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○日本銀行松山支店長さんにお会いしました

 日本銀行といえば「お金を発行している所」くらいしか知らず、私たちの日々の暮らしとは直接関係のないように思える銀行なのですが、その政策業務一覧を見ると、金融政策、金融システムの安定、決済システム・市場基盤、銀行券・貨幣の発行、国庫・国債・対政府取引、国際金融、調査研究、統計、対外説明・広報、災害対策・業務継続などなど、実に多彩にして幅広い仕事をこなしている銀行なのです。

 全国には9ブロック毎に32の支店と10の事務所があって、東京にある日本銀行本店とネットワークされているのです。私たちに最も身近な四国には高松、高知、松山の3つの支店と徳島に事務所がありますが、私は松山支店にちょくちょくお邪魔しているのです。

 「あなたのような貧乏人が何で・・・」と言われそうですが、実は私と日本銀行松山支店とはかなり長い関係なのです。最初の出会いは日本銀行松山支店内に貯蓄推進委員会というのがあって、その委員会が貯蓄運動を推進していて、当時公民館主事をしていた私はこの運動を推進したり、委員会にあるフィルムライブラリーから映画のフィルムを借りて盛んに活用していました。また貯蓄推進実践地区に指定されると3年間財政的支援や資料配布などの指導支援を受けられることから、漁協婦人部などを実践地区に推薦指定してもらい、私は地区推進員としてその指導に当たり、研究集会などに出て積極的に発言していたのです。

 その姿が推進委員会事務局の目にとまったのか、昭和51年に貯蓄一般推進員に推されたのです。その後貯蓄推進委員会は時代の流れに合わなくなったため金融広報委員会と改名し、貯蓄推進員も金融広報アドバイザーと呼ばれるようになったのですが、私は公民館~産業課~企画調整室~地域振興課~教育長~リタイヤと所属部署や環境が変わりながらも、一貫して30年を超えてこの運動に携わってきたのです。貯蓄推進員になった私は全国で一番若い部類の推進員として注目を集めましたが、今は65歳になってロートルのそしりを免れなくなって、そろそろ引退をせねばと思っています。でもこの運動は年齢でするものでもないので、周りを見ると年齢的や気力的にはまだ少し余裕があるのかも知れないのです。

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(秋山日本銀行松山支店長さんとともに)

 昨日はその金融広報アドバイザーの研修会が日本銀行松山支店内の会議室でありました。演劇鑑賞や飲み会などご入魂にしていただいていた丹治前支店長さんが北九州支店に異動になり、本店から新しい支店長さんが来られました。私の都合でまだ一度もお目にかかっていなかったので、同席したのを機会に名刺交換させてもらい懇談しました。新聞やテレビでしか拝見していませんでしたが、秋山支店長さんも気さくな方で、既に県内各地を回られているようで、シーサイド公園にも立ち寄られた話をされていました。

 昨日の研修会の講師であるえひめ産業振興財団プロジェクトマネージャー渡邊憲一さんの酒席話しも、中々面白く参考になるお話でした。

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(楽しい酒席話しの講演をする渡邊さん)

  「三十年 あっという間に 高齢者 そろそろ荷物 降ろす日近し」

  「貧乏な 私が何故に 日銀へ これまた不思議 自分で思う」

  「支店長 知識と知恵の 塊りで 愛媛グイグイ 牽引願う」

  「この仕事 私一番 得をした 設計通り 人生生きれて」

 

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○集落問題勉強会

 「集落問題を考える会」の定例会が昨晩中山町佐礼谷犬寄にあるゴリラハウスで行われました。まるで動物園のオリの名前のような施設名に最初は私も戸惑いましたが、春のひな祭り行事が行われた折妻と二人で訪ねていて二度目なので驚きもせず、待ち合わせ場所の市役所双海事務所でえひめ地域政策総合センターの松本さんの車に乗せてもらい、15分足らずの山道を総勢5人で登って行きました。夜の帳が降りた山道は少しさみしい山村の風情を醸していましたが、ゴリラハウスの中は煌々と電気がついて、持ち主の松浦さんが温かく出迎えてくれました。ご主人の松浦さんは私より少し若いのですがかつて若いころ青年団活動をともにした間柄だし、奥さんの千枝子さんは市役所の福祉部長を最後に退職されましたが、若いころ保険所に勤務していて、公民館の講座に度々来ていただいた方なので、疎遠といいながら気心の知れた方なのです。

