shin-1さんの日記

○明日は早立ち予定

 明日は、予定が狂い朝は早立ちで山口県萩市へ講演に出かけます。日帰りですが帰りは遅く、深夜になると思います。お急ぎの方は携帯にご連絡ください。

                人間牧場主 若松進一

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shin-1さんの日記

○誰かいい人おらんかねえ

 人の目から見れば私のことを、外交的で世情のことを良く知って顔が広いと思われているようで、時々私に「あんたは顔が広いから、誰かいい人おらんかねえ」と、相談を持ちかけられるのですが、こと縁談に関しては世代が変わったというのか、余り若者の情報を知らないし、ましてや年中忙しく過ごしているため、田舎の若者に嫁さんがない事実に心は痛めていても、正直言ってそんな暇はなかったのです。

 私たち夫婦は若い頃10組ほどの仲人をしていますが、それはもう随分前のことなので、今の若者の結婚事情をまったくといってよいほど知らないのです。そんな折妻がある人から写真と釣書を預かってきました。私に「誰かいい人おらんかねえ」と相談を受けましたが、うわの空で「そんな人はおらんし、俺もそんな暇はない」ととぼけていました。

 ところが妻は、親類や知人友人にそれとなく電話を入れて相手探しを始めたようです。まだ海のものとも山のものとも分かりませんが、私はふと「ひょっとしたら結婚相手を探してあげることだって立派な地域づくりではないか」と思ったりしました。今私たちの周りには結婚したいと思っても、結婚相手に巡り合うことすら出来ない人が沢山いるのです。私たちが若い時代のように男女が出会う青年団活動などもなくなり、両親と農業や漁業をしながらひっそり暮らす真面目一辺な若者を見るにつけ、何とかできないものかといつも思うのです。

 先日そんな独身の息子さんのいる家の隣にするおじさんと、ひょんなことから話をする機会がありました。隣のおじさんの話によると隣では、最近お母さんが亡くなり、お父さんも病弱で寝たり起きたりだそうです。これまで家事を一手に引き受けていたお母さんがいなくなり、家事とお父さんの介護はこの息子さんの肩に大きくのしかかっているようでした。


 見かねた隣のおじさんの隣の息子を気遣う言葉は、「誰かいい人おらんかねえ」でした。昔は村のそこここに縁結びを得意とするやり手のおばさんがいましたが、そういう物好きなおばさんは皆無で、真面目でけなげな隣の息子さんのことを何とかしてくれる手立ては残念ながら見つかりそうもないのです。

 「若松さん、あんたはまちづくりだの何だのとやっているが、隣の息子さんに嫁さんを探すようなことも考えたらどうか」と、びっくりするような重い荷物を背負わされてしまいました。かつて役場に勤めていたからといって、私がその役割を担わなければならない理由は何処にもありませんが、だからといってこの厳しい現実に目を逸らすこともできません。「考えておきましょう」と、その場はお茶を濁しましたが、高齢化・過疎化・少子化・限界集落・産業不振などなどとともに、嫁不足は田舎の大きな社会問題でもあるのです。私の息子たちも30歳を越えてなお独身です。他人事とは思えない嫁さん探しを、本腰入れてやってみようかと、考えた朝でした。


  「会う度に 誰かいい人 おらんかね 聞かれるけれど さっぱり見えず」

  「母亡くし 家事と介護を する息子 傍から見てて 何とかせねば」

  「まちづくり 偉そう口を 叩くけど 俺など所詮 役にも立たず」

  「見合いして 妻を射止めた 俺だけど やり手おばさん 進められねば」

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○中秋の名月に秋刀魚とサツマイモ

 外はまだ暗い今朝5時、稲光と同時に待望久しかった雨が風を伴って降り始めました。昨日の夜の天気予報による天気図では、日本列島に沿って延びる温暖前線が南下して四国を通過するために、雷雨になるのではと予想していましたが、少し時間が遅れて今朝の雨となりました。このところの厳しい残暑で、畑は乾ききっていただけに農家も、勿論私のような家庭菜園に種を蒔いたり苗を植えた者にも恵みの雨となりそうで、戸を叩く雨音を聞きながら朝の目覚めを迎えています。

