〇孫の木登り
「自分の子どもを豊かな心の持ち主に育てたい」と思うのはどの親も一緒です。しかし豊かさの基準を心の豊かさより、「将来いい仕事に就いて、いい稼ぎをさせる」経済的豊かさに置くと話は別で、勉強がよく出来ることを優先するようになるのです。私たちの身の回りにもそんな人はいっぱいいますが、その人たちが本当に幸せな人生であるかどうかは疑問なようです。私たち夫婦は少子化社会の中で、今時珍しい4人の子どもを産み育てました。夫婦を足して2で割った数字が、わが子どものレベルだと思っていたから、そんなにレベルの高くない私たち夫婦は、望むべきもない「将来いい仕事に就いていい稼ぎをさせる」ことをあきらめ、むしろ「心の豊かな子ども」に育てようと思いました。ゆえに仲間とともに結成した、ボランティアグループ「21世紀えひめニューフロンティアグループ」が主宰した、無人島キャンプなどにも積極的に参加させ、心を磨かせました。
お陰様で学校の勉強は今一でしたが、飛び切りでもない普通の、心優しい子どもに育ちそれぞれの道を歩んでいます。30年近くも続けている青少年育成活動への積極的参加も、いつの間にか自分の子どもたちに代わって息子夫婦や孫たちと一緒に活動するようになってきました。いやはや驚きですが、「まあいいか」と思いながら少し角度や視点の違ったかかわりの中で、これから10年は軸足を育爺として関わってやろうと思いを新たにしています。
先週の土曜日人間牧場で、ジャガイモ植え作業をしました。農作業や集いを終えて皆さんは引き上げて行きましたが、私と息子は使った道具類の片づけを一時間ばかりやりました。すると1年生と年中の孫二人は、そこら辺で棒切れを持って遊んでいましたが、孫希心は何を思ったのかヤマモモの木、孫奏心は柿の木に登り始めました。
やがて「おじいちゃ~ん」と呼ぶ声が聞こえたので外に出てみると、二人は器用にも木に登り、孫希心はかなり上の方まで登っていました。「危ない」と思いましたがぐっと堪えて「凄い、凄い」と誉めてやると、両手を広げて格好いいとこを見せてくれました。孫奏心は柿の木から足を滑らせ落ちそうになって半泣きになりましたが、これもいい経験です。田舎では木に登ること等当たり前と思っていましたが、今は田舎ですら「危ない」という理由でしない、させないようです。怖いけれども木に登った時の達成感は言葉で表現できない嬉しいもので、孫たちもその夜は木に登ったことを家族に自慢話していました。昔テレビのコマーシャルで丸大ハムが、「腕白でもいい、逞しく育って欲しい」というのをやっていて、流行語になっていました。これからも折に触れ田舎ならではの逞しい体験をさせてやりたいと思いました。
「ヤマモモと 柿の木登る 孫を見て 中々やるわい 嬉しくなりぬ」
「その夜は 木登りできたと 大威張り 今度は天辺 登ると豪語」
「危ないと 何でもかんでも 駄目サイン 大人の尺度 子ども育たぬ」
「腕白な 子ども育てる 育爺に なってやろうと 何かにつけて」