shin-1さんの日記

○卒業しなかった人に卒業証書

 昨晩は年輪塾のメンバー10人ほどが行きつけの居酒屋に集まり、一風変わった卒業証書授与式を行いました。卒業証書を授与したのは年輪塾塾長の私、卒業証書を授与されたのは大学院を中途退学した若者です。この若者は千葉県(本当は広島県呉出身福山育ちだそうです)から、はるばる松山の大学に入学して卒業しましたが、折からの就職難の突風にあおられて就活が上手く行かず、結局は大学に残り院生として勉強をする道を選んだのです。しかし様々な環境に馴染めずついには大学院を退学する決断をしたのです。退学しても進路は決まらず間もなく郷里の千葉へとりあえず身を置くそうですが、将来のことを思うとついついネガティブな考えになるようです。

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 彼は大学在学中からボランティア活動に興味を抱き、子どもを巻き込んだ活動に特に熱心で、その関係もあってえひめ地域政策研究センターの主宰する地域づくり人養成講座にも参加して皆さんと楽しくやっていました。そんなきっかけで年輪塾や人間牧場へも単車で参加するなど仲間の輪も広がっていたのです。

 先日突然年輪塾ネットで皆さんに、退学の意思表示をメールで伝えてきた時は本当に驚きましたが、私を含めて仲間内の何人かは慰留もしたようですが、意思が硬いだけに結局はその行方を見守るだけしか出来なかったのです。

 それだったらせめて激励のためのお別れ会をしてやりたいと、清水塾頭や米湊大番頭や松本小番頭が中心になって、送別会のようなスタイルとなりました。清水塾頭が密かに本人にも内緒で、大学の卒業証書ではなく年輪塾の卒業証書をつくりましたが、記念に「采根譚」という本を塾長と塾頭でプレゼントしました。

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 地域づくり人養成講座の同期生である青き晴美さんは自作の素敵な茶碗をプレゼントしたようです。この日は真鍋さんや新山さんも駆けつけていただき、終始賑やかな送別会となりました。私も若い頃を振り返ると顔が熱くなるような失敗や回り道をしてきましたが、今となってはそれもよき思い出となっていますから、米谷さんも臆することなくこれからも堂々と、人生にチャレンジして欲しいと祈っています。

 皆さんのはなむけの言葉もとてもいい言葉が沢山あったようです。

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  「本物は 貰えないけど 本物の 卒業証書 しかと手渡す」

  「これだけの 人が集まり 旅立ちを 祝ってくれる それも幸せ」

  「壁ありて 回り道ある 人生を 一生懸命 生きて欲しいと」

  「乾杯の 声高らかに ウーロン茶 それでも酔った ような気分に」


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○3つのリンゴであなたの潜在能力テスト

 毎年この時期になると地元郵便局のカウンターに、いかにも美味しそうなリンゴのサンプルが置かれます。実はこのリンゴはイミテーションで、「訳ありリンゴ」の販売促進用モデルなのです。郵便物や荷物を郵便局へ持って行く度に、すっかり顔馴染みとなった郵便局の女性職員から、「今年も訳ありリンゴのご注文を」と勧められています。実はこの「訳ありリンゴ」はある年、収穫前のリンゴが台風の大風で大きな被害を受けた時、リンゴ農家を助けようと始まったのです。これが意外と好評だったため、落ちなかったリンゴには「落ちないリンゴ」と名前をつけ、受生や就職試験に望む時期に売ったり、少し傷がついていてもアジは美味しいものに「訳ありリンゴ」と名前をつけたりして売っているのです。リンキャベを実践しているわが家でも、毎年この「訳ありリンゴ」を沢山買って食べていますが、味はいいようです。

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 リンゴのイミテーションは実によく出来ていて、先日そのうちの一個を許しを得て貰ってきました。これを3個にして話のネタにしようと、先日リンゴを買い求めある講演会場へ持参しました。一個のイミテーションは軽いものの残りの2個は本物なので持ち運びに重たく、今日あたり郵便局長さんにお願いしてあと2個手に入れたいと密かに思っているのです。