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 集まった方々は研究会のメンバーに加え市役所の職員もいて15人ほどになりました。世話人の徳本さんのリードで2時間ほどの話しあいは和気あいあいのうちに進みました。この日は長年福祉行政に携わった松浦さんの話を聞くためのものでしたが、言葉の端々に鋭い指摘が沢山出てとても参考になる意見でした。また愛媛大学法文学部に通う木下さんという大学生も参加していて、フレッシュな意見を述べてくれました。

 何の束縛も拘束力もない、年に4回程度開く集会ですが、過疎や高齢化、少子化の進む田舎の疲弊しきった姿に妙案を出しつつ話はいつも堂々巡りとなるのですが、それでも少しずつ焦点化し始めていると、回を重ねることの重みを感じました。

 次回は双海町の順番で、奥東集落の地域通貨について学習することを決めて散会しました。

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(思いを込めて話してくれた松浦千枝子さん)
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(いつも参加していただく市会議員の武智さん、今回泉県議は出張欠席でした)

 かつては隣町だった中山町の松浦千枝子さんや武智実さんも、加えて参加した全員が今では私と同じ伊予市民です。合併してまだ四年余りしか経っていないため、まだ多少の違和感がありますが、それでもこの人たちと自分の住む街の将来について語り合えることは合併のメリットであると思うのです。合併は未だデメリットばかりが諦め声として聞こえてきますが、夏の終わりに開いた鱧祭りといい、合併によって旧伊予市民だった人の知恵が加わって新しい風が吹きつつあることを嬉しく思うのです。

 地域の自立に向けて旧双海町もいよいよその真価が問われそうです。わが住む町、息子や孫が住む町だからみんなでいい町にしたいと願っています。昨日はほのぼのとしたいい会でした。次回も楽しみにしています。


  「隣町 隣の人と ついついに 思うが今は 同じ市民だ」

  「味のある 話を聞いて ホッとする さすが極めた 人は違うと」

  「無駄だけど 無駄に中には 無駄がない 無駄口叩き ほのぼの帰る」

  「動物園? ゴリラハウスの 名前聞く 都度に説明 何度しただろう」

 

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○飛び込みのお客さんへのお接待

 昨日飛び込みで東北からお客さんがやってきました。この方のおっしゃるのには私を紹介した朝日新聞の記事を読んだそうで、四国を回る旅の途中道の駅ふたみシーサイド公園に立ち寄った際、突然そのことを思い出したそうです。特産品センターふたみんCの職員に私のことを伝え、電話がかかってきたのです。運よく自宅にいた私が電話に出ると、「急ぐ旅でもないのでどうしてもお会いして話しが聞きたい」と、半ば強引に迫ってきました。昨日は頼まれた原稿書きの締め切りが近付いていて、どうしても昨日中に仕上げなければならないと意気込んでいた矢先だっただけに、内心は断りたかったのですがそうもゆかOKしてしまいました。

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(わが家果樹園のみかんの木)

 そのお客さんは岩手の方だそうで、聞けばご夫婦でのんびりと退職記念の旅を続けているのだそうでした。少し肌寒かったので私設公民館煙会所の囲炉裏部屋に通し、友人浜田さんいただきもののお菓子を添えて温かい素茶を出しもてなしました。ここ解けの話ですがその茶葉は葬儀のお返しにいただいた八女茶なのです。

 ひとしきり話し込んだ後私がお茶碗の後片づけをしている間、外に出て海の資料館海舟館や家庭菜園を見て回っていました。わが家の家庭菜園には続いて果樹園があり、極早生のミカンが黄色く色づいて収穫の時を迎えているのです。目敏く見つけたその方はみかんの木になっているのが珍しいのか、急いで車に戻ってデジカメを取り出し、夫婦お二人で盛んに写真を撮っていました。二人並んだところを撮ってあげ、彩果鋏を用意して収穫したらと勧めるととても喜んで、みかん狩りを楽しんでいました。二人は思わぬチャンスに感激し、自分で摘んだみかんを美味しい美味しいと連発して食べていました。

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(この枝を切って差し上げました)

 たわわに実ったみかんの枝を果実がついたまま切り取り、段ボールを用意して摘んだみかんの上に乗せ10キロ程度差し上げました。見ず知らずの飛び込みの客にこうまですることはないのですが、私にとってはこれが我が家流のおせったいなのです。

