〇私は先生ではありません
昨日は金融広報委員会の仕事で、四国中央市の中曽根公民館へ行きました。四国中央市は愛媛県の一番東に位置していて、徳島県や高知県へ行くジャンクションとしてよく通る街ですが、最近は通過することが多く、カーナビの力を借りて、間違うこともなくほぼ完璧に予定の時間通り40分前に到着しました。前後して主催者である愛媛県東予地方局の担当者も見えられ、公民館の玄関に入りましたが、事務所に人の気配がなくいくら呼んでも音沙汰なしでした。
「困った」と思いつつ2人で勝手に上がり込み玄関ロビーで待ちましたが、開会の時間が迫っていたので大ホールに入りました。昨日の相手は老人クラブ女性部の75歳を超えた50人ですが、ほぼ予定通りの人数が既に座って開会を待っていました。やがて代表の開会のあいさつで、私の「超高齢化社会を生きる」と題した講演は始まりましたが、代表者が私を「若松先生」と紹介されました。
普通人の前で講演するような人は、学歴のある、そしてプロフィールもそれ相応の人でしょうが、私はそんな大それた人間でもない学歴も肩書もない、どこにでもいるような「普通の田舎のおじさん」なのです。先生と呼ばれる人は学校の先生やお医者さん、政治家などなので、「私は先生ではありません」と否定のあいさつから始めなければならないので、多少面倒だと思っているのに、時にはステージに架かった懸垂幕には演題の横に「人間牧場主・年輪塾々長若松進一先生」と歯の浮くような文字で書かれて赤面してしまうのです。
私は大学へも行っていないので学歴が殆どありませんが、学習歴は人様並だと自負しています。青年団活動8年間や公民館主事13年間から始まったこれまでの学習歴は、自分を大きく成長させてくれました。死んだ親父が「学校へ行かなくても学ぶことはどこででもできる」と、口癖のように言っていたことを自分の戒めとして、今も学習を怠らないように心がけ生きています。
「先生と呼ばれるほどの人でなし」はけだし名言で、これからも普通のおじさん、いやおじいさんとして、残りの人生を世のため人のため、ささやかながら尽くしたいと思っています。講演の前にあれほど「私は先生ではありません」と言ったのに、昨晩帰宅してパソコンメールを開くと、参加した女性の一人から「若松先生、今日はいいお話を聴かせてもらってありがとうございました。~後略」とお礼や感想のメールが入っていました。返信メールに「私は先生ではありません」と前書きして返信をしました。大笑いです。
「先生と 言われるほどの 人でない まずは否定し 講演入る」
「先生と 呼ばれて嬉しい 人もいる 私なんぞは 価値もないので」
「学歴は ないが学習 歴はある 親父の言葉 思い出しつつ」
「学歴が 人の値打ちを 決めるなら 私は何の 値打ちもないな」