人間牧場

〇叔母の門欄投稿記事
 私と1歳しか違わない叔母が町内に住んでいます。子ども心に一緒の家に住んでいた叔母の存在が気になって仕方がありませんでした。親父は12人兄弟の長男、叔母は12人目の末っ子でした。親の子どもと長男の子どもが同年齢でしかも同居していたのですから、私が「不思議がる」のは無理からぬことです。

 貧乏家庭ゆえ叔母は中学校を卒業すると姉が大阪で傘製造業をしていたので、そこで働いたのち、親父の船に乗っていた漁師さんと結婚し、幸せな家庭を築いていましたがその夫に先立たれ、今は息子と下灘に住んでいます。その叔母は地元紙愛媛新聞のてかがみ欄や投稿門欄に時々投稿しているので、よく読んだり切り抜いたりしています。

 2~3日前の新聞に「日本でも尊厳死の選択肢を」という、少し格調の高い記事が載っていました。書かれている叔父の家庭の内情をしているだけに、読み返しながら少し目が潤んできました。内容はこの木ぞを読めば分かるので、コメントを控えますが、義務教育だけでさしたる学歴もない叔母が一体どんな方法でこんな記事を書けるようになったのか、本人のみぞ知る努力のたまものだといつも感心して読んでいる今日この頃です。

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人間牧場

〇この2日間ひたすら針仕事
 今年のゴールデンウィーク連休中にやりたいことで、海の資料館海舟館にどうしても欲しいと常々思っていた、魚見小屋の模型とこの小屋で昔振っていた大ザイ、巾着網に使っていた中ザイ、小ザイ、それに魚見小屋の屋根で大ザイを振っていた人形を、人形作家の林さんに頼むべくミニチュア大ザイを含めた一対4組、計8本を作る計画でした。

 材料を揃え、道具類の制作からザイに布を縫いつける針仕事まで、手間と根気がいる作業でしたが、煙会所に一人籠り慣れない手作業を根気を入れて行った結果、自分では満足の行くザイがやっと出来上がりました。今日作ったミニチュア大ザイは7日にわが家へやって来る林さんに手渡す予定です。

 親父が70歳で漁師を止め陸に上がってから作った、大小無数の木造和船の模型造りから端を発し、それらの作品を置くため倉庫を改造して海の資料館海舟館をオープンさせたのは今から20年も前の親父が元気だったころでした。97歳で亡くなった後親父から私が引き継ぎ、加えて昨年の今頃「100体の人形が語り昔の漁村の暮らし」を思いつき、その余勢をかって人形作家林さんと更なる高みを目指して100体を200体にするとんでもないことを思いつきチャレンジしています。ワクワク・ドキドキ・ジーンが止まりません。

 

 

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人間牧場

〇連休は妻と二人で庭の草引き
 自称貧乏人なのに家の敷地だけは隣接する家庭菜園、果樹園を合わせると660坪もある広さなので、この時期は草との戦いです。せめて中庭だけでも息子家族に庭の草引きを任せたいと、同居を始めた時に話し合いで取り決めました。

 私の持ち場は長さ100m以上、高さ2m~3mもある石垣の草取りと、同じ長さと高さの斜面草刈りと菜園の手入れです。残りの庭は妻が受け持っていますが、まあ殆どは私の仕事と言っても過言ではありません。

 ところが、息子は仕事、若嫁も仕事、孫2人も部活で、中庭の草取りが遅れ気味で、連休中も期待できないため、最近仕事を辞めた妻と2人で今日は手助けをすることになりました。私は別の用事があったのですが、妻が目の病気療養中につき、私が手助けしなければならないため、私が加勢することになりました。

 ところが今朝ウォーキング中につまずいて転び利き腕の手の甲と脛に傷を負ってしまいました。しかしそんなことを言ってはおれず、右手に軍手をはめ、その上に厚手のゴム手袋を入れてとりあえず手伝いましたが、難儀難儀でした。

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人間牧場

〇雨上がりの朝
 今朝もいつものように早朝ウォーキングをして自宅へ帰りました。いつも見る何気ない庭の風景ですが、ふと目をやると、家の入り口付近に植えている枝垂れ緋モミジの葉っぱが昨日の雨と夜露に濡れて、昇った朝日に輝き始めました。


