shin-1さんの日記

○カボチャ談義

 昨日、「カボチャが届きました」ととりあえずお礼のメールを送りました。そして送っていただいたことのお礼をこめて、私のブログに紹介したのも昨日のことです。ところが今朝6時にメールを開けてみると、9時間前の昨夜20時58分に北海道佐呂間町の荷主武田温友さんから、メールとブログのお礼が届いていました。

 荷物はさすがにFAXやメールで送ることは出来ませんが、そのうち荷物さえも瞬時に後れる時代が来るかも知れないとドラえもんや鉄腕アトムのことを思い出しました。今までであれば電話や電報が一番早い音信でした。ハガキや手紙でのやりとりとなると、それにはそれの値打ちはあるものの、時間がかかって仕方がないのです。北の北海道と西の四国は距離的には遠く離れているのに、まさに距離を感じさせないスピードにただただ驚き、よくぞメールという道具を手に入れていたものだと、嬉しくなりました。


 さて、私が北海道佐呂間町の寿大学に講演に出かけ、講演の前に武田温友さんと控え室で出会い、かぼちゃの話を聞いただけの小さなきっかけが、武田温友さんのカボチャに対する情熱と私のことを記憶していたこと、そして私に一年後カボチャを送る行動によって来たと西の小さな小さな交流が始まりました。人は何回会ったかの和ではなく、思いの深さだとしみじみ武田温友さんのことを思いました。北海道での出会い、カボチャの荷物、お礼のメールとブログ書き、返信メールと武田温友さんとの音信はたった3回なのに、私にとっては何年も前から知っているような旧友の一人にランクインしたのですから、人の出会いとは面白いものです。

 武田温友さんに、「送ってもらったカボチャは大切にしまって置き、冬至カボチャとして食べたい」とメールに書いたところ、以下のような返信が届きました。

若松進一ブログ
(送られてきた坊ちゃんカボチャ、残念ながらあと一つは長男の嫁が持ち帰ってしまいました)

 ~前略~「お届けしたカボチャはすべて私が種から育てて、先週末に私が収穫、選別したもので、自分の分身のようなものです。それだけにブログにご紹介とは嬉しい限りです。これからも自信を持って「かぼちゃの地域おこし」に取り組む勇気が湧いてきました。本当にありがとうございます。そして、肝心なお話ですが、お届けした「食用かぼちゃ」2個は、今食べるのが一番美味しいカボチャです。

 普通のカボチャは、収穫して水分が抜けてくると、でんぷん質が減って糖質が増え、そのバランスが一番良く、カボチャの一番美味しい時期は収穫してから二週間だといわれています。今回お届けした「坊ちゃんかぼちゃ」はこの普通のかぼちゃなのです。

 そして、これまた不思議な話で、でんぷん質糖質が増えるスピードが遅く、ちょうど12月、冬至の時期、人間が一番カボチャを食べたくなる時に旬な時期を迎える、心憎いカボチャがあるのです。表皮が乳白色の「雪化粧という名前のカボチャです。12月にはこの雪化粧カボチャをお送りしますので、是非坊ちゃんカボチャはお早めにお召し上がりください。~後略~」


 思わぬネット上でのカボチャ談義となり、知られざるカボチャの魅力を知ってしまいました。わが家でも冬至カボチャを食べますが、どういう意味で冬至カボチャを食べるのかは余り聞かされていませんでしたが、緑黄野菜の王様であり好物のカボチャをこれからもせっせと食べたいと思います。カボチャを食べる度にこれからはカボチャ博士武田温友さんのことを思い出すことでしょう。今年の冬至が俄然楽しみになってきました。


