人間牧場

〇四国に待ちに待った春一番が吹きました
 まだ椿さんも来ていないという寒い時期なのに、昨日から今日にかけて日中の気温が20度近くまで上がり、まるで4月上旬並みの暖かさで、気象庁は四国で春一番が吹いたと発表しました。春一番は立春から春分の日の間に、日本海に低気圧が発生しその低気圧に向けて強い南風が吹くことを言います。

 今日は外出時着るコートを持って外出しましたが、着ることもなく過ごすことが出来ました。寒いのは苦手なので、それはそれとして嬉しいのですが、明日からまた寒い冬に逆戻りするようで、あ~あ~です。

 それでも昨日作った切り干し大根のことを思うと、寒くても乾燥が進む「北風よ吹いてくれ」と祈っています。明日から3日間松山の伊予豆彦命神社こと椿さんが行われる予定で、大勢の参拝客がお参りすることでしょう。

 

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〇切干大根づくり(その③)
 今朝の私のFacebookに、「切干大根づくり」の記事を書きました。すると全国にいるFacebook仲間から沢山の書き込みをいただきました。中には「あなたが作っている切干大根ができたら食べてみたい」という人まで現れました。

 私たち田舎に住む人間にとっては、都会の人が食べている西洋料理などが美食だと思うのに、あえて田舎の貧食と思える「切干大根」が食べてみたいとは、ただの美辞麗句では?と思ったりもしましたが、三年前にも同じようは書き込みがあり送ってあげたところ、お礼にと北海道にも住んでいないのに、北海道産の物が届くようになりました。

 切干大根が北海道の物産に替るとは、まるでわらしべ長者の話のようでしたが、その人とは送ったり贈られたりの関係が今も続いているのですから驚きです。上手く出来れば今年も送ってあげたいと思っています。

 今日本は飽食の時代と言われています。人間の健康にとって美食がいいのか、粗食がいいのかは意見の分かれるところですが、私は幸か不幸か田舎に住んでいて、少し気を付けたり努力をすれば、安心安全な食べ物が幾らでも手に入ります。退職して20年、自給率を上げるささやかな目標を立ててやっていますが、野菜は勿論のこと、しいたけや蜂蜜、切干大根、、梅、ブルーベリー、甘夏、天草やヒジキ、ワカメなどなど、指折り数えればきりがないほど増えています。ひょっとしてこれが本当の幸せかも知れません。

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〇周りは噓つきばかりと嘆く高齢者
 昨日双海町内に住む75歳の知人に会いました。その人の話によると後期高齢者になったのを機に、先日車の免許証を自主返納したそうです。高齢者の重大事故の話を聞いている家族から、「事故に遭ってからでは遅い」と強い誘いがあったし、自分も先日ちょっとした事故を起こし、そろそろ潮時と判断したそうでした。

 その時家族からの誘いの言葉に、「免許証を返納し車に乗れなくなったら、家族みんなでいつでもどこへでも希望通り連れて行ってあげる」とのことだったのに、「あそこへ、ここへ連れて行ってくれ」と頼んでも、「忙しいので暇がない」「タクシーかデマンドに乗れば」と中々いうことを聞いてくれないそうで、「何処へでも連れて行ってやると言ったのに嘘つき」と怒鳴り、少し険悪になったこともあったそうです。

 奥さんは病弱で車に乗れないので病院へ連れて行くこともできず、「しまったと今頃気が付いても後の祭りで遅く、小旅行を楽しむこともできず、許せるものならもう一度免許証を手元に返してもらいたい」と嘆いていました。高齢者が交通の不便な田舎に暮らすことは容易なことではありません。私もいつかどこかで免許証を返納する時期が来るものと思われますが、安全運転に十分注意して運転したいと思っています。

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〇何とこの時期に蜜蜂に刺されました
 冬は蜜蜂も休眠状態ですが、冬越ししている蜜蜂の巣箱が気になって、底板の掃除をしようと思いつきました。どんな時も細心の注意を払おうと、休眠期と言えど刺されないように頭にスッポリ黒い防虫ネットを被り、巣箱をそ~っと横倒ししてみました。

少し腫れ上がった右手も腕首

 秋口からまだ一度も掃除をしていなかったので、底板の上は蜜蜂の糞や巣の残骸が溜まっていて、専用のヘラでこさげるように掃除をしました。巣の状態を調べるべく巣箱を横に倒した瞬間、手袋と作業服の間の腕にチクリとしました。

