shin-1さんの日記

〇フーテンの寅さんとのやりとり(その①)

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 昨日の夕方朝日新聞の取材で下灘駅へ行った折、市役所の松本さんが広報ふたみの縮刷版から、私が書いた昭和52年8月1日付の候補をコピーして持って来てくれました。そのコピーは記者の小泉信一さんが資料として持ち帰りましたが、私の書斎の書棚には私が書いた昭和49年4月15日付け(299号)から昭和58年7月1日付(505号)の広報がファイルされ大切に保管されています。

 取材が終って帰宅後、昭和52年の綴りを取り出して開けてみると、8月1日号に、「男はつらいよ」「寅さん下灘駅でロケ」という見出しで、次のような記事を書いていました。

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 ちぢみの半そでシャツに毛糸の腹巻き、山高帽子で、夏になると必ずやって来る。ご存知「男はつらいよ」のフーテンの寅さんこと渥美清が、ロケのため双海町にやって来ました。

 男はつらいよ19作目は、中心舞台を四国大洲とし、大洲藩主八代目の当主藤堂宗清を演ずるかつての鞍馬天狗嵐寛寿郎殿様と、こころ優しい寅さんの浮世はなれためぐり逢いの楽しい映画だそうです。今回のワンカット撮影地となった下灘駅は、すぐ下が海の駅として全国的にも有名であり、これまでにも小林旭の映画や、長山藍子の出演する映画のロケになったところであり、カメラマンの来町も多い場所です。

 下灘駅のプラットホームにあるベンチに横になって仮眠している寅さんに駅長さんが、「お客さん、上りが来ますよ」と起こすと、寅さんが寝ぼけた調子で、ウウン、あそう」と起き、海に向かって大きなあくびをする簡単なひとコマでしたが、本番に入るまでに幾度となリハーサルをくり返し、そのたびに別人のように芸をこなす渥美清の姿に、さすがプロの人気スターだと思いました。

 それにしても凄いスタッフです。山田洋次監督以下数十人が、色々な役柄で取り組んでいました。撮影の後、上灘駅前の上田商店で休憩、食事をして帰途につきました。

 インタビューに応じてくれた山田洋次監督は「この映画は、寅さんと殿様が友達になるという浮世離れした物語です。浮世は余りにもつらくて、重く、苦しいことばかりです。我々はせめて映画館の中で、浮世をはなれて夢を見たいというのが願いではないでしょうか」と話されました。

 8月6日、全国一斉に封切られる下灘駅の一コマをみたいものです。


 ワープロもパソコンもなかったあの頃は、後方ふたみ専用の13文字20行の原稿用紙に鉛筆と消しゴムを使って原稿を書いていました。思い出せなくて書けない漢字は漢字辞典と国語辞典を使って書いたものです。文字の世界はバーチャルですが、見た目や肌で感じた記事はリアルで、今でも当時の様子が懐かしく思い出されるのです。

 この映画の場面となった下灘駅での出来事は私の心に深く刻まれ、夕日の物語のプロローグとなったのですから世の中は分からないものです。


  「もし私 ロケの現場に 行かずんば コンサート会場 使わなかった」

  「寅さんや 監督さんとの やり取りは 文字に残りて 今もリアルに」

  「早いもの あれから三十 四年経つ 三十二歳の 夏の出来事」

  「寅さんも 今はこの世に いないゆえ 映画だけしか 出会うことなし」 


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〇今頃寅さんの取材とは

 みかん所えひめですが、今年のみかん類もいよいよ終わりに近づいてきました。先日三崎の塩崎さんが清見タンゴールを一箱、八幡浜日土の清水さんから小夏を一箱それぞれ届けていただき、大事小事に食べていましたが、完熟の柑橘類は少し油断すると腐りが入り、せっかくの果物を3~4個無駄にしてしまいました。

 今朝の食卓に最後の清見と小夏が盛られ、朝フルよろしく美味しく食べました。このところ風邪の回復が思わしくなく、食欲が湧きませんが、口当たりのよい柑橘は私のエネルギーとして大いに役立ったようです。

