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○第27回地域づくり団体全国研修交流会佐賀大会

 一日目はグランデはがくれで前夜祭が行われました。佐賀駅前のホテルから歩いて天神2丁目の会場入りしました。会場は分科会ごとに円卓を囲み楽しい食談会となりました。私は第6分科会を選んでいたため、地元多久市から来ていた実行委員会の皆さんと初めてお目にかかりましたが、前年度開催県が愛媛県だったこともあって、入れ替わり立ち代り多くの懐かしい方々見えられ、食事どころではない忙しさでした。

 例によって私は自分の名札に電光掲示板をつけて歩きましたが、これも昨年に引き続き大好評で、あちらこちらで記念写真をせがまれました。

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(ホテルグランデはがくれの前夜祭ステージ)

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(オープニングのアトラクション)

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(ステージに上がり消化される第6分科会参加者)
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(賑やかな会場の雰囲気)

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(電光掲示板の甘い蜜に誘われて集まって来た女王蜂の皆さん)

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(ケーキをついばむ青木すずめさん)
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(来年度開催県青森の上は津軽三味線と下はねぶたのはねこ)
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 佐賀県は佐賀牛など海の幸や山の幸にも恵まれ、料理の品数も豊富で全国から集まった皆さんも満足のご様子でした。来年度は変則的で、今年の11月に青森県で開かれることが既に決まっていて、津軽三味線と青森ねぶた祭りのはねこに扮した参加者が盛んにパフォーマンスを繰り広げて、青森への誘致をPRしていました。

 来年度になると予算取りが難しく、愛媛より一年前に開きブームの去った茨城県は佐賀大会の参加がわずか一名という寂しさでした。私たちも行政に頼らず青森へ行く方法を考えていますが、青森へ行くため毎月5千円の積み立てをしたらどうかという妙案も出されていて、できれば途中桜川市へ立ち寄り二宮尊徳について勉強したらどうかと塾役員は考えているようです。


 地域づくりは全国大会へ行くことが目的ではありませんが、クオリティ性の高いそして持続可能な団体活動を目指すためには、できることなら全国大会等に参加して活動事例や活動家に出会い触発されることもまた、素晴らしいことだと思うので、願わくば自費で研修に参加するような気風を育てて生きたいと思うのです。

 全国大会は地方大会にない独特の雰囲気を持っています。私もこれまでたくさんの種類の全国大会に参加して多くの感化を受け、そのことの積み重ねが所属している団体を活性化したり、自らの力を鼓舞するのに大いに役立ったように思うのです。

 この日も私とであった人の中にはそんな話をする人たちに沢山出会いました。また2次会で深く知合った人からは、「人間牧場や双海町に行ってみたいという話をいっぱい聞きました。今年も全国大会が縁でまた忙しくなりそうです。


  「昨年の お礼をこめて 佐賀県へ 来年進化 青森行くぞ」

  「先ず金を 貯めて青森 目指そうと 貯金算段 みんなで話す」

  「胸光る 電光掲示の 文字盤に 女王蜂たち フェロモン感じ」

  「

   

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○キーボード変換キーの不具合

 長い間家を留守にして書斎の机の上に置いているパソコンを使わずにいましたが、今晩自宅に帰ってパソコンを開いて使おうとすると、何やら変換キーが言うことを効きにくくなっていました。可笑しいと思いつつ何度もキーボートを叩きましたが、残念ながらとても動きが鈍くなっていました。

 仕方がないので明日にでも取扱説明書を読んで問合せてみようと思っています。

 こう書き出し昨晩は長旅の疲れで眠ってしまいました。床についてもそのことが気になり中々寝付かれませんでした。朝起きてパソコンを立ち上げましたが、相変わらずの遅さで、これでは仕事にならないと自分の未熟さを棚に上げ、パソコンの取り扱い説明書など見たこともないのに、書斎の戸棚に無雑作に積んである説明書を出しました。その箱の中には保証書もあって、保障期限は1年と書かれていました。「やばい」と思いつつ、「修理のお申し込みはこちら」という電話に駄目もとと思いながら、携帯電話をかけました。するとオペレーターとおぼしき女性が電話に出て、その方の言うとおりすると、私のパソコンが遠隔操作され、言われるままに何回も繰り返し操作をしました。その結果パソコンはものの見事に復旧し、ローマ字文字入力がうまく変換できるようになったのです。いやあ凄いです。私のような人間にはまるで神の手ではないかと思えるほどのサポートぶりでした。

