shin-1さんの日記

○孫のお守をしながら野菜の植え付け作業

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども・・・」季節は確実に動いていて、一昨日の雨で気温も少し下がりホッと一息といったところです。季節が変わり始めるといよいよ冬野菜の種蒔きや苗の植え付けをしなければなりません。そのためには夏草の生えている畑の草をあらかた引き、そこへ石灰をまいて土壌を中和させ、石灰をまいて4~5日休ませてから耕運機をかけるのです。

 夏の暑い日差しを受けてカラカラに乾いた土には耕運機も刃が立たず、手がしびれるほどの重労働で汗を一杯かくはずでしたが、幸運にもその日の午前中お湿り程度の少しの雨が降って、予想以上にスムースに中耕することができました。

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(キャベツの苗)



 耕運機での耕しが一段落した夕方、知人の伊予市に住む水口まり子さんが、沢山の苗物を車に積んで持ってきてくれました。これを男時というのでしょうか、まるで見透かしているようなタイミングの良さでした。「さあ植えつけよう」と作業に着替えていた時、妻の携帯電話が鳴りました。娘から孫の尚樹少々熱が出て、幼稚園へ連れに行き、病院で見てもらったのだそうです。多少熱がある程度で食欲もあり心配することはないのですが、娘の仕事の関係でどうしても明くる日の昼まで預かって欲しいと言うのです。

 野菜の植え付けを明くる日に延ばし、早速迎えに行きました。孫尚樹は比較的元気で、帰り道マクドナルドのドライブするーでハッピーセットを注文して、太鼓囃子のおもちゃをプレゼントしてもらい、ご満悦でした。

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(ブロッコリーと白菜の苗)

 昨晩はおじいちゃんとおばあちゃんを独り占めして、3人で川の字になって寝ました。熱も大して上がらず安心しました。今日は早朝5時半から畑に出て、親父と一緒に畝を立て、キャベツやブロッコリー、白菜の苗を涼しいうちに植えつけました。何せ100本近くの苗ですから、牛糞堆肥や籾殻を置いて水をやる頃には8時半を回っていました。急いで耕運機や鍬などを片付け、妻が仕事に出た後シャワーを浴びて軽く朝食を済ませ、孫尚樹のお相手をしました。孫尚樹は3歳の誕生日に買ってもらったカメンライダーの変身ベルトが気に入って、凝り固まっています。昨日ハッピーセットのおまけに貰った太鼓囃子も気に入って、音に合わせてひょうきんに踊って見せてくれました。野菜の植え付けも孫のお守も馴れていないため少々疲れました。

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(太鼓囃子に合わせてひょうきんに踊る孫尚樹)

  「秋が来た 冬の野菜の 苗届き 早速畑 親父と二人」

  「一雨を 含んで大地 柔らかく 野菜の苗も 気持ち良さそう」

  「植えつけた 後に親父が 牛糞を 私籾殻 コンビよろしく」

  「孫の守 少々骨が 折れるけど 目じりを下げて どこか楽しく」 

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○孫たちと展望観覧車くるりんに乗りました

 昨日は妻の誕生日らしく、娘がプレゼントを買ってくれるというので、前日から泊まりに来ていた孫二人と一緒に松山へ出かけました。三越で買い物をする2時間の間、私が孫二人の面倒を見ることになりました。五行歌の展示会が伊予鉄高島屋7階であるので、好都合とばかりに高島屋へ行きました。横浜中華街展の影響もあってデパートの店内はかなり混んでいましたが、私たちは8階まで上がり、遊具の中の一つを選ばせて、遊具で少しの間遊ばせました。尚樹はアンパンマン、朋樹はトトロのような遊具で楽しそうに遊んでいましたが、この日も真夏日の暑い日ざしが容赦なく照りつけ、3人とも汗だくだくです。

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 その後9階まで上がり4人乗りのチケットを1000円で買い求め、くるりんに乗り込みました。くるりんは今はすっかり松山のシンボルとなり、市内の何処からでも眺めることが出来るのです。特に夜はネオンが点いてとても綺麗です。観覧車は円周が45メートルあり、約15分かけてゆっくりと回るのです。9階建てのビルの屋上に造られているので、松山城と同じくらいの高さにあるような錯覚を覚えます。ゴンドラの中は冷房が効いていてとても快適な空の旅を楽しみました。