  「知らなんだ 何故にカボチャを 食べるのか 冬至楽しみ 今年の冬は」

  「北と西 ネットでカボチャ 談義する 便利世の中 感心しきり」

  「世の中にゃ こだわる人が いるものだ カボチャ一つに 夢を託して」

  「人のこと 言えるはずない 俺だって 食えぬ夕日に 思いを寄せて」

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shin-1さんの日記

○3つの同心円

 まちづくりの世界に長年かかわっていると、色々な人から色々なお話を聞く機会があります。最近はやたらと横文字が多く、少しでもそのことを理解しようと横文字の意味を調べたりするのですが、イミダスや広辞苑など私の頭脳として首っ丈で調べていた辞書類が、インターネットの普及でこの一年、殆どページを捲ることもなく書棚の隅に追いやられているのです。インターネットは早くて簡単で便利ですが、やはり私のような古い人間にデジタル情報はどこかしっくり行かない部分があるようです。

 まちづくりを理論化するために数式や図解することがしばしばあります。私が最近よく使う氷山の一角という図式も潜在能力と健在能力を説明する分かり易い図解として、聞く人によく理解されているようです。


 最近目にしたサイモン・シネックの図式も非常に興味のあるものでした。同心円を3つ描き、中心からWhy、How、Whatとします。Whyは原因や理由、Howは方法、Whatは何という意味ですが、失敗する企業は外側から説明し、成功する企業は内側から訴えるというのです。同じように見えても、何を⇒どのような方法で⇒何のためにするのかと、何のために⇒どのような方法で⇒何をするのかでは随分違うのです。

 私たちがやっているまちづくりの手法は、「何のために」ということをまず考えてやっていて、サイモン・シネックの図式を見て成功するしないは別にして少し安心した次第です。でも「Why」ばかりを議論して一向前へ進まない人たちもいます。私はその人たちを振り子時計の原理だと思っています。


 振り子時計は棒の長さが短ければ早く動きますが、棒の長さが短いとゆっくり動きます。でも長くても短くても振り子は同じ場所を行ったり来たりするだけで、行動を起こさなければはずみ車となって遠心力はつかないのです。最初は振り子時計で「Why]を議論しても、誰かがリーダーシップを発揮して引っ張るか後押しをしなければ、いつまで経っても議論ばかりで前へ進まないのです。

 人は得てして権威付けをするため、分かり易い話を難しくするものです。難しい話を分かり易く説明するには図式が一番ですが、私のような凡人には図式の説明すら難しく、人に理解されるかどうか疑問符かつくのです。でも3つの同心円の図式はこれからも説得の材料として活用してゆきたいと思っています。


  「なるほどと 思って使う 同心円 横文字意味を 忘れてえ~と」

  「西洋と 説明違う 東洋人 名前が先か 苗字が先か」

  「まちづくり 理論武装も ないままに 終わりそうだと 今頃気付く」

  「広辞苑 イミダスさえも 開かずに ネット検索 時代変わった」

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○北海道佐呂間町から玩具のようなカボチャが届く

 昨日北海道佐呂間町の方から宅配便でカボチャが届きました。宅配の宛名と内容カボチャを見て、不思議?に思いました。失礼ながら送り主の名前の記憶がないのです。私のカンピュ―ターが働き始めましたが、卑しい私の頭は佐呂間町×カボチャ=食用でしか検索できず、またカボチャにしては重量が軽いと思いつつ、ついには段ボールの開封と相成りました。

 中味は何と新聞紙にくるんだ観賞用のカボチャでした。その数ざっと12種類です。とっさに書斎の引き出しにしまっている昨年の2009Writing Calendarを取り出し、記憶の彼方にある9月の予定表を見ました。昨年の9月の予定表には9月16日~19日まで、北海道佐呂間町の船木さんの紹介で4日で4ヶ所も北海道で講演をしているのです。18日に佐呂間町民センターで行われた寿大学の講演の折、佐呂間町の役場の人と面談し、その方が中心になってカボチャで町おこしの話を聞きました。その折綺麗な観賞用のカボチャの幾つかを見せていただきましたが、まるでおもちゃの世界のようでした。その折種をいただいた記憶がありますが、全て友人に配ったため、その後の消息は確認もしていませんでした。

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(孫もびっくりのカボチャの数々)

 偶然というべきでしょうか、あるいは相手が意図的なのでしょうか、出会ってから丁度一年後の前日にカボチャが届くとは、もし意図的ならば心憎い気配りだと感心しきりでした。たまたま我が家に来ていた孫尚樹と取り出した玩具のようなカボチャを眺めながら、写真に収めました。

