人間牧場

〇能登半島地震
 2024年1月1日午後4時10分頃、能登半島の石川県志賀町で震度7の地震が発生し、日本列島の日本海側ほぼ全域に大津波警報が出ました。建物倒壊や火災が相次ぎ、石川県では57人が死亡したほか、押し寄せた津波や土砂崩れ、土地の隆起や液状化など、分かっているだけでも災害史上に残る大災害となっているようです。

 正月元日のしかも夕暮れ時の惨状ゆえ、冬季の早い夕暮れも重なって、身動きが取れなかったゆえ被害の状況確認や対応に手間取ったことは否めない事実ですが、昨日は一日中NHKテレビは災害に関する放送放映をしていました。いつの間にか死者数も増え、今朝の新聞では中心地となった石川県では死者が57人になったそうです。

 

  能登半島地方ではこれまでにも地震が相次ぎ、地震と津波への対応が指摘されていましたが、いつ来るか分からない地震や津波への対応には限界があることも正直なところです。阪神淡路大震災や東日本大震災など日本はこれまで多くの地震や津波に遭いその都度、復興・復旧の名のもとに逞しく乗り越えて来ました。

 私たちの住んでいる四国もそれらの先例を教訓として、やがて来ると想定している海トラフ地震に備えようとしています。予防には金もかかるし好き易す飽き易すな住民への意識啓発も中々前に進まない現状です。「備えあれば憂いなし」でしょうが、まずは今回の地震を教訓に、まずは自分から始める防災をしっかりやりたいと思いました。

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人間牧場

〇山道から見える双海町の中心地から見る景色
昨日は正月元旦でした。宇和島に勤務する警察官をしている息子が久しぶりに大みそかから帰省し、加えて松山に住む看護師の次男家族も加わり、賑やかなお正月となりました。

 私も時々正月のあいさつにやって来る親類の人の対応も午前中で一通り目鼻がついたので、久しぶりに潮風ふれあい公園までウォーキングに出けました、道沿いの畑などは作り手がいなくなり雑草とカズラが生い茂り、寂しい風景が目につきました。

 少し坂を上ると上灘川に架かる長い鉄橋の見える場所に出ました。かつては特急宇和海が走っていましたが、今はマッチ箱のような位置力の列車が走る寂しい線路となりました。時折走る3両仕立ての観光列車伊予灘ものがたりが走る姿を、プロのカメラマンが撮影する絶好のフォトスポットを、私もスマホで2~3枚撮りました。

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人間牧場

〇メールにて新年のごあいさつ
 年賀状を400枚ほど出しましたが、音信が途絶え気味の方に届かず、「配達準備中に宛先に尋ね当たらない」とか、しっかり確認したつもりでも「既に昨年亡くなっている人」もいて、ご家族から電話にて丁寧なごあいさつをいただいたりもしました。

 そんな中Facebookの私の文章に深淵のあいさつを兼ねたコメントに懐かしい写真を添えてくれた人が2人もいました。一人は熊日新聞に勤めていた頃、私の取材に人間牧場へ見えられた平野有益さんががいました。日付は平成18年7月18日ですから今から17年も前の出来事で、よくもまあ保存していたものだと感心しました。

もう一人の肩は島根県益田市のkaneo Shimakawaさんで、私が頼まれて講演に出かけた折の写真のようでした。「夢を追いかける人がいて村はかがやく」という、当時私が好んで使っていた演題のようでした。

 平野さんも島川さんも尊敬する方で、時を経てはいますが、「もう一度逢いたい人のリストに入っています。「写真は嘘をつかず」と言う通り、「あの頃私は若かった」と2枚の写真を見て思いました。

「年賀状 届かず手元に 戻り来る 余計気になり どうしたものか」
「年賀状 亡くなったこと 知らなんで 失礼の段 お許しください」
「メール添え 若かりし頃の 記事写真 届いて嬉しい 記念に残そう」

 

 

 