 このリンゴをネタにどういう話にしたかというと、「3つのリンゴ」の話です。まず一つはニュートンのリンゴです。ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を(発見)しました。次にアダムとイブの話や白雪姫の話の出てくるのは毒入りリンゴです。毒が入っているかどうかは食べなければ分かりませんが、そのリンゴを見抜く(眼力)や(信用)が必要です。三つ目はウイリアム・テルの話です。頭の上に乗せたリンゴを弓矢で射抜く話にはハラハラドキドキしますが、(目的}を持って(挑戦)することの大切さを説いています。


 さてあなたは一個のリンゴを見て、どんなリンゴの物語を想像するでしょう。ニュートンのリンゴを思ったりアダムとイブや白雪姫を思うかも知れません。またウイリアム・テルを思い出す人もいるでしょう。その思い出す物語によってその人の潜在能力の順位が決まるようですが、私はこのリンゴの結末に、郵便局の「訳ありリンゴ」の話をするのです。人間には美しく見せたいという(見栄)の気持ちが必ずと言っていいほどあります。しかし人間早々完璧な人はいないのです。時には人に知られたくない古傷(過去)を持っていたりしていますが、それで人間の値打ちが変わるものではありません。役職がなくっても、古い傷を持っていても人間らしく生きている人は世の中沢山いるのです。

 今年もリンゴの美味しい季節がやって来ました。あなたも是非郵便局の「訳ありリンゴ」を食べて、あなたの心の中に潜む(優しさ・思いやり)心を発見しては如何でしょう。


  「リンゴ見て 何を連想 テストする 私はやはり 訳ありリンゴ」

  「本物と 見まがうほどの イミテーション 食べれぬ故に 美しいのか」

  「常日頃 リンゴを食べて 健康に 医者要らずとは よく言ったもの」

  「あと二つ 欲しいと思う リンゴ故 局長ねだり 行こうか迷う」 

 

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○トイレが綺麗なパチンコ屋事情

 今日は日本銀行の会議室で金融広報アドバイザーの研修会が予定より1時間も早く終わったため、久しぶりに大街道にある明屋書店へ立ち寄り、何冊かの本を読書の秋に相応しく立ち読みしました。そして2冊で2千円余りの投資をして本を買い求めました。最近は年齢のせいなのか昔のような読書意欲が湧かず、折角買った本も書斎の隅に積ん読状態になっているのです。

 本屋を出ると急に小用をもよおしたので、大変失礼な話ですが仕方なく近くのパチンコ屋さんのトイレに入りました。そういえばパチンコ屋へはこの10年一度も入ったことがないなあと思いつつ、タダでトイレをお借りしました。昔のパチンコ屋さんのトイレは小便器にタバコの吸殻やガムが落ちていて、汚いものの代名詞のようでしたが、今パチンコ屋さんのトイレは掃除が行き届いていてピカピカで、便器はウォッシュレットと、まあ至れり尽くせりなのです。

 小用を済ませ店内へ入ると、店員さんが「いらっしゃいませ」と愛想のいい声を笑顔で掛けてくれました。「私はトイレを借りただけ」と言いたくても言えず、さもパチンコをしに入ったような顔をしてそこら辺を何気なく歩きました。店内は相変わらず音楽と間珍この音が賑やかに聞こえ、平日の昼過ぎというのにパチンコ台の前にはほぼ満員の状態でパチンコに熱中していました。中には自分の横に何ケースもの箱を積み重ねて、大当たりしている人もいましたが、殆どの人は渋い顔をして残り少ないタマの行方芽と顔の表情で追いかけ、財布から取り出した1000円札を何枚も入れて憮然とした態度を顔に表していました。


 ふと店内を見渡すと、男性の客に混じってかなり多くの女性が一心不乱にパチンコをしているのです。昔はパチンコや飲み屋といえば男性の代名詞のように思われ、女人は禁制のようでした。ところが聞くところに寄れば最近はレディー専用のコーナーまで用意され、かなりの女性がパチンコ店通いをしているというのです。前々からその話は聞いていましたが、実際に目の当たりにして少しショックを受けました。

 年齢を聞いた訳ではありませんが、見るからに30歳前後の女性と思しき女性が真昼間に堂々とパチンコをしている姿に首をひねりながらパチンコ店を出たのです。最近若い女性がパチンコにのめり込み、消費者金融でお金を借りて首が回らなくなり、離婚したという話を何件か聞きました。パチンコは競輪や競馬、ボートのように大きな掛け金が動く遊びではありませんが、毎日やっているといつの間にか負けが込んで、知らず知らずのうちに借金地獄のぬかるみに入り込んで抜き差しならなくなる、パチンコ依存症という一種の病気になるのです。