 結果的にその夫婦はわが家で2時間も過ごし、居合わせた親父とも会話をして帰って行きました。お陰で私の原稿書きは完全にストップして、夕方予定していた集会に出席するため諦めてしまったのです。でも「まあいいか」と袖すりあった人との出会いを喜んだ午後のひと時でした。

 夜遅く集会を終えて自宅へ帰ると時ならぬ携帯電話です。電話に出ると、道後温泉に泊まっているという昼間の夫婦からお礼の電話でした。「嬉しかった」「初めてみかん摘みを体験し感激した」「お土産にいただいた枝ごとみかんは今夕宅配便で自宅に送った」「あなたの親切は忘れない」「いい生き方を見習いたい」などなどでした。傍にいた妻に昼間のことや電話の内容を話してやると、「お父さん、今日はいい一日だったね」と感想を述べてくれました。妻の言うとおり本当にいい一日でした。


  「ありふれた みかんの木なり 東北じゃ ない故心 ときめきながら」

  「お接待 何気ないから いいのです 葬儀いただく お茶を差し出す」

  「夜遅く 泊まる宿から 電話入る 旅先受けた 恩に感謝し」

  「今頃は 私の摘みし 枝みかん 宅配便にて 東北目指す」


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○前期高齢者と後期高齢者の違い

 私が10月3日の誕生日で「前期高齢者」の仲間入りをして10日余りが経ちました。それまでは何とも感じなかった「高齢者」という3文字がやたら目につくようになったのは、やはりそのことを意識しているからかも知れません。特にこれまで無頓着に振る舞っていた「後期高齢者」になっている親父との関係も、少し変化が出てきたのでしょうか、いちちその動きが気になるようになってきたのです。

 親父と私の暮らし方の根本的な違いは完全リタイアとセミリタイアです。私は65歳までは働こうと思っていましたので、本当は今年の誕生日を機に全てを投げ出そうと思っていましたが、今までの流れもあってそうは問屋が卸さないのです。まあ当分は残務処理だと思い成すがままに生きて行こうと思っていますが、成り行き任せにも行かないので当分は軸足を少しずらしながら完全移行したいと思っています。

 親父は家の外へは自転車で行く病院通いと買い物以外は殆ど出ません。それに比べ私は毎日外へ出ない日は殆どないのです。最近買ったトヨタカローラとスズキ軽四トラック、それにヤマハのバイクの3台を使い分けて外へ出るのです。勿論遠方は飛行機や新幹線、特急などの公共交通機関を使いますが、私の行動範囲はこの年齢にしては飛び切り広くて北は北海道から南は九州沖縄まで、気の遠くなるような距離を動くのです。当然毎日会う人の数も半端ではなく、時には2度3度と会うリピーターも多く、深くて狭く、浅くて広い人間関係は記憶するのがやっとですが、これが私の財産だと思い、手紙やはがき、それにメールで無事や近況を確認しているのです。

 親父の情報源はテレビとたまに訪ねてくる人から口伝えに入るもの以外はありません。最近の私の情報源はインターネットが主流を占めて、本や雑誌といった活字からも手に入れるし、前述した出会いの多い交流によって人から入ってくるのです。その量たるや親父の何倍になるのか想像もつきませんが、その殆どは聞き流し情報として時の流れの中で忘れ去られているようです。

 親父は朝早く起きますが、寝るのも早く太陽とともに暮らして寝る時間が長いようです。私の場合は朝は親父と同じですが、寝るのが深夜になるので睡眠時間は一日4時間とまあ普通の人よりはかなり短いようです。

 親父は家の周りの仕事を毎日のようにこなしています。そのスピードや量は一回ごとそんなに多くはなくても、まるで亀の歩みのように集まれば凄い量になるのです。一方私は機械類にものを言わせて、親父が10日もかかる草刈りを僅か坂地でこなすのですから、えらい違いなのです。

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 私は前期高齢者になったのを機に、やがて迎えるであろう後期高齢者になった時のことを想定して親父の生き方を少しずつ見習おうと思っていますが、親父が毎日何気なくやっている庭や家庭菜園の草引き、庭木の剪定などなどは早速始めようと思っても腕が着いて行けず、今は自信がないのです。親父が元気なうちにその手ほどきを受けてしっかりと伝授してもらいたいと思っています。

 今朝も親父はわがyそ歳から見える裏庭に出て、一生懸命庭木の手入れをしています。今日あたり少し手ほどきを受けようかと思っていますが、締め切りの近づいた原稿書きがあるため、またまた気持ちはあってもお預けのようです。