 風邪の回復が思わしくないので妻は今朝も病院へ行くよう勧めてくれましたが、午前中来客があり、午後はえひめ地域政策研究センターの審査会に出席、終ればとんぼ返りしてフーテンの寅さんがらみの取材を下灘駅で受けることになっていました。その頃までは「ああ今晩は夕方から松山で社会教育実践交流会の実行委員会がある」と認識していたのですが、取材中に妻から「病院へ行くよう」きつく言われました。それもそうよとばかりに、松山の集会とはまったく反対の長浜まで車を走らせ、病院で診察を受けたのです。そこへ事務局の仙波さんから「まだ出席してないが今何処ですか」と携帯が入り、残念無念止む無く欠席と相成りました。

 帰宅後夕食も余り食欲がなく、微熱があるとかで薬を飲まされ気晴らしに妻とテレビを見ていましたが、ブログを一本書かねばとただ今9時30分を過ぎたところですが、書斎に入って思いつくままにキーボードを叩いているのです。

 今夕は先日来られた大槻さんが朝日新聞東京本社から社会グループ記者(大衆文化担当)という小泉信一さんを連れてやって来ました。何でも男はつらいよ寅さんDVDマガジンの第19作目殿様と虎次郎の当時の行方を追っているようで、昭和52年に下灘駅に山田洋次監督と共にやって来た、当時助監督だった人にも下灘駅から電話を入れ、当時の話などをさせてもらう念の入れようでした。私は当時私が撮影した一枚の白黒写真と、市役所の松本さんは当時私が書いた広報の写しをそれぞれ持参して、暮れなずむ下灘駅で、虎さんがらみの懐かしい話に鼻を咲かせました。

 今日は微熱があるようなのでこれから早めに床に就きたいと思います。船場さんに悪いことをした反省も含めてお休みなさい。


  「風邪引いて 体が重く 食欲も 今一なので 集中力なく」

  「今何処?と 言われてわれに 返ったが すっかり会議 忘れてしまい」

  「今頃に なって寅さん 思い出せ 言われてみても 昔ことゆえ」

  「文字に書き 本や広報 書いたゆえ 検索すれば 一目瞭然」

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〇夕日徒然草・風の書の執筆開始

 昨日は朝から雨が降り、一日中小雨のぱらつくあいにくの一日でした。風邪で体調が思わしくないことを理由に、妻から家で休息を取るよう勧められていたため、朝方と夕方の散歩と郵便物を出しに郵便局へ行った以外は、その殆んどを書斎の中で過ごしました。ブログを書き、締め切りはまだ先のことですが頼まれた原稿を書き、本を読んだり部屋の整理整頓をしたりしましたが、ふと「夕日徒然草・風の書」の出版のことが気になり始めました。

 3年前に始めた落伍のネタ本とでもいうべき「夕日徒然草」は、地の書・水の書、火の書と既に3冊を出版しています。その都度盟友清水和繁塾頭に構成や校正を、村上太さんに印刷を頼み、ここまで各書30話ずつの原稿を合計90話まで積み重ねてきました。予定では風の書と空の書で残り60話を加え、5年間で150話を仕上げたいのですが、90話を書き上げた疲労が蓄積してい、て空の書の構想がまだ浮かんでいないのです。それでも自分で決めた目標なので、少しの時間を割いて書こうと書き始めました。

 五輪書は剣聖とうたわれた宮本武蔵が書いた兵法書ですが謎が多く、自筆本は焼失したと伝えられています。書名の由来は密教の五輪(五大)からで、それになぞらえ「地・水・火・風・空」の五巻に分かれています。

 地の巻ー自らの流を二天一流と名付けたこと、これまでの生涯、兵法のあらましが書かれています。「まっすくな道を地面に書く」ということになぞらえて、地の巻とされています。

 水の巻ー二天一流の心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関することが書かれています。二天一流の水を手本とする剣さばき、体さばきを例えて水の巻とされています。

 火の巻ー戦いのことについて書かれています。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いにおいての心構えなどが書かれています。戦いのことを火に見立て、火の巻とされています。

