人間牧場

〇二宮金次郎の銅像との出会い(その1)

 私はひょんなことから二宮金次郎と深くかかわるようになりました。そのきっかけは小学校2年生の時、母校下灘小学校の校庭に建っていた「二宮金次郎の銅像」を見て、「金次郎さんは何の本を読んでいるのだろう?」とふと考えるようになったことです。ある日その衝動を抑えきれず、背の高さ以上もある台座の上に難儀をして登りました。運悪くそこを通りかかった校長先生に見つかり、「危ないから降りてこい」と叱られ、金次郎が手に持っていた本を見ることもなく渋々下りて、校長室へ連れて行かれました。べそをかく私に校長先生は、「あんな危ない所へ何で上がったのか!!」と問い詰めました。私は「金次郎さんが何の本を読んでいるか知りたかったのです」と答えると、「馬鹿たれ、あの本には『いろはにほへと』と書いている」と言われ、それから約1時間校長室の板間でお仕置きの正座をさせられました。

かつて下灘小学校にあった金次郎の銅像
讃岐幸治先生から頂いた金次郎の銅像

 その後長い年月を経ても、「金次郎は何の本を読んでいるのだろう」という私の素朴な疑問は消えませんでした。30歳を超えたある日、愛媛県内で一番古い100年の歴史のあるわが町の翠小学校の校庭に建っている金次郎の銅像を見て、再びその疑問が蘇り、校長先生の許しを得て台座の上に上がり、左手に持った本を見て驚きました。その本には「いろはにほへと」など書いておらず、「一家仁一國興仁 一家譲一國興譲 一人貪戻一國作乱 其機如比」と26文字の感じが、ずらずらと書かれていました。浅学な私に読めるはずはなく、紙と鉛筆で拓本を取り校長先生に読んでもらうよう頼みましたが、残念ながら校長先生も読めませんでした。わが町には当時5つの小中学校があったので、早速各学校の校長先生宛に「読んでくれませんか」とFAXを送りましたが、読めないとの返事でした。仕方なく県教委の国語の指導主事の先生に送ったところ、これが中国の古書「大学」であることが分かったのです。

 その後大阪梅田の古書外の店先で、偶然にもノジが抜き古ぼけた「大学」という袋綴した本を見つけて舞い上がり、1万円の値札だというのに5千円に値切り手に入れました。大学どころか寺子屋へもロクに行っていない金次郎が蛍の光窓の雪を明かりに独学で大学を学び、後の人生の支えや心の戒めとしたことは大きな驚きです。私たち年輪塾の調査によると愛媛県内には現在182体の欽次郎像があり、全国には数えきれないほどの像があるにもかかわらず、その存在や意味すら忘れられようとしています。私の持っている小さな像は長年懇意の愛媛大学名誉教授讃岐幸治先生から頂いたもので、さしずめ県内では183体目の銅像ですが、生きた時代こそ違え、近江聖人中江藤樹もまた伊予大洲藩風早の地で、「大学」と出会い志を立てているたのですから、私のような凡人こそ大学や二宮金次郎の生き方にもっともっと学ぶ必要があるのです。

「わが母校 灘校ですと 言ったなら えっ?と驚く 下灘小中」

  「わが母校 運動場の 隅に建つ 金次郎さん 上がって怒られ」

  「わが母校 金次郎さん 今はなく 野口英世に 替わって久しく」

  「わが母校 金次郎さん 今どこに? 腕折れゆえに 写真のみしか」

 

 

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