  「わが家には 年寄り部類 二人いて 前期と後期 それぞれ生きる」

  「あのように アリのごとくは 生きられぬ キリギリスだと 自分で認め」

  「耳遠い 要らぬ情報 入らぬため 人間上手く 出来ているもの」

  「行く路の 先に見本の 親父いる 自分の後に 息子近づく」

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○行く秋を楽しむ

大型で強い台風18号が大きな爪痕を残しながら日本列島を縦断してから、一週間があっという間に過ぎ去りました。自然とは偉いものであれほど長く続いた残暑も台風一過であっという間に気温がぐんぐん下がって、昨日の朝久万高原町では朝の気温が6度まで下がったと報じられていて、一気に秋が深まろうとしています。昨日の体育の日で各地の運動会は一応終わりましたが、変わって新聞やテレビは連日のように県内各地の秋祭りの様子を詳しく報じていてるようです。

 わが家や人間牧場にも南国四国と言いながら少し遅い秋がやってきて、そこここに秋の気配が漂い始めました。まずわが家の直ぐ下の田んぼは秋田こまちという早生系の稲が8月下旬に刈り取られ、そのあとに蕎麦が蒔かれていたようです。今年は9月に少雨状態が続いて傍の背丈が伸びませんでしたが、ここにきて背丈は低いものの蕎麦の白い花が一斉に咲き乱れ今が満開のようです。バラやスイセンなど見る花もいいですが、蕎麦や菜の花のような生産のための作物の花も群生するため見方によっては美しい景観として深い味わいがあるのです。通り過ぎる皆さんはその蕎麦の花にあまり関心を示さないようですが、私は美しい田舎の風景としてとても大好きななおで、昨日の夕方外出先から帰ってカメラに収めました。

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 昨日はたまたま外出先で妻と二人昼食に蕎麦を食べました。ゆえに蕎麦の花を見てまだ胃袋の中に残っているであろう食べた蕎麦を思い出しながら、新蕎麦の出回る晩秋を心待ちにしているのです。そしていつの日か私も畑に蕎麦の種を播いて蕎麦の花を楽しみ、蕎麦打ちを体験したいものだと思っているのです。

 昨日は友人浜田さんと人間牧場へ行きましたが、私が植えたツワブキの株が随分繁殖して、株の中から無数にツワブキの花が頭を持ち上げていました。わが家の裏庭周辺にも野菊やヨメナの花に交じってツワブキの黄色い花がそこここに見えるようになって深い秋の気配が漂い始めているようです。

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 野の花はじっと見ていると、派手さこそないものの深い味わいがあります。これまでは忙しい日々を過ごしていて、野の花や自然の移ろいをないがしろにして暮らしてきましたが、65歳を迎えたのを機に少しだけ軸足を自然との共生に置き換えて生きて行きたいと、蕎麦の花やツワブキの花を見ながら思いました。

 昨日の夕方、近所の子どもたちが花摘みを楽しんでいました。遊びは何もテレビゲームや漫画だけとは限りません。道端の草花を摘みながら美しいと感じる情操豊かな心を育てることもできるのです。そのためにはまず親が草花を見て綺麗と思う心を持たねばならないのです。幸い私は母の影響を受けて、そんな優しい心根が育っているようで、今にして思えば嬉しい限りです。今年は行く秋を思い切り楽しもうと思っています。


  「行く秋を 惜しむがごとく 咲く花に 思い巡らせ 一人楽しむ」

  「この花も 私が見ねば 誰も見ず 散って行くのか 私だけでも」

  「蕎麦の花 眺め新蕎麦 思うとは 愚かなりけり 花を愛でねば」

  「花を摘み 遊ぶ幼子 二三人 頭を撫でて 心を褒める」

 

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○懐かしい下灘界隈を歩く

 昨日夕方私の携帯にメールが入りました。携帯メールの苦手な私はメール番号を特定の人にしか知らせていないので、滅多にメールは入りませんが、「明日の予定はいかがですか。できれば昨年亡くなった商工会長をしていた三井典行さんの墓参りに行きたいのですが」と友人の浜田さんからメールです。私も慣れない手つきで、「明日は友人が病気なので見舞いに行くので留守と」返信メールを送り返しました。しかしメールを送ってから、「待てよ、相手の浜田さんは松山から下灘まで汽車でやってきて、できれば人間牧場へも立ち寄りたいというのだから、歩かせる訳にもゆくまい」と、電話で「朝早くの午前中なら何とか都合がつくのでご一緒したい」旨の電話を入れました。

