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○二宮金次郎の銅像を探して(その2)

 二宮金次郎の銅像の行方を聞いたお年寄りが、「そこそこ」と指を指した辺りに学校らしき建物はありました。上流と下流に二本の橋が架かっていたので、上流の橋を渡って運動場へ行きました。運動場では10人ほどのお年寄りがグランドゴルフに熱中していて、「二宮金次郎の・・・・」言っただけで、グランドゴルフの手は休めず、「あっち」と指差してくれました。どうやら私と同じような物好きな先着がいたようなのです。

  ゴルフの邪魔をしないように運動場の端っこを歩いて、テレビで見覚えのある金次郎の銅像と対面しました。金次郎の銅像は意外と小さく、コンクリートで小石を積み上げた珍しい台座の上に立っていました。

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向こうに見える白い建物が10年前廃校になった小学校の校舎や体育館です)

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 台座の中ほどには「恩」という文字が刻まれていました。

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この二宮金次郎像は文化庁が登録有形文化財として登録認定されているようで、文化庁から贈られたらしい銘板には、第38-0027号「この建造物は国民の大切な財産です」と書かれていました。日本全国には二宮金次郎の銅像が沢山ありますが、この金次郎像がなぜあまた数ある中から登録有形文化財に選ばれたのか、察するに何かいわく因縁のありそうな像なのです。居合わせたお年寄りたちにその辺を聞いてみましたが、グランドゴルフに講じる体育系のお年寄りに質問はちょっと荷が重過ぎたようです。

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 それでも皆さんはゴルフの手を休めることなく、金次郎の歌を歌ってくれました。中には3番までしっかりと覚えている人もいて、自分の名前や歳さえも忘れるような年齢になりながら、昔の記憶の正確さに驚かされました。私は持っていた紙に教えてもらった歌詞を書き写しました。

   1、柴刈り縄ない 草鞋をつくり

     親の手助け 弟を世話し

     兄弟仲良く 孝行つくす

     手本は二宮金次郎

   2、骨身を惜しまず 仕事を励み

     夜なべ済まして 手習い読書

     せわし中にも たゆまず学ぶ

     手本は二宮金次郎

   3、家業大事に 費(ついえ)をはぶき

     少しの物をも 粗末にせずに

     遂に身を立て 人をもすくう

     手本は二宮金次郎


 明治44年に刊行された尋常小学唱歌第二学年用に初めて載ったこの歌を、私はおぼろげながら口ずさめるのです。多分死んだ祖母や母が歌っていたのを聞いたのだろうと思うのです。その横にかつての小学校の校訓と思しき「山も川も心も美しく」と書かれた立派な石碑が印象的に建っていました。

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  「分け入りて やっと見つけた 金次郎 神々しくも ふるさと見つめ」

  「自分の名 忘れるような 爺や婆 金次郎歌 覚えて歌う」

  「そういえば 祖母が歌いし 歌だった ハーモニカでも 何とか吹けた」

  「子の声は 聞こえぬけれど 爺と婆 昔遊んだ 運動場で」


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○二宮金次郎の銅像を探しに(その1)

 放射冷却現象の影響で昨日の朝はあちらこちらに氷が張って、少し海沿いから入った所ではまるで雪が降ったように霜が降りて、大寒を思わせる冷え込みでした。しかしこんな日の日中は風もなく穏やかで、車の中は春のような暖かさでした。

 昨日は今治市玉川町のAコープで開かれた女性いきいき元気塾に招かれ出かけました。玉川町といえば友人井出サツミさんや仙遊寺住職小山田憲正さんを思い出すなど、私にとっては馴染みの深い土地なので、もう何度も足を運んでいる地域なのですが、前日の夕方下校途中の小学生がイノシシに襲われるという笑えないショッキングなニュースが飛び込んでいた地域なのです。幸い怪我は軽傷だったそうですが、自然環境の中で暮らす動物にも色々な変化が起こっていることを感じさせるような事故でした。


 今治へ行く道は海岸線周りと山周りがあるのですが、玉川町は山周りの途中なので環状線から奥道後を通り、水ヶ峠の長いトンネルを超えました。松山市日浦から水ヶ峠に至る沿線には見事な石積みの段々畑があって、真っ白に霜化粧した段々畑が朝日に輝く姿は余りにも見事な風景だったので、車を道端に寄せて休憩がてら見とれていました。

