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○梅にウグイス「ホーホケキョ」

 私たちが子どものころは、花札なるカード遊びがありました。漁村ゆえ冬になると海が時化て漁に出られない日が何日も続くため、大人たちは何人かが集まって花札をしていたようです。子どもゆえその現場に居合わせたことはありませんが、多分時代劇に出てくる博打場さながらだった野ではないかと思われるのです。お金を賭ける博打はいつのまにか集落に「あの人は負けて大損をした」などと密かな噂が立ち始めるのも、冬の風物のようなものでした。さして遊ぶことや遊び場のなかった田舎では、賭ける花札遊びは悪しき遊びながら、ある意味漁村の他愛ない風通しのようなかんじをしたものです。

 私たちは青年団に入ると、女遊びこそなかったものの酒や花札を、いっぱしの大人になったような顔をして経験しました。勿論お金を賭けるのは違法なのでしょうが、5円だとか10円を出してやったような記憶があるのです。

 花札遊びは金さえ賭けなければいい遊びだと思うのです。何よりもいいのは花札に書かれている季節や草花などが色鮮やかに描かれていて、一月は松、二月は梅、三月は桜と季節ごとの風物を確認することができました。その中には鹿や猪、蝶や鶯などの動物も色使い鮮やかに描き込まれていました。

 一昨日近所の理髪店へ散髪に出かけました。馴染みの散髪屋なので散髪しながら居眠りができるのですが、紙を切られながらついウトウトしていると、何処からともなく「ホーホケキョ」と鶯の鳴き声が聞こえてきました。散髪屋のご主人は長年メジロを飼育していますが、メジロと一緒にウグイスを飼っているらしく、毎年このころには早鳴きを楽しむことができるのです。野生のメジロはまだ寒いゆえ初鳴きを聞いてはいませんが、散髪屋のメジロは相当訓練ができていて、しっかりとした口調で何度も何度も「ホーホケキョ」と鳴き、時には「ケキョケキョケキョ」と谷渡りまで披露してくれました。

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 わが家の庭の隅に早い春を見つけました。親父が世話をしている盆栽の梅がこのところの陽気で満開を迎えているのです。そっと顔を近づけて花の香りを鑑賞してみました。ほんのりとした梅の香りはまさに春の香りそのもので、何ともいえない芳しさでした。

 デジカメで写真を撮ってその場を立ち去ろうとすると、ウグイス色のメジロが一羽、梅の花をついばみにやって来ました。まさに花札に出てくる「梅に鶯」の光景で、すっかり見とれてしまい残念ながらシャッターチャンスを逃してしまいました。

 畑の隅には黄色い菜の花が咲き始め、待ち遠しかった春はもうそこまでやって来ています。間もなく鶯の一番鳴きが聞こえたり、春一番が吹くのでしょうが、良きにつけ悪しきにつけ季節を楽しむ余裕を持って暮らしたいものだとしみじみ思いました。


  「散髪を しながらウグイス ホーホケキョ 一足先に 春を楽しむ」

  「花札に 描かれた絵柄 浮かべつつ そんな季節か 感心しきり」

  「盆栽の 梅にメジロが やって来て 花をついばむ 絵になる光景」

  「格子戸を バック盆梅 収めたが 写真の出来は 今ひとつなり」 

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○代行運転10円タクシー

 昨日は夜11時、テレビの前でウトウトしながらテレビを見ていると、息子から電話がかかってきました。「2次会が終わったので伊予市まで迎えに来て欲しい」というのです。息子は昨晩所属する建築関係の会の新年会があったようで、1次会終了後元会長さん宅へ流れて2次会をしたようです。息子嫁が迎えに行く予定でしたが、孫を寝付かせたりしているため、私が代行運転を買って出ました。昨日の夜は少し強い雨が降っていたので、外に出しているトラックを運転して出かけました。

 私は若いころ大酒を飲んでいました。その報いで今は体調を壊して酒を断っていますが、飲んでいた10年前までは毎晩のように妻が自宅から25キロも離れた松山の繁華街まで迎えに来ていたのです。仲間たちはいつしか妻のことを「代行運転10円タクシー」と呼んでいました。

