shin-1さんの日記

○何気ない一言②

 私がまだ若い時の話です。当時私は「日本一の公民館主事になりたい」と大きな夢を抱いて日夜努力していました。そんなやる気満々の想いが周りの人に伝わったのか、私は次第に頭角を現し、愛媛県公民館連絡協議会の主事部会長を負かされるまでになっていました。当時は条例設置公民館が県下に366館あり、それぞれの公民館に常勤や非常勤を含めるとかなりの数の公民館主事さんがいたのですから、私のボルテージはいやがうえにも高まって、様々なアイデアを駆使して日本一を目指した活動を開拓していました。私のやった自治公民館を場とした、「金儲けの公民館活動」や「夫婦学級」は全国的に有名になり、視察が訪れたり、NHK明るい農村で全国放送されたりしたものです。

 その頃愛教研という学校の先生の団体から、一本の電話がかかってきました。「愛教研で創立00年を記念して記念誌を発刊するので、そのメインに鼎談を計画しているので3人のメンバーの一人として是非お願いしたい」というものでした。聞けば県の校長会長さんと、地元大学教育学部長さん、それに私だというのです。「それは何が何でも格が違う」と思いましたが、向こう意気の荒い若気の至りで、位置もにもなく引き受けてしまったのです。

当日は文京会館の一室で半日もすし詰めにされて鼎談が行われました。

 その席上大学の教育学部長さんが唐突私に、「若松さんは何処の学府をご卒業ですか?」と言われました。私は「この大学の先生は人の値打ちを学歴で見ようとしている」と直感し、「はい公民館大学在学中です」と言ってしまいました。怪訝そうな顔をした先生は、「ほう、そんな大学何処にありました?」、「はい公民館大学は日本中何処にでもあります」とすかさず答えたのです。

 「連帯を育む教育のあり方」と題した座談会は滞りなく終わりました。私の話の内容が良かったのか悪かったのかは分かりませんが、理論を述べた先生は私の論理に感心したのか、帰り際丁重に頭を下げて私に謝られました。「私たち学者はどうも学歴で人の値打ちを見る悪い癖があり、冒頭あなたに失礼な話をしてしまいました。あなたの言うとおり、人の値打ちは何処の学校を出たかという学歴ではなく、学習歴だと思います。以後拳拳服膺肝に銘じます」と話されました。そのその時の座談模様は分厚い一冊の本にまとめられ、人間牧場の長い本棚の隅に置かれています。この本を見る度に「何気ない一言」の意味と先生の顔が思い浮かぶのです。何と私はその先生のいた大学で今は客員教授になって学生に「地域活性化論」を話しているのですから、世の中は分からないものです。


  「何処出てる 学歴判断 されるなら 俺は値打ちの ない人間だ」

  「学歴が ない俺出来る ことがある 学習歴は 積むこと可能」

  「学齢が ないのに何故に 大学で 球団立ちて 教える不思議」

  「公民館 大学在学 今もなお 故に恩人 恩を返さにゃ」

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○何気ない一言①

 私は双海シーサイド公園にある450メートルの人工砂浜の掃除を毎日朝5時から8時までの3時間、毎日12年間やりました。今考えるとよくもまああんなことを思いつき、よくもまあ実践したものだと感心するのです。何でもない毎日3時間の平凡と言えば平凡な掃除を習慣化することによって、自分の足元が見えてくることはいっぱいあるのです。シーサイド公園の砂浜はかなり広いため熊手と一輪車を使うだけの人海戦術は、毎朝1万歩を越えるほど砂浜を行ったり来たりしますが、ゴミの量も半端ではありませんでした。雨が降れば近くの増水した川から大量のゴミが海へと流れ出し、それが塩と風に乗って漂着するのです。また北西の季節風が吹けば沖合いから大量のゴミが漂着するし、春先には牛一頭もあるような海草(ホンダワラ)が漂着するのです。手に負えない時は同僚や知人に応援を頼むのですが、それも限界があってかなり心労したものです。

 ごみは海からだけではありません。年間50万人とも言われる来訪者が落としたり残して帰るゴミの量も半端ではなく、海水浴シーズンともなると軽四トラック2~3台分のゴミの片づけが待ち受けているのです。