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(下灘駅の朝の風景)

 昨日は親父の隠居にある地下室に雨水が流れ込んだ片付けや、漏水修理工事の後片付けなどに朝早くから夕方まで息子と二人忙しく働いて疲れていたためか、今朝は久しぶりに5時過ぎまで目が覚めずぐっすり寝込んでいました。モーニングブログを一本書き終わったらもう7時過ぎでした。急いで身支度を整え軽四トラックで浜田さんとの待ち合わせ場所であるJR下灘駅へ行きました。

 列車は7時52分着なので少しの時間駅前の日通に、西田利子さんを訪ねました。西田さんは一週間前埼玉県寄居町へ講演で出かけた折出会った永田さんの妹さんなので、会ってお礼が言いたかったのです。西田利子さんのご主人も私と一緒に青年団活動をしていた間柄なので、短い時間ながら色々な積もる話をさせてもらいました。やがて駅構内に列車が停止したブレーキ音が聞こえたのでお暇し急いで浜田さんを迎えに出ました。

 浜田さんは愛想いい笑顔を浮かべてリュックを背に駅のプラットホームに降りて来ました。

 浜田さんを乗せて三井さん宅まで行き、店番をしていた奥さんに墓地の場所を聞きました。かつて住んでいた生まれ故郷なので勝手知ったる場所ゆえに運動公園に車を止めて矢野上さん宅前の急な坂道を線路を超えて昇って行きました。奥さんの言われた通り昇りつめた墓地の手前にお墓はありました。浜田さんと三井さんの詳しい出会いは分りませんが、私が二人を知っていること、宮本常一と下灘の水仙が円であることなどなどのようで、浜田さんは律儀にもお墓参りに来てくれたという訳です。浜田さんはこまめな方で用意してきたシキビを立て線香に火をつけ、二人で手を合わせて拝みました。

 ここは桜の名所として春には毎年美しい花を咲かせていますが、いつの間にか老木になっていて、少し元気がないように感じました。この墓地に私の母方祖母や祖父のお墓がありましたが、今は子どもの住んでいる伊予市へ引っ越しています。何度かお墓参りに来たことがあるのです。

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(お墓掃除をする浜田さん)

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(三井さんの墓地)

 墓地からは下灘小学校や下灘の町が一望できました。この風景も忘れかけていた懐かしいものでした。浜田さんと違う道を通って上浜の商店街に出ました。小学校の正門に上がる急な道も、園協前の道も酒井商店横のガードも昔のままの姿なのに、自分の背丈が大きくなってせいでしょうか、どこか小さく感じられました。

 坂井焦点の前ではたと気がつきました。この商店の二階で私は妻と初めての見合いをしました。僅か5分間の見合いでしたが、結婚を決意し今の私たち夫婦が誕生したのです。少し気恥ずかしい感じもしますが、半世紀近くも前の出来事が昨日のことのように思い出されました。このことを思い出しただけでも浜田さんに感謝しなければなりません.。浜田さんとは、私が友人の病気見舞いに行くためシーサイド公園で別れましたが、思わぬ昔の感傷にしたるいい一日となりました。

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(下灘地区の中心地の風景)

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(下灘小学校正門前の急な坂道)

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(園協前の路地とガード)

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(商店街の中ほどにある左手が坂井商店、この家の2階が見合い場所です)

  「友人に 誘われ友の 墓参り 懐かし風景 少し変わりて」

  「背が伸びた せいかも知れぬ そこここの 小さく見える 路地を歩きぬ」

  「半世紀 前にこの店 二階にて 見合いした人 今はわが妻」

  「人影も 見えぬ街中 寂しけり 過疎ゆえ仕方 ないと諦め」 


 

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○孫朋樹、鉄棒逆上がりがやっとできるようになりました

 孫朋樹は今年1年生になりました。これまでの幼稚園生活と違い、学校は全てやることなすこと初めての経験なので、親も子どもも戸惑うことが多い一年のようです。朋樹は夏休みを前に「夏休み中に苦手の鉄棒逆上がりができるよう頑張る」という目標を掲げたのです。でも鉄棒のない家庭では逆上がりの練習などできず、学校も不審者や防犯対策として門扉を閉めて中に入れないため、夏休みが終わりに近づく苛立ちを、わが家に向けてきました。娘の相談に乗ったわが家でには大人用の鉄棒がありますが、残念ながら低鉄棒がないのです。早速親父に相談して鉄棒の棒をホームセンターへ行って2千円で買い求め、鉄棒の改造計画をすることにしました。

