人間牧場

〇花あれこれ
 先日わが家に一輪だけ咲いたハスの花を紹介したところ、友人から「花にも色々あります」と一枚の色紙を送ってくれました。なるほどと頷きながら書いている花を思い浮かべました。

 きくのはなから始まり、くちなし、ふじのはな、ひまわり、ばらのはな、しらゆり、あじさい、たちばな、さくらばな、はすのはなに理由をつけて面白い表現でした。

 花づくしに詠まれている花は全て知っていますが、今年わが家に植えた古代ハスに一輪だけ咲いただけに、納得のいくいいプレゼントでした。今年は花の話題が何かと多い夏でした。

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〇今週は百姓三昧で少々お疲れモード
 9月1日に210日を迎えたので、何はさておき畑仕事に精を出しています。草刈り、雑草の除去、夏野菜の残材片づけ、石灰振り、牛糞振り、耕運機中耕、畝立て除草除草マルチ敷きと、大汗をかく暑さや薮蚊と戦いながら一人で何役もこなしていますがこの1週間は少々お疲れモードのようです。

 若い頃は疲れを知りませんでしたが、さすがに年齢を重ねると1日寝ただけでは疲れも取れず、2~3日後まで蓄積する有様です。それでも熱中症に注意をして水分をこまめに補給し、やったお陰でどうにか目標の220日までには、大根の種を蒔くところまで漕ぎつけました。

 さあいよいよ明日は待望の種蒔きです。それにしても自家栽培の安心安全な野菜を作るために、どれ程の労力を使わなければならないのでしょう。金銭換算ではできない家族の健康を守るための、ささやかな挑戦です。百姓とはよく言ったもので、百の仕事をこなさなければなりません。分かったようなたわごとを言いながら季節は進んでいます。

 

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〇民俗資料の迷走
 私はかつて若い頃双海町教育委員会で社会教育に携わっていました。その折廃れ行く民俗資料と思える古い民具を住民から寄付を受け収集しました。かなり本格的な収集だったので点数ははっきり覚えていませんが、かなりの量に上りました。

 展示する場所も方法も考えずのとりあえず収集だったので、郵便局が移転したのを機にその跡地にとりあえず展示保存をしていましたが、郵政省の方針と市役所の思惑が一致して旧郵便局舎は取り壊され消防支所を造るることになり、行き場を失った民具類はとりあえず一軒隣りの農協倉庫へ移転しました。

 農協倉庫も老朽化が激しく取り壊されることになり、その民具は平成の合併と学校統合で閉校となった中山永木小学校へ移されました。双海町の民具の中には海に関する物も沢山あって、海の物が山の学校に置かれるのも不自然な話です。ところが永木の住民が学校跡地を使いたいという話がつい最近持ち上がり、またもやこの民具が同じ中山町の旧野中小学校へ移転する話が水面下で持ち上がっているようです。

 伊予市の文化行政の行方も定まらないまま、このまままた移転となるとどうなるのか、私は双海町史談会の会長をしていることもあり、その行方の危うさに気を揉んでいます。色々な人に相談しより良い方向へ導くのは私たちの仕事。ましてや収集した当事者だけに寄付をしてその教育的利用を託されただけにその説明責任も果たさなければなりません。頭の痛い問題です。私案はあるのですが・・・。

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〇スズメバチの駆除
 今日の昼頃偶然見つけた隠居家軒先に作っているスズメバチの巣のことを、とりあえず息子の職場へ電話を入れ、仕事が終わって帰宅する時、ホームセンターでジェット噴射のスプレーを購入して帰るよう伝えました。

 

 息子は言われて通りスプレーを持ち帰ると、夕食も取らず早速少し厚手の雨合羽やヘルメットゴム長靴に手袋で完全武装し、手・足・首などの隙間をビニールテープを巻き付け、まるで宇宙飛行士のようないで立ちになりました。

早速息子は屋外明かりに照らされて脚立に登り、スズメバチの巣の入口からジェット噴射スプレーをかけ蜜蜂の巣箱用の柄長ノミで、巣を切り落とし用意した肥料袋の中に入れて、袋口を紐で縛りました。

 見ていて刺されては大変と、見たいけれど二次被害に遭わぬよう家族全員が部屋の中から網戸越しに息子の動きを見ていました。息子は昨年も同じようにスズメバチの巣を処分しているので、慣れた手つきでした。