 ある日の暑い夏の朝の出来事です。前日が日曜日だったため海水浴客の残した大量のゴミを片付けたり掃除をしたりと、それはもう汗だくでした。私はゴミを集めた後燃えるゴミ、空き缶、ペットボトルなどに分別して所定のゴミ置き場まで運ぶのですが、丁度そこを通りかかってトイレへ行くであろう親子とすれ違いました。

 お母さんは連れ立った小学生の子どもに「僕、綺麗な海水浴場ねえ。ゴミも落ちていないし気持ちがいい公園ね」と、公園の行き届いた掃除に感心しているようで、私は聞くとはなしの会話に一人嬉しくなりました。二人は私から次第に離れましたが、いきなり立ち止まって振り返り、私の薄汚れた姿を指差し、「僕見てご覧あの人、汗に浮いてドロドロになって、あなたも勉強が出来なかったら、あのおじさんのように朝早く起きて掃除をしないといけないようになるのよ。頑張ってね」と言っているのです。

 私は持っている空き缶を投げつけてやりたいような憤りを感じました。朝早く起きて汗をかき、汚れて掃除する人がそんなに醜いのでしょうか。

 私たち親は何かの対象物を引き合いに出して諭すということはままよくある話です。確かに勉強は出来ないより出来た方がいいし、勉強が出来れば楽な仕事に就けるのかも知れません。しかし掃除をしている人が醜い仕事で、ネクタイを締めて冷房の効いたところでデスクワークをする仕事が立派だとは思わないのです。その当時私は役場の課長という顔と早朝ボランティア清掃員という顔の二つの顔を持っていたのですが、役場で働く私が偉くて、掃除をしている私が醜いなんて考えもつきませんでした。

 親の何気ない一言は人を平気で差別します。この子どもの心には親の教えとして「掃除をする人は勉強しなかった人、勉強しなかったら掃除をしなければならない」という教えが深層に深く残り、人を差別する心が一生続くのです。まし私があの親だったらとふと思いました。

 「僕見てご覧、あのおじさんは朝早くから働いて偉いねえ、この公園が綺麗なのはあのおじさんのお陰なのよ。あなたもゴミを落とさないようにしようね。このお金であの自動販売機でお茶を買ってあのおじさんにご苦労さんと渡しておいで」なんて会話が弾めば、人を思いやる温かい心が育つのにと思いました。


  「何気ない 親の一言 耳に入る 勉強せずば 掃除する人」

  「諭すため 言っただろうが 差別心 親の一言 深い傷産む」

  「スカートを 履いたら奥さん 地下足袋と モンペおばさん 何処が違うの?」

  「人は皆 見た目判断 するものか せめて私は 本質見る目」

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○人のお役に立つという小さな喜び

 2~3日前の夕方、上灘漁協女性部の島津さんから、「若松さん、今度の日曜日シーサイド公園で秋の収穫祭というイベントをするのだけれど、ダイガラ餅つきを予定しているのに臼鳥がいないので、手助けしてもらえないでしょうか」と電話がかかってきました。午前中は広島からのお客様対応、夕方からは松山で打ち合わせ会があるものの、予定された午後1時から2時までなら何とか空いているのでと、一も二もなく快諾しました。

 この日のイベントのことは支所の松本さんから詳細を聞いていたし、私の性分上小さなボランティアでも頼まれたら断わるわけにはいけないのです。

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(シーサイドのバザール)


 私は35年間役場に勤めその殆どを公民館活動や村おこし、まちづくり活動に明け暮れてきました。自分が発想したイベントは数限りなく、その都度天気や人出、協力者を気にしながら多くの人たちに支えられて生きてきたのです。その間熱心な役場職員にも出会いましたが、その人たちの殆どは職場が変われば無関心になり目覗きさえしないのです。また頼まれてもあれこれと理由をつけて避けるようにしている人もいます。その点今日のイベントの手伝いに出ている職員は立派で、褒め言葉をかけてあげたいような心境でした。

 少し前に「午後1時を午後12時30分に繰上げしたいので早めに来て欲しい」旨の連絡があり、12時頃に出かけて行きました。シーサイド公園の広場には沢山のテントが並び、中では伊予地区から集まった女生活研究会の人々が様々なお店を開いて即売をしていました。中には顔馴染みの人も沢山いて懐かしい言葉を交わしましたし、聞かれる度に近況を懐かしくお話しました。

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(まるで木馬のようなダイガラ餅つき機)

