shin-1さんの日記

○腰の調子が今一で整体院へ

 昨日から腰に違和感があり少し心配していましたが、今朝になって歩く状態が可笑しいと妻から整体へ行くよう勧められました。年に一回はぎっくり腰に悩まされている私としては早めに整体で揉み解してもらった方がいいかも知れないと、妻が電話で午前10時の予約を取ってくれたので、伊予市本郡の松本整体院へ出かけて行きました。馴染みの整体院なので私の歩く姿を見ただけで、少し背骨が乱れていると言い、早速治療にかかりました。治療台に寝そべり首背中、腰、太もも、足と順次揉んで行くのですが、筋肉のツボに当たると目が飛び出るくらい痛くて、悲鳴を上げるほどでした。

 体全体を何度も揉み解して三十分ばかりの治療を終わりましたが、治療代4千円の値打ちがあって幾分が楽になりました。自宅へ帰ると今日は秋祭りなので昨日の夜から泊まりに来ている孫二人に加え、新たな孫2人もやって来ていて、まあ賑やかなことです。1歳半の孫は私に抱っこして欲しいとせがむのですが、腰を痛めていることもあって、この二日間は抱っこを遠慮しなければならず、腰の痛みなど分かるはずもない孫は泣いて私を追っかけるのです。それでも遊んでやろうと庭に連れ出して、時折炎歩で聞こえる獅子舞の太鼓の音を聞きながら、午前中を過ししました。


 ぎっくり腰になると起き上がれないほどしんどいのですが、最近は前触れが分かりかけてきて、今日のように早めに治療をすれば比較的早く治るのです。治療に当たった先生からは毎日簡単な柔軟体操をするよう勧められていますが、毎朝風呂の中でやる腰動かし運動や、布団の上での柔軟体操のお陰で最近は随分遠ざかっていたものの、この際ラジオ体操などの柔軟体操を取り入れてやらねばいけないと、深く深く反省しました。

 腰にちょっと不具合があるだけで行動が制限され、もやもやとした気分になります。その度に健康の有難さを噛みしめるのです。今日はお祭りですが別にする予定もないのでゆっくりと養生したいと思っています。


  「腰少し 違和感感じ 整体へ 三十分の 治療受け行く」

  「孫四人 腰の痛みを 知らずでか 遊ぼ遊ぼと 誘いの言葉」

  「祭りだと 言うに憂鬱 一日が 今日は一日 寝たり起きたり」

  「腰の字に 要と言う字が 入ってる 納得しつつ コルセット巻く」

 

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shin-1さんの日記

○松山や秋より高き天守閣

 年金受給者交流大会に招かれ、松山市堀の内にある松山市民会館へ出かけました。市民会館へは次男が出演してた劇団イリュージョンの公演を見に行って以来です。今回は堀の内界隈も県民館や競輪場が移転して、史跡公園としての整備が整って随分すっきりして背後に聳える城山が寄り大きく感じられるようになりました。これまではNHK松山放送局や美術館側の西堀端から車は乗り入れていましたが、今は北堀端の方からしか進入できないようになりました。

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(松山城の城山)

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(堀の内から県庁を望む)

 電車通りを横切って堀の内に入ると市民会館の駐車場に着きました。大会事務局から市民会館駐車場に入れるよう指示があったと守衛さんに伝えたのですが、車は既に満車で断わられてしまいました。時間は迫るし少々あせり、とっさの判断で再び電車通りに出て税務署の駐車場に止めさせてもらい、底から堀の内の広場をほぼ突っ切るように歩き、NHK側から控え室になっている楽屋に入りました。楽屋の入り口には「講師控え室・若松進一様」とご丁寧に書かれていて、入り口の戸を開け受付の女性と時間までおしゃべりをしました。

 間もなく司会の女性が打ち合わせにやって来ました。いきなり「若松先生のご講演は30分ですね」と言われました。私はカバンの中から講師依頼書を取り出し、「私への連絡では確か1時間となっていましたが・・・」と怪訝そうに返すと、慌てた女性の司会者は「ちょっとお待ちください」と言って確認のため出て行きました。間もなく息せき切って引き返してきて、「私の勘違いでした。間もなく始まりますのでこちらへどうぞ」とステージの脇の暗がりに案内されました。