 はてさて、これをわが家の玄関に飾るだけでは勿体ないと思い、段ボールに入れて道の駅シーサイドへ持って行きました。特産品センターのカウンターなら人が沢山来るだろうからと、じゃこ天のお店へ飾ってもらうことにしました。じゃこ天のおばさんたちも珍しそうにカボチャを手にとって、カボチャ談義に花を咲かせました。今日は送り主の地名と名前をパソコンでプリントして展示の前に張ろうと思っています。

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 それにしても観賞用とはいいながら色々なカボチャが存在するものです。カボチャは日持ちのする野菜なので当分は人々の目を楽しませてくれるでしょうが、一緒に入っていた送り主シンデレラ夢まつり実行委員会かぼちゃ班長武田温友さんの名刺と、ジャンボパンプキンコンテストの写真を、記念にスキャンして紹介しておきます。

 それにしても北海道佐呂間の武田さんは律儀な方です。たった一度の出会いなのに一年後、忘れもせずにちゃんと覚えていてカボチャを届けてくれました。この人ぞまさしく本物の地域づくり人だと思いました。食用に送ってもらったカボチャは冬至まで保管して、冬至カボチャとして食べたいと思っています。それにしても全国を股にかけて歩いているとはいいながら、私の元へは色々なものが届くものです。


  「宅配に カボチャと書いて 開けてみた 玩具カボチャが 次から次へ」

  「驚いた 偶然なのか 一年後 出会う同じ日 カボチャが届く」

  「パンプキン 大会優勝 325キロ 写真同封 これもびっくり」

  「早速に じゃこ天お店 持参して 珍しカボチャ 展示しました」

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○おじいちゃんは大嫌い

 件病院に勤めている娘の子どもが風邪気味で、昨日の夕方電話が入り、明くる日勤務があるので面倒を見て欲しいと言うのです。大根の種を蒔いていた最中でしたが手を休めて、松山のマンションまで迎えに行きました。熱があるためぐずっていましたが、納得して私の車に乗って我が家へ向かいました。夕暮れ時のラッシュ時なので、高速道路を走りたいという孫の言葉で松山インターから伊予インターまで無料区間をあっという間に走りました。チャイルドシートに乗った孫は大喜びでしたが、インターを降りると間もなく「マクドナルド」に寄りたいというのです。伊予インターから一番近いマクドナルドは松前の伊予高校付近なので、「引き返せない」というと、それまでご機嫌だった孫が急に不機嫌となり、「おじいちゃんは大嫌い」と言うのです。これまでは私が「男は」と言うと孫は「男は泣かない」、私が「男」というと孫は「男同士」などと反応し、見事な相棒振りを発揮していたのに、初めて「じいちゃんは大嫌い」とふてくされてしまいました。

 「おじいちゃんとおばあちゃんを独り占め」なんて喜んでいたのに、余程癪に障ったのか「おばあちゃんが好き」とか、「おばあちゃんと風呂に入っておばあちゃんと寝る」と我を通しました。子どもがマクドナルドを好きなのはハンバーガーやフライドポテト、シェイクもさることながら、ハッピーセットを頼めば必ずおまけがついていて、それが楽しみなのです。

 先日も孫のリクエストに応えてマクドナルドに行きましたが、孫は食べるものよりおもちゃが目当てのようでした。その時貰った物は太鼓囃子というおもちゃで、ボタンを押せば太鼓の音が賑やかに聞こえまるでお祭り気分となり、孫はひょうきんな踊りを披露してくれました。

 物を買ってくれるおばあちゃんは好き、言っても買ってくれないおじいちゃんは嫌いは当然のことで、好きか嫌いかの判断はどうやら損か得かのようです。


 私たちおじいちゃんやおばあちゃんにとって孫の存在は、目の中に入れても痛くないほど可愛いものです。「大好き」という言葉を言って欲しいために祖父母は、なけなしの財布をはたいて孫のために欲しいものを買ってやるのです。子育てでいささか経験のある私は、親の教育方針に沿って孫に接しなければ、親の存在が薄くなるのです。たとえ「おじいちゃんは大嫌い」と言われても、駄目なものは駄目と言えるおじいちゃんになりたいと思っていますが、いつまで続くかどうか・・・・。