 

 お礼に持ちの詰め合わせを1パック、お礼にとじゃこカツとじゃこつみれまでいただき、恐縮してしまいました。まあこれからも求めに応じ積極的にボランティアとしてまちづくりに参加しようと思った爽やかな二日間でした。

 

  「臼取りが いなくて困る 声かかる 小さな善意 皆が持ち寄る」

  「掛け声に 合わせダイガラ 餅をつく 子どもの参加 和気藹々と」

  「タカキビに 粟とヨモギが 加わりて 昔懐かし 餅をほおばる」

  「強弱の 阿吽の呼吸 よみずらく 手臼難し ダイガラ餅は」

さて私の役目であるダイガラ餅つきの臼取りですが、今日は粟、タカキビ、ヨモギの3種類の餅つきをしました。ダイガラ餅つきも今ではすっかりお馴染みとなって、子どもたちも体験餅つきに参加し、その出来上がった餅を買い求める列が出来るほどでした。私はボイラーから降ろした蒸篭をダイガラまで運び、臼に入れて小突きした後臼取りをするのです。子どもたちが足を踏んで突き降ろす杵は不規則で、下手をすると手を突かれる心配があるし、それを気にしていると冷めて餅にならないので真剣にやりました。3臼なのでそれほど時間はかかりませんでしたが、みんなの協力で上手く収めることが出来ました。私も松本さんも昨日人間牧場で3臼、今日シーサイドで3臼と合計6臼突いた計算になるのです。私は手臼なので手の皮が餅の熱で焼けたのか少々ヒリヒリしました。

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○人間牧場の芋掘り体験②

 子どもたちが到着するのを待って宮栄館長さんと中嶋さんが芋畑へ入り、長く伸びた芋つるを鎌で切り取り、黒いマルチ用のビニールシートを剥がして行きました。人間牧場の土はサツマイモの栽培に適した赤土なので、つるやシートを剥がした姿はまるで禿山のようでした。子どもたちはまず回りに張り巡らしたイノシシ除けの網と網にぶら下げた空き缶を取り除き、またこの1ヶ月間お世話になった子ども風の案山子二体を感謝しながら片付けました。鉄の杭を抜いたあと簡単な説明を受けた子どもたちは畑に入り、軍手をはめて手スコップを持ち、思い思いにサツマイモを掘りました。

 心配されていたイノシシやハクビシン、野ウサギの被害も思ったほどでもなく、人間牧場の芋畑は芋を掘り当てる度に、子どもたちの賑やかな歓声が抜けるような秋空にこだましていました。

 
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(サツマイモを掘る子どもたち)

 サツマイモを掘り終わると、自分が掘った自慢のサツマイモを持って畑で記念撮影をしました。秋の日差しは猛暑の夏を忘れさせるように、随分山の端で遮られるようになり、ロケ風呂の日差しが写真の左隅に長く延びていました。

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(自慢のサツマイモを持って記念撮影しました)

 ボランティアスタッフの皆さんは芋掘りには参加せず別行動で朝から料理作りに励みました。スィーツの好きな子どもたちのために、サツマイモをトッピングした蒸かし饅頭、サツマイモとヨモギをつき込んだ餅つき、サツマイモの天ぷらがメインです。昼前でお腹の空いた子どもたちはかまど小屋周辺をうろちょろして、つまみ食いでお腹を満たしていました。

 餅つきは希望者が多く一人5回という回転で杵で餅つき体験をしてもらいましたが、見た目より意外としんどい

持ちつきにフーフー言いながら挑戦していました。私と松本さんは三臼とも仕上げを行い、つき上がった餅はウッドデッキに運ばれて、子どもたちも餡子を入れてもらって、自分で丸めた餅をほおばっていました。

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(私は手馴れた手つきで臼取りし、宮栄さんが小突き、松本さんが本突きしました)


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(ウッドデッキで餅を丸める子どもたち)

