人間牧場

〇ツワブキとノジギクの花が咲き始めました
11月になったというのに、全国各地では連日夏日が続き、寒いのが苦手な私としては助かるのですが、自然界も雨が降り過ぎて災害が起こったかと思えば、こちらでは少雨状態が2ヶ月も続き、昨日は恵みの雨と思いきや、3~4㎜程度の降雨量で、これはもう異常としか言いようがありません。

それでも確実に暦は動き、長男のあちこちには自生しているツワブキの黄色い花が咲き始めました。また海岸線の国道沿いのあちこちにはノジギクも咲いて、秋色を感じさせ、家から見える町のシンボル本尊山界隈もハゼやィ右などの雑僕が紅葉し始めました。

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〇赤とんぼの思い出
 昨日松山に住む6歳の孫がわが家にやって来ました。次男息子の車で下灘閏住の実妹のくじらという小さなお店に立ち寄りました。店の横の藤棚休憩所には3連休とあって多くのライダーが名物のたこ焼きやソフトクリームを食べながらのんびり過ごしていました。

 帰ろとすると道端に止めていた車の助手席に、どこか記憶に残る一人の男性と目と目が合いました。相手より私の方が先に「窪田公博さんじゃない?」と言葉をかけると、「そうですが」と返り、「双海町の若松です」と言うとやった思い出してくれました。

 この方は私が双海町の教育長をしていた頃、上灘中学校の校長先生をしていました。その折中予管内の人権同和教育研究大会を下灘公民館で開きましたが、参加者全員に250匹の竹で作った赤とんぼを差し上げ、北原白秋の生い立ちから人権を考える私の作ったストリーに共鳴し、赤とんぼを作ってくれた忘れられない思い出の人なのです。

 聞けば頸椎の病気を患い手術をしたものの後遺症を発症し、今は施設で暮らしているとのことでした。わが家の海の資料館海舟館には今も先生の作ってくれた竹の赤とんぼが大切にディスプレイとして保存されています。同行していた奥さんと娘さんに「お元気で」と別れを告げましたが、いつかまた会ってあの頃の懐かしい昔話をしたいと思いました。

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〇孫娘が遊びにやって来ました
 今日は3連休の最終日で、この時期として珍しい夏日の一日でした。次男が6歳になる娘を連れてわが家へ遊びに来ました。来年1年生になる孫娘は成長著しく、楽しいお喋りを沢山しました。

 風もなく穏やかだったので、長男息子が庭にかまどを出し、掘り立ちのサツマイモを濡らした新聞とアルミホイルで包み、かまどで焚いた焚火で焼き芋をしてくれました。孫娘は興味津々で、早速焼けたサツマイモの皮を剥いでやり、フーフー言いながらみんなで美味しく食べました。

 その後夕食はハンバーグが食べたいというので、帰り道すがら伊予市まで出てレストランで夕食を食べましたが、最近前歯の乳歯が抜けたらしく、いよいよ永久歯に生え替る時期を迎えたようです。ふとこの孫娘若松花菜がお嫁に行く年齢まで、私たち夫婦は生きているだろうか?。25歳で結婚するとして79歳の私は98歳になるはずです。目標100歳ながらとてもその年齢まで生きている保証はないのです。

 まあそんな他愛のない話を妻と2人で話しましたが、いよいよ私たち夫婦の人生も最終章に差し掛かっていることを実感しました。 

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〇全快祝い
 長男の嫁は実家のお父さんが5年前に亡くなってから実家が経営する喫茶店で、お父さんに替ってコーヒの焙煎をやっています。次男の実家のお父さんは銀行マンでしたが退職後造船所に勤務した後自由人となっていますが、昨年リンパ腫を発症したものの、治療の甲斐あってこの度完治しました。

 病気のしんどさは病気になった人でないと分からないものなので、全快したことを祝って昨日お食事会に誘ったところ、奥さんと一緒に快く応じていただき昨日伊予市のレストランで、簡単な全快祝いをやりました。私より6つも年下ながら博学で、私たち夫婦と4人で色々な楽しい話に花を咲かせました。

