〇消えかけた表札
わが家は「31歳で家を建てる」という、23歳で作った生活設計に基づき一戸建ての日本家屋を建てました。もう42年も前の昭和31年の出来事ですが、なけなしの財布をはたき銀行で500万円の住宅ローンを組んでの大事業でした。以来火の車とも思えるわが家の財政事情をかいくぐり、どうにか4人の子どもを育てて自立させたり、祖母・母・父を冥途へ送りながら倒産することもなく、ましてや首をくくることもなく今日までどうにか生き延びてきました。
その風雪を物語るのがわが家の玄関先に掛けている表札です。ケヤキの板を用意して知人の書家に書いてもらった表札も、今は雨風に打たれて、判読が難しくなってきました。先日看板は大事だから、そろそろ新しいものを用意しようかと妻に相談したところ、意外な発言が飛び出しました。妻の意見は、「この家を建てた時あなたは31歳でした。お父さん(私の親父)に『表札をどうするか』相談したら、『これからはお前の時代だからお前の名前の表札を掛けるろ」』と言われました。あなたは既に73歳、同居の長男息子は45歳、遅くなったけど息子の表札を掲げたらどうか」というのです。
一利も二利もあるこの発言に私も同感で、今朝そのことを長男息子に話すと、「この家はお父さんが建てた物だからまだまだ」と返事が返ってきました。そのことを話しながら、ふと家の代替わりについて考えました。わが家は私が四代目ですが、二代目の祖父が12人の子どもを残して早く亡くなったため、親父夫婦は貧乏の辛酸をなめながら若くして戸長となって頑張り、この家の基を築きました。故に私のもそのような生き方をしてもらいたいと、23歳ころから親代わりとして、近所や親せきの付き合いは私がその役割を果たしてきました。若い頃は嫌でたまりませんでしたが、そのことが今の自分を育てたのだと時々思っています。
そういう意味では少し遅きに失した感もありますが、そろそろわが家でも代替わりをしなければならないようです。既に組長などのローカルコミュニティや親類づきあいは極力息子に任せようといざなっていますが、息子も仕事が忙しく、それどころではないので、「親父頼む」「親父よろしく」てな感じで、中々本当の意味での代替わりができていませんが、息子の表札をかけることによって、いささかなりとも自覚が芽生えればこれに越したことはありません。最近は個人情報とかで表札を掲げるのをためらっている家も沢山あります。逆になくなって長い年月が経っているのに、その人の名前の書いた表札がいつまでも掛かっている家も、田舎にはまだまだ多いようです。
「電話帳 名義変更 しないまま 死んだ主人の 名前で掲載」
「玄関の 私の表札 判読が 難しくなり いっそ息子に」
「気が付けば 私70 過ぎました 息子40 半ばになりて」
「この際だ 世代交代 する時期と 息子に相談 表札替えよう」
藤崎さん
表札も最近は随分様変わりしているようです。わが家ではそろそろ息子の表札を掛けてやろうと思っています。代替わりです。
城を次世代に明け渡してというのに何か堅苦しいものを感じました。表札は名字一字でいいと思います。我が家はそれで行こうとしてます。ローマ字ですけど。昔、郵便配達のバイトをしていた頃に表札は名字一字だけで配り易かった記憶があります。ましてや別名字の表札が二つ架かっていると何か配り難かったですね。今は二世帯住宅で表札二つで配り易いと思いますが、それでも宛名不明で帰ってきますね。個人情報とやらで役所で住所確認してからですけど、郵便物溜まり放しもありますね。田舎ほどそれは無いと思います(笑)