 手先の器用な親父は鉄棒の中ほどにグラインダーで切れ目を入れ、穴をあけてステンレスの針金で固定したのです。さあ特訓とばかり夏休みに泊りにやってきた孫を相手に何度も何度も練習しましたが、腕の力と腹筋力がない朋樹は中々上手くいかず、手に豆を出した苦い経験と、夏休みの目標が実現できなかった悔しさで悶々の日々を過ごして2学期を迎えていたのです。

 9月の運動会や、わが家の愛大生訪問というお互いの家の一大行事も無事終わり、一昨日から娘婿の出張に合わせて娘の家族と息子の家族合計8人がわが家へ泊りにやってきました。それぞれ一段と大きくやんちゃになった孫たち4人は、それぞれの成長主張を行うため、家の中は泣いたり笑ったりの大戦争のようでした。

 この二日わが家では漏水個所の修理工事で水道屋さんが来ていて、土を掘り返したり、コンクリートをはつったりする騒音がけたたましく、その都度室内や室外の荷物を移動しなければならずかんり散乱した状態になっていました。帰ってきた息子も手伝ってくれて、また一年生の朋樹もそれなりの手伝いをしてくれやっと掃除や片づけを終わってホッとした時、何気なく鉄棒にすがって遊んでいた朋樹の体が鉄棒の上で逆さ中に舞い、逆上がりができたのです。私も驚きましたが、当の本人も驚いた様子で、「出来たできた」と大喜びで、コツをつかんだのか2度3度鉄棒の上で宙返りをしました。

 さあ大変です。自分の逆上がり出来るのを見てもらおうと、家族を呼び集めました。やがてみんなの見守る中自信のある逆上がりを披露しようとしたのですが、それより前に何度かやったため握力が低下して中々上手く行かなくなってしまいました。

 それでも歯を食いしばって助走をした結果どうやら逆上がりする姿をみんなにお披露目することができたのです。

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「今日は逆上がりができた僕の記念日だ」と仰々しくはしゃぐ朋樹にみんな大きな拍手をして祝福しました。早速祝賀会をしようという話しになって、朋樹のリクエストで、回転ずしを食べに行くことになりました。昨日の夕方家へ帰る途中みんなで合流して寿司屋へ行きました。寿司屋はは連休ということもあってかなり込み合い、15分ほど待ちましたが、ボックス席を2つ取り、楽しい10人の食事会となりました。朋樹は私たちのようなものは食べず、コーンのお寿司、ウインナーのお寿司、イクラの寿司などなど10皿も食べて大満足でした。支払いはおばあちゃんの財布というところが落ちでした。

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  「逆上がり 出来たできたと 喜んで ギャラリー来たが 上がってできず」

  「低鉄棒 作った甲斐が ありました 今日は記念の 寿司で悦び」

  「何気ない ことにみんなが 一喜する 孫は満面 得意になって」

  「十皿も 食べて平気な 孫朋樹 私は十皿 四苦八苦す」 


  

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○モザンビークからのお客様に目を白黒

 一昨日、グローバルネットの深井さんから、「土曜日の午後双海町の海岸清掃ボランティア活動に参加するのでぜひお会いしたい」というメールが入ってきました。深井さんは私のことを青年団、若松、剣道全国青年大会と結び付けてイメージしていたようですが、どうやらその若松とは私のいとこのことのようでした。でもグロ-バルネットのことは私も知っているのでせっかくの機会だからと、午後の予定が入っているので昼休みにお会いすることにしました。

 深井さんはさすが活動家で、12時きっかりにわが家へ子ども二人を連れてやってきました。彼女のメールによるとアフリカモザンビークからお客さんを連れてくるというのです。私の家には外国人も時々来るのですが、私のようなも田舎者にとってアフリカの青年と会う機会はそれほど多くないだけに興味深々でした。居合わせた漏水修理工事の水道屋さんンも時ならぬ黒人男性の来訪に目を白黒させて遠巻きに見入っていました。

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 ティトシュさんというモザンビークの青年は紙の勉強で日本に来ているそうなのですが、英語の殆ど話せない私にとっては中々意思が伝えられず、深井さんと通訳役の高校生の娘さんを介して言葉少なに話をしました。ティトシュさんはわが家の海の資料館海舟館や私設公民館煙会所を興味深そうに見学していました。