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(周囲45メートルの大観覧車)
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(ゴンドラに乗り込んでご満悦な孫たち)
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(一番頂上と思われる場所に上った時、孫二人は思わず万歳をしました)

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(北東に見える松山城周辺)
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(西のはるか彼方に見える双海辺り)

 高いので少し怖がるのかなと思っていましたが、僅か15分の空の旅は孫たちにとって、すっかりご満悦の様子でした。360度の視界は最高で、眼下の景色が一望でき松山城とは違った眺望を楽しむことが出来ました。

 正岡子規の句に「松山や秋より高き天守閣」というのがありますが、「松山や秋より高きくるりんぱ」なんて駄洒落も聞こえそうな、孫と過ごしたサンデーでした。


  「三人で 大観覧車 乗り込んで お空を散歩 最高でした」

  「じゃあ一句 秋より高き 観覧車 正岡子規も おっかなびっくり」

  「あれが城、あれが双海と 指を差す ゴンドラゆるり 上がりて下る」

  「人間は 大したもんだ このような 乗り物造る 大屋根の上」


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○双海中学校初めての運動会

 今年の春に上灘中学校と下灘中学校が統合して出来た双海中学校の始めての運動会が昨日町内のトップを切ってありました。上灘中学校の時から務めている学校評議員に、新しい統合中学校になっても続けて任命されているので運動会の案内があり、中学校が目と鼻の先にあるので出かけて行きました。

 双海中学校は校舎本館工事が進んでいて、中が見えないフェンスで囲まれているため、どのように工事が進捗しているのか皆目分かりません。安全のためには仕方がないことなのでしょうが、学校が出来る過程はだれも知りたいところなので、せめて進捗状況が見えるような工夫が欲しいと思いました。

 上灘中学校時代から運動場の広さは超一級であるため、フェンスで囲っていても、別に狭く感じません。逆に統合しても90人程度の中学校ですから、この広さが適当なのかも知れません。

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 運動会は9時15分に始まりました。夏休み中の後半に登校して練習してきただけあって、また第一回目の運動会を成功させようという思いの表れでしょうか、生徒も先生も、また下灘地区から始めて集まった父兄も沢山いて、いつになく引き締まった力強い運動会となりました。

 中学生が考えた「嵐を巻き起こせ!双海中旋風」というスローガンがぴったりでした。来賓席に座って他の顔見知りの人と運動会の遍歴などについて雑談しながら見学させてもらいました。まず驚いたのは開会式で国旗・校旗の掲揚や君が代の斉唱がなかったことです。学校建築で今年が特別なのか、あるいは学校教育方針の変更なのか、オヤッと思いました。日本全国の学校では国歌「君が代」や国旗「日の丸」を歌ったり掲げたりすることの是非が、議論されていることは承知していますが、単純に「?」と感じました。

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 このところ運動会が近づくにつれて、中学校に近いわが家へは、吹奏楽部の練習音が盛んに聞こえて、新しい学校の息吹を感じさせてくれていました。聞けば新しく発足した吹奏楽部は20人近くの大所帯になっているそうで、ここにも統合のメリットが存分に発揮されているようでした。最初は聞こえてくる楽器の音もひ弱でしたが、日増しに力強く上手くなって、運動会の当日が楽しみでした。吹奏楽部には小学生の頃、人間牧場へ通ってきた顔馴染みの生徒も何人かいて、すっかりたくましくなった生徒に驚かされました。

 周りで見学する父兄や一般の方も多く、またあちらこちらでカメラで撮影する姿も見られました。保育園や小学校ほどカメラのほう列はありませんが、やはりデジカメやビデオカメラの普及は目を見張るものがあるようです。

 都合で早々に会場を後にしましたが、わが子が卒業して10数年になりますが、子どもが学校に通う時代を懐かしく思いました。


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  「あれほどに 下手糞だった 吹奏が 大したもんだ こんなに上手く」

  「懐かしき 顔々出会い 会釈する 時には元気? 声を掛け合い」

  「統合を したというのに 百を切る 田舎中学 どうなることか」 

「日の丸も 君が代もない 運動会 万国旗さえ ないのですから」

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○高島屋ふれあいギャラリーに展示されています

 松山五行歌会の見山あつこさんから、8月の歌会の講評が送られてきました。先輩で友人の玉井恭介さんの紹介で私も今年度から会員に加わり、メールで駄作拙句を毎月一句ずつ送っていますが、今月も忙しさにかまけて提出期日をすっかり忘れてしまい、優しい見山さんから督促のメールが入り、急いでこしらえ送ったという相変わらずの体たらくで、深山さんに迷惑をかけてしまいました。