 それにしても昨晩はラッキーでした。天気予報だと中秋の名月は見れないだろうと予想されていましたが、どうしてどうして、多少ぼんやりとかすんでいましたが、久しぶりに名月を堪能しました。

 昨日は中秋の名月ということで、妻が仕事に出かける時、「畑のサツマイモを試し掘りして欲しい」と頼まれていました。人間牧場のサツマイモが半分もイノシシやハクビシンの被害に遭っているため、代用として私の家庭菜園のサツマイモを提供する案を下見に来た赤石主事と宮栄館長が帰ったのを見計らって、早速わが家用のサツマイモのつるを切り、三つ鍬でマルチの下のサツマイモを掘りました。

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(人間牧場のサツマイモ畑はイノシシとハクビシンの被害に合いました)

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(試し掘りしたサツマイモ)

 乾いた畑からまずまずの赤いもが出てきました。3人分なので3株掘りました。自宅の玄関先に宅配便の不在通知が置かれていました。見ると埼玉の友人工藤さんが荷送り人のようでした。毎年届く荷物なので直感的に「大船渡の秋刀魚」を思い出し、宅配業者の携帯に電話し、夕方には在宅なので届けて欲しいと告げました。とっさに生秋刀魚の塩焼きと刺身が頭の中に浮かび、サツマイモと秋刀魚という秋の味覚を中秋の名月とともに楽しめる幸せを感じました。

 仕事から帰った妻は早速調理に取り掛かりました。秋刀魚は今が旬で油が乗っているため、外で焼くことにしました。やがてもうもうと秋刀魚を焼く煙が立ち上りました。隠居の前にいた親父が「煙が出ている。火事ではないのか」と言いに来るほどの煙でした。早速近所へおすそ分けしましたが、とても喜んでくれました。

 私は秋刀魚が大好きなので、友人西岡さんから貰った新米で炊いた真っ白なご飯とともに、大いに秋の味覚を楽しんだのです。お陰で少し食べ過ぎたような気もするのです。

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(夜空に浮かぶ中秋の名月です)

 夕食が済んだ8時頃、月を愛でるためにいつもの道を妻と二人でウォーキングしました。往復2キロほどの道すがら、雲もない満月の明るい月明かりに照らされた田舎の道は、秋の虫が鳴き最高の演出です。九州や中国地方では降り出した雨で名月を当て込んだ茶会や芋煮会が散々だと悔やんでいるのに、妻と二人で中秋の名月を心行くまで堪能することが出来ました。

 サツマイモに秋刀魚、それに名月と美人(ゴマをすった妻のこと)、こんな幸せを独り占めしていいのでしょうか。ご馳走様でした。

  「中秋に 試しに掘った サツマイモ 土の中から 赤芋ゴロリ」

  「大船渡 港の名前 描いた荷は 秋刀魚どっさり 氷詰めされ」

  「芋秋刀魚 新米ご飯 最高の 秋の味覚を 妻と二人で」

  「月と妻 伴い夜道 ランデブー 虫の音さえも 演出加え」

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○若者よ頑張れ

 今日は砥部町に住む一人の若者が私を訪ねてやって来ました。行き先不透明な社会で人生に悩む若者は、不景気や就職難ゆえに多い昨今ですが、三十路を超えようとする年齢になっても、自分の思い通りに生きられない若者の姿を見ていると、自分の息子を見ているようで胸が熱くなりました。

 幾つもの職を転々としたお陰で、回り道の効果というのでしょうか、色々な人にめぐり合い、色々なことを学んできた若者は、考えも行動もしっかりとしていて、私のアドバイスにも何かヒントを見つけようと、わが家の庭先にある東屋で1時間ばかり話しこみました。

