〇あるおばあちゃんからの電話
先日の夕方、しわがれた女性の声で、わが家へ電話がかかってきました。「若松先生、ラジオであなたの声を聴き、懐かしくてお電話しました」と切り出されたものの、電話をかけてくれた相手はどこの誰だか名乗らないため、{??????」と首を傾げながら、私の思考回路は必死に声の主を追いかけていました。普通だと「失礼ですがどなたですか?」と聞いてお話をするのですが、相手は少し耳が遠いのか、私にかまわず一方的に話し続けました。
やっと私の思考回路が一人の女性の思い出に辿り着き、私を先生でもないのに先生と呼ぶ声で悟り、「〇〇さんですか」と話すとズバリ当たって、「そうです。その節は色々お世話になりました。私は間もなく90歳になります。私は今特老でお世話になっていて、寂しさを紛らわせるために毎日枕元に置いているラジオを聴いています。先日南海放送ラジオで2週続けてあなたの声を聴きました。未だにお若いですね」と持ち上げられました。「放送の中で『赤とんぼ』という童謡をあなたがハーモニカで吹いているのを聴いて、懐かしく当時のことが思い出され、涙が出て止まりませんでした」。
「今は特老に入っているため、自分であなたに会いに行くことはできませんが、死ぬまでにもう一度あなたにお会いしたい」と言うのです。年末にお会いしたのに、そのことすら忘れているのですから少し忘れ状が良くなっていると思いながらあれやこれや、中には一方的な話もあって少々長い電話で、再会を約束して電話を切りました。妻を誘って早速週末、その女性の入所している特老へ会いに出かけましたが、お元気そうで色々なお話をして帰りました。
このおばあちゃんのように身寄りのない人は別として、最近は「歳をとったら特老」という風潮があるようで、住み慣れたわが家で老後を過ごしたり人生を終える人はだんだん少なくなりつつあるようです。かく言う私も他人事ではなくそろそろそんな選択をしなければならない歳だと自覚しました。わが親父は「この家の畳の上で死にたい」という願望通り、親孝行な息子(私)によってわが家で97歳の生涯を閉じました。親父が死んでまだ5~6年くらいしか経っていないのに、「老後は特老」という選択肢が主流となり、近所に住む何人かのお年寄りも「特老」という施設な中に消えて行きました。「人間の一生とは一体何なのか」、考えさせられる今日この頃です。
「おばあちゃん どこで調べた 電話帳 ラジオ聴いたと 電話が入る」
「わが名前 名乗りもせずに 長々と 電話する人 何人もいて」
「わが頭 思考回路が 働いて 名前的中 凄いものです」
「ラジオにて 下手糞ながら ハーモニカ 涙が出たと 喜んでくれ」