 他人事とは言いながら、また小用のついでと言いながら、いい社会勉強をさせてもらいましたが、あの人たちの顔が今も頭から離れないのです。


  「小用を 足しにパチンコ 店に入る 綺麗なトイレ タダで使って」

  「雑音と タバコの煙 立ち込める ここは例外 治外法権」

  「パチンコは 男遊びと 思ってた レディ多くて お目々白黒」

  「せちがらい 世の中なのに 遊ぶ金 よくぞ工面と 感心しきり」

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○自然の色は美しい
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 この色を見て何の色だと想像するでしょう。うっすらと筋が入っているのが見えるため、あるいは「何かの葉っぱでは?」と思うかも知れません。正解で実は正岡子規が「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだ、これからが旬の「柿の木の葉っぱ」なのです。昨日私の散歩コースである裏山の急な坂を登る最中、足元に落ちているのを見つけました。自然とはいいながら余りの見事さに目を奪われ、そこら辺を探すと何枚も落ちていて、既に朽ち果てようとしているものもありましたが、2~3枚拾って持ち帰り妻に見せました。妻も私に同調して手に取り、「まあ綺麗、絵に書いたよう」と感心し、「料理の盛り付けに使ったらどうかしら」と提案がありました。

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 少し芸術家になったような感覚で、思いを込めて同じ葉っぱを少し遠くから周りをぼかして写真に撮ると、ほらこのように葉っぱだと分かるのです。もしも私が画家ならこの葉っぱを水彩日本画に描くのに、もし私が漆芸家ならお盆のデザインにするのにとしみじみ思いました。それにしても自然の営みは何て不思議で、何て繊細で美しい色を出すのでしょう。じっと色づいた葉っぱを見ていると、飛鳥人の秘宝が眠る正倉院さえも思い出すのです。


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 同じ葉っぱでも、ストロボを焚かず自然の光だけで写真に撮るとこのような色になります。また読書の秋を表現するため愛読書「人間学のすすめ」の上に置くと、ちょっとした主張が、また立体的な光と影を写すと器、遊び心でブドウを盛ると食欲の秋も連想できます。残念ながら私の表現はここまででした。でも素人ながらこの写真、雑誌のグラビアに使いたい気もするのです。うーん芸術の秋か、俺には無関係かな?。


  「一枚の 柿の葉拾い 持ち帰る 手っ取り早く 写真表現」

  「この色を 何かに生かす 手はないか 頭の中に 霧が立ち込め」

  「絵に描こう 色鉛筆を 持ち出して アタックするも 同じ色など」

  「自然には 理解の出来ぬ ことばかり ここから始まる 科学の一歩」  


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○今日は幼稚園の運動会

 昨日の「孫デー」に続いて今日は孫尚樹の運動会です。招待されたのか野次馬なのかは分かりませんが、見にこないかと誘いがあって妻と二人で出かけて行きました。孫の通う愛媛幼稚園は市内ど真ん中の三番町にありますが、運動会は星ヶ丘の愛媛幼稚園運動場を使って行われました。妻は孫朋樹の時に出かけたことがるので、近くの駐車場に車を止めて歩いて出かけました。今日は朝から絶好の秋晴れで、とても気持ちがよく、近所の庭に咲くきんもくせいの香りが漂い、暑さのせいで遅れ気味に咲いたのであろう彼岸花が、土手沿いに真っ赤な花を咲かせていました。

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(旗を持っての入場行進)
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(うさぎさんの冠を被ってポンポンを振って踊る演技)
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(かけっこは2位でした)
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(観戦する娘婿と娘、兄朋樹、それにおばあちゃん)

 かなり広い運動場ですが、周りには沢山の家族連れが応援に駆けつけ、デジカメやビデオカメラで盛んに撮影したり応援したりしていました。孫は一番年少のことり組で、入場行進とかけっこ、それに踊りに出るだけで、10時過ぎには終了し親の手元に返されました。私たち夫婦も娘の家族と一緒に娘が用意した場所にシートを敷いて座りましたが、私はカメラで孫の写真を撮ってやろうと空き場所に陣取り何枚かの初診をとることができました。2年生になった孫智樹の時も湯築小学校の運動会に行きましたが、あの時は人数が多い上、また運動場が広いゆえ孫の姿を探すことが中々容易ではありませんでしたが、今日はばっちり探すことが出来、孫も演技よりはどちらかというと家族のことが気になるような仕草でした。


