人間牧場

〇孫希心の活動報告
 今回の人間牧場20周年の集いでは、「大好きな双海のために!」というタイトルで双海町ジュニアリーダ会の発表がありました。ところがジュニアリーダ会の会長や前会長が出席しているにもかかわらず、発表者は高2のわが孫の若松希心でした。

 希心の話によると発表者を決める会に都合で欠席したそうですが、欠席裁判で希心になったそうです。この話を私が聞いたのは前日でしたが、当の希心は前日も学校用事があって、発表の原稿に目を通す時間や暇が殆どなく、アドリブのような発表で、生来のプラス思考ゆえ「何とかなるだろう」くらいな軽い気持ちで引き受けたようでした。


(発表する孫希心)

 希心は演台の前に立ちスクリーンにパワーポイントの画像を写しながら原稿を読み上げるのですが、スクリーンの画像を鮮明に見せるため明かりを落として少々暗かったため原稿が読みづらく心配しましたが、おじいちゃんでなく主催者の私から見ると80点くらいの出来栄えでした。


(皆さんから送られた傘寿を祝う黄色い頭巾とチャンチャンコの私とジュニアリーダー会の中野現会長、二宮前会長、それに孫の希心)

 それでも発表が終わり質問タイムになって、質問され答えていましたが、「祖父がこうして活動できるのはお集りの皆さんのお陰です。ありがとうございました」と歯の浮くような言葉を返すあたり、少し頼もしくなったと目を細めました。講師の送迎や裏方として動いてくれた長男息子に加え、長男の長男息子まで親子孫3代にわたって参加したことだけでも凄いことだと思い、少々胸を張りました。そろそろ私も引退の時期かな?とふと思いました。

「子と孫が 私主催のセミナーに 三世代揃って 参加するとは」
「取りこしの 心配したが ネアカゆえ それなり堂々 発表してた」
「大好きな 双海のために 活動を あれこれ日頃 参加している」
「子も孫も みんなで参加 羨ましい 知人友人 褒められ嬉し」

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇落伍でハーモニカを吹く私
 私は小学校から中学校まで音楽が苦手で、通知表の音楽の成績は2という数字しか書き込まれませんでした。若い頃のある日のこと、国立大洲青年の家で研修会が持たれ、有名な数学の先生が「21世紀に生きる若者たちへ」と題して講演し、その後私運営委員長の私と壇上で対談をしました。

私が先生に「先生は子どもの頃から算数や数学は5や100点ばかりだったそうですが、嫌いな科目はなかったのですか?」と訪ねると先生は「私は子どもの頃から音楽が苦手で、通知表は1ばかりだった」と吐露しました。その話を聞いた私は嬉しくなり、調子に乗って「私は音楽が得意でなかったですが、2以下は取ったことがありません。先生の倍ですね」と投げかけると、「私はこのまま音楽が嫌いで死ぬのは嫌だと思ったので、とある旅先でアコーディオンを買い、毎日10分間家で練習をしました。最初は家族から煩くてテレビが見えないし聞こえないとブーイングでした」

 「でもステレオで聴きながらベートーベンやドボルザークなどの曲を練習したところ、どうにか弾けるようになりました」と言って、みんなの前で楽譜は読めないけど体感音楽で弾けますと、ガンガンアコーディオンを弾くのです。「ところで若松さんあなたは私の通知表1に対し倍の2だと自慢しましたが、何が出来ますか?と尋ねられました。そら来たと思った私は「ハーモニカなら何とか戸言うと、あんたはホラも吹くけどハーモニカを吹くのか」と。私は音楽家ならぬハーモニ家です」笑わせて持っていたハモニカで「赤とんぼ」や夕焼けこやけ」を吹いて聴かせました。

「ブラボー」と大きな拍手が起こりました。今日本の学校教育からハーモニカが消えたのをご存じですか。皆さんハーモニカを知っていたり吹いた経験のある人は手を挙げてください。今手を挙げた方はもう賞味期限が切れて処分の対象です。今の子どもはリコーダーやピアニカを習っています。バカな子が吹いても利己~だ~」です。こんな小噺して「ああ上野駅」と「南国土佐を後にして」を吹きましたが、それなりの年齢の方は下手糞な私のハーモニカの音色を聴きながで大きな声で歌ってくれました。下手糞な皆さんの歌に合わせたばっかりに、所々噛んでしまいました。こんな馬鹿げた落伍をお話して拍手喝さいを受けました。ちなみに通知表2の私ながら努力の結果今では250曲吹けるようになりました。ちなみにこのラジオ向きの顔で今までテレビの全国放送にハーモニカを吹いて3度の出演しているのですから驚きです。「どうだ参ったか」です。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇人間牧場での楽しい昼食会(当日ルポ⑤)
 参加者は10人程度と聞いていましたが、当日蓋を開けてみると何と20人を超えていました。人間牧場のあれこれや標高130mの高台から見下ろす自慢の瀬戸内海の眺めをのんびりと散策してもらい、私が高座の台に腰掛けて少しだけお話をさせてもらいました。