 数日前玉井さんから、「第4回作品展に出品してみないか」とお誘いがあり、口車に乗って一句つくり、写真のデータとともにデーターとともに遅らせてもらいました。おっつけ玉井さんから電話が入り、イメージ写真に使う夕日の写真の色が出にくいので私が書きます」とのことでした。私の一句が玉井さんのブログに書かれて、汗顔の至りでしたが、玉井さんと見山さんから作品展の見学に来ないかとお誘いがあり、今日は孫たちのお守を兼ねて出かけて行きました。

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 今日も30度を越す真夏日で外は暑く、会場となる伊予鉄高島屋は横浜中華街展の人気もあって、市駅前から西駐車場までは車の長い行列が出来て、駐車するのに30分もかかりました。同伴した二人の孫たちもエアコンの効いた車ながら多少イライラしているようでした。

 やがて高島屋7階のふれあいギャラリーに到着すると、見山さんはじめ何人かのスタッフが色々と作品の説明をしていただきました。孫たちは五行歌の展示には関心を示さず、小銭を握っておもちゃ売り場へ消えて行きました。2年生と3歳の孫なので迷子になりはしないか他所心配しあしたが、五行歌の作品を一通り見せてもらいました。どの作品も素晴らしく、五行歌の奥の深さや楽しさを感じさせるものばかりでした。

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 一際目に付くところに私の作品も壁に飾っていました。玉井さんが絵を書いてくれたお陰で私の作品は10倍以上の値打ちがついたように見えました。


 結婚してくれてありがとう

 子ども産んでくれてありがとう

 家計のやりくりありがとう

 そして親父の介護ありがとう

 何度でも言う妻よありがとう

             若松進一


 少し恥ずかしかったので、孫が木になることを理由に、挨拶もそこそこ引き上げました。

 五行歌は私のような凡人でも出来るし、やればとても面白いものです。また他の人の作品を読んだり交わる楽しさもあります。是非参加してみませんか。お問い合わせは下記の写真に書いてます。ズームアップしてみてください。

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  「半年も 経たぬ私の 作品が デパートギャラリー 壁にかかって」

  「俺にでも できる五行歌 しませんか 自由律句は 季語も気にせず」

  「友人が 書いた絵の方 褒めるべき わが歌駄作 汗顔しきり」

  「気負いなく 気軽話せる 五行歌の 美女連嬉し いつか逢いたい」

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○死に支度の時代

 「もしこのまま私が亡くなったら一体私の身の回りはどうなるのだろう」と、縁起でもないことを思いながら昨晩床に就いたためでしょうか、昨夜から今朝にかけて変わった夢を見ました。夢のことゆえ既に殆どは記憶の外に消えているのですが、亡くなった母が出てきたり、少年の頃に引き戻されたりする懐かしいものでした。ハッと思って目が覚めやわら起きて自分の書斎に入りました。

 思わず、自分の身の回りにうず高く積まれた新旧の雑誌や書類、それに様々な本に囲まれて、身辺整理も出来ぬままになっている姿を見て、「こりゃあいかん。もっと整理をせねば死んだ時恥ずかしい」と思いました。

 実はこのことには前から気がついていて、一年に何回かは部屋の掃除と称して、沢山の書類や雑誌をみかんのコンテナに選り分け、その都度家庭菜園の隅で焼却処分してきたのですが、いつの間にかそこにまた新しい紙類が蓄積してしまったのです。

 ある引越し引き受け会社のコマーシャルに、ゴミに囲まれた人が登場し、そのゴミの処分をわが社が引き受けるというのがあります。つまり身辺整理という新たなサービス業なのですが、聞くところによるとこのサービス業を利用する人はかなり多いらしいのです。引越しならいざ知らず身辺整理くらい自分でしたらいいのにと思いますが、世の中色々な仕事を考える人がいるものです。

 そんな矢先、間もなく始まる秋の彼岸を前にお墓の掃除を請け負う新たな商売が以外に好評だという話をテレビで見たし、テレビドラマでは死んだ人の遺品を整理する「遺品整理人」という聞きなれない主人公が登場するストーリーを、興味深く見ました。