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 この日は午後からの講演だったのですが、少し早く家を出たのには訳がありました。先日妻のダビングしている南海放送のもぎたてテレビを見ていて、玉川町鈍川にあるらしい二宮金次郎の珍しい銅像が紹介されていたのを探すためなのです。

 玉川に入ると右手に今治の水瓶である玉川ダムの湖がが見えてきます。そこを少し下り三差路を右手に走ると鈍川が見えてきます。上流の鈍川温泉は道後温泉、本谷温泉とともに伊予三名湯の誉れ高い温泉地があるのですが、ひなびた田舎の温泉地という感じのする所です。

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  付近の人に二宮金次郎のことを聞こうと思いましたが、田舎のことゆえ人影も全くなく、結局は鈍川尾温泉の入口まで行き、バスの回転場でトイレ休憩をしました。ここにも人影はなく結局6~7軒のホテルや旅館が軒を連ねる温泉まで行き、最初のホテルのロビーで聞こうと入ったものの、いくら大声で呼んでも人の気配がないのです。仕方なく外に出て車を動かしていると、ゴミを片づけている中年の女性に出会いました。「先日もぎたてテレビで紹介された二宮金次郎の銅像を探しているのですが」と問いかけると、「私では分りませんので、女将さんに聞いてきます」と中へ入り、女将さんが出てきました。それはもっと下に下がって鈍川入りこちを右の道へ2~3キロ遡ってください。左手にありますので」と、分ったようで分らない道案内をしてもらいました。


 私にとって玉川町はこの程度の説明で頭の中のカーナビが働くのですから凄いことです。車のメーターを見ながら2キロ以上も走りましたが、ここでも人の姿はなく、幾重にも入り組んだ山道を登って行くと、競輪選手と思しき人が2~3人、自転車をいじくりながら準備をしていました。町外の人なので訪ねても無駄だと思い、やっと第一村人発見です。耳の遠い80がらみのおじいさんに大きな声で「二宮金次郎の銅像を探しています」と話すと、「そこそこ」と指差す向こうに学校が見えてきました。

 何やらテレビで見た光景が見えてきたので、路側帯に車を止め歩き始めました。


  「山里に 銅像探し 分け入りぬ 聞く人もなく 途方に暮れて」

  「朝日照る 反対陰に 静寂の 暗く寂しい 山里見ゆる」

  「大声で 話すが相手 トンチンカン 爺の耳に 補聴器あるに」

  「あっちだよ 指差す先に 学校が 聞けば廃校 十年前に」 

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○買い求めた漆塗りのお椀

 人間牧場にかまど小屋ができてから、餅をついたりご飯や味噌汁を炊いたりして楽しんでいますが、昨日尾道へ行ったついでに街中を散策した折、一軒の陶器店の店先で漆塗りのお椀を見つけました。かまどで炊いたご飯と味噌汁を食べるためのこだわりにしようと思ったのです。最近はこの手のものもプラスチック製品が多く、また少し安いなあと思えば東南アジやからの輸入品で、目利きの効かない素人の私などは迷ってしまうのです。だからといって店の奥の陳列ケースに収まっているような高価なものには手が出ず、ついつい特価、大安売りなどの張り紙に目移りがしてしまうのです。

 私は毎日のように出歩き、時には県外へも足を延ばすのですが、親父が「息子はお土産を買ってこない」と嘆くほどお土産物には手を出さないのです。しかし昨日は前日のようなかまどのこともあってお椀についつい手を伸ばし、手にとって買い求めてしまったのです。買い求めたといったって別に高価なものではなく、ひとつ千円のお椀を二つ買っただけなのです。でもこれは掘り出し物だと思ったものですから、意気揚々と手に提げて大事に持ち帰りました。

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 自宅へ帰り妻に見せると、「私のお土産じゃあなかったの?」と言われましたが、「いいものを買ったね」と褒めてくれました。しかし値札を張っていたので、その安さに少しがっかりし、「茶器にでもしてお菓子を盛るのに使おうかとも言われました。妻の言うのには「塗り製品の安いものは直ぐに光沢が無くなるのだそうです。いいものは使えば使うほど深みが出てくるらしく、「安物買いの銭失い」と言わんばかりの評価に少しがっかりしましたが、早速近々にご飯と味噌汁で試してみたいと思っています。