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人間牧場

〇今日から来年5日まで人間牧場は冬休み
 自然とは偉いもので、昨日までは動けば少し汗が出るほどの陽気だったのに、今日は雨を伴ったかなり強い北西の風が吹き海は大荒れです。あの穏やかな海が荒れ狂うには気圧の変化によるえなるぎーが必要ですが、まるで風神様が起こっているようにも見えました。

 明日は新しい年の始まりなので、昼過ぎ人間牧場へ出かけ、用意した注連縄と鏡餅を神棚に供え、これまでの一年間への感謝と、これからの一年間の無事を祈りました。早いもので人間牧場を造って19年になります。来年はいよいよ20周年を迎える予定です。

 年輪塾の仲間たちと20周年事業の企画を練っていますが、10周年をやった時とは違い、私を含めみんな10歳年齢を重ねました。今日で今年の活動を終え、来年と言っても来月5日から活動を開始する予定です。さあもうひと踏ん張り頑張りましょうか。

「温かい 昨日がまるで 嘘のよう 風神様が 怒り狂って」
「19年 あっという間に 過ぎ去った 想いは若いが 歳相応」
「来年は 20周年 やる予定 一つの区切り フンドシ締めて」
「今日からは 1週間の 冬休み しめ縄飾り 餅を供えて」 

 

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〇妻の仕事
 妻は歩いて行けば5分ほどの近くにある宮田歯科医院にパートで勤めています。31年の長きにわたって勤めていることや年齢が78歳になっているので、4~5年前から退職したいと言っていましたが、一緒に勤めていた少しだけ若い人が娘さんの病気でいち早く止めたため、辞める時機を逸してしまい、後任も見つからぬまま、40代の女性と2人で勤めています。もう一年もう一年とは留意されて今日に至っています。

 私が退職したとき一念発起してカナダ・アメリカへ連れて行きましたが、妻が退職したときはどうしようか目下思案中です。妻の希望は2~3日別府温泉にでも浸かってゆっくりしたいと、妻らしい控え目な希望があるようですが、「今年で辞めたい」と院長先生に申し出たところ「もう少し」と留意されたようです。来年の私の年賀状の家族の近況について「間もなく退職」と書いてしまい、右往左往しています。

 私が60歳で現職をリタイアして念願の自由人人生を選んでから19年が経ちましたが、その代償として妻にはあれこれ面倒をかけていて、大黒柱であるはずの私がこのていたらくゆへ、少し後ろめたい所もありますが、そんなに長くないもう少しお勤めしてもらいましょうか。

 

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〇私は高1の孫のアッシー爺ちゃんです
 中2の孫と高1の孫あがそれぞれ冬休みになりました。4月から松山の中央高校に通っている高1の孫希心の通学パターンは、家からJR上灘駅まで自転車、JR上灘駅からJR北伊予駅までは列車、JR北伊予駅から学校までは約20分自転車通学でそれぞれ往復です。

 カバンやセカンドバッグ、それに部活の荷物があり、特に雨の日には自分と荷物を濡らさないため雨合羽を着なければならず、通学もまるで夜逃げか遠足にでも行くようです。最初は中々慣れず戸惑っていましたが、2学期が終わる今頃はすっかり慣れ、友だちもかなりできて毎日楽しそうです。

 冬休みでも学校でゼミなどがあるため普通と変らず登校していましたが、年末3日間、年始3日間は自由の身になったので、友だちと誘い合ってジムへ行く予定でしたが、昼過ぎの列車ダイヤは何時間も空白で、両親も仕事で留守だったので、私にJ「R北伊予駅まで連れて行って欲しい」と懇願されました。

所用がありましたが、仕方なく私の軽四トラックで乗せていくことになりました。高1なのに183㎝もあり成長著しい孫ですが、私とは日常的に仲が良く色々な話をしてくれるので、片道30分ほどの間色々な話をすることが出来ました。「おじいちゃんありがとう」と言ってJR北伊予駅の駐輪場から自転車を漕いで松山方面へ出かけて行きました。田舎に住む高校生は大変です。