 何年か前、宗教学者の山折哲雄さんが雑誌の取材で夕日のミュージアムに訪ねてきたことがあります。著名な方ですので、夕日にまつわる人間の習慣について色々意見を交えましたが、その山折哲雄さんが「死に支度の時代」という記事を書いているのを読みながら、はてさて私はどんな死に支度をしているのだろうと考えさせられました。遺書を書くことも、お墓を造ることも、最近時々聞くようになった生前葬も死に支度なのでしょうが、ポジティブに生きる私はこれまで死に支度など考えてもいませんでした。

 しかし、私以外の家族にとっては紙ごみとしか思えないような書斎の紙類を、何としても処分しなければならないと思うようになりました。早速今日あたりからこの膨大な紙類を捨てて身辺を整理しようと思っています。こんなことを考えるようになった俺も歳だなあと、間もなくやって来る66歳の誕生日を前に考えました。


  「もし俺が 死んだらこれら 紙ごみに なってしまうか 早く始末を」

  「人間は 人から見れば 他愛ない 物をお宝 思って残す」

  「死に支度 そろそろ思う そんな歳 なった自分に 苦笑しながら」

  「俺の糞 さえも流して 始末せぬ 何も出来ずに 死んで行くのか」

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shin-1さんの日記

○骨折り損のくたびれも儲け

 人間牧場を造ってからもう何回人間牧場の草を刈ったことでしょう。一度だけ仲間たちがボランティアで草刈を手伝ってくれたことがありますが、それ以外はこの5年間、ただひたすら草を刈り続けてきました。梅畑や蕗畑、コンニャク畑、芋畑以外は、草を刈ることによって生産性が向上しない、ある意味草を刈ることによる美観のみの目的なのですから、草刈機の混合油を消費し、汗をかいて私の体力を浪費することしか脳がないのです。

 ふとこのことに疑問を感じてから、草を刈る面積を少なくして生産効率を高めるために、ブルーベリーやスモモの苗木を植え込んでいますが、その成果は未だ未知数なのです。

 今日も二組の視察を人間牧場へ受け入れるスケジュールの合間を見つけ、妻の入れてくれたお茶を持って一人人間牧場へ草刈に行きました。残暑が厳しいといっても日陰は秋の気配が漂い、標高130メートルの人間牧場は心地よい秋風が吹いて、アキアカネトンボが沢山飛んでいました。

 この5年間、作業の度に履いている地下足袋を用意して、草刈機に混合油を入れて戦闘開始です。寿命と思われた古くて重い草刈機ですが、このところは最後のご奉公と思ってか絶好調で、替刃切れもまずまずでした。このところの好天続きで草はしんなりとしおれ、乾いた大地は土煙を上げていました。


 作業が進みにつれて汗が吹き出るように流れ出し、作業着は瞬く間にびしょびしょになりました。一回の作業は30分から40分くらいが限度で、疲れを感じたらエンジンを止めて給水のため、木陰に腰を下ろして一休みします。妻の用意してくれた冷たいお茶がゴクリと喉を通る瞬間は何といえない美味しさでした。

 ふと思ったのですが、5年前に人間牧場を造ったころは、草刈作業は重労働のように体に堪えていました。ところがこの5年間の草刈作業で筋力と体力がついたのか、それほど疲労しなくなったようなのです。か細かった腕や肩に筋肉がついたと妻が言うように、確かにパワーを感じるのです。

 これから先のことは分かりませんが、多分人間牧場が存在する限り草刈作業は続けなければなりません。加齢による体力の限界が何歳なのかも分かりません。その時は長男息子が刈るのかシルバー人材センターへ頼むことになりそうです。

 まあその時はその時、それまでは積小為大のよろしきを得て、しっかりと草を刈りたいと思っています。今年の草刈作業をいよいよ終わりが近づいてきました。今日は人間牧場入り口の道沿いの草を刈り、すっかり綺麗になりました。もう一回、うんとこドッコイショと草刈作業に汗を流しましょうか。