 日本は紙の文化だとよく言われています。障子や襖で仕切られた民家も、生活の洋風化で随分姿を消してドアの文化になりつつありますが、それでも紙は照明器具や掛け軸など至る所で日本らしい文化を醸しているのです。近くには内子町五十崎の天神手すき和紙などもあって、古い伝統が今に息づいています。

 かつて海外派遣すれた人で構成している団体の県の会長をしていたこともあって、わが家へはこれまで沢山の外国人がホームスティしましたが、最近はそれも遠のいて人間牧場へ見学や交流にやって来るのみとなりましたが、余裕のできたこれからは英語も話せないけれど、交流を深めて行きたいと思いました。


 昨日は双海の青空にパラグライダーが幾つも浮かんで、長閑な秋の一日でした。明日の体育の日と合わせると三連休という人もいて、人の動きがいつもより多く、シーサイド公園も沢山の人で賑わっていたようです。私が種をまいたシーサイド公園も、こうして多くの人がボランティア活動などによって守ってくれているのです。役場を退職するまでの僅か12年間でしたが、毎朝3時間たったひとりで清掃活動をしたことも無駄ではなかったようだと、改めて思いました。

 それにしてもティトシュさんを連れてきた深井さんは娘さんがめぐみさん、息子さんが海さんという名前だそうで、深い恵み、深い海と読み替えるとこれまた楽しい名前です。めぐみさんは広島の大学への進学も2年後に外国へ留学することも決まっているそうで、外国人とこうして交流することは将来大いに役に立つようで、羨ましい限りです。


  「外国人 わが家ひょっこり やって来た お目々パチクリ 居合わせた人」

  「片言の 英語でハローが やっとです 言葉の壁を 身振り手振りで」

  「握手する 手から伝わる 友情が 心揺さぶり グッバイまたね」

  「久方に 外国人と 面談し 遠い昔の 外国思う」

 

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○実りの秋のサツマイモ掘り

 わが家では家庭菜園では作らないと決めているものが幾つかあります。その中にスイカとサツマイモがあるのですが、いずれも大好物なのにです。作らない訳は簡単で、これまで何度か試みましたが土地柄か余り美味しくないし、スイカは夏場の旬に地元東峰という産地の飛び切り上等な味を楽しんだ方が得策だし、サツマイモは毎年埼玉県北本市の友人峯尾さんから早掘りサツマイモが届くため作る必要がないのです。そんな訳でこの10年ほどは作付をしませんでした。

 ところが今年は春先、生活改善グループの総会に記念講演で招かれ、講演先で小玉スイカの苗を5本もいただきました。さてどうするか考えましたが、畑があいているのでとりあえず植えてみました。その後順調に育ち、親父の世話が良かったのか沢山実をつけ、味もまずまずで少し考えを変えて来年も作ろうかと考えているのです。

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 サツマイモも園芸店に出かけた折、一本50円のツルを10本ばかり買い求めました。また人間牧場の農場ではいのちのリレープロジェクトと称してサツマイモを種イモから芽を出させて子どもたちが栽培していますが、5月の植え付け時に余ったツルを捨てるのも勿体ないと思って持ち帰り、買った10本のツルとともに植えたのです。

 サツマイモは夏の日照りや水不足にもめげず順調に育って、実りの秋を迎えました。9月に試し掘りしましたが、比較的日当たりのよい場所の2本のツル元から10個以上のサツマイモを収穫し、これまで蒸かしイモや天ぷらにしてその味を楽しんできました。

 昨日は台風や秋雨で降った水分が渇いたようなので、サツマイモを掘りました。長く伸びたツルを鎌で切り分けてどかせ、マルチ用の黒いビニールをはがせてさあ芋掘りです。最初の一鍬で地上に出てきたのは人間の頭ほどもあるそれは立派な、今まで見たこともない赤イモでした。

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 畑に二列植えているのですが長さは8メートルくらいはあり、順調に掘り上げて行きました。普通サツマイモは細長い恰好をしたものを連想しますが、今年の芋はどういう訳か殆どが丸くんでいるのです。したがってその一番芋にツルの栄養分が集中したのか、数は2~3個くらいですが、まあ太さは抜群でした。中には4~5個もついて、農林水産省の米の出来を示す指標を参考にすると、キャリーに二杯も採れて作況指数100の豊作だったようです。