 最近妻が何の心境の変化か、掃除がてら衣類など古いものを処分しているのです。これまで大事小事にしまっていた子どもたちの思い出の詰まった衣類などが、置き場が無くなったことが原因のようだし、息子たちも独立して必要なくなったこと、更には夫婦の暮しもそろそろ変えなければならないと思っているようです。

 ひょっとしたら、古くなった私も処分の対象になってるかも知れない(笑い)と思いつつ、今日もゴミ袋ひとつの衣類がローカの隅に置かれ、週末のごみ出しの日を待っているのです。

  「これはいい 思って買った 漆塗り 妻は冷ややか 拍子抜けする」

  「この椀に ご飯味噌汁 入れて食う 想像だけで 喉がゴクリと」

  「妻の買う 当たったことない 宝くじ それよりましと 反論したが」

  「もし俺に 千円やるから これ作れ 言われて出来ぬ 安いものだと」

 

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○坂の街・映画の街尾道へ

 今年はどういう訳か広島県や岡山県など中国地方に縁が深く、先日瀬戸大橋を渡ったと思えば、昨日は10の橋が数珠つなぎとなって架かっているしまなみ海道を渡り尾道へ行きました。尾道市中央公民館に勤める旧友金本さんの依頼で、公民館利用団体説明会にプラスワンの講演会を仕組んでいて、その片棒を担ぐためです。昨日はこの冬一番のような雲ひとつない好天に恵まれ、しまなみ海道沿いの瀬戸内海は鏡のようにすみ渡り、初春の太陽が海面にキラキラ映えて、長閑な風情を醸していました。

 尾道へは確か昨年11月28日、福井から帰る途中に立ち寄り、駅の近くに宿をとり、明くる日行われた青少年育成大会に招かれ、しまなみ海道を陸路迎えに来た妻や娘家族と、久々尾道界隈を散策して以来なのです。

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 昨日は平日とあってしまなみ海道も空いていて、少し余裕を持って早く出たため1時間近くも早く着いてしまいました。前日夜金本さんから電話があって、市役所のすぐ隣にある公会堂前へ車を止めるよう指示があった通、係の方の誘導に従って駐車し、その方の案内で道を挟んだ会場となる公会堂別館まで歩いて行きました。

 尾道といえば映画の町、古い伝統を感じさせる街並みと細い海峡や坂がたびたび映画のロケ地に使われたことでも知られています。その印象を彷彿するように公会堂のすぐ隣には映画上映に使ったであろう古い映写機が映画記念館の前の道端にデンと置かれ、強烈な印象を与えているのです。

 たまたま送られてきたにちぎんという雑誌に見開き7ページにわたって特集された記事を昨日読んでいたので、その様子が腹入りしていたのです。

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 講演は10時半から1時間、午後2時から1時間の2回です。午前中は会場いっぱいで150人で満席、午後は100人ほどでいずれも聞き慣れた公民館利用団体の代表者のような方々でした。午前と午後の間には昼食を挟んで2時間半の休憩時間があるので、近くのそば屋へ立ち寄りそばとどんぶりがセットになった昼食をご馳走になりました。尾道といえば尾道ラーメンなのでしょうが、前回長い列を並んで食べたラーメンは私のような実年には少々むつこいため、好物のおそば屋の暖簾をくぐることにしたのです。

 金本さんとは、彼が瀬戸田町役場職員だったころからの知り合いで、彼の紹介でもう尾道の隅々まで講演に出かけているのです。時には夜、時には落語などなど、そして時にはわが家や人間牧場まで足を延ばしてくれ、広島県の数多い友人の中でも、人生を語るにふさわしい一番の古い友人なのです。

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 昼休みを利用して一人でぶらり尾道商店街を散策しました。平日の昼間とあって客足は今一でしたが絵になる尾道をキャッチフレーズの凝った商店街を、あちらこちらの店に立ち寄り、お店の方と談笑しながら楽しみました。漆塗りの木製椀を2つ買い求め、町かどギャラリーで絵手紙やカレンダー展に見入りましたが、まるで観光に来たような錯覚を覚えました。

