shin-1さんの日記

○漏水修理工事

 「若松さん、あなたの家の水道メーターを取りつけた時、どこも水を出していないのにメーターが回っています。漏水かも知れませんので一度調べたほうがいいですよ」と、知人の水道屋さんが私に耳打ちしてくれたのはもう3ヶ月も前のことでした。そういえば最近「水道の使用量が多いなあ」と思っていたので、「済みませんがお暇なときに調べてくれませんか」と頼み、「そのうちに」という返事でした。

 時々その方に会う度に思い出すのですがすっかり忘れていました。ところが先週になって漏水調査をしたようで、ある程度漏水箇所を突き止めたので工事をしたい旨の電話連絡があり、私の在宅を選んで昨日の午後

水道屋さんはやって来ました。

 馴染みの顔の二人の従業員さんは目当ての場所のコンクりートをカッターで切り削岩機で掘り始めました。何せ目に見えない地中のことなので一度で掘り当てることはできないだろうと、掘る方も見ている方も半信半疑でしたが、二ヶ所目に水の吹き出し口が見つかり、余分に掘った場所から水がかなり勢いよく噴出していました。

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(二ヶ所目で漏水個所が見つかりました)

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(漏水個所は土台のすぐ横でした)

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(エルボのL字部分が割れて水が噴き出していました)

 わが家が新築したのは昭和52年です。前年総理府派遣青年の船に乗船しアメリカへ行ったのでよく覚えていて、築34年が経過しているのです。家は30年も住んでいるとあちこちに傷みが出て、その都度修理をしていますが、わが家は古民家ほどではなくてもかなり大きな家なので、修理も半端ではなくその都度臨時出費がかさむのです。でもこれは家を守るために必要な宿命みたいなものなので、早め早めこまめこまめをモットーにやっています。

 やがて元栓を閉めて修理も終わり、埋め戻し作業をしてから元栓を開けましたが、どうももう一ヶ所漏水個所があるようで、ボイラーの温水器辺りからの配水パイプのようだと分りましたが、夕方になって結局は時間切れとなってしまいました。仕方なく工事を中断し水道屋さんは今日も来るからと言い残し引き揚げて行きました。

 30年も前の建物なので工事用の図面なども残っていなくて、今後もこのようなハプニングが起こるものと思われますが、私と同じく老域を迎えつつある建物だけに気を引き締めて守って行きたいと意を新たにしました。

 さてこの家も息子家族と同居する話が持ち上がっています。かつては子ども四人が占拠していた二階の4部屋は子どもたちが自立して家を出たため空き部屋となっているので、息子家族が帰ろうと思えば直ぐにでも入居可能なのですが、同居といっても台所などを考えなければならず、改造を余儀なくされそうです。息子嫁も同居を理解しているようですが、生活の場を変えることは容易なことではありません。ましてや隠居に暮らしている親父を含めると三世代同居となるのですから、お互いの暮らしを侵さないようにもしなければならないのです。

 息子夫婦も安い月給で高い家賃を払ってマンションに住んで、子ども二人を養うことの大変さが少し重荷になっているような雲行きで、同居の決意を固めているようです。これからは息子たち第一、私たち第二を心掛けて行きたいと決意していますが、はてさてどうなることでしょう。


  「漏水の 箇所が見つかり 修理する 新た漏水 見つかりう~ん」

  「三十年 過ぎるとあっち こっちでも 傷み始めて 思わぬ出費」

  「目に見えぬ 地中の傷み 探し当て まるで温泉 掘り当てたよう」

  「息子たち 同居の決意 固めたが それなり家を 改築せねば」 

  

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○この歳になって合唱隊とは

 「年輪塾朝フル合唱隊」というまだ産声を上げていない集団に参加しょうとしている人たちの生の声が、私のメールにどんどん入って、ネット上が騒がしくなっています。音楽が苦手な私としては参加したくても楽譜も読めず、ましてや美声の持ち主でもないため未だに躊躇しています。しかし私の独学で始めたまやかしのハーモニカを聞いた人たちは、私のハーモニカの技術を過信し、勝手に私を伴奏者に仕立て上げて、どんどんスケジュールを進めているのです。何とか断る理由をと思っていた矢先、今度は年輪塾塾頭の清水さんから楽譜とCDが届き、更には私の携帯へ「近々若松さんの家で音合わせをしたい」旨のメールが入り、とんでもない方向へ進んでいることを実感しながらビクビク日々を暮らしているのです。

