〇夕焼けプラットホームコンサート(その2)
無人駅のプラットホームをステージにするという奇抜なアイデアを思いつき、JR下灘駅で始めた夕焼けプラットホームは、今年が33回目です。33年前の6月㉗日に、多くの反対を押し切って始めたコンサートですが、多くの人たちが関わり、有難いことにバトンをつないでくれています。親友の高岡亮さんや浅野和子さんなどは、毎年のようにやって来て、一年に一度の旧交を温めています。
「10年続ければ物語が生まれ、20年続けば神話になる」とは、私のけだし名言(迷言)ですが、20年はおろか33年も続いているのですから、これはもう仏話かも知れません。33年前には私も42歳の厄年真っただ中でした。町が町名変更問題で揺れ、責任を取って異動した後の失意のどん底のような時に始めたイベントだったので、他の人とは違った殊更な想いがよぎりますが、苦しい思い出は時としてより懐かしく思い出されるものです。
昨日は下灘駅のプラットホームから見ると、沖合に由利島が赤く染まって見えました。この島に21世紀えひめニューフロンティグルーの仲間とともに渡り、20年間も「無人島に挑む少年のつどい」をやったのですから、これまた夕焼けコンサートと同じくらい思い出があるのです。今はダッシュ島として違った顔を見せていますが、過ぎてしまえば一瞬の出来事のようにも思います。夏の終わりを告げるように、昨日の夕方は少し肌寒ささえ感じる夕暮れでした。
昨日はタブレットを忘れ、加えて持参したデジカメも電源切れで途中で使えなくなり、残念ながら記録写真を撮れなくなってしまいましたが、幸い知人友人がfacebookにアップしてくれていたので、失礼ながら何枚かの画像を寸借してしました。そうそう昨日はコンサートに耳を傾けていると、いきなり前触れもなく、テレビ局のカメラマンにカメラを向けられ驚きました。また昨日司会を務めた藤田さんは古い友人ですが、終了後握手をしたり殺弾をして再会を喜び合いました。
「コンサート 会場全てが 懐かしい 沖合浮かぶ 島さえ思い出」
「コンサート 始めた頃は 若かった 今はロートル 面影かすか」
「よくもまあ 続いたものと 感心し 記憶辿りつ 歌に聴き入る」
「前触れも なしにいきなり インタビュー 顔がいいのか? カメラ向けられ」