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(若者の前にほろがる180度の視界は、心の鏡にどのように映ったのでしょうか)

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(西側の眺望)

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(北側の眺望)

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(東側の眺望)

 気分転換に二人で人間牧場へ行きました。背もたれ椅子を二つウッドデッキに出して二人並んで寝そべり、眼下に見える雄大な瀬戸内の景色を眺めながら人生について語り合いました。今日の人間牧場は飛びっきり上天気で、180度の視界はワイドビューで絶品といえるものでした。

 この景色は私の人生や思考の原点であり、「悩んだら元に戻れ」という親父の言葉どおり、人生の幾つもの試練の時々にこの景色にどんなに励まされたことか分かりません。特に漁師を病気の都合で転職して役場へ務めることになった時、また多くの反対を押して夕日でまちづくりを始めた時、退職して人間牧場を造ろうと決意した時々に、この雄大な自然は私の心に大きな力を与えてくれたように思うのです。


 人間にとって行く道には必ず分かれ道があります。左へ行くか右へ行くか、好きな方か嫌いな方か、楽な道か苦しい道か、選択しなければならないのです。道を間違え「悩んだら元に戻れ」と親父は言うが、後戻りできない決断もありました。今日私を訪ねてきた若者にもそのことを具体的に話してやりました。

 聞けば嬉しいことに私の話をある集会で、若者の父親も聞いたことがあるそうでした。「また来ていいですか」「いつでもおいで」と言葉を交わし若者は帰って行きましたが、はてさて若者は人生の分かれ道でどっちの道を選ぶのでしょう。厳しい社会の荒波だけど頑張って欲しいと後姿に声を掛けました。


  「迷い道 壁も色々 あるけれど 一歩踏み出す 勇気頑張れ」

  「迷ったら 元に戻れと 父は言う ゆえに戻らず 一歩踏み出す」

  「考えも しっかりしてる 若者を 何故に仏は ほっとくのだろう」

  「おい見ろよ こんな景色を 見ていたら 悩み事など 小さいもんだ」

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○ハトは益鳥か有害鳥獣か

 最近わが家の周辺に50羽くらいのハトの群れがやって来て、稲刈りの終わった田圃で何やらついばんでいるのです。最初は初秋の真っ青な空を気持ち良さそうに飛ぶハトの群れを見て、「綺麗だなあ」と思っていました。ところが稲刈りの終わった田圃をよく見ると、中耕した田圃には二毛作として蕎麦の種が蒔かれているようでした。どうやら発芽するかしない程度のそばの実を一生懸命啄ばんでいるようでした。最初は手拍手をしたり、人や車が通るだけでも敏感に飛び立っていましたが、そのうち人間様になれたのか鷹揚になって、少々の物音ではは驚かなくなったのです。

 ハトといえば平和のシンボルとしてあがめられ、平和の祭典やスポーツ大会の開会式のセレモニーで一斉に飛ばされ、その一糸乱れぬ飛行は誰が集め誰が訓練したのかといつも感心させられたものでした。またハトは通信手段の発達していなかった昔は伝書鳩といって、足環につけた書面を何百キロも向うまで届けるという優れものとして、多くの物語に登場してきたのです。

 私が小さい頃、近所にハト好きな人がいて、何羽かのハトを飼っていました。「クークー」となく愛らしいハトの姿を見て、あるいは外に飛ばしてもいずれ巣に帰ってくる律儀さに感心し、自分もいつか飼ってみたいと思ったものでした。

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(蕎麦の実を啄ばむハトの群れ)