 北海道行きと埼玉行きという私にとっては大事な仕事も一応一段落し、少し余裕ができたので台風一過のこともあって、今朝初めて清水さんから送られてきたCDをまじまじと聞きました。一昨日浜田さんが夕方やって来て、CDは聞きましたが一人で聞いたのは初めてなのです。

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 音楽に無頓着な私は清水さんが推奨する笠木透さんというアーティストも知りませんでした。今回の課題曲になっている「私の子供たちへ」という曲を聞くのも見るのも初めてなので、どちらかというと童謡や歌謡曲、それにフォークソングの一部しか知らない私には心地よい響きの曲ではあるのですが、さっぱり歌えないのです。これでは足手まといになるだろうからお断りをしようと思っている矢先の先ほど、清水さんから電話が入り、「10月19日の夜6時30分からわが家の煙会所で練習をする」ことで押し切られてしまいました。

 「さあどうする若松進一」、いやあ困りました。早速CDをパソコンで呼び出し、とりあえず歌ってみました。てんでだめです。そこで木になるカバンからハーモニカを取り出し、AとAm二本のハーモニカからAを選んで吹いてみました。中々上手く吹けません。困った困った藤田まこと、しまったしまった島倉千代子です。

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 私がハーモニカを吹いていると、玄関でチャイムが聞こえました。近所のおじさんが栗を持ってきてくれたのです。私のハーモニカを聞いたのか「優雅ですなあ」と皮肉交じりに言葉を残し帰って行きました。心を入れ替えてハーモニカを吹いていると、今度は親父が書斎の窓越しにその音を聞きつけ、何処かへ行ったと思っているわが息子が何とハーモニカを吹いているのですから驚いて、なにごとかと部屋の中を見つめていましたが、そのうち立ち去りました。

 まあこんなドタバタな朝を迎えていますが、それでも楽譜も読めないのに楽譜を見ながらCDを聴いていると、まあ音だけは出るようになりました

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(10月1日のお月さま)


 私は得意ではありませんが、自分のハーモニカのレパートリーの中から「月の沙漠」をAmのハーモニカを選んで吹きました。これはもうピカイチでいい音色が書斎いっぱいに広がり何とも爽やかな気持ちになりました。

 19日まではまだ時間がるので少しだけでも毎日吹いて練習しようと思っています。それでもだめなら19日に合唱隊の演奏から外れようと決意した朝でした。

  「いつの間に 私もメンバー 合唱隊 自信もなくて 一喜一憂」

  「優雅だな 近所おじさん いきなりに 音色を聴いて 呆れて帰る」

  「何してる 窓の外から 親父さん 耳が遠いと いいつつ聞こえ」

  「この歳に なって大恥 かくかもと 覚悟を決めて ハーモニカ吹く」  

 

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○金銭教育指定校指導訪問

 子どもたちが保育園児や小学生の頃は妻が通い、高校生になると私が通った保育園や学校も、子どもたちが成長して社会人になると遠遠くなるものです。しかし私の場合は小学校・中学校・高校の学校評議員などを続けてしているため、この歳になっても一定の間隔で年に何度か学校という場所へ出かけるし、PTAなどの講演会にも招かれるので、ダントツに学校と縁の深い男だと自負しています。

 私は日本銀行松山支店内にある愛媛県金融区報委員会の金融広報アドバイザーを、30年を超えてやっていますが、ここの事業として実践地区と金銭教育研究校という制度があって、地区と研究校をそれぞれのアドバイザーが担当して指導するようになっているのです。その中で私は研究校を2つ持っていて、今治市大西小学校と八幡浜市宮内幼稚園を担当しているのです。

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(台風一過の星の浦公園と瀬戸内海)
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 宮内幼稚園はこの2年間、立ち上げからずっと面倒を見ているので先生や保護者とすっかり馴染みとなっていますが、大西小学校は今年初めて担当したので、様子が全然分らぬまま、昨日指導訪問に出かけました。

 大西町は高齢者講演会など何度も訪れているし、年輪塾ネットの大河内さんが住んでいる地域なのでよく知っていますが、大西小学校はどこにあるのかも知らぬまま、「多分あの辺だろう」と当てずっぽで行くことにしたのです。大西町に入ると星の浦公園という道の駅に似たような場所があります。いつも散閑として休まる雰囲気がいいので、ここでトイレ休憩をして少し休みました。

