人間牧場

〇内孫の小さな手土産
 昨年入所先の特養施設で亡くなった隣のおじさんとは、何かにつけて気が合い、存命中は私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループが計画実行した丸木舟の建造時にも手伝ってくれるなど、お世話になりながら言葉を交わすこともなく亡くなりました。

 そのおじさんが存命中私の親父が、「息子の進一はあちらこちらに出かけていると聞くが、まだ一度もお土産を買ってきたためしがない」とこぼしていた逸話を話してくれました。「そういえば」と深く反省していたものの、ついにお土産を買って親父に渡すこともなく親父は冥土へ旅立ちました。今頃は隣のおじさんたちとあの世でそのことを話しているかも知れません。

孫が買って来てくれたお土産のぼっちゃん団子

ところでわが妻は近場であろうとあちこちへ出かける度に、土産を買って同居している息子家族へ渡しているようです。そんなこともあってか、今度中1と今度高1になる内孫たちは、何処へ行っても妻と同じように土産を買って帰るのです。今は春休みで宿題も殆どなく孫たちは友人たちと相談して、列車と電車を乗り継いで、松前の商業施設エミフルや松山のキスケなどに出かけているようです。

 昨晩中2になる内孫奏心が柗山銘菓うつぼ家の「ぼっちゃん団子」をお土産だと、私たち夫婦のために買って帰ってくれました。友だちと遊びに行っただけなのに、私たちのことをちゃんと覚えてくれていることに、何気ないことですが嬉しくなりました。同居の孫たちとはいつもいろいろなことを話し、時には頼まれて日曜大工などをして楽しくやっています。今のところ優しい心に育っているようです。

「春休み 友と一緒に 遊び行く 孫は帰りに 手土産買って」
「わが親父 隣のおじさん 漏らしてた 息子は何故か 土産を買わぬ」
「先に逝く 親父とあの世 おじさんと 出会って色々 話しているかも」
「勉強は 程ほどだけど 内孫は 心優しく 今のところは」

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人間牧場

〇見る人もなし寂しい桜
 私のウォーキングコースの途中にある、元上灘保育所の園庭に今年も桜の花が咲いているのをフェンス越しに見ました。かつて私の4人の子どもが通っていた保育所だけに懐かしさ一入です。立派な建物なのにアスベスト騒動で、市役所地域事務所横の保健センターへ一年前移転したため、今は空き家状態です。

 ただでさえ人口減少で寂しいのに、下灘中学校跡地といいこの保育所跡地といい、議会の度に跡地空き施設の利用については、「早急に善処します」と答弁しているようですが、「早急とはいつまで」なのか、「善処」とは何を言うのか分らぬまま、恐らく今年もそのまま放置されるに違いないようです。

 この保育所の入口に2本の立派な桜の木がありましたが、管理上の理由なのか突然伐採されてしまいました。桜の苗木をあちこちに植えてきた私としては、桜の木くらいは残しておいて欲しい気持ちですが、今年もけなげに咲いてくれたものの、誰も見向きもせずただ咲いて人知れず散って行く運命にある桜の花を、少しの間鍵がかかり閉まった門扉越しに愛でてやりました。

 かつては元気な子どもたちの賑やかな歓声が聞こえていた園内も、素足で歩かせたいと植えた芝生のあちこちに、背の高い雑草が沢山伸びていました。少し寂しく少し悲しい今年の桜でした。

「閉園に なってしまった 保育所に 今年も桜 奇麗に咲いて」
「一昨年 までは子どもの 歓声が 今はひっそり 人気配なく」
「門扉横 あった大きな 桜の木 管理理由か 伐採されて」
「この施設 どうなるのだろう? 早急善処 言ってはいるが
                      いつのことやら」

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人間牧場

〇瀬戸町今昔
 私が妻の同級生である瀬戸町の奥山さん宅を始めて訪問した時は、まだ平成の大合併をする前の旧瀬戸町時代だったと記憶しています。以来あっという間に20年以上の歳月が矢のように過ぎました。当時奥山さん宅の庭先に植えていた桜の木も、今では見上げるほど大きくなって、今年も見事な花を咲かせていました。

 いつものことながら、案内されて居間に上がらせてもらい、出されたお茶を飲みながらお話をしていると、昔瀬戸町長だった井上善一さんの話になり、早速電話を掛けると運よく在宅で、電話ながら懐かしい声を聞くことができました。聞けば瀬戸大江で農業を営んでいるらしく元気なご様子でした。

 その折20年前に作られたという電話帳を見ましたが、表紙には当時の瀬戸町三机付近の航空写真が写っていました。ダメ元で手持ちのタブレットで写真に、川之浜海水浴場のシャンとともに複写しましたが、今は私たちの町と同じように人口も減り、高齢化や少子化で、中学校も近々統合されるようです。

 井上さんが課長時代作った農業公園を備えた道の駅には、町見郷土館に保存している民俗資料などを展示する資料館の建設が進んでいて、大きな転換期を迎えているようです。太平洋戦争末期真珠湾攻撃の訓練基地となった歴史ある風光明媚な地域ですが、私にとってこれからも時々訪ねたい場所の一つです。