 昨日、「明日の運動会に頑張ったら、クリスマスにはプレゼントしてあげる」とおばちゃんと約束していたので、席に戻った孫は「僕頑張った」と首に架けてもらった金メダルを誇らしげに見せてくれました。それのしても右も左も分からない孫のような子どもによくもまああんな踊りを教えられるし、孫たちもよくもまあ覚えて踊れるものだと感心しました。日に日に成長する孫の姿に目を細めながら、10時30分には演技も終り私たちは運動会会場を後にしました。

 この二日間、馴れない孫たちの対応に私たち夫婦は少し疲れを覚えました。せっかくだからと近くの星ヶ丘温泉で汗を流し、遅い昼食をして息子の家に立ち寄り帰宅しました。孫はいいものです。


  「連休の 二日を孫と 過ごしたが どこか浮き浮き 少し疲労も」

  「三歳の 孫が上手に 踊ったり かけっこしたり する度拍手」

  「顔見知り 声掛けられて 振り返る 相手も孫の 応援だとか」

  「いい写真 撮れたと言わん ばっかりに ブログにアップ 記念の記録」

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○連休中日は孫のお守です

 娘の家族全員4人、息子の家族3人(息子は仕事欠席)、それに私たち夫婦が連休ということもあって、松前町にある大商業施設エミフルに買い物に行きました。「孫の買い物」が主な理由でしたが、渋る私も孫のお守役として借り出され、一日付き合わされてしまいました。

 土曜日を含めれば三連休とあって多くの人が集まるだろうから昼食が混むだろうと、11時過ぎに郊外にある北斗という和食の店にそれぞれが終結、少し早めの昼食となりました。うどんをメインにした思い思いの品をメニューを見ながら注文して久しぶりの談笑をしました。男だけの孫たちも小学校2年生、3歳、3歳、1歳とそれぞれ成長しまあ賑やかで、隣の部屋に気の毒なほどの勢いです。やがて注文した料理が運ばれ少しの間は静かでしたが、零した、かやした、汚した、泣くとこれまた普段2人で食事をしている私たち夫婦にとっては、食事も喉を通らないような有様で、右往左往するばかりです。

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 さあ孫たちにとっては楽しみなエムフルです。孫たちは親に連れられてしょっちゅう来ている商業施設なので、何処に何があるのか大体頭にあるらしく、玩具売り場に一目散です。玩具売り場の面積は広く私たちと同じように親や祖父母に連れられた子どもたちでごった返していました。エミフルに買い物に行く時は決まって事前に娘や息子嫁の指導で、「買うものは一つ、高いものは駄目」と約束させれれている孫たちは、お目当ての玩具をあれでもないこれでもないと品定めし、私と娘婿はその後をのこのこついて助言をするのです。手に取り「これが欲しい」という度に「それは駄目」と打ち消して歩くのです。2年生の孫朋樹はお父さんと二人で買い物していたようですが、私は3歳の孫尚樹と希心の手を引き品定めです。二人はまだ私の誘導に弱く、結局は105円のコマと300円のお菓子で納得させることに成功しました。

 「おしっこ」と言ってはトイレへ連れて行き、喉が渇いたといってはお茶を飲ませ、近くの遊び場に囲い込んで遊ぶ姿を見ながらしばしの休憩をしました。

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 娘と息子嫁、妻の女性群は私と娘婿のお守役がいることをいいことに、子どもたちの衣類や靴などに加え、食料品など買い物三昧で有に2時間半も付き合わされてしまいました。2時間が過ぎた頃には持っている携帯電話で、「早くしろ」「いつまでかかる」と苛立ちの声を送るのですが、「もう少し」「間もなく」と気の抜けたサイダーのような返事が返ってきて、少々ご立腹な私の姿など多勢に無勢でまったく無視されてしまいました。

 女性にとって買い物は日ごろのストレスを発散させる最高の機会のようで、3人ともいつもそばにいる相棒たちから開放され、孫たちもまた同じように満足な一日となったようです。昨日の買い物や食事の会計は全て妻の財布なので、覚悟はしていたものの帰り際には多少のドルショックを蚊うせないようなため息が漏れていました。

