〇求められる度量と力量
私はこれまで様々な人に導かれ、育てられてきました。人生最初の子どもの頃は両親、とりわけ父でした。学校に通うようになると学校の先生でした。漁師をした時代は再び父でした。体調を崩し縁あって役場に勤めてからは課長・教育長・町長などの上司でした。一方社会活動では青年団に入団し歴代団長・会長にも出会いました。
年齢や経験を重ね、いつの間にか親になり、社会活動では団長、会長、代表、職場では課長や教育長といった小さいながらもトップとして活動したり働いたりしてきましたが、人を導く人は、度量と力量を持たねばならないとしみじみ思います。度量とは他人の言動をよく受け入れる広く大きな心であり、力量とは物事を成し遂げる力の程度を言いますが、この二つを兼ね供えた人は誰からも信頼されるのです。
私はこの二つを手に入れるため遠心力を働かせて多くのことを学びましたし、力量をアップするため読む、聞く、見る、更には書く、喋る、実践することを進んでやり、少しずつではありましたが進化したように思うのです。しかし自分の度量や力量をグレードアップするだけでなく、これらを使っていかに世のため人のため働くか、多分死ぬまでこの二つは私にとって、追及し続けなければならない大きくて深い課題のようです。
「半生を 振り返りつつ 出会い人 顔を浮かべて 度量と力量」
「私には 度量と力量 まだ不足 多分死ぬまで 求める課題」
「75歳 後期高齢 間近なり 前え人少勢 後ろ人多勢」
「わが庵 来る人ありて 胸襟を 開いて語る 人生何ぞや」