 車が新しくなったため搭載のカーナビはまだ使いこなすことができません。幸い少し時間があったのでカーナビをいじくってみました。電話番号も分らないので文字入力して大西小学校を見つけました。しかしそこを目的地にすることができず、場所的に理解できたので検討をつけて移りつつある現在地を走りました。


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(大西小学校校庭の懐かしい教え)
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 学校前の道は狭いためか一方通行の矢印が出ていました。学校の正門近くに行くと教頭先生が駐車場まで出迎えにやってきて案内してくれました。500人規模の1町1小学校の比較的大きな学校だけあって、終業前の掃除時間でしたが元気な子どもたちが挨拶をして出迎えてくれました。

 県教委の指導主事さん2名、それに金融広報委員会の山下さんとともに研究事業を参観しました。僅か45分の授業でしたが、前もって送られてきていた教案に沿って授業が行われましたが、10年経験のベテラン先生だけあって素晴らしい授業を子どもとともに展開してくれました。

 参観後は全員の先生が図書室に集まり、授業の感想を述べあいました。私も他の3人とともに参加して、感想や指導意見を述べさせてもらいました。私はどちらかというと社会教育の世界で生きてきた人間なので門外感な話しをしてしまいましたが、指導主事さんの話も先生たちの話もとても参考になりました。

 帰りは委員会の山下さんとご一緒して、日ごろの話に花を咲かせながらドライブをしましたが、夕闇せまる台風一過の吹き戻しの風を流れる雲や波立つ海で感じながら、さらには台風情報をカーラジオで聞きながら午後6時近くにわが家へ帰ってきました。


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(研究授業と研究協議)
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  「流れ雲 波のざわめき 見るにつけ 台風被害 なくてホッとす」

  「今頃は 友人何を してるかな 思い馳せつつ 車走らせ」

  「学校の 先生前に 門外の 私感想 言えと言うから言う」

  「この歳に なっても反省 しきりなり 終業足らぬと 自分戒め」

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○愛媛大学の後期授業が始まりました

 8月・9月と続いた大学の長い夏休みも終わりいよいよ今週から授業が始まりました。私の授業日は毎週水曜日の2時限目、つまり10時30分から12時までの90分否が応でも束縛されるのです。前期授業が木曜日だったため、コープえひめの理事会とバッティングしてしまい、コープえひめに随分迷惑をかけてしまいました。ところがホッとしたのもつかの間、11月のコープえひめの理事会計画を見てみると、何と11月は25日水曜日となっているのです。はてさて困ったと今から気を揉んでいますが、25日には理事会を人間牧場でどうかという打診もあって、大学側を休講義日にするべく学生たちに話をしているところです。世の中中々上手く行かないものです。

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 昨日は後期授業の最初の日ながら、9月27日にフィールドワークの授業で双海町の調査研究をしたため、本来なら休講義日にしてもよかったのですが、次の予定もあるので4人の班長に電話連絡して授業を組みました。昨日は7月2日の松山市堀江地区、7月16日の伊予市佐礼谷地区、7月30日の内子町立川地区、それに9月27日の伊予市双海地区をフィールドワークの現地調査で回った感想をそれぞれ振り返りながら発表をして貰いました。今年のフィールドワークは4班がそれぞれ担当する地区を決めて重点的に調査をする方法を取り入れました。その結果学生たちはそれぞれの地域のことをより深く学んでいて、参考になる意見を19人それぞれに沢山述べてくれました。一人僅か3分ほどの発表でしたが、想像以上にいい視点で調査研究をしていて安心したところです。

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 私の講義も今年は後8回です。12月には早々と60時間の学習時間が確保でき、余程のことがない限り学生に成績をつけ4単位を付与する予定です。今年の学生も真面目で優秀なのでこれからの授業が楽しみです。

 愛媛大学はこの2~3年間、構内至る所で耐震工事が行われていましたが、法文学部学舎かいわいの工事も殆ど終わって、外観上は見違えるように綺麗になりました。中庭に植えられた欅の緑陰もいつの間にか紅葉し始め、季節の移ろいを感じるようになりました。一歩戸外へ出ると、昨日は松山地方祭で〆縄の張った大通りや狭い道を、雨に濡れながら神輿を担いでいる集団に沢山出会いました。せっかくの秋祭りだと言うのに台風の接近で散々だったに違いありませんが、神輿守の人たちには思い出になったのではないかと、横目で見ながら車で通り過ぎてしまいました。