 私は骨折り損のくたびれ儲けです。デオデオでプリンターのインクとFAXのカーボンを買い求め、夕方自宅恵帰りました。「あ~しんど」な一日でした。今日は続いて孫尚樹の運動会です。連日でゾッとしています。


  「孫の手を 握って右往 左往する 玩具売り場で 行ったり来たり」

  「女ども いい気なものだ 孫任せ ストレス発散 俺はストレス」

  「三歳の 孫は私の 作戦に 乗って買い物 僅か金額」

  「不景気は 何処に行ったか 人の波 おめかし人が 大勢たむろ」

 

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○ギンモクセイの花の香るころ

 昨日の朝友人から、「翠小学校のギンモクセイの話題がNHKテレビで全国放送されていて、懐かしくなりました」と電話がかかってきました。私はあいにくその時間、鱧の骨切りを外の調理場でしていて見ることは出来ませんでしたが、旅先へNHKの方から取材の電話があって風の風景や香りの風景について、助言した経緯があるので頷きました。丁度一週間前にその友人を案内してギンモクセイを見に行っていたので友人も私もタイムリーな話題に納得したのです。

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 上の写真はその時撮影したものですが、この木は近くに寄るとまるで傘を広げたような大きな木で、「この木何の木木になる木」といったテレビコマーシャルフレーズを思い出させるようです。合併前の双海町時代から引き継いで今は市の天然記念物に指定されています。

 毎年この頃になるとギンモクセイの香りが風に乗って学校の周囲の山里に広がり、学校の赤い屋根と共に何ともいえないメルヘンの世界を思い出させてくれるのです。


 最近樹勢が少し衰えたのを気にして、根元は耕され立ち入り禁止になっているようですが、花の咲く今頃はエコ改修の終わった学校校舎とともに、一度見学されることをお勧めします。ただし学校ですのでみだりに出入りすることは許されませんので、きちんと学校の承諾を得て、子どもたちの勉強の邪魔をしないようにしなればなりません。

 ギンモクセイが咲く頃になるとみかんの取入れが始まり、周りのクヌギやハゼもみじが少しずつ色づき始め、山里の秋は次第に深まって行くのです。ほのかなギンモクセイの香りは、何となく慌しい社会に生きる私たち人間の心を癒してくれるようで大好きです。


  「ギンモクセイ ほのかに香る 山里の 秋は深まり 周り色づく」

  「ギンモクセイ 私の五感 くすぐりて 花に鼻寄せ 香り楽しむ」

  「ギンモクセイ トイレの匂い ふざけ言う 子ども笑って 私うなずく」

  「ギンモクセイ 学校自慢 俺自慢 地域の人も 自慢タラタラ」 

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○過則勿憚改

 今日の論語カレンダーは8の「過則勿憚改」です。「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」と読みます。「過ちに気がついたら直ぐにあっさり謝りなさい」という意味ですが、人間は歳をとると頑固になって、自分の言動が間違いだと分かっていても、体面を気にして中々謝れないものです。特に目下や思っている相手には維持を通して、結果的にはそのことが元で喧嘩になったり疎遠になったりするのです。

 その際たるものは夫婦喧嘩です。私も昭和46年に結婚していますからかれこれ39年が経ちましたが、結婚当初は余り見受けられなかった夫婦間のいさかいが歳を追う毎に増え、お互い腹に据えかねて丸一日口を利かないことだってありました。今になって考えれば「夫婦喧嘩は犬も食わない」諺どおり、その原因は犬も食わないような他愛のないものだったし、もしあの時お互いが「ごめんね」と素直に謝れば喧嘩をすることもなかっただろうと思うのです。

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 妻は当時祖母、父母、私の兄弟2人、私の子ども3人とわたしたちを含めると10人の大家族の中で暮らしていました。私のお安い給料で賄おうと、内職までして爪に灯を点すような生活を強いられていました。そんな折、教育委員会で社会教育を担当していたため、土日も昼も夜も公民館活動に明け暮れ、家には殆ど居ず、やれ研修だと言っては香川大学(社会教育主事講習)へ1ヶ月余りや、青年の船で海外へ2ヶ月余り家を空け、妻の家計簿に「亭主持ち逃げ」という欄があったほど、家計を圧迫するような研修に何度も出かけていました。それはもう「ゲゲゲの女房」で語られたとそっくりな貧乏暮らしでした。祖母や父母、兄弟姉妹といった義理関係もあって頭の中の針がぐるぐる回って切れかかるようなことも何度かあったでしょうが、辛抱強い妻は細かいいさかいはあっても、私に無言の抵抗をしたぐらいで、夫婦別れに発展しなかったのですから、もう感謝するしかないのです。