 昨晩は少し咳をしていたため横で寝ていた妻はウトウトと眠れない夜を過ごしたようです。私も今日は一日自宅で孫のお相手です。幼稚園には「熱があるから休む」旨の連絡をしていますが、言葉が通じない間柄だけに長い一日になりそうです。それにしても「おじいちゃんは大嫌い」と大までつけた孫尚樹の一言はショックでした。多分熱のせいだろうと思っています。


  「じいちゃんは 嫌いと言われ ショック受く 熱のせいだと 思ってみたり」

  「自宅にて 一日長い 孫の守 草刈よりも しんどい仕事」

  「好き嫌い 判断基準 損か得 財布持ってる 妻に軍配」

  「ハンバーガー よりもおまけが 魅力です マクドナルドは 子どもに魅力」

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○秋刀魚は今が旬です

 昨日の夕食のおかずは秋刀魚の塩焼きと刺身が食卓に並びました。瀬戸内の魚どころで知られる海沿いの町ですから、年中魚には事欠かず殆ど毎日といってよいほど魚が食卓に上るのです。年老いた親父は漁師をしていたこともあって部類の魚好きで、魚がないと不機嫌になるほどなので、煮魚か焼き魚に刺身を必ずといってよいほど毎日、妻は親父に食べさせてくれるのです。多分親父の食事のついでに私にも魚を食べさせてくれているのかも知れません。

 親父は秋刀魚などの余り好きではありませんが、どちらかといと私が鯖やアジといった青魚が好きなため、昨日は私に親父を合わせた格好でした。秋刀魚は北の海の回遊魚のため私の町では獲れません。ゆえに冷凍や塩秋刀魚しか手に入りませんでしたが、最近は冷蔵技術の進歩と輸送時間の短縮によって、シーズンになるとこんな田舎でも生秋刀魚が出回るのです。

 今年は偏西風やエルニーニョ現象の影響で猛暑日が多く、太平洋を流れる黒潮の海水温度が高かったため、秋刀魚が不良でした。そのため例年だと一匹100円程度の秋刀魚が、今年は型のいい生秋刀魚だと一匹300円程もしますが、それでも妻は魚好きな私たち親子のために今が旬の秋刀魚を塩焼きと刺身で食べさせてくれたのです。

 秋刀魚の刺身にはタマネギのスライスと生姜、塩焼きには大根おろしがよく合います。タマネギは倉庫の軒先に一年分を吊るしてあるためオニオンスライスとして年中食べますが、生姜と大根は買わなければなりません。先日友人から大野ヶ原の高原大根をいただいていたので、その残りで大根おろしを添えてくれていましたが、相性抜群の秋刀魚に加え、一昨日役場の同僚だった西岡栄一さんが新米をどっさり一袋持ってきてくれたので、新米の輝くようなご飯に、これまた秋刀魚が程よくあって、ご飯をお変わりしてしまいました。

 秋刀魚と新米に、ギノー味噌からいただいた麦味噌を使って味噌汁までついていて、何か元気が出てきたような感じです。やはり日本食を好む私は日本人だとも認識しました。

 昨日は前日の夜来の雨で菜園の土が水分を含んだので、親父と二人で菜園に畝を立てて大根の種を蒔きました。冬野菜の王様である大根は、近所のおじさんが「売りに行くのか」と笑うほど今年も3袋も蒔きました。親父が立てた畝に私が一粒ずつ丁寧に蒔いて行くのです。几帳面過ぎる親父の口出しに腹を立てたりなだめたりしながら、初秋といえども日中は暑い日差しの中でたっぷり汗を流しました。牛糞や籾殻を乗せて夕方親父は井戸の水を散水して湿らせていました。一週間もすればやがて大根の新しい命の芽が出て成長を続けるのです。何年か前には芽が出たばかりの大根が、台風の大風で全滅したことがありました。二百十日も過ぎていよいよあきも本格的です。今日はチンゲンサイや小松菜、高菜など葉物野菜の種を蒔きたいと思っています。