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(年金受給者協会宇和島支部の山本伊津美さんが撮影して送っていただいたハガキ写真)

 この日の会場は大ホールです。このところ県民文化会館の大ホールで老人クラブ50周年県大会など、広い会場での公園が続くようですが、大ホールでの講演は時間を取り仕切る舞台マスターがしっかりしていて、予鈴や本鈴、終了時間、マイク等の準備物などが全て時間通り、打ち合わせ通りなのでとても助かるのです。加えてマイクの性能が良くて、話していてもまったく疲れず、むしろ自分の声が隅々まで通るので、自分の声に酔いしれるような錯覚を覚えるのです。

 この日は1人も入る広い会場に8割方の入場者で、僅か1時間の短い講演でしたが会場とステージが一体となって、自分としては反応上々な満足の行く講演となりました。それは帰ってから今日まで、何通かのハガキとメールの届き具合で参加者の反応を読み取れるからです。

 私もハガキやメールでご意見をいただいた方々へ丁重に返信をしましたが、驚いたことにその中の一人は昨日再びお手紙をいただきました。

 講演が終わって外に出ると、心地よい秋の風が頬を撫で、昼時の散歩を楽しむ人々が足繁く行き交う中を再び歩いて駐車場へ引き返しました。毎日のように松山をフィールドにして活動している私ですが、いつもは松山城や堀の内の存在すら忘れるほどで、こうして自分の足で歩き目の当たりに城山や堀の内を見るのも久しぶりなのです。ふと「近々城山に登ってみよう」と思いました。孫たちと夏に高島屋のぐるりんという観覧車に乗って城山を意識して以来の目線に、少し安らぎを覚えた一日でした。

  「久方に 城山眺め 堀の内 界隈歩く ゆるりゆるりと」

  「大ホール ステージさすが 格違う 自分の声に 酔い知れ話す」

  「駐車駄目 講演時間 三十分 話の前の ハラハラドキドキ」

  「大ホール ステージ立ちて 思い出す 青年団長 時代のことを」

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shin-1さんの日記

○心が痛む奄美大島の大雨災害

 これ程物質文明が進んだ世の中なのに、何故か鹿児島県奄美大島の豪雨による被災状況はかなり長い時間掌握しきれず、その状況が分かるにつれて大変な災害であることがようやく分かりかけてきました。今朝の新聞にはトップ記事ならぬ5面の社会覧に「鹿児島奄美豪雨、住民2000人以上孤立か、電話7000回線寸断、使者3人に」という見出して紹介している程度なのです。国や県の災害危機管理能力はどうなっているのか、奄美大島に知人や友人がいて安否を気遣っている私としては、腹立たしい思いでいっぱいです。

 奄美地方では10月20日、1時間に130ミリを越える局地的な豪雨が降り、18日夜の降り始めから20日午前0時までの総雨量は715.5ミリで、平年の10月月降雨量の約3倍というから、まさにバケツをひっくり返したような大雨に見舞われたのです。安全なはずの高齢者施設が大雨の直撃を受け2人のお年寄りが水嵩が増した廊下のカーテンレールを持ったまま亡くなるという痛ましさに思わず胸が痛みました。

 若い頃から深いご縁をいただいている奄美大島瀬戸内町も、かなりの被害だと報道で知りましたが、知人や友人、訪ねた島や集落の思い出が頭に浮かんで、心配は募るのです。

 瀬戸内町のカケロマ島は南の島の楽園で、寅さんとリリー(浅丘ルリ子)の恋の舞台になった所です。寅さんがらみで、あるいは東シナ海に沈む美しい夕日がらみで何度か訪ね、そのご縁でわが家へも青年たちが大挙して訪ねてくれました。出産間近な娘がわが家に帰っていて、そんなことお構いなしに大酒を飲み踊り狂ったお陰で娘の出産が多少早まったエピソードも今は懐かしい思い出です。