 そのころは今のようにまだ携帯電話がなかった時代だったので、酒を飲むと公衆電話を探して10円を入れわが家へ「迎えを頼む」と電話していました。忙しい合間を縫って妻は嫌がることもなく往復2時間をかけて私を送り迎えしてくれたのです。お酒が全てではありませんが、お酒を介した交流の輪がどんどん広がり今の自分の人脈を作ったのですから、妻には感謝しなければなりません。

 昨晩の待ち合わせ場所は伊予市役所に程近いスーパーフジの駐車場でした。到着して電話をかけようとすると充電し忘れていた携帯の警告文字が表示されました。「やばい」と思いましたがどうにか電話が通じて、暫くすると息子が車に戻ってきました。

 息子は日常的にお酒を飲むタイプではないので安心していますが、酒を飲まなくなった私には息子の酒の匂いが、狭いトラックの運転席ゆえほんのりと懐かしく伝わってきました。帰る道すがら色々な話をしました。今日の会合のこと、日常の仕事のこと、人間牧場のこと、将来のことなど、日ごろは疎遠な息子との会話は思わぬ収穫でした。かつて妻が迎えに来たころも、やはり同じように帰りの車の中で日ごろのうっぷんや将来のことを酒に酔った勢いで随分話したものでした。

 代行運転10円タクシーがなくなって久しくなりましたが、久しぶりに代行運転して昔が懐かしく思い出されました。


  「その昔 酒を飲んでは 妻迎え 十円タクシー 懐かし日々が」

  「ほんのりと 酒の匂いが する息子 助手席乗せて わが家へ向かう」

  「春雨を ヘッドライトが 割るように 照らす夜道に 犬二匹」 

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○ちびっ子ギャングがやって来た

 年末年始に長男息子の家族が、年始に娘の家族がそれぞれ泊まりにやって来て随分賑やかでしたが、そのほとぼりも冷めた昨晩から祭日を利用して、長男息子家族が泊まりにやって来てました。多分今日一日を置いた明日夜からの週末は娘家族が泊まりにやってくる予定なので、チビッコギャングの襲来を覚悟を決めて迎えました。長男息子には二人の子どもがいます。2歳半、それに8ヶ月のいずれも男の子ですが、まあやんちゃ盛りです。長男息子が一心という名前なので、希心と奏心名づけられた孫たちは、今のところすくすくと順調に育っているようです。

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(長男希心君)

 長男希心は随分言葉も覚えて、片言ながら会話が弾むようになりました。オムツも殆ど取れてたまにお漏らしするようですが、オムツが取れたら私の相棒にして色々な所へ連れて行ったり遊んだりしてやろうと思っています。やはり男の子なのでしょうか、アンパンマン、アカレンジャー、恐竜などが大好きで、わが家に来ると娘の長男の成長時代に買ったおもちゃが沢山置いているため、遊び道具に事欠くこともなく遊んでいます。今回は娘家族と時差帰省のため、おもちゃの取り合いによる喧嘩は免れ、ひとり優越感に浸って遊んでいるようでした。

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(次男奏心君)

 一方次男奏心はハイハイが上手になって、所かまわず這いずり回っています。戸を開けることも覚えたため気が抜けなくなってきました。「ヨーイ」と手を上げると同じしぐさをし、「パチパチ」といえば拍手をするなど、これまでにないような芸も披露してくれ、一番可愛いしぐさをしてくれるのです。今はまだ人見知りすることもなく、母乳と離乳食が行き届いて、赤ちゃんと呼ぶにふさわしく丸々と太っているのです。

 抱いてくれとせがむので抱き上げると、赤ちゃん特有のお乳の匂いがプーンと匂いとてもいい気分になるのです。

 昨日は希心が「おじいちゃんとおばあちゃんと風呂に入る」と言うものですから、二人を私たち夫婦が風呂に入れました。少しぬる目のお風呂にいっぱいお湯を張り、妻が二人を順番に洗い湯船に浸からせました。二人とも洗う時は少し泣きべそでしたが、お風呂が大好きなため嬉しそうに湯船の中でバチャバチャさせながら遊んでいました。希心は10まで数も数えれるので10を3回繰り返して30数えさせ、額から汗が噴出したのを見計らって出しました。年齢的には60歳以上もかけ離れた孫たちの成長著しい肌を見ていると、私たち夫婦の肌の何とみすぼらしいことか、二人で笑いながら幸せの余韻に浸りました。