  「夏休み 終わり学生 日焼けして 少しけだるく 元気に学ぶ」

  「折り返し 中間意見 発表す 中々視点 鋭く突いて」

  「見上げれば ケヤキ並木も 色づいて 雨脚強く 落ち葉濡らしぬ」

  「出勤簿 一つ二つと 増えて行く 押印の数 に凝り少なく」

 

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○わが家の小さな台風被害

 「今年は台風が来なくて良かったねえ」と台風シーズンが過ぎホッと胸を撫でていたのに、大型で強い台風が昨日から今日にかけて日本列島を直撃しています。昨晩は台風の動きが気になって12時過ぎまでテレビを観ていましたが、どうやら四国上陸は免れたものの、今朝5時過ぎに愛知県知多半島へ上陸しスピードを上げながら北上しているとのことでした。台風の目指す先には実りの季節を迎えたリンゴ畑があるはずで、農家の心労を思うと他人事ではないのです。

 私たちの町は四国山脈を背にしているため、台風の風はいたって平穏で、昨晩から台風が近づいているとは思えない静けさでした。雨も大したことはなかったようで、警報が注意報に変わり西の空も明るくなっているようです。今朝6時に親父の隠居に行くと、「庭のブルーベリーの鉢植えが一鉢転げている」というのです。行ってみると一番大きな株の鉢植えがゴロリ横になっていました。早速元に戻すべく鉢底を少し鍬で堀り、蜂を埋めるような形で起しました。そして親父と二人で鉄筋を4本ハンマーで打ちこみ、小さなロープで固定しました。これでどんな風が吹こうとも安心です。

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(ブルーベリーの復元作業を手伝ってくれる親父)

 ブルーベリーの鉢植えが今年の春わが家に届いた時、親父はこうした風を想定して鉢の周りに鉄筋を打ち込み竹を通して固定してくれました。その時は「何でそんな仰々しいことをするのか」と鼻で笑って見ていました。その後も風など吹かなかったため、ブルーベリーの鉢植えは倒れることもなくスクスクト育って収穫期を迎えたのでした。その後は伸びるにまかせていて、少し頭でっかちになってはいますが何とか秋の頃を迎えているのです。今日倒れた一本は一番大きいのに固定することを忘れていたもので、今朝の惨状を見るにつけ、目先だけでなく将来のことを考えた親父の周到な準備に感心した次第です。

 さてわが家庭菜園も台風が通り過ぎた後に吹く、吹き返しの洗礼をまともに受けて、これまで順調に育っていたブロッコリーがことごとく倒れてしまいました。今日は竹を切って根元に立て、根寄せをして元に戻す作業をしなければなりません。まあこのくらいの被害で済んだのですから有り難いことなのです。

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(吹き戻しの風でなぎ倒されたブロッコリーやキャベツ)

 今日は台風の襲来で、計画されていた研修会も様子見の状態だと昨日電話連絡がありました。間もなく出勤した担当者から第一報が届くものと思われますが、中止だと人間牧場へ出かけて台風後の点検したいと思っています。ここまで書き終わると、金融広報委員会の担当者から電話が入り、予定通り研修会をやるから出席をしてほしいとのことでした。

 今日は今治市大西小学校へ金銭・金融教育実践校訪問で出かけます。帰りは夕方になるものと思われますが、台風一過の少し強めの風の中を安全運転で出かけます。


  「台風の 吹き戻し風 鉢倒す 親父と二人 元に戻して」

  「ブロッコリー 風の行く手を 見るように みんなお辞儀し 風になびいて」

  「今頃は わが友信州 台風に 翻弄されて いるのだろうな」

  「自然とは 偉いものだと 思いつつ 侮るなかれ 心新たに」 

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○忌まわしい過去を思い出す雨の朝

 「お父さん、台風が来そうなので長靴を買ってきたよ」と、昨日の夕方荷物を提げて妻が仕事から帰ってきました。今年は台風上陸ゼロだと喜んでいたのに、台風18号が進路を北寄りに向きを変え、本土上陸を覗っているようなのです。秋めいて日本付近の海水温度が少し下がってきたためこれ以上台風が発達することはないと思われますが、テレビで見る限りは台風の目もしっかりしてかなり強力な台風であることは間違いないようです。

 わが妻が台風に過敏な反応を示すのは、わが家が過去2回も台風の洗礼を受け、裏山が崩れ土砂災害に遭っているからなのです。同じ場所が二度も崩れているのですから台風や大雨は不安で寝れないようで、○○症候群という一種の病気なのかも知れないのです。

