人間牧場

〇私たち夫婦は戦後とともに

 今年は太平洋戦争が終って69年目です。私たち夫婦は私が昭和19年、妻が昭和20年生まれなので、私も妻も自分の年齢イコール戦後の年数でもあるので覚えやすく、特別な感じで毎年戦後や戦争にまつわる諸行事を迎えています。「69年目の広島や長崎の原爆平和記念日」や「69回目の終戦記念日」には、その時報とともに自宅で直立不動で一分間の黙祷を行い、犠牲になった人の冥福を祈りました。

 69回とは私たち夫婦も69歳という歳になったということを意味します。妻は終戦の日から数えて27日後の昭和20年9月12日に生まれ、私は敗戦色濃い8ヶ月前の昭和19年10月3日に生まれています。ゆえに戦争の体験こそないものの、物資の少ない貧しい時代に育っています。日本が貧しい時代を脱して高度成長や安定成長をした昭和という激動の時代を生き抜き、ある意味成長と混迷を合わせ持った平成を生きていますが、頻発する事件や事故を思う度、これらの日本社会に生きなければならない不安も垣間見えるのです。

 戦争は誰が考えても最大の社会悪で、平和を願わない人は一人もいないはずなのに、アフガニスタンやイスラエルに見られる戦争は、終息するどころか混迷の度を深めています。69年経った今も終戦記念日に靖国神社へ参拝に行った行かないで、隣国中国や韓国とギクシャクしている姿を見て、戦争の残した爪あとがいかに大きいか垣間見ることができるのですが、日本は平和ゆえに事件や事故が頻発し、成熟社会の心の傷も広がりつつあるようです。

 遠い都会の出来事と思っていた強盗事件が3日前松山市で2件発生、わが伊予市でも市営住宅で殺人事件が発生し全国ニュースになるなど、「どうなっているの?」と首を傾げたくなるような昨今です。わが町だけは、自分だけはと蚊帳の外を考えても、蚊帳の中すらこのような有様です。もう一度自分や自分の回りに目をむけ、共存や共生の意味をじっくり考えたいものです。かく言う私もいよいよ2ヵ月後には70回目の誕生日を向かえ70歳となるのです。

  「69 この数字には 私たち 夫婦が生きた 思い出数々」

  「平和だと いうが決して そうじゃない 頻繁起こる 事件事故見て」

  「蚊帳の外 思っていたが 蚊帳の内 あちらこちらに 歪生じて」

  「70の 大台間近か 夫婦とも これから先も 元気一番」

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