  「孫二人 元気に育つ われ二人 少ししょぼくれ 思わず笑う」

  「泣く笑う まるで蜂の巣 突くよう 久々活気 わが家楽しく」

  「寝る前に 孫を膝乗せ せがまれて 本読み聞かす 夜は更け行く」

  「這えば立て そんな心境 察してか 孫は早くも つかまり立ちぬ」


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○「野良がたまに仕事をすると雨になる」って本当でした

 私の家では、「伊予路に春を呼ぶ椿さんが終わったらジャガイモを植える」という話を亡くなった祖母や母から聞いていたので、もうそろそろ畑を耕して準備をしなければと思っていました。私以上にサンデー毎日の親父は、ジャガイモの作付けが気になって、「もうそろそろ」と毎日のようにせかせるのです。何度も同じことを言われるとへそを曲げるどら息子の私は、佐賀県の全国大会で少し疲れていたため無視していましたが、大人気ないと心を改め昨日近くのホームセンターへジャガイモの種芋を買いに出かけました。親父はメークイン、妻は男爵とそれぞれ言い分が違うので、メークイン5キロ、男爵5キロ、私は数年前に作って美味しかったコガネマサリという品種を3キロ買い求め三千円を支払って帰りました。

 早速耕運機を倉庫から取り出し畑の中興をしました。年末に一度中興をしていたので土は柔らかく、3箇所ともあっという間に終わりました。

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 さあ植え付けです。糸を張り親父が掘った溝の中へ定規を使って植えてゆくのです。何事にも几帳面な親父は、溝の歪みや植え付けが悪いとすぐに注意されるので真剣にやりました。メークインの植え付けが終わったころ昼になりました。雨がポロポロし始めたので、親父は昼食抜きでやろうと言いましたが、妻が昼食に帰ったこともあって、昼食休みにしたのです。

 やがて昼休みを終えて外に出ると、何やら怪しげな雲が湧き立ち雨が本降りになってきました。親父は「野良がたまに仕事をすると雨になると言うが本当に雨になってしもうた」と、皮肉を言いながら片づけして昨日の作業を終えました。せっかくやる気になっていた私は気分をそがれたような気持ちになり、仕方なくあくる日に作業を持ち越したのです。

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 今日も朝から雨です。この分だと耕した畑は人間が入るとぬかるんで作業どころか土を固めてしまうので、残念ながら今日も作業はお休みなのです。

 昨日のニュースで作家の立松和平さんが亡くなったと報じていました。まだ62歳だそうです。田舎くささを感じる立松和平さんに出会ったことはありませんが、どこか共感共鳴するところがあって、大好きな作家の一人でした。惜しい人が私の前からまた一人消えることは寂しいことです。早速立松和平さんの本を取り出して読み始めましたが、今日は雨模様なので読書の時間をとりたいと思っています。

 立松和平さんのように、人に影響を与える物書きなど私には到底できませんが、それでもデジタルながら文字を書けるという人間に与えられた道具と知恵を使って、これからも文字を書こうと思いました。何故なら死んでも文字は残るからです。「死んだ後のことまで」とか、「書いたものを残して果たして何になる」と言われそうですが、まあ目くじら立てることもありますまい。

 ここまで書いたところで、何と不思議なことにこの一ヶ月、文字の変換が中々できなかったパソコンの具合がすっかり直り、スムースになったのです。行間キーがまだ多少不具合ですがそのうち直るものと思うので、これからも思い切って書きたいと思います。


  「大好きな 作家早死に 文字残す このまま俺も 早死にするのか?」

  「野良たまに 仕事をすると 雨が降る 昔の人は いいこと言うね」

  「ジャガイモを 親父と植える 春二月 今年も二人 何とか元気」

  「妻親父 それに私の それぞれが 選んだ品種 どれが一番」

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○水ぬるむ春

 昨日の夕方、陽気につられて久しぶりに家の近所を散歩しました。自然の力とは偉いもので、それまで朝の気温が5度を下回っていたのに、たった1日で10度以上、しかも昨日の日中は15度を越えて少し急ぎ足で歩けば汗ばむほどに上昇しているのです。