 私は昨日、農作業をした子どもたちのためにロケーション風呂を沸かしてやりました。本当は風呂に入らせたかったのですが、大人を含めると50人もの参加者なので、全員足湯にとどめました。一回10人程度の子どもたちが靴下を脱ぎ、ズボンを脛まで捲って風呂がまの回りに陣取って足湯をするのです。「進ちゃん気持ちいい~」とか、「いつまでも出たくな~い」とか、「まるで天国へ行ったみたい」、「昔が懐かしいね」などと、大変喜んでくれました。ロケ風呂は先日友人で年輪塾生の浜田さんと二人で折角綺麗に大掃除した所なのに、土足でかなり汚れてしまいました。まあ使えば汚れるのだからと目をつぶり、子どもたちが入れ替わり立ち代り足ゆする姿を見て満足しました。それにしても「天国に行ったみたい」とは大袈裟です。「おいおいあんたは天国へ行ったことがあるのか」ととか「昔が懐かしいって昔はいつ頃?」なんて掛言葉で大笑いしました。

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(ロケ風呂で足湯を楽しむ子どもたち、「天国へ言った見たいとは大仰な)

 私はこの日のために人間牧場で採蜜した蜂蜜を子どもたちに食べさせてやろうと、瓶詰めを4個持参しました。しかし朝から芋を蒸かしたり、風呂を沸かしたり、餅つきをしたりとめまぐるしい忙しさの余りに、すっかり忘れてしまったのです。仕方がないのでまた地祇の機会にしようと思っています。

 ウッドデッキに全員整列して記念写真を撮りました。この写真は私のブログの写真としてアップする予定です。

 子どもたちは今年も沢山の思い出を作って手を振りながら人間牧場を下山して行きました。私は全員去った人間牧場でかまどの火の始末をしたり、風呂の湯を抜いたり、トイレの掃除をして山を下りました。

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(記念撮影)


  「芋を掘る 土の中から ニョッキリと 子ども歓声 汗が光りて」

  「蒸かし芋 子どもの頃の 思い出が 頭かすめる 湯気の向うに」

  「芋餅や 芋の天ぷら 美味しいと 子ども満面 笑みを浮かべて」

  「はいポーズ ウッドデッキに 揃う顔 今年の秋も 次第深まり」

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○人間牧場での芋掘り体験①

 今朝は午前7時に家を出て、人間牧場へ7時20分頃に着きました。早速水平線の家の鍵を開けて中に入り、海沿いのガラス戸を全て開けて秋晴れの澄み切った清々しい空気を入れました。そしてやがて登って来るであろう子どもたちのために、ふかし芋を作ろうとかまどに火を入れ、大河内さんからいただいた木製の丸い蒸篭に、前日持参しておいた洗った芋を、両袖を包丁で切りながら並べて行きました。この芋はイノシシの被害に会った時に転ばぬ先の杖としてわが家の菜園に植えていたものを、公民館の赤石主事さんと堀り、赤石さんが宮栄館長さんの指導で芋ごり洗いをしたもので、昨日石を拾うついでに牧場まで運んでおいたものなのです。

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(ススキの穂もすっかり出揃いました)

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(今日はかまどもフル操業でした)

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(かまど小屋のかまどで蒸篭で蒸かした美味しそうな紅いも)

 芋はどちらかというと小ぶりでしたが、50人の人がつまみ食いするための量を蒸かさなければならないので、二つの蒸篭いっぱいに詰め込みました。やがてはがまのお湯も沸き蒸篭の芋は順調に蒸かして行きました。

 そのうち宮栄館長が準備物の荷物を積んで到着、相次いで調理を担当する女性群がやって来て、今日のメニューである、芋の天ぷら、芋餅、芋をトッピングした蒸かし饅頭を作る準備を始めました。それぞれは手馴れたものであっという間に下準備ができました。

 そのうち下灘コミセンから約2キロの山道を約40分かけて歩いてやって来る子どもたちの話し声が聞こえ、予定通り9時30分に35人の子どもたちがリーダーに引率されて到着しました。今年は池久保地蔵尊の言い伝えに基づいて浜の石を一個ずつ持っての登山なので、少々疲れたという子どもたちもいたようですが、昨日赤石主事さんと用意した50個の石は全て揚げられました。

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(青空の下元気に人間牧場へ登って来た子どもたち)

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(美味しそうに蒸かし芋を食べる子どもたち)