 一日2回の講演も無事終わり、「楽しい講演でした」という参加者や見送りの金本さんとともに駐車場まで歩き、尾道を後にしてしまなみ海道を渡り、愛媛県の人となりました。今週末の土曜日には再びしまなみを渡って広島三次へ向かう予定です。

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(壇上で説明する旧友金本さん)

  「十の橋 渡りて坂の 街歩く 何処か懐かし レトロな気分」

  「瀬戸の海 キラキラ朝日 輝いて 島はもうすぐ 春の足音」

  「午前午後 ダブルヘッター それぞれに 楽しき話 請われるままに」

  「人生の あるべき姿 話し合う 家族大事と 二人納得」

 

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○今年度の授業も全て終わりました

 「年末までが期限です。遅れた人には点数をつけませんから注意して提出してください」と、送り先と内容を黒板に書いて愛媛大学法文学部総合政策学科の年間60時間の講義を終えたのは12月でした。学生の中には「先生消印有効ですか?」と尋ねる学生もいてレポート提出が危ぶまれましたが、それでも速達で何とか間に合った学生もいて、19人全員がレポートを提出してくれました。

 正月休みに片づけようと思い開封して一応目を通したものの、これを成績に反映するまでには至らず、延び延びになっていましたが、昨日やっとレポートを読み終わりパンチで穴を開けて表紙をつけ点数作業を終えました。

 私の授業のテーマは「楽苦しい(たのくるしい)」なのです。授業はできるだけ楽しく、出席日数がそろえば第一関門はOKです。そして前期で出かけた市町村をレーダーチャートに落とす作業による個人提出レポートが第二関門、第三関門は判別発表レポート、そして第四関門は「学びの感想」A4一枚、「私の考える地域振興とまちづくり」(A43枚)の個人レポート提出と続くのです。今年の学生は風邪や部活で公認欠席した以外は授業も全員出席で、レポート提出や発表のハードルも全てクリアーしていて申し分がないのです。

 過去の6年もそうでしたが、7年目の法文学部総合政策学科非常勤講師の役目も、パソコンで成績表を入力すれば全ての今年度作業を終えるのです。


 役場に教育長として勤めた時期から始めた、大学での非常勤ながら講師としての仕事は、私に大きな成果をもたらしました。何が一番と問われたら、学生からいただいた若いエネルギーと答えるのです。人間はどちらかというとそれが楽だから同質同族を好むものです。確かに私のような大学も出ていない人間にとって、年間60時間と言いながら講義を仕組むことは、傍目で見るほど楽ではないのです。レジメが嫌いでも作らなければならず、ましてや勉強もしなければ追いつかないのです。そういう意味ではこの7年間はむしろ自分自身が学生たちにパワーをいただき、学ぶことの方が多かったような気もするのです。一年目の緊張とは比べ物にならないほど今はリラックスして学生たちと向かい合い、いい成果を修めているのです。それは学生の書いたレポートにも表れていて、頼もしく思います。

  さてこれからどうするか、ここが思案のしどころのようです。


  「七年も 大学通い 若者に パワーいただく お陰で元気」

  「学校じゃ 劣等生の この私 人に教える 資格あるのか?」

  「今年も 何事もなく なにぬねの 来年どうする あいうえおかも」

  「レポートを 読んで点数 つけ終わる これも区切りの 仕事なのかも」 

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○健康力を鍛える

 昨日から少し寒さがぶり返して、肌寒い一日となりました。人間はこういう寒さがくると怠慢になり、風邪を引いてはいけないなどというもっともらしい理由をつけて、できるだけ室内の暖かい場所で過ごすような気持ちになるものです。本当はこんな寒い日だからこそ戸外へ出て体を動かした方が健康にも良いのです。

 そんなこともあり、また今年の目標が「人間力の向上」~人間力向上のための10の力~に⑧健康力(心・体)があるので、思い切って戸外へ出て柿の木とスモモの木の剪定をすることにしました。外に出て僅か四本の木の剪定をするくらいに、勿体ぶって人間力の向上や健康力などを持ち出す理屈っぽさが歳をとった証拠だとつくづく納得するのです。