 またそのことがご縁でシーサイド公園に送ってもらったデイ後の花の木は今も大地にしっかりと根を張って夏になると綺麗な花を咲かせてくれているのです。

 さらに嬉しいことは、わが家の庭にある私設公民館「縁会所」は、志ある若者たちによって全国に広がっていますが、奄美大島瀬戸内町には「煙会所」から分家した「第17縁開所」が設置されていて、そのこともその後どうなっているのか気になるところです。

 何はともあれ安否を確かめるために、今日にでも役場に勤めているであろう重村さんに電話をして、災害の状況や安否を確認したいと思っています。

 今朝の報道によると遅まきながら21日に災害対策本部を設置して、陸上自衛隊に災害派遣を要請したとのこと、住民の安全と一日も早い復興を祈っています。

  「あの島は あの人たちは どうだろう 災害報道 食い入り見つめ」

  「どうなって いるのだろうか この国の 危機の管理は お粗末至極」

  「これ以上 雨の降らない こと願う 遠く離れた 奄美大島」

  「住用の マングローブも 気にかかる 一度ゆっくり 訪ねてみたい」

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○学校から学ぶ新しい気風と気力

 小中高と12年間学校に通って3つの卒業証書をいただき、四つ目は親父ががんで倒れるというアクシデントで幻に終りましたが、その後3人の息子のお陰で松山工業高校のPTA会長として6年間、そのことが縁で小・中・高の学校評議員を今日まで、今は一年に数度ではあるが小・中・高の学校訪問を繰り返しているのです。

 そしてもう一つ、私は昭和51年から今日までの34年間の長きに渡って、日本銀行の外部組織である貯蓄推進委員会(現在は金融広報委員会)の貯蓄推進員(現在は金融広報アドバイザー)として、幼小中高の児童生徒に直接話したり、学校に関係のある人たちに子育てやPTA活動の話に行ったりしています。加えて大学の非常勤講師や客員教授として学生に授業までやっているのですから、教育委員会で教育長という教育行政まで含めると、「学校」とのかかわりは半端な数ではないのです。

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 学校は比較的変化の少ない世界です。それでも危険な社会に対応して門扉が作られたり、パソコンや電子黒板が導入されるなど、私たちが子どもの頃のような無に等しい学校とは雲泥の差があるようです。社会の変化に合わせた指導要領やカリキュラムが組まれた学校に多少の戸惑いを感じながらも今週は、二つの学校を訪問しました。前述の金融広報アドバイザーとして、研究校に指定されている松山市立新玉小学校を訪問しました。

 新玉小学校は今年創立100周年を迎えていて、5年生の授業では「新玉100周年、魅惑のスイーツを開発しよう」とうテーマの語年一組の焦点授業を見学しました。子どもたちが生き生きと学ぶ姿はに、将来の大人として大いに感心させられましたし、その後の研究協議には私や教育委員会の指導主事の先生も加わって、活発な議論が交わされました。金銭教育領域への踏み込みは今一歩でしたが、これから2年間の研究成果が期待できそうな予感がしました。

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 昨日は松山市立晃の小学校の招きで、人権・同和教育の懇談会に出かけました。私は人権や同和教育は余り得意ではないのですが、県の社会教育課からこの春の異動で河野小学校の教頭に赴任された親しくしていただいている和田先生の口添えもあって、止む無く講師を引き受けました。

 旧北条市の晃の小学校は中規模の学校で、奥田校長先生も顔見知りの先生なので、約50分PTAの皆さんの前でお話をさせてもらいました。その後短い時間ながら学年ごとの分散会が持たれ、活発に感想や意見がまとめられていました。て先日偶然にもPTAの担当の方とシーサイド公園で出会い、打ち合わせも出来て多少砕けた話をしてしまいました。和田先生から「花へんろ」という北条の銘菓までお土産に貰い、皆さんの心温まるお見送りをいただきながら帰ってきました。

 学校は「木が交わって学ぶ」と書きますが、現代の学校は鉄筋コンクリートで木の交わりは殆どありませんが、木を気に変えれば、人の持つ気力が様々に交じり合い、子どもを少しでもよい子に育てようとする気風が感じられました。これからも機会があるごとに学校を訪問し、むしろ私が学校から新しい気力や気風を学びたいと思っています。

 時間がなくて宗教心については舌足らずに終わりましたが、校長先生がものの見事に閉会の挨拶でまとめていただきました。


  「学校は 木が交わって 学ぶとこ 木こそ消えたが 気力・気風が」

  「縁ありて 学校訪問 次々と 微妙に違う 校風感じつ」

  「金銭や 人権教育 本当は 家庭の教え 今は学校」

  「人間が 人間として 生きるため 持たねばならぬ 金銭・人権」

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shin-1さんの日記

○あの鳴き声はクツワムシかな?

