〇去りがたし魚島(その4)
私たち公友会のメンバーは午後4時から2班に分かれて中西さんの運転する軽四バンに乗せてもらい、島内視察に出かけました。細い山道の両側のあちこちには島四国のお地蔵さんがありましたが、先日の大雨や台風で土砂が流れ落ち、また島だというのにイノシシが畦畔を乱雑に崩していました。途中魚島小中学校に立寄りましたが、立派な学校なのに児童生徒は5~6人だそうで、運動場の片隅には立派な備前焼の二宮金次郎の像が建っていました。亀居八幡神社も、境内に芝居舞台まであって、信仰の厚さを伺わせました。
2班が島内視察に出た後、私たちは離島センター4階に移動して郷土資料館を見学しました。資料館の入り口にはかつて住んでいたと思われる、日本カワウソのジオラマが飾られていました。資料館の中はご多分に漏れず収集はしたものの整理が出来ていない状態で、多分このままだと活用もされず風化するのではないかと危惧しました。民俗資料はその地域の生きた人の文化です。活用しないとゴキブリの巣となり、悲しいことですがやがてはゴミの運命を辿ります。これこそ行政の力で残し伝えることをやって欲しいと思うのです。
僅か半日ほどの滞在でしたが、魅力ある島だと実感しました。遠いゆえ何度も足を運ぶことはできませんが、必ずやもう一度訪れたいものです。私たちは夕方の便で弓削島まで戻り、暮れなずむ瀬戸内の島々や、ライトを点灯した来島海峡大橋などを窓越しに見ながら、午後8時に今治港に到着、皆さんと別れた後、奥道後経由で同乗の神東さん赤石さんをそれぞれ送り届け、午後9時半ころ自宅へ帰りました。本来なら1泊2日の行程ですが、皆さん忙しいためあえて日帰りの強行軍となったものの、実り多い研修小旅行でした。
「軽四で 島内半周 あれやこれ イノシシ汚す 山道通り」
「5~6人 児童生徒が 学んでる 立派な学校 いずれは閉校」
「資料館 整理もできず 置いている 島民生きた 証や歴史」
「去りがたし 後ろ髪引く 思いにて 手を振りながら 魚島後に」