追伸

 秋刀魚は高校生時代、宇和島水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海に行った折、マグロ延縄の餌に秋刀魚を使っていました。秋刀魚はマグロの餌だっただけにいい思い出とはいえませんが、それでも100キロもあるマグロやカジキ、サメなどが秋刀魚を欲しがったのですから、私が食べるのも頷けるのです。

  「今年又 親子元気で 大根の 種蒔く姿 田舎ならでは」

  「生秋刀魚 味噌汁つけて 新米の ご飯お代わり 元気回復」

   

 

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shin-1さんの日記

○熊沢蕃山の教え

 ふたみシーサイド公園恋人岬の突端に設置した、モニュメントの穴に夕日がスッポリ入る秋分の頃を迎えました。今朝妻から「お彼岸が近づいたので、お墓に供えるシキビを人間牧場から採ってきて欲しい」と頼まれました。妻はそういい残して仕事に出かけました。親類へ昨日長野県南牧村の今井さんから送ってもらったそれは見事なブロッコリーをおすそ分けする準備をして、「さあ出かけよう」と思ってトラックのキーを捜したのですが何処にも見当たりませんでした。妻に電話して置き場所を確認しましたが結局キーは見つからず、仕方がないので単車の後ろにキャリーをくくりつけて出発しました。初秋の風は気持ちよく、2~3日前の猛暑が?のようでした。

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 私は余り信心深くはありませんが、それでも人間牧場の隅にシキビの古木が何本かあって、草刈に行く度に枝を切って持ち帰り、親父や妻がお墓や仏壇に供えるのです。親父はお墓に1週間に一回くらいの頻度でお参りしていましたが、今年は暑かったし少し歳をとったこともあって、墓参りの回数が減っているようにも思えるのです。

 でも、秋の彼岸が近づくと「お墓に供えるシキビを持ち帰るように期せずして今朝頼まれました。せっかく人間牧場へ行ったので、草刈もしておこうと吸い変遷の家周辺の草を刈りました。草は昨夜の雨でしっとり濡れて、面白いように刈れました。時折入る携帯電話も対応し、昼休みには汗で濡れた作業着を脱ぎ、タオルに冷水を浸し身体を拭きました。弁当を食べながら書棚の中から安岡正篤の「人間学の薦め」という本を取り出し、読み始めました。食事が終わって背もたれにもたれて本を読む幸せを感じながら、初秋の心地よい日陰でついうとうとしてしまいました。

 最近は歳をとったせいか「人間とは何か」とか「自分とは何か」という、考えてみれば他愛のないことを考えることが多くなりました。世を捨てた訳でもないのに、民主党や自民党お家騒動もカヤの外で興味が余りなく、もっぱら自己を知り自己を作ることを真剣に考えているこのごろです。

 今日読んだ本は「達人の生き方」です。熊沢蕃山のことが詳しく記されていました。小目次は「終りを全うする道」「心の根を培養する」「自己・心・人を知るための学問」「功利的学問は学問にあらず」「生活・職業を離れて学問はない」「本当の学問の在り方ー四鳶」について納得同感する文章が書かれていました。面白いことに熊沢蕃山は陽明学の中江藤樹に行き着いているのです。

 中江藤樹は内村鑑三が書いた代表的日本人5人の中の一人であることは言うまでもありませんが、中江藤樹は大洲ゆかりの近江聖人ゆえに、学ぶ価値はあると思うのです。


  「直ぐ傍に 中江藤樹の 教えあり 何故か教えず 何故か学ばず」

  「代表的 五人に数え られる人 時代を超えて 教え尊し」

  「秋が来る 何故か読書が したくなる 書棚の読みし 本を読み解く」

  「読んだのに 何故か心に 残らずに 積読だけで 終わる古本」

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shin-1さんの日記

○市販のお茶や水は何故腐らないの?