 一回目の土砂崩れは公民館主事をしていたころですからもう30年も前の出来事です。朝方何か鈍い音がしました。起きて勝手口の窓ガラスの向こうに何やら庭木のようなものがあることに気がつきました。勝手口は既に土砂に埋まって開きませんでした。急いで着替えて玄関から外に出てびっくり仰天、大量の土砂が庭を埋め尽くしているのです。かなり大きな土砂崩れでした。当時の愛媛新聞夕刊には、「双海町役場公民館主事の若松さん宅の裏山が崩れ・・・」と書かれているのです。

 この災害は長雨被害対策という事業に組み込まれ、その後1割の負担を余儀なくされましたが、大きなコンクリートの防災工事が行われました。


 二回目の土砂崩れは私が教育長をしていた時ですからまだそんなに時間は経っていないのです。防災工事も完了して安心していましたが、その時は未曽有の大雨と大風で裏山がひとつ動くほどの災害で、愛媛県下に大きな台風被害が出た時でした。ご多分にもれずわが屋の裏山も大量の土砂が防災堤防を乗り越えて襲ってきたのです。消防団が出動し援助の手を差し伸べてくれましたが、土砂の除去と片づけは自ら行わなければならず難儀をしたことを覚えていますし、その落ちてきた木々をチェンソーで伐採中に誤って向こうスネをチェンソーで断裂して救急車で県立中央病院に運ばれ手術の結果20日間の入院を余儀なくされたのです。スネの古傷を見るにつけ当時の忌まわしい過去が蘇ってくるのです。

 今は天気予報が驚くほど発達して、特に台風情報は刻々と変化する情報が瞬時に入ってきます。またインターネットでも見ようと思えばもっと詳しく情報を入手することができるのです。今回の台風18号もこれまで日本を襲った台風とコースや勢力がよく似ている昨日あたりから情報が流され警戒を呼び掛けているようです。

 教は大学の授業があって留守にしますが、妻は早くも「仕事が終わったら早く帰ってね」と言っているし、昨晩は早々と明日の会議が中止になるかもしれないという予告電話が入ってきました。今日は一日日本列島の各地は台風モードになるものと思われます。つくづくと自然の力の大きさに感心しながら雨の朝を迎えました。


  「雨・台風 聞く度うずく 古傷を さすりてどうか 何事もなく」

  「早々と 妻長靴を 買い帰る 台風接近 合羽も用意」

  「やけ静か 嵐の前の 仕業かも 準備おさおさ 怠りなきよう」

  「松山は 秋の祭りと 張り切るが 水を差すよな 雨にたたられ」


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○健康に注意をしてもうひと花咲かせましょうか

 自分では若いつもりで今日まで生きてきました。ゆえに無謀なことも、不可能だと思えることも前向きに挑戦し、数々の反対や失敗に遭いながらもそれなりに成果を収めてきました。それは多分私の心情を代弁する、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」というポール・J・マイヤーの言葉を信じて生きてきたからかもしれないのです。

 しかしこの言葉に出会ってから今日までとこれからの生き方は、年齢という避けて通れない大きな落差があることを念頭に置かなければ、失敗や時には健康を害することだってあるのです。「お父さん、話会と思ってももう歳だから、余り無理をしないでね」という、私に最も近しい妻の言葉が心にずしりと重く響くのです。確かに気力・知力とも、時には体力も第一線を退いて気苦労もなくなり余裕があるのか、これまでで一番充実しているように思えるのです。しかしそう思えても体力だけは衰えたと、時々思うことがあり、思い出すように多少の体力増進訓練を繰り返していますが、それも焼け石に水といった感じがすることもあるのです。

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(kazuのブログに登場したイラストと写真)
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 10月3日の誕生日が終わり、前期高齢者というレッテルを手に入れた覚悟をし、あちらこちらから頂いた誕生日祝福の嵐(隙間風かも)が一応止んだ昨日、お気に入りブログに登録して毎日のように読んでいる友人のブログを開いてびっくり仰天してしまいました。何と「kazuのブログ」に、私の誕生日を祝う記事が載っていました。「お誕生日おめでとうございます」というタイトルで、「10月3日 お誕生日おめでとうございます」「海の男の若松さん」「これからも 益々の ご活躍を お祈りしておりま~す!!」という文字に加えイメージイラストと写真が添えられていました。