 年齢を重ねたからそう思うのか、今年の冬の寒さは南国といいながら骨身に堪え、これまで殆ど履かなかったズボン下はすっかり手放せなくなったし、日ごろ家にいる時でも、ズボンの上にウインドブレーカーのズボンまで履く始末です。

 見渡す遠望も春近しを感じさせるような雰囲気になってきました。昨日は変わり易い天気だったため雨が降ったり、太陽が顔を覗かせたりする変化の多い一日でしたが、日脚の長くなった夕日に町のシンボルである本尊山が映えて、まるで赤富士のように見えました。

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(夕日に映える町のシンボル本尊山)

 山道を出て川沿いの道を歩くと、川のせせらぎが聞こえてきました。瀬戸内に面したわが町では、冬は降水量が極端に少なく、川は水無し川のようなのが普通ですが、このところの雨で幾分増水して、瀬音かせせらぎの音か、どっちの表現をしたらいいのか迷うほどでした。

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(水の流れにも春を感じます)

 ふと、子どものころに習った「どこかで春が」という歌が思い出され、思わず口ずさみました。「♭どこかで春が生まれてる どこかで木の芽の音がする 春三月~♭」と続くので、もう少し先の季節を歌った歌でしょうが、確実に春は近づいていると実感しました。

 水面を悠然と鴨が4~5羽泳いでいました。合鴨農法で使われた後川に捨てられたものだそうですが、合鴨は川の掃除屋なので色々なものを食べて過ごしているようです。夜は野犬に襲われる心配があるので、水面で休むのだそうです。

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(水面に茂るクレソン)

 水面に緑の水草を見つけました。和名はていれぎ、洋名クレソンだと思うのですが、最近はかわのあちこちに沢山生えているようです。何年か前までは水のきれいな場所に生えているクレソンを摘んできて刺身のつまや肉料理の添え物にしていましたが、今はそんな暇や野趣もなくただ見るだけでしたが、川へ降りる石段を降りて4~5本摘んで持ち帰り夕餉の膳に乗せました。昨晩の夕食には太刀魚の刺身があって、クレソンのピリッとした触感が春を感じさせてくれました。

 待ち遠しかった春が近づいてきました。多分三寒四温の繰り返しで、また寒さがぶり返すものと思われますが、風邪を引かないように気をつけて、元気に春と出会いたいものです。


  「春近し そんな気がする 散歩道 山色夕日 照り映え赤く」

  「川水に 手を差し伸べて 一・二本 クレソン摘みて 刺身に添える」

  「歳重ね ゆえに寒さが 身にしみる 重ね着重く 歳を感じつ」

  「今日温く 明日は寒い 日替わりの 三寒四温 体に堪え」 

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○論語日めくりこよみ

 旅に出ると旅先の土産を買って帰るのは、日本人のいつものパターンです。わが妻などは滅多に旅をしないため、いつもいただく知人や友人へのお返しとして、沢山の土産を買い求めるのですが、私のように年中旅をしていると、親父が「息子は母屋下など買って帰らない」と不平を漏らすほど土産を買って帰らないのです。

 しかし今回は、前日の夜の県民ショーという番組で「小城羊羹」が紹介されたため、偶然にもすぐ隣の多久市へ行っている私に妻から携帯電話が入り、「小城羊羹を買って帰るように」とリクエストがあったので、とりあえず小城羊羹を3本、幡船の里という特産品センターで買って帰りました。

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 私が買った土産は、百人一首式論語カルタ(2,500円)と論語日めくりこよみ(700円)でした。孔子の里へ行ったのですから、これくらいのことはしなければならないと思い、加えて小学校一年生の孫朋樹に論語を教えてやろうと思ったのです。

 第6分科会を選んだのは孔子や論語への興味も大きな要因でした。「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、私はそれ以前の論語も読めず勿論論語の意味も知らないのです。ゆえに論語の本を買って勉強しようとしたことがありますが、それほど深まってはいないのです。でも「多久の雀は論語で鳴き、多久の子どもは論語を語る」のであれば、私も孫朋樹も論語をと思ったのです。