 今年の夏はスーパー猛暑という名前がつくほど暑い夏でした。そのため熱中症が話題になり、水分補給と称して水やお茶を沢山飲みました。お陰で熱中症にはならなかったものの、過度の水分補給で少し体調がおかしくなったような気がするのです。

 体内の水分は細胞内に含まれている「細胞内液」と、血液や細胞間液などの「細胞外液」に大別されますが、細胞を構成するたんぱく質や核酸などが安定するうえで、水分は重要な働きをすると同時に、血液として常に体内を巡り、水に溶解した栄養素、あるいは新陳代謝によって生じる老廃物などの物資を輸送する役割を担っています。また体内の水分は発汗で熱を放散することによって、体温を調節する働きもしています。

 人間の身体は成人では体重のおよそ60パーセントが水分だといわれています。体重55キロの私の場合は33キロが水分なのです。体内の水分量は年齢や男女によって異なるそうで、丸々太った赤ちゃんは80パーセントが水分なのですが、成長とともに水分は減少し、高齢になると50パーセント、つまり半分しか水分はなくなってしわくちゃになるのです。しわの原因は水分減少だからといって、高齢者が水分を補給してもしわは戻ってこないのです。

 一概には言えませんが、人が一日に飲食する量の65パーセントは水分です。量にしてだいたい2,5リットルだそうで、一日に同量の水分を呼吸気や汗、小便などの排泄物として体外に排出していますが、人間の体内の水分は絶えず入れ替わりながら一定の割合に保たれて、人体の生命維持活動を支えているのですから凄いことなのです。

 こうした生命の維持システムによって水分を多少取り過ぎたり不足しても別に問題はないようですが、極端過ぎると水分バランスが崩れて病気になるので用心しなければなりません。

 最近水やお茶を飲む時々、心配になることがあります。それは自動販売機で打っている水やお茶が果たして身体にどういう影響を与えるかということです。野菜や肉や魚、それに加工品などは栄養素やエネルギーについて、また農薬などの安全について産地、製造者まで特定して細かく注文をつけるのに、水やお茶はその中身にまでは余りにも無関心なのです。

 わが家では夏になると妻が毎日麦茶を沸かしたものを冷蔵庫で冷やしたものを愛飲しますし、水も煮沸したものを冷やして飲みます。しかし市販されているお茶や水は効能書きはあるものの、果たして?と疑いたくなるのです。

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 健康を守るための医薬品や補助食品を売っているドラッグストアーの店先には2リットル入りのペットボトルに入れられたお茶や水が信じ難いほど安値で特売されているようです。自宅で作った麦茶はせいぜい1日か2日しか持たないのに、売っているお茶や水は1ヶ月置いても何故腐らないのかというのも偽らざる私の疑問です。私の友人が言うのには、市販のウーロン茶に釘を入れて実験すると、一日で真っ赤に錆びると言うのです。また外国のミネラルウォーターも本物かどうか疑うべきだとも言っていました。

 今年の夏、私の体内に大量に入った水分は、汗や尿として大量に対外排泄され、体重も瓦随時出来ていますが、水が運んだ栄養分もさることながら、身体に悪いものはどのように蓄積しているのでしょう。考えれば水やお茶も落ち落ち飲めない時代ですが、会合では相変わらず何の疑いもなく机の上に市販のペットボトルが配られ、何の疑いもなく人はそれを飲んでいるようです。

 

  「分からない 市販の水や お茶などが 何故に腐らず 長持ちするか」

  「何処ででも 水筒吸い付く 子どもたち 水分補給 ルールないのか」

  「健康を 売ってるはずの 店先に お茶水特売 ドラッグストアー」

  「お茶水を 鱈腹飲んだ 夏終わり 味覚の秋は 鱈腹食べる」 

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○運転免許証の更新

 昭和48年に免許証を取得していますから、車に乗り始めてもうかれこれ37年が経ちました。幸いにも命を落としたり大怪我をすることもなく、また相手に怪我を負わせることもなく、今日まで運転が出来たことを嬉しく思うのです。運転免許を手に入れたころはおおらかな社会で、酒を飲んで運転してもビール一本くらいなら大目に見てもらうような時代でした。ところが相次ぐ飲酒にが原因と見られる悲惨な事故が相次ぎ、最近では飲んで運転した人は当然のことながら、飲ませた人も飲んだ人と同乗しただけでも罰せられる厳しい刑罰を受けるのです。

