〇水道修理
わが家は田舎だし、家庭菜園や人間牧場で百姓まがいのことを色々やって暮らしを楽しんでいます。百のことができなければ、百姓を名乗ることはできないと、何年か前聞いたことがあります。にわか百姓で百姓まがいの私には、百のことなど到底できそうにありませんが、それでも石垣を積んで土木作業をしてみたり、親父が生前長年にわたってやってくれていた、家の周辺の傷んだ箇所の細々を不器用ながら手直しして楽しんでいます。
一週間前、庭の井戸から畑の散水用に水道を引っ張っていますが、その一つに水漏れが生じ、エスロンパイプの継ぎ手やホースを使って修理しました。井戸の元栓をを閉め、揚水ポンプの電源を落として修理をはじめました。漏水ヵ所を鋸で切り詰め、つなぎ合わせるのですが、最初はパイプ内に残った水が乾かず、乾いた布切れで拭き取り、接着剤を万遍に塗って接続し、半日ほどそのままで乾燥させ、蛇口周辺を立ち上げているステンレスパイプに針金で固定し、修理を終えました。
夕方ポンプのスイッチを入れ、試験的に通水しました。ところが今度はポンプに5~6分ごと静かながら自動スイッチがほんの短い周期で入るのです。こんな時はどこかパイプから水が漏れていると思わなければなりません。あっちこっち思い当たる蛇口三ヶ所の周辺を中心に調べて回りました。駄目元と思い、井戸側周辺を見ていると、かすかに水道パイプからまとまった水が噴出していました。「見つかって良かった」と、安心して漏水箇所の修理はしたものの、今度はホース巻の下の木材が腐り、割れて使い物になりませんでした。
結局日曜大工仕事もして、防腐剤を塗って据付け、やっと百姓ならぬ三姓程度の水道修理工事を無事終えることができました。水道屋さんに頼めば、手を汚すこともなく綺麗に治るのでしょうが、これも修業のひとつです。さあ次は、親父から「お前は不器用」の烙印を押されていた私に、どんな仕事が待ち受けていることでしょう。一番の味方は、「お父さんも中々器用ね」と誉めてくれる嬉しい妻のその一言です。
「相次いで 水道漏水 見つかって 水道修理 素人ながら」
「不器用の 烙印親に 押されたが 妻の言うには 中々やるね」
「水道屋 頼めば早く 綺麗だが 手を汚す価値 あるかも知れぬ」
「さあ次ぎは どんな手仕事 あるだろう 七十手習い これも楽しみ」
私設の水道修理ですね。もし私がそのような設備を所有していたら自分で直します。私も親から悪態は言われてきました。今思うにあれは言い過ぎというのもあります。そういうのも生まれ育った時代が違い点があります。その事で母と言い合いになりますが、両親が育った時代は軍国主義が強い時代でした。あんまり私はその時代が好きではありません。そのような躾を私はわが子にもおこなってしまいました。良かったというより後悔心が出てきましたよ。だから私は子供にも詫び、家庭円満を願っているのですけど、今の処叶ってません。