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 論語カルタはおいおい覚えるとして、さしあたり論語日めくりこよみを使って、早速2月9日の今朝から始めました。今朝の言葉は「三人行えば必ずわが師あり」という言葉です。言葉の意味は「三人一緒に行動するとその中に必ず先生としてふさわしい人がいる」というのです。確かに思い当たる節が沢山あって、あれやこれやと今までのことが思い浮かびました。「三人寄れば文殊の知恵」とか、「人みなわが師」という言葉もあって、1+1+1=3ではなく5にも6にもなることを実践を通して感じました。

 日めくりに、「論語は、日常の実質的な教訓の花束です。そこには、人としてのあり方や生き方が記されており、人生の教訓として私たちの生活に生かすべき教えが数多くあります」と記されています。これからの生き方のヒントとして論語を勉強してみようと思い立ちました。


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  「論語など 読めぬ私が 論語とは 今に見ていろ 論語さえずる」

  「土産など 買わぬ私が 土産買う 食えない土産 知恵を授かる」

  「小城羊羹 食べつつ論語 独り言 少し利口に なった気がする」

  「早速に 論語日めくり こよみ掛け 今日から実行 風の便りで」

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○歴史的・文化的資産を活かしたまちづくり③

 昨晩の夜なべ談義の余韻が残る東原しょう舎をバスで出発した私たち一行は、西多久公民館へ向かいました。同じ市内なので15分もすれば会場に到着し、昨日の交流会でお世話になった懐かしい顔々が入り交じる熱烈な歓迎を受けました。

 早速少し遅めの朝食をとることにしましたが、メニューは朝粥でした。大きなどんぶりに朝粥と味噌汁、それに大根のふるさとらしくふろふき大根がそれぞれの食卓に上りました。前日夜の交流会の料理は大根のフルコースでしたので、食物繊維のおかげか腹も絶好調で美味しくいただきました。添え物として出された大きな梅干も野菜の漬物も全て美味しく、手作りの味を堪能させてもらいました。

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 この日はこの地区の特産品である女山大根の品評会があるらしく、会場の一室にはいずれ劣らぬ自慢の大根が持ち込まれていました。私も旅の記念に一枚写してもらいましたが、まあでっかくて5キロ以上はあるのではないかと思うほどの大きさでした。

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 女山大根は紅かぶ系ですがポリフェノールなど、栄養学的には他の大根にない栄養素が沢山あって、この大根の一大産地にしようと幡船の里会長である船津さんはがんばっているようでした。船津さんは西多久の大根おじさんとして活躍しています。「多久は農家がよくならないと活性化しない」と直売所を設けて頑張っています。この日の分科会パート2、「伝統野菜女山大根と地域おこし」でも、特産品開発からグリーンツーリズム、さらには将来の夢について熱っぽく語っていただきました。

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 この日はこのほど50年ぶりに復活した西多久音頭の披露もあって、西多久を考える会の活動が活発なことを印象付ける、中々の賑わいでした。

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 公民館の前には国・市の重要文化財に指定されているくど造り民家「森家・川打家」を見学しました。江戸時代にタイムスリップしたような歴史ある建造物にも眼を奪われました。

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 並んで建つふるさと情報館幡船の里で特産品やお土産を買い求め、研修を締めくくりました。

 少し早めの昼食を「太平庵酒蔵酒造資料館でいただき、現地解散となりました。山奥組の井上・荻野さんたちとはここでお別れして、私たち一行はマイクロバスで佐賀駅まで送ってもらいました。たった一泊二日の研修なのに、この分科会を選んだ縁の不思議や、心のこもった歓待で増幅した縁の深まりを感じながら、わざわざ見送りにきていただいた地元の方々と再開を願いながらお別れしました。


  「孔子様 あなたのお陰 このように 論語地で行く 出会いいただく」

  「大根の 芸名名乗る この身ゆえ 尋ねし多久は 思い出多く」

  「朝粥を すすりて遠い ふるさとの 妻顔浮かぶ 旅の宿にて」

  「大根は 脇役ながら 存在を 示して今日も 食事の度に」

 

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○歴史的・文化的資産を活かしたまちづくり②

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(夢想庵)