 このパソコンが壊れていたらどうしよう。このパソコンを修理に出したら泥くらいの時間と費用がかかるのだろう、こんなパソコンを売るなんて、などと要らぬ詮索をした自分が恥ずかしくなりました。と同時に手の平を返したような私の単純さにもつくづく呆れ返りました。

 一定のルールに従えば私のパソコンへも進入できるのでしょうが、私に電話で指示しながら情報をコントロールできるオペレーターはどんな頭脳と訓練を受けているのでしょうか。変換キーがうまく機能し始めた今の気持ちは今日の青空のように清々しくなりました。


 今日から私は、昨日まで2泊3日で佐賀県で行われた全国大会の簡単なまとめをする予定ですが、お蔭様で仕事がはかどるものと思われます。毎日ブログを朝晩2本も書く私にとって、パソコンは今や私の手足と同じように体の一部であり暮らしの一部になっています。パソコンが不機嫌だと私も不機嫌だし、パソコンが元気だと私の記事も元気になるのです。これまで何かにつけてパソコンが不具合になると娘婿や息子に丸投げして、自分は努力もせずに高見の見物を決め込んでいました。

 パソコンの製造元であるTOSHBAの力を借りたとはいえ、初めて自分が手配し自分の力で治したことは大きな力となりました。これからも少し勉強して苦手を克服したいと思っています。


  「また故障 いらだつ自分 しみじみと 修行が足らぬ 反省しつつ」

  「はいそこを クリックしてと 指示されて 言われたとおり 見事復活」

  「お父さん あなたパソコン 使い過ぎ 妻に言われて そうか納得」

  「喉元を 過ぎれば全て 忘れてる 何度も同じ 過ち犯す」

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○やっと戻ってきました

 2泊3日といいながら今回の九州佐賀県への旅は、さした役割りもなくある意味のんびりしていたものの、主催地である佐賀県を除けば40人近くの愛媛県からの参加者はダントツに多い数だし、昨年愛媛で開かれた大会の実行委員長をしていたこともあって知人友人も多く、何かと世話のやける大会だったため、少し疲れを感じるような3日間でした。それでも無事に全員元気にそれぞれの地域へ元気を貰って帰って行きました。

 今日は午前中それぞれの分科会を終えた参加者がキーステーションである佐賀駅へ集結し、チャーターしたた大分交通のバスに乗り込み、佐賀~臼杵まで高速道路を走り、臼杵の港から18時30分発のフェリーに乗り込み八幡浜港まで到着、そこからは松本さんの車で国道378号を通ってジャスト22時に双海町のわが家へ送ってもらいました。他の5名はさらにそこから先を目指し暗闇の中へ消えて行きました。

 主催者には悪いのですが、全国大会は一種祭りのようなところや観光気分があって、それを楽しみにやって来る人もあるのです。でもそんな気分を変えてくれるのは、やはり市町村の地域づくり団体が主催する分科会での濃密な地元の人との交流なのです。

 私は今回多久市で開かれた第6分科会を選択しました。その模様は少し詳しく書きたいと思いますが、ただ今11時を過ぎているので、この続きは明日にしたいと思っています。悪しからず。


 こう描いた所でタイムアウトで風呂に入り、荷物を片づけて眠ってしまいました。昨晩は妻も友人たちと2年に1度の慰安旅行とかで道後温泉道後館へ出かけて私ひとり冷たい布団に入りました。人の気配のない部屋は寂しいもので電気をつけテレビをつけてウトウトしていましたが、気になって眠れず、ストーブと電気とテレビのスイッチを切り、加湿器をお休みタイマーにして寝ました。