 開会式では私が沖合いに浮かぶ愛媛県・山口県・広島県の島々の話や、石一個運動に協力してくれた石のことについて話してやりました。人間牧場の直ぐ上の池久保公民館付近いは手繰りの石で作った石垣が今も現存しています。その昔肥後のお殿様が参勤交代の折この沖合いで時化に合い、助けて下さいと神仏に祈ったところ、この付近から雷鳴とどろいて時化が収まり参勤交代の役目を無事果たした帰り道、願ほどきのお礼にと海岸の石を地元の人の協力を得て手繰りで運んだというのです。自らの力で石を一個運んだ直後だけにこの話はインパクトがあって、子どもたちは皆熱心に私の話しに耳を傾けてくれました、

 早速私が作った熱々の蒸かし芋を、ウッドデッキで食べました。一人一個の予定でしたが、余りの美味しさに二個三個と欲しがる子どもたちもいて、いい雰囲気でスタートしました。この日私は芋掘り指導をする予定でしたが、かまど守がいないこともあって急遽調理方に回ることになりました。かまどの火はずっと休むことなく燃え続け、急遽不足分を補うために松本さんは下山して実家の蒸し器蒸篭を持って来て加勢するなど、賑やかなかまど小屋周辺でした。

  「朝早く 牧場登り 支度して かまど火入れし 蒸かし芋蒸す」

  「石一個 持って山道 テクテクと 汗をかきつつ 秋を満喫」

  「蒸かし芋 いきなり出され 子どもたち もう一つ頂戴 お変わりねだる」

  「空青く ススキ色づき 芋匂う 子ども歓声 山にこだます」

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○ハガキの達人

 「若松さん、一日に3枚はがきをかたらしあわせになれるよ」と、「ハガキは嬉しい活力素」という半田正興さんの著した一冊の本をくれたのは、広島県旧新市町(現福山市)に住む平井悦夫さんでした。平井さんとは地域づくりの研修会で知り合い講演に招かれたり、私が代表を務めているしている21世紀えひめニューフロンティアグループが主催していたフロンティア塾の講師として招いたり、かつてはかなり頻繁に交流をしていました。

 その後交流は途絶えているように見えますが、福山で開かれた講演会に顔を覗かせてくれたりしていますが、彼こそ「ハガキの達人なのです。年に何度か私の元へ彼からハガキが来ますが、まあそれはハガキの達人らしく、裏も表も隙間は殆どなく、まるでやくざの背中の刺青か、仏教の曼荼羅のように文字が書かれているのです。現在ハガキは50円ですが、これが高いと思うか安いと思うかは使い方次第で、これ程文字を書くと「50円は安い」と感心したりしながら受け取るのです。

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 「ときめ木堂の悦びタイムス」と題したハガキ通信が私の手元に届くようになったのは、いつごろか定かではありませんが、このハガキ通信も既に198号を記録していて、私は密かに200号の到着を心待ちにしているのです。仮に一ヶ月に1号だと、一年で12号ですから十年で120号だと単純計算すると二十年で240号、二十五年で200号という計算が成り立つのです。これは凄い数字で、私もハガキを毎日3枚書いていますが、ランダムに辺りかまわず出している私に比べ、ハガキ通信にこだわっている平井悦夫さんの努力にただただ敬服をするのです。平井さんは地方公務員でありながらハガキに書かれているように、様々な旅をしたり様々な体験をしています。まあ自由時間の使い方についてはこれまた達人だし、そのことによって出会った異業種の友人・知人は数知れず、これまた仲間作りの達人かも知れないのです。


 私も平井さんを真似て、かつて毎日1枚、一年365日全てをはがき通信したことがあります。目標を達成したので辞めましたが、その通信記録は机の隅に置いている使われなくなった古いワープロとフロッピーが記憶しているはずなので、いつか暇になったら日の目を見せたいと思っています。

 平井さんの200号寸前には叶わない年数ですが、私の一年365日365号のハガキ通信も、劣らないいいアイデアだったし、オンリーワンの記録として遺したいと思っているのです。

 人はあれもしたいこれもしたい、あんな人になりたいなどと様々な夢を見ます。しかしいつの間にかその夢は見果てぬ夢と諦めたり消えたりしますが、ハガキ一枚でも毎日、毎月続けるる小さな努力は、続ければ平井さんのように大きな成果となるのです。「平凡なことも続ければ非凡になる」とはけだし名言です。

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○33人全員が生還

 昨日は朝から晩までチリ鉱山落盤事故の救出の模様がテレビやカーラジオから流れ、暗いニュースの多い昨今ながら、久しぶりに世界中が明るいニュースに胸を打たれました。

 8月5日の事故発生から69日ぶりに、地下約700メートルに閉じ込められた作業員が、救出のために掘った70センチの穴を一人ずつ引き上げられ、救出される度に完成が沸き起こり、家族と抱き合って喜ぶ姿はまさに地獄から天国への生還だったに違いないのです。