 はてさて、そんな良いイメージの益鳥と思っていたハトでしたが、実は若い頃ショッキングな光景を目にしました。友人の住んでいた兼営アパートにハトが住み着くようになったのです。一羽や二羽ならまだしも、かなり沢山のハトが軒先の至る所に巣作りし、地面にはハトの糞や羽毛が飛び散り、洗濯物も干せない有様でした。たまりかねた住人たちはかすみ網を張り巡らし、何羽かのハトはかすみ網にかかって死んでいましたが、見せしめのためか死骸をそのままに放置していました。若い時にヒッチコック監督の「鳥」という映画を見ましたが、一瞬映画のシーンを思い出し、背筋が涼しくなるのを覚えました。この団地は古くなって買い足されて跡形もありませんが、今もその近くを通ると思い出される光景です。

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(低く高く飛ぶハト)

 私たちが住んでいる田舎では、伝書鳩はそんなに見受けられず、むしろ山鳩が沢山いて、余り群れは作らない斧の4~5羽が蒔いたばかりの野菜の種を食べたりするので、テグスを張ったり脅しを作って追い払うのですが、いつの間にか姿を消すのです。どんな鳥でも悪さをしなければ益鳥ですが、人間牧場の外壁に穴を開ける啄木鳥(赤ゲラ)も、そばの実を食い荒らすハトの群れも全て有害鳥獣となるのです。まさか人間の近くに降りてきて餌をついばむハトに鉄砲を向ける人はいませんが、畑の主はこのことを知って知らずでか、「今年の蕎麦は発芽が悪かった」くらいで終わるのかも知れませんが、味を占めたハトたちは今朝もクークーと鳴きながらそばの種を食べていました。発芽蕎麦で打った蕎麦は最高の味だという人がいますが、どうやらハトたちも発芽蕎麦を楽しんでいるのかも知れませんね。


  「人間が 平和といえば 連想す ハトが有害 鳥獣だとは」

  「昔見た 鳥という名の 映画には 鳥が人間 襲う姿が」

  「益なのか 害なのかさえ 考えず イメージだけで 鳥を見ていた」

  「蕎麦の実を 無心啄ばむ ハトを見て 長閑田舎の 風景思う」

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○私たち夫婦も高齢者の仲間入り

 昨日は敬老の日でした。わが家の長男と次男から相次いで電話が入り、「おじいちゃんにプレゼントがしたい」というのです。毎年のことながら親父を気遣う優しい心に育っていることを嬉しく思うのです。彼岸でもあるので妻が実家の墓参りに出かけて留守だったので、とりあえず次男が親父にプレゼントするお酒を持って帰ってきました。次男に「お父さんは競演からお母さんも今年から高齢者なので、敬老の日の対象者だ」とさりげなく言うと、「えっ、お父さんもお母さんも早そんな歳なの?」と驚いた様子でしたが、「お父さんやお母さんはまだ年寄りじゃない」と否定されてしまいました。確かに私たち夫婦は高齢者になりましたが、昔と今は高齢者の概念が違うように思うのです。

 日本における65歳以上の高齢者は944万人だそうです。総人口に占める割合は23.1%で、過去最高を記録し、前年に比べ46万人も増えているのです。男性は全男性人口の20.3%、女性は全女性人口の25,8%で、80歳以上の人はこの60年間で22倍になって世界一の長寿国となっているのです。

 男性は5人に1人、女性は4人に1人が高齢者で、私たち夫婦もそのカウントに入っているのですから意味深です。昔は長生きすることは何よりも強い願望でした。でも10歳を越えて生きる人など稀でした。ところが最近は周りの人が皆長寿で、100歳を越えた人が県内にでも700人を越えているというから驚きです。

 長生きは喜んでばかりはいられません。福祉が充実し国民皆年金の時代になって経済的には豊かになりましたが、介護や痴呆、独居、病気など高齢化社会の向こうには様々な問題が横たわっているのです。私たち高齢者にとって大きな課題はいかに健康で生きがいを持って生きるか、いかに老いるか、いかに死ぬかでしょうが、「昨日まで 人のことかと思いしに、俺が死ぬのか これはたまらん」と他人事ではないのです。