 スズメバチの寝込みを襲った離れ業でしたが、巣に戻っていないスズメバチが巣に戻って右往左往する可能性もあるので、明日の朝もう一度ジェット噴射のスプレーで撃退する予定です。息子も中々やりますな~でした。

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〇名もなき花たち
 単純な思い付きで「自分で採った蜂蜜を食べたい」と思い、蜜蜂を飼って10年余りが経ちました。毎年蜂に刺されながらも蜜蜂と付き合っていますが、ふと蜜蜂に関する疑問が次々と湧いてきます。

「蜜蜂の巣は何故6角形なのか?」。「傍に幾つも巣箱を置いているのに、自分の巣箱以外の巣箱に迷って入らないのか?」。「1匹小さじ一杯の蜂蜜をどの花から運んで来るのか?」。蜜蜂に聞いても言葉が通じないので全てが謎だらけです。

 今日庭のツツジの木に絡まったつる性の雑草に白い花がいっぱい咲いているのを見つけました。本来はツツジの木を弱らせるので、取り去るべきでしょうが、蜜蜂を飼っていることもあって、花の少ないこの時期ゆえ残しています。

 まるでジャスミンの花のような白い可憐な花で、遠目で見るとまるで白いツツジの花が咲いているようでした。気がつけば身の回り、家の周りには名もなく、いえ名さえも知らない草花がいっぱいいっぱい咲いています。らんまんというNHK連続テレビドラマを殆ど毎日見ているゆえ、花がやけに愛おしく感じられます。


どうやらセンニンソウかも・・・

 世の中は便利になったもので、「晩夏から初夏に咲くつる性の植物」で検索すると出るわ出るわです。この花の名前はどうやら「センニンソウ」だと突き止めました。小さな花故蜜蜂の餌となる蜜は少ないと思われますが、匂いを嗅ぐなどしっかり観察したいと思います。

 ツツジの木 絡まり白い 花沢山 咲かせて綺麗 名など分からぬ」
「便利だね あれこれ書いて 検索す センニンソウと 言う花かもね」
「今日にでも 花に鼻おば 近づけて 調べてみたい 蜜蜂のよう」

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〇防災の日
 9月1日は防災の日、昨日は関東大震災が起こってから100年目の節目の年に当たります。ゆえに全国各地で防災に関する様々な催しがありました。阪神淡路大震災も東日本大震災も、テレビのニュースで悲惨な災害状況を目の当たりにし心を痛めたものの、私の住んでいる地域から離れているため、実感がわきにくい状況でした。

 それでも南海トラフ大地震が近い将来起きると予言して備えをするよう促されていることもあり、子ども体験塾では数年前から防災に重きを置いた「防災キャンプ」を実施して訓練をしています。その折防災備蓄品のお下がりをいただき、一食はお湯で温めると食べられるレトルト食料品を食べました。進化し続ける防災食料品の沢山あるのに驚きました。

 その折お土産にいただいた賞味期限5年という信じられない長期保存のサバの味噌煮と豚汁のパックを思い出し、防災の日ゆえ昨日の昼に温めてもらい試食してみました。普通家庭で妻が調理して食べさせてくれる料理には勝てませんが、それなりの味でした。 その折妻と防災について話し合いながら食べたいい一日でした。

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〇イチジクが採れました
 ブルーベリーの収穫が終わり、9月に入るとイチジクが色づき始めました。イチジクが熟して一番困るのは、熟した実にスズメバチがやって来るのです。スズメバチがいるかいないか確かめた上畑の隅の木に登って熟れた実をちぎってボールに入れます。

 今日は30個ほど収穫し、10個は若嫁に、後の20個は先日鰆を2匹も届けてくれた漁師の奥さんに差し上げました。昨年差し上げた時、「私イチジクが好物です」と大層喜んでくれてことを覚えていたからでした。勿論今年も大喜びでした。

 一方若嫁はイチジクのジャムを作ったようで、早速明日の朝はこの美味しいに違いないジャムをヨーグルトにかけて食べようと思っています。イチジクが熟れ始めてからにわかに蜜蜂の巣箱の前付近にスズメバチが飛来するようになりました。気をつけたいものです。

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〇バッタを食べるカマキリ
 このところまるで梅雨のように雨がよく降ります。今日は11時過ぎたまたま家に私しか誰もいず、急に雨が降り出したので干していた洗濯物を濡らしては大変と、急いで物干し竿から取り込みました。

