人間牧場

〇居酒屋の掛け軸
居酒屋の客間は千客万来、多くの人が集まる場所です。昨日出かけた助格という炉端焼きの居酒屋3階には比較的広い客間があって、30人ほど私たちが集まりました。座敷の床の間には、2幅の掛け軸が飾られていましたが、殆どの人はそんな掛け軸には興味がなく、酒が入って盛り上がると、掛け軸など見向きする人も殆どいませんでした。

 酒を呑まなくなって20年以上が過ぎた私は、少し変わった人間なのでしょうか、飲むほどに酔う人の様子を窺いながら、掛け軸に何度も目をやり、凡人ゆえ誰が書いたのか詳しいことや、掛け軸の値打ちなど殆ど分かりませんが、色々と考えてみました。「千壽」と「無心」という言葉の意味には深い意味があるようです。

 世の中が大きく変革し色々な問題や災害が起こって、混沌としていてネガティブになりがちですが、ポジティブな考え方や生き方ひとつでいいことが千も見つかるようです。また煩悩に迷わされてやりたいことが沢山あっても出来ず、それは社会のせい他人のせいで出来ないと思いがちですが、そんな生き方の戒めとして「無心」になることの大事さを教えているようです。この掛け軸に出会っただけでも昨日の5千円の会費は決して高くないと思いました。

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人間牧場

〇久しぶりの呑み会付き会合
あれほど浴びるように飲んでいたお酒を、体の都合できっぱり止めて22年が過ぎました。夏の暑い日などテレビのコマーシャルでビールの宣伝を見た時などは、「何でお酒を止めたのだろう?」とついつい思ったり、夏の暑い日には「一杯飲みたいなあ」と喉をならしてため息をつくことさえありましたが、今はもうそんな気持ちにもならず、むしろやめたことを公開するどころか、よくぞ止めたと自分で自分を褒めてやりたい心境になります。

 

 ところがつい最近コロナで途絶えていたのに年に何度か呑み会付きの会合が復活していて、役職についている故無理に断ることが出来ず、自然体でウーロン茶やアルコールゼロのビールを呑んでお茶を濁していますが、酒の味を知っているだけに後ろ髪を引かれる時もしばしばです。

 今晩は私が代表を務めている地域教育実践ネットワークえひめの、第一回実行委員会が行われ、会合を早々と切り上げ付随した呑み会を始めました。人間可笑しなもので、それまで貝のように固く口を閉ざしていた人も、堰を切ったように饒舌に話し始めるのですから不思議です。人は得てして自分に都合のいいように生きるようにできていて、思っていないことまで行ってしまうものだし、相手とお話しする時は原稿もないのにしっかりと思い出して話すようです。今日も下戸の私はみんなの近況を聞き役に回りました。

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〇県公連専門委員会
 私は長年県公連の専門委員長をしています。専門委員は会長より諮問を受けた事項について議論し答申をするのが仕事です。4年前「今後10年間で取り組むべき施策」について議諮問を受けたので議論し答申を行いました。私が委員長として取りまとめた答申は「公民館版SDGs~公民館を発展させるための16の目標~」でした。

 その内容は、1、当面する公民館を巡る4つの重要課題、2、公民館を発展させるための16の目標とそれぞれ5つのチェックポイント、3、公民館を発展させる6つの試作でした。以来その答申に沿って普及啓発のための講習会をしたり、県公民館研究大会や地区別公民館ステップアップセミナーでの鼎談・分科会などで積極的に仕掛けてきましたが、残念ながらまだ啓発の域を超えてないのが実情です。

 そのため、昨年度から新年度が始まる前に臨時会を開き、その進捗状況の確認と、今年度の進め方について議論をするため、昨日県生涯学習センター会議室で会議を行いました。従来専門委員会は答申を出せば終わりでしたが、考えた以上はその推進に責任を負わねばならないと思い、皆さんの意見を取りまとめた次第です。何とか公民館が地域活動の拠点となるよう、努力したいと思っています。