 ちなみに65歳以上の二人世帯で換算すると、65歳以上世帯の平均貯蓄高は2305万円で、65歳以下の1327万円を大きく上回っているようです。一方パソコンの普及率は65歳以下の84.3%に比べ56.3%と大きく下回っていますが、携帯電話は81.2%に対し97.6%となっています。

 親父には今年も敬老会の案内がありましたが、私たちにはまだもう少し働けということでしょうか。セミリタイアの私もいよいよ本当のリタイアの時期が近づいて来たようです。でも親父の歳まで生きるにはまだまだ元気で長生き、そう「元気で夫婦揃って長生き」が目標なのです。

 最近私たちの周りの同年代の人が病気を発症したり、病気で入院したり、帰らぬ人となったりする噂をよく耳にするようになりました。どうやら年齢的にも一つの関門かも知れません。この関門を越えないことにはいい人生の仕上げも夢のまた夢となるのです。


  「父さんと 母さん二人 高齢者  敬老祝え まだまだ早い」

  「他人事 思っていたのに 夫婦して カウントされる 歳になったか」

  「携帯と パソコン持った 高齢者 使いこなせず 持っているだけ」

  「そういえば 65年も 生きたのか 後向くまい 前向き歩く」

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○種の生命力は凄い

 家庭菜園の畑を耕運機で耕し、畝を立てて種を蒔いてから一週間近くが経ちました。その間一滴の雨も降らず毎日30度を越える残暑が続いています。親父は庭の隅にある井戸から家庭菜園の各所に、自分で配水パイプを引いて水遣りができるようにしていますが、その井戸水を使って毎夕水を撒いたお陰で二日前から大根の種が芽吹き、可愛らしい緑色の双葉が地上に出てきています。目の薄くなった親父には最初芽吹きは見えなかったようですが、昨日の昼頃には芽の列がしっかりと確認できるようになりました。太陽が沈み地上の熱が収まった頃を見計らって散水を続けてきた親父にして見れは、種の発芽は嬉しかったようで、「これで今年の冬も大根を食べることが出来る」と喜んでいました。

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 それにしても種の生命力は凄いと思います。一粒0.5mにも満たない小さな種が太陽の恵みを受けた大地の熱と水によって芽吹くのです。一緒の日に蒔いた小松菜やコカブ、高菜などの種はもっと小さく、虫眼鏡の世界でしかない種が、根と茎と葉っぱの基をしっかりと種の中に蓄えているのですから驚きです。

 種は硬くて丸く潰そうと思っても潰れませんが、水を含むと種は容易に表皮を割って発芽と発根をするのです。地中と営みは目に見えないため知るよしもありませんが、地上に出た目はやがて双葉の上に葉を茂らせて行きます。小松菜やほうれん草などは葉を食べるためある程度生育状況が分かりますが、大根は食べる根の部分の成長が重要なので、種蒔きと同時に施肥した有機肥料が効いて、どんどん成長して行くことでしょう。

 今年の秋は好天に恵まれて、各地で開かれている運動会も気を揉むこともなく順調に推移しているようですが、夏からの続く猛暑は観測史上様々な記録を塗り替えるほどで、少雨状態はみかんや野菜に大きな打撃を与えているようで、干ばつ対策本部を設置して水遣りを促しているようです。雨が少ないから水をやるという対処法は誰もが考えることですが、みんなが水を欲しがるのですから、我先にという競争や揉め事が必ず起ります。利口な人は、人が水に見向きもしない雨の多い頃に水を蓄えたり、配水パイプの手入れをして事に備えるのです。一見逆のようですがこれは理に叶った対処法です。水を制すれば儲かることが分かっていながら、目に見える目先のことしか出来ないのも、これまた人間の悲しい嵯峨かも知れません。