  「草を刈る ただひたすらに 草を刈る 何の目的? 未だ答が」

  「気がつけば 体力筋力 少しつき くたびれだけじゃ なかった気がする」

  「喉通る 冷たいお茶の 美味しさよ 汗の替わりに 水分補給」

  「もう一度 これで今年も 草刈は 終わりにしよう 秋が来たから」

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○四国地区里親研修会

 児童相談所に勤める友人から頼まれて、松山市にある愛媛県視聴覚福祉センターで開かれた四国地区里親研修会に出かけました。「児童は、人として尊ばれる。児童は、社会の一員として重んぜられる。児童は、良い環境の中で育てられる」という児童憲章とは裏腹に、社会が豊かになればなるほど何故か児童をめぐる社会環境は、いじめや虐待の急増、非行の凶暴化、不登校、引きこもりの増加など、色々な問題が横たわっているのです。このような状況の中で子どもたちの健やかな成長と未来を切り開く自立力を育むために、不幸にも温もりのある家庭を失った子どもたちに、親に代わって与えようとするのが里親なのです。

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 当日の資料の冒頭に里親信条が5つ書かれていました。

 1、わたくしたち里親は、家庭に恵まれない児童に対し、これにかわる家庭を与えます。

 1、わたくしたち里親は、親としての愛情と誠意をもって、児童の養育にあたります。

 1、わたくしたち里親は、児童に対し個性に応じた教育と技能修得の機会を与え、その社会的独立を助けます。

 1、わたくしたち里親は、児童の養育に必要な知識と技術の向上につとめます。

 1、わたくしたち里親は、自らの家庭をととのえ、また児童をめぐる社会環境の改善につとめます。

昨日の研修会には里親として活動している人やその活動にかかわる四国地区の人たちが110人も集まって、熱心な討議が行われていました。私は里親制度のに対して何の知識もないため、ほんのお口汚しのつもりで出かけましたが、たっぷり2時間近くも時間を取っていただいていたので、「心豊かに生きる」と題して日ごろの持論を展開させてもらいました。

 会場には顔見知りの方も何人もいて汗顔の至りでしたが、日ごろ里親として太陽のような心を持って活動している方々の心は温かく、終始笑いの絶えない熱心な温情に助けられて、ほのぼのとした研修会になりました。講演が終わって帰ろうとすると、何人かから名刺を求められ、今後も交流をしたいといわれ驚きました。

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 昨日は参加者に「童話の花束」という童話が一冊配られていました。私にも1冊いただきましたが、人間牧場に来る子どもたちにこの童謡集を読み聞かせたいのでもう2冊欲しいとお願いしたところ、快く10冊もいただきました。嬉しいことなので早速今日はこの童話を人間牧場・水平線の家の長くて大きな書棚に蔵書として置き、読み聞かせや貸し出し用にしたいと思っています。この童話はJOMO童話賞作品集なので18の優秀作品が収められていて、控え室で休憩時間を利用して一気に読んでしまいましたが、すばらしい童謡でした。昨日はそんなこともあって、知人友人とも久しぶりに顔をあわせ、何か浮き浮きしたような気持ちで会場を後にしました。


  「温かい 心を持って 人のため 尽くす人たち 多く集いて」

  「童話集 いただき帰る 嬉しさよ この本読んで 心育む」

  「二時間も 終始笑顔の 研修会 聞く人さすが 私汗顔」

  「又一つ 心の扉 開けた気が したよな気持ち 友に感謝す」


 



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○久しぶりの呑み会

 体の都合でお酒を断って早くも10年以上となりました。多分自分の体内からアルコール分は完全に消えたのではないかと思うのですが、酒を止めると呑み会の誘いが少なくなったことも事実で、あれほど飲んでいた酒代が手元に残るはずなのに、どういう訳か「下戸に建った蔵がない」といわれる諺どおり、手元にお金は残らないもののようです。それでも医者の忠告を受けて健康に暮らしているのですから、これからも下戸を通そうと思っています。

 今年のように暑いひが続くと、夕食の時やベールのコマーシャルなどを見るにつけ、ビールの味が恋しくなる時がありますが、自称意志の強い私は自分の決めた掟を守っているのです。でもやはりお酒は神代の昔から元気の出る水ですから、お酒に替わる元気の出る水を何か探したいと思っています。

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(仲間と共に居酒屋で楽しい語らいのひと時)

 そんな中でも気の許せる仲間はいるもので、一昨日は年輪塾の運営委員会と称して5人で集まり、行きつけの居酒屋で夕方6時30分から呑み会を行いました。塾長の私と塾頭の清水さん、小番頭の松本さん、それに筆頭塾生の浜田さんに年輪塾ネットに加わっている真鍋さんを加えて今後の塾の運営について話し合いました。酒が入れば胸襟を開く仲間たちは、飲むほどに酔うほどに色々な面白い話題を提供してくれ、11月の移動塾が楽しみになってきました。