「瀬戸町と 呼ばれていたころ 伺って その後の遍歴 つぶさ覚えて」
「20年 時の流れは 矢のように 相手も私も 歳を重ねて」
「人が減り 高齢・少子化 進み行く これからどうなる 農山漁村」
「この町に 生まれてやがて 死んで行く これ以上ない あり意味幸せ」

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人間牧場

〇落ち葉掃除
 人間牧場へ来客がある時は、前日若しくはその日に早く出かけて、人間牧場の進入路の掃除をします。最近は進入路の畦畔をイノシシが餌となるミミズを探すため、足と鼻で壊して土を落とすため、時にはスコップで土を跳ね上げ、竹ぼうきで掃いたりして、まるで門前の小僧のように掃除をしています。

 昨日は蜜蜂の巣箱に蜜蝋を塗る作業をしに人間牧場へ息子と2人で出かけました。その折息子はいつも使っている電動ブロアーを持参していて、蜜蝋塗りが一段落ついたころ、そのブロアーで落ち葉を風圧で吹き飛ばし始めました。凄い風圧で落ち葉は吹き飛ばされ、すっかり奇麗になりました。

いやいや文明の利器の力や仕事量は大したもので、これからはこのブロアーを借りて掃除をしたいと思っています。最近息子はあれこれの道具をパソコンで見つけ、注文して買っているようで、その都度「お父さん、○○買おうか」と相談を持ち掛けられます。息子の魂胆は自分の小遣いが少ないため、私の財布を当てにしているようで、少額の買い物は即決で出してやります。

 アマゾンでの買い物は便利で、注文すれば殆どの商品が何でも2~3日で自宅へ届くのです。いやはや便利ですが、お陰で色々な道具が揃うものの、倉庫の中がいっぱいになっているようです。それにしても不便な田舎に住んでいても、便利この上ない世の中になったものです。

「最近は インターネットで お買い物 息子はあれこれ 買ってるようだ」
「その都度に 相談されて 金を出す 息子の魂胆 分かっていても」
「田舎ゆえ 不便と思って いるけれど 中々どうして 便利な世の中」
「ブロアーで 落ち葉大群 吹き飛ばし あっという間に 奇麗になって」

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人間牧場

〇助っ人の息子から私に「食品ロス」についてたしなめられました
 雑草の片付けに手間暇がかかることを、facebookに書いたところ、息子が読んだのかどうか不明ですが、今日は昼前家庭菜園で草削りをしていると、息子が「手伝おうか」と声をかけてくれ、「それじゃあ頼む」と言って、手助けをしてくれました。

 基本的に大根や白菜、カリフラワー、キャベツなどの食べれなくなった野菜は畑の隅の置き場へ、ハコベ草などの雑草は別の畦畔まで、一輪車に積んで運ばなければならず、結構体力がいるのですが、身長が180㎝近くあり体力のある息子は引き抜いた野菜や削った雑草を一輪車いっぱいに積んで、いとも軽々と運んでくれました。

 そのさい、「SDGsのことをよく知ってるのに、野菜をこんなに廃棄して食品ロスをするとは何事か」と文句を言われました。そう言われても「トウの立った大根はスが入って食べれない」と反論しましたが、言い訳無用とばかりにたしなめられました。息子の言う通りで親たる私の「一本負け」でした。

 今年からはそのことを肝に銘じて野菜を作ろうと思っています。今年も余った大根で大量の切干大根を作り、多くの人に差し上げて喜んでいただきました。

 

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人間牧場

〇物忘れが多くなりつつあるこの頃
 最近は年齢の割にはやることが多く、加齢のせいでその対応が出来にくくなったためか、物忘れが多くなったことを実感するこの頃です。特に使っている資料や道具類をどこへ置いたか探す時間が多くなりました。

 昔は会議の通知文が封書やはがきで届いていましたが、今は殆どがメール便で、毎日のように届く沢山のメールをこまめにチェックして見ていても、時には自動的に迷惑メールに分類されて、目に触れない場所へ勝手に移動していることもあり、気がつけば時が過ぎていることも度々あるようです。

 特に最近はウイルス汚染を心配してPOSTMASTERなるものでメールが送られてきて、ダウンロードするにはファイルパスワードを入力しないと開かない場合もあるのです。ややこしいし対応がおぼつかない私は時々 同居している息子に応援を頼んだりした対応しています。

 物忘れや対応が出来にくいことを、歳のせいにはしたくないと頑張ってみても、技術革新の激しい現代を乗り切ることは容易なことではありません。いつの世も時代遅れな高齢者には住みにくい、そして暮らしにくい世の中となりました。少しずつため息の出る時間が長くなり始めました。

「物忘れ 多くなりつつ あれこれと 探す時間が 長くなりつつ」
「私だけ? 同年代の 人に聞く わしも私も 同じで安心」
「親時代 なかったパソコン 今はある 故にあれこれ 苦労の種が」
「少しずつ あの世が近く なりにけり せめてこれから ボケずに生きたい」

