〇日本のドラッカー二宮金次郎(その2)
私が二宮金次郎を知ったのは、小学校2年生の時でした。「二宮金次郎は何の本を読んでいるのだろう?」と不思議に思っていたある日、私は母校下灘小学校の運動場の隅に建っている、背丈以上もある台座の上によじ登って、左手に持っている本を見ようとしました。その瞬間そこを通りかかった校長先生に見つかり、降りた私は校長室に連れて行かれお仕置きの正座をさせられました。
以来二宮金次郎に関心を持ちつも分からぬまま時が過ぎ、成人になったある日町内翠小学校にある銅像の上に許しを得て登り、漢字26文字の存在を知るも読めない浅学もあって、拓本にとって国語の指導主事にファックスで送り、この本が大学であることや、仁の道を説いていることを知りました。
その後人間牧場を造ったことをきっかけに年輪塾を開き、宮本常一やジョン万次郎、中江藤樹とともに二宮金次郎を先人の生きざまとして学習してきました。二宮金次郎は日本のドラッガーと言われるほど多くの人の生き方に影響を与えています。金次郎の蓄財に学んだ銀行王安田善次郎、日本最大の起業家渋沢栄一、真珠王御木本幸吉、再建王土光敏夫、経営の先駆者松下幸之助など、経営者や実業家に影響を与えています。
金次郎は233話の尊徳翁夜話に書かれている通り、金言とも言うべき多くの言葉を残していますが、積小偉大、一円融合などは時を経た今も通じる教えです。年輪塾の師範である大洲市在住の辻先生に書いてもらった「至誠・勤労・分度・推譲」の4つの言葉は、煙会所に置かれ今も私の生き方に大きな影響を与えています。
二宮金次郎は内村鑑三の「忘れられた日本人」という古い本で紹介されていますが、愛媛県内だけでも小学校を中心に182体の金次郎像があり、馴染みの深い歴史上の人物ながら、スピードの速い現代にあって最早金次郎を知る人さえ少なくなって、まさに「忘れられた日本人」のなりつつあります。「流行と不易」という言葉がありますが、二宮尊徳の教えは没後163年経った今も不易な教えです。
「日本の ドラッカーだと 評される 尊徳教え 今も不易だ」
「小学校 二年の時に 銅像の 台座登って お仕置き正座」
「読んでいる 本は大学 知ってから 難解本を 何度も読んだ」
「大阪の 古い古書街 手に入れた 大学今も 私のお宝」