 今ではすっかり行きつけになった居酒屋は食べるものも美味しいしボリュームもあり、その上安いとあって僅か2時間でしたが大満足です。私が絡む飲み会は余程のことがない限り2次会はセットしません。一次会で満足が行くように飲むので、帰りには小番頭の松本さんと伊予市まで色々な話をしながら帰れるのもまた味があります。9時30分には家に帰れる品行方正ぶりはこれからも維持したいと思っています。


 家に帰ると妻が決まったように近頃言うセリフは、「あらお父さん今日は早いのね」です。御前様を繰り返した昔から考えると雲泥の差ですから、このセリフは当然のことかも知れませんが、私にとってはこの言葉は癒しの言葉だと思うのです。「遅かった」と文句を言われるより、「早かった」と言ってもらう方がいいのです。

 わが家には相変わらず多くの仲間が集まり、来訪所も多いのです。その度に親しい付き合いをしてくれる妻に感謝をしつつ、妻の誕生日が近いことを予定表で気がつきました。はてさて100万本のバラや、ダイヤモンドの指輪などは甲斐性のない私には出来ません。おそらく妻もそんな希望もないものと思われます。はてさて、今年の誕生日にはどんなプレゼントをして、妻の機嫌を取ろうかと目下思案中なのです。


  「酒辞めて めっきり減った 呑み会に 久々参加 お茶で乾杯」

  「酒飲めぬ 体になりて 思うこと もう少し早く 気付いていれば」

  「飲むほどに 酔いが回って らりるれろ ろれつも回り ちゃらんぽらん」

  「迷惑を かけた分だけ 恩返し アッシー徹し 送り届ける」

 


 

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○学生たちと煙会所で座談会

 「若松さん、明日の夜は空いていますか?」と、昨晩年輪塾運営委員会の折、伊予市役所双海支所の松本さんに尋ねられました。「予定表を見ないと明日のことは分からんが、夜だったら多分大丈夫じゃない」とあやふやな返事をしてしまいました。自宅に戻って予定表を見ると夜は空いていたので、明くる日確認の電話で「午後8時に煙会所へ学生を5人連れて行きます」と言うことでした。

 外出先から午後5時に自宅へ帰り、急いで煙会所の掃除をしました。煙会所へ人を迎え入れる時は必ずやる作業です。まず掃除機で四畳半の畳の上を掃除して、それから雑巾を固く絞って畳を拭くのです。台風9号が去ってから朝夕は涼しくなったとはいえ、掃除をすると汗が噴出してきました。囲炉裏の周りの吹き掃除を終えたので今度はトイレの掃除です。煙会所横に併設している水洗トイレも人が来ないと掃除の機会を逸しているので、この際とばかりに掃除をしました。これもお客を迎えるための大事な心構えだし修行だと思っているのです。

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 妻と二人で食事を済ませ、お茶の準備をするよう頼んで待っていると自宅前に車が止まり、松本さんらしく10分前に私の携帯電話が鳴りました。「自宅前に到着しました」との知らせです。急いで玄関先に出て見ると、松本さんに連れられて5人の大学生が立っていました。軽い挨拶をして煙会所へ案内しました。前もって点けていた蚊取り線香を持って中に入り、ゴザ座布団を7枚用意した場所に座って、早速座談会を始めました。

 彼らは東京日野市にある明星大学の学生さんで、全国各地の過疎地小規模を訪ねて学習することを目的にしたクラブ活動で、双海町の翠小学校へ来ているのです。昼間は翠小学校で教育実習し、夜は潮風ふれあいの館に泊まって色々な人と交流しているようでした。昨晩は教育委員会の赤石さんが県下の公民館仲間に呼びかけて交流会をしたようです。