 300年もの間、地元の人に守られてきた多久聖廟と時代を超えて人々の心を育んできた孔子の教えが息づく街多久市を訪ねました。「子曰く、道に志し、徳に拠り、人に拠り、芸に遊ぶ」。平たく言えば「人として正しい道を踏み行うよう心がけ、人格を磨け。徳の実践はすべて仁をよりどころとして、その上で豊かな教養を身につけ悠々と生きる、これが人生の王道である」と、いただいた市勢要覧の座談会のページをめくれば、含蓄ある言葉が並ぶ中に、横尾俊彦市長さんの顔写真とプロフィールを見つけました。松下政経塾第一期生だそうで、開会式や夜の交流会にご挨拶をいただきましたが、ウイットに富んだ素晴らしいお話でした。わが年輪塾の塾生である兼頭一司さんもご存知の方だけに、いろいろな話に花が咲きました。
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(あいさつする横尾市長さん)

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(第6分科会の会場は東原しょう舎でした)
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(趙勇(ちょうゆう)さんの見事な楊琴の演奏)
 多久聖廟は国史跡および重要文化財になっています。パンフレットの説明を引用して紹介しておきます。

 「敬は一心の主宰、万事の根本にして、万世聖楽の基本たり」。多久四代領主茂文は、教育を振興し、敬の心を育むため、1708年多久聖廟を建てました。その思いが、「文廟記」に記されています。また茂久の多久を四霊(麒麟・鳳凰・龍・亀)の住む理想郷にしたいという思いが、聖廟の彫刻や絵などに表れています。聖廟内には孔子や顔子・曽子・子思子・孟子の像が安置されており、年2回(4月18日・10月第4日曜日)、孔子様の四配を祀る伝統行事「釈菜」が行われています。
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(多久聖廟)

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(多久聖廟内)
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(八角型の孔子像安置所)

 東原しょう舎は、多久茂文が、多久を治めるためには教育が必要であるとして、諸藩に先駆け開いた学問所(1699年)。漢学や和学、武道を学ぶ場で、学ぶ意欲があれば武士に限らず学ぶことができました。幕末から明治にかけて日本や郷土のために尽くした人物を数多く輩出しました。現在の東原しょう舎では、各種研修施設として日帰り、または宿泊利用ができるようになっています。

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(東原しょう舎の庭にて早朝の記念写真撮影)

 東原しょう舎での交流会や夜なべ談義は12時近くまで続きました。和室で枕を並べて合宿したことや、いびきの大合唱で寝不足になったことも、過ぎてしまえばいい思い出となりました。論語の教えを学び実践するため、スリッパを並べることも極力実践しました。

 東原しょう舎に来る子どもたちから、「ヨン様」と呼ばれニッコリ微笑む林口常務さん。「多久の子どもが元気になれば多久は元気が出るのだ」という熱い思いでアイディアを生かし、次々とユニークな事業を展開しています。お話しするときはユーモアたっぷりで、前夜祭で初めてお目にかかり名刺を交換しましたが、素晴らしい方でした。

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(熱弁をふるう林口常務さん) 

  「異郷にて 知り人出会い びっくりす 世の中狭い 互い感激」

  「この市長 ただものじゃない 直感す 器大きく 学ぶことあり」

  「三百年 時空を超えて 受け継ぎし 不易なものの 偉大さ知りぬ」

  「孔子様 お初にお目に かかります 今後精進 お守りください」

 

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○歴史的・文化的資産を活かしたまちづくり①

 佐賀県多久市というところは、まるで中国や韓国へでも行っているような錯覚をするほど異国情緒漂う、山間の素敵な街でした。佐賀市から車で約30分ほどで孔子の里というキャッチフレーズに興味を持って選んだ人口2万2千人余りのの多久市へ到着しました。バスを降りるなり、歓迎セレモニーでは地元中部小学校児童が孔子の里腰鼓隊として見事な演技を披露してくれました。この小学校では6年制に進級すると5年生を指導して演技を受け継いでいるのだそうです。

 
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 やがて、降り立った公園の入り口建つ多久茂文公の銅像の前で、5~6人一組の子どもたちが論語などを交えてガイドするのです。これが孔子の里の名物ジュニアガイドです。平成17人に発足したというジュニアガイドは現在55名が登録しているそうですが、子どもの言葉で多久聖廟を説明する全国的にも例のない観光ガイドはとても新鮮に感じました。