 風の巻ー他の流派について書かれています。風というのは昔風、今風、それぞれの家風などのこととされています。

 空の巻ー兵法の本質としての空について書かれています。

 「夕日徒然草」を構想した時、執筆の参考にしようと五輪書を読んだ当時と今とは随分考えも変わり、執筆した内容もそれ程の価値を見出してはいませんが、それでも地・水・火・風・空という五輪の想いは今も根底に流れているのです。昨日はとりあえず思いつくままに五話ほど書いてみました。さあ少し腕をまくり頭にねじり鉢巻をして、風の書の原稿執筆に取り掛かりたいと思っています。


  「忘れてた 夕日徒然 草を書く 自分で決めた 目標だから」

  「一日に 五話もの話 一気書く 自分でさえも ビックリ仰天」

  「金工面 せずばなるまい 引き出しの 通帳残高 厳し現実」

  「昔風 今風それに 家風あり 風も色々 引く風邪さえも」

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〇山野草の花咲く頃

 私たちの身の回りには人知れず咲き、人知れず散って行く花が沢山あります。その名前さえ調べる手立てもなくやり過ごしていますが、一度ゆっくりと調べてみたいものだと思うものの、日々の雑事に追われ、時には除草や草刈機で雑草として処理されてしまうのです。

 昨日人間牧場を訪ねた人が道端に咲いているアザミの花を見て、「まあ綺麗、久しぶりにアザミの花を見ました」と感激していました。人間牧場では当たり前どころか棘のあるアザミは最早雑草でしかなく、草刈機で刈り倒してしまって、美しいと見ることすら殆んどないのです。

 それでもミツバチを飼うようになった2年前からは野草も貴重な蜜源だと思うと、何となく愛おしい気もするのです。今は人間牧場周辺もミカンの花が満開で、たっぷりある蜜源を求めて蜂たちは忙しそうに飛び回っているようですが、今年はどういう訳か人間牧場の分蜂が思わしくなく、師匠が届けてくれている観察用の巣箱には入る気配がなく、キンリョウヘンの鉢植えを置いた巣箱も斥候蜂は飛んで来るものの入居には至っていないのです。人間は欲の皮が突っ張るもので、家の裏庭に4箱、人間牧場に3箱入居しているのですから贅沢はいえないのです。馬路村の木下さんから蜂のメールが届き、7月ごろには越冬した巣箱の採蜜をするそうですが、私もそろそろ巣箱の点検をして計画を立てたいと思っているところです。

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 人間牧場の直ぐ横の道に白い花がいっぱい咲いているのを見つけました。うつぎ、別名卯の花ともいうこの花は「夏は来ぬ」という歌に歌われている花です。匂いのない卯の花を歌の中では「匂う垣根に」と歌っているのも不思議といえば不思議です。

 田舎の畑は過疎や高齢化で作り手がいなくなり、カズラや野茨がはびこって瞬く間に人を寄せ付けなくなります。特に野バラは棘が鋭く、怪我をすることもしばしばです。この時期になるとウツギと共に白い野バラが沢山咲いて、道行く人の目を楽しませてくれるのです。アザミも野バラも棘があるゆえ美しいのかも知れません。

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  「野山咲く ゆえに美しい 花たちの 名前も知らず ただひっそりと」

  「わあ綺麗 思わず思い 立ち止まる 花に鼻寄せ 匂い嗅ぎ分け」

  「この花を 慈しむのは 私だけ 思えば余計 愛しく思う」

  「雑草と 思い刈り取る アザミさえ 風流人は 綺麗と愛でる」

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〇幻想的な霧の流れ

 昨日は相次いで広島、大分、愛媛と3人もの谷岡さんという方からお電話をいただき、伊予市に住む3人目の谷岡さんの時には、「何処の谷岡さん?」と少し頓珍漢な話になってしまいました。いずれも人間牧場がらみの話だったので余計こんがらがって、「これから人間牧場へ行きたい」との申し出を、車がないことを電話を切ってから思い出し、仕方がないので50CCのバイクを走らせ、待ち合わせ場所のふたみシーサイド公園へ向かいました。宇和島水産高校時代の先輩に当たる長田さんと、谷岡さんのご主人が同級生というのもこれまた不思議なめぐり合わせです。シーサイド公園に到着した軽四は永田さんが運転し、谷岡さんの宇和島在住のお友だち