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 学生たちには赤石さんが用意した、私が北東総研に頼まれて書いたまちづくりの記事がプリントされ、事前に配られて読んでくれていたので、鋭い質問を矢継ぎ早に浴びせられいい座談会となりました。私もかつては教育委員会で社会教育を13年、また教育長として2年教育活動や教育行政にかかわった経験があるので、様々な視点で意見を述べました。学生たちは5人全員が教員を目指しているらしく、しっかりした教育観を持っているようでした。子どもの数も学校の数も減って、教員を目指す人にとっては狭き門の時代になっています。「世の中思うようにはならないが、思うようになる」というはなむけの言葉を送りました。世の中は思い通りには中々なりません。でも思いが強ければ夢は実現するのです。私は「夢はドリームではなくターゲットである」とよく若者たちに話します。松本さんだって教員になる夢を一度は持ったようです。でも役場に就職して教育委員会に私と一緒に勤め、広い意味での教育に目覚め、今もまちづくりという世界でその夢を実現すべく努力しているのです。「決して諦めない」強い信念を持ち続ければ、例え回り道をしても目標に近づくことは出来るのです。頑張れ先生の卵たち。


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  「東京の 大学生が やって来る 掃除して待つ 蚊取り火をつけ」

  「先生に なる夢語る 頼もしさ 日本の未来 背負う若者」

  「暑いゆえ 囲炉裏に火なく 寂しくも 議論は熱く 夜は更け行く」

  「煙会所 久方ぶりに 若者の 熱気白熱 嬉しじゃないか」


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○忘れたカメラが戻ってきた④

 この歳になると忘れ状がよくなり、何かにつけて覚えていたことを忘れたり、持って行かなければならない携帯電話や財布を忘れていくこともしばしばです。「お父さんもいよいよ歳ね」といつも妻に笑われていますが、今回も旅先で忘れ物の大失態をしてしまいました。

 私は合いに地ブログを書いているので、免許証と携帯電話、そして財布の次にデジカメが必要な道具なのですが、これまでにも何度かカメラを置き忘れて相手に迷惑をかけたことがるので、デジカメだけは忘れまいとズボンのベルトに挟んで持ち歩いていました。ところが別府のホテルを出て送迎用のバスに乗り込んだ時、デジカメを座席の前の網目の物置へ入れたまま佐賀関のフェリー乗り場でバスを降りました。

 やがてバスはもと来た道を引き返して行きましたが、バスが発車して直ぐにカメラを置き忘れたことに気がつき、幹事の渡邊さんがホテルに電話を連絡して、運転手にその旨を知らせてもらったのですが、あいにく運転中の運転手は電話を取ることもなくホテルまで帰ってしまいました。

 仕方がないのでもし見つかったら送り返してもらうようお願いして岐路に着きました。自宅に帰って間もなく渡邊さんからカメラが見つかったこと、渡邊さんがわざわざ別府のホテルまで受け取りに行ったこと、その足で荷造りして宅配便で送り返したので、明日中に荷物が到着することなどを電話で知らせてくれました。

 渡邊さんは私のブログの愛読者で、特に私のブログ記事は全て誤字脱字を修正してDVDファイルに集録して、私にプレゼントしてくれているのです。デジカメがなかったら困るだろうと私を思いやる心に、ただただ感激してしまいました。

 デジカメは定年に梱包され渡邊さんの手配どおり昨日の昼過ぎ宅配業者が届けてくれました。お陰様で昨夕の会議にも持参して、何事もなかったようにデジカメは活躍をしてくれているのです。妻からは人に迷惑をかけるような忘れ物はしないようにきつく注意をされました。ものを忘れるのを歳のせいにしないようにとの指摘も当たっているだけに、穴があったら入りたいような心境でした。


 
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 いい旅をした思い出に、今回はちょっぴりほろ苦い忘れ物の思い出も加わりましたが、忘れ物をする癖だけはないようにしたいと思っています。はてさて一泊二日の別府温泉旅行は、私が単身参加しただけで、あとの四人の仲間は全て奥さん同伴でした。ホテルの私の部屋はベッドが二つありました。こればかりは現地調達も出来ず少し寂しい感じと、妻のいない気楽さが半分半分の旅でした。帰宅後「俺だけが一人だった」と話せば、妻は意味深長な顔をしていました。

 今回の旅は大いに盛り上がり、次回は韓国へ行くことが決まりましたが、はてさて次の旅も一人になるのかも・・・・・?。


  「歳のせい カメラ忘れて そう思う いつの間にやら そんなお歳に」

  「忘れ物 明くる日届く 温情に ただただ感謝 九州の友」

  「同伴の 友ら一緒に 旅をする ちょっぴり一人 切なくなりて」

  「九州は よかとこですと 別れ際 本心伝え 船に乗り込む」

  

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