〇親孝行したいけれども親は亡い」
昔は「親孝行したけれども親は亡い」と、親が亡くなってから親孝行できなかったことを悔いる言葉ですが、今は「親孝行したくないにに親がいる」と親の存在を煩わしく思う人が増えてきているようで、嘆かわしい時代になったと思わずにはいられません。私たちは親の肥沃を得て育ち大きくなりました。やがて結婚し子どもが生まれ、子どもの養育が終われば少なからず自分たちの全盛を楽しむ時代がやって来ます。しかし晩婚が進む現代にあっては自分たちの全盛も束の間で、親の介護が待ち受けています。こんなはずではなかったと悔やみますが、やっと親の介護を終えと思って気がつけば今度は自分たちが高齢になって介護をされる側に立たされているのです。因果応報とでも申せましょうか、気がつくのが遅かりし由良助です。人生とはこんな輪廻の世界であることを知っておかねばなりません。「浪花のことも夢のまた夢」とは天下人になった豊臣秀吉の言葉です。
こんにちわ 私は 4歳の時に母親に 連れられ裁判所に行った時に これより大きな家を建ててあげるからと 話しましたです。 しかし 私が20歳の時 母親は亡くなります。 その数年後には それら以上が 可能になった時にはもう 母親は 居なかったです。 21歳の時に寺に墓地を買い墓を建てただけなのですが 墓参りするたび思い出します。 もうすぐ彼岸です。