 今朝は放射冷却現象のせいでしょうかいい天気ですが気温は低く、体が引き締まるような思いでした。3日間家を空けていたので⑨2歳の親父のことが気になり、起きると直ぐに隠居へ行き、親父のご機嫌をうかがい、佐賀県へ行ったいたことなどを大まかに話をしてやりました。親父は今年の冬は寒いといいつついたって元気で、風邪もひかずに頑張っています。

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 今朝は親父から大根畑の大根を引き抜いて欲しいと依頼がありました。今年は大根が大豊作で、首を切って花が咲くのを防いでいますが、葉っぱを切り落としているため、大根を引き抜くことが難しいのです。早速長靴に履き替え大きいのを選んで15本ばかり引き抜きました。確かに葉っぱの付いていない大根は中々引き抜くのに骨が折れました。畑から一輪車のリヤカーに積んで水場まで持って行き、タワシでゴシゴシ水洗いしましたが、感の水も冷たく手が凍えそうでした。

 親父はこれからこの大根を千切りにして寒風に晒し、切干大根を作るのだそうです。食べることしか脳がありませんがいい切干大根ができることでしょう。


  「三日間 家を留守して 帰り来る 親父元気で 少し安心」

  「人気配 まったく感じ ないわが家 ただいま言えど 返事返らず」

  「豊作の 大根抜いて水洗い 寒の水にて 白き肌撫で」

  「ああそうだ 写真を撮ろう 大根の 丸々太る 妻と比較し」

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○佐賀県を目指して

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(天気は絶好調ながら波の高い豊予海峡をフェリーで渡る。四国最西端佐田岬)

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(豊予海峡の真ん中にある高島)
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(佐賀関半島佐賀関のシンボルの高い煙突)

 昨日は朝9時半ごろ、えひめ地域政策研究センターの松本さんに自宅まで迎えに来てもらい、皆さんと一緒に佐賀県へ行くためフェリー乗り場である八幡浜へ向かいました。佐賀県へ行くのは広島に出て新幹線と特急かもめを乗り継いで行くルートと、松山から深夜便フェリーで小倉に出て新幹線と特急かもめで行くルートがありますが、愛媛県からの参加者が多いため、八幡浜~大分県臼杵までフェリーで行き、そこから貸し切りバスで北九州を突っ切り、佐賀県へ入るルートを選びました。昨日は風と波が強かったものの冬晴れの好天に恵まれ、う臼杵から高速道路に乗り、別府や湯布院などの名だたる観光地には目もくれず、約3時間走って目的地の佐賀市へ午後5時きっかりに到着しました。

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(高速道路サービスエリアの朝倉水車をイメージした版画風のモニュメント)

 年中旅を続ける私にとって、このルートも佐賀県も馴染みの路線や地域なので、初めて訪れる他の人のように別に緊張することもなく、フェリーもバスもうとうと昼寝をしながらの長閑な旅となりました。途中三連水車で有名な朝倉のサービスエリアでトイレ休憩をしましたが、最近は平成の大合併で市町村の名前が変化していて、雛飾りの吉井や私の町に度々訪ねてきた浮羽などの名前を懐かしく車窓の看板に見つけましたが、世の中も随分変わったなあというのが正直な感想です。


 バスは佐賀駅北口に到着しました。それぞれ別の宿舎なのですが、私たちの一団は南口駅前にあるルートインという全国チェーンのビジネスホテルです。同泊は言葉のイントネーションからして次年度開催が予定されている青森県の方々ではないかと想像しながら、夜6時から近くのホテルで前夜祭があるので、急いで荷物を整理して歩いて出かけました。

 佐賀県といえばバルーンといわれるほどバルーンが有名で、広大な佐賀平野を悠然と飛ぶバルーンも一度は見てみたいと思っています。駅前通りの雰囲気はゆったりしていて、穏やかな県民性を感じました。

 4~5年前観光の仕事で佐賀県へ来たことがありますが、私の記憶はあいまいで、確か街中の駅から遠くない場所に川を生かしたストリートの素敵な場所があったことだけはしっかり覚えているのです。朝の散歩でもと思っていましたが、見逃してしまいました。