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 それにしても地下700メートルの空間で69日間も、絶望と期待の交錯巣するなかで生きていたことは信じ難いことです。ましてやその人たちを救出するために多くの技術者が昼夜を徹してトンネルを掘り続け、そのトンネルが作業員のいる空間にどんぴしゃり堀り当てられるのですから、どれ一つとっても私のような素人には神業としか思えないのです。地下に閉じ込められた33人の暮らしぶりはこれから明らかにされるのでしょうが、みんなを勇気づけながらしっかりと役割分担して、混乱もなく33人全員を無事で救出させたリーダーの存在とその手法は、大いに間生なければならないようです。


 皮肉にも洪水の対応が遅れて大統領の支持率が低下していたのに、この救出劇で大統領の支持率は一辺に上昇に転じたというから南米らしい国民性を現しています。国民性と言えば救出された人たちの様子やコメントにも面白いものが沢山ありました。救出された人の一人に愛人がいて、本妻は救出現場に立ち会わず、愛人が立ち会い保養を交わす姿は、緊迫した現場の雰囲気を笑いの渦に巻き込みました。また救出された一人はやわら自分のバッグを広げ、地下から持ってきたお土産の石を皆さんに配る姿にも思わず吹き出してしまいました。

 「チリ万歳」と国旗を掲げて愛国心を叫ぶ人、ひざまずいて神に感謝する人、わが子と抱き合って涙を流す人など、様々な人間模様には思わず涙を誘いました。


  「二ヶ月余 暗い地下室 閉じ込めし 三十三人 地上生還」

  「抱き合って 涙する人 テレビにて 映し出されて 涙を誘う」

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○懐かしい人に出会いました

 この35年間一度も会っていなかった尾上さんに昨日の夜珍しく出会いました。35年間の時の流れで相手は外見的にすっかり様変わりして、記憶の彼方にある人とは似ても似つかぬ風貌をしていましたが、多分私がそうであるように尾上さんから見えた私も「若松も歳をとったなあ」と思ったに違いないのです。でも会えば「若い頃に尾上さんの自宅に泊めてもらったこと」「尾上さんのおじいさんが木の根の細工の趣味があって、所背ましと置いてある中から好みの物を一個貰ったこと」「青年団で国立大洲青年の家の誘致に明け暮れたこと」などが、走馬灯のように蘇って懐かしく握手を交わしました。

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(35年も前にいただいた木の置き物は今も大切に親父の隠居の床の間に飾っています)

 昨日の夜は、河辺村の職員だった樽井さんの声掛けで、大洲市南久米公民館へ地域活性化講演会に招かれ出かけました。樽井さんとは年齢的には随分違いますが青年団活動を熱心にやられていた頃知り合いましたが、その後平成の大合併で合併した大洲市の職員となってからは疎遠になり、たまたま公民館の研修会で再会し、大洲市立南久米公民館に勤めていることを知りました。その折「一度講演に来て欲しい」旨のご意向を伺っていましたが、こんなに早く実現することになったのです。

 大洲市南久米公民館は、いつも研修会で通う国立大洲青少年交流の家の直ぐ近くにあり、所長さんや職員さんの顔を思い出しながらカーナビに頼ることなく30分前の午後6時30分に一発で到着しました。

 通された控え室で藤岡館長さんや樽井さんと面談雑談していると、藤岡館長さんが目を白黒するほど懐かしい人がどんどん集まって来て、まるで同窓会のような賑やかさとなりました。私の人生はこのように知人や友人、顔見知りの人たちによって支えられているのだと思うと、ついつい嬉しくなりました。

 講演会の会場は満席、しかも一分も遅れることなく開会し、藤岡館長さんや樽井さんの日ごろの地道な活動の成果をを見る思いがしました。また会場の雰囲気や反応もすこぶる良く、久しぶりに打てば響く太鼓のような講演会となりました。

 私はその場の雰囲気を感じながらレジメを用意せずアドリブで話す癖があるので、約2時間弱の講演内容は詳しくは思い出せませんが、ステージの演題に伝わった参加者の顔色を見た限りでは十分に手応えがあったようでした。