 その後息子が所属する中山の地域おこしグループ十彩会主催の映画祭に誘い、「島守の塔」という沖縄が舞台の映画を鑑賞しました。映画を見るのは息子が主催した映画二宮金次郎以来何年かぶりで、出演している昭和の名優香川京子も出演していて、涙を誘う少し重苦しい映画でしたが、いい映画を見せて貰ったと喜んでいただきました。

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〇大洲といっても隣の長浜町で山火事発生
 ひょっとしたら山伝いにこちらへも?と心配するほど近い、長浜町白滝で山火事が発生しました。報道や友人のFacebookによると現場までの道は細く、また山火事ゆえ夜間の消防団による消火活動など危険が伴うため、県は自衛隊に消火のための出動要請が出されました。

 一昨日の朝私たちの町の上空を消火のために現場へ向かう自衛隊のヘリコプターと思われる機体が音を立てて東から西に向かって低空飛行で飛んでいました。ふと戦争をしているウクライナやイスラエルのことを思い出し、若しこの爆音が戦争だったらどうしようと、平和の尊さをあらためて思いました。

 空気が乾燥していたり、このところ全く雨が降らず空気が乾燥し、加えてダムの水も底をつきかけているので、海水を使うことも選択肢の一つとして検討されてようです。何が原因か、またいつまで燃え続けるのか、気になる所です。今日公民館祭りの会場に来ていた満野の人の話によると、肱川の風に乗って火事の来生臭い匂いが早くもです。来生臭い匂いが満野浜地区に届いているようです。

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〇殆ど毎日のように実家にやって来る姉
 私は5人兄弟の長男ですが、5人のうち姉・妹・弟・私と、4人までが同じ町内に住んでいます。近所の人から「羨ましいですね」とよく言われますが、近所に住むからといって兄弟姉妹といっても、別に取り立てていいことがある訳でもなく、まあそれなりに仲が良いといったところです。

 2つ上の姉は近所の自動車屋さんに嫁いでいましたが、3年前に義兄が亡くなり、直後は多少元気がなかったものの、最近は回復して息子や娘孫たちと同居し穏やかに暮らしていて、毎朝ラジオ体操に参加したりウォーキングに余念がありませんが、そのコースにわが家のお地蔵さん参りが入っているため、殆ど毎日実家のわが家へやって来て、あいさつや雑談をするのが日課となっています。

 今朝も私が西条へ出かける頃にやって来て、「今朝新聞にあんたが載っていた。嬉しかったので少しだけどお祝いを上げる」と銀行の状袋に入れて寸志をくれました。嬉しくなり早速仏壇に供え父母の位牌に報告し手を合わせました。妻にそのことを話し手渡しましたが、明日にでもお礼を言いたいと言っていました。ゴマすりながら「持つべきものは姉」だと思いました。

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〇朝のあいさつが「暑いですねえ」から「寒いですねえ」へ
 今年の夏は10月になっても残暑のように暑く、朝ウォーキングで出会うひとたちから汗をぬぐいながら、「もう秋だというのに」という枕詞をつけながら「暑いですねえ」と言葉を交わしていました。

 ところが半月も経たないのに急激に夏日だった温度が下がり、朝晩寒さを感じるようになりました。厄介なのは昼と夜の温度差が10度以上もあって、私たちのような高齢者には体調管理が中々上手く行かない人もいるようです。

 夏が長く秋が短かくかんじるようになって、どこか身の回りの環境が変化しているような感じもしますが、凡人の私にはその変化がどれほどなのか、またそれが人間の日常の暮らし方が原因なのかは分かるはずもありません。

 「暑けりゃ脱げばいい」「寒むけりゃ着ればいい」のでしょうが、ファッションを気にする年齢でもないけれど、妻は近くへ出かける時も、「何を着て行こうか?」とそんなにありもしない洋服を見て困り顔をしているようです。

「昨日まで 暑いねえと 言っていた 今はあいさつ 寒くなりました」
「春や秋 一番季節 いいはずが 秋は駆け足 早くも冬が」
「温暖化 私のせいでは ありません 他人事だと みんなが思う」
「朝晩の 気温差10度 これはもう 体調管理に 困ってしまう」