 秋も深まり外を歩くと何処からともなくコオロギやスズムシの鳴き声が涼やかに聞こえますが、我が家でで2~3日前から玄関先で賑やかな秋の虫の大合唱が聞こえています。その声はテレビの音もかき消すほどの大きさで、このままでは寝れない思い、虫かごごと家の外に出して寝ました。

 松山市に住む小学二年の孫朋樹は大の虫好きです。休みの日にわが家へ来ると、天気のいい日には必ずといってよいくらい虫かごと網を持って家庭菜園や果樹園あたりを右往左往して虫を追っているのです。最初は怖いのか虫に触れなかったのに、今では平気で虫を捕まえて虫かごに入れ、さも宝物のように大事に持ち歩いているのですが、マンションは家が狭いため置き場がなく、また他の住人と壁を隔てただけの暮らしなので迷惑がかかるといけないからと、帰り際には母親に注意をされてしぶしぶわが家へ置いて、世話を頼んで帰るのです。

 そんなこともあって、所要で電話をすれば必ずと言ってよいほど、夏の置き忘れ物であるカブトムシやクワガタのことや、先日捕まえた虫のことを盛んに話すのです。相棒だったおじいちゃんの私より友達が大事になりつつある孫朋樹ですが、唯一の共通話題は虫のことくらいになり、成長は喜ばしいのですが、ちょっぴり寂しくも感じているのです。

 昨日の夜、所用で電話をかけたら孫が電話口に出ました。運よく虫かごの虫が賑やかに鳴いている最中だったので、電話の受話器を虫かごに向けて、電話で虫の鳴き声を聞かせてやりました。孫は少し興奮した様子で「今度行くまで餌をしっかりやって育てていてね」と電話を切りました。

 私も妻も鳴いている虫の声が何という名前の虫なのか、さらには餌は何をやればいいのか困ってしまいました。とりあえず畑の秋茄子を包丁で切り、楊枝を刺して蒸す籠の中に入れてやりました。妻は梨も入れてやったようです。

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 今朝食べ具合を調べてみましたが、ナスはかなりかじられていて、虫も元気に休んでいるようでした。ところで虫かごにいる虫の名前は何というのでしょう。図鑑も今は孫が持って帰っているので調べようがありません。昔習った童謡を頼りに推測するため、ネットで「虫のこえ」という歌詞を見つけました。

  あれ松虫が 鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん

  あれ鈴虫も 鳴きだした りんりんりんりん りいんりん

  秋の夜長を 鳴き通す ああおもしろい 虫のこえ


  きりきりきりきり きりぎりす がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫

  あとから馬おいおいついて ちょんちょんちょんちょん すいっちょん

  秋の夜長を 鳴き通す ああおもしろい 虫のこえ

 わが家で鳴いている虫はガチャヤガチャヤガチャガチャとないていますから、クツワムシに違いないようです。クツワムシが鳴き始めると妻はテレビを消し、玄関先に二人で腰をかけて虫の声を聞きながら、しばし秋の夜長を楽しんでいます。

  「虫の声 電話受話器で 孫聞かす 餌をやってと 催促受ける」

  「田舎ゆえ こんな楽しみ 味わえる 玄関座り 虫の鳴き声」

  「あの声は ガチャガチャ鳴くから クツワムシ 歌に合わせて 名前を探る」

  「ナスを切り 楊枝を刺して 虫かごに 孫顔思い そっと入れやる」 

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○小さな努力で大きな成果を得ようとすると長続きしない

 私たち人間は得てして「小さな努力で大きな成果」を得ようとするものです。その結果自分の努力が小さいにもかかわらず大きな努力をしたと勘違いし、成果の小ささを嘆きながら、「これ程努力してもこんな小さな成果なら、いっそのこと辞めてしまおう」と諦めてしまうのです。私の場合も若い頃はその繰り返しだったようだと短くも長い半生を振り返り、小さな努力をコツコツすれば、その努力の成果がやがて大きくなるのだと信じれるようになるのには、ある程度心の余裕が出来る年齢も必要ではないかと思うこのごろです。