と3人なので、単車を駐車場に置いて私も便乗させてもらい奥西周りで人間牧場へ向かいました。

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写真①

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写真②

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写真③
(上写真①②は十分前・上写真3③は霧が立ち込め始めた豊田漁港)

 人間牧場はただ今雑石積み工事の真っ最中で、特にロケ風呂周辺は足の踏み込む場所もないほど乱雑で、顔見知りの谷岡さんや長田さんは別として、折角お越しいただいた宇和島の方には大変申し訳ないことをしたようです。

 昨日の朝早いころは天気予報の前触れが雨模様だったもののかなり遠くまで視界が効いていましたが、私たちが人間牧場に到着するころにはあっという間に瀬戸内海特有の海面を這うような霧が西から東へと流れて立ちこめ、さっきまで見えていた豊田漁港や灯台などをまるで雲海のように隠してしまったのです。こんな自然現象は滅多に見れない光景なので、私は来客をさて置いてデジカメで撮影しました。

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写真④

 海面を這うような初夏特有の霧は一寸先が見えず、船の航行に支障をきたすため下灘の猟師さんたちは天気がよいというのに漁にも出ていませんでしたが、これで納得しました。

 5月に入り天気がよく、最近は前日の天気がその日の気温を押し上げ、気温が高めで推移していたようですが、この分だと今週は梅雨の走りのようなぐずついた天気が続くようで、気温も元に戻るのではないかと思われます。伊予市や松前町の郊外では黄色く色づいた麦畑が広がり、早い所では麦刈りや麦わらを焼く姿が見られます。後一週間もすれば衣替え、蒸し蒸しする梅雨や暑い夏ももうそこまで来ています。


  「あっという 間に霧が 立ち込めて まるで雲海 見ているようだ」

  「この霧を 漁師泣かせの 霧という 舳先を隠し 音を頼りに」

  「来客を そっちのけして 珍しい 霧の写真を 失礼ながら」

  「偶然か 続けて三人 谷岡さん 私はだあれ ここは何処」

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〇本を読みながら背もたれ椅子でウトウトと

 このところの陽気で気温がグングン上がり、日本全国のあちらこちらで30度を越して真夏日になったとテレビで報じています。東日本大震災の影響で電力不足に陥り、世の中は脱原発、脱贅沢、省エネなどに向かい、政府は電力の消費量を15パーセント削減する目標を発表しました。寒ければ暖房、暑ければ冷房という暮らしに慣れた贅沢極まりない日本人が果たして、寒さや暑さの我慢ができるかどうか、自分の暮らし方も含めじっくり観察したいものです。

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 暑からず寒からずというこの時期は、戸外へ出ると紫外線が強くて日焼けしたり暑く感じられたりしますが、室内に入ると気持ちがよく、窓を開けて戸外の風を入れると半袖では少し寒く感じるようです。こんな時期は暇さえあれば人間牧場へ行き、観音開きの戸を開けて背もたれ椅子を思いついた場所へ移動して置き、沢山の蔵書の中から何冊か本を見繕って横に置き、時の流れに棹差しながら本を読むのです。そして眠気を催せば開いた本を胸元に伏せ、タオルを目に被せてウトウトと空想に耽りながら昼寝三昧を楽しむのです。サンデー毎日のこの身ゆえ、誰からもとがめられず、また遠隔地ゆえ戸を叩く来客も殆んどなく、時折遠くで鳴くキジの「ケーンケーン」という声が聞こえる程度なのです。

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 昨日は人間牧場の雑石積み工事のため土建屋さんが4~5人外で仕事をしていましたが、「用事があったら呼んでください」と伝えていたので、のんびりゆっくり午後のひと時を過ごすことができました。宮本常一を扱った「風の人」という本と、「人間通」など2~3冊を乱読しつつ、1時間ばかり昼寝をし、その後は佃煮にするためフキを二束収穫しました。一束は近所に住む姉にお裾分けしましたが、もう一束のフキは今朝庭の隅で皮を剥いで灰汁を取るために軽めに湯がき、今は水道水で晒しています。今夜辺り妻が調理をして食卓に上るものと思われます。