 伊予市商店街で親子三人で「たにおか」というブティックを営む彼女とは、伊予市商業組合の徳本理事長さんを介して昨年、空き店舗を利用した憩いの場所いっぷく亭で知り合いました。以来集落問題の勉強会などでもご一緒する機会があり、そのうちブログの愛読者となって急速にデジタル付き合いが深まったのです。

 時々お店にも立ち寄り、人の良さそうなご主人と絵を描く娘さんとも親しくなって会話を重ねる程度のお付き合いをしているのです。

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(今年も届いた西岡さんと緒方さんからの花束)

 はてさて私の今年の誕生日はこのように、ことさら人生の区切りにふさわしいものとなりました。いつものことながら毎年若い二人の女性から届く花束にも心の中で感涙し、また講演の旅先では500人もの参加者から大きな拍手や花束をいただき、家族の祝福を加えると、幸せをしみじみ感じたのです。

 私は思うところがあって予定通り60歳で再就職もせず、リタイアして自由人、サンデー毎日の道を選びました。その時65歳を一応の目安にして第一線ならぬ第二線から退こうと決意をしていました。妻にも折に触れそのことを告げて「好きにしたら」というお墨付きもいただいているので、これからは今まで以上に自由人のグレードを上げようと思っています。でも家族や地域への恩返しだけはグレードを提げず、むしろ高めなければならないと、「kazuのブログや西岡さん・緒方さんから届いた心温まる花束に決意をししたのです。健康に注意してもうひと花咲かせましょうか。


  「友人の 気に入りブログ 驚いた 全面割いて 誕生祝福」

  「殊の外 今年は異変 誕生日 嬉し恥かし この歳なって」

  「高齢者 いよいよ俺も その歳に 何処か恥ずかし どこか気落ちが」

  「気負っても ダメダメあなた もう歳よ これからですよ 言葉交錯」

  

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○わが家の貯金箱

 わが家にやって来る孫3人にはそれぞれ、動物をあしらった貯金箱が置いてあります。それぞれの貯金箱には名前を書いているので、わが家へ来ると孫たちはその貯金箱を私のところへ持ってきて中にお金を入れてくれるようせがむのです。さすがに1年生になった孫朋樹はお金の値打を知っていて、50円玉や100円玉以上を入れてくれるよう求めますが、2歳の尚樹と奏心はたとえ一円玉でもその数が多い方が納得するのです。

 私の家でも一円玉はあちらこちらに転がっていて、特に風呂場に通じる脱衣場は洗濯の度にズボンのポケットを洗濯役の妻が点検して洗濯機へ入れるので、一円玉や10円玉が無造作に置いているのです。

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(孫たちの貯金箱)

 先日わが家へ孫が泊りに来た時風呂から出た時、孫尚樹が目敏くその一円玉を見つけ、風呂からあがるやいなやその一円玉を欲しいと私に頼み、テレビの横に置いている自分のスティッチキャラクター貯金箱へ持って行って入れてしまいました。それを見ていた朋樹は「おじいちゃん、僕の貯金箱へも入れて」と頼みに来ました。私は自分の財布から100円と10円を取り出して渡し、朋樹もイノシシキャラクターの貯金箱に入れてましたが、尚樹もまた欲しいと頼むので一円玉を5つ入れてやり、あいにくわが家に来ていない希心の分も平等に入れてやりました。二人は大喜びでその貯金箱を枕元に置いてその夜は深い眠りにつきました。今頃二人はどんな夢を見ているのだろうと寝顔を見ながら私も床についたのです。

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(私の貯金箱)

 私にもわが家にも同じように貯金箱が用意しています。私の貯金箱はちょっとでか目で、郵便ポストの恰好をしています。これは郵便局長に懇願していただいたものなのですが、退職してから4年半、一度も開けたことのない貯金箱です。思いついた時に思いついた小銭を入れるだけで無目的なのですが、私はこのお金でデジカメを買おうと密かに思っています。子どもたちが私の誕生日にパナソニックのデジカメをプレゼントしてくれ、今はそれを使っていますがそろそろ替え時だと思っているのです。

 貯金箱ってこんな使い方をすればささやかな楽しみも増えるのですから、それぞれ貯金箱を持っている孫たちにも、金銭教育などと仰々しいことではありませんが、おじいちゃんの知恵袋として教えてやりたいと思っているのです。

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(わが家の貯金箱)