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人間牧場

〇「恩」を忘れることなかれ
 一昨日、人間牧場へ出かけた折、水平線の家の板壁一面を書棚にしている並べた本の中に、「恩」という透かし彫りの置物を見つけました。先日「知行合一」と書いた透かし彫りについてfacebook に記事を書いたところ、今は故人となってしまっている親交のあった、国立大洲青少年交流の家の元所長松岡孝次さんの奥さん洋子さんから、ご丁寧なお葉書をいただいたばかりでした。

 失礼ながら勝手にスキャンしこの記事に添えさせてもらいました。この「恩」という透かし彫りの置物も、松岡所長さんに私が頼んで彫って貰ったもので、「知行合一」とともに私にとっては心の戒めのために大事にしている言葉なのです。かつて交遊と親交のあった永六輔さんから、「生きるということは受けた恩を返すこと」と教えられました。

 先日人間牧場の枝垂れ桜の花見に来た人が、投げ銭を入れるために置いている小さな味噌樽の上にこの恩という透かし彫りを置いたところ、まるであつらえたようにぴったり収まるので、これからはこの御芳志樽にの上に置いて、松岡さんのことを話ながら使わせてもらおうと思いました。

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人間牧場

〇わが町ぶらぶら歩き
 普通私の1万歩を目指しているウォーキングは、朝6時スタートです。それでも健康に良いだろうと思い、近くの郵便局へハガキを出しに行ったりする時は極力歩いて歩数を稼いでいます。昨日は夕方家の前に聳える町のシンボル本尊山が夕日に染まったので、夕日を見に行こうと上灘川の道を歩き始めました。

 上灘川に一本の狭い人道橋が架かっていて、そこを渡って下ると、この2~3日の雨で水かさを増した川に鴨が数匹長閑にたむろして泳いでいました。驚かせないようそっと歩き長い鉄橋の下をくぐり、国道を渡ろうとしましたが、最近海岸国道の交通量も増えて、近くに信号があるため長い車列に阻まれ、中々渡ることができませんでした。

 やっと港の中突堤へ出ましたが、この場所は上灘川の河口ゆえ、潮か満ちたり引いたりする場所なので、カモメが沢山暮らしていて、突堤の上は白いカモメの糞が沢山落ちていました。夕暮れ時の港も赤色の灯台の灯が灯り、漁村センターや漁船を夕日が照らし穏やかでした。歩いて散策するのもいいものです。

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人間牧場

〇私はもてる男でしょうか?
 まるで笑い話のようです。最近私の元へ女性が相次いでやって来ています。普通こんな場合は同性の妻はヤキモチを焼くものですが、「自分の夫は絶対女性にもてない」と信じているので、残念ながらヤキモチも焼かず、妻が仕事に行って留守でも、平気で女性が私に逢いにやって来るのです。

ゲストハウス「煙会所」にて座談

 昨日午前中西条市の處淳子さんという建築設計の仕事をしている素敵な女性がやって来ました。高校生のまちづくり支援に熱心な方で、前回はお母さんを伴なっての訪問でしたが、今回が3回目です。まるで春を運んできたような楽しい人で、すっかり意気投合し、あれこれ話して帰られました。

處さんが紹介した水色のガードパイプレール

 今朝彼女のfacebookに、私の家を出た後、閏住の菜の花畑の傍にある、私の妹の店「くじら」にも立ち寄ったようで、私がよくまちづくりの景観で話す、海岸国道378号の水色ガードパイプの写真を撮って紹介していました。私も県の景観アドバイザーをしているので、流石設計に携わっているだけあって目の付け所が違うと感心しました。

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人間牧場

〇2023トルコ・シリア地震救援金
 先日新型コロナの影響を理由に、3年ぶりに開いた私が代表をしている21世紀えひめニューフロンティアグループの総会で、甚大な被害の出たトルコ・シリア地震被害に対し、救援金を送ることを決めましたが、グループの会計をしている佐賀山さんから、日本赤十字社へ振替払込をしたと、受領証写しが届きました。

 私たちの団体は経済的には小さなボランティア団体なので、3万円といえど大きな金額ですが、これまで多くの人から支援金や物資をいただいて活動をしてきただけに、そのご恩に報いるべきだとの提案に会員一救援金を贈ることを決めることを決めたのです。日本赤十字社を経て現地で苦しんでいる人たちに届けられることと思いますが、一日も早い復興を祈っています。

 天災は忘れたころにやって来ます。また時代の流れの早い現代では天災にあった記憶さえ直ぐに思い出の彼方に去って行きがちですが、阪神・淡路大震災や東日本大震災、宇和島水産高校えひめ丸事故、熊本地震災害、西日本豪雨災害などなど、指折り数えて思い出せる災害や事故の記憶を、しっかり肝に銘じ生きて行きたいものです。

「吹いて飛ぶ 小さなボランティア グループだが 恩を忘れず
                         ささやかご寄付」
「思い出す 災害や事故 あれこれと 風化しそうに なりにけりかり」
「会計に 携わる人 救援金 早速届け 丁寧報告」

 

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