 まず作業小屋へ行って鋸と剪定鋏を取り出し、剪定鋏のネジを外し砥石で研ぎました。剪定をするのに道具から選ぶあたりも理屈っぽいですね。さあ準備はできました。裏の急斜面に植えている柿の木2本と柿の木2本をそれぞれ木に登ったりしながら鋸で切り取り、剪定鋏で切り落として行くのです。別に剪定に確固たる信念や技術がある訳でもないので、適当に強い枝から切って両手を広げたような姿にして行きました。

  ものの30分もすれば終わるのですが、この木の剪定はこれまで親父がやっていましたが、3本だけやって残りは危ないからと辞めていたのです。親父も所構わず強剪定していたので、私も思い切って切り落としたため、剪定した枝の始末をしなければなりません。これをほおっておくと、1ヶ月後に始まる草刈り作業の邪魔になるのです。

 柿の枝は優しいのですが、スモモの木は刺があって中々扱いにくく苦労しながら、家庭菜園の隅に設置している自家製焼却場まで何回も足を運び難義難儀持って行きました。私の作業風景を見ていた親父が自室から出て来て、鋸で小切りして片づけるのを手伝ってくれました。こうして乾燥すれば紙ごみ類と一緒に風のない日を選んで親父が焼却処分してくれるのです。

 わが家の菜園の端の方は田舎らしく藪斜面になっていますが、クヌギの木やチチモモの木が何本か勢いづいているため、梯子をかけてそれらの木もついでに切り落とすことにしました。クヌギもチチモモの木も家の周辺に無数の枯れ葉を落とし、下水などに溜まるのを防ぐための処置なのです。既に今年はもう葉っぱを落とした後なので、容易に幹を切り落とし片づけをして作業を終えました。

 親父も手伝いながらこれで一安心と声をかけてくれましたが、戸外は寒い風が吹いているのに作業をして体を動かすと体がポカポカしてきました。逆に室内にいると部屋の戸を開けただけでも寒く感じるのは、やはり人間の心理と気温の変化かも知れません。

 作業を終えたので長靴を運動靴に履き替え裏山散歩をしました。急な坂道を誰はばかることもな少し早足で声を出して歩きました。携帯電話についた万歩計も家に置き忘れたため、どれ程の穂数か分りませんが、まあ今日一日の目標である1万歩には到達したものと思われます。冬の運動は春夏の基礎体力を作ります。これからも積極的に健康力を鍛えたいものです。


  「健康力 などと理屈を つけながら 作業をするは 加齢の証拠」

  「剪定を すれば木々など 若返る 俺も剪定 若返りたい」

  「切落とし 摘み落としたる 枝運び 親父と二人仲良く小切り」

  「さあこれで 春の準備は 整った 後は芽吹きの 季節を待ちぬ」

 

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○質屋へ立ち寄りました

 先日松山市内を歩いていると、何気ない風景の中に「質屋○○」という看板が目に入りました。私は幸か不幸か質屋の世話になったこともないし、ましてや質屋の店に入ったこともないのです。入る気もないのでもの珍しそうにゆっくりと店の中の様子をうかがいながら歩いていると、「若松さんですよね!」と目があった女主人が中から出てきました。「はいそうですが?」と答えました。とっさに「えっ、何で私の名前を知っているのかしら?」と思いながら、「どうぞどうぞ」という言葉に甘えて店の中へ入って行きました。まあ座ってお茶でもどうぞ」と差し出すお茶を飲む前に、「失礼ですがどうして私の名前を?」と問い返すと、どうやら私がまつやま工業高校のPTA会長をしていたころ、PTAの総会や入学・卒業式で私のあいさつを聞いていて、あいさつが上手い人だと記憶に残っているというのです。それほどまでに私のことを好意的に思っててくれるのだったらと、ついつい言葉に甘えて応接椅子に座りお茶をいただきました。


 わたそも詳しいことは分らないので、「質屋とは一体どんな仕事ですか?」とこの時とばかり聞きました。「質屋は余りいい印象をお持ちでない人が多いようですが、客が持ってくる物を質草として受け入れ、その価値に応じて金を短期間融通する仕事ですが、質屋の起源鎌倉時代中期に遡ります」と、何とまあ歴史の話までし始めました。消費者金融などなかった時代に、お金を短期間に調達しなければならない時、質屋へ着物や刀を持って行った話は時代劇のテレビで何度も見ている光景なのですが、やはり私には縁遠い場所でした。