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 夕方仕事から帰った妻は早速この丸々太ったサツマイモを細切りにしてケンピみたいな感覚でから揚げにしてくれました。そこへ娘家族と長男家族が久しぶりに泊りにやって来て、妻の揚げ立てアツアツのサツマイモをつまみ食いし始めました。お塩をパラリ振ったスナック風のサツマイモは夕食の食卓用だったのに、大人気で作るほどに無くなって完食となりました。妻も孫たちや子どもたちがこれほど喜んでくれるとは思っていなかったので大喜びで、「おばあちゃん、また作ってとせがむ孫の笑顔に、「また作ってあげるからね」と笑顔で返していました。トンビならぬ孫たちに油揚げさらわれた感じがして、私の口には余り入りませんでしたが、今夜あたりお通じの良いサツマイモのことゆえ、みんなが屁をこいたら家じゅうが臭くなると、これまた楽しいジョークに大笑いをしました。


  「丸々と 太った芋が 次々と 地中にゴロリ 美味しそうだな」

  「早速に から揚げにした サツマイモ 美味い美味いと 孫たちつまむ」

  「ジンクスを 破って作った サツマイモ 味は抜群 来年作ろう」

  「芋のツル 投資金額 五百円 五倍以上の 成功報酬」

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○小さな小さなわが家の台風被害

 日本の各地では大型台風18号の甚大な被害が連日のように新聞やテレビで報告されています。テレビに映し出される被害状況を見るにつけ、全国各地に住んでいる知人や友人の安否や被害が気にかかります。メールで

その都度確認しますが、北は北海道から南は沖縄まで知人友人のいる私にとってそれをすべて掌握することは難しく、顔や訪ねた場所をを思い出しつつ心を痛めている程度なのです。

 大型で強い台風が直撃するかもしれないと早くからその対策をしてきましたが、幸せなことに私たちの町では台風の被害は殆どありませんでした。わが家でも裏山が近くてこれまでに2度も大きな災害に遭っているため、私と親父は早めに溝をさらったり吹き飛ばされそうなものを収納して対策を講じました。妻も懐中電灯や長靴、合羽などを用意していましたが、ことなきを得てホッとしたところです。

 昨日の夕方郵便局の顔見知りの職員がリンゴの宅配便の注文書を持ってきました。わが家では年中リンゴが必需品なので毎年買い求めています。多分このリンゴ宅配便の発祥は何年か前台風で落ちたリンゴを地域支援の目的もあって始めたものなのですが、それがいつの間にか訳ありリンゴ、つまり落ちたり傷がついたりしたリンゴとなって続いているようです。

 今回も台風の風で長野県や東北ではリンゴが随分落ちたと報じれれています。落ちたリンゴはまだ未熟のものもあって出荷できず、地中に穴を掘って埋めている様子がテレビで映し出されていました。収穫を楽しみにしていた矢先の打ちひしがれた農家の苦悩を思うと、胸が痛くなるのです。今年も訳ありリンゴの宅配便を利用したいと思っています。

若松進一ブログ

 私の家でもブルーベリーの鉢植えが倒れて木が折れたり、ブロッコリーが軒並み倒れたという記事を書きましたが、昨日は裏庭から太指ほどの竹を切りだし、竹の支柱を立てる作業をしました。70センチほどの長さに切った竹の根元を槍のように尖らせて立てて行くのです。親父が手伝ってくれて、私が立てた支柱にブロッコリーを一つ一つ丁寧に起こしてビニール紐で結んで行くのです。お陰で1時間余りの作業で何とか復元することができました。ブロッコリーやキャベツ、それに白菜などはかなり大きく成長していますが、気候が暖かかったため青虫がかなり発生して葉っぱを食べられていました。本当は自家菜園なので消毒はしたくないのですが、このままだと全滅する恐れがあるので、青虫を手で一つ一つ取っていましたが、追いつかないため今日の午前中親父と一緒にスミチオンの軽めの消毒をしました。

 食べれるのはまだまだ先のことなので、このまま順調に成長してほしいと願っていますが、農業も中々難しいようです。


  「吹き戻し 風に倒れた ブロッコリー 親父と二人 支柱で戻す」

  「訳ありの リンゴ宅配 いかがかと 郵便局員 したたかやるね」

  「あの人の 地域はいかが 思い出す 顔を浮かべて どうかご無事で」

  「周到な 用意したけど 何事も なくて良かった 今度の台風」  

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