 今年も早半ばを向かえ時の流れの速さをしみじみ感じます。でもふと我に帰り生き方や人生、それに季節の移ろいを感じとるようになっただけでもえらい進歩だと、自分自身の行き方に納得しながら、今日も少し風邪気味をいいことにのんびり過ごしているところです。

  「風の音 鳥の鳴き声 背もたれに 体埋もらせ 静かに聴きぬ」

  「ウトウトと ついウトウトと 昼寝する 少し元気が 回復したよう」

  「根元から ハサミで切りて 元揃え フキを二束 抱えて帰る」

  「海と空 区別もつかぬ ほど霞み 宇宙連想 人間牧場」


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〇人間牧場の雑石積み工事が始まりました

 私が広島へ行っている留守中に、人間牧場の石積み工事が始まりました。自宅のリフォーム工事と重なったため資金的にもかなりきつく、そのことを思うと多少憂鬱なのですが、自分たちの暮らしや自分自身の生き方に大きく影響を与えている人間牧場の整備は、私にとっても家族にとっても大切なことなので、妻に相談しながらやっているのです。私は資金を伴う場合は必ず妻に相談します。でないと夫婦の人間関係を損ねてしまうからです。ましてや私の遊び心の場である人間牧場などが生活を脅かせたのでは、いいことであっても前に向いて進まないのです。

 昨日はお大師さんの縁日なので、妻は昨日の夜準備をし朝早くから起きて赤飯を炊いていました。外が明るくなった頃親父はお大師さんの前に幟を飾っていました。この地に家を新築してから30年余り、ずっと続けているわが家の年中ならぬ月中の恒例行事なのです。妻は炊き上がった赤飯をパックに20個ばかり詰めて冷まし、ゴム輪で留めたものを私が近所へ配るのです。近所の中には7キロ離れた下灘地区もあって、私はついでに足を延ばして長浜の城戸岡医院へ風邪の診察に出かけました。幾ら病院や注射が嫌いでも、泣く子と地頭と風邪には勝てず、ついに診察なのです。この病院の先生は遠縁にあたるので妻も時々通院していて、過コレステロールの薬を妻に代わっていただいて帰りました。

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 帰路本村から国道を離れ中間道を通って人間牧場へ行くと、意外や意外雑石積み工事は一昨日の間に随分進んで、早くもその全容が見えるほどでした。若社長がコンクリートや雑石、土などを手際よくダンプカーで運び、4人の作業員がこれまたユンボなどを使って手際よく積み上げて行くのです。

 工事の途中で石垣の長さをもう少し長く伸ばそうということになり早速追加工事をお願いしました。一度昼食のため自宅へ帰り、今度はバイクで午後4時頃再び人間牧場へ行ってみると、ロケ風呂近くの石積みはもう出来上がっていました。雑石工事といいながら青石を使っているので、石垣の目地を入れて刷毛で洗うと綺麗な石垣が見えるはずなので、今から楽しみです。

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 この工事でロケ風呂の元栓開け閉め作業が随分楽になるだろうし、草が生えることもなく草刈り作業が随分助かるようです。今回の工事で気になっていた倉庫の足元崩壊の心配もなくなるし、松本さんや赤石さんと相談しているピザ釜の設置場所も狭いながら確保できるものと思われます。

 土建業者の社長さんから「仕事がないので何かならないか」と声をかけられたことから、降って湧いたように始まった今回の工事は、意外な方向に進んでいます。私の貯金通帳も今回でついに底をついてしまいそうです。「夕やけ徒然草」の風の書・空の書の出版も否応なしにやって来ます。貧乏ゆえに資金繰りには頭を悩ませますが、これも試練です。元気に働いて少しだけ稼いで夢の実現をしたいと思っています。幾つになっても夢に賞味期限はないのですから・・・。