 昨日の夜、私宛に届いた友人である玉井さんからのメールに「努力と成果」の相関関係について、先日私が玉井さん宛てに差し出したお礼の返信ハガキに、奥さんの話を引用しながら私が役場在職中にやった海岸清掃のことが述べられていました。

 私が毎朝早起きして5時から8時まで、自分の造ったシーサイド公園の海岸清掃を思いついたのは、ある著名な方から「掃除も出来ない人間にまちづくりを語る資格はない」と諭されたからです。当時シーサイド公園の建設には町議会議員などの反対意見が多く、毎日「人が来ず赤字になったらどうするのか」と罵声を浴びせられたものでした。「あわよくば私の努力する姿を見せれば、反対する人に理解を求めれるかも知れない」と、小さな努力で大きな成果を求める私の甘い考えは、寒風吹きすさぶ冬の寒さや汗まみれにならなければ片付かない膨大の漂着ゴミの量に、ことごとく打ち砕かれました。

 それでも諦めず一日3時間の掃除を、何と教育長を最後に役場を辞めるまでの12年間続けたのです。私の小さな実践的努力はいつしか人々の心を打ち、目指した反対意見の説得という目標どころか、シーサイド公園の活性化に大きな役割を果たすことが出来ました。毎日掃除をするだけの小さな努力をコツコツやる、その積み重ねは今でも人の語り草、自分が自分に贈る無形の勲章になっているのです。

 後日私はこの掃除が認められ、国土交通省から「真似しない真似できない観光カリスマ」という称号を与えられ、「観光カリスマ百選」に選定されたのですから世の中は分からないものです。

 私は凡人ゆえに大それた大きな成果を期待しても出来ないことを悟っています。ゆえに小さなことをコツコツやるしかないのです。

 ハガキを毎日3枚書くことも、ブログを毎日2本書くことも、人から見れば他愛のないことでしょうが、ハガキで深い人間関係を作り、ブログ記事で様々な想いを文字にして記録し記憶させる小さな日々の努力は、自分の人生を存分に楽しみながら生きていると、自分自身を納得させているのです。多分ハガキもブログも大きな成果など得ることはできないでしょうが、私がきっかけでハガキやブログに目覚めた人も何人かいて、それはそれなりの小さな効果を出しているようです。

 さあ今日も一日3枚のハガキと、一日2本のブログを飽きもせず書こう、朝4時起床の生活習慣が私の心にネジを巻いているようです。


  「さあ今日も 大きな成果 期待せず ハガキ三枚 ブログを二本」

  「コツコツと 私毎日 アリのよう キリギリスには なれないようだ」

  「人生は 終わってみなきゃ~ 分からない 自分納得 それでいいのだ」

  「習慣に なって実践 しめたもの 後はどれだけ 続けられるか」

 

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shin-1さんの日記

○くだり(東よりの風)と夫婦喧嘩は夕方になると凪ぐ

 私の住んでいる双海町にも遅い秋が来て、秋特有の東寄りの季節風吹く頃となりました。等圧線が西高東低で縦縞に混むと冬型の北西の季節風が吹くのですが、等圧線が横縞になると北東の風が吹くのです。普通の年だとお彼岸辺りから東よりの風が吹くはずなのに、今年は残暑が長引いたためか北東の風が吹く日が数えるくらいしかなく、漁師さんも首をかしげながら出漁しているようです。