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(沢山の人が集まった講演会)

 講演後の座談を終えて外に出ると、いつの間にか小雨がぱらつき始めていました。沢山の人に玄関先まで見送っていただき公民館を後にしましたが、見送り対応にも気配りができていて、藤岡館長さんや樽井さんの社会教育に対する深い思いを垣間見ることができました。

 10時頃自宅に戻り、妻の用意した遅い夕食を食べながらその日の出来事や出会った人の近況を話してやりました。妻が「あなたは人の名前や昔のことをよくもまあそんなにリアルに覚えているね」と感心しきりでした。

 南久米公民館は国道56号線を通る時、川岸の良く見える場所にあります。大洲以南に行く時や大洲青少年交流の家に行く度に、これからも昨夜のことや出会った顔を思い出しながら通ることでしょう。


  「懐かしき 人に出会って 懐かしく 昔のことが 昨日のように」

  「迎えより 送る大事と 教えられ その目で見れば 完璧でした」

  「今は亡き 市長のことを 思い出す 家の誘致に 励んだ日々が」

  「相手から 見れば私も 歳相応 若いつもりで いるにはいるが」

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○親父は92歳の軽業師?

 今朝妻が私に、「おじいちゃんが気の上って剪定をしている。危ないから止めてと言っても言うことを聞かないので、あなたが言って」と言うのです。外に出てみると、わが家の庭で一番大きくて高いクロガネモチの木の上に、脚立をかけて登りせっせと剪定をいるのです。92歳とは思えぬ軽業に思わず拍手を送るのか、それとも危ないと止めさせるべきなのか一瞬思いましたが、このようなことは今始まったことではなく、これまでにも再三いさかいをしました。

 妻の注意など何処吹く風、私が注意をすると「お前がやらないから」と開き直られる有様です。「まあ好きなようにさせたら」と呆れ顔で見守るしかないのです。

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(クロガネモチの木の上に上がって剪定をする親父)

 親父は9月の誕生日で92歳になりました。同級生や友人は既に他界し、92歳といえば寝たきりになっても可笑しくない年齢です。それがこうして色々こまごましたトラブルはあっても、家のために働いてくれることは有難いことなので、今回もいつもと同じように見守ることにしました。

 車に乗れない親父の唯一の交通手段は電動自転車です。毎週一回7キロ向うの下灘診療所へ受診のために電動自転車に乗って、往復14キロを走る健脚ぶりです。自転車は危ないからと注意をするのですが、私も妻も忙しいため病院へ連れて行くことが出来ず、結局は親父の思い通りになっているのです。


 昨日は間もなく始まるであろう家庭菜園のタマネギの作付けのために、土作り用の牛糞堆肥を買い求めるため、伊予市のダイキというホームセンターへ、親父の要望に応えて軽四トラックに親父を乗せ、買いに出かけました。お店の店員さんに「牛糞を10俵下さい。お金は幾らですか」と尋ね、自分の財布から支払いを済ませる姿は、とても92歳の老人とは思えないのです。さすがに重い荷物を運ぶことは出来ませんが、むしろ66歳の私が親父の後追いをしているようで、思わず苦笑いをしてしまいました。昨日の野菜の消毒だって、親父が消毒し私がホースを引っ張るとという作業分担で、幾つになっても親は親、子は子ですから、ひょっとしたら私より長生きするかも知れないと思ったりするのです。


 親父の健康の秘訣は色々あるのでしょうが、太陽とともに起きて太陽とともに寝ること、毎日少々の寝酒をたしなむこと、肉は食べず魚と野菜を食べること、骨董や日曜大工などの趣味を持っていること、毎日家庭菜園の草取りや庭の手入れをすること、暇があれば昼寝をすることくらいで、普通の暮らしをしています。外の人との交流も殆どありませんが、それでも近所に子どもや兄弟が住んでいるため毎日誰かは訪ねて来て色々な話をしているようです。まあ気ままで穏やかな暮らしがいいのかも知れません。何よりも夕食を作ってくれる妻と、相談相手になってくれる長男の私が同一敷地内にいる安心感も長生きの秘訣だと、人に漏らしているようですが、私たちには言いません。まあこれからも好きなことをして長生きして欲しいと願っています。