 その点92歳になった親父が庭の隅に井戸を掘り、配水パイプを引いた行動はわが親ながら賞賛です。「井戸を掘ったが泉が湧かぬ」ハズだったわが家の井戸も、井戸の底に水道(みずみち)が出来たのか、今年のような旱魃にさえびくともせず、たっぷりの水を蓄えているのです。私には真似のできない先陣の知恵なのです。


  「この種の 何処にあるのか 生命力 芽と根を伸ばし やがて野菜に」

  「この種は 何処で採れたか 分からぬが 我が家の畑 夢のゆりかご」

  「空袋 隅に一粒 種残る 愛おしくなり 畑にそっと」

  「今年また 季節巡りて 種発芽 冬に供えの 野菜が育つ」

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○松樹千年翠

 古い言葉に「松樹千年翠」という言葉があります。変わらないものの価値を見失うな」という例えですが、私たちはややもすると世の中の新しいものや華やかで面白いものに目を奪われがちです。テレビの視聴などはその際たるもので、最近のテレビ番組などはゴールデンタイムを狙ったバラエティが多く、コマーシャルで番組を製作しなければならない製作会社は、視聴率アップを狙う余りにやらせなどをやってしばしば問題になるのです。

 人間には本質的要素と付属的要素がありますが、徳とか徳性、つまり人が人を愛すること、人のために尽くすこと、清いこと、?をつかないこと、、真面目なこと、守るべき事を守ること、敬いや感謝などなど数え上げれば切がありません。しかし戦後50年余りでこれら本質的要素がないがしろにされ、むしろ付属的な要素である知識とか学歴とかがあたかも人間の真価のように思われてきました。たしかにこれらもないよりはあった方がよいのですが、本質的要素には遠く及ばないのです。

 先日ある人から、ある女性の結婚話の相談が持ち込まれました。私の顔が広いと勘違いをしての相談でしたが、その釣書には何処を出たという学歴と、どんな会社に勤めている、親がどんな仕事についているということが主流で、その女性の本質的な優しさや気配りといった本質的要素はどこにも書いていませんでした。釣書を持ってきた人に、「相手の女性はどんな性格なの?」と尋ねても、「よく分からない?」と心もとない返事で、挙句の果てに「あなたがその目で確かめて下さい」と心もとない話でした。

 仕方がないので早速出会いましたが、東京の一流大学を卒業し、役所に勤めているようで、それなりの顔立ちでしたが、喫茶店でお茶を飲んだだけなのに情の厚さや気配りに今一なところを感じたため、「私だったらこの人と結婚するだろうか?」と思い、この釣書は相手にお返しすることにしました。人を表面だけで判断は出来ませんが、にじみ出る女性らしい気配りは、今も昔も変わらない本質的要素だとしみじみ思いました。「あなたは今時古い」と思われるかも知れませんが、子どもを育てる場合でも人を思いやる優しい心を育てて欲しいと、娘や息子に伝えています。

 わが家の庭に植えて40年近くになる松樹があります。この木はそんなに大きくはないものの山取りのため、幹肌は荒れいい松の条件を満たしています。わが家に植えられてから40年、この松は親父の手によって毎年2回剪定の鋏が入れられ、40年前と殆ど変わらない容姿を保ち続けているのです。この木が庭にあることは知っていても、その存在を日々の暮らしの中で感じることは殆どありませんが、この松の木があるだけで、庭は締まって見えるのです。まさに「松樹千年翠」なのです。