  「海峡を 渡って隣の 九州へ うたかた夢に 終る大橋」

  「煙突の 見える辺りに 友ありて どこか懐かし 遠望パチリ」

  「何年か ぶりに佐賀県 来たものの 記憶薄れて どこがどこだか」

  「北国の 方言らしく なるほどと 納得しつつ 盗み聞きする」

 

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○佐賀県に来ています

 ただ今早朝6時です。JR佐賀駅の目と鼻の先にあるサンルートというホテルのロビーでこのブログを書いています。昨晩は全国の仲間と交流会があり、その後用意された二次会の席に、酒も飲めないのに愛媛県の皆さんと繰り出し、夜遅くまで議論をしました。所変われば変わるもので、一次会、二次会ともに古川県知事さんが参加していて、特に二次会は古川県知事さんとホットなホットなまちづくり談義を繰る広げ、胸がすくような気持ちで宿舎となっているホテルに帰りました。

 何の関係もないことながら、昨日は25回の優勝回数を誇る平成の大横綱朝青龍が、一連の騒動の責任を取って引退したという衝撃的ニュースが日本列島をかけめぐり、テレビのニュース番組はどこもこの話で持ちきりでした。私も日本人らしく大相撲は大のファンなので、最近の貴乃花騒動などに強い関心があって、新聞やテレビで大相撲の記事を目にしますが、酒によって一般人に暴行を加えた朝青龍の所業は、やはり引退勧告も止むを得ないのではないかと思ったりしています。

 普通大相撲の横綱が引退するのは、黒星の星数が先行し体力の衰えが原因でしょうが、終わったばかりの先場所、圧倒的強さで優勝し賜杯にその名を刻んだだけに、「辞めて当然」という気持ち」と、半官びいきもあって、「辞めさせるのは可愛そう」という気持ちもあり、正直複雑な気持ちです。


 今日は10時から地域づくり団体交流全国大会の全大会があり、午後からは一泊二日の多久市で行われる分科会に、浜田さんや井上さんと参加する予定です。孔子朝廟という珍しい史跡がある地域なので、今日k午後からの分科会はとても楽しみにしています。

 昨年のこの大会は私が全国大会の実行委員長をしていたので、かなり忙しく振舞っていましたが、今回は参加するだけなので随分気が楽です。それでも直前の実行委員長ということで、ステージに立たされたり、コメントを求められたり、さらには100枚の名刺が殆ど空になるほど顔見知りや新人さんと交流の輪を深めました。その模様は帰ってからデジカメ写真で詳しく紹介報告します。


  「旅先の ホテルで早朝 立ったまま ブログ一本 情報発信」

  「さあ今日も 残りの名刺 配りつつ 全国の人 顔をつないで」

  「横綱の 引退ニュース 旅先で 食い入るように 宿舎のテレビ」

  「知事さんと さしでお話し 居酒屋で こんな嬉しい ことがあろうか」

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○今日から3日間佐賀県で開かれる地域づくり団体交流全国大会へ行ってきます。帰りは土曜日です。寒い時期なので読者のみなさんご機嫌よう。

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○沖合に数隻の艦船

 昨日気がついたのですが、このところ双海町沖の海上に何やら黒い物体が沢山うごめいているのです。夜になると煌々と灯りをつけて海面上に浮かぶものの正体は防衛省海上自衛隊の艦船なのです。私は昭和19年生まれなので幸か不幸か戦争を知りませんが、親父のような戦争体験者はまるで戦時中では?と昔の悪夢が蘇るようだと言っていました。

 これらの艦船は沖合にある呉基地所属の艦船と思われますが、数日前から沖合の伊予灘で掃海訓練をしているのです。掃海は機雷の除去作業ですが、戦後60年以上経ったこの海に嫌いなどは存在しないはずですが、海上自衛隊では有事を想定して訓練を行っているのかも知れません。

 つい最近双海町の漁船と観戦が接触事故を起こしたことがあり、共産党などが漁船の安全について抗議をした一幕もあったようです。まあ訓練なので別に目くじら立てることもありませんが、海域が操業区域と重なるだけに安全だけには注意をして欲しいと願っています。