 私には男、夫、長男、世帯主としての悪しきプライドがあって、特に亭主関白が最高の美徳だと見栄を張っていた時期があって、その頃はそれが間違いであろうと謝ることはせず、何が何でも自分の意見を通していたのです。一度言ったことを謝る面子の悪さは誰でも体験することです。しかし面子を脱ぎ捨て謝る勇気を持つことの方がもっと大切だと分かるのは、ずっと後のことだったように思うのです。

 世の中正直者も沢山居ますが、嘘つきもかなり多いようです。特に?をつかなければ一票に繋がらない政治家は、相手が「嫌い」でも「好き」と言わなければならないし、自分が謝れば人に迷惑がかかる世界では中々謝れないものです。何度か「政治を志してはどうか」と勧められたこともありましたが、そのことが気がかりで時期を逸してしまいました。でも今はその判断が正しかったとしみじみ思うのです。

 これからは加齢と共に人間関係も細る方向に進むものと思われますが、せめて夫婦や家族間だけでも、いや友人や地域など全ての場と機会において、論語の教えどおり「過則勿憚改」を肝に銘じて生きて行きたいと思っています。

  「過ちに 気がつきゃ直ぐに 謝れと 論語の教え 壁掛け諭す」

  「人は皆 面子気にして 生きている そんな仮面を 今になっても」

  「謝れば 丸く収まる はずなのに 意地を通して 糸は縺れる」

  「もう一人 俺の身体に 住み着いた 面子気にする 愚かな自分」

 

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○人間牧場水平線の家のワックス掛け

 一週間ほど前、志願して人間牧場の門下生第1号となっている浜田さんから、「9月の3連休のいづれかに、人間牧場の掃除に伺いたいのですが、若松さんの日程に合わせますのでご検討ください」とメールが入りました。予定表を調べ1「0月9日(土)の午前中だったら都合が良い」と返事のメールを送りました。「じゃあ、9日の8時30分に下灘の共同酒販前で待ち合わせましょう」と相談がまとまったのです。

 今日はあいにく朝からシトシト雨が降って、室内とは言いながら相似には最も不向きな日となりましたが、約束なので軽四トラックで共同酒販まで行って合流し、人間牧場へ向かいました。

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 浜田さんは船会社に勤務していますが、私が人間牧場を造った旨の新聞記事を見て、どうしても塾生第1号になりたいと書面で新生してきた方です。大の読書家で弟子など持つほど偉い人間でもないのに、熱心さにほだされて、じゃあともに学びましょうと、塾生第1号になっていただいたのです。その後彼はライフワークである宮本常一の研究を中島の豊田さんと立ち上げ、年輪塾の先人に学ぶ学習の水先案内人として、この二年間存分な働きをしてくれたのです。

 人間牧場が出来てからこの方私は、特に中心研修施設である水平線の家の掃除や手入れを小まめに行ってきましたが、年に2回のワックス掛けは一人では重荷で人手がいるため、これまで浜田さんが決まったようにボランティアを買って出てくれ大助かりなのです。


 人間牧場へ足繁く通う皆さんがたの殆どは、酒が入れば酒の勢いに任せて「草を刈りに行くから」とか、「掃除は任せてくれ」とか大口を叩きますが、まだ何人かが数回程度しか手助けに来ないのです。その点浜田さんは律儀で、しっかりと手伝ってくれるのです。

 今日は水平線の家のテーブルや椅子などを土間に移動して、板間と木造内壁にワックスを塗る作業をしました。一年に2回ワックスをかけると汚れ目がつかず、いつまでも木目の美しさが確保できるのです。家は手入れ次第で幾らでも綺麗なままで使えるものです。お陰様で見違えるように綺麗になりました。

 働き者の二人なので無駄口や休むこともなく、作業効率がすこぶる良かったため予想以上に早く仕上がり、ついでにロケーション風呂の脱衣場の大掃除と、内壁にもワックスを塗りました。