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〇今も私はマッチと鉛筆を重宝しています
 私たちが子どもの頃は身の回りにはマッチと鉛筆があって、いつも使っていました。家の煮炊きはかまどで野山から集めてきた杉葉や松葉、小枝などに順次火を点け薪にを燃やしていましたが、その着火は999、いわゆるサンキューという大箱マッチでした。最初の内は何本使っても要領が悪く火が中々点きませんでしたが、そのうち慣れると「マッチ一本火事の元」という標語のように僅か1本のマッチで大きな火を起こしました。

 しかし最近は着火式ガスやオール電化の台所となり、またタバコをのむ人もライターを使ったり世間から疎んじられて少なくなったため、マッチを使う機会は極端に少なくなり、子どもたちにマッチのことを話すと、「それ何?」とまるで浦島太郎のような話になるのですから驚きです。マッチを知っている世代はもう賞味期限切れかも知れません。

 一方鉛筆もボールペンやマジックインキ、シャープペンシルに座を奪われ、子どもたちは使っても、私たちの世代のように小刀で鉛筆を削ることはせず、電動の鉛筆削りに差し込めば、先まで芯の尖った鉛筆になるのです。私は時々日曜大工をしますが、寸法を測り印をつけるのに一番便利なのはHBか1Bの鉛筆なのに、周りを見渡しても鉛筆など余り見かけなくなりました。

 私は若い頃町の広報「ふたみ」を10年間担当し、毎月2回発行に携わりましたが、ワープロやパソコンのなかった時代故、紙と鉛筆と消しゴムが3点セットでした。鉛筆で書いた原稿を決裁に回すと、上司が赤鉛筆で修正が加えられましたが、時には書き直しの烙印が押され、期日に間に合わせるため徹夜をしたこともしばしばでした。時代が変わったことを実感する今日この頃です。

 

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〇満月の月とランデブーしながらウォーキング
 「ついて来いとは言わぬのに黙って後からついてくる」と言う歌の文句のように、今朝は満月のお月様が、まるで昼間のように夜明け前の道を煌々と照らす中を、月とランデブーしながらウォーキングしました。

 少し肌寒い朝でしたが、歩いているうちに体がポカポカと温まって、寒さなどどこ吹く風でした。帰宅してパソコンにスイッチを入れると、西条の親友青木晴美さんも私と同じお月様を見ていたようで、綺麗なお月さまの写真をアップしていました。

 見ようと思えば同じ月を同じ時間に違った場所で同時に見れるのですから宇宙とは不思議と言えば不思議です。昨日見た夕日も今朝は各地の朝日となって昇るのです。あの小さなお月様の引力のお陰で海の水に流れが生じ、海水は腐ることなく綺麗さを保っています。

 昨日の夕方、懇意にしている漁師さんが底引き網で漁獲した、鯛2匹とデビラ、それに小エビをわが家へ持って来てくれました。粗調理は私の役目なので、多少時間はかかりましたが小エビの皮を剥いたり、鯛の鱗を引いて三枚におろし妻に渡し、妻は鯛の刺身を食卓に出してくれました。この胃袋に納まった魚たちもお月様の恩恵を受けた潮流の中を昨日の昼まで、泳いでいたのです。

 

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〇どうすりゃいいのでしょう
 私は毎日facebookとアメーバブログ、それにワードプレスブログに3本の記事を書いています。アメーバブログもワードプレスブログも、facebookに転載しているので、facebookにアクセスすれば常時3本の記事が読めるようになっているため、最近友だちリクエスタがめちゃくちゃ増えています。

 只今私のfacebook友だちは2000人を超えていますが、これ以上増やすと対応ができなくなる恐れがあるので、余程なことがない限り新たなリクエストは躊躇しなければならない状態です。特に外国人からのリクエストは、ネットトラブルの心配もあって、先へ進むことが出来ません。

 この10日間「108体の人形が語る漁村の昔の暮らし」を10回シリギャラリー風に紹介したところ、毎日100件の超えるアクセスがありました。つまりこの10日間で何と1000人を越えました。嬉しいことですが、あれこれこれからのことを考える昨日今日でした。

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