 さて、わが家の貯金箱は退職して直ぐに私の発案で始めました。35年間役場に勤め給料は安くても夏と冬のボーナスをいただきました。退職したらそのボーナスがなくなるのです。そこで夏冬と年二回とまではいかなくても、せめて年末にはボーナスが欲しいという話しになりました。妻と相談して折に触れわが家の貯金箱に小銭を入れ、年末のクリスマス頃に開けるのです。そしてそのお金で正月準備をするのです。既に3回このことをやりましたが、妻はその度大喜びで、今年も後2カ月もすればわが家にも貯金箱ボーナスが貰えるのです。

 退職後の年金暮らしは侘しいと多くの人から聞きます。確かに収入の道が閉ざされ年金に頼ると将来への不安もありますが、こうして自分流の少しケチ、少し節約、少し貯金箱だけでも随分メリハリの効いた暮らしができるのです。人生はなるようにしかなりませんが、なりたい夢を持つと結構楽しいもの、それもこれも自分次第なのです。お金は10万円儲けても11万円使うと1万円の赤字、10万円儲けても9万円使うと1万円の黒字です。こんな単純な経済を私たちはもう一度考え直して生きて行かなければなりません。その出発は孫が教えてくれた一円の貯金箱なのです。


  「小さくも されど一円 貯めこむと ささやかなれど 夢が実現」

  「無造作に 脱衣場ある 一円を 貯金箱入れ さすがわが孫」

  「一円で 喜ぶ孫と 百円を 欲しがる孫は 程度が違う」

  「幼くも 金銭教育 できるもの 孫たちキャーキャー 貯金箱振る」

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○バスはバスなりメリットが

 先日所用で遠出をしたとき高速バスに乗りました。私が時々利用する高速バスは、広島県バスセンターを起点に発着する中国地方行きと松山を起点に走る大阪行き、それに東京行きなどです。いずれのバスも得割り早割のある飛行機を除けば飛行機や新幹線などの料金と比べると半額程度なのが魅力で、回数券などを買うと更にお得で安くなるのです。年金暮らしとなった私には暇もたっぷりあるので安さの魅力に引かれるのです。

 バスの最大の欠点は乗車時間が長いことと交通渋滞などに巻き込まれたまに遅延することですが、飛行機のように飛ぶ時間より飛行場でのチェックインや荷物受取に時間がかかる時間的ロスや、欠航などのことを思えばバスは目的地も近くこの上ない便利な乗り物だと思うのです。

 私が高速深夜バスを利用する最大のメリットは寝ながらにして目的地へ着くということです。「若松さん、あんな狭い座席でよく寝れますねね。疲れませんか?」と尋ねられますが私はいたって平気です。座席に座って本を読み消灯まで必ず起きておく、これが私の眠る秘訣です。他の乗客のほとんどは座席に座るなり椅子を倒して寝むるのですが、たとえば松山を夕方6時30に出た東京行きのバスだと新宿に午前7時半に着きますが、12時間以上も眠れる訳がないのです。10時の消灯まで起きていると外が明るくなる時間まで眠ることができるという算段なのです。お陰で今はバスの中も私にとっては快適なタイムカプセルのようなもので、旅を楽しんでいます。

 世の中不景気になったのでしょうか、昔は若い人が中心だった深夜バスも、最近は中高年の人たちが沢山利用しているようです。

 先日バスの中で4人組の女性に出会いました。どうやら追っかけのような様子で「氷川きよしショー」を見に行くようでした。また別の二人組女性は「ヨン様」の追っかけのようでした。この人たちを見て隣の席に座った中年のおじさんたちが小声でひそひそ話していました。「世の中も変わったものじゃなあ。ええ歳こいたおばさんが、氷川きよしもヨン様もないものよ。自分の顔を鏡で見て欲しいよなあ」などと悪言の限りでした。最後には「わしらの嫁がこんなことしたら離婚してやる」なんて結末でした。確かに今の世の中どこかおかしい気もしますが、日ごろの憂さを晴らすにはこれもいいのではと、他人事ながら思いました。ちなみにこのことをわが妻に話すと、「私はそんなことしません。そんなお金と暇があるのだったらもっとあなたと旅行したい」とけなげで泣かせるような言葉が帰ってきました。