  「仕事なく 何かないかと 電話来る 金もないのに にわかに工事を」

  「何とまあ たった二日 経っただけ 石垣綺麗 出来上がりつつ」

  「欲が出て もうちょいとだけ 延ばしたい 社長に懇願 今度は私」

  「底をつく 貯金通帳 残高を 妻に相談 少し援助を」 

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〇蜂が集まるキンリョウヘンというラン花

 一昨年から人間牧場で、昨年からわが家の裏庭で、さらに今年から巣箱を8個に増やし、ミツバチを飼い始めていますが、春先の巣箱の設置や蜜蝋塗りなどを経て、現在の入居状況は7箱です。風邪の噂によると分蜂行動が遅かった高知県馬路村の木下彰二さん宅では、既に設置した8つの巣箱全部に入居が確認されたようで、巣箱を馬路村の方にいただいたことを思うと、嬉しい知らせなのです。木下さんは巣箱の管理はお父さんがしているので、いずれ息子の彰二さんに受け継がれるものと思われますが、四国山脈を挟んでこちらは瀬戸内海、木下さんは太平洋と、まったく気候風土の違う場所から採れる蜂蜜だけに、一度交換して食べて味を確かめてみたいと思っています。

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 私のミツバチの師匠が昨年ミツバチを誘導するため、何やらランに似た花をペットボトルに入れて巣箱の隅に置いて帰りました。この花が日本古来の和ランキンリョウヘンと知ったのは昨年の春でした。ミツバチが好む匂いを発する植物は幾つかあるようですが、その際たるものはキンリョウヘンなのです。

 木下さんはインターネットでこのランを買い求め育てているようですが、私は師匠から一鉢譲り受けました。そしてこの一年大切の育ててきましたが、ここに来て6本の花芽がやっと開花し満開となりました。最初は裏庭に置いている巣箱の中で、軒先にできた蜂球を強制的に入居させた巣箱の出入りが今一だったので、キンリョウヘンを蜂毎置いていると、巣箱を出入りするミツバチの数が他の巣箱と同じように活発になってきました。


 そこで一昨日人間牧場で石垣積みのちょうはりかけに立ち会っ折、この鉢植えキンリョウヘンを持って行き、未入居の巣箱の前に置いてみました。人間牧場も分蜂の時期が終っているのであまり期待はしていませんが、今朝長浜の病院へ風邪の診察に出かけた折人間牧場へ立ち寄ってみると、キンリョウヘンの花に数は多くありませんでしたが、ミツバチが蜂球を形成しているようなのです。

 工事をしていることもあって、夕方再び人間牧場へ出かけたいと思っていますが、願わくばキンリョウヘンの力を借りて、もう一つの巣箱にも入居して欲しいと願っています。

 今年はキンリョウヘンの花が終れば二つに株分けして大切に育てたいと思っていますが、ミツバチの師匠が私の家から遠隔地にあるため、余り無理をかけないためにも、キンリョウヘンを蜂=8なんて縁起を担いで、8チャンネルにしたいと思っています。


  「キンリョウヘン フェロモン出して 蜂を呼ぶ 俺は一体 どんな香りで」

  「師匠より 貰った花は キンリョウヘン 大事に育てて 花を咲かせる」  

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〇大掛かりとなった広島マツダOB会での講演会

 人のご縁とは不思議なもので、砥部町で車ハウストベというモータースを営む稲葉さんと、かつて近所でモータースを営んでいた義兄を通じて知り合い、その後交流を重ねるうちにわが家の農地を貸すようになって、その交流は益々深くなりました。そして稲葉さんが30年来の付き合いという広島県東広島でモータースを営む稲井さんご夫妻と知り合い、稲葉さんの口利きで稲井さんのお店の30周年記念講演会に昨年招かれ、深いご縁が縁で今回広島マツダOB回総会の記念講演の声がかかったのです。

 呼ばれたら刑務所意外何処へでも行くと腰の軽さを強調している私なので、広島マツダOB回での講演の話は電話であっさりと引き受けました。さあそれからが大変です。つい最近急接近している新居浜の十亀さんと加藤さんが私の講演会に合わせて背景パネルを製作し、それをわざわざ東広島の講演会場まで運んで初お披露目をするというのです。私の講演会にわざわざ新居浜から同行してもらうことに少々気が引けましたが、たっての申し入れとあって潔くお引き受けすることにしました。