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 実はわが家の庭の隅に倉庫を改造して、私設の海の資料館「海舟館」を造っていますが、その展示物の中にこの沖合海域の海底から引き揚げた戦争の遺物が展示されているのです。それらは長年漁師をした親父が漁船の網にかかったものを引き上げ、丹念に磨いて展示に耐えられるようにしているものなのです。

 珍しいものとしては紫電改という戦闘機の機銃や魚雷のエンジンなどがあり、それ以外にも大砲の薬きょう、望遠鏡、ヘルメットなどが所狭しと並べられているのです。これらの展示物は戦後60年経った今も親父の行き届いた手入れのお陰で光を放っていますが、大陸に出征するなど戦争を体験した親父の生き様とダブるだけに、これからも平和への祈りを込めて、大切に保管してゆきたいと思うのです。

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(紫電改の機銃)
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(魚雷のエンジン)

 こうした類のものは、時を経て保存してこそ価値がるのですが、これまではどちらかといと戦争の悲惨さを抹消しようという風潮が強く、ましてや海から上がったものの権利は国に所属するため、貧乏な時代でもあった戦後は、古鉄として処分され何がしかのお金に換金されてきたのです。多分わが家にあるものの殆どもその運命を辿るはずでした。しかし親父は仕事の合間を縫ってせっせと磨きをかけて保存してきたのです。

 今にして思えば損得勘定に走らなかった親父の行為は立派だった気がするのです。世の中には今は何の役にも立たない鍬や鎌でさえ100年も保存すると立派な民俗資料として展示に耐えうるのですから、私たちはこれからもそのことをわきまえて、古き物を大切に保存することも肝要だと思うのです。特に戦争にまつわる史料はたった60年余りしか経っていないのに、その殆どが散逸してしまっているのです。私は少なくても親父の跡取りとしてこれらを後世に伝えて行く義務がありそうです。


  「沖合に 何やら怪し 黒い影 黒船再来? 戦争再来?」

  「わが家には 戦争遺物 数多く これは価値ある 平和の祈り」

  「えっ魚雷? えっ機銃?かと 見る人は 興味深そに 見入り感心」

  「こんなもの よくも造った 日本人 愚かな行為 戒めなくば」

  

 

 

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○今年も4等の切手シートばかりでした

 私はほとほとくじ運の悪い人間だと自分で思っています。これまで何度かくじを抜きましたが当たったためしがなく、くじのついた福撒きでさえいつも最低のたわしくらいしか当たりませんでした。そんなこともあって、「自分はくじは当たらない」と信じているので、他の人のような「果報は寝て待て」的な行動は余り取らない人間になっているのです。そんな信じ方をしているのでこれまで宝くじは買った経験がなく、当然当たったこともないのです。

 それに反してわが妻はセルフのガソリンスタンドで車にガソリンを入れてもティシュペーパーが一箱当たったり、大したものでもありませんが時々恩恵に浴しているのです。ゆえに毎年私に内緒で宝くじを10数枚買っているようですが、さすがに宝くじは1万円以上は当たったことがないようで、昨年も外ればかりでリベンジを誓っていたようです。妻は「お父さん、3億円当たったら世界一周旅行でも何でも好きなことをさせてあげる」と毎回夢みたいなことを私に言っていますが、宝くじは米俵一俵の中の一粒しか当たらない確立だそうですので、余り当てにせず待っているのです。

 昨日郵便局へ封書やはがきを出しに行ったついでに、窓口で今年のお年玉付き年賀状の当選番号票を貰って来ました。毎年千枚近くの年賀状をいただくのに、これまで当たったのは4等賞ばかりで、一度だけ3等賞のレターセットが当たった以外は全て切手シートなのです。もっとも切手収集をしていた時期もあって、欲しいのはお金で買えない切手シートが一番欲しいので願ったり叶ったりなのです。