  「本質を 見抜く力を 身につける 難しながら 大事な目利き」

  「わが庭の 松樹しっかり 生き抜いて 親父とともに 存在示す」

  「何処を出た そんな学歴 糞食らえ 大事なことは 人間力だ」

  「まだまだだ 修行足りぬと この身恥ず 進化の速度 一向進まず」


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○虫の声

 虫と言われて連想するのはどんな虫でしょう。残念ながら私はハエや蚊、ゴキブリ、カメムシなどなど、余り良いイメージの虫は頭に浮かばないのです。私たちの住む四国は日本列島の中でも比較的西に位置していて、雪もほとんど降らず積もらず、瀬戸内海に面しているため気候が温暖な地域です。そのためそれらの虫たちは5月の連休頃から出没し、9月いっぱい活動するため様々な工夫を施しています。ゴキブリにはゴキブリ団子、蚊には蚊取り線香や蚊取り器、ハエにはアースジェットなどを使いますが、悪玉菌ならぬ悪玉虫は夜昼となく暗躍して私たちを悩ませるのです。極めつけはあの強烈な匂いを発するカメムシで、白い色を好むのか白い洗濯物に留まって、下手をすると家の中まで入り込んでしまうのです。このカメムシも昔は冬は死滅していたようですが、地球温暖化の影響でしょうか越冬するようになり、みかんや柿等の農作果物に止まって果汁を吸い取るのです。吸い取られた果物は商品価値が落ちるため、農家は一生懸命防除消毒をするのですが、農薬免疫が出来たカメムシは、今や人間と仲良く共存しているようです。

 何年か前最後の清流といわれる四万十川沿いや四国愛媛でも大きな川の一つである肱川沿いに夏宿を取ったり夏キャンプをしたことがありますが、夜になると無数の虫たちが出てきて驚いたことがあります。沿線に住む人たちの言い分は「虫がこれほどいるのだからこれが自然なのです」と平気で自慢していましたが、海沿いに暮らす私たちにとっては考えられないような出来事でした。

 さて、そんな悪い虫たちを連想する夏も終り、家の周りでは秋の虫たちが涼やかな音色を響かせるようになってきました。久しぶりに我が家へやって来た孫たちは、何処からとも泣く聞こえてくる虫の声が何とも不思議な様子で、一昨晩は懐中電灯を片手に家の外に出て、虫かごを持って虫の観察に出かけました。声のする方を探すのですが残念ながら「声はするけど姿が見えず」諦めてしまいました。

 ところが夕食が済んでテレビを見ていると、何処から入り込んだのか黒いコオロギが一匹、横になっていた妻の腹に止まったのです。孫たちは大騒ぎをして飛び跳ねるコオロギを捕まえ、虫かごに入れ、ナスを輪切りにして爪楊枝を突き刺し与えました。オスかメスかも分からぬコオロギに孫たちは釘付けになりましたが、結局諦めて深い眠りにつきました。

 夜中じゅう鳴き通している秋の虫の鳴き声と虫の名前は中々一致しません。確か子どもの頃に習った「虫の声」という歌があったと思い、インターネットで検索しました。

      「虫の声」 (作詞作曲不詳/文部省唱歌三年)

 1、あれ松虫が 鳴いている

   ちんちろちんちろ ちんちろりん

   あれ鈴虫も 鳴きだした

   秋の夜長を 鳴き通す

   ああおもしろい 虫のこえ

 2、きりきりきりきり きりぎりす(こおろぎや)

   がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫

   あとから馬おい おいついて

   ちょんちょんちょんちょん すいっちょん

   秋の夜長を 鳴き通す

   ああおもしろい 虫の声

 私の耳に聞こえる虫の鳴き声は、そう言われてみればそう聞こえますが、あの無視は何々と識別判断することは出来ないようです。今朝も昨晩の名残を引きずって秋の虫たちが鳴いているようです。虫の声に耳を傾ける余裕と風流を持ちたいものです。