 その後昼食会の準備をして車座に座布団の上に座って、家族が朝早くから作ってくれたおにぎりや漬物、それにギノー味噌さんからいただいた即席みそ汁を配り、朝早くから釜戸で火を焚きはがまに沸かした熱湯を注ぎ全員で味噌汁を作って食べました。

 どれも美味しく少しおにぎりの量が少なかったものの完食をしてもらいました。息子はその間ロケ風呂のお湯を張り、遠路来られた畠山さん、清水さん、それに先日八幡浜の教会60周年に招かれた福岡さんたちと足湯を楽しんでもらったようでした。みんなで記念写真を撮り送迎用の車や広島三次から駆け付けた宮崎さん夫婦も山を下り、セミナー会場へ12時20分頃到着したようでした。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇シャボン玉アーティスもビックリ
 今朝傘を差し長靴を履いて雨の中を歩いていたら、双海中学校前の県道に何やら動くものが見えました。朝の県道は翠地区からスピードを上げて走る車が多い直線道路なのです。その内大きなダンプカーが唸目の前を通り過ぎて行きました。

 人間だとイチコロですが、ダンプカーは車高が高いためその物体の上をかすめるように通り過ぎました。よーく見るとその動く物体は川にいるはずの川ガニのようでした。次々と軽四トラックや軽乗用車がはしってくるので、引かれて交通事故の遭わぬよう、道路のカニ目がけて走りました。

 捕まったら大変と思って両方の親指を立てて逃げ惑うカニを、長靴で軽くふんずけて手で押さえましたが、両手の親指を広げて私を威嚇し始めました。噛まれたら痛いし怪我をするので要注意です。子どもの頃松明の灯りで満ち潮の砂浜でカニを捕まえて遊んだ体験が生きていて、カニの甲辺りの真横をつかんで持ち帰りました。

するとカニは口付近からブクブクと泡を吹き始めました。小さなシャボン玉のようでした。まるで吉野英樹君が名乗るシャボン玉アーティストのようでした。自宅に帰り孫の飼っているフナやハヤの水槽に入れて一件落着でした。思うに昨日からの雨で上灘川の水かさが増し、流されまいと陸に上がったようです。それにしても川の水中で暮らすカニなのに、県道を横断する無謀な冒険に出たカニでした。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇人間牧場20周年の集い最後の準備
 今日は朝から小雨が降ったり止んだりのお天気でしたが、いよいよ明後日に迫った人間牧場20周年の集いの最後の準備をしました。今日の雨を予想して昨日の午前中港の見える丘のクヌギの苗木を植える畑の草を刈り、記念植樹のために穴を3つ掘り終わったところで、雨が降り出し少し濡れましたがそれなりの準備が進みました。


植樹用の穴掘り        植樹用のクヌギの苗木と支柱竹


イノシシに崩された畦畔土


スコップで跳ね上げすっかり奇麗になりました

 今日は朝から夕方までひっきりなしに来客が訪れましたが、寸暇を惜しんで大きな植木鉢に植えているクヌギの苗木の株分けして3本にし、根が傷まないよう肥料袋に入れてビニール紐でしっかり縛り、軽四トラックの荷台に積んで、港の見える丘まで運び終えました。添えに使う竹も3本用意して準備万端整いました。

 その後人間牧場に立ち寄ってみると、先日長浜町豊茂の藤岡さんと大洲市田処の亀本さんが草を刈りブロアーで吹き飛ばして綺麗にしてくれていた進入路の畦畔を、イノシシが悪戯して土が無残にも落ちていました。早速大汗をかきながら一人スコップで跳ね上げました。サツマイモの全滅と言い今年はイノシシの被害が相次ぎ要らぬ心労と労力を奪われました。

 さあ準備はやっと整いました。明日は昼から下灘コミュニティセンターに集まり、会場準備をします。天気予報によると雨の予報ですが、226体の人形を車に積んで移動したり、椅子を並べたりして夕方松山空港まで来れれる講師の畠山さんや医師の清水昭さんを松本さんと2人で迎えに出掛ける予定です。忙しい2日間になりそうです。

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇届いた栗の実
 毎日暑い日が続いていますが、季節の移ろいのそこここに秋の気配を感じています。昨日近所に住む友人が綺麗な栗を今年も沢山自宅まで持って来てくれました。貰った人には言えませんが、栗は他の農作物と違い少々厄介な秋の味覚なのです。

 そのままの状態で焼いて食べるか茹で栗にしてたべるのが面倒臭くない食べ方でしょうが、妻は鬼皮を剥いだり渋皮を剥いだりして冷凍し、正月おせちに栗を使いたいので手伝って欲しいと頼まれました。栗専用の強力ハサミで私が鬼皮を剥ぎ、妻が包丁で支部側を剥いで行くのですが、力のいる仕事で、老夫婦には少々お荷物のようでした。