 佐賀県で開かれた全国高校総体では、高松宮殿下を案内して大好評だったそうですが、現在も第2土曜日と第4土曜日の午前中は、聖廟に子どもの声が響き渡っているそうです。また市内全小中学校参加の「百人一首式論語カルタ大会」の取り組みによって、「多久の雀は論語をさえずる」と昔は言われていたそうですが、今は「多久の子どもは論語をさえずる」とまで言われているようです。

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 この日も、開会式が終わった後、広間に赤い毛氈が敷かれてカルタが並べられ、3組に分かれてカルタ取り大会が行われました。全国から集まった20名ほどの分科会参加者は少し年齢が高いので論語のいくつかは知っていて、私も参加しましたが短い時間ながら17枚を獲得し、グループチャンピオンになり、ジャンケンでは負けたものの賞品までいただきました。

 同行した浜田さんの計らいで論語カルタを買い求めましたし、論語日めくりカレンダーも手に入れましたので、小学校一年の孫朋樹に教えてやろうと思っています。


  「青空に ジュニアガイドの 声響く 孔子の里は 雀の声まで」

  「腰鼓隊 まるで異国へ 来たみたい 子ども主役は 学ぶことあり」

  「九州も 北と南じゃ 大違い ましてや日本 北と南じゃ」

  「雀チュン 聞こえるようじゃ まだ修行 足らぬと深く 反省しきり」

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○佐賀大会全大会

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(佐賀市文化会館)

 佐賀駅から歩いて10分という触れ込みでしたが、全体会場となった佐賀県文化会館は重い荷物を持っていたためかかなり長い道のりに感じられました。多分私以上にこの二日間ギノー味噌のドレッシングを持運んでくれた武田さんや松本さんには手に堪えたのではないかと思いました。これも年末人間牧場で行ったかまど開き行事に味噌やドレッシングを提供してくれた社長への恩返しなのです。

 会場には一足早く私たちと別行動をしていた荻野・井上さんや浜田さん、しまなみ海道野間・西部さんや砥部町佐野さんたちも顔をそろえていて、わが町双海町からは西岡さんと岡田さんの二人が見えてて愛媛県39人は地元を除けばダントツ一位の人数でした。

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 全体会は2会場に別れ、私たちは「協働おもしろ大百科」という佐賀にわか(寸劇風)を見ました。行政とCSOとの協働、~もやいでつなぐ協働のまち~は多少分かり難い面もありましたが、佐賀弁まるだしの熱演は中々の労作でした。昼食交流は殆ど交流がなく悔いは残りましたが、まあそれぞれ旧交を温めながらお弁当をいただきました。

 今回の大会のテーマは「もやい」です。ステージには書家富永正樹さんの力作大書が2枚一対で印象的に掲げられていました。ひらがなは分かるのですが、右の字は説明もないためみんな何を書いているのか、想像では漢字の絆と分かるのですが結局分からず終いでした。

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 オープニングアトラクションは、東神野天衝舞浮立保存会の皆さんによる「玄蕃一流天衝舞浮立」の華麗で勇壮な舞でした。市の重要無形民俗文化財に指定されている舞踊りでした。

 会長の岡崎正之先生の挨拶や、前の晩二次会で議論した古川県知事さん、総務省の椎川さん、活性化センターの石田さんなどが挨拶をされました。石田さんは昨年双海町の分科会に来り人間牧場に立ち寄ったり、またセンターの松本さんがじゅくへさんかしていることもあって、壇上から「若松さん昨年はお世話になりました」と挨拶で話されびっくりしてしまいました。民主政権になったため地元出身の原口総務大臣のビデオメッセージまで紹介されて、トークセッションの時間が知りきれトンボになったことは少し悔いが残るところでした。

  「大臣の ビデオ紹介 時間食う 時間残らず 悔いが残って」

  「もやい書く 大書の漢字 何と読む 凡人私 聞かれ分からぬ」

  「いい舞を 見せてもらって 感動す 日本まだまだ 地方は元気」

  「若松さん いきなり挨拶 壇上で 理事長さんも 粋な計らい」


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