 夜露の粒が葉先に溜まって、まるでイルミネーションのように輝いて見えました。小さいのでスマホのカメラでは上手く撮れませんでしたが、こんなささやかな美しさに心を動かせ、「綺麗だ」と心静かに思えるのも、少し心の余裕が出来たからかもと思ったりしました。

 妻が目の病気にかかり急遽退職をしたり、48年間の長きにわたり務めた金融広報アドバイザーを昨年度末で辞めたことなどなど、私のとっては小さいながらも多きな変化がありますが、これからは少し意の向くままの穏やかな人生を過ごしたいと、光り輝く水滴を見て思いを巡らせました。

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〇今日から5月・今日は夏も近づく八十八夜です
 あっという間に春が過ぎ、早いもので暦の上では初夏の装いです。わが家の借景本尊山も「八十八夜」の歌に出て来る「野にも山にも若葉がそよぎ~」、暑くもなく寒くもない一年中で一番過ごしやすい季節を迎えています。

 このところ雨や霧の日が多く、畑の草にせかされながらも、雨ゆえ何も手が出せず、勿体ない気もしますが、たまの休みと決め込んでのんびり過ごしています。先月まで勤めていた妻も退職し、一日中家にいるようになったので、10時と3時には茶菓子付きのお茶が出て、まるでご隠居さん気どりです。

 今年は妻の目の急病もあって、連休中はスケジュールを何も入れていませんが、ゴールデンウィークが終わるとあれやこれや用事が立て込んでいて、忙しくなるようです。晩秋に遅れて切り込んで丸裸にしていた庭木のクロガネモチも千芽を吹き始め、ホッと一息です。

 

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〇やっと縫い終わった大ザイと中ザイ
 急な思い付きで始めた、昔漁民が山の上の魚見櫓や巾着網船で使っていたザイという大きな団扇のような道具を作ることを思いつきました。元々の発端は家の敷地内に造っている海の資料館海舟館の「人形が語る昔の漁村の暮らし」にまつわる小道具として考えていましたが、想いを形にすべく作り始めました。


 (上大ザイ、下がザイザイです)

 ステンレスの金棒で輪っかを造り、竹の棒に穴を赤て差し込んで固定し、その上に木綿の白い布を縫い付けて行くのですが、布を売っている店が町内にはなく、何軒か探しても見つからず、結局伊予市街のはぎれ屋で幅1m30㎝の布を見つけ、早速囲炉裏部屋煙会所に持ち込み、1日半かかって、大ザイ2本。中ザイ2本の計4本を作り上げました。

 願わくばこのザイを振って、おらぶ様子をビデオカメラに収めたいと思っていますが、どうなることやらです。私たちの暮らしから残しておきたいけれど時代とともに消え去る生活文化や生産文化がどんどん姿を消しています。「こんなことして何になる?」と自問自答しながらやっていますが、はてさてどうなることやらです。出来上がった大ザイは保存する場所にも事欠く大きさです。

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人間牧場

〇雨の日のために設えた絵
 人間牧場を造って間もなく20周年になります。これまで数え切れないほど多くの人が人間牧場の在処を知らせる看板の1枚もない、曲がりくねった山道をよくもまあ来たもんだと感心します。

 私のように下浜の隧道を抜けた近道を利用するのと違い、学生や大勢の人が集まる場合は、上の市道横に車を止め進入路を5分ほど歩いてもらいますが、眼下に瀬戸内海が一望できる絶景眺望を見ると、殆どのみんなはその素晴らしさに歓声を上げます。

 さらに到着して水平線の家の戸を開けて中に入り、観音開きの戸を開けると、「素晴らしい」「ブラボー」などと声を上げて褒めてくれますが、多くの人の目はウッドデッキかの向こうに一斉に向いて、長くて太い梁に掛けている4枚組の長~い絵画には殆どの人が気付かないようでです。

 もう10年以上前に、霧と雨の中ある集団が県外からやって来ました。残念ながら自慢の景色が全く見えなかったことにヒントを得て、当時まちづくりセンターに出向していた県信連から出向していた河野さんという研究員にその話をして、雨の日でもかんじてもらえるよう晴れた日の絶景絵を描いてくれるように頼みました。

 河野さんはそれから足繁く3年間通い、絵を仕上げプレゼントしてくれたので、早速梁に吊るしました。今日は朝からあいにく雨でしたが所用で人間牧場の水平線の家に立ち寄りましたが、ふと当時の逸話を思い出し、感慨深く一人この絵を見上げ、河野さんの顔を思い出しました。

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人間牧場

〇私は只今アッシー君です
 昨日は讃岐先生を偲ぶ会に仲間とともに参加しましたが、酒を呑まなくなって20年になる私は、近頃酒を呑む近くに住む知人友人のためにアッシー君をかって出ていて、昨日は他の友人は二次会につき合うというので、友人を一人だけ乗せて無事送り届けました。

 さて3週間前突発性緑内障という目の病気にかかって仕事を急遽退職し、自宅療養中につき運転を自粛している妻のために、病院や買い物にアッシー君として付き添う羽目に相成りました。私が若い頃は松山で頻繁に呑み会がある度、今のようにスマホも普及していない頃だったので、公衆電話を使って妻を呼び出し、「10円タクシー」と称して深夜に松山の飲み屋街まで、ヘベレケに酔った私を迎えに来てもらっていました。

 そのことを思えば、妻が病気になった時くらいは恩返ししないと罰が当たると殊勝にもアッシー君を買って出ておりますが、今日は片目を手術して1週間後の経過観察の日で、若嫁と息子、それに私の3人が妻の付き添いで松山南病院の眼科へ診察に出かけました。

 ところが今日はゴールデンウィークの真っただ中の日曜日とあって、病院が混んで、10時から10時30分でで予約を取っていたのに、検査や診察が始まり、終わったのは12時過ぎでした。気短な性格の私としては待つのが大嫌いで、イライラは募るばかりでした。やっと診察を終え窓口で支払いをして、近くのエンゼル薬局で目薬をもらい帰り始めましたが、帰り道はエミフル付近は少し渋滞気味でした。

 3男息子が見舞いがてら帰省するというので、帰りにスーパーで食材を買い求めて帰宅しました。既に留守中に警察官をしている息子はわが家へやって来ていて、病院から帰ったばかりの妻は、料理を作って、今年最初に帰宅した3男のために、料理を作って振る舞っていました。

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人間牧場

〇名前も知らい花
 今は便利な世の中で、今朝ウォーキングに出掛ける前にパソコンの天気予報にアクセスし、天気図とアメダスを見ると、窓越しに見える外を目視しても、曇天で雨は降っていませんでしたが、アメダス画面だと双海町付近に雨雲が近づいているように見えました。

 大事を取って雨傘を持ってウォーキングに出けると、半分ほど歩いたところで小雨がポロポロ落ちだしました。降り始めの雨なので止む気配はなく傘を差し悠々と歩きました。近所のおばさんたちも私と同じように朝早く起きる人が多く、出会う人は殆どが80歳を超えた女性でした。

 時候のあいさつを交わしながら近所の家の前を通りかかると、玄関先の庭に綺麗な花が咲いていました。「綺麗な花ですが何という花ですか?」と尋ねると「花の名前が難し過ぎて名前は分かりませんが・・・」でした。

 植物の名前に詳しい方ではありませんが、私の知識だとこの花は「ウツギ」の一種だと思うのですが、植えた本人が花の名前を知らないとはこれいかにです。実は昨年この時期にこのおばさんと同じ会話を交わし、自分が挿し木したこの花の苗を一鉢私がいただいて帰ったことをすっっかり忘れているようでした。

 いただいた苗木はわが家の庭の隅に植えていますが、まだ1輪も花をつけることもなく、スクスクと育っているのです。多分来年あたりは花ウィつけるんのと思われますが、「これはフ入りのウツギという花ですよ」と教えたはずなのに、すっかり忘れているようでした。

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〇あっという間の修学旅行
 中3の孫奏心が3日前2泊3日の修学旅行に出かけました。行く先は京阪神ですが、往路は学校から松山空港までバスで行き、飛行機で伊丹空港まで飛びました。


(このバスで出発しました)

 修学旅行の模様はSNSで逐一発信されていて、私たち家族も楽しい旅の風景や思い出を居ながらにして家族で見ることが出来、隔世の感で見ていました。今日はお楽しみのテーマパークUSJを楽しんだ後、復路はバスで明石海峡大橋を渡り、今頃はもう松山付近を通過中で間もなく帰郷する予定です。

 一生の思い出となる2泊3日の修学旅行も、あっという間に終わろうとしています。同居の2人の孫の1人が欠けただけで、こうもお静かなものかと思われるほど静かな3日間でしたが、明日からはまた賑やかさが復活します。明日から大型連休がスタートします。

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