 「刺された」と思い、室内に入り「ウナクール」を塗りましたが、時すでに遅しで、痛みは殆どないものの少し腫れてきました。私は蜜蜂に刺されても痛くはありませんが、今夜から明日いっぱいは腫れるものと思われます。参った参ったでした。蜜蜂の師匠曰く、「蜜蜂に刺されるようではまだ愛情が足りないなあ」です。

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〇2枚のCDカバー写真のどちらが遺影候補か?
 かつて長年代表運営員を務めたえひめ地域づくり研究会議の事務局があるえひめ地域活力創造センターのご厚意で、私の講演を収録しYouTubeで流したダイジェスト版と完全収録版の2枚のCDを各20枚づつ作ってもらいました。

えひめ地域活力創造センターに製作してもらった2枚のCD カバー写真

 自分の講演している映像と音声は、本人は恥じらいながらもいいと思って喋っていますが、いざ自分のパソコンにセットして見聞きすると気恥しい気がしてなりません。それでも欲しいと言われた人20人ほどに差し上げ後がなくなりました。

 ダイジェスト版はCDケースに私の似顔絵が、完全収録版には人間牧場に置かれた高知県馬路村産魚梁瀬杉の台座の上で、「夕日亭大根心」という芸名で落語ならぬ落伍を喋っている姿が収められていますが、2枚ともいつ見ても生まれつき締まりのない顔姿です。

 CDを送ってあげたある人から折れに電話が入り冗談で大笑いをしながら、「若松さんもいよいよ終活の準備ですね。似顔絵か落伍をしている姿かどちらをご自身の葬儀の遺影にするのですか?」と言われました。ふと自分が今年80歳になることに気が付き、「えっ遺影」と聞いてドキリとしました。

 人間は死亡率100%で誰もが一度は死ぬのですから、そろそろそのことも考えなくてはなりません。このCDに収録した講演会で、これまで85歳と言っていた自分の人生の終わりを、100歳まで生きる高齢化社会を反映して「100歳まで生きる」と公言してしまいました。あと21年です。「遺影はイエーイ」です。

「CDの カバー写真 見た友が 私の遺影 どっちにすると」
「終活の つもりじゃないが そういえば 近い将来 必要不可欠」
「100までは 生きるつもりの 自分だが 突然その日 やってくるかも」
「ああ嫌だ 人間いつかは 死ぬなんて そうはいっても 誰も行く道」

 

 

 

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〇忘れることが出来ない2001年2月10日
 人の記憶は次第にうつろになるものですが、私にとって2001年2月10日は一生忘れることのできない日です。そして今日は23年前の記憶が鮮明に蘇る2月10日です。

 23年前のこの日午前8時43分、愛媛県立宇和島水水産高校の実習船えひめ丸が、アメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルとハワイ沖で衝突し、実習船が500mの海底に沈み、尊い生徒や乗組員9人が帰らぬ人となりました。

 沈没したのは4代目の船ですが、私は高校3年生の時初代の愛媛丸(214.5t)に乗って赤道を越え珊瑚海まで遠洋航海に出かけているゆえに、随分心が痛み当時は悲しみに暮れ涙が止まりませんでした。

 偶然でしょうか、2001年2月10日は、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本の出版記念パーティを、松山の本町会館7階のテルスターホールで200人余りの人たちが集まって行う日でした。マスコミ関係者はその対応に追われ欠席や中座が相次ぎました。

 近年亡くなった宇和島水産高校漁業科の先輩であった玉井恭介さんは、その後追悼歌「希望海」の作詞を手掛けたりその普及に奔走しましたが、その裏話を知っていたり語る人も殆どなく、今は寂しく毎年2月10日が来る度に思い出しています。

 偶然にも今日は宇和島へ足が向き母校の側を走る高速道路を通りすがりましたが、祈りの日ゆえ学校も騒々しかろうと、立ち寄るのを止め、車の中から母校の横で手を合わせて祈りました。

 

 

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〇人間牧場の河津桜が咲き始めました
 私が代表をしている21世紀えひめニューフロンティアグループでは10年前県下各地に100本単位で桜を植える「千本桜の森づくり事業」を行いました。その折人間牧場へ標本木として2本の枝垂桜と1本のカワヅザクラを植えました。

開花し始めた人間牧場の標本木河津桜

 適地だったのか3本とも天を仰ぐような大きさになって、毎年見事な花を咲かせていますが、昨日港の見える丘の抜開作業に出かけた帰りに人間牧場へ立ち寄って河津桜の木を見ると、何輪かのピンク色の花が開花していました。