 私の誕生日は10月3日ですが、誕生日の一ヶ月余り前の先日、一通の免許証更新を知らせるハガキが届きました。これから1ヶ月の間の都合の良い日にと思っていましたが、善は急げとばかりに今日出かけることにしました。8時30分から受付ということなので、指定された運転免許センターのある松山市勝岡町へ、朝7時過ぎに自宅を出て出発しました。出勤時間のため空港どおりは混むだろうと予測して出かけましたが、あにはからんやスムーズで、8時30分には高浜経由で到着しました。

 平日でもあるので更新者も意外と少なく、混雑することもなく手続きを済ませました。現在の免許証の更新交付を受けたのは5年前ですが、手続きが機械化されたり、一番変わっていたのは免許証に本籍地の記入がなくなっていることでした。勿論免許センターの台帳にはちゃんと登録されているのでしょうが、免許証を使った悪質な詐欺被害が後を絶たないための苦肉の策でしょうが、いただいた免許証の本籍の欄が空白なのを見ると、思わず「記入漏れでは?」と錯覚しそうでした。

 また最近問題になっている半ば半強制的だった交通安全協会の加入も、拒否すれば会費1500円を払わなくてもいいようなことにもなっていました。私は免許証を持っている人間の当然の義務だと思い、進んで会費を納入させてもらいました。

 実は大きな声では言えませんが、私はこの5年間でスピード違反と携帯電話、それに一時停止違反で切符を切られていて、反則金を3回納付しているのです。点数は3点ですが、そのことが理由で優良運転者にはなれず、2時間の法令講習グループに回され、しかもいただいた免許証は3年間なのです。自分の不注意が招いた当然の仕打ちなので、潔く講習を受け、今後は違反しないように、又事故を起こさないようにと心に固く誓った次第です。

 この五年間、交通を巡る社会は大きく変化していて、事故や違反は後を絶ちませんし、そのことに対応して道路交通法も随分厳しくなっています。飲酒運転は勿論のこと、後部座席に座っている人もシートベルトをしなければ、罰則の対象となるのです。

 今回の免許証更新は、交通安全への思いを新たにするいい機会となりました。これからも安全運転に気をつけて車に乗りたいと思いました。


  「運転の 免許更新 本籍の 欄が空白 悪用防ぐ」

  「違反者を 集め講習 その一人 なりて自戒の 耳を傾け」

  「この五年 事故にも遭わず 更新す 次回無事故 無違反誓う」

  「無意識で 運転してる ふと我に 帰る機会に 更新なりて」

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○懐かしいハガキ

 先日私の元へ、相次いで3枚の懐かしいハガキが届きました。いずれのハガキも私が夕日を売り出すためにかかわったハガキですが、すっかり忘れていた夕日への想いを髣髴させてくれるようなハガキに、懐かしき日々が蘇りました。

 私が「一日に3枚のハガキを書いたら幸せになれる」という言葉を信じて、ハガキを書き始めたのはもう25年も前のことです。それ以来一日も休むことなく今もハガキを毎日3枚書き続けているのですから、しぶといという他はなく、自分のこうした行動ににあきれ返ったり、こだわって長く続ける自分を少しだけ褒めてやりたいような心境にもなるのです。

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 このハガキは西条市の合田正一さんという方から、先日大町会館の方々が人間牧場へ研修に見えられた時のお礼状なのです。ご存知ミッキーマウスが登場しているこのハガキは、郵政省がディズニーキャラクターin愛媛2というタイトルで作成販売したものですが、バックの夕日は、夕日の日本一綺麗な双海町をイメージして作成されたものなのです。私も当時100枚ばかり買って書き、あちらこちらに出して手元の何処に保存しているのか忘れましたが、、このハガキはこれからも大切に保管したいと思っています。

