練を乗り越えようとしている姿に深い感動を覚えました。

 帰りの途中弟子屈の街中で大鵬の生家の前を通ったり、ソフトクリームの美味しい店に寄ったり、また屈斜路湖のほとりの砂湯に立ち寄ったりしながら、一足早くやってきた北海道の初秋を満喫させてもらいました。

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(観光客に人気の店で美味しいソフトクリームを食べました)
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(屈斜路湖のほとりにはコスモ市が満開でした)
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(屈斜路湖のほとりには砂を掘るとお湯が湧き出る場所がありました)
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(屈斜路湖の夕日)

  「行く秋を 楽しみながら 旅をする 友の案内 至れ尽くせり」

  「画家卵 縁あり出会い 話し込む こんな時代が 俺にもあった」

  「目の前に 北のキツネが 顔を出す 私の方が 逆に驚く」

  「屈斜路の 湖面を染めて 夕日落つ 今頃双海 同じ夕日が」

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○佐呂間町での講演ダブルヘッターと明くる日で講演三連戦でした

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 北海道佐呂間高校での講演を終えて夕方まで少しの時間をホテル悠輪閣で過ごしました。午後6時30分に迎えの車が来ると言うので、久しぶりに長湯をしてくつろぎました。北海道に着いた前の日はあいにくの天気ながら夕暮れには佐呂間湖に落ちる自慢の夕日をホテルの自室窓から見ましたが、この日も綺麗な夕焼けでした。主催者からもホテル側からも軽めの夕食と説明がありましたがなりました。しかし午後5時からレストランで始まった夕食は、軽めどころかホッケの炭火焼きやホタテなど食べきれない程の美食でした。好きな相撲を自室のデジタル大画面で観戦し身支度を整えたところで迎えの車がやってきました。

 この日は午後と夜の二回講演、野球流にいえばダブルヘッターです。会場は佐呂間町町民センターのホールです。演題は「新しい発想で生きる ~人間牧場・遊びの創造」です。参加者の中には子どももいて和気あいあいです。最初は空き椅子もありましたがそのうち満席になりました。夕日を地域資源にしたまちづくりの経過や、余り話すことのない人間牧場での活動について話しをしました。

 講演が終わると近くの居酒屋に繰り出して交流会をしましたが、まあ料理の凄いこと、さすが北海道です。愛媛ではこの時期になると毎年有名デパートの地下食料品売り場で北海道物産展が開かれますが、その時見たり食べた海の幸がドーンと机の上に並べられ、みんなでワイワイガヤガヤ楽しいおしゃべりをしました。

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 私は明くる日午前中同じ場所で寿大学の講演が予定されていることもあって、夜10時過ぎにお暇し、阿部さんノ車でホテルへ帰りました。

 明くる日は高齢者が相手です。「ニコ・ピン・コロの人生」という演題で90分間お話をしました。三度目の正直とでもいうのでしょうか、寿大学に参加した方々のほどよい乗りにも助けられて、前から2列目のおばあちゃんは大笑いをして思わず入れ歯が飛び出てしまいました。周りの人は余り気付かなかったようですが、演壇から目敏く見つけた私は笑いをこらえるのに必死でした。

 それにしても、日本の中で今一番元気なのは高齢者です。金ある暇ある元気あると三拍子そろっているのは高齢者です。このパワーは不況だなんだと言い訳ばかりしている今の社会に見習ってほしい人間力だと思いました。

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  「トリプルの 講演終わり ホッとする 青年成人 老人にまで」

  「笑い過ぎ 思わず入れ歯 飛び出して 慌てて隠す ばあさん可笑し」

  「北海の 海の幸など 美味しくて 妻の味さえ すっかり忘れ」

  「日本中 何処へ行っても 爺と婆 一番元気 見習いたいね」 


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○大量の座布団が届く

 人間牧場の中心施設である水平線の家は、周囲も天井も床も全て板張りです。したがって学習会に使う場合は椅子も机もないため座学です。人間牧場視察者や落伍ライブなど比較的短い時間の滞在ならそんなに体には堪えませんが、先月開いた愛媛大学農学部学び直し講座のような二日間で15時間も連続して講義を聴く場合は、さすがに足や腰に疲労が蓄積するようです。

 先日、チャレンジ会という異業種交流団体が研修にやってきました。遠くは山形県や熊本県、それに宮崎県、大阪府、岡山県、徳島県などから13名が集まり熱心に私の講義を半日にわたって聞きました。年齢的にかなり高かったため、用意した100円ショップで買い求めた座布団では少し違和感を覚えたようでした。


若松進一ブログ

 昨日、出張先の北海道から自宅へ帰ってみると、玄関先に何やら大きな荷物が届いていました。送り主の名前はメーカーなので分りませんが、とっさにチャレンジ会の桜井啓子さんであることを思い出したのです。というのもチャレンジ会の研修が終わって大阪府に住む桜井さんからお礼のお便りをいただきましたが、その文面に「近々座布団を送ります」と書かれていたからです。早速妻と開けて驚きました。荷物の中から出てくる出てくるです。その数何と5枚組が5組の25枚です。正直この座布団の山を見て度肝を抜かれてしまいました。

 私はこれまで座布団の贈り物を2回いただいています。一回は家の横に造っている囲炉裏部屋煙会所へ龍華堂という松山の印刷屋さんご夫妻が伊予かすりの座布団を10枚贈ってくれました。その座布団は今も大事に使っています。もう一回は人間牧場の高知県馬路村産魚梁瀬杉で作った高座に座って落伍をやっていますが、宇和島の山本さんが落伍用に立派な座布団を贈ってくれました。この座布団も大切に使っているのです。


 さて、これほどの座布団を水平線の家の何処へ収納しようか、正直迷っています。水平線の家には倉庫がそんなに多くないため、現在醸造した梅酒を貯蔵している押し入れを片づけて、夏用蚊帳とともに収納しようかと思っていますが、はてさて片付くかどうか心配です。

 連休明けの今日からかまど小屋の土間工事が始まりますが、水平線の家はもう工事で汚れることもないので、座布団の置き場を早く確保したいと思っていますが、これらの座布団が人間牧場来訪者にとって心地よいものになることは間違いのないことです。

 思わぬプレゼントに嬉しい悲鳴を上げていますが、早速桜井啓子さんにお礼のはがきを書かねばと、先日北海道へ行った美幌峠から屈斜路湖をバックに大の字のようにして記念撮影した写真をパソコン用ハガキにプリントしました。今日は遅いのではなく午前0時を過ぎた早くなので、起きてから書こうと思っています。早朝ながらとりあえずお休みなさい。


  「友人が お座布沢山 贈りくる 嬉しい悲鳴 何処へ収納」

  「三度目の 正直言わん ばっかりに 座布団の山 自宅に届く」

  「板の間に 座り半日 足腰に 堪えた答え メッセージなのか」

  「面白い 座布団一枚 ともかくも 二十五枚は 上がるとこける」  

 



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