 若いころ友だちが質屋に時計を入れて金を借りた話や、質流れの品を安く買ったと見せびらかせていたことを思いながら、店内のショーケースを見せてもらいましたが、カメラや時計、それに貴金属品などが「安い」と感じる値段で置かれていました。

 見ず知らずの人の見分け方、質草に取ろうとする品物の値踏みの目利き、貸付金額の設定、資金運用など、いわゆる専門知識と財力がないとこの仕事はできないという話を聞いて大いに納得し店を出ました。

 しかし考えてみればマイホームを手に入れる時に銀行ローンを組む時だって、土地を担保に入れるのは質草と同じですし、ローンの支払いが滞ると土地も建物も没収され競売にかけられるのですから、銀行のやっていることも元はといえば銀行の名を借りた、質屋の真似ごとではないかとも思いました。

 世の中が不景気になってデフレ感が漂っていますが、このような時代になればなるほど質屋へ融通を頼む人が増えてくるのだそうです。現代はリサイクルショップなどがかなり普及したり、時には仲間が集まって不用品を販売したりする光景を見かけますが、質屋もまた都会の片隅にこうしてしっかりと生き残っているのです。

 「時々立ち寄ってください」という女主人の言葉に、「はいはいまた」と相槌を打ちましたが、多分私には「質屋」はこれからも遠い存在であるのかも知れません。


  「えっ質屋? 今の時代に 生き残る 初めて質屋 門をくぐりて」

  「そういえば  見栄張る友の 腕時計 質で流れた 物を買ったと」

  「何年か 前にあなたの あいさつを 聞いたと主人 私持ち上げ」

  「金もない 貧乏だけど 質屋には 行ったことない これから先も」

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○遅ればせながら今年のカレンダー届く

 わが家には部屋のあちこちにカレンダーが吊るしてあります。建築設計の仕事をしている息子が職場で貰ってきてくれたものが殆どですが、カレンダーには製作した人の思いや利用意図によってその趣きが随分違うものだなあと、今月も残り少なくなった余白を見ながら感じました。

 数日前、市役所双海支所に勤める友人の大森さんが、わざわざ自宅まで今年の卓上カレンダーを届けてくれました。今年のカレンダーにしては遅い感じもしますが、それでも有り難いことと妻が受け取ってくれました。大森さんはかつて合併前の双海町時代に町の広報を担当していたので、写真のストックはお手の物でしょうが、この卓上カレンダーは大森さんが手作りしたオリジナルなもので、オンリーワンを自認する私としてはこの上ないプレゼントとなりました。

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 「双海カレンダー2010」カレンダーの上蓋を飾るのは昨年友人の松本さんたちがシーサイド公園で始めたオレンジデーの手づくりローソクによるイルミネーションの写真です。海に向かった砂浜に沢山のローソクの灯りが「オレンジDAY ?INふたみ」というオレンジ色の文字を暗闇に浮かび上がらせているのです。

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 さて、新春一月の月間NVPに選ばれた写真は?とめくってみると案の定、初春の下灘水仙畑でした。この水仙にもかなりの入れ込みと思い出があるのですが、亡くなられた金山泰森さんが手塩にかけて育て、私がマスコミに売りまくって双海の顔に育てた逸品です。港の見える丘に咲く水仙は今ではすっかり愛媛の風物詩となりました。今は息子の洋一さんがしっかりと世話を受け継いでいるようです。

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 今年の水仙も年末の暖冬気味の気温で、もう終わりに近づいてきました。大森さんからいただいた今年の卓上カレンダーは表紙も含めて双海の風物が13枚の写真で紹介されています。習い覚えたパソコンのスキャナーを使って、取り込めるようになったので、これから12ヶ月、折に触れてこのブログで紹介したいと思っています。それにしてもパソコンの技術も、勿論大森さんの力もありますが、このようにして利用することができる時代になったのですね。