 昨日その年賀状の束を机の上に置き、一枚一枚当選番号と照らし合わせましたが、1時間余りの格闘もむなしく、今年も最低4等の切手シートが20枚近くのみでした。今年の切手シートの当選番号は下2けたの番号が00と52なのですが、毎年のことながら当選番号の年賀状を送ってくれた方々にはお礼状のハガキを出すのです。たとえそれが4等という切手シートであっても、幸運をいただいた方々へ感謝の意味を込めお礼状を出せば、どこか清々しい気持ちになるのです。

 今日から佐賀県へ出張うして3日間ほど家を留守にする予定なので、当選番号の引き替えは帰ってからのお楽しみとしますが、今年の切手シートはどんなデザインなのか、これまた小さな楽しみが増えました。

 昨晩当選番号のハガキを見せながら妻に、「今年も4等ばかり」といってくじ運の悪さを愚痴りましたが、「お父さんはまだ強運の持ち主よ。だってあれだけの難関を突破して青年の船にも班長として乗船してアメリカやメキシコへ行けたし、NHK青年の主張だって県代表になったじゃないの」と持ち上げてくれました。「それは実力だ」と鼻高々言いましたが、そういえば私も年賀状や福撒きこそ当たらないものの、それなりに選ばれているのですから、まあそれなりに納得しなければならないようです。

 もうこの歳になるとくじ運など縁遠いものになりましたが、「果報は寝て待て」くらいな気楽な気持ちで、これからの人生を、「必ず当たる」と信じ込んでいる妻と一緒に二人三脚で生きて行きたいと思っているのです。


  「年賀状 あれほど届き 当たりくじ 4等だけが 二十数枚」

  「くじ運が 悪いといつも 嘆いてる だから買わない 当たらないはず」

  「おっ惜しい たったひとつの 番号が 違っただけで 前後賞なし」

  「何言うの あなた強運 妻が言う こうして元気 これも運良し」

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○2年5ヶ月の幕引き

 2年余りにわたって書き続けてきた、愛媛新聞のシニアサイト「自悠くらぶ」が一月末で閉じることになり、昨日は執筆した人たちが集まって食談会が持たれました。真鍋さんのマルブンというイタリア料理のお店に集まったのは新聞社の皆さん3名と私たち執筆者7名でした。皆さんはそれぞれ達筆な方ばかりで日ごろ愛読していることもあって、私など傍にも寄れない感じがしていましたが、出会ってみると楽しいお話が沢山聞けて、とてもいい出会いとなり、これで終わるのかと思うと何処となく寂しい気持ちになりました。

 私はお酒を断っているので、お茶で濁しましたが、友人の西川さんや清水さん、それにマルブンの社長である料理人の真鍋さんは、イタリア料理に合うワインを楽しそうに呑んでいて、呑むほどにほろ酔い機嫌となって、少しだけお酒を呑める人が羨ましく思いました。

 私もこれまで長い間まちづくりの世界で生きてきたため、新聞社の方々とは顔馴染みが多いのですが、広告局の局長さんとは初対面でした。しかし聞けば若いころ、お父さんが警察官として双海町上灘駐在所に勤務していたこともあって、双海町に住んでいたし、手作りヨットで沖合に浮かぶ青島まで航海した話などを聞くと、世の中は狭いなあとつくづく思いました。

 局長さんは間もなく定年を迎えるとのこと、願わくば双海町辺りでのんびりと余生を暮したい夢を持っていることなどなど、心温まるお話をさせてもらいました。


 昨日は最後の会だからと私はデジカメを持って行きました。さあ撮ろうと思いカメラのスイッチを入れますがカメラは言うことを聞きませんでした。明日から出かける全国大会のために電池を抜いて充電器に差し込んだまま忘れていたのです。清水さんに笑われましたが、新聞社の副部長さんに写真を撮ってもらい、今朝担当の女性からその写真が私信を添えてメールで送られてきました。

 見れば酒も飲まないのにカバンを見せたり、電光掲示板をネクタイにつけたりしてパフォーマンスを繰り広げている私の写真もありました。汗顔の至りです。局長さんには自著本「夕日徒然草」まで売りつけてしまいました。