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 作業終了後二人で記念撮影をして山を下り、シーサイド公園のレストラン夕浜館で食事をしてお別れをしました。話によると浜田さんは来月運動公園で開かれる運動競技会に出る計画で、暇を見て練習をしているそうでした。浜田さんも私も何にでも挑戦するタイプで、小さなことを思いつき一歩前へ踏み出す、そしてそれを日常の暮らしの中で習慣化する、そうすれば人生が充実するのです。浜田さんから学んだ読書の大切さも、例え10分でもいいから毎日本を読む習慣を続ければ、それがやがて大きな蓄積になるようです。


  「牧場に 塾生1号 やって来て 二人仲良く ワックス掛ける」

  「壁板間 ワックス掛けて ピカピカに なりて嬉や 二人で写真」

  「外は雨 中は半そで 汗をかき 刷毛でワックス 片っ端から」

  「今度行く 酒の勢い 借りる人 誰一人来ず そんなものです」

 

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○五行歌と笑売啖呵の狭間で

 2005年9月8日(私のブログ記念日)にブログを書き始めて、もうかれこれ5年があっという間に過ぎました。パソコンとは偉いもので、私のブログのTHEME LISTには、その間書いた記事の数までカウントされていて、昨日までに「人間牧場」というタイトルで書いた記事数は、何と3471本もの膨大な数になるようです。しかもパソコンが偉いのはその記事をカレンダーをクリックすると瞬時に呼び出して読めるのですから、これはもう神業としか言いようがないのです。

 そのコラムの書いた記事の末尾に「笑売啖呵」と称して、思いつくまま4首の偽短歌を即興で書くようになったのは、ブログを始めて何ヶ月か後でした。俳句王国愛媛に生きる人間として、短文である俳句や短歌、川柳なら簡単に出来ると思ったし、川柳だと5・7・5で知能浅はかな私には舌足らずになる可能性があるので、7・7を加えて短歌風にして、思わず微笑んだり、なるほどと相槌を打つような言葉遊びをしようと、「笑売啖呵」なるものを考えついたのです。

 ブログを始めて2ヵ月後の2005年11月9日に1首作りました。最初は1首~2首程度でしたが、そのうち「笑売啖呵」なる戯言を発想し、そのうち4首が定着して今に至っているのです。その間愛媛新聞の「自悠くらぶ」の原稿執筆が毎週2年余り続いたり、えひめ地域政策研究センターの「舞たうん」に「shin-1さんの日記}が連載されたり(この記事にも笑売啖呵を4首掲載)しつつも、「塵も積もれば山となる」如く、毎日毎日積み重ねているのです。

 そして今年の4月から、友人で先輩である玉井恭介さんから誘われるまま五行歌の会に入会し、句会にも出席せぬわがままでずぼらな会員として、パソコン投句を繰り返しているのです。

 昨日の朝方、正式には午前0時を少し回った頃、投句の締め切りが7日であったことと見山あつこさんの顔を思い出し、夜も明けぬので間に合うかも知れないとスケベ心が顔を出し、即興駄作を一句つくり、さも考え抜いたような顔をしてメールで見山さんに送ってしまいました。


 先月の句会の選評が見山さんからお便りを添えて送られてきています。これが私の9月の駄作です。

    値上がりを見越してタバコ

    まとめ買い

    これがなくなりゃ辞めようと

    心に誓うも

    煙と消える

               若松進一


 選評には 「☆喫煙者の気持ちがわかりやすくまとめられています。タバコだけに誓いは煙と消える・・・・という掛け言葉が見事だといういう感想がありました」と記されていました。私のような駄作にもこうして目を通しレポートしていただくことを嬉しく思いながら、今月も相変わらず駄作を一首送りました。

 一ヶ月に一度のパソコンでの投句なのに、一ヶ月が直ぐにやって来るような気がします。忙しく充実した日々を過ごしているからなのか、追いまくられて日々を過ごしているからなのかは、微妙なようです。


  「締切日 深夜になって 思い出す 駄作即興 メール便にて」

  「選評を 添えて手元に 戻り来る 人の五行歌 頷きながら」

  「月一が あっという間に やって来る 充実日々か 追われる日々か」

  「五行歌を 作って俺も 風流人 偽者メッキ 剥がれて錆が」

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