 私もスライドを作るなど、もう少し技術の習得を勉強しないと、いくら言い機能のあるパソコンを持っていても、結局は宝の持ち腐れになるのです。

 パソコンの調子がいまいちなのに一喜一憂するくらいしかできない自分が情けないとしみじみ思うのです。

 さて来月はどんな双海の写真がカレンダーを飾ってくれることでしょう。お楽しみに。


  「今頃に なって届いた カレンダー オリジナルゆえ 貴重に思う」

  「一月は 何といっても 水仙が 一番だねと 私納得」

  「何もない 町だと人は いうけれど そんなことない 色々あるよ」

  「一月は いぬる(帰る)と 速さ表現す 残り少ない 月末見つつ」 

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○21世紀えひめニューフロンティアグループの総会

 春が来たと思わせるような気温をたった一日で真冬に逆戻りさせる自然の力はやはり偉大です。そんなことを思いながら、山周りの国道317号を選び水ヶ峠を越えて今治へ向かいました。ひょっとしたら峠の道は雪が降るかもしれないと思い、4WDの軽四トラックに乗って出かけましたが、私と同じような考えがあるのか、週末土曜日なのに交通量は少なく、仙遊寺下の能面道路を通って今治市新谷の河上さん宅へ到着しました。昨晩は私が主宰し私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの一年に一度の総会ともいえる協議会が、今治に住んでいるメンバーの河上和夫さん宅で昨晩行われたのです。

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(河上さんの奥さんと5人の孫たち)

 少し早いかなあと思える午後5時半過ぎに到着しましたが、豊田さんは何処から歩いたのか期せずして私と同じ時間に到着しました。奥さんにあいさつを終え、居間でのテレビで大相撲を観戦しながら、河上さんの5人の孫に囲まれて、クレヨンしんちゃんと命名された私は、遊び相手になってやりましたが、まあ小学校2年生を頭の特に4人の男の子はやんちゃでいたずら盛りでまあ蜂の巣をつついたような賑やかさでした。

 やがて仲間も全て集まり、座敷で賑やかな宴会です。この日は皆のリクエストに応えてホルモン鍋と魚料理、それに猪肉の焼肉でした。もうもうと立ち込める煙の中で子どもたちも参加して大宴会となりました。

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 すっかり恒例となった新年早々の行事だけに主だった顔ぶれは全員集まりました。形通りの事業報告、決算報告が行われ、次年度の役員留任、事業計画も予算も原案承認の拍手で終わったのですが、この一年間フロンティアグループからかまど小屋の建設に30万円の助成があって完成、また私が書いたフロンティアグループのレポートが、明日の日本を創る協会の地域活動将来賞をいただくなど、それなりの成果を収めているのです。

 しかし、寄る年波には勝てないのか最近は口は口角泡を飛ばす議論はするのに、こと実践となると中々前へ進まず、活動は主に人間牧場に限定され、老化しつつある組織の実態を浮き彫りにしているのです。でもこれでもいいとみんな納得しているので、少しだけ私がいい方向に誘導することを考え今年もやっていこうと思っています。2年前から始めた国内世界遺産を巡る旅も熊野古道・広島原爆ドーム・安芸の宮島・石見銀山と続き、今季は4月に白川郷の合掌造りをめぐる旅を計画しているのです。


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 フロンティアグループは結成以来30年近くになりました。これまで無人島に挑む少年のつどいや、丸木舟瀬戸内海航海、ふるさとを空から見る運動、竪穴式住居シンポ、フロンティア塾など、①今やれる青春、②1年1事業、③社会への揺さぶりなどをテーマに、様々な斬新な活動を展開し、県内はもとより全国的に注目を集める活動をやってきましたが、何時の間にか若かったメンバーも白髪や頭が薄くなり、時の流れの早さを感じているのです。元気だった仲間の体も、酒が飲めなくなった私や大野さんのように、加齢とともに衰えが目立ち始めました。これからは健康に留意しながら、次世代へバトンを引き継ぐことを考えなければなりませんが、はてそんな華麗な変身が出来るかどうか疑問のようです。

 私は今朝大事な用件があるので、田宮さんとともにお泊り組を残して10時過ぎに河上さん宅をお暇しました。一緒についてくる下弦の月を冬空に見ながら水ヶ峠のトンネルを超え、11時半過ぎにわが家へ到着しましたが、30年のを超えたグループから学んだことややった思い出などを思い出したいい一日となりました。