 先日こともあろうか、その深夜高速バスに私の大事なデジカメを忘れてしまいました。松山インター口で下車するため少し多めの荷物を預けるでもなく車内に持ち込みました。出先でいただいたお土産と一緒にビニール袋入れて座席の下に置いていました。やがてインター口で降り自宅へ帰り、はじめてカメラのないことに気がつきました。急いでバスの最終目的地である八幡浜営業所へ電話しましたが、バスはまだ到着していませんでした。私の連絡先へ電話が入ったのはそれから2時間後でしたが、忘れたカメラを営業所まで取りに行きことなきを得たのですが、妻の言うことには「カメラをバスに忘れるなんてあなたも歳ね」でした。そうです。私は日本でも一番ほやほやの前期高齢者のですから。

  「あなた歳 言って笑った 妻でさえ 眼鏡忘れて あちこち探す」

  「ヨン様を 追っかけしてる 気が知れぬ 旦那の顔が 見て見たいよね」

  「往復で 二万円もの 得をする 節約ですよ 高速バスは」

  「どこででも 眠る特技が 生かされて 座席でグーグー 朝を迎える」

  「寝れないと 言ってる割に よく寝てる 隣のおばさん 掃除機いびき」

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○久しぶりに孫たちとドライブ

 9月中旬から北海道や昨日までの埼玉県へと県外出張が続き、またフィールドワークの授業でわが家へ学生が沢山やってきたため、またかまど小屋の建築など忙しくも充実した日々を過ごしてきたので、久しぶりに気分一新をと考え、週末やってきていた孫たちを誘い宇和島へ行きました。というのも昨日は愛媛県栄養士会宇和島支部の研修会が宇和島市保健センターであって、その講演を頼まれていたからです。

 この一ヶ月私の留守がちと学生始め来客が多くあって孫たちも殆ど顔を見せていなかったため、新しい車を手に入れたこともあって罪滅ぼしのつもりでのドライブとなったのです。

 私が宇和島市祝森にある保健センターで午後1時近くまで講演している間、孫や娘たちは近くの旧内海村の自然公園へ遊びに出かけ、公園が終わるころ迎えに来てもらい合流する算段でした。昨日は日中絶好の日和で車中は汗をかくほどの温かさでしたが、戸外はとても気持ちのいい秋風が爽やかに頬を撫でてくれました。

 支部長さんの話によると、私はすっかり忘れていましたが支部の研修会でお話しするのは2度目だそうで、現職の頃無人島に挑む少年の集いなどの話をしたそうで、はっきりと覚えておられました。今回の話は「心豊かに生きる」と題したライフプランの話でした。参加者は若い栄養士の女性たちが殆どでしたが熱心に聞いていただきました。市役所の和田さんの紹介によるのでしょうが偶然にも愛大農学部の小田先生講演が私の前にあって、控え室で再開しました。

 遅い昼食をとるため私の母校である水産高校のすぐ前の東洋軒というお店へ入りました。入るなり中年の店員さんが「あなたはテレビで時々お見受けする双海町の若松さんですよね」と、唐突に話しかけてきました。いやあ驚きました。田舎のくたびれた親父を自認している私を覚えてくれていたのです。連れもいて詳しい話はしませんでしたが、声をかけていただくなんて有り難いことです。

 早速お寿司などを注文し久しぶりに美味しいご馳走を孫たちと一緒に食べました。小学校1年の孫朋樹と2歳になった孫尚樹もすっかり大きくなって随分会話が交わせるようになりました。

若松進一ブログ

 帰りに八幡浜経由で伊方町にある亀が池温泉に立ち寄りました。私は小学校1年の朋樹と一緒に入りましたが、サウナや塩サウナなどを楽しんだ後夕闇せまる夕やけこやけラインを沈み行く夕日を見ながら走りました。長浜出海の特産品センターの前に車を止めて夕日の写真を撮っていると、「あなたは双海の若松さんでしょう」とまたまた特産品センターの方に声をかけていただきました。「景気や売り上げの方はいかがですか」「いやあ中々厳しくて」とこれまた立ち話で色々なことをお話ししました。

 「お父さんも顔が広いのね。おちおち歩けやしないね」と妻にからかわれましたが、世の中狭いものだと感じながら、久しぶりの南予路へのドライブでした。


  「若松さん? はいそうですと 返事する あちらこちらに この顔売れて」

  「賑やかな 孫の笑いを 積み走る ドライブ楽し 日ごろを忘れ」

  「じいちゃんと ばあちゃん二人 マゴマゴと 孫と一緒に お手てつないで」

  「この孫が 大きくなるまで 頑張らにゃ 妻とヒソヒソ 決意を語る」

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