  「ひょっとして 俺より長生き するのかも そんな気がする 軽業見ると」

  「あのように 三昧日々を 暮らせたら 当面今は 親父目標」 

  「わが家では 親父一番 俺二番 三番息子 孫四番」

  「年寄りが 元気で同居 何気ない ことだがこれは 最高幸せ」


 

 

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○折り合いの狭間

 種蒔きの頃の高温と雨不足で、「種を蒔くのは210日前後」と聞いていた種蒔きの時期が大幅に遅れ、その後台風は来なかったものの今日まで高温続きで、春が来たと勘違いしたモンシロチョウが家庭菜園を飛び回る姿に、「やはり異常気象だ」と納得する今日この頃です。

 異常気象は農家などを苦しめます。これまでの日本の歴史を振り返っても干ばつや洪水、冷害、害虫などが原因で飢饉や騒動が起こっています。人々はなすすべもなく自然の猛威に立ちすくんで涙したものでした。最近は気象そのものはコントロールできなくても、ビニールハウスなどで囲って温度を上げたり下げたりしながら、気象に逆らって農業をすることは可能になりましたが、そのためには莫大なエネルギーと労力が必要であり、環境問題が取り上げられる度に議論されているようです。昨日テレビを見ていたら、土を使わないで出来る野菜工場が話題になっていました。

 土を使わず、囲われた室内で作る野菜は、無菌無害虫状態を保って生育するため、農薬を使わないで済むし、収穫した野菜は洗わなくても食べられるのだそうです。しかもレストランの室内に野菜工場を併設して、地産地消をPRする所まで出来ているのです。

 私はふと養殖魚のことを思い出しました。魚の養殖が普及し始めたのはそんなに古い時代ではありませんが、草創期の頃天然のハマチの味に慣れた人が、「ハマチを食べたらイワシの味がする」と言ったそうです。それもそのはずハマチは生簀の中で、人間の与えたイワシばかりを毎日食べて育ったのですから、イワシの味がしても当然なのです。最近は残餌による海の汚染が問題になって配合飼料で育てられているようですが、やはり現代のハマチも「配合飼料の味がする」のかも知れません。

 イチゴの高床式ハウス栽培が盛んに行われています。イチゴは土から病気が発生しないよう綿状のベットに染み込ませた液肥を吸って育つのですが、土で育てたイチゴの香りを知っている味に敏感な人は、「イチゴを食べたら液肥の味がする」と言うのだそうです。

 米も洗わないで炊ける無洗米、おかずも調理済みのお惣菜、野菜も洗わないで食べる無洗野菜と、まあ包丁もまな板も使わないでも別に困らない便利な世の中になって来ましたが、今に食事を食べさせてくれるロボットが開発されて、人間は何もしないで生きることだって出来る、手も使わない時代が来るのでしょうか。

 全てではありませんが幾つかの食べ物を自分が作って食べている私としては、土を使わず太陽にも当たっていない野菜が、本当に身体にいいものなのかは疑いの目を持っています。

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若松進一ブログ

(青虫にものの見事に食い荒らされたキャベツ畑)

 昨日親父と二人で家庭菜園の葉物野菜の軽めの消毒をしました。虫がキャベツや白菜など野菜の葉っぱを食い荒らしているのを見るに見かねての消毒でした。消毒は身体に良いとは私も思っていません。しかしこのままだと全滅しそうなのです。「折り合いの狭間」で随分悩んだ末の消毒でしたが、割り切って散布しました。昨日妻がスーパーで買ってきて食卓に上った小松菜などは虫の食ったところはまったくなく、いかにも美味しそうな姿をしていたし、実際に食べても美味しかったです。でもこれ程綺麗に育てるためには、やはり農薬のお世話になっているものと推察するのです。野菜を買う時やこれを調理して食べる時、「折り合いの狭間」で揺れ動く心は、安心安全と健康で長生きを願う人間の、あくなき心理のようなものだと思いました。寒さに触れると死滅する害虫のためにも、早く温度が下がって欲しいと願っています。


  「虫食べる 美味い野菜を 俺食べる 折り合いつけて 軽め消毒」

  「ハマチ食べ イワシの味と 思う人 イチゴも液肥 味がするかも」

  「工場で 土や太陽 無関係 作った野菜 本当に美味いの?」

  「米野菜 洗うくらいの 手間かけて 食べてくれよと 言いたいけれど」

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