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〇水難救助船のお引越し
 200体の人形が語る漁村の昔の暮らしの人形作りもいよいよ大詰めとなってきました。中でも最後に残っている昔の小学校の授業風景や、水難救助船、それに魚見小屋での大ザイ振りは超高難度の人形作り作業で、先日わが家へやって来た林さんにもそのことを伝えました。


(親父が造った水難救助船の模型で、この船に八丁櫓を漕ぐ若者とかじ取り、それに船頭人形を乗せる予定です)

 中でも、海の資料館第2展示場を占有している親父が10年以上をかけて手作り製作した、かつて瀬戸内海で活躍した和船模型の中でも特異な、「水難救助船」に10人余りの漁師さん人形を乗せ、波が逆巻く荒海に櫓を漕いで乗り出す物語の再現を想定していて、先日展示室からその模型を取り出し、丁寧に小さな掃除機で埃を取り、ワックスを塗って林さんが来るまでに磨きをかけました。

 先日その模型を林さんの車に恐る恐る乗せ、持ち帰ってもらいました。八丁櫓や舵棒、ミザワ、救命浮き輪、投げ縄などなど小道具も多く、林さんは傷めないよう一旦、久万高原町明神の林さんのアトリヘ運んだとメッセンジャーで連絡がありました。発想した私は出来上がるのが楽しみです。林さんの苦悩やプレッシャーは想像して余りあるものがありますが、信頼関係はしっかりできているので、期待をし楽しみにして待っています。

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〇まるでローカル放送局みたいな人
 私の住んでる田舎には色々な人が住んでいます。中でも私より少し年上の女性で、町内のことだったら「この人に聞いたら分かる」と言われるくらい、地域の話題をよく知っている人がいます。それもそのはずで、車に乗れないためマイピアで朝から晩まで仕事もせず、あっちへ行ってはお喋り、こっちへ行ってはお喋りの連続の尻軽さで自ネタを仕込むのです。

 私ももう20年前この人の餌食に会いました。「あら若松の進ちゃんじゃない」から始まり、「あんたガンで入院していたそうだが、どこのガンじゃったんぞな」と唐突に話しかけられました。「私は入院をしてはいたもののガンではありません。その話誰から聞いたの?」と切り返すと、「あんたが知らないだけで『若松の進ちゃんはどうもガンらしい』とみんなが噂しよる」と言うのです。「ところでどこのガン?」と問い返されました。「おばちゃん、本人を目の前にしてどこのガンかは聞かない方がいいよ」とたしなめました。

「進ちゃんのことはには言わないようにと、聞いた人から釘を刺されていたのに言うてしもうた。ごめんなさい」「ふつう私は口が堅いほうなのですが・・・」と平謝りに謝まられましたが、「自分で言う程口は堅くない」後の祭りに大笑いをしました。昨日久しぶりに出会いましたが、そんな昔のことなどケロリと忘れ、今日も「あの人は若嫁と仲が悪い」とか、「あの人は認知症がひどくなり少々可笑しい」などなど、他人の噂話をいっぱい聞かされました。この人のことを近所の人は「ローカル放送局」と呼んでいて、「あの人の話は半分嘘」というレッテルが張られているようです。聞いた話をうかつに人に話すととんでもないことになるので、今日おばさんから聞いた話は「聞かなかったこと」にしておきます。

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〇今日は楽しみにしていた人形納品の日でした
 今年の私の初夢は、昨年「108体の人形が語る漁村の昔の暮らし」をさらに進化させるため、人形完成の目標を200体と定め、108体で語れなかった漁村の昔の暮らしを作ることにして、人形作家林さんとタッグを組み、制作に取り掛かりました。