 暑かった8月も今日で終わり明日から9月です。夜になると気の早い秋の虫たちの鳴き声が賑やかに聞こえるようになりました。昼間畑の隅の倉庫の板に大きなカマキリが羽を休めていました。

 私が見ていると急に飛び立ち、草むらにいるバッタを見つけたカマキリが襲い掛かりました。カマキリが餌を食べている姿などめったに見れないので、しゃがみ込んで遠目で高みの見物となりました。

 飼っている蜜蜂の巣箱の前では相変わらずスズメバチがホバーしながら、蜂蜜を持って帰った蜜蜂を狙っています。虫網で捕獲して足で踏んずけて処分していますが、自然界の虫たちもそれぞれ生き延びるため必死に活動しているようです。

 

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〇一人の女性の心変わり
 私は小は小学生から大は高齢者までを対象に、求めに応じ色々な所で色々と他愛ない話をしています。時には1千人を超す大集会もあればたった4~5人の小さな集会もありまちまちです。与えられたテーマに沿って短くて10分、長くて120分話すのですが、最近は余り事前に用意もせずアドリブでお茶を濁し話すことが多くなりました。

 その昔、私が代表を務めている21世紀えひめニューふぉろんティアグループの主催するフロンティア塾の40回目の締めくくりに、あの有名な永六輔さんを講師にに招きました。永六輔さんは講演の前集まった参加者に「今日は私にどんな話が聞きたいですか?」と聞き、手の上がった4~5人の聞きたい話をテーマにしてアドリブで90分間しっかりと話しました。

 演題のない講演で何でもこなす永六輔さんの姿を見て、「この人はどんな知識を持っているのだろう」と不思議に思いました。永六輔さんと私は月とスッポンほどの違いがありますが、折に触れ「あの人のように喋りたい」と思ってはいるものの、やはり無駄な抵抗だと思いながら、愚直な抵抗を続けていますが、抵抗もここまででもう残り少な人生から考えると夢幻に終わりそうです。

 私は人前で話をする時、集まった人の1人でもいいから心の扉を叩いて開けれたらいいと思っています。先日私の話を聴いたという1人の女性がわが家へ訪ねて来ました。聞けば私の話を聴いて感動したのでと前置きし、「気持ちを手紙に書きました」と一通の手紙を手渡されました。その女性が帰ってから手紙を開けて達筆な心こもった手紙を読みました。

 「お話に深く感銘を受け、早速私もこれからの人生についての生活設計を作ってみたい、そして『わくわく、ドキドキ、じ~ん』と感じられる人生を歩みたい」と書かれていました。30人ほどの集会でしたが30分の1ながら心の扉を少しだけ開くことができました。ブラボーです。手紙を見せながら読んで聞かせた妻も「いい手紙を貰って幸せだね」と喜んでくれました。

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〇お接待所を営む越智カヨ子さん
 私はこれまで約60年間地域づくりに関わり、多くの人と出会って生きてきましたが、世の中には奇特な人がいるものです。越智カヨ子さんと何時出会ったかは定かに覚えてはいませんが、急接近したのは四国88ヶ所世界遺産化の会のフォーラムでした。越智さんは通称カヨちゃんと呼んでいますが、お接待がしたくて出生地の久万高原町に移り住んだという、他人から見れば「ええっ~」と言われそうなお接待ならぬ80歳がらみのおせっかいおばさんです。

 昨日人形作家林さんのアトリエを訪ねましたが、カヨちゃんも同席し色々な話に花を咲かせました。昔看護婦をしていたこと、お接待がしたくてご主人と久万高原町に引っ越して暮らしていること、へんろ道保全やお接待所活動など、世知辛いこの世の中では考えられないような考えや行動には頭が下がる思いでした。カヨちゃんに比べると私などまだまだ修行が足りないと心底思いましたが、真似など出来そうもありません。

 人の縁とは不思議なもので、聞けば私が役場に勤めるきっけけとなった病気入院した松山道後の奥島病院で当時看護婦をしていたそうで、ひょっとしたら気付かないニアミスをしていたかも知れないのです。少しだけ私より年齢を重ねていますが、まあ同年齢同世代の域なので話の波長は全く一緒で、昭和史を地で行く話をたっぷり聞かせてもらいました。時折窓から吹き込む爽やかな涼しい風が眠気を誘ういい一日でした。

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