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 このハガキは先日夕焼け村という通学合宿に参加していた親類の吉永早希ちゃん(由並小学校6年生)から、親父に届いたハガキです。通学合宿では一週間の期間中色々な人にハガキを出すようになっていますが、「じいちゃん!!元気?私は今夕焼け村に来ています。帰ったら思い出話を聞かせます。バッハハーイ」と書かれていましたが、このハガキはふたみの夕日夕焼けフォトコンテスト準特選の「暮れる頃」(山岡千賀子さん)作品をPR用ハガキにした懐かしいハガキなのです。

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 もう1枚のハガキは第11回ふたみ夕焼け村の石鎚登山や夕日の話にボランティアスタッフとして参加したお礼状として、双海地区公民館職員一同から届いたものです。公民館活動にいささかなりとも関わった私にとって、職員のこうした気遣いが出来るという人間的グレードはたまらなく嬉しいのです。

 このハガキお在職中に夕日のキャンペーン用に作ったもので、ハガキの裏にふたみの夕日夕焼けフォトコンテスト準特選「夕焼け晩夏」(山崎平さん)と書かれていました。


 ハガキは短文ですが人の心を打つ不思議な力を持っています。デジタル万能な時代になり、メールなら即座瞬時にメッセージが届き便利ですが、アナログなハガキは人の手から手へと幾人もの人を通じて届けられる分、何故か愛おしく、捨てきれずに書斎の隅にうず高く積まれているのです。

 使い捨て万能な時代ながらハガキの魅力を知っている私は、これからもしっかりとハガキで交流して行きたいと思っています。

  「ハガキ出す ゆえに来るから 又出して 永遠続く 心やり取り」

  「このハガキ 見覚えあると 裏返す 遠い昔の 記憶辿りぬ」

  


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○壊れていたDVD

 先日広島県福山市で開かれた福山青年会議所の例会に招かれた折、青年会議所の越智委員長さんが中心になって作ったプロモーションビデオが気に入って、越智さんにご無理なお願いをして送ってもらいました。早速パソコンに送られてきたDVDソフトを入れましたが、何故かデーターが出てこないのです。郵便局へ小荷物を出すついでに教育委員会の赤石さんを訪ね見てもらいました。私は気付かなかったのですが、赤石さんがそのCDを点検すると、表面の裏側が真っ二つにヒビが入っていました。データーの呼び出しができないのはそのためだろうという結論になり、越智さんにその旨をメールしたところ、早速メールに添付してデーターを送っていただきました。データーは丁寧にも4種類ありました。私が前もって送っていた「地域の自立とは何か」と、私を例会に呼ぶ予告編、当日のプロモーションビデオ字幕入りと字幕入りの4編でした。

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(届いたDVD)

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(何故か半分に折れて使用不能になったDVD)

 私の手元にこれだけの要領を入れるCDがないため、赤石さんに電話して昼休みにわが家書斎へ助っ人に来てもらいました。少し時間がかかり、赤石さんの昼食時間を食ってしまいましたが、何とか保存することが出来ました。越智さんが折角作ってくれた、表面に「福山青年会議所2010年9月例会 若松進一映像DVD」と書かれたDVDは残念ながら廃棄処分にしなければならなくなってしまいました。

 宅配便でとどいたDVDが何故壊れたのかは不明です。わが家の郵便受けから私が直接取り出したので、わが家に来てから壊れることはないと思うのですが、はてさて惜しいことをしてしまいました。


 赤石さんの手によってデスクトップに表示されたDVDを再生すると、凄いプロモーションビデオが映りました。越智委員長さんたちの努力によって、折角作っていただいたものなので、これから活用方法を考え、少しでも福山青年会議所のお役に立ちたいと思っています。

 早速今月あたり、山口県での講演に使うべく相手の主宰者に提案してみたいと思っています。多分これを見れば相手は驚くことでしょう。


  「宅配で 届いたCD 割れていて 送りし人に 迷惑かける」

  「便利だね メールで壊れた 書き込むと、直ぐにデーター メールで届く」

  「DVD どこかで使い 恩返し せねば私の 心がすまぬ」

  「使い方 知らぬ存ぜぬ ことゆえに 仲間に頼み 情報引き出す」 

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