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 一昨日、大分県佐賀関に住む友人の渡邊又計さんから、【自悠くらぶ】人間牧場に執筆した全121本の掲載原稿を一枚のCDに収録したものが2枚送られてきました。私の記録など意味もないことかも知れませんが、ブログもラジオのテープもこうして保存タイプに加工してくれているのです。

 パソコンに疎い私にとって渡邊又計さんが折に触れて作ってくれる保存版のCDは私にとってお宝として死ぬまで持ち続けたいと思っています。そのCDを皆さんに見せびらかして渡邊又計さんの自慢話をしてしまいました。

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(渡邊又計さんが作ってくれた【自悠くらぶ】人間牧場のCDR)

  「もうこれで 終わりになると 思うゆえ 後ろ髪引く ような寂しさ」

  「相手酒 俺はお茶ゆえ 酔わぬはず だのに時間が 経てばほろ酔い」

  「送られし 写真を見れば 一芸を 披露している やはり悪弊」

  「横女性 どこかウキウキ いい笑顔 歳をとっても 男ですから」 

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○踏んだり蹴ったり

 昨日は急にインターネットの画面接続ができなくなり、「ああまたか」と思いながら、近しい人にその対処法を聞きましたが妙案が浮かばず、結局はいつものことながらパソコン本体を車に積んで、娘の所へ出かけました。パソコンが故障した時の私の強い味方は長男と娘婿なのですが、昨日はあいにく二人とも仕事が忙しく、結局は娘婿に夜か早朝診てもらおうと思ったのです。

 今朝娘から電話があって、パソコンは故障していないようなので、回線か電源に不具合があるのかもしれないと連絡が入り、所用もあったので片道40分の道を取りに行きました。早朝だったため運よく娘婿は未だ出勤前で在宅していて、色々と修正した旨を話して職場へ出かけて行きました。娘の家のインターネット回線に接続し確認しましたが、問題もなく接続できました。

 ギンー味噌に立ち寄り全国大会へ持って行く荷物を受け取り、自宅に帰ってインターネット回線に接続しましたが、やはりエラーが出てつながらないのです。たまたま昨日問い合わせしていた公民館のAさんから、「昼休みなので原因を一緒に探ってあげましょう」とわが家にやってきました。

 それから二人でああでもないこでもないといじくっていましたが、別のマイクロソフト回線で別のメールが入っているのを見て、ひょっとしたらブロバイダーが原因かも知れないと電話をすることになりました。私はNTTコミュニケーションズOCNに加入していますが、そういえば契約料が支払われていないかも?と嫌な胸騒ぎがし始めました。思いは的中し未払いだったのです。

 NTTから毎月電話使用料の自動払い込み領収書が届くのですが、多くの書類に紛れてくるため、中身まではチェックせず、当然OCNの請求書もあるいは処分してしまっている可能性があるのです。無理をいって請求書を送ってもらい、次回からは自動引き落としにするべき資料もお願いして、20分後に無事回線復旧の運びとなりました。

 昨日と今日はパソコンに翻弄されて気分が乗らず一日中モヤモヤとした気分でしたが、少しだけ気分が回復しました。しかし昨日から今日にかけてメールがどっさり届きこれまたその処理と、今朝出遅れて書いてなかったブログの執筆にアタフタしている所です。

 今晩は地元小学校の学校評議員会があるし、明日から3日間佐賀県で開かれる値域づくり団体交流全国大会があり、多くの方々と参加しなければならず、それまでに片づけたい仕事も段取りしていたのに、パソコンのトラブルでとんだ遅れをとってしまいました。踏んだり蹴ったりの一日ですが、夜までにそれらを解決してすっきりと全国大会に参加したいと思っている所です。


  「パソコンの 不具合元で あたふたと 踏んだり蹴ったり 今日は厄日だ」

  「振り込みを 忘れてネット 使えない なんてお粗末 私若松」

  「占いじゃ B型今日は 最低と 言っていたのは やはり本当」

  「私など 大きな顔を しているが 危機の管理も できない男」

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