〇病院待合室での会話
昨日の午前中、96歳の親父を近くの歯科医院へ連れて行きました。先日自分の入れ歯を紛失し、笑うに笑えないハプニングがありましたが、替えの入れ歯を装着したものの噛み合わせが悪く、食事も喉を通りにくくなっていて、歯科医院で新しいのを作ってもらっていたのが出来上がったのです。親父を病院に連れて行くにはまず紙パンツや洋服を着替えさせなければならず、それが一苦労です。
軽四トラックに「よっこらしょ」と気合を入れて乗せ、僅か2~3分で到着しますが、車から降ろして待合室へ手を引いて連れて行きました。この歯科医院にはわが妻が勤務しているので、電話であらかじめ診察時間を聞き出しているので、待つこともなく診察室へ入りました。診察室には顔見知りである下灘のYさん夫婦が診察を終えて座っていました。Yさんは私より少し年齢がいっていますが、若いころは青年団で社交ダンス等をたしなんでいた、いわゆるダンディボーイです。
久しぶりに会い懐かしく会話を交わしましたが、私が親父の手を引いてあれこれ世話をしている様子を見て、「羨ましい」と言われました。Yさんは物心つかぬ子どものころ、太平洋戦争でお父さんを亡くしています。お父さんの戦死した激戦地ニューギニアへも遺骨収集に出かけるなど、お父さんの幻影を今も探しているようでした。「親父も高齢になって在宅介護も中々大変です」と話すとYさんは、「私など親の世話をしたくても親がいない。あなたは幸せですよ」と言われました。
確かにYさんのような方にとっては、親孝行したくてもできないのです。思うようにならない親父の介護をやっていると、時々愚痴ることもありますが、それは贅沢な悩みであるということに、遅蒔きながら今頃になって少し考えさせられた会話でした。親父の気力や体力はこれ以上の改善は望むべきもありませんが、せめて生きている間、私ができる間は愚痴らずにしっかりと面倒を見てやりたいと思いました。
「病院の 待合室で 親父の手 引いて診察 感動してくれ」
「戦争で 戦死の父の 顔さえも 覚えていない 人から見れば」
「年取った 親父の世話が できること 羨ましいと その人は言う」
「何事も 見方変えれば ネガティブも ポジティブなりて 幾分気が楽」