 ところが前日の夜稲葉さんから、「私も運転手として同行する」と申し出があり、平日なので迷惑はかけられないとお断りしたのですが、「決めたことなので」とあっさり押し切られ、朝6時に稲葉さんのお店に集合して出発することにしました。早朝5時30分に自宅を出て稲葉さんと落ち合い、松山インターから高速に乗って、小松~今治~尾道~高屋JCと一気に車を飛ばしました。そして早朝ながら「立ち寄るように」と前夜お電話をいただいた稲井さんの自宅へお邪魔しました。稲井さんの自宅へは今回が二度目です。奥さんとご主人、それに愛猫が優しく迎えてくれました。新居浜のお二人と会場正面玄関で10時に出会う約束まで、少し時間があったので4人と1匹で雑談に耽りました。

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 9時30分加藤さんから到着した旨の電話が入りさあ出発です。東広島市文化センター3Fのアザレアホールという立派な会場に十亀さんと加藤さんは持ち切れないほどの小道具を持ち込み、ロビー横の控え室で組み立てを始めました。望月明さんの案内で、組み立てたパネルをバックにステージに立ち、1時間喋り捲りました。

 私にとって1時間の講演時間は少々物足りなく舌足らずになってしまいましたが、150人近くの参加者は皆さん熱心に私の話を聞いてくれました。その後私は近くの料亭白竜湖で開かれた、主催者と県会議員で副議長の芝さんや市会議員さんを交えた昼食懇談会に招待され、懇親を深めました。

 一方稲葉さんと十亀さん、加藤さんは稲井さんのご配慮で同じ白竜湖で昼食会をしていただき、合流をして稲井さんのお店を訪ねお暇しました。稲葉さんと四方山話をしたり運転手つきの気楽さから風邪で体調が優れぬためウトウトしながら砥部まで帰り、喫茶店でお別れ会をして再会を約束し午後5時過ぎに自宅へ到着し長い長い一日が終わりました。


  「今回の 講演会は 大掛かり 舞台装置と 運転手つき」

  「ありがたや 多くの人の 智恵を借り 効果抜群 講演終る」

  「このところ 孫にうつされ 風邪気味で 今までになく 気分優れず」

  「体調が 今一ながら プロだから 性根を据えて 仕事に励む」

 

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〇子ども体験塾保護者説明会

 若い頃青年団に入団してから社会教育と出会い、以来公民館主事13年と公民館長2年、計15年は本業プロとしてかかわり、それ以外はボランティア活動として社会教育に深く関わってきた私ですが、退職後の今も、多分これからも生きている限り社会教育に関わっていくものと思われます。まあそれはそれとして何の抵抗もなく、妻も何の文句も言わず容認してくれているのです。

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 昨日の夕方午後7時から私が実行委員長を務める「子ども教室」の中の、「子ども体験塾」の保護者説明会が開かれました。今年も町内の子どもたちが31人も応募してくれ、幸先よいスタートとなりました。何人かは仕事の都合で説明会に来ていませんでしたが、殆んどの保護者が集まり、運営目的と組織の紹介、年間プログラムの説明、参加者の心構え、連絡網の記入、費用の納入、傷害保険の説明など、1時間の短い時間でしたが、スライドショーなどを使って、事務局である赤石公民館主事さんを中心に会が進行しました。

 今年の子ども体験塾は6月28日、人間牧場でのサツマイモの植え付けからスタートしますが、今年もいいプログラムが実行委員会の手によって作られていて、顔見知りの子どもたちも沢山やって来るので今から楽しみです。特に今年から子ども体験塾を終了した中学生が数人ジュニアリーダーとして参加してくれる予定なので、その成果を大いに期待したいと思っています。

 子どもは家庭・学校・地域という概ね3つの世界を持っていますが、子ども時代に地域と深く関わることは、人間性を養う上でとても大切なことだと思います。大人になってボランティア活動をしている人の殆んどは何らかの形で青少年時代にボランティア活動に参加した経験を持っているようなのです。やがて子どもたちが大きくなった時、今度は育成される側から育成する側に回って、世のため人のために働くような人間になって欲しいと願っています。

  「本業は 何かと尋ね られたなら ボランティアとでも 答えておこう」

  「いい子ども 沢山育ち この町は 少子化ですが 今から楽し」 

  「いつの間に 成長したか 主事さんも 堂々薀蓄 人が育って」

  「子どもから パワーをもらう 気構えで 非日常な 安全冒険」

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