 昔から「夫婦喧嘩とくだり(東よりの風)は夕方になると凪ぐ」と言われているように、白波を立てて強く吹くくだりの風は、どういう訳か夕方になるとピタリと風が止むのです。しかしその風は明くる日にはまた同じようなパターンで吹いたりやんだりを続け、「くだりの吹き落ちは雨になる」という諺どおり、雨で一段落するのです。昔の人の清算や暮らしから生まれた言い伝えやことわざは、いちいち理に叶っているようで感心しながら反芻するのです。

 ところで「夫婦喧嘩は犬も食わない」というし、夕方になると雪解けになるのもやはり先人の言葉通りだと、最近はめっきり減った夫婦喧嘩についても納得しています。若い頃は良く夫婦喧嘩をしました。酒を飲んで迎えに来てもらった妻と酒酔いのいたずらか些細なことから夫婦喧嘩となり、「わしは歩いて帰る」と伊予市付近で車を降り、酒に酔った体で3時間も歩き続け、すっかり酔いが冷めへとへとになり、高野川まで心配して迎えに来た妻の車で自宅へ帰ったり、ビールが冷蔵庫に冷えてないと言って醤油差しを投げつけて困らせたり、今考えると汗顔赤面で、ものも言えない失態を繰り返しているのです。

 最近は歳をとったせいか、あるいは修行が出来て人間が丸くなったのか、気がついてみると夫婦喧嘩がすっかり影を潜めてしまっているのです。多分亭主関白な私に利口な妻が合わせてくれているからなのでしょうが、何かにつけて腹が立たなくなったことは事実だし、今日までがむしゃらに働いてくれた妻への感謝がそうするのかも知れません。

 夫婦喧嘩の最大の原因であった子どもに関することが、子どもが独立したこともあって殆どなくなったことも大きな要因です。しかし一方で高齢になった親父の介護など家の中には新たな問題も生まれてきつつあります。また他人事でなく私たち夫婦の健康や将来のことを思うと、夫婦喧嘩どころか夫婦が寄り添って知恵と力を出さなければ老後の幸せはおぼつかないことに、うすうす気がついたからかもしれません。

 私の生活設計では後20年しか生きない計算ですから、見合い結婚ながら深い縁で結ばれた夫婦なので、お互いいたわりあい助け合いながら生きてゆきたいと思うのです。さりとて夫婦喧嘩は家庭の活性化には欠かせないものなので、夕方になると止む程度に少しだけ、妻に喧嘩を吹っかけて見たいと思い、今朝少し試みてみましたが、妻は私の言動など相手にもせず、さっさと仕事に出かけて行きました。

  「そういえば 夫婦喧嘩も めっきりと 減って優しい 夫となりぬ」

  「覚えてる 妻のセリフに 頭かく 若気の至り 思い出しても」

  「時々は 夫婦喧嘩も 必要と 喧嘩を売るが 相手にされず」

  「夕方に なれば喧嘩も 収まりて 四十年余の 時を刻みぬ」

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shin-1さんの日記

○先輩からいただいた素敵な絵ハガキ

 えひめ丸の衝突沈没という悲しい海難事故の記憶を学校史に持つ、愛媛県立宇和島水産高校漁業科を卒業していること、214.5トンの初代愛媛丸に乗って赤道を越え、南太平洋へ遠洋航海に出かけていることしか共通点のない玉井恭介さんという先輩と知り合ったのは、もう20年も前の出来事でした。確か法人会のモーニングセミナーで偶然にも出会って声を掛けられてからだったと記憶しています。

 水産高校は在学中先輩後輩の上下関係が厳しく、先輩に声を掛けるなんてことは殆どなかったし、ましてや漁業科卒業生の殆どは世界の海に乗り出して、卒業以後これまで同級生ですら出会った人は指折り数えるくらいな人数なので、玉井さんに出会った時も奇遇を感じたものでした。

 偶然出会ったその後も、玉井さんは広告代理店、私は田舎の役場とお互い現役だったため、深い出会いはなかったのですが、10年余り前私の自著本出版を頼み頼まれてから休息に二人の関係が深くなり現在に至っているのです。玉井さんは歌は歌う、作詞はする、絵を描く、作陶をする、自然農法に首を突っ込むなどなど実に多芸多才な方で、それも殆どが玄人はだしの名人芸ですから、無芸大食の私などは足元にも及ばず、いつも感心したり感心させられたりしながら羨望のまなざしで付き合っているのです。