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〇チョイと立ち寄り
 八幡浜でお墓参りを済ませて帰る途中妻が、「お父さん、昨年もそうだったけれどクリスマスは終わっても、長浜町大和地区のイルミネーションはまだ飾っているかも知れないから、遠回りして行って見ない」と誘われました。

 国道378号から沖浦地区の露地道に入り、赤橋のたもとを越えて、肱川西側の道を進み、出石大橋のたもとを右折すると、綺麗にイルミネーションで飾った家々が見えてきました。少し遅い時間だったしクリスマスの喧騒が終わっているので、私たちだけの見学となりました。

 肱川付近は吹きさらしで気温が下がり冷たく感じたので、車の中からの見学となりましたが、見応えのある飾り付けだした。今年は尾道や三原方面へツアーで出かけクリスマスイブのペットボトル5万個の冬ほたるのイルミネーションも見れて、思い出に残る年末でした。

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〇外水道の故障
 わが家の長い塀の片隅に水道の蛇口が取り付けられています。塀の中に埋め込んでいますが、水圧をかけると蛇口からホースが抜けて、何度も針金で縛り直しても抜けてしまうので、思い切って蛇口を新しいのに取り換えて欲しいと地元の水道屋さんに頼みました。

 早速従業員さんがやって来てとりかえてくれましたが、エスロンパイプが古いのかその周辺が漏水と思われるように濡れてきたので、もう一度水道屋さんに来てもらい、診てもらったところ塀を斫るか新しいパイプを立ち上げるかどっちにするか選択を迫られました。

 埋め込みのため塀を斫ることは時間も費用もかかることから、新しいパイプを立ち上げる方法を選択することにしました。運よく予約の仕事が早く片付いたので工事に取り掛かってもらい、年内にどうにか修理工事を終えました。ホースもきっちりと取り付けてもらい、これで安心して年が越せそうです。

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〇真冬の草刈り作業
 正月を間で蚊に控えた今日は、急な思い付きでお墓に供えるシキビを取りに人間牧場へ行きました。その折気になっていた人間牧場梅園の草刈りが、秋ごろできていない部分があったので、草刈り機を積んで出かけ、シキビを木に登って切り終えてから、草刈りをしました。

 普通草刈りは春から秋にかけて草丈が伸びるこのにやるのですが、こんな寒い時期に草刈りをするのは初めてとあって、山々に木霊する草k力のエンジン音を聞いた近所の人やミカンの収穫作業をしている人は、「誰だろう今頃草刈り機を使うなんて」と思ったに違いありません。

それでも背に腹は変えられず、刈り残した梅園を2時間ほどかけて綺麗に草を刈ることが出来ました。これで懸案が片付き新しい気持ちで正月を迎えることが出来そうです。今はポンカンや伊予柑などの雑柑類の取入れの真っ最中で、農家の人は寒さに震えながら忙しく収穫作業をしているようでした。

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〇「川中島」不識庵機山を撃つの図に題す
 ~べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
  あかつきにみる せんぺいのたいがをようする
  いこんなりじゅうねん いっけんをみがき
  りゅうせいこてい ちょうだをいっす~

 わが町はかって公民館活動で詩吟が盛んに行われていました。そのころ吟者が朗々と吟じる漢詩の意味も分からぬまま、時が過ぎ今日を迎えています。昨日旅のツアーで尾道の名刹千光寺を訪ねましたが、その一角に頼山陽の立像が建っていました。

 吟者が「不識庵機山を撃つの図に題す 頼山陽」と吟じていたのをふと思い出しました。「(上杉の軍は)鞍の音立てないよに 静かに夜に乗じて川を渡った。明け方武田信玄は上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然前に現れたのを見て大いに驚く。しかし誠に残念なことにこの数十年、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす刃がキラリと光る一瞬のうちにあの憎い信玄を打ちもらしてしまった」そうです。

頼山陽は江戸後期の著名な歴史家であり日本外史を作った儒学者でもありますが、漢詩も沢山遺していて、一度その足跡を学んでみたいと思いました。

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