 専用の栗ばさみも年に一回使うくらいな頻度なので切れが悪く中々はかどりませんでした。妻は業を煮やして伊予市内のホームセンターへ栗ハサミを買いに出かけました。その間私が古いハサミで鬼皮を取り終えた頃妻は帰って来ました。それから2人がテレビのニュースを見ながら手が痛いとか言いながらやっと2時間ほどで皮をむぎ終えることが出来ました。お裾分けした若嫁は栗ご飯を炊き、わが家へもお裾分けの栗ご飯が届き、ご相伴にあずかりました。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇中山の人に「双海は新聞やテレビによく出てる」と言われました
 中山といえば今は同じ伊予市内ですが、20年前の合併前は海と山の条件こそ違え、人口も双海町が少し多い程度でお互いいい意味でしのぎを削ってまちづくりをやっていました。先日中山の人に出会いました。すると中山の人が「最近双海町に関する露出が中山に比べて高過ぎる」と多少不満めいた話をされました。

 第一線を退いている私にそんなこと言われても・・・と思いましたが、そう言われてみれば確かに思い当たる節があり、今月号の広報IYOの表紙には最近よく登場する双海町出身で松前に住んでいる私の従兄弟吉野英樹のジャンボシャボン玉が載ったり、今朝の投書欄にもTシャツ展のあった砂浜を真っ赤夕焼けで染まった姿が単眼複眼で紹介されました。

 中山の人が感銘を受けたのは、先日は地方版の伊予弁というコラムに双海ジュニアリーダ会の会長である大学生の中野珠里さの記事だったそうです。「双海ではあんな若い人が育っている。羨ましい」と言われました。いささかなりとも青少年教育に関わっている私としては嬉しい言葉でしたが。確かに「双海の記事はよく出ているなあ」と再認識しました。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇ガン・脳梗塞・そして糖尿病
 この1週間、出会った人から、「実は~私」と告白のような形で、体の病気について説明を受けたり、Facebookを通じて入院闘病している様子の紹介を見聞きしています。

 「2人に一人はガンにかかる時代」とか「早期に発見され手当てを受ければガンは今や治る病気である」とか言われていますが、私の親父が50歳の時鼻ガンを発症した時は、「本人にはガンであることを悟られないようにしろ」とまで言われる時代でした。

 手術後近所の人がお見舞いに行き、喉から管で流動食を流し込む姿を見て、「進さん(私の親父)はもう長くはない」と周りに言いふらされたりしましたが、2度の大陸出征で大砲の玉の下をかいくぐり帰ってきた強い生命力と、本人の努力、それに家族の優しさ、医師の適切な処置によって完治し、97歳の天寿を全うした時の死因は老衰でした。

 脳梗塞の人を患った人も沢山いますが、懸命にリハビリに努力する人もいれば、生きているうちが花とばかりに酒もタバコも止めず放漫に生きている人もいます。さらに糖尿病を患っている人も多いようですが、食事療法をきちんとすれば糖尿病もそれほど苦にすることもなく生活が楽しむことが出来ます。

 かく言う私も何度かケガをしたり病気にもなり入院もしました。それでもそれらの病気を治る病気にしてしまい、何とか今日まで生きています。目標は親父の生きた年齢を超えることですが、ガンになった親父でも97歳まで生きたのですから、意志を強く持って生きて行きたいものです。「頑張れ進一」と黄泉の国へ旅立った親父の声が聴こえそうです。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇沢山のトマトが届きました
 この2年間、「219の人形が語る昔の漁村の暮らし」の製作をお願いした久万高原町の人形作家林智美さんと、何度となく行ったり来たりしながら製作を行ってきましたが、想像以上の出来栄えの人形が出来上がりました。

 最初100体で始めた人形制作では、昨年の下灘公民館祭りと上灘公民館祭りに人形を展示して皆さんに見てもらいましたが、思わぬ大きな反響にに驚き、その後今年は100体増やし合計219体となりました。

 来月10月5日に行なわれる人間牧場20周年記念の年輪塾公開セミナーで、会場となる予定の下灘コミュニティセンターへ、219体全てを展示することにしていますが、今日の午後その事前打ち合わせのため林さんはわが家へ来てくれました。

 その折久万高原町の特産であるトマトを沢山持参してくれました。私たち夫婦は勿論息子家族もトマトが大好きなので冷蔵庫で冷やし、今晩から味わって食べる予定です。今年になってトマトの手土産は3度目ですが、味わって食べたいと思います。林さんありがとう。ご馳走様です。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇西の空に怪しげな雲
 先日潮風ふれあい公園で開かれていた通学合宿夕焼け村に出掛け、子どもたちに夕日の話をしてやりました。20年以上も続いている私の務めですが、毎年同じ場所から同じような夕日夕焼けを見ているのに、違った趣があって楽しいです。

 今年は天気も上々で綺麗な夕日夕焼けを見ることが出来、子どもたちと一緒に沈み行く夕日に手を振って、「また明日の朝、朝日となってください」と祈りました。そんなさ中西の空の水平線に一風変わった雲の塊を見つけました。

 夕日や夕焼けや雲は人間の目で見える錯覚の世界ですが、特に雲の姿は何とも奇妙な姿をしていて、「何かに似ている」と想像を掻き立てられます。この日見た雲はまるで浮き上がった潜水艦のブリッジのようにも見えました。

[ この記事をシェアする ]