 玉井さんはそんな非才な半面、何処となくおもわず「ウフッ」と微笑みたくなるようなウイットに富んだ転びの経験をがあって、そこがまた玉井さんのオンリーワンな魅力でもあるので、それはそれとして後輩の私としては大好きな部分なのです。

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(横長な定形外ハガキに、「赤とんぼ」の歌詞と絵が書かれた玉井さんからいただいた素敵なハガキ)

 一昨日玉井さんから一通のハガキをいただきました。殆ど毎日考える村村長の異名を持つ、玉井さんのブログを読んでいるので、「夕焼けこやけ」という三木露風の歌についての薀蓄は知っていましたが、それをハガキでいただき嬉しさの余りに、玉井さんの断わりもなくこのブログ記事でアップしようと思ったのです。自称夕日博士とうぬぼれている私にはたまらないプレゼントで、早速木になるカバンに忍ばせて、全国行脚の同行二人の旅に出ようと思っているところです。

 玉井さんは司馬遼太郎さんや奥さんのみどりさん、吉永小百合さんなどの有名人とも親交があり、底知れぬ奥の深さを持っていて、現職時代に培ったプロデュース能力も、私など足元にも及ばない力を持っています。今は見山あつこさんの主宰する「五行歌会に玉井さんから誘われて、駄作を送る程度の付き合いですが、音信が途絶えると会いたくなって、少し気になる人なのです。


  「こんな絵が 書けたらいいと 思いつつ 届いたハガキ カバンにしまう」

  「ハガキ手に カバン中から 取り出した ハーモニカ吹く 赤とんぼの歌」

  「一枚の ハガキ幼き 日に帰る 思い出しつつ 母への思慕も」

  「まあ素敵 私のハガキ 手にとって 妻も感心 しつつ話題に」

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○枝豆どっさりお裾分け

 昨日の朝、伊予市の水口マリ子さんから、丹波黒豆の枝豆が収穫期を迎えたので取りに来るよう電話が入りました。例年のことなので人の畑のことながら内心「今年はまだかなあ」と、首を長くして待っていたので、一も二もなく午後3時に出会うことを約束しました。例年のことながら田んぼゆえ長靴を履き長袖のシャツと軍手という出で立ちで事務所に到着しました。水口さんは主に稲苗を巣立てる苗屋さんなのですが、野菜の苗やキューリ・トマトなども栽培して、手広く経営されている農家というよりは会社なのです。

 ひょんなことからお知り合いになって、いつも色々な珍しい野菜や野菜の苗をいただくのですが、お返しの品もなく、ただただいただくだけのお付き合いなので心苦しく思っているところです。

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(水口マリ子さん宅の豆畑、裸になっているのは私がいただいた所です)

 到着すると、マリ子さんは用意していた剪定ばさみを二丁用意して私の車に乗り込んで近くの豆畑へ連れて行ってくれました。車を横付けした豆畑には一面に丹波黒豆が植えられていて、「さあお好きなだけお取りなさい」と開けっ広げです。私とマリ子さんは畑に入り根元からはさみで切り落として行きました。マリ子さんが「私が覚えて一番の出来だ」自慢するだけあって、枝豆の茎には重たいほどの枝豆が鈴なりになっていました。

 沢山の枝豆をトラックの荷台に積んでの帰り際、あきたこまちとコシヒカリを一袋ずつ、それにキューリも沢山いただいて帰りました。さあ帰ってからが大変です。圧らこちらにお裾分けで、「水口マリ子さんからいただいた丹波黒豆の枝豆です。ご賞味ください」と説明しながら2株づつ配りました。

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(私がむしり取った丹波黒豆の枝豆)

 夕方日も暮れかかった庭で、妻が仕事で遅くなるため私は一人枝豆むしりの作業をしました。マリ子さんから教えられたとおり、枝を切り分け豆をむしり取るのです。薄暗くなったので台所の電気をつけその明かりでどうにか6時30分頃に終わりました。発泡スチロールいっぱいに枝豆が出来ました。今日はむしった枝豆を松山に住む娘や息子の所へもお裾分けしなければなりません。運よく今日は松山で午後会議が予定されているので持って行ってやろうと思っています。