  「いつの間に 頭薄くて 白髪増え 仲間歳とる 俺も歳とる」

  「今年は 白川郷へ 行くという 遺産訪ねる 旅も楽しや」

  「在りし日を 思い出しつつ 水ヶ浦 突きと一緒に トンネル越えて」

  「イノシシの 肉焼く煙り もうもうと 立ち込め涙 一緒に食べる」 

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○楽しかった子ども教室

 たった一日で冬から春へ、そして春から冬へと気温をまるで魔法のように逆戻りさせることが出来る自然は、やはり凄いと思いつつ、その猫の目のように変わる天候に順応出来にくくなる自分の体力の低下を、嘆きながら暮していますが、これから3月いっぱいまでは三寒四温におののきながら暮らすことでしょう。

 昨日は前日の温かさから一転して寒い一日となりましたが、私が実行委員長を務める青少年の催しがシーサイド公園であって、開会のあいさつや手伝いを頼まれて出かけて行きました。地域政策研究センターの松本さんや市役所支所の大森さん、それにボランティアスタッフとして何人かの人が応援に駆け付け賑やかな催しとなりました。


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 子どもたちを三班に分け、たこ焼き、じゃこ天、餅つきという三つのメニュー順番に体験するというものです。私は手薄な餅つきの手臼取りを担当することになりました。既にシーサイドの加工場のボイラー釜で蒸し上がったもち米を運び込んで臼の中に入れるのです。それを松本さんが杵で小づき、大森さんの指導で子どもたちが入れ替わり立ち替わりダイガラでつくという算段なのですが、子ども10人ほどが一人五回突く度に間延びの休憩があるため、手臼はやりにくくて仕方がありませんでした。それでもこれも体験と熱い臼の中のもち米を臼につかないように手臼しながら餅にしてゆく作業をしました。時間的にはそれほどかかりませんが、やがて餅がつきあがり台の上で女性スタッフによって小切りされ、みんなが丸めた餡子を入れて更に丸めて餡子餅が出来上がりました。

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 この日はクチナシ入りの黄色い餅、紫いもの入った紫色の餅、ヨモギの入った緑色の餅を各班が順番でつき上げ、まるで信号のような綺麗な餅が出来上がりました。餅が出来上がる度にお一つどうぞと味見を勧められるものですから、その美味しさにつられて三個も食べてしまいましたが味は抜群でした。

 最近は杵でつく餅つきも珍しくなり、ましてやダイガラ餅つきなどは見ようと思っても中々お目にかかれない時代になってきました。ゆえに子どもたちのとっては貴重な体験となりました。子どもたちはたこ焼きやじゃこ天を漁協女性部の皆さんの指導でそれぞれ体験し、自分で作ったような顔をしてお礼に貰ったたこ焼き四個とじゃこ天二枚を、美味しそうに食べていましたが、子どものお腹は一体どうなっているのでしょう。

 土曜日とあってシーサイド公園はかなりの数のお客さんが来ていて、私たちの行事風景を物珍しそうに遠巻きにして眺めていました。

若松進一ブログ

 今年最初の教室は段取りの良い作業に助けられて予想した時間を三十分も早く終えることができ、後片付けをして少し早目の閉講となりました。三人の小学校の校長先生や学校の先生たちも休日でありながら毎回のように参加して子どもたちに様々な声かけをしてくれています。また婦人会や更生保護女性会などからも毎回のようにボランティアとして手伝ってもらい、頭の下がる思いです。口だけで余り役に立たない私も職務上出来る限り参加するようにしていますが、少し足手まといの感じも感じています。でもこの日ばかりは特技?とも思える手臼の妙技?が役に立ち、ボランティアとして少しだけ役立ち感を感じました。

 双海町はこのように地域で子どもを育てる環境は随分整っているように思いました。また地域づくりの輪も他地域に比べて進んでいるように思います。市役所ではこれらを組織化して自治活動にと目論んでいるようですが、他地域をモデルにしたり、規約を作ったり、また組織を作ったりする作業に追われ、正直これらの活動を育てながら進める方法を逸しているような感じもします。出来れば私たちがその仕掛けを作った方が早道かも知れないと何人かで話しました。いずれそのジレンマも解決するのかも知れませんが・・・。


  「子どもから しんちゃん元気  声かかる この歳なって 嬉し恥かし」

  「頭上から ダイガラ杵が ドッスンと 手と餅めがけ 落ちてくるなり」

  「よく言った ものだ思いつ 昔取った 杵柄なんて 言葉納得」

  「ボランティア した後感じる 心地よさ 今日も子どもの 笑顔癒され」 

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