  「コオロギが 草むら見まがう 妻の腹 寄ってたかって 追いかけ回す」

  「鳴き声を 聞いても何の 虫なのか 分からぬままに 孫に説明」

  「田舎ゆえ 虫の音色の 際立ちて 孫は不思議と 言わんばかりに」

  「虫の声 風流余裕 楽しむが 何の虫かは 知るよしもなし」

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○お父さ、今年は黒くなったねえ

 今日は友人の母さんの葬儀が午後2時から伊予市農協会館のルミエールという葬祭会館であり、私とご主人、妻と奥さんが揃って友人ということもあって、二人で告別式に参列しました。親類の告別式なら二人喪服で揃って出かけるのですが、他人の葬儀に夫婦揃って出かけることは稀なので、少し変な気持ちでした。予定通り午後2時に読経が始まり、予定通り午後3時に出棺霊柩車をを見送り、少し時間が早いので精進落としをしようと、近くの温浴施設で汗を流し、久しぶりに二人で近くの回転寿司の店へ行きました。二人のカウンター席が運よく空いていて、連休のためファミリー席を待っている人たちの列を尻目に、席空きを待つこともなく寿司を楽しみました。私はハマチやカツオといったものが好きですが、妻は貝類やエビ、イカ等を8皿ずつ食べて午後6時前に自宅に戻り、白鵬が55連勝した瞬間を見ることができました。大相撲も先場所は暴力団や野球賭博問題で、NHKテレビ中継がなく寂しい思いをしましたが、このところの白鵬の連勝記録で再び息を吹き返しつつあるようです。このまま双葉山の69連勝を目指して頑張って欲しいものです。

 相撲中継が終り、もう服を着替えるため裸になると妻が、「お父さん、今年は黒くなったねえ」と感心してくれました。早速鏡に裸のまま写すと、確かに顔も腕も真っ黒に日焼けしていて、思ったより黒いのに驚きました。

 自分お書斎に行き、デジカメに足をつけ自動シャッターで自画像を撮ってみました。「ウーン黒い」、自分でも納得するような黒さです。このところ人間牧場の草刈り、家庭菜園の苗物植えや野菜の種蒔きなどなど、戸外しかも猛暑日や真夏日の残暑の中での戸外作業が続いたため、日焼けしたようです。作業は長袖シャツと広縁の麦藁帽子を着用していますが、菜園の種蒔きなどは軍手を脱いで素手で作業をするため日焼けしたものと思われます。昔は日焼けは労働者の勲章のように言われていました。最近は太陽の下でバカンスを楽しむセレブ層の人たちの方がゴルフや海水浴、海外旅行など太陽に当たる回数が多いので金持ちの勲章だといわれてきました。労働者でありセレブでもない私の、太陽に焼けて黒くなった顔色を他人はどのような評価をするのでしょうか。まあ他人の目は別として、目下のところ顔色だけを伺うと健康そのもののようです。

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(大相撲秋場所にあやかり、肉体美ならぬ骨体美、65歳の自画像です。白い所もあるんです)

 妻が驚くほど黒くなった私の顔色は、徐々に黒くなったため、2~3日室内にいたくらいで元の顔色に戻ることはないようです。加えて暑さ寒さも彼岸までという9月の半ばを過ぎてもなお残暑が残る明日は、私が学校評議員をしている由並小学校の運動会です。ご案内をいただいているので参加しようと思っていますが、明日も間違いなく日中は真夏日のようです。日焼け止めを塗るほどのことはありませんが、できるだけテントの下で観戦したいと思っています。

 この夏はたっぷり汗をかいたせいか、また肉体労働をしたせいか、身体も幾分引き締まり、55キロをキープしています。腕や肩の筋肉も昔のようには戻りませんが、まあ何とか男らしさを保っています。さあ食欲の秋がやって来ました。魚も果物も美味しいし、先日は友人西岡栄一さんが新米をどっさり持ってきてくれました。新米の炊きたてのご飯は問えも美味しく食欲をそそります。どうにか暑かった夏も元気で乗り越えることが出来たようです。


  「お父さん 黒くなったと 妻が言う 鏡に写し 自分納得」

  「自画像を デジカメ写し アップする 何度撮っても 黒々黒い」

  「俺は今 サンデー毎日 自由人 顔が黒いの 当たり前だろう」

  「色黒い 男勲章 思ってる 人は黒さを どんなに見るか」

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