 わが家はまだこの枝豆を食べていません。今夜の夕食が楽しみです。近くに住む姉からは昨晩既に「食べた。美味しかった」と今朝報告がありました。田舎暮らしはこれだから止められないのです。

  「いただいた 丹波黒豆 枝豆を お裾分けする 説明しつつ」

  「そそそろと 首を長くし 待っていた 枝豆貰い 夜が楽しみ」

  「今までで 一番出来た 自慢する 納得しつつ 豆をもぎ取る」

  「人様の ふんどし相撲 有難や 枝豆外交 喜び貰う」

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○瓢箪から駒が出た

 冗談だと思って言ったことが事実となることを「瓢箪から駒が出た」といいます。先日私は伊予市の青色申告会の講演会に招かれました。講演の数日前、「友人から誘われたので部外者だが講演を是非聞きに行きたい」と、私の友人である自動車修理業の稲葉さん(砥部町在住)から電話がありました。講演会場に知人や友人が多過ぎると気を使って話さなければならないこともあるものの、気にもせず「是非来て下さい」と答えました。

 当日は満席でしたが、稲葉さんは中ほどの席に座り、他の知人や友人、それに参加者と共に終始熱心に聞いていただきました。講演が終わった明くる日、稲葉さんからお礼の電話が入り、私の話について感想意見をいただきました。その時稲葉さんは「あんな話を広島の友人にも聞かせたい。実はその友人の会社が創立30周年で砥部焼きをお客さんに配るらしいのですが、講演会でも開いたらもっと思い出に残る記念になると思うので、提案してみたい。その時は宜しく」と、冗談ともとれる話をされ、私も「はいはい、その時は」と軽く受け流していました。

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(煙会所で話も弾む)

 先日稲葉さんから再び電話が入り、「先日電話で話したことが具体的になりそうです。最初は相手も突拍子もない話にびっくりしていましたが、やってみようということになりました。つきましては土日で何日が空いていますか?」とトントン拍子の話です。相手たる自動車会社の社長さんからも電話があって、近々挨拶がてら打ち合わせに行くからと、これまたトントン拍子、そして二日前の日曜日の午前中、稲葉さんの案内で社長さんは奥さんを伴ってわが家へやって来ました。

 聞けば社長さんは稲葉さんが何年か前にわが家の海の資料館「海舟館」を見学に来ているらしく、私設公民館「煙会所」で短い時間ながら面談させていただきました。社長さんは見るからに実直そうな方で、奥さんもとても素敵な方でした。講演期日も11月7日(日)に決まり、稲葉さんも車でご一緒してくれるそうで、嬉しくも楽しい一日になりそうです。

 折角の機会なので3人を人間牧場へ案内しました。車を上の市道へ止め、のんびり話しながら歩いて山道を下りました。山にはもう秋の気配が漂い、みかんも色づき、木々にぶら下がっている烏瓜の色も日増しに濃くなっているようです。かすんで遠望こそ効きませんでしたが、長閑な人間牧場を見ていただきました。

 いただいた名刺には、「(有)ボディショップ高屋、代表稲井誠」と書かれていました。中国運輸局長認証工場-板金塗装・フレーム修正・四輪コンピューターホイルアライメント・車検・点検・整備一式が主な仕事だそうで、はてさて私は一体どんな話をすればいいのか、一体どんな人が集まるのか、「ウーン困った」という心境です。

 この際、強い味方か弱い味方か分からぬ稲葉さんにこの身を任せ、悪ければ稲葉さんの責任、良ければ私の責任なんて無責任(笑い)な開き直りで、「瓢箪から駒が出た」駒よろしく、王手と行きましょう。


  「友人が 冗談交じりで 言ったこと 瓢箪駒に なってしまった」

  「責任は 誰が取るのか 大笑い 結局連帯 責任逃れ」

  「面白き こともなき世を 面白く 一歩踏み出し 楽しく生きる」

  「ええ加減 だから人生 面白い 不真面目生きる ハラハラしつつ」

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