 普通桜はその木の花が5輪以上咲けば開花宣言なので、誰に言うでもなく私自身に向けて「開花宣言」をしました。週間天気予報によると週末頃には気温が一段と上がるとのことなので、一週間後には満開を迎えるものと思われます。春が待ち遠しいこの頃です。

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〇花盗人は盗人にあらずというが・・・・
 昨日の夕方亀ケ池温泉からの帰り道、閏住の菜の花畑を通りかかりました。昨日までの雨の恵みを受け、菜の花は一段と開花が進み、見ごろを迎えているようで、早くも沢山の車が止まって花見を楽しんでいました。

 

 花畑斜面の端に少し広い路側があり、車が一台止まっていました。その直ぐ傍で一人の男性が何やら白いビニール袋を持って、菜の花のつぼみをちぎっているようでした。直感的に漬物にしたり軽く茹でてサラダにして食べる魂胆だと思い、車を止めて傍に行き「この菜の花は地元の人が丹精を込めて作っているので取らないでください」と、はやる心を抑えて柔らかく注意をしました。

 相手は中年というよりは少し年齢を重ねた人でした。悪びれる様子もなく少し不機嫌な様子でしたが、取った菜の花のつぼみを入れたビニール袋を持って車で逃げるように立ち去りました。トラブルになって殴られたりするのでこんな場合は要注意です。

 私が現職中の数年前、亀の森で菜の花の世話をしていたおばちゃんから泣いて電話がかかってきました。菜の花の蕾を取っている人を見て「取らないで」と注意をすると逆切れして「このくそばばあ」と怒鳴られたそうでした。何か妙案はと尋ねられたので、「消毒中につき注意」という看板を作って持って行ってあげました。以来花は盗まれなくなって、「あなたは知恵者だ」と仰山褒めてもらいました。

 県道沿いのホダ場のシイタケが盗まれて困るので、「このシイタケは作っています取らないで」と看板を立てたら、ありかが分って余計取られるようになったので、「何か妙案は」と相談を受けました。私は「マムシに注意」「毒キノコに注意」と2枚の看板を作りプレゼントをしました。以来そのシイタケは取られなくなり、今もその農家からお礼にとシイタケを毎年頂いています。(大笑い)

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〇庭の梅が満開です
 わが家の庭には何本か梅の木が植えられていますが、「こち吹かば匂いおこせよ梅の花」という句を思い出すように、庭の梅の花が満開を迎え香しい香りを漂わせています。

 私が子どもの頃、わが家には何故か花札という大人の遊び道具があって、正月などになると子どもたちが集まって座布団の上に花札を広げ、見よう見まねで花札を使って遊んでいましたが、松や梅、ボタン、モミジなどの錦絵が色鮮やかに描かれていました。

 その中に梅にウグイスもあって、梅と聞けばこの花札に描かれた光景を思い出し、梅=ウグイスとついつい連想するのです。遊び方はすっかり忘れましたが、懐かしい思い出です。

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〇翠小学校150周年記念誌に載った私の写真
 数日前研修会に出会った翠小学校の教頭先生から「若松さん、150周年の記念誌にあなたが翠小学校の教室でハーモニカを吹く写真を使わせてもらいました。ご了解ください」と言われました。

ハーモニカを吹く私

 「えっ?何で?」と思いましたが、その写真の存在すら忘れていた出来事なので、当日受付で貰った記念誌をめくり当時のことを思い出しました。校長先生は和田由美子先生でした。「子どもたちにハーモニカを吹いて欲しい」と言われ学校に出かけ、水産高校の先輩で今は亡くなっている玉井恭介さんに歌詞を書いてもらったものを、板壁に貼ってハーモニカを吹きました。

 下手糞な私のハーモニカの音色に合わせて「ふるさと」と「赤とんぼ」の歌2曲を子どもたちが大きな声で大合唱し、最後は大きな拍手をしてくれました。私たちが子どもの頃は学校でハーモニカを習っていましたが、今の学校教育ではハーモニカは吹かず縦笛のリコーダーを吹いたりピアニカのようです。

 私はわが子に貰った小さいハーモニカで練習し、音楽通知表2ながら、今では250曲も吹けるようになり、時々恥も顧みず講演などでは、井沢八郎の「ああ上野駅」や舟木一夫の「高校三年生」、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」などを吹いて参加者に喜ばれていますが、平成22年「しんちゃんとハーモニカ」とはお恥ずかしい写真です。

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