 既に①村の囲炉裏端寄り合い(9体)、②子ども亥の子(8体)、③昔の遊びハンカチ落とし(6体+2体)、④盆飯と磯遊び((8体+7体)、⑤漁家の結婚式(25体)が出来上がり、納品して総勢65体の人形を海の資料館海舟館に仮置き展示をしています。

 今日は4回目の納品の日です。⑥子どもの遊び追加(6体)と、➆紙芝居とギョーセン飴(6体)の77体が、目出度く出来上がりました。その模様は明日から私自身のFacebook でお披露目しようと思っていますが、元々の発想は人間牧場を開設して今年で20年になり、10月5日に20周年記念事業をやるプロローグとして、「夕日つれづれ草・木の書」を手作りで発刊する予定に加え「200体の人形が語る漁村の昔の暮らし」を考えていたのです。

 まだ企画の段階なので、どうなることか分かりませんが、内容的にも大番頭の松本さんや、小番頭の赤石さん、それに年輪塾筆頭塾生の浜田さんたちの意見を聞いて早々にまとめたいと思っています。ちなみに今進行している人形づくりは、⑧漁村の昔の小学校授業風景(12体)の子どもで二十四の瞳+おなご先生(1体)+用務員さん(1体)∔校長先生(1体)∔二宮金次郎像(1体計16体)体)、⑨子ども神輿10体、水難救護船乗組員(10体)で、計算上は計画を大幅に超え113体になるかも?です。

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〇双海の花火復活に挑む
 今日の愛媛新聞朝刊8面地方版に、「双海の花火復活に挑む」「伊予市 運営協議・寄付集め有志が奔走」「人口減っても心豊かに」という3本立ての見出しの記事が載りました。

 伊予市と中山町、それに双海町の1市2町が20年前合併して新生伊予市が誕生しました。合併のメリットが強調され、当時70市町村あったまちやむらが、20市町に統合されました。しかし人口が一時的に増えたような錯覚は長く続かず、行政サービスは遠のくばかりと嘆く人もいるほどです。

 合併に最後まで異議を唱えていた私の意見など取るに足らないとかき消され、今に至っていますが、もう後戻りできない中で生き延びていくには、自分たちの力で何とか自立の道を探っていくしかありません。

 そんな中双海の花火を復活しようと、心ある人たちが寄付集めに奔走しています。合併前に様々なまちづくりを担当し、夏祭りや港まつりなどのイベントに深く関わっていた私としては、何はともあれとても嬉しいニュースです。1口千円以上と言うことなので、年金暮らしゆえ千円に毛が生えた程度を親友を通じて寄付をしました。久しぶりの朗報に今から夏の来るのが楽しみです。頑張って・・。

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〇どうして「人間牧場と名前を付けたの」
 人間牧場を造って20年になります。案内看板もなくましてやカーナビにも出ない標高130mの高台にある人間牧場に多い年には年間1000人もの人がやって来ます。「1000人とは凄い」と自分でも思いますが、1ヶ月に100人来れば×12ヶ月で1200人ですからそれほど胸を張る人数ではありません。

 「人間牧場は何するところ」とその奇妙な名前ゆえよく聞かれることがありますが、今から35年前ひょんなことから東京市ヶ谷にあった市町村役場ロマン亭という居酒屋の主人鈴木繁夫さんと知り合いました。鈴木さんは「かがり火」という情報誌も出版をしていましたが、その後足繁く出会ったり一緒に全国へ講演に出かけるようになりました。

 30年前に私が塾長を務めていた21世紀えひめニューフロンティアグループが双海町東越えの廃屋を借りて1年に4回、10年で40回の開塾を目指したフロンティア塾にも平成6年5月21日~22日に講師とそて来てくれ熱弁を語ってくれました。その後鈴木さんは不治の病にかかりお見舞いに出かけた東京の病院で、ベッドに伏した鈴木さんから、「私はもう間もなく命が亡くなる。夢だった人間牧場を造りたかったが実現することができない。私の遺志を継いでくれるのはあなたしかいない。やってくれないか」と手を握り涙ながらに頼まれました。

「何が何でもそれだけは」と思いましたが、死ぬ間際の頼みを断ることも出来ず行き掛かり上約束をしてしまいました。その後鈴木さんは天国へ召されましたが、約束を果たさなければと思い、建設に必要な総額1千万を死に物狂いで貯め、20年前教育長を最後に現職を退いたのを機に、母親が作っていたミカン畑を開墾し、「人間牧場は見事に完成」しました。「人間牧場」は「人間を放し飼いにする場所」などとうそぶいて、あれから20年があっという間に過ぎ去りました。鈴木繁夫さんの顔が思い出される今日この頃です。

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〇技術革新のはざまでどう生きるか
 ある技術をアメリカ人の25%以上が使うようになった時、その技術が「普及」したとみなすことにして、様々な技術の発明の年からそれが普及するまでの年数を調べた年数があります。1880年に発明された電話はおおよそ35年かかったそうです。1900年に発明されたラジオは20年、1930年発明のテレビは16年のようです。

 パソコンや携帯電話の発明は80年代後半でしたが普及までの時間はわずか10年少々で、90年代に出てきたインターネットは僅か6年で普及しました。電話やラジオ、テレビ、パソコン、インターネットは今の社会では常識化していますが、どんな技術もある面で人間にとって限りない恩恵をもたらすからこそ発明されるのですが、そこには思っても見なかった負の面や悪い面もあるようです。

 人間同士のコミュニケーションとは、古来より取り交わされた内容の意味に基づいて自分の行動や考え方や社会関係を変えるという行為だと言われています。しかし人のコミュニケーションでは有用な事実に関する情報だけでなく嘘も多いことを忘れてはなりません。顔の見えないことに乗じて騙したり騙されたりすることが何と多いことでしょう。

 最近の情報技術の進歩進展はテキストやメッセージ、画像の送信という点では優れたモノになってきていますが、人のコミュニケーション行動の全体像を残念ながら視野に入れていないようです。そんな中子どもが使っているアナログな教科書をデジタル化しようとしているようで、「小さな子どもにとってコミュニケーションとは何か」を考えた時、もっと議論する必要あるような気がしてなりません。人間の知能を人工知能AIが超えるような勢いの時代だからこそ、コミニケションの真の意味を考え直さなければならないようです。

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人間牧場

〇甘夏柑が美味しい季節です
 みかんの産地といえど、もうとっくに雑柑類も姿を消し、端境期となりましたが、わが家の果樹園には甘夏柑が樹上になったまま初夏を迎えていて、先日も知人友人に送りましたが、まだ沢山実をつけていて、毎日若嫁宅5~6個、私たち夫婦は2~3個収穫し、若嫁と妻がそれぞれに外皮、内皮を剥いでタッパーに入れ冷蔵庫で冷やし、食後のデザートとして食べています。

 

 若い孫2人はこの甘夏が大好きでリクエストがあるので、若嫁は大忙しです。毎日タッパーの冷やした実を食べまくっているようですが、他の柑橘類に比べ酸味が強いのが特徴ですが、それがまた性に合っているのか、ビタミンCの補給だと言っています。

 今日も夕食後デザートに甘夏間を食べましたが、明日の分を確保するため、夕食が終わった午後7時ころ妻に頼まれて畑へ行き3個収穫をしました。若嫁は今日は日曜日で仕事が休みだったので無農薬のオーガキック甘夏なので、外皮をマーマレードにしてみんなに差し上げて喜ばれていたようです。

「樹になった ままで越冬 甘夏柑 初夏のこの頃 収穫デザート」
「今年は 甘夏柑が 豊作で 毎日美味しく いただいてます」
「歳とると 酸っぱい物は 口合わず だけど甘夏 格別美味しい」
「孫たちは ビタミンCと 横文字で 私しゃ甘夏 日本語果物」  

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