〇落伍でハーモニカを吹く私
私は小学校から中学校まで音楽が苦手で、通知表の音楽の成績は2という数字しか書き込まれませんでした。若い頃のある日のこと、国立大洲青年の家で研修会が持たれ、有名な数学の先生が「21世紀に生きる若者たちへ」と題して講演し、その後私運営委員長の私と壇上で対談をしました。
私が先生に「先生は子どもの頃から算数や数学は5や100点ばかりだったそうですが、嫌いな科目はなかったのですか?」と訪ねると先生は「私は子どもの頃から音楽が苦手で、通知表は1ばかりだった」と吐露しました。その話を聞いた私は嬉しくなり、調子に乗って「私は音楽が得意でなかったですが、2以下は取ったことがありません。先生の倍ですね」と投げかけると、「私はこのまま音楽が嫌いで死ぬのは嫌だと思ったので、とある旅先でアコーディオンを買い、毎日10分間家で練習をしました。最初は家族から煩くてテレビが見えないし聞こえないとブーイングでした」
「でもステレオで聴きながらベートーベンやドボルザークなどの曲を練習したところ、どうにか弾けるようになりました」と言って、みんなの前で楽譜は読めないけど体感音楽で弾けますと、ガンガンアコーディオンを弾くのです。「ところで若松さんあなたは私の通知表1に対し倍の2だと自慢しましたが、何が出来ますか?と尋ねられました。そら来たと思った私は「ハーモニカなら何とか戸言うと、あんたはホラも吹くけどハーモニカを吹くのか」と。私は音楽家ならぬハーモニ家です」笑わせて持っていたハモニカで「赤とんぼ」や夕焼けこやけ」を吹いて聴かせました。
「ブラボー」と大きな拍手が起こりました。今日本の学校教育からハーモニカが消えたのをご存じですか。皆さんハーモニカを知っていたり吹いた経験のある人は手を挙げてください。今手を挙げた方はもう賞味期限が切れて処分の対象です。今の子どもはリコーダーやピアニカを習っています。バカな子が吹いても利己~だ~」です。こんな小噺して「ああ上野駅」と「南国土佐を後にして」を吹きましたが、それなりの年齢の方は下手糞な私のハーモニカの音色を聴きながで大きな声で歌ってくれました。下手糞な皆さんの歌に合わせたばっかりに、所々噛んでしまいました。こんな馬鹿げた落伍をお話して拍手喝さいを受けました。ちなみに通知表2の私ながら努力の結果今では250曲吹けるようになりました。ちなみにこのラジオ向きの顔で今までテレビの全国放送にハーモニカを吹